経部291種/史部214種/子部327種/集部630種/叢書部30種など
簡斎文庫の総点数は、漢籍・国書併せて約30,000冊である。中国学研究者ではない財界人の個人蔵書としては、特記すべき分量と言ってよい。もちろん実業界がかかわった図書コレクションとしては、三菱の静嘉堂文庫・東洋文庫、安田財閥の安田文庫、大東急の大東急記念文庫などがあるが、それらはそもそも図書コレクションを目指して成立したもので、個人での利用のためのものではない。略歴にも記したように簡斎は漢籍に親しみ、漢詩を作り、思考の拠り所としていた。したがって簡斎文庫は、上記の諸財閥図書コレクションとは性格を異にするものといってよい。
個人利用を目的に形成された簡斎文庫であるが、実用一辺倒ではなく、以下のような特色を持つ。
・日本漢学への注目
・朝鮮本の比重大
本展示では、この特色をテーマとして紹介書を選んだ。なお、電子化し公開しているものについては、解題の後ろにリンクをはってあるので利用いただきたい。
江戸期漢学の書としては、広く流布した和刻本がその大半を占めるが、加えて、未刊行の鈔本の存在が注目される。なかでも『韓非子翼毳』鈔本は、木活字本刊行以後の著者自身による考訂作業の成果を保存している点で貴重である。そのほかにも、安井息軒の『周礼補疏』、亀井昭陽の『礼記抄説』など、著名漢学者の著作のうち、当時未刊行のものも含まれる。さらに刊本からの筆鈔と思われる諸本も、当時のテキスト流布の実態をうかがわせる好資料である。上述のように、これら漢学関係の書籍は、漢詩の師でもある木蘇岐山蔵書を承け継いだことに因るかもしれない。
『韓非子』に、江戸時代の漢学者太田方が注釈をつけたもの。語彙の用例を丁寧に探索して読みを確定させてゆく手法は、中国に先駆けて科学的文献学、考証学を確立したものとして、江戸漢学の最高峰の成果とされる。また『韓非子翼毳』は著者個人による木活字印刷出版として著名だが、活字本刊行後も著者による研究・改定は続けられた。最も普及する漢文大系本は木活字本を底本としているが、簡斎文庫本は木活字本(注1)以後の研究成果も取り込んでいる点で極めて貴重である。この鈔本作成の経過を通して、江戸期における研究成果の刊行、校訂の有様もうかがうことができる。(注2)この書の筆鈔者永山近彰は簡斎と同郷で大学の同窓であり、交流も密であった。この書をはじめとして、金沢の人脈の中で入手したと思われる書籍が少なからずある。
『韓非子翼毳』全篇書影
幕末・維新期の儒学者安井息軒(注3)の『周礼』講義を弟子が記録したもので、内容は、『周礼』読釈に必要な情報を既存の諸書から、抜き出した講義の手控え。息軒は江戸に出たあと、多くの弟子を育て、中には谷干城、陸奥宗光、明石元二郎など、明治期に活躍した人士も多い。本書は鈔本しか伝存せず、今回の電子書影の公開が初の公刊がとなる。幕末という動乱の時代に、人々が古代中国の理想国家体制論を読んでいたことは興味深い。情報収集や思想把握ではなく、古典を読むという行為によって、他者の思考を論理的にトレースするという、学術行為の一つの形をあらためて示す書籍である。
『周禮補疏』全篇書影
江戸後期、福岡の著名な儒学者・亀井昭陽が、『礼記』を読み進める上で、問題個所を抜き出し、それに諸本との校勘や先行注釈を書き加えたもの。町田三郎氏の解説を付した亀陽文庫所蔵抄本が亀井南冥・昭陽全集として景印出版されている(注4)が、残念ながらモノクロであり、朱による読点、返り点、送り仮名の判別が困難であった。今回のカラー画像公開によって、昭陽の読みが、いっそう明快にトレースできるようになった。なお筆抄者は不明である。
『禮記抄説』全篇書影
鈔本の中には、荻生徂徠及びその学派にかかわる著作が少なからず含まれる。『物氏三経集説』、『論語徴集覧』、『周易解』などがそれである。また、徂徠学を伝承した庄内藩の白井重行の手にかかるものや、徂徠学徒である戸崎淡園のものも確認できる。ただしこれらが、簡斎が意図をもって収集したものか、先行コレクターのものをまとめて入手したものかは明らかでない。鈔本として未刊行のものも、刊本の筆写と思われるものもある。上記亀井昭陽のものも蘐園の流れの中でとらえるべきかもしれない。
『論語徴集覧』:『論語徴』とそれに関するデータを源頼寛が集めたもの。
『周易解』:徂徠の「遺訓」を鶴岡の白井重行が収集したもの。庄内藩は寛政異学の禁の中でも藩学に徂徠学を置き続けた稀有な藩である。
『老子正訓』『郭注荘子考』:戸崎淡園の著作
また他に、伊藤東涯の筆記『盍簪錄』など未刊鈔本も含まれる。
簡斎が育った金沢の漢学伝統との強いつながりをうかがわせるものも少なくない。
分量的に極めて大きいわけではない簡斎文庫の中にあって、朝鮮本の数の多さは顕著であり、経部から集部までジャンルも大きな広がりを持つ。四部分類に従えば種数は以下の通り。
経部:8部 史部:7部 子部:9部 集部:58部 計:82部
朝鮮本の総リストは別掲。国内の朝鮮本コレクションとしては、東京大学小倉文庫(小倉進吉旧蔵 注5)大阪府立図書館コレクション(注6)が双璧であり、簡斎文庫は量的にも質的にも及ぶべくもないが、両コレクション未収書もあり、版を異にするものも多い。
しかし簡斎の文集である『小倉正恒談叢』や伝記類にも、朝鮮儒学や朝鮮本についてとりわけての関心は示されていないので、朝鮮本の収集にあたって簡斎に特別な動機や計画があったのか不明である。またその入手経路についても明らかにしがたい。簡斎は1916年、住友総本店総理事の鈴木馬左也に随行して朝鮮を視察している。なお所蔵書の7割を占める集部の書のうち、さらにその50種は、朝鮮人著述文集である。朝鮮本の総リストを後に掲げる。
唐・李商隱撰 淸・朱鶴齡箋注 順治十六年序 朱氏素位堂刊本 2册 淸紀昀手批本
簡斎は『小倉正恒談叢』中の「漢詩一夕話」に「李義山の人となり」という項目をたてて、陶淵明・白楽天・蘇東坡らとともにその詩への愛好ぶりを示す。加えて李義山については特に「無題詩浅釈」として読釈を加えている。そしてここに掲げた『李義山詩集』には、四庫全書総纂官であった紀昀の手批が記されている。紀昀には『李義山詩集』への「点論」や『玉溪生詩說』二卷などの著作もあり、紀昀手批の存在は首肯される。
[1] 木活字本は、雄松堂の影印複製本のほか、国会図書館デジタルアーカイブ、国立公文書館などが電子公開されている。
[3] 安井息軒の蔵書や関連資料は、慶應義塾大学斯道文庫に安井文庫として収蔵され、解題や書籍リストが「斯道文庫論集」に掲載されている。
[4] 「亀井南冥・昭陽全集」 第5巻(亀井南冥・昭陽全集刊行会編 1979年 福岡・葦書房刊)
[5] 小倉文庫については、以下の2つのリストが公開されている。
・「小倉文庫目録」(「朝鮮文化研究」第9号2002年東京大学大学院人文社会系研究科・文学部朝鮮文化研究室刊)
・「小倉文庫目録 其二 旧登録本」(「朝鮮文化研究」第10号2007年東京大学大学院人文社会系研究科・文学部朝鮮文化研究室刊)」
[6] 「大阪府立図書館韓本目録」(大阪府立図書館編集 1968年大阪府立図書館発行)