謝枋得 (南宋末〜元初) 

 謝枋得(1226〜1289)、字は君直、号は畳山。信州弋陽(江西省)の人。宋末の愛国詩人。宝祐四年(1256)に、文天祥とともに進士となる。科挙の試験官になった際、出題内容が権力者の賈似道の怒りに触れたために罷免された。赦されて故郷に帰った後、江東提刑・江西招諭史に起用され、知信州となり、兵を率いて元に抵抗した。敗れた後、福建に流亡し、姓名を変え、占いと教育で生計を立てた。元の統治者は彼に何度も出仕を迫り、後に大都(北京)に強制的に送られたが、断固として従わず、絶食して死んだ。『畳山集』がある。

  
武夷山中  武夷の山中

十年無夢得還家  十年 家に還るを得たるを夢みること無し
独立青峰野水涯  独り立つ 青峰 野水の涯
天地寂寥山雨歇  天地 寂寥として 山雨 歇む
幾生修得到梅花  幾たび生きなば 梅花に到るを修し得んや


〔形式〕七言絶句  〔韻字〕家、涯、花(下平声六・麻韻) 

○武夷山 福建省崇安の西南にあり、福建の第一の名山であり、著名な遊覧勝地である。
この詩は、おおよそ元の世祖の至元二十一年(1284)前後に作られた。 
○十年 作者は宋の恭帝のコ祐元年(1275)に元に抵抗する兵が敗れて〓に入り、この詩を書く時に至るまでに、すでに十年近くも福建の山間を流亡していた。 
○青峰野水 武夷山中の自然風光をさし、宋が滅んだ後自分は世を遺れて独立し、俗塵に汚染されていないことを暗示する。 
○「天地」句 一陣の山雨が通り過ぎた後、頓に天地の間の一切がすべて寂滅に帰したことを感じる。宋の王室がすでに亡び、元に抵抗する大勢が挽回するすべのないことを暗示する。 
○修 修練。仏教と道教の用語。 
○「幾生」句 どれほどたくさんの人生を修練すれば、ようやく梅の花のような厳寒と戦い、氷雪に抗し、世外に独立し、干〓を受けることのない高貴な精神の品格を修得できるのだろうか。

 《武夷山の山中で》

十年間もの間、国事のために奔走し、家に帰ることを夢見ることもなかった。
たった一人、青い峰のそびえ立つ野水の果てに立っている。
天地はひっそりと物寂しく、山の雨は降りやんだ。
一体何度生まれ変わって修練を積んだならば、梅の花のような高潔な境地にたどり着けるのだろうか。

 
これは、情を景に寄せた詩であり、決して元に屈服しないという詩人の民族的な気節気概と愛国の情とを表現している。元の世祖は至元十六年(1279)に宋を滅ぼし、作者がこの詩を書いた時には、すでに約五年が経過していた。国が滅び、大勢がすでに去ったのを見て、詩人は深く「天地の寂寥」を感じ、ひどく苦悶していた。この時、詩人はただ梅の花によって自分を慰めるしかなかったのである。