巻頭の言葉

        ――「塵も積もれば山となる」――

 

 

                                    著者代表 李 春利

 

 

 

一、

ゼミ論集第3号がついに発行を迎えることになった。李ゼミ第3期生(2000年度)全員の知恵と努力を総結集した一冊である。

いまから3年前に始まったこの「小さな教育実験」はどこまで続けられるかは、正直なところ、当初ゼミ担当者の私も心配していた。しかし、実際始めてみたら、ゼミ生諸君は私が予想した以上にしっかりしている。特に、歴代編集長と編集委員会メンバーたちの献身的な努力によって、手作りの雑誌としてはかなり上々の出来ばえといってもいいぐらいのものを作ってくれた。また、ゼミ論集の共通論題は年々難しくなってきたにもかかわらず、ゼミ生一人ひとりは実によくがんばって、比較的完成度の高いレポートを仕上げてくれた。 

1号『多様性の中国:一人一省――中華人民共和国建国50周年記念号』と第2号『中国の肖像:人物で振り返る20世紀――ミレニアム特集』に続き、今回の第3号は『周辺から見た中国:China@World――21世紀特集』と名づけた。第1号では中国の豊かで多様多彩な地域性に着目して中国の各省を取りあげて、いわゆる地域を軸にして「内側から見た中国」を描くことにウェートを置いていた。第2号では、たまたま2000年という大きな節目の年にあたったので、人物を軸にして現代中国を動かしてきた19人に焦点をあてて20世紀の総括を試みた。そのような経緯で、第3号は「周辺から見た中国」に辿り着いた。すなわち、「外側から見た中国」、あるいは「世界の中の中国」といった視角から中国の位置づけを再確認するということである。

ゼミ論集第3号は10本からのレポートからなっており、中国と地政学的・歴史的・政治的・経済的にかかわりの深い国と地域を取りあげた。すなわち、日本、アメリカ、ロシア、朝鮮半島、台湾、イギリスと香港、インドシナ半島と東南アジア、インドとパキスタン次大陸、ヨーロッパ大陸とシルクロード関係諸国である。

ところが、「言うは易し行うは難し」。実際着手してみたら、これは実に大変な作業だった。まず、なによりも国と地域によっては文献資料が大変乏しいという壁にぶつかった。中日、中米、中露、中台、中英、中国と朝鮮半島についてはまだそれなりに文献があったが、中国とインドシナ半島・東南アジア、インド・パキスタン、ヨーロッパ大陸、シルクロード関係諸国に関する文献、とりわけ日本語文献の乏しさに泣かされた。幸い、中国とインドシナ半島・東南アジア、およびインドとパキスタンについての中国語文献が手に入り、中国人留学生2人に執筆してもらうことにした。中国とヨーロッパ大陸、シルクロード関係諸国に関する文献の収集にはさすがお手上げの状況だった。レポートのテーマの割り振りは機会均等の原則に従い、「ジャンケン」で決めてもらったが、それにしても、当該地域を担当した著者たちの努力に脱帽したい。

このようにして、「自主的な課題研究」の形で10本のレポートが完成され、著者たちがゼミでそれぞれ自分のレポートを発表し、また関係のある国・地域を担当する人がそのコメンテータ−を務めた。それぞれ単独でまとめたレポートはここで初めて合流し、集大成となり、大きな相乗効果を生み出した。実際のところ、二国間関係をベースにしたレポートに登場してきたスト−リ−が相互に交差し連動しており、グローバル規模の気宇壮大な現代中国論の全体像が見えてきたのである。

「塵も積もれば山となる」とはこのことなのか。

 

 

 

                二、

「ゼミとはなにか?」

ゼミを担当してからまる3年間、この問題はずっと私の頭から離れなかった。中国の大学にこのような形の授業形態がないだけに、ゼミナールは自分にとって新鮮であり、またときには、どのように進めればいいのかと困惑も感じていた。私と同じような思いをした若手教員も少なくないかと思われる。

「ゼミとは学習する組織である。」

おおげさだが、いまになって、ようやくそれらしい回答が見えるようになってきた。

ゼミは学習する組織である以上、組織的に学習することが求められる。組織するということはただ単に人を集めることだけではなく、学習の目標とテーマ、内容などを事前にアレンジし、「組織」する必要がある。そのねらいは、1+1=2のような単純な足し算ではなく、1+1=2の二乗、3の二乗といったような、個人ではできないような相乗効果を生み出すことである。そこで初めて大きな満足感と達成感が生まれる。

人間は個人だけではできないことを組織に求めたり組織に頼ったりする。だから、グループ学習やチームワークが必要になってくる。若い学生とはいえ、必ずといっていいほど他の人にない長所や能力をもっている。問題は如何にして、そうした各個人の潜在的な能力を引き出し、いわゆる「能力の集合体」を形成し、共通の目標に向かわせるかである。それこそ教育の基本なのではないかと思われる。だから、

「ゼミとは能力の集合体である。」

いうまでもなく、各個人の潜在的な能力を引き出すには厳しさが必要である。だが、厳しさだけでは物足りない。かえって敬遠されてしまいがちである。「厳しさの中には楽しさがなければならないし、また、楽しさの中には厳しさもなければならない。」ゼミ生のこの一言は私にとって、大きな励みになっている。ものを作ること自体はもはや目的ではなく、なにかを一緒に作り上げることによって、参加者の能力を向上させることが本当の目的なのである。だから、

究極的には「モノ作りはヒト作り」である。そのために、目標と価値観を共有することはなにより重要である。 

やる気のある学生に恵まれて、ここまでなんとか楽しくやってくることができた。このゼミ論集は10年後、20年後にみんなの思い出になることを期待したい。ゼミ論集というゼミ独自の財産をみんなと分かち合いながら、それが後々の後輩たちに末永くバトンタッチされていくことを心から願ってやまない。

                         2001年3月中国天津にて

 

 

 

 

一言メッセージ:

これまでのゼミ論集をご覧になりたい方は、李ゼミ専用のホームページへどうぞ。

http://taweb.aichi-u.ac.jp/leesemi}