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   広 州 ・ 済 南    (2008年度海外研修 原題10.羊城と泉城)  


   「羊城」、「泉城」とはそれぞれ広州(広東省)、済南(山東省)の別称である。8月南昌での学会の後広州に行き、9月済南に出かけて行き、両地の図書館で古籍閲覧を行った。図書館の方々には非常に親切にしていただいた。
 


   広 州 
広州は2回目、二十年振りくらい、前回は三峡下りのツアーで立ち寄り、観光バスに乗って孫中山記念館、陳氏書院、流花西苑などを見物した。


今回の宿泊先周辺の第一印象は台北のような上海のような、そんな感じだった。宿泊先から図書館まで徒歩で往復、昼休みが長いので、その間とか、古籍閲覧の予定終了後などに市内を散策した。流花西苑を再訪してみたが、以前私が感激した雰囲気は味わえなかった。最高気温35度の暑さで、余裕がなかったのかも知れない。ガジュマルやブーゲンビリアは路地植えですくすく育っていはいたけれど。写真の蘭は越秀公園そばの蘭圃にて。蘭雪書屋の主としては訪れないわけにはいかない。
 


   

蘭圃内の芳華園
   
六榕寺の花塔
 


  蘭圃内の芳華園       
なお、広州の伝説に五匹の羊にちなむものがあり、それが「羊城」という名の由来となったそうである。(上の写真は越秀公園内の五羊像)
 


   広州へは日本からの直行便もあるので、観光で出かけるのも楽しいに違いない。この道の向こうに何があるのだろうという、私が以前の上海で好奇心に駆られたように、そんな気持ちにさせてくれる街であった。  


  済 南
次は済南であるが、私がたまたま古籍閲覧に出かけたので、広州と同じページにするだけである。済南は今度で3回目、二十代のとき総理府の訪中団で友好訪問、三十代のとき北京語言学院で短期研修した後、いろいろな国の中国語の先生と旅行している。今回は北京南駅から「動車」という中国版新幹線で3時間で到着した。天津までは路線も整備されていて200キロ以上出ていたが、そこを過ぎると普通の線路で、そんなにスピードは出ていなかった。とはいうものの新幹線は快適であった。ホームと列車の間に段差がないのは一人で荷物を運ぶときに便利である。
 


   さて、済南市内は宋代の女流詞人李清照の記念堂と故居(易安故居)等を見物した。李氏の「声声慢」は学部のときに習った記憶がある。金石学者の夫と幸せに暮らしていたが、夫の死や社会の変動によって、晩年は苦労したようである。李氏は済南では趵突泉のそばに住んでいたという。この泉は「天下第一泉」と呼ばれ、勢い激しく湧き出ている。泉が多いので済南は「泉城」(泉の街)と呼ばれる。泉は主要なものだけで七十二あるそうで、全部見る余裕もなく、あとはひたすら図書館に通っていた。      



       中秋節の日、趵突泉にて。この日は祝日で、満月を鑑賞し、月餅を食べ、家族団欒をする習慣がある。前日、北京で知り合いの先生のお宅でご馳走になった。満月は済南の夜空に煌々としていた  



 


  Since 2008/10/2
Last updated: 2020/12/25


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