王禹偁 Wang Yu cheng (北宋)
王禹偁(954~1001)、字は元之。済州鉅野(山東省鉅野)の人。北宋初期の著名な文学者。官は翰林学士・知制誥に至った。剛直な性格で果敢に直言し、国事に強い関心を持ち、何度も上疏して時事を論じては為政者の機嫌をそこね、三度も左遷された。農民の家庭に生まれ、太平興国八年(983)、進士に及第。端拱元年(988)には右拾遺・直史館に抜擢されたが、しばしば上書し直言するなど、その剛直さのゆえに数度にわたり左遷された。至道元年(995)、翰林学士に就任。その後、黄州(湖北省黄岡県)の知州に任ぜられたため、王黄州とも呼ばれる。宋初、形式主義的な西崑体の華麗な詩風が一世を風靡する中で、杜甫と白居易に学んで現実的な新しい詩風を開き、宋詩独自の世界の先駆的役割をはたした。彼は杜甫・白居易の現実主義の伝統を大々的に提唱し、当時の詩壇で盛行していた艶麗で浮華な詩風に反対し、宋初の文宗・北宋の詩文革新運動の先駆者となった。『小畜集』がある。
村行 王禹偁
馬穿山径菊初黄 馬 山径を穿ち 菊 初めて黄ばむ
信馬悠悠野興長 馬に
万壑有声含晩籟 万壑 声 有りて 晩籟を含み
数峰無語立斜陽 数峰 語 無く 斜陽に立つ
棠梨葉落臙脂色 棠梨 葉は落つ 臙脂の色
蕎麦花開白雪香 蕎麦 花は開く 白雪の香
何事吟余忽惆悵 何事ぞ 吟余に忽ち惆悵たるは
村橋原樹似吾郷 村橋 原樹 吾が郷に似たり
〔詩形〕七言律詩 〔脚韻〕黄・長・陽・香・郷(下平声・陽韻)
○信馬 馬に乗り、馬にまかせて好きなように歩き回る。「信」は、まかせる。
○悠悠 ゆったりのんびりして、心楽しいさま。
○野興長 野外の遊興がとても味わい深い。
○壑 山の谷。
○晩籟 日暮れ時に風が山の洞穴に吹き付けて発せられる音。
○「数峰」句 山々の峰が、言葉もなく、夕陽の中にそびえ立っている。
○棠梨 白棠・杜梨ともいう。果実は梨に似て小さく、味は甘酸っぱくて食べられる。
○白雪 蕎麦の花。蕎麦は、雪のように白い花を咲かせる。
○吟余 詩を作った後。
○惆悵 ものがなしい気持ちになる。
○原樹 原野に生い茂った樹木。
《村を行く》
馬に乗って山道に分け入れば、野菊の花はもう黄色くほころび初めている。
馬の歩みにまかせてのんびりと山野に遊べば、興趣は尽きない。
夕方の風の音が谷々に反響し、
峰々はひっそりと言葉もなく、沈み行く夕陽の中にそびえ立っている。
カラナシの葉は臙脂色に染まって散り落ち、
蕎麦は雪のように白い花を咲かせ、良い香りを放っている。
どうしたことだろう、詩を吟じているうちに急に物悲しくなったのは。
それは、この村の橋も、原野の木々も、私の故郷の風景にあまりによく似ているからなのだ。