王孟韋柳の五言絶句
盛唐の王維と孟浩然、中唐の韋応物と柳宗元の四人を「王孟韋柳」(おうもういりゅう)と総称する。彼らはいずれも唐代における山水詩の名手である。『唐詩三百首』巻七に収録された37首の五言絶句から、彼らの作品を一首ずつ紹介する。
王維(701~761)、字は摩詰。太原(山西省)の人。詩文のほか書や音楽にもすぐれ、特にその山水画は南宗派の始祖と仰がれる。また熱心な仏教信者でもあり、「詩仏」と呼ばれる。玄宗に仕え、累進して給事中に至ったが、安禄山の乱の時に賊軍の捕虜となり、強迫されて安禄山政権に仕えたため、乱の後で処罰の対象になったのを危うく免れ、尚書右丞として没した。そのため「王右丞」とも呼ばれる。
竹里館 王維 (おうい)
独坐幽篁裏 独り坐す 幽篁の裏
弾琴復長嘯 琴を弾じ 復た長く嘯く
深林人不知 深林 人 知らず
明月来相照 明月 来りて相い照らす
〔韻字〕嘯、照
○竹里館 輞川の別荘の一部で、輞川二十景の一。本詩は、王維がこの別荘の風景を詠じた「輞川集」二十首の連作の中の一首。 ○幽篁 奥深い竹林。 ○長嘯 口をすぼめ声を長く引いて歌う。
《竹里館》
たったひとり、奥深い竹林のなかにすわって、琴をひき、また声を長く引いて歌う。この深い林の中に私がいることは、誰も知らない。月の光が訪れて、私を照らすばかり。
孟浩然(689~740)、一説に、名は浩、字は浩然。襄陽(湖北省)の人。若い頃何度か科挙の試験を受けたが合格せず、襄陽郊外の鹿門山に隠棲した。40歳の頃長安に出て、王維、李白らと親交を結んだが、のちにまた故郷に戻り、52歳で没した。
春暁 孟浩然 (もうこうねん)
春眠不覚暁 春眠 暁を覚えず
処処聞啼鳥 処処して啼鳥を聞く
夜来風雨声 夜来 風雨の声
花落知多少 花 落つること 知らず 多少ぞ
〔韻字〕暁、鳥、少
○処処 どこへも行かず、自分の居場所に落ち着いているさま。作者が隠居の身であり、役人の生活と縁がないことを意味する。 ○夜来 昨夜。 ○知多少 「不知多少」を省略した形。
《春の明け方》
春の眠りの心地よさは、明け方になったのも気がつかないほど。自分の家にのんびり身を落ち着けて、鳥たちの鳴く声に耳を傾ける。そういえば昨夜は風雨の音が聞こえていたが、花はどれくらい散ったことだろうか。
韋応物(737~?)、字は不詳。京兆長安(陝西省)の人。若い頃は玄宗の近衛兵となり、任侠を好んで無頼の振る舞いがあったが、後に心をあらためて勉学に励み、進士に合格し、各地の刺史(地方長官)を歴任した。蘇州の刺史となったため、「韋蘇州」と呼ばれる。
秋夜寄丘員外 秋夜 丘員外に寄す 韋応物 (いおうぶつ)
懐君属秋夜 君を懐いて秋夜に属し
散歩詠涼天 歩を散じて 涼天に詠ず
山空松子落 山 空しくして 松子 落つ
幽人応未眠 幽人 応に未だ眠らざるべし
〔韻字〕天、眠
○丘員外 作者の親友で、姓は丘、名は丹、蘇州の人。員外は官名。この時はすでに辞職して杭州(浙江省)東北の臨平山に隠棲していた。 ○松子 松ぼっくり。 ○幽人 世の中を捨てて隠棲している人。丘員外をさす。 ○応 きっと~だろう。
《秋の夜、丘員外に寄せて》
あなたのことがなつかしく思い出される秋の夜に、私は散歩しながら、涼しい夜空の下で詩を吟じています。山は人の気配もなく、松ぼっくりがぽとりと落ち、そこにひっそりと隠れ住むあなたは、きっとまだ眠らずにいることでしょう。
柳宗元(773~819)、字は子厚、河東(山西省)の人。劉禹錫とともに進士に合格し、永貞元年(805)、王叔文の下で政治改革を志すが、皇帝の退位によって挫折し、処罰されて永州(湖南省)に流され、さらに柳州(広西壮族自治区)にうつされ、同地で没した。山水詩の名手であると同時に、古文の作者として韓愈と並び称される。本籍地によって「柳河東」と呼ばれ、また柳州の刺史となったため「柳柳州」とも呼ばれる。
江雪 柳宗元 (りゅうそうげん)
千山鳥飛絶 千山 鳥の飛ぶこと絶え
万径人踪滅 万径 人の踪 滅す
孤舟蓑笠翁 孤舟 蓑笠の翁
独釣寒江雪 独り釣る 寒江の雪
〔韻字〕絶、滅、雪
○千山 数え切れないほどたくさんの山々。 ○万径 数え切れないほどたくさんの小道。 ○人踪 人間の足跡。「人踪滅」とは、降り積もる雪のために人の通った跡がすっかり消されてしまうことをいう。 ○孤舟 ぽつんと浮かぶ一そうの小舟。
《川に降る雪》
山という山からは飛ぶ鳥の姿が見えなくなり、道という道からは人の足跡が消えた。ぽつんと浮かぶ一そうの小舟に乗る簑と笠をつけた老人が、ただ一人、雪の降る寒い川面に釣り糸を垂れている。