家鉉翁 (南宋末〜元初)
家鉉翁(1213〜1295)、号は則堂。眉州(四川省眉山)の人。宋末の愛国詩人。官は端明殿学士、簽書枢密院事に至った。元軍が都の近郊に駐軍し、丞相の呉堅らが降伏勧告の文書に署名した時、彼は拒絶して署名しなかった。命を奉じて元に使いして北上し、燕京(北京)に拘留された。宋が滅んでから、元朝で役人になることを拒絶し、河中府に安置されること19年、学問で生計を立てた。成宗が即位すると、彼はようやく解放されて南方に帰ることができ、ほどなくして故郷で没した。『則堂集』がある。
寄江南故人 江南の故人に寄す
曾向銭塘住 曾て銭塘に住み
聞鵑憶蜀郷 鵑を聞きては蜀郷を憶う
不知今夕夢 知らず 今夕の夢
到蜀到銭塘 蜀に到るか 銭塘に到るかを
〔形式〕五言絶句 〔韻字〕郷、塘(下平声七・陽韻)
○江南 ここでは、広く長江以南をさす。
○故人 旧友。
○向 〜で。 「於」に同じ。
○銭塘 ここでは南宋の都の臨安(浙江省杭州)をさす。作者はかつて南宋の朝廷で役人となり、臨安の知府・浙江安撫使を兼任した。
○鵑 ホトトギス。杜鵑。
○蜀郷 詩人の家郷は眉山であり、蜀中にある。伝説では杜鵑の鳴き声は「不如帰去=帰り去るに如かず」に似ており、容易に旅人の望郷の思いを引き起こす。また、杜鵑は一名を杜宇といい、古代の蜀国の望帝が死後変化したものと伝えられる。作者は蜀の人なので、杜鵑の鳴き声を聞いて故郷をなつかしむのである。
○今夕 今晩。
《江南の旧友たちに寄せて》
かつては銭塘江のほとりに住み、
ホトトギスの鳴き声を聞いては、故郷の蜀をなつかしんだものでした。
でも、私にはわかりません。今夜見る夢の中で、
故郷の蜀に帰るのか、それとも古都の銭塘江のほとりに帰るのか。
この詩は、詩人が燕京に拘留されていた時の作である。宋の遺臣の故国に対する愛着の深さは、わずか二十字の中に余す所なく表現されている。