訴衷情(そちゅうじょう)一首  陸游

当年万里覓封侯  当年(とうねん) 万里(ばんり)封侯(ほうこう)(もと)
匹馬戍梁州     匹馬(ひつば)もて梁州(りょうしゅう)(まも)りしも
関河夢断何処    関河(かんが)の夢は何処(いずこ)にか断たれし
塵暗旧貂裘      塵は旧貂裘(きゅうちょうきゅう)を暗くす

胡未滅         () (いま)だ滅せざるに
鬢先秋         (びん) ()ず秋なり
涙空流        涙 (むな)しく流る
此生誰料      ()の生 (たれ)(はか)らん
心在天山      心は天山に()るも
身老滄洲      身は滄洲(そうしゅう)に老いんとは


〔韻字〕侯、州、裘、秋、流、洲。

〔詞牌〕「訴衷情」は双調で、33字体から75字体までの諸体がある。陸游のこの詞は44字体。前闋四句(23字)、後闋六句(21字)から成り、平字で押韻する。陸游の作品としては、この詞を含めて2首が伝わる。

○当年 その昔。その当時。
○万里覓封侯 戦功を立て、万里の彼方で侯爵に封ぜられることを求める、の意。
○匹馬 一匹の馬。転じて、単身で、一人勇んで、の意。
○戍梁州 梁州の守りにつく。「戍」は、防衛の任務にあたる、の意。「梁州」は、本来は夏禹が区分したという古代の九州の一つをさすが、ここでは南鄭(今の陝西省にある)をさす。陸游は乾道八年(1172)、48歳の時に、四川宣撫使の王炎に招かれてその幕僚となり、宋と金の国境地帯にある南鄭の前線基地で軍務についていた。しかし、陸游が着任してからわずか半年余りで王炎の幕府は解散し、陸游は新たに成都に赴任しなければならなかった。
○関河夢断何処 遠い辺境の地に馳せた夢は、一体どこで断ち切られたのだろうか、の意。「関河」は、遠い辺境の地、の意。「関河夢」は、辺境の地に馳せる夢。「夢断」は、夢が断ち切られる、の意。ここでは、失地回復の夢が跡形もなく消え去ってしまったことをいう。「何処」は、どこ、の意。
○塵暗旧貂裘 ほこりが古いテンの毛皮の軍服に積もり、黒く汚してしまう、の意。「塵暗」は、ほこりが積もって黒く汚れること。「旧貂裘」は、従軍の当時身につけていた、テンの毛皮で作った軍服。「塵暗旧貂裘」の句は、その昔は南鄭の前線で着用していたテンの毛皮の軍服が、今では使う機会もなく、ほこりをかぶって黒く汚れていることをうたい、暗に、自分の南鄭での活動が徒労に終わったことを嘆いている。
○胡未滅 敵のえびすはまだ滅びていない、の意。「胡」は、異民族に対する呼称。えびす。
○鬢先秋 髪の毛がまず先に衰える、の意。「秋」は、鬢に秋が訪れて霜がおりる、すなわち白髪が生えることをいい、白髪頭のことを「秋鬢」「霜鬢」などと表現する。
○涙空流 涙が空しく流れる。
○此生誰料 この私の人生がこうなるとは、誰が想像できたであろうか、の意。「此生」は、この私の人生。「誰料」は、誰が想像できたであろうか、の意。
○心在天山 心は遠いかなたの天山に思いを馳せている、の意。「心在」は、心が~にある、遠くから~を思っている、の意。「天山」は現在の新疆ウイグル自治区にあり、漢代及び唐代における西北の辺境であった。陸游が生きた南宋の時代には国境からはるかに遠かったが、それでも陸游は辺境の地に思いを馳せ、しばしば詩にうたっている。なお、陸游の詩にうたわれる天山は、遠い西域にある天山ではなく、金朝領域内にある天山である、とする説もある。『宋詩選注3』(2004年12月、平凡社東洋文庫)125頁、(3)を参照のこと。ただしこの詞の場合は、遠い西域の天山に思いを馳せている、と解釈して特に問題はないであろう。
○身老滄洲 わが身は水辺の土地で年老いる、の意。「滄州」は、水辺の土地、の意で、古来、隠者の棲む場所をさす言葉として用いられる。ここでは、陸游が隠居している鏡湖のほとりをさす。

 《訴衷情》一首

その昔、戦場で手柄を立て、はるか万里のかなたで侯爵に封じられる夢を追い求め、
一人勇んで馬にまたがり、南鄭の守りについたものだった。
遠い辺境の地に馳せた夢は、一体どこで断ち切られたのだろうか。
使う機会のないテンの毛皮の軍服はすっかりほこりをかぶり、黒く汚れてしまった。

敵のえびすはいまだに滅びてはいないというのに、
私の鬢の毛はすっかり白くなり、
涙ばかりがむなしく流れ落ちる。
この私の人生がこうなるとは、いったい誰が想像できたであろうか。
その心は遠いかなたの天山に思いを馳せているのに、
その身は鏡湖のほとりで年老いることになろうとは。


 本詞の正確な制作時期は不明であるが、晩年の陸游が、失地回復を夢みていた往時を回想して書いた作品であることは明らかであろう。