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荒川ゼミ・稲生理沙さんから「上海便り3~ランマン(浪漫)な旧租界」が届きました
上海に留学している荒川ゼミ所属の稲生理沙さんから,「上海便り3~ランマン(浪漫)な旧租界」が届きました。
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魔都・上海。そう呼ばれていた理由の一つに、外国人が自分たちの住む地区を管理していた通称「租界」と呼ばれていた地域があります。各エリアごとにその国の様式が中華風になり、独特の雰囲気になっているのです。そして、今でもオフィスビルの立ち並ぶ中にひょっこりとその当時の建物が頭を出しています。そんな今でも残る浪漫(ランマン)な旧租界をご紹介します!
上海はビジネス街なので、中国何千年の観光地というような雰囲気はあまりありませんが、こうした建物を見て回るのも面白いのです。
詳しく説明すると「租界」とは外国人の居住・営業のために解放された開港市内の一部(難しい言葉でいうと外国が法律、裁判の支配に縛られない特権をもつ治外法権地域)で、原則として中国人の土地所有は禁止されていました。1845年から上海イギリス租界が始まり、日本、ロシアなど8か国、全国では28か所の租界が存在していました。上海のほかにも南京、天津にもありましたが、第二次大戦後に完全に消滅しました。
この特殊な地域の状況に加えて、ダンスホール、ビリヤード、ボーリング場、妓館(遊女屋)、アヘン窟までびっしりあったと言われます。その華やかさと退廃的な雰囲気に魅了された日本人も多く、金子光晴、芥川龍之介、谷崎潤一郎など明治時代の文豪たちも多く訪れました。
↑租界の地図。右上には日本人街、中央に旧イギリス租界、そして、左下に“東洋の巴里(パリ)”と呼ばれた旧フランス租界があります。
東洋の巴里と呼ばれた旧フランス租界にはパリの街を再現するためにプラタナスの木が植えられています。ここには空に突き刺さるようにそびえたつ建物は少なく、小さな洋館が今でもたくさん建っています。
↑はい、上海といったらこのお馴染みのきらびやかな外灘(バンド)。新しいシャープな姿のビルと当時の西洋の流行りの様式を取り入れたどっしりとかつ洗練された建物がせめぎあいながら建っています。このライトアップは画像を加工して色をつけたのではなく、本当にこのようにライトアップされており、どこから眺めてもロマンチックです。星はこの町では見えません。
↑お洒落な家、かと思えば、実はこの中には消防車が…。そう、消防署なのです。こんなふうに当時の建物は今でも普通に使われています。大世界という場所より(名前もいちいちお洒落で憎い!)。
このように、上海の西洋風の建物は、決して特殊な建物ではなく、街にふらっと出かけると、思いかけずめぐりあったりするものです。
また、このように多種多彩な文化の影響を吸収して発達している街なので、外国人がいても、あまり驚きません(英語が通じる通じないにかかわらず!)。慣れている、というような印象です。
さまざまな民族が入り乱れた魔都・上海の街並みに一度足を運んでみてはいかがでしょう。日本から約3時間、今と昔、西洋と東洋、民族と民族が入り混じった小世界は中国の新たな一面を感じさせてくれるはずです!
参考にしたもの
- 上海ナビ 上海の外国租界にプチトリップ!上海租界特集 2014/6/29閲覧http://www.shanghainavi.com/special/5030164
- 広辞苑 第6版
- ブリタニカ国際大百科事典
- 百科事典マイペディア
カテゴリ:その他|掲載日:2014年07月03日