2024.03.26

『電話がつながらない、ネットがつながらない!!』

 

 みなさんの連絡手段は何でしょうか。コミュニケーションツールの変遷は目まぐるしく、手紙、電話、ポケットベル、パソコン、携帯電話、スマートフォン、タブレット端末と変遷し、今やどこにいても時間と距離を超えて、瞬時につながることができるようになっています。学生のみなさんの主流はSNSでしょうか。LINEXTwitter)Instagramにまつわる話が相談の中でもよく登場します。自称IT原始人の私は、SNSに全く手を出しておらず、文字情報で即時返信を期待されるチャット状態のやりとりは、のろまな私には絶対に無理だと思っていますが、さて、いつまで原始人を続けることでしょう?

 

 そんな私でもプライベートで電話をする機会はほとんどなくなりました。世の中はLINE通話をしているのかもしれませんね。最近、家の電話が鳴っていないことに気づきました。充電が切れているのかな、かけることもないし、セールスしかかかってこないし、まあいいかと放置していたら、なんと回線が繋がっていませんでした。1年近く繋がってなかったかも。ようやく重い腰をあげて、NTTの故障窓口に連絡をしようと思い立ちました。 

 

まず、電話をかけようと思っても、番号がわからず、ネットで検索。最近はなかなか問い合わせ電話番号は載っていません。やっと見つけてかけてみると、音声案内。該当番号をプッシュして下さいと言われ、携帯電話では操作が面倒。そして、結局のところネットで調べてね、リンク先をメールで送りますと案内され、人はなかなか電話口に出てきてくれません。諦めてリンク先でいろいろ調べると、どうやら機器の故障が想定され、新しい機器の送付手続きをすることになりました。自分で交換してダメなら、修理派遣を検討と記載されていて、心細い。

 

 新しい機器が届き、四苦八苦してケーブルを入れ替えて、いざ交換。電話はつながるようになったものの、なんと今度はネットがつながらない! 電話が不通時の悠長な私はどこに行ったやら、大慌てです。前の機器に戻してみても、やっぱりつながらない! 設定などいじくりまくって、もう何がどうなってるのか混乱状態。その時、すでに深夜。ネットで調べようにも、ネットが使えない。Wi-Fiも使えない。もう泣きそうでした。やっぱり今は電話よりネットがないと困ってしまいます。

 

  朝になるのを待ち、再度NTTの故障窓口に電話をしました。またまた音声案内がネットで調べてと誘導しまくるのを耐え忍び、いくつもの問いにプッシュで回答しまくっても、電話口に人は出てくれず、非情にも音声案内は終了。ネットで調べろって言われても、繋がらないんだって。どうすりゃいいの? 途方に暮れて、スマホから修理派遣をネットで依頼するしかないかと思っていたら、なんとしばらくしてNTTから折り返しの電話がかかってきたんですよ。もう神様、女神様です!!! 優しく一緒に1つ1つ確認作業をして下さり、感動の涙。結局、プロバイダーの設定が間違っている可能性が高いとわかり、不安もほぼ解消。契約情報の確認をするため、今度はプロバイダーの窓口に電話をすると、またまたクールな音声案内。長い案内を1つ1つ聞きながら、該当番号をプッシュし続けたところ、契約内容を5日後以降に郵送しますとおっしゃる。1週間もネットなしの生活に耐えなければならないのかとうなだれる私。何で一瞬でわかることを直接出て回答してくれない? スマホで検索しまくり、何とか契約内容をネ

ットから問い合わせて変更の続き。一か八かそのIDとパスワードで再設定してみたところ、なんとネットにつながりました! 格闘すること18時間。スマホの通信料が怖すぎる。

 

 結局、ネットが使えなければ、ネットの修復さえままならないネット社会。こんな待てない私にしたのもネット社会。ネットが使えない人だっているだろうに。今回ほど、人と直接話ができるありがたさ、温かさを実感したことはありませんでした(涙)。 悩み相談も文字情報のチャットやAIにとって代わられるのではないかと危惧していましたが、まだまだ直接やりとりできる私たちカウンセラーは必要とされてますよね。ちょっと嬉しくなりました。        

                       

名古屋学生相談室 竹内

 

 

 

2024.03.22

『違いを認める』

 

 最近は「多様性」という言葉が時代のキーワードになっているようです。例えば、性の多様性や、家族のあり方の多様性が言われています。特に性の多様性については、例えば同性同士のカップルをどう社会的に受け入れていくかなどが話題となっているでしょうか。

 

 一方で、人間は変化に抵抗する生き物とも言えます。新しい物事の有り様に嫌悪感や戸惑いを感じつつも、世論で叫ばれている「多様性」に表立っては反論できないモヤモヤを抱えている人もいるかもしれません。そういった変化への抵抗性が(表面に現れているものも現れていないものも)、新しい有り様を根付かせることを妨げるため、社会が変化していく事は簡単ではなく、歴史もそれを証明しているように思われます。

 

 多様性が叫ばれる背景には、人権の概念がますます重視されたり、社会や文化が高度に複雑化している事があるのでしょうか。多様性を認めていかないと、もはや社会が立ち行かないとも言えるのでしょうか。私は生物学は全く門外漢なのですが、人間を生物として考えた場合に、多様である方が生き残る確率が高いということなのでしょうか(しかしベストセラーになった「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリは、近い将来人類(ホモ・サピエンス)は滅びると言っているようですが…)。

 

 最近、そういった多様性を表現していると思われる小説を何冊か読みました。ベストセラーだったり受賞していたりするので、読まれた方も多いと思いますが、凪良ゆうの「汝、星のごとく」「流浪の月」「私の美しい庭」です。どの作品の中でも、従来とは違う家族の形が描かれていました。ちょっとネタバレになってしまうかもしれませんが(これから読もうと思っている人は以下飛ばしてください)、恋愛感情はないがお互いを尊重し助け合う夫婦、特殊な性的嗜好を持つ男性と性に関心がない女性とのパートナーシップ、元妻が別の人と再婚後に産んだ娘との親子関係(つまり血縁はない)や、そこに彼の友人が加わり生活を営むなど…。

 

 従来の考え方からは、それらの関係性に付ける名前は無いものの(名前をつける必要は無いとも言えるでしょうか)、どの関係においてもそこには確かな愛情が描かれているように感じました。

 

 これらの作品から私は、多様性を受け入れていくことで人間はもっと自由になれるのではないかと希望を感じました。例えば、高齢化社会において、老後それまでのパートナーや家族を失ったときに、血縁や特別な関係性がない相手とも、共に暮らし助け合う生き方ができるかもしれません。すでに始まっている動きですが、老後友人や隣人同士でシェアハウスに暮らすなどの形も素敵ですね。もちろんそのような関係性にも問題が発生することはあると思います。血縁や恋愛感情があってもなくても、自分とは様々な点で異なっていても、相手を人として尊重するという基本的なところが、他者と共生していくためには大事なのでしょうか。ただ、「違いを認める」という言葉は一見美しく響きますが、人間にとってそれほど簡単ではないと思います。なぜなら、自分と異質であることを忌避するのは人間の本能であると思われるからです。皆さんも、価値観が全然違う人と会話するのは難しいなぁと感じたことがあるかもしれません。そこをどう乗り越えていくのか、人間のチャレンジは続いていくのかもしれません。

 

 何十年か後、個人的には今の家族と一緒にいられることを望んでいます。でもそれが叶わないとしても、別の形もあり得るのかなと思っています。その時、誰とどんなふうに生きているのかと考えると、ちょっとワクワクします。

 

 自分と違う他者を寛容に、そして軽やかに受け入れられる私たちでありたいし、そんな社会になったらいいですよね。

 

名古屋学生相談室 梅村

 

 

 

2024.02.06

『オフシーズン旅行の勧め』

 

 先日、ニューヨークタイムズが、2024年に行くべき旅行先の第3位に山口市を選出しました。その理由の一つに、観光客がそれほど多くないことが挙げられていました。ベストシーズンに旅行した場合、旅先は観光客であふれかえり、落ち着いて観光するどころではありません。これでは、観光に行ったのか人を見に行ったのか分かりません。また、現地の住民の日常生活にも影響を及ぼします。例えば京都市では、観光客が多すぎで住民がバスに乗れないといった事態が発生しています。オーバーツーリズムはいまや世界中で問題となっています。

 

これに対しては、時期をずらすのが一番ではないでしょうか。ベストシーズンでは十分なおもてなしを受けることができず、満足度が低下しますが、オフシーズンでは思いがけないおもてなしを味わうことができます。私自身の体験ですが、数年前の2月上旬、能登半島にある上時(かみとき)国家(くにけ)(去年から非公開。なお、時国とは、「平家にあらずんば人にあらず」と言った平時忠の子孫)に行った際、そこで働く人から私だけ特別に囲炉裏に案内され、お茶をふるまわれました。ベストシーズンでは人が多すぎて、とてもこのようなおもてなしは考えられません。

もっとも、退出しようとしたとき、閉じられた障子の反対側から観光ガイドの人が「この部屋は…」と話し始めたため、しばらくその部屋から出にくかったというオチはありましたが。また、下時国家(2020年から非公開)では、観光客が誰もいなかったため、受付に係の人がおらず、何度も「すいません」と連呼する羽目になりました。そればかりか、下時国家では建物内部の各部屋の説明がテープで自動的に流れるようになっているのですが、この時期観光客がいないせいか、肝心のテープが別室に置かれたままで、私が内部を見学している最中に係の人が慌ててテープを取りに行く始末でした。当時はこの対応に非常に腹を立てたものですが、今となっては、観光立国を目指す日本ではありえない「逆おもてなし」を受けたと笑い話にしています。他にも、今年元日の地震により焼失してしまいましたが、日本三大朝市の一つとして有名な輪島に行った際、観光客がほとんどいなかったため、じっくりと朝市を見て回ることができました。

 

しかし、いいことばかりを述べるのは一方的ですので、デメリットも挙げておきます。能登半島一周旅行を終えた翌日、福井県の一乗谷朝倉氏遺跡を訪れたのですが、一面雪に覆われていたため、有名な唐門しか見ることはできず、庭園跡地は雪の下に埋もれて何も見ることはできませんでした。おまけに、周りを山に囲まれているため日没が早いうえ、朝倉氏遺跡前のバス停は幹線道路から外れているため、もしバスが来なかったらどうしようと不安な気持ちを抱きつつ、真っ暗な中ただひらすら一人バスを待っていました。

 

もちろん、ベストシーズンにも良さがあり、私自身それを否定しません。ただ、観光客の多さに辟易している人は、一度オフシーズンに旅行してみてはどうでしょうか。思わぬ事態がまっているかもしれません。

 

法学部 前嶋 匠              

 

 

 

2023.12.16

『徒然に』

 

 4年生のゼミもあと2回を残すだけになった。2年前、ゼミに入るための面接をしたころには緊張した面立ちだった学生達も、ゼミに入ってきてかれこれ2年もたつと、ゼミ生同士はもちろんだが私とゼミ生ともかなり打ち解けて、勉強以外のこともたくさん話すようになる。だからちょうど良い感じの人間関係が出来上がったころに学生達は卒業していく。

 

 そして来春4月になると新しい学生達がゼミに入ってくるのだが、3月に卒業する学生達とはそれまで少なくとも週に1度は会っていたのに、急にその顔を見なくなるのでなんだか寂しい気持にもなる。まあ、毎年この繰り返しだからそろそろ慣れそうなものなのに。

 

 ところが、この寂しさをまぎらわすかのように、折に触れてゼミの時間に顔を出してくれるOBもいるし、食事をともにすることもあるし、そんなこんなで、この1年でもざっと50名以上のOB達と会った。卒業後に会うときには、なんてことのない雑談をするだけなのだが、それでも何名かは転職であるとか結婚であるとか、そういう大きな問題への相談をしてくることもある。ともあれ、話題の軽重にかかわらず、ゼミ生との関係が卒業後も切れずに続くことは大きな喜びにもなっている。

 

 就職してからの最大の関心ごとは結婚だろうか。結婚は、早くすれば良いというものでもないし、しなければいけないというものでもないので、どうでもよい話であるが、30歳までに結婚するのは圧倒的に男性の方が多い(これは沈ゼミ内の話だが、おそらく愛大卒の男女にほぼ当てはまる話だと思う)。1.5倍から2倍ぐらいの違いがあるだろうか。これはかなり前からわかっていたことなので、在学中の段階でゼミ生には伝えてあるのだが、何名かの学生にとっては、男性の方が若くして結婚するという事実にびっくりするようで、それでこの男女差の話を憶えていて、同期のだれだれが結婚しましたから、先生、ゼミの時に言っていた通りですねとか、先生、うちの学年は1.5倍どころか3倍ぐらい違いますよとか、まあ卒後に会うと、この程度のたわいもない話でワイワイ盛り上がっている。

 

 光陰矢の如し。しかし、教員とゼミ生との関係は卒後も変わることはないので、それで会えなくなってしまう寂しさも多少はまぎれるということなのだろう。

 

                          経済学部 沈 徹

 

 

 

2023.12.12

『他人の行動をどう動かすか?デザインと教育から考える』

 

この前、デザインの専門家の話を聞く機会があったんです。例えば、手洗い、石鹸、乾燥機能が一緒になってる洗面所の話。この一体型のおかげで、移動せずにすべて済ませられて、水しぶきも少ないし、掃除も楽で、結果的に洗面所がキレイに保てるんです。単に「水を飛ばすな」と言うより、ずっと効果的ですよね。

 

電車の駅でよく聞く「黄色い線の内側を歩いて」というアナウンスもそう。混んでるときは線の外に出ちゃうし、たまに線路に落ちる人もいますよね。でも、ホームドアがあれば、そういう危険がぐっと減るし、駅員さんも他のことに集中できる。注意を促すより、よっぽど安全です。

 

それで、私、特別支援教育概論の講義をしているんですけど、特別支援の対象って障害のある子だけじゃなくて、実はみんななんですよ。だって、誰にだって困りごとはあるわけですから。子どもたちに「ちゃんとして」とか「頑張れ」と言うだけじゃ意味がない。どんな工夫をすれば、みんながもっと安心して快適に過ごせるかを考えた方が、人間関係のストレスも少しは減るかもしれませんね。

 

注 この文章は、私が作成した文章をChatGPT 4が「口語的に」改訂したものです。どんな印象を受けましたか?

 

名古屋学生相談室 石塚

 

 

 

2023.12.08

『相談室から見る就活〜荒療治〜』

 

ここ数年、就活もそれほど悪くないものだと感じることが何度かあったので、少しシェアさせていただきたいと思います。

 

 本学の就職支援の相談窓口には、しっかりとした「キャリア支援センター」があり、専門のアドバイザーの方々が相談にのっていますが、相談室はその「前段階」として利用されることがあります。きっかけは、低年次からのお付き合いだったり、健康診断からだったり、今まさに“就活が不安になって”とか“息詰まって”ということだったりいろいろです。また、何も就活が進んでいないので、直球でキャリア支援センターに相談すると、「怒られるのでは」と心配され、様子見で相談室に立ち寄る場合もあります(実際はそのようなことはありませんよ笑)。

 

 最近は、低年次のキャリア教育が重視されており、皆さん入学直後から就職を非常に意識されていますが、その分、その焦りも相当なものだと思います。自己分析をやればやるほど、「他に自分よりもっとできる人なんてたくさんいるし…」と思って自己嫌悪になってしまったり、劣等感にさいなまれて、考えるのも嫌になって他事をして気を紛らわせたくなります。そもそも大学生活は、就活以外に学業やバイトや交友関係など、やることや考えることがたくさんありすぎます。そして、あっという間に3年生後半になり、「就活」というワードが待ったなしの切迫感を持って迫ってきて、もうどうして良いかわからずパニック状態になります。

 

就活とは、ほとんどの学生にとって、逃げ出したくなるほど嫌なものではないでしょうか。ましてや今の時代は「そんな完璧な人間どこにいるの?」というくらい、いろいろなものが求められているように感じて、「自分は社会不適合なのではないか」とか、「自分なんか採用してもらえるはずがない」と思ってしまうのも無理もありません。

 

でも実際に行動してみることができれば、意外と辛いことばかりではなくて…といっても、やはり相当に辛くて、なかなか面接が通らなかったり、せっかく最終面接まで行ったのに落とされたりしたときにはもう立ち直れないくらいのショックです。でもそのあたりの「底」をしっかり味わっていくと、学生さんの中の何かが変わっていきます。これまで外側からの情報や動機付けで「やらなきゃいけないから仕方なくやっていた就活」が、内側からのものとなり、「自分が社会に出るためにはこれが必要だ」という個々の何かが見えてくるようです。それは資格の取得であることもありますが、もっと精神的なものだったりもします。実際の就活と今の自分に足りないものを補うための活動を並行していくのは本当に大変なのですが、なぜか皆さんイキイキし始めます。「動けていなかった時よりも進歩している」と手ごたえが感じられたり、「この会社に受からなかったのは、自分とは合わなかっただけだ」と強がりではなく、実感として感じられたり。その中で「自分のここが弱みだ」と痛いほどわかるけれど、「でも自分のこういうところは悪くない」とか、「前より凹まなくなった」とか、「自分のすべてを変えなくても良いと思えるようになった」というような、自分に対するOKの感情が湧いてくるように思います。あと一歩のところでまた落とされて、どん底も味わうけれど、「まだ修業が足りなかったんだな」と再度立ち上がる姿は、神々しいほどです。どうしてこんなに頑張っているのに、もうそこまで来ているのに、受からないのだろう…とこちらも思うのですが、そのあたりで、学生さんの内面的にも、発言にも、佇まいも顕著な変化がみられて、ついに採用されるという瞬間が訪れます。皆さん、「もう二度と就活なんてしたくない」とは口ではおっしゃいますが、「でもおかげで成長ができた」とすがすがしい表情です。

 

時には、納得のいく結果が出るのは、在学中ではないかもしれませんし、いわゆるそのゴールは「就職」という形ではないかもしれません。客観的にはどのような状態でも、主観的に「なんとなく今の自分にOKが出せるようになれた」という瞬間に立ち会えた時、個人的にこれほど嬉しいことはありません。荒療治ですが、その境地にたどり着かせてくれる就活は、それほど悪いものでもないかもしれないな、とも思うのです。

 

でもくれぐれもその山を一人で乗り越えようとしないでください。中には精神的に本当に辛くて、頑張りたいのに頑張れないという学生さんも多くいるでしょう。ありとあらゆる資源を活用して、時には逃げながら、寄り道しながら、休憩しながら、戻りながら、自分のペース配分をしっかり見極めて、できれば一緒に歩んでくれる誰かを見つけて、自分だけのゴールを見つけられたら…と思います。

 

名古屋学生相談室 五藤

 

 

 

 2023.08.04

『自閉スペクトラム症の女子学生』

 

最近、「大人の発達障害」という言葉を見たり、聞いたりすることが増えました。これまで頻繁に呼称が変わっていますので、整理したいと思います。医学的な診断基準であるICDDSMの名称変更によって「発達障害(developmental disorder」は「神経発達症(neurodevelopmental disorders)」になりました。そしてアスペルガー障害はこの神経発達症の中にある「自閉スペクトラム症(autism spectrum disorderASD)」に入りました。英語の頭文字をとってASD(エイエスディ)と呼ばれます。これまで自閉症、広汎性発達障害、高機能自閉症、アスペルガー症候群などと呼ばれていた疾患は、自閉症状の特性がスペクトラムの中のどこかにあると考えてひとつにまとまりました。

 

ASDの数は男子4に対して女子1と言われていますが、最近はASDの特性を持っている女子学生に出会うことが増えてきました。カウンセリングには、気分の落ち込み、強い不安、摂食障害や自傷行為など様々な身体的な不調を訴えてきますが、診断を受けていることは稀です。彼女たちの “しんどさ”や“生きづらさ”は、ASDを持たない学生とは何か違うように感じます。診断基準には中核症状と呼ばれるかならず現れる症状が二つあります。一つ目が「対人関係の困難さ」で、もう一つは「限定的・反復的な行動」です。そのほかの症状には、感覚の過敏性、気持ちのコントロールが難しい、睡眠の問題、不器用さ、ADHDや学習障害などがあります。背景にASDがあると仮定して話を聴いていくと、幼少時からの特徴的なエピソードが出てくることがよくあります。

 

彼女たちは社会に適合するために自分を周りの人になじむように「カモフラージュ」をしていることがあります。誰かの言葉をそっくり真似た表情や仕草をしたり、フレーズを丸暗記して使ったり、みんながなぜ笑っているかわからないけど周りに合わせて笑うというような相手の喜ぶ行動を優先することで受け入れられるようにしているかもしれません。おとなしいタイプの場合、問題にならないまま、“ちょっと変わっている”程度で成長してきている可能性もあります。タイプが何でも“普通”にしようと過剰に適応しようと頑張った結果、不適応になってしまうこともあります。

 

大学生までは何とかできても社会に出てから苦労するかもしれません。大学生のうちに他者とのコミュニケーションや自分の特性を知ることができれば、卒業後に長く続く人生で自立した生活を続けられる可能性が高くなります。できないこと、苦手なことをできるようになるのではなく、好きなことや得意なことを活かせるように支えていく。学生の問題の背後に発達の障害があるならば、特性の気づきを促したり、本人が希望すれば診断を受けられる医療機関の受診を勧めることも学生相談室として必要だと考えています。そして、就労へとつなげていくことになります。自分は周りの人と何か違うなと感じ続けていたら学生相談室でお話してみませんか。

 

車道学生相談室 橋亜希 

 

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