梅堯臣 Mei Yao chen (北宋)
梅堯臣(ばいぎょうしん 1002~1060)、字は聖兪(せいゆ)。宣州宣城(安徽省宣城)の人。出身地宣城の古名にちなんで宛陵先生(えんりょうせんせい)とも、また最終の官職から梅都官(ばいとかん)ともいう。若い時、叔父の梅詢に詩文を学び、高官の叔父の恩蔭で官に就いた。天聖九年(1031)、河南(洛陽)の主簿となったとき銭維演に才能を認められ、欧陽修・尹洙らと知りあった。その後、地方官を転々とし、至和三年(1056)、欧陽修らの推薦で進士出身の待遇をうけ、国士監直講に任命された。翌年、欧陽修のもとで科挙の試験官をつとめ、蘇軾・曽鞏らの俊才を合格させた。やがて尚書都官員外郎に進んだが、まもなく病没した。その詩は平淡を旨とし、日常的なさまざまなことがらをうたって、宋初の西崑体の詩風が彼及び友人の蘇舜欽に至って一変したといわれる。彼は当時の華麗な詞藻を追求する「西崑体」に反対し、詩は「意新語工」であるべきだと主張した。欧陽修は、彼の詩風が「清麗」「平淡」であることを称賛した。彼は蘇舜欽と名声を等しくし、当時の人は「蘇梅」と並び称した。彼は北宋の傑出した詩人で、宋初の詩歌革新運動を積極的に推進し、大きな影響を及ぼした。『宛陵先生(文)集』がある。
陶者 陶者
陶尽門前土 陶き尽くす 門前の土
屋上無片瓦 屋上 片瓦 無し
十指不沾泥 十指 泥に沾らさずして
鱗鱗居大厦 鱗鱗 大厦に居るものあるに
〔形式〕五言絶句 〔韻字〕瓦、厦(上声・馬韻)
○陶 泥土で瓦を作る。
○陶者 ここでは、瓦を作る焼き物職人をさす。
○十指 人の両手の指をさす。ここでは、収奪者をさす。
○鱗鱗 屋根の上を覆う瓦が、まるで一層一層の魚の鱗のように、細密で整っていることを形容する。
○厦 高大な屋敷。
焼き物職人
門前の土を残らず焼いて瓦を作ったのに、
その屋根には一枚の瓦もない。
十本の指を泥で汚すこともなく、
鱗のようにびっしり瓦を敷きつめた大きな屋敷に住んでいる者もいるのに。
この詩は、梅堯臣の詩歌創作における主張を体現するものである。対比を通じて、封建社会の階級矛盾を深刻に暴露している。言語は質朴平淡で、感情は人を感動させる。古代の詩歌は農民の苦しみを反映したものが比較的多いが、この詩のように手工業労働者の艱難辛苦な生活を反映したものは多くは見られない。これも、この詩の貴重な所である。