李綱 (北宋~南宋)

 
李綱(1085~1140)、字は伯紀。邵武(福建省)の人。北宋から南宋への過渡期に最も衆望を集めた抗金の指導者にして民族的英雄で、内政の革新を主張した政治家である。靖康元年(1126)、尚書右丞親征行営使として、軍民を率いて、汴京を包囲していた金の兵を撃退した。南宋王朝が成立し、高宗が即位すると、宰相に任命された。李綱は金に対する抵抗を強く主張し、妥協・投降することに反対した。このため投降派に攻撃され、政権の座にあることわずか77日で辞職。鄂州(湖北省武昌)に隠居し、憂憤のうちに世を去った。『梁渓集』がある。
      
 病牛  

耕犂千畝実千箱  千畝を耕犂し 千箱を実らす
力尽筋疲誰復傷  力 尽き 筋 疲るるも 誰か復た傷まん
但得衆生皆得飽  但だ 衆生 皆 飽くことを得るを得なば
不辞羸病臥残陽  辞せず 羸病もて残陽に臥するを


〔詩形〕七言絶句  〔脚韻〕箱・傷・陽(下平声・陽韻)

○耕犂 畑を耕し、地面を鋤く。 
○実 充実させる。いっぱいにする。 
○千箱 とてもたくさんの食料倉庫。「千」はたくさん、という意味であり、実数ではなく、誇張の用法である。「箱」は、食料倉庫。ここでは、政府の食料倉庫をさす。 
○誰復傷 一体誰が病気の牛に同情してくれるだろうか。
○傷 同情する。憐惜する。 
○但得 ただ~できさえすれば。 
○衆生 天下の人民をさす。 
○不辞 辞退しない。 
○羸病 身体がやせ衰えて病気が多い。 
○残陽 間もなく山に沈もうとする太陽。また、それによって人の晩年をたとえる。

 病気の牛

牛は千畝もの広い田畑を耕し、たくさんの食糧倉庫をいっぱいにするが、
働く力がなくなり、筋肉も疲れ果ててしまえば、誰も同情してはくれない。
ただ皆が十分に食べられるようにさえできるならば、
病み疲れて夕陽の中に身を横たえることになっても構いはしない。


この詩は、詠物の手法によって志をうたった詩であり、作者が晩年鄂州に隠居していた時の作である。作者は自分を病気の牛にたとえ、自分が大きな打撃を受けようとも、なおも忠心は失われず、国と民を救い、金に対抗して国土を回復したいと願い、「粉骨砕身し、死してのみやむ」という心境を表現している。