茅簷人静
蓬窓灯暗
春晩連江風雨
林鶯巣燕総無声
但月夜常啼杜宇
催成清涙
驚残孤夢
又揀深枝飛去
故山猶自不堪聴
況半世飄然羈旅
〔韻字〕雨、宇、去、旅。
〔詞牌〕鵲橋仙その一を参照のこと。
○杜鵑 ホトトギス。伝説では、古代周末の蜀王であった望帝(名は杜宇)の魂が、死後この鳥に化したという。望郷の思いを象徴する鳥としてよく詩にうたわれ、他にも、子規、不如帰、杜宇など、さまざまな呼称がある。春の終わり頃に鳴き、初夏を告げるその鳴き声は「不如帰去(帰り去るに如かず)」と聞きなされ、悲哀の情を呼び起こす。
○茅簷 かやぶきの屋根。茅屋に同じ。粗末な家を表す。
○人静 夜が更け、人が寝静まる。「夜闌人静」という慣用的な表現もある。
○蓬窓 よもぎでおおわれた窓辺。粗末な家の窓を表す。ここではおそらく旅先での作者の部屋の窓をさすのであろう。
○灯暗 ほの暗く明かりがともっている。夜更けまでぽつんと明かりがともっているさま。他の家族はみんな寝てしまったのに、作者だけは眠らずに起きていることを表す。
○春晩 晩春に同じ。春の終わり頃。
○連江風雨 風に吹かれた雨が、川の水に連なって流れる。風雨が川面に押し寄せて来るイメージ。「春晩連江風雨」の一句は、本来「春晩風雨連江(春晩風雨江に連なる)」となるべき所を、平仄と押韻の都合で倒置したものと考えればわかりやすいであろう。
○林鶯 林にすむウグイス。
○巣燕 巣にすむツバメ。鶯も燕もにぎやかな鳥であり、しかもつがいのイメージが強い。この詞では、これらの鳥たちが孤独な杜鵑と対比されている。
○総無声 少しも声をたてない。「総」は否定の強調で、「総無~」は、少しも~がない、の意。
○但 ただ。
○月夜 月の明るく照らす夜。前の句では「連江風雨」とうたわれているが、それから時間が経過し、風雨はやんで、静かな月夜となったのであろうか。さもなければ、ホトトギスの鳴き声も風雨にかき消されて聞こえないはずである。
○常啼 いつも鳴く。
○杜宇 杜鵑に同じ。やはりホトトギスの別称。ちなみに陸游には「杜宇」「杜宇行」と題する詩がそれぞれ一首ずつある。
○但月夜常啼杜宇 ただ月の夜には、いつもホトトギスが鳴いているばかり、の意。この句も「春晩」の句と同様、本来「但月夜杜宇常啼(但だ月夜に杜宇のみ常に啼く)」となるべき所を、平仄と押韻の都合で倒置したものと考えられる。
○催成~ ~が(に)成るのをうながす、の意。
○清涙 感極まって流す涙。「清」は軽く添えられた接頭語であろうが、涙そのものを形容するというよりは、涙が流れる際の精神状態(清澄な心境)を形容するものと考えられる。
○驚残 人を夢から呼び覚まし、夢を続かなくさせる。「驚」は、はっと目をさます。「残」は、そこなう。
○孤夢 独り寝の夢。特に、孤独な旅人の夢をさす。
○又 通常はまた、の意であるが、ここでは英語におけるandのような使われ方と考えれば理解しやすいであろう。すなわち、ホトトギスは「催成清涙」し、「驚残孤夢」し、そして「揀深枝飛去」、林の奥深い木の枝を選んで飛び去って行くのである。
○揀 選ぶ。ここでは、鳥がとまる木の枝を選ぶ、の意。
○深枝 林の奧深いところにある木の枝。
○飛去 飛び去る。
○故山 故郷の山。転じて故郷をさす。陸游の故郷は会稽山陰(浙江省紹興)にある。
○猶自 二文字で、なお、やはり、の意。
○不堪聴 聴くにたえない。
○故山猶自不堪聴 故郷にいてさえ、ホトトギスの鳴き声はやはりつらくて聴くにたえない、の意。
○況 ましてや。
○半世 「半生」に同じ。人生の半分。転じて、人生の大半、大部分。
○飄然 あてどなくさすらうさま。
○羈旅 旅。
○況半世飄然羈旅 ましてや人生の大半をあてどない旅の下で過ごして来たのだから、なおさらのことだ、の意。
《鵲橋仙》その二) 夜 ホトトギスの鳴き声を聞いて
粗末なあばら屋、家の者たちはすっかり寝静まったが、
粗末な書斎の窓辺には、灯火がほの暗くともっている。
春の終わり頃、風に吹かれた雨が、川の水に連なって流れる。
林のウグイスも巣の中のツバメも少しも鳴き声をたてず、
ただ月の夜にはいつもホトトギスが鳴いているばかり。
ホトトギスの鳴き声は人に涙を催させ、
独り寝の夢から呼びさまし、
そしてふたたび奧深くにある木の枝を選んで飛び去って行く。
故郷にいても、その鳴き声はやはり聴くにたえないのに、
ましてや人生の大半をあてどない旅の下で過ごして来たのだから、なおさらのことだ。
陸游は、乾道六年(1170)冬から淳熙五年(1178)春まで足かけ九年を蜀(四川省)で過ごした。陸游は、蜀で「聞杜鵑戯作(杜鵑を聞きて戯れに作る)」と題する七言絶句も書いている。ところで杜鵑は、本来ならば蜀に帰りたいという思いを託してうたわれる鳥であり、たとえば唐・李白の「宣城にて杜鵑の花を見る」詩はその一例である。しかし陸游は逆に、蜀から故郷の山陰に帰りたいという思いをこの鳥に託してうたっているのが興味深い。