人間の後に来るものは何か。
想像力を駆使して人間を見つめ直す。
人形を通じて人間を考え、ポストヒューマンを考える。
私の研究テーマは「ポストヒューマンの文学」です。「人間の後に何が来るのか」を問う文学と言い換えてもいいでしょう。ある種の文学は、今ここにある人間というものを絶対視せず、「もしかしたら人間は、他のようにもあり得たのではないか」という問いを立てて思考実験を繰り返し、ポストヒューマン的なものを描き出してきたと言えます。
現在の研究対象は、埴谷雄高、安部公房、花田清輝、澁澤龍彥といった文学者ですが、彼らはそれぞれ、戦争の時代をくぐり抜ける中で“人間の行き止まり”に突き当たることになりました。その結果、たとえば批評家の花田清輝は、ルネッサンス以来続く「人間中心主義」を逆転した「鉱物中心主義」を画策することで、近代の超克をめざします。また澁澤龍彥は、ナチスの優生思想に抗うように奇妙な球体関節人形を制作したハンス・ベルメールの紹介者として、「人形愛」を思想にまで高めました。
私が現在の研究を始めたのは、澁澤の著書『少女コレクション序説』に収められた人形をめぐる一連の批評に魅了されたことがきっかけです。人形を通して人間を考え、さらに人形を通してポストヒューマンを考える、という形で現在の研究につながっています。
テクノロジーの進歩の陰で揺らぐ人間の定義に迫る。
あなたが人形に触れたとき、自分の中にどんな感情が流れましたか。
「人形は怖い」と言う人もいますが、ではなぜ人形は怖いのでしょうか。怖いものをなぜ人間は古代から作り続けてきたのでしょうか。
テクノロジーの進歩とともに、人間は自らの身体を無機的に変容させ、人形に近づいていくかもしれません。人間と人形の境界は何か、どのような要素が人間を人間たらしめているのか、こうした現代的なテーマに迫るのが「ポストヒューマンの文学」です。
- *1の著作に強い影響を受けたが球体関節人形の制作を開始。その後も球体関節人形は、文学からサブカルチャーを横断し、現在も多様な展開を見せています。写真はによる球体関節人形。