李清照 (北宋〜南宋)

 
李清照(1084〜1151頃)、号は易安居士。済南(山東省歴城)の人。父の李格非は著名な学者・散文家。夫の趙明誠は金石考古学者で、いくつかの土地の地方官に任命された。金の兵が中原に侵入すると、南方に流寓し、夫が病没し、貴重な金石や図書が散失して、晩年の生活は大変孤独なものだった。彼女は南宋の著名な女性詞人であり、詩もたくみだった。詞は生活の感受、喜楽哀愁を多く書いている。古今を評論し、時事政治を感慨する題材は、これを多く詩に発する。国が破れ家が亡び、生活が激変したために、いささかの国を憂え時を傷み当時の社会の現実を反映する作品を書いた。若年の詞は歓楽が多く、晩年の詞は哀傷が多い。詞風は婉約俊秀、詩風は慷慨激烈だが、残念なことに詩は多くは伝わっていない。著作はすでに失われ、後人が編集した『漱玉詞』がある。『洛陽名園記』の著者、李格非の娘。建中興国元年(1101)、十八歳の時に、趙明誠(1081〜1129)と結婚した。金石学者である夫を助けて、『金石録』30巻を編纂したが、南渡後まもなく夫を失い、あるいは再婚したとも伝えるが、詳しいことはわからない。女流詞人として、こまやかな情感のあふれる詞を作った。詞集『漱珠詞』1巻を残すが、今わずかに15首伝わる詩も、すてがたい味わいをもつ。

  春残


春残何事苦思郷  春残 何事ぞ (はなは)だ郷を思う
病裏梳頭恨最長  病裏に頭を梳れば 恨み 最も長し
梁燕語多終日在  梁燕 語ること多く 終日 在り
薔薇風細一簾香  薔薇 風ふくこと細かく
 一簾 香る


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