サイゴン旅行記

李ゼミ5期生 00E2456 山本 光太郎

 

ホーチミン「ほうれん荘」の出会い

2003928日、以前からキャンセル待ちで手配していたベトナム行きのチケットが手に入り、翌29日急いで荷造りをして、大急ぎで台北経由でホーチミンへと向かいました。空港到着早々に宿を巡って、日本語OKで日本人の旅仲間も多く宿泊し、宿泊費も3ドルと格安なほうれん荘に決めました。中でも宿で知り合った佐波田さんは、自分の父親くらいの年齢で、宿の仲間からも「おとうさん」と呼ばれるリーダー的存在で、一日の観光を終えると佐和田さんを中心に集まり、晩飯へと繰り出します。特に大晦日は、10名近くも集まりカウントダウンパーティーを屋台で行いました。

 

ベトナムはグルメパラダイス

ホーチミン滞在期中に食したベトナム料理美味、珍味の一部ご紹介します。

 

ホビロン:孵化直前のアヒルの卵を茹でたもの。卵の上部を少しスプーンで開けて、塩・胡椒・ライムを入れて食べます。食べる前に中に入っているエキスをショットグラスに入れ飲むのが通の食し方です。

ビアホイ自家製で作られている生ビールです。適当なポリ容器に入っていて、グラスに氷を浮かべながら飲みます。水っぽい味ですが、なかなかゆっくり酔えるお酒です。あくまでも自家製の為、胃腸の弱い人には不向きです。  

チェーベトナムでポピュラーな甘味。あずき、寒天、果物がトッピングされて日本のあんみつに近いです。その他に練乳で仕上げたフルーツシェーク、シントーもお勧めです。

 

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市場巡り      

ベトナム最大の商業都市ホーチミン。その活気を存分に体験するとしたら市場がお勧めです。ベンタイン市場約1万平方メートルの敷地に食品、花、雑貨、家電、化粧品、食器、貴金属、衣料、食堂などテナントが軒を連ねるホーチミン最大の市場です。観光客も多く、値切り交渉も困難を極めましたが、ここで購入した革製サンダルは今でも愛用しています。ホーチミンのチャイナタウンであるチョロン地区にあるビンタイン市場もお勧めです。2,000以上の店舗がひしめきあい、観光地化されたベンタイン市場と比べるとベトナム人の生活感がたっぷりと味わえる庶民派スポットとなっています。

 

統一会堂と戦争証跡博物館

ほうれん荘で知り合った谷本さん、シンガポールのフイさんとホーチミン市内観光に出かけました。最初に訪れたのは統一会堂。1945年までフランス総督によって使用され、ベトナム戦争終結まではベトナム共和国の大統領宮殿でした。1975430日、解放軍の戦車がこの建物のフェンスを突き破り無血入城を果たして、南ベトナムの首都サイゴンは陥落しました。戦争証跡博物館ではベトナム戦争当時使われていた戦車や戦闘機、砲弾が展示されています。

 

 

      

戦争証跡博物            メコン川クルーズ

 

ミトーメコン川クルーズ

ホーチミンからバスに揺られて2時間、メコン川クルーズの船が出るミトーへと向かいました。そこは、チベット、雲南省からは4350Kmにわたって流れるメコン川の執着地点となっています。そこからは小型船(屋根付き)へと乗り換えてデルタ地帯を突き進みます。流域では、移住用の船が停泊し、子ども達が水浴びを楽しみ、雑貨や食料、時にはベトナム名物フォーを販売する食堂の船さんなどが行き交うなどメコン川流域に住む人にとって川が大きな役割を占めています。

 

クチトンネル

ベトナム戦争の軍事拠点であったクチトンネルへと向かいました。サイゴンからは75キロ北西に位置し、南ベトナム民族開放戦線による米軍へのゲリラ攻撃を展開した場所です。全長250キロにも及ぶトンネル網が作られ司令塔、病院、井戸などが作られています。この場所は、米軍側に大きな被害を与えた解放戦線にとって英雄的象徴となっています。

   

トンネル内にて          爆破された戦車 

 

最後に

年越しホーチミン滞在旅行では旅の仲間にも恵まれて忘れられない思い出となりました。佐和田さんをはじめ旅の仲間にはとても感謝しています。ベトナムは不幸な戦争によって豊富な資源と国民の勤勉な労働力を活かす事ができません。198612月ドイモイ(刷新)政策により市場経済の導入されて、経済発展が進められています。近年、ベトナムの経済成長率は世界の中でも高い水準にあり、ブラジル、ロシア、インド、中国で構成されるBRICs諸国と肩を並べる勢いです。日系企業の進出も進み、私の勤務するメーカーにおいても首都ハノイ近郊に工場を構えています。2007111日にはWTO正式加盟を果たし、ベトナムは活気に満ち溢れています。成長著しいベトナムへ思いを馳せると共に、再びベトナムを旅行する事を願いつつ、旅行記を締めくくりたいと思います。