漁家傲(ぎょかごう)一首  寄仲高  仲高(ちゅうこう)に寄す  陸游

東望山陰何処是  東のかた山陰(さんいん)を望めば (いず)れの(ところ)()れなる
往来一万三千里  往来 一万三千里
写得家書空満紙  家書(かしょ)を写し得て (むな)しく紙に満ち
流清涙         清涙(せいるい)を流す
書回已是明年事  書 (かえ)るは (すで)()れ明年の事なれば

寄語紅橋橋下水  語を寄す 紅橋(こうきょう) 橋下(きょうか)の水
扁舟何日尋兄弟  扁舟(へんしゅう) (いず)れの日にか兄弟を尋ねん
行遍天涯真老矣  行くこと天涯に(あまね)く 真に老いたり
愁無寐         愁いて()ぬること無し
鬢糸幾縷茶煙裏  鬢糸(びんし)幾縷(いくる) 茶煙(ちゃえん)(うち)


〔韻字〕是、里、紙、涙、事、水、弟、矣、寐、裏。

〔詞牌〕 「漁家傲」は双調で、62字。前後闋各5句から成り、それぞれ仄字で5回ずつ押韻する。陸游の作品としては、この1首のみが伝わる。

○寄仲高 仲高は、陸游の従兄にあたる陸升之(りくしょうし)(1113~1174)の字。陸升之は陸游より12歳年長で、陸游と曽祖父を同じくし、やはり文才ある人物であった。南宋初期の宰相秦檜に重んじられたが、紹興二十五年(1155)に秦檜が亡くなると、失脚して雷州(広東省海康)に流され、七年の長きにわたり流謫の生活を送った。陸游とは政治的な立場を異にするものの、同族の親戚同士で、科挙の試験を共に受験するなど年少の頃から親しい交流があり、陸游は折りに触れては陸升之に言及している。
○山陰 陸游の故郷。今の浙江省紹興。
○何処是 (故郷の山陰は)どこがそれであろうか、の意。
○往来 行き来すること。
○一万三千里 自分のいる蜀と、故郷の山陰の間の距離を、誇張して表現したもの。必ずしも実数と考える必要はないであろう。
○写得家書 親族あての手紙を書きおえる。「写」は書く。「得」は完成をあらわす。「家書」は家人にあてた手紙。ここでは、従兄の陸升之にあてた手紙をさす。
○空満紙 思いをつづった文字が、むなしく紙に満ちあふれる。「空」は、かりに手紙を出したとしても、山陰はとても遠く、返事がいつ届くかわからない、という徒労感もしくは不安感を表すと考えられる。「満紙」は、紙いっぱいに文字が満ちあふれる。
○清涙 涙。「清」は軽く添えられた接頭語。涙そのものというよりは、涙を流す時の精神状態を形容するものと思われる。
○寄語 「寄言」に同じ。言葉を寄せる。
○紅橋 山陰にある橋の名前。「虹橋」とするテキストもある。
○扁舟 小船。
○何日 いつの日か。
○兄弟 ここでは、従兄の陸升之(仲高)をさす。
○行遍天涯 あちこちと天地の果てまで旅をすること。陸游は乾道六年(1170)閏五月に山陰を出発して夔州(きしゅう)(四川省奉節)に赴任して以来、淳熙五年(1178)春に召喚されて成都を離れるまでの約八年間を、蜀の各地で過ごした。
○無寐 眠らない。また、眠りにつくことができない。
○鬢糸幾縷茶煙裏 鬢糸は、白い髪の毛。幾縷は、いく筋、何本。茶煙は、茶をわかす時の湯の煙。唐・杜牧の「禅院に題す」詩に「今日 鬢糸 禅榻(ぜんとう)(ほとり)、茶煙 軽く()がる 落花の風」とあるのをふまえる。

《漁家傲》一首  いとこの仲高兄に寄せて

はるか東の彼方にある故郷山陰の方角を眺めやれば、一体どこがそれなのでしょうか。
蜀と山陰との間を往来するには、一万と三千里。
故郷の親しい人にあてて手紙を書きおえれば、文字ばかりが空しく紙に満ちあふれ、
はらはらと涙が流れます。
返事の手紙が届くのは、すでに来年になってからのことでしょうから。

紅橋の下を流れる川の水よ、
小船に乗って親しい兄弟を訪ねに行けるのは、いつの日のことなのでしょうか。
あちこちと天地の果てまで旅をしたあげく、自分はすっかり年老いてしまいました。
愁いのあまり寝つかれません。
白い糸のような鬢の毛が何本か、お茶の湯気の中で揺れています。