李覯 Li Gou (北宋)
李覯(1009~1059)、字は泰伯。建昌南城(江西省)の人。北宋の進歩的思想家で、果敢に聖賢を諷刺し、伝統的な観念を論駁した。詩もよく書けており、民間の苦痛・政治の得失は、彼の詩の中に多く反映されている。その詩は議論に富み、北宋の詩壇において独自の風格を樹立した。『李直講先生文集』がある。
読長恨辞 長恨の辞を読む
蜀道如天夜雨淫 蜀道 天の如く 夜雨 淫たり
乱鈴声裏倍沾襟 乱鈴声裏 倍ます襟を沾す
当時更有軍中死 当時 更に 軍中の死 有るも
自是君王不動心 自ら是れ 君王 心を動かさず
〔詩形〕七言絶句 〔脚韻〕淫・襟・心(下平声・侵韻)
○長恨辞 唐・白居易の書いた「長恨歌」。この叙事詩は、唐の玄宗と楊貴妃の物語を書いている。
○蜀道 四川の棧道をさす。
○如天 天と同じ位に高い。蜀の道の険しさを形容する。唐・李白の「蜀道難」詩に、「蜀道の難きは、青天に上るよりも難し」とある。
○淫 度が過ぎる。雨が降ってやまないことを形容する。
○「乱鈴」句 『明皇雑録』によれば、安史の乱の際に玄宗は蜀に奔り、斜谷を経た時に霖雨に遇い、鈴の音と雨の音が互いに響きあっているのを聞いて、ますます楊貴妃を思い、そこでその音を採録して「雨霖鈴曲」を作ったという。
○倍 より一層。ますます。
○沾襟 涙が衣服の襟を濡らす。
○「蜀道」二句 安史の乱の後、唐の玄宗は南に逃げ、馬嵬坡で兵変があり、楊貴妃を縊死させ、継続して四川へ向かう路上で、唐の玄宗は景に触れて情を生じ、楊貴妃を思慕した。この二句は、「長恨歌」の「夜雨聞鈴断腸声」句の本意を用いている。
○当時 八年に及んだ「安史の乱」の当時をさす。
○軍中死 反乱を平定する戦いの最中での、将兵の負傷・死亡をさす。
○動心 心に感慨を催す。
「長恨歌」を読んで
蜀の桟道は天のように高く、夜の雨がしとどに降り注いでいる。
鈴の音が乱れ鳴る中で、玄宗はひとしお涙で襟を濡らしたそうだ。
当時、戦乱の中で死んで行った将兵達はましてや多かったことだろうに、
唐の天子は、それには少しも心を動かされることがなかったとは。
唐の玄宗は楊貴妃を寵愛し、彼女のいとこの楊国忠を宰相にした。楊氏兄妹は専権して国を誤り、その結果「安史の乱」をもたらした。756年、玄宗は都の長安(陝西省西安)を脱出し、四川へと避難した。途中、馬嵬坡(陝西省興平県の西)に至ると、護衛部隊が暴動を起こし、玄宗はやむなく楊国忠と楊貴妃を処刑した。白楽天の「長恨歌」は、この事件に多くの粉飾を施している。李覯は詩の中で、反乱を起こした将兵たちの陣没と楊貴妃の死とを鮮明に対比させ、玄宗が荒淫無能で、民の命を憂慮しないことを鋭く諷刺し、卓越した見識を示している。