蘇軾 Su Shi (北宋)
蘇軾(1037~1101)、字は子瞻。号は東坡居士。眉州眉山(四川省眉山)の人。嘉祐二年(1057)の進士。官途は波乱波瀾に満ち不遇で、新・旧の激烈な党争の中で浮き沈みを繰り返し、何度も流謫に遭い、最後は儋州(海南島)に流された。召喚された後、常州(江蘇省)で亡くなり、文忠の諡号を追贈された。彼は一生不遇で、党争の犠牲者となったが、散文・詩・詞の創作の方面での成就は極めて高く、一個の偉大な文学者である。彼はまた書道・絵画・音楽にも長じ、造詣が精深で多芸多才な芸術家でもある。宋代最大の詩人。蘇軾の詩は題材が幅広く、風格は豪放・雄渾であり、想像は豊富で、揮洒自如であり、格律の拘束を受けず、誇張表現をたくみに用いる。比喩の豊富・新鮮新穎・奇抜警奇と適切貼切は、更に蘇軾の詩の際立った特色である。『東坡七集』がある。父は蘇洵 (字は明允 1009~1066)、弟は蘇轍 (字は子由 1039~1112)で、父子三人とも唐宋八大家中に数えられる名文家。三蘇と総称し、それぞれ老蘇・大蘇・小蘇と呼びならわす。生家はもと商人とも農民ともいうが、いずれにしろ代々の読書人の家柄ではなかった。嘉祐元年(1056)、父子三人は郷里を出て上京、翌二年、軾と轍は進士に合格した。この時の試験官(権知礼部貢挙)が欧陽修であり、その下で梅堯臣が試験委員をつとめ、蘇氏兄弟は以後、欧梅に師礼をとった。同六年、兄弟は制科に合格、軾が鳳翔府(陝西省鳳翔)簽書判官に赴任するのを機会に、兄弟は分かれた。以後、杭州(浙江省杭州)通判、密州(山東省諸城)・徐州(江蘇省徐州)・湖州(浙江省呉興)の各知州を歴任した。時に王安石が新法施行中のころで、欧陽修同様、その施策に批判的な態度をとったかれの詩が、天子を誹謗するものととがめられ、元豊二年(1079)湖州で逮捕され、都に護送のうえ御史台の獄に投ぜられた(問題の詩はのちに「烏台詩案」に編まれた)。百日余の獄中生活ののち、死を免れたかれは、翌三年、黄州(湖北省黄岡)団練副使として流され、わずかな土地を耕やして暮したが、そこを東坡と名づけ、みずから東坡居士と号した。元祐元年(1086)、旧法党の復活にともない中央にかえった蘇軾は、中書舎人、翰林学士などをへ、その後しばらくは地方と中央の職を行きつもどりつして、元祐七年(1092)には礼部尚書に進んだ。紹聖元年(1094)、ふたたび新法党の世になると、遠く恵州(広東省恵陽)に流され、同四年にはさらに海南島の儋州(広東省儋県)に逐われた。元符三年(1100)冬、許されて北上する途中、翌年の夏に常州(江蘇省常州)で病没した。南宋の孝宗より文忠と諡を賜る。蘇軾が文学のみならず、経学・史学にも通じ、さらにまた書画に長じた当時第一級の知識人であったことは、ほとんど異論はない。文学においても、あらゆる分野にその才気はおよび、新興形式の詞に新たな生命をふきこんだのも彼であった。しかし、詩はとりわけ重要な活動対象であり、はば広い詩作は多くの追随者と愛好者を生んだ。宋代の最も代表的な詩人である。彼の作品は早くから一般に流布し、詩集も生前に刊行されていたらしい。『蘇文忠公全集』(『東坡全集』)110巻は、いわゆる『東坡七集』といわれるもので、東坡集(前集)40巻・後集20巻・続集12巻・奏議集15巻・外制集3巻・内制集10巻・応詔集10巻より成る(もと続集は七集に数えず、その中の「和陶詩」1巻を入れた)。
六月二十七日望湖楼酔書 六月二十七日 望湖楼酔書(五首のうち一首)
黒雲翻墨未遮山 黒雲 墨を翻し 未だ山を遮らざるに
白雨跳珠乱入船 白雨 珠を跳ねて 乱れて船に入る
巻地風来忽吹散 地を巻くの風来たり 忽ち吹き散ずれば
望湖楼下水如天 望湖楼下 水 天の如し
〔詩形〕七言絶句 〔韻字〕山(上平声・刪韻)、船、天(下平声・先韻)通押
○六月二十七日 本題の五首の絶句は一つの組詩であり、宋の神宗の熙寧五年(1072)六月二十七日に作られた。この前の年、蘇軾は杭州の通判に任命された。
○望湖楼 また先徳楼ともいい、杭州西湖のほとりの昭慶寺の前にある。五代の時に呉越王の銭〓が建てた。
○酔書 酒に酔っている時に書いた。
○翻墨 まるで墨汁をこぼしたかのようだ。
○未遮山 まだ山の峰を完全に覆い隠していない。
○白雨 にわか雨は急でしかも勢いが激しく、迷迷濛々として白色を呈している。
○跳珠 まるで真珠のように乱れて飛び跳ねる。
○巻地風 地面を巻き上げるようにして吹いて来た強い風。
○水如天 湖水は青空と同様に、平静で澄み切っている。
六月二十七日、望湖楼で酒に酔って記す その一
黒雲が墨をこぼしたかのように広がり、まだ山を隠してしまわないうちに、
白い雨粒が真珠を撒き散らしたかのように、乱れて船の中に飛び込んで来た。
大地を巻き上げんばかりの風が吹いて来て、たちまち黒雲を吹き散らすと、
望湖楼の下、水はまた大空の青さにもどった。
これは連作の第一首で、西湖の盛夏の一陣の雨の情景を書いている。各句が一つの景を書いている。第一句は雲を書き、黒雲がにわかに起きる。第二句は雨を書き、暴雨がにわかに降る。第三句は風を書き、強風がにわかに吹く。第四句は水を書き、湖水がにわかに平らぐ。詩全体はわずか四句・二十八字のみだが、それでいて西湖の盛夏の一陣の雨の来猛去速な雄渾気勢、瞬息万変な神奇な気候の特徴を、生動形象的に〓〓している。言語は流暢で、リズムは明快である。