雪暁清笳乱起
夢遊処 夢に遊ぶ
不知何地 知らず
鉄騎無声望似水
想関河
雁門西
青海際
睡覚寒灯裏
漏声断
月斜窓紙 月
自許封侯在万里
有誰知 誰か知ること有らん
鬢雖残
心未死 心は
〔韻字〕起、地、水、際、裏、紙、里、死。
〔詞牌〕夜遊宮は双調で、57字。前後闋各六句から成り、仄字で4ヶ所ずつ押韻する。陸游の作品としては、この詞を含めて3首伝わる。
○記夢 夢に見たことを書き記す、の意。陸游に夢の詩が多いことは早くから指摘されており、南宋・劉辰翁の「長沙李氏詩序」、清・趙翼の『甌北詩話』巻六などに関連する記述がある。日本の学者の論考としては、小川環樹氏の著書『陸游』(1974年二月、筑摩書房)に「陸游の夢 その一」「陸游の夢 その二」の二章があり、また入谷仙介氏の論文「陸游の夢の詩についての一考察」(1983年十月、京都大学『中国文学報』小尾博士古稀記念)がある。
○師伯渾 姓は師、諱は渾甫、字は伯渾。成都と嘉州の中間にある眉山に住んでいた当時の高名な隠者で、廉潔な人柄に加えて文才があり、陸游と交友があった。
○雪暁 雪の明け方。
○清笳 かん高いあし笛の音色。笳は、いわゆる胡笳。西方の異民族の楽器で、多く軍楽に用いられる。あし笛の音は、ここでは騎兵隊の出陣の合図を意味するのであろう。今でいえば、進軍ラッパが響きわたる、といった所であろうか。
○乱起 次々に、あちこちからわき起こる、の意。
○夢遊処 夢の中で訪れた場所。「遊」は、訪れる、の意。
○不知何地 どこなのかわからない、の意。「不知」は、知らない、わからない。「何地」は、「何処」に同じ。
○鉄騎 武装した騎兵隊。
○無声 物音を立てない。また、声を出さない。騎兵隊が、物音も立てずに敵陣目指して進撃して行くさま。
○望似水 遠くから眺めると、まるで流れる川のようである、の意。「望」は、遠くから眺めやる、の意。騎兵隊が一列になって一つの方向を目指し、まっしぐらに進んで行く姿が、あたかも平原を流れるひとすじの川の流れのように見える、というのであろう。
○関河 本来は函谷関と黄河をさすが、ここでは、遠い辺境の地をさす言葉として、普通名詞的に用いられている。
○雁門西 雁門関の西。「雁門」は、郡名。戦国時代の趙の地に相当し、現在の山西省の北部にあたる。雁門関は、山西省代県北部の雁門山にあった関所で、万里の長城の重要な関門の一つであり、異民族との国境であった。すなわち「雁門西」は、異民族の領土をさす。
○青海際 青海湖のほとり。「青海」は、青海省の東部にあるココ
○睡覚 眠りから目がさめる。
○寒灯裏 寒々としたともし火の照らす中、の意。「寒灯」は一人で寝る夜の寒々としたともし火で、寂寞、孤独を感じさせる。「裏」は、~の中、の意。
○漏声断 時をきざむ漏刻(水時計)の音が途絶える。「漏声」は、漏刻の水がしたたる音。「断」は、夜通し続いていたその音が途絶えること。すでに夜が過ぎ、朝が近づいたことを意味する。
○月斜窓紙 月の光が窓の障子紙に斜めに射し込んでいる。
○自許 自負する。
○封侯在万里 万里の彼方で侯爵に封じられる、の意。「封侯」は、戦功により侯爵の地位を授けられること。漢代には、異民族との戦いに功績があった者は侯爵を授けられるのが例であった。「在万里」は、後漢の班超の故事をふまえる。『後漢書』「班超伝」によれば、班超は自分の人相を人に見てもらったところ、「当封侯万里之外(当に万里の外に封侯せらるべし)」と言われたという。
○有誰知 反語。「誰知(誰か知らん)」に同じ。一体誰が知ろうか、誰にわかろうか、の意。
○鬢雖残 鬢の毛はすっかり薄くなっているけれども、の意。「鬢」は、頭の左右の、耳の前の部分の毛。「雖」は、~ではあるけれども。「残」は、そこなわれること。ここでは、老年のため、髪の毛が薄くなることをいう。
○心未死 心がまだ死んでいない。自分の精神がまだ完全に活力を失ってはいないことをいう。ここでは特に、失地回復の志がいまだに失われていないことをいう。
《夜遊宮》一首 見た夢を書き記し、師伯渾に寄せる
雪の明け方、かん高いあし笛の音が、次々にあちこちからわき起こる。
夢の中で訪れた場所は、はて、一体どこだったのだろうか。
鉄の装甲をほどこした軍馬の一隊は声もたてず、遠くから眺めやると、まるでひとすじの静かな川の流れのようだ。
思うに、夢に見たあの辺境の地は、
雁門関の西だったのだろうか、
それとも青海湖のほとりだったのだろうか。
眠りからさめてみれば、ぽつんと一人、寒々としたともし火の照らす中。
漏刻の音は途絶え、月の光は窓の障子紙に斜めに射し込んでいる。
この私は、万里の彼方で手柄を立て、侯爵に封じられることを自負している。
一体誰が知ろうか、
私の鬢の毛はすっかり薄くなってはいるが、
その失地回復の志はいまだに失われてはいない、ということを。
前半は雄壮な夢の情景を、後半は夢からさめた後の思いを、それぞれうたっている。乾道九年(1173)、陸游は摂知嘉州事となり、嘉州へ赴任する。その途中眉州を経過し、この時始めて師渾甫と知り合った。陸游の「師伯渾文集序」によれば、師渾甫が青衣江のほとりで陸游と餞別の宴を催した際、大声で歌をうたって江山を揺るがし、水鳥たちがそれに驚いて飛び立った、という。こうしたエピソードやこの詞の内容から、師渾甫も陸游に負けず劣らず豪放磊落な人物だったことが想像される。