姜夔 (南宋)
姜夔(1155~1221)、字は堯章。饒州鄱陽(江西省波陽)の人。武康(浙江省)に寓居し、白石道人と号した。一生の間役人とならず、辛棄疾・楊万里・范成大らと交遊した。音律に精通し、南宋の著名な詞人・詩人である。早年の詩は江西詩派を学び、後に晩唐詩の影響を受けた。詩風は朴実秀麗で、辞句は修練を重んじてはいるが、自然流暢で、繊巧だと感じさせない。若い時は地方官の父に随い、沔(陝西省沔県)・鄂(湖北省武昌)のあたりに長く滞在していたといわれ、三十代のはじめころ、詩人として知られる蕭徳藻と知りあい、その姪を妻とし、湖州(浙江省呉興)に居を定めた。蕭徳藻の紹介で楊万里に知られ、楊万里の紹介で范成大の知遇を得た。早くから詞の名手の評判が高かった彼は、音楽に造詣が深く、みずから詞の作曲もして楽譜がいまも残っているが、慶元三年(1197)には、いにしえの雅楽や楽器を論じた「大楽議」一巻・「琴瑟考古図」一巻を寧宗に奏上、さらに同五年、「聖宋鐃歌鼓吹十二章」を献じた。湖州苕渓の住居の近くに白石洞天があったのに因んで、白石道人と号する。のち、杭州(浙江省杭州)をはじめ、各地を転々として、一生無位無官のまま、西湖で卒した。その詩は詞に劣るといわれるが、「風格秀高」と評されている。『白石道人詩集』がある。
除夜自石湖帰苕渓 除夜 石湖より苕渓に帰る
細草穿沙雪半消 細草 沙を穿ち 雪 半ば消ゆ
呉宮煙冷水迢迢 呉宮 煙 冷ややかに 水 迢迢たり
梅花竹裏無人見 梅花 竹裏にて 人の見ること無きも
一夜吹香過石橋 一夜 香を吹きて 石橋を過ぐ
〔詩形〕七言絶句 〔脚韻〕消・迢・橋(下平声・蕭韻)
○除夜 大みそかの夜。
○石湖 江蘇省蘇州の西南にあり、風景が優美である。范成大はここに隠居し、別荘を建てた。
○苕渓 ここでは浙江省呉興(湖州の治所)の別名。境内に苕渓があることから名前を得、姜夔の家はここにあった。全部で十首の連作で、ここには其一を選んだ。
○「細草」句 積雪はその一半が融け、小さな草が砂地の中から頭を出している。
○呉宮 蘇州には、春秋時代の呉国の宮殿の遺跡がある。
○迢迢 縹渺として遥かに遠いさま。
○「呉宮」句 船が呉の宮殿の遺跡を通り過ぎると、ただ寒い煙が立ち込めているのが見えるだけであり、あたり一面荒涼として、川の水は遠方へ向かって流れ去る。
○「梅花」二句 梅の花は岸をはさんだ竹やぶの奥深くで咲いており、誰も見る人がいないが、船は陣陣の幽香の中で、徐々に一つ一つの石橋をくぐって通り過ぎて行く。
除夜に石湖から苕渓に帰る
細かな草が砂をうがつようにして顔を出し、雪は半ば消えかけている。
呉宮にたなびく靄は冷たく、水ははるばるとどこまでも続いている。
梅の花は竹やぶの中に隠れて人に見られることはないが、
一晩中その香りが風に吹かれて漂い、石橋を通り過ぎて来る。
この詩は、紹熙二年(1191)の冬、詩人が范成大を訪問した後、呉興に帰る途中で書いたものである。詩人は江南の年末年始の風物の特徴を把握し、冬が過ぎて春が来る気配を透露しており、描写はきわめて細緻である。