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『今後の経済発展の中の海南島』


伊東 政次

海南省は海南島を主に、西沙、南沙、中沙群島などを含む行政区域である。海南島は面積339万Kmにも及ぶ大島で、周囲の地勢は低く中南部にかけて連なる複雑な地形を成し、なかでも五指山は1867mにも達する。気候は熱帯モンスーン海洋気候に属し、高温多湿である。年平均気温は22℃から37℃、年平均降水量は1600mm以上で、年間をとうして台風が多い。
海南島は、古くから越系の非漢民族が居住し独自の民族文化を形成していたが、かつては流刑の島と恐れられた。民国時代初めには軍閥の割拠するところとなり、その後一時日本軍の支配するところとなったが、1950年5月1日に開放された。建国後は広東省にくみこまれ80年に経済特別区に指定され、88年8月に広東省から独立し海南省が誕生した。
海南省になってから、大規模なインフラ建設を経て、全省の交通、通信、エネルギー、都市公用施設などが大いに改善され観光法規、管理などのソフトウェア建設の面もわりに大きな発展をとげた。観光の主導的思想が形成され始め、海南省観光業の発展に強固な基礎と後続力を築きあげた。
また、海南は中国最大の熱帯作物産地であり、光熱と水資源が豊富で、夏が長く冬がなく、中国にはまたとない天然の大温室で、農業を発展させる優越な条件が備わっている。省になってから、海南の農業に深刻な変化が生じた。農村の社会主義市場経済がたえず発展し、農村の産業構造がたえず最適化され、区域化配置が一応の規模を持つようになり、産業化が明らかに早くなった。第八次五か年計画後期に、海南省の農業は全国でも発展の速い省に仲間入りした。
海南省は地下資源に豊富だが、西沙、南沙諸島の地下石油資源の獲得と中東への石油ルート確保のため中国と周辺諸国との争いは次第に先鋭化している。ベトナムは1995年7月、米国との国交を回復し、東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟して、集団的に中国に圧力を加えようとしている。フィリピンは従来石油資源の共同開発を主張して柔軟路線だったが、95年3月、中国がパワラン島からわずか80kmのミスチーフ岩礁に勝手に軍事施設を構築していることを発見してから強硬路線に転向した。こうした関係各国の動きに対して中国は個別に2国間で交渉し、集団的な協議に応じないとの態度をとり、一方では着々と空軍、海軍力の整備を進めて実行支配を確立する動きをみせ関係国に不信感を抱かしていた。
1997年12月江沢民国家主席はASEAN(東南アジア諸国連合。インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポ−ル、タイ、ブルネイ、ベトナム、及び7月に加入したミャンマー、ラオスの九ヶ国)の招きで東アジア非公式首脳会談と中国、ASEAN諸国非公式首脳会談に主席し、会談のあと[中華人民共和国とASEAN諸国首脳会談の共同声明]を発表した。共同声明の中で、中国とASEANは、「国連憲章」、「東南アジア友好協力条約」、平和共存五原則と公認の国際法を、相互間係を処理するための基本原則とすることを再確認し、とくに互いに独立、主権及び領土確保を尊重し、他国の内政に干渉しない原則を再び明らかにした。 そのなかで、西沙、南沙諸島問題にふれ、双方は平和の方式でそれぞれの食い違いと紛争を解決し、武力に訴えたりあるいは武力をもって脅やかしたりしないことを約束した。関係各方面は1982年の「国際海洋法」を含む公認の国際法にもとづいて、友好的な話し合いと交渉を通じて西沙、南沙問題を解決することに同意した。

「海南経済を支える新興工業」
海南の工業経済の起点は極めて低いものであった。省になる前の1987年までは、基本的に農業地区であり、工業化は全国よりはるかに遅れていた。省になり、経済特別区が設置されてから豊富な石油、天然ガス、熱帯動植物、海洋生物、鉱物資源を利用して、企業勧誘、外資導入と工業投資にいっそう力をいれ、工業基本建設への投資の規模をたえず拡大し全省の工業総生産額を十年で約六倍にした。工業の産業構造を改善、最適化するため、海南省は前後して多くの大中型中堅企業を設立し、海南省工業経済の主な成長要因となった。また、国有企業改革の面で、株式会社制、併合、倒産、資産譲渡、委託運営などの、企業改革が徐々に行われている。十年の建設を経て、海南に新興工業省の雛形が現れた。
「海南省経済発展のためのインフラ」海南島の経済は地理的位置が辺鄙で、交通が不便であり、情報が滞りがちで、商人が出掛けていくのが困難である。これはずっと海南の経済発展を制約しているボトルネックとなっている。しかし、1988年4月、海南が省となり経済特別区が設置されてから、十年間にわたる困難な努力を傾けた結果、今日の海南島は、陸、海、空の輸送網が発達し、通信手段が先進的で、電力エネルギーが十分に補給され、投資のハード環境が先行してすばらしく、大規模な開発、建設条件を備えた大特別区となった。省になったばかりのころは、海南には港が14、バースが62あった。海運企業が28社、開通した島内の自動車道路は1万2千9百キロ、主幹線道路は三亞市を起点、終点とする東線、中線、西線の三本がある。民用空港は海口空港しかなく、開通した航空路の距離は2万5千キロで、海南が省と経済特別区を建設し、大規模の開発、建設をすすめる必要をとても満たすことができない。しかし、十年の建設を経て、海南の交通輸送に極めて大きな変化が生じた。海口、馬村、洋浦などの港が重点的に拡張され、北に海口港、馬村港があり、南には三亞港があり、西には洋浦港があり、東には清潤港があるという四方七港の枠組みが形成された。海運業は多種類、多段階、多機能の、沿海、近海、遠海を結びつけた輸送船団が作られ、全省に海運公司が百社あり、三十余ヶ国、地域と通航している。民用航空業は急速に発展し、海南島の対外輸送の重要な力の一部となっている。1994年7月1日、4E級航空基準に基づいて設計、建設した三亞鳳凰国際空港が完工して開通し、海南に大型空港が南北一つずつという空輸枠組みが形成された。現在のところ(1998年5月)4E級基準に基づいて建設中のもうひとつの空港、海口美蘭国際空港は建設に拍車をかけられ、今年末に開通する予定である。
島内の輸送は自動車道路を主とし、高速道路を主動脈とする輸送の枠組みが形成されている。すべての郷に自動車道路が通じるという2000年の全省の目標を繰り上げて実現した。海南島一周の高速道路は東線と西線の海口=洋浦区間、九所=三亞区間の四百キロ余りがすでに完成した。2000年までに高速道路の島内環状化を実現し、海南の輸送指向型経済の発展と産業構造の調整及び配置の必要を満たすことになる。このほか、鉄道部、広東省、海南省は昨年8月、?海鉄道通路責任有限公司を設立し、中国初の海峡を跨る鉄道を作る計画をたてた。海南西環状線、海安鉄道、海安の?州海峡鉄道フェリーの三部門からなる。同プロジェクトの実施によって、海南の陸上輸送の単一という現状が大いに改善され、水上輸送、自動車道路輸送面の全体の機能が発揮されるはずである。
「洋浦経済区」海南島は全島が経済特別区に指定されており、そのなかで洋浦経済区は外向型開発地域として中国における改革、開放の総合実験モデルとさえいわれている。経済特別区、経済開放区、保税区として、現在中国でもっとも優遇されている経済区だけに今後の発展が気になる。
以前のレポートで感想のころに「アジアに広がる経済危機による、外国資本の投資の撤退や中止により、今後の発展に影響が出る。」と書いたが実際のところどうなのか、中国の現在の状況を比較的新しい資料をもとに調べた。

「アジア経済危機」とは?
一年あまり前、人々はまだ一般的に東アジア地域経済の先行きに非常に楽観的な見方をしていた。このような見方は東アジア経済の過熱を導き、それによって政府は過度に大工事や大プロジェクトを実施し、また企業はむやみに生産力を拡大し借金を増やし、とりわけ短期間に大きな利潤を上げることができると思われていた不動産業への投資に資金が流入した。さらには、外国資金がこの地域に大量に流れ込むことで「資金のだぶつき」といった現象も引き起こされた。計算によると、危機発生前の数年間に、一千億ドルの資本が流れ込んだ。東アジアの金融危機は、この地域の経済がかなりのレベルで一体化し、各国の通貨金融の間には「一蓮托生」とも言える非常に密接な相互依存関係が発展してきたという事実を反映したものであった。それと同時に、こういった高度に開放されて一体化した市場では資本が流れ込むのも流出するのも極めて容易であり、それらの資本の流動によって通貨金融市場ばかりではなく経済全体の不安定さを招くものである。特に、資金の大規模な撤収は、往々にして市場の萎縮と経済不況を招く主要な要因である。危機発生以来、国際資本が大量にこの地から流出した。計算では約一千五十億ドルが韓国、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシアから流出し、同時に銀行貸付も八百八十億ドル減少したことになる。それに対して、国際通貨基金(IMF)が提供した援助資金はわずか千百億ドルであった。いずれにせよ、資金の撤収によって銀行は新しい貸し付けを減らすかあるいは停止し、これによって幾つかの国の経済はひどい不況に陥った。

「アジア経済危機」の二つの要因
アジア通貨危機が起こってから一年以上がたち、事態の本質がようやく明らかになってきた今、アジア危機には内的要因と、対外的要因の二つがあったとする見方は、ほぼコンセンサスと言ってもよいだろう。
対外要因とは、国際資本移動の大きな変化に翻弄され、国内経済が打撃を受けたとする見方である。確かに「アジアの奇跡」という過剰な楽観とともに、グローバル企業はこぞってアジアに進出し、国際投資家はアジア株式等の金融商品を買いあさった。急激な資本の流入が株式、不動産などのバブル、過剰資産の蓄積に帰結したのは疑いない。そして危機の勃発を境にヘッジファンド等の投機家はアジアの通貨や証券を売ってアジアから資本を引き揚げ、経済に大きな打撃を与えた。手の平を返した資本の引き揚げはバブル崩壊を一瞬にしてもたらした。
そして内的要因は、アジア諸国の経済体質に問題があり資本が流出したとする見方である。国内の経済に政府主導の金融、政府主導の投資、政府主導の資源配分、巨大産業グループと提携した政府の経済介入が定着し市場経済の浸透を妨げ、結果として不適切かつ過大な投資、資源配分歪み、バブルの発生、投資収益率の著しい低下等がもたらされ、海外資本の流出に結びついた。                    
そもそもアジアの成長メカニズムは日本を先頭とする雁行型経済にあるとされ、このシステムを支えてきたのが日本企業のアジア生産拠点の構造と対日輸出の振興である。だが、中国の世界市場の参入により、これまでの雁行型形態の一角が崩れ始めた。産業の高度化により技術と資本を吸収した台湾、シンガポールは中国との補完関係を築いたが、逆にASEANは構造転換に乗り遅れたため真っ向から中国と競合している。そこで、撹乱要因である中国とアジアの関係に言及したい中国は94年の年頭、人民元の切り下げを行っており、これがアジア諸国輸出不振の原因の一つだったとされる。中国の貿易収支は同年から黒字に転じ、輸出はASEAN4の総額に匹敵するまで成長した。一方、ASEAN、韓国の貿易収支赤字が拡大した。

「アジア経済危機脱出の足かせ」
IMF支援の条件は、「国際収支の改善」「緊急財政の遂行」「金融システムの安定」が柱だが、この伝統的なシステムでは深厚市場からの資金流出には歯止めがかからなかった。インドネシア、タイ、韓国、マレーシア、フィリピンなどそのほとんどは米ドルペッグ制への信頼から為替ヘッジを行ってないのが実状であり、今後数年にわたって実体経済が回復する上で大きな足かせになる。また、民間企業の借り入れ、主に国内金利より安い米ドル建て金利に資金調達を求めたことにあるが、(これは高い比率で不良債権化する事になる)が、このことにより国際的な信用収縮につながった。いわば、アジアは民間の過大な借り入れがあり、悪循環によっては随所に潜んでいる不良債権がボウダーレス化し次々と表面化するのである。アジア経済成長を支えてきたのは、「輸入の促進」と「直接投資受け入れ」の両輪であった。しかし、通貨不安が払拭されてない状況では貿易金融が縮小しており、直接投資の回復には時間がかかる事から2,3年の調整期が必要となろう。アジアが直面している不況を脱出するには早くても2000年以降となるだろうが、その前提には不良債権の増加と通過切り下げという悪循環を断ちきる事にあり、世界的な不の連鎖を断ちきる事が重要である。
「アジア経済危機前の中国」
中国輸出主導型の経済が成長した背景に、億単位の労働力がある。これには労働集約型産業が原動力となっており、豊富で低廉な労働力を求めて中国に進出した外資系企業があった。もともと、アジアの成長メカニズムは日本、NIEs、ASEAN4と続く「構造転換連鎖」にあった。アジアは165倍と、大きな所得格差を持つ地域であるゆえに、先発組は脱工業化を、後発組はその模倣による工業化をめざした。中国、ベトナム、ミャンマーはその生産投資を引き継ぐニューフロンティアと化したが、なかでもASEAN4全体の経済規模を上回る中国の追随は大きな影響を及ぼしたといえよう。日、米、NIESからの直接投資は中国が大きく取り込んでおり、94年の人民元の切り下げを追い風に安価な製品を排出する事に成功を収めきたのである。

「アジア経済危機、中国の対応」
二つの要因、内的要因、外的要因を双方認め、対外的には資本、為替の管理を維持しつつも、対内的には改革を進め、市場経済のルールの下で経済の効率化を図ろうとするものである。中国、シンガポール、香港、台湾の中国圏の諸国がおおざっぱにこの範疇に入るだろう。これらの諸国は以前から経常収支が赤字で潤沢な外貨準備を備えている一方、為替、対外資本の管理を維持しており、今までのところ大幅な為替投機の対象になる事を回避し得ている。中国は国営企業改革と国内の金融整理、システム確立のためには8%の経済成長が不可欠だとし、公共投資を中心とした大幅な財政支出を実施している。年央には減速の兆しを見せたが再び加速する兆候をみしている。中国はアジアのラストリゾートとして重みを増してきた。中国、台湾、シンガポールは政策の自由度もあり、アジアのアンカーの役割を果たしそうである。
総括
海南省の経済発展は積極的な外資の導入にある。だが近年の経済危機によりその導入にかげりが見え始めたのではないかと思い、アジア金融危機以降、特に1998年の状況を調べた。多くの国々の通貨の大幅な変動が安定したからとはいえ、まだまだ不良債権や人民元の切り下げ問題もあり危機は緩和されたとはいえない状況だ。だが、国際経済社会も高貯蓄、勤勉で成長の余地があるアジアの潜在力を疑う人はない。長期的に見て中国をはじめ東南アジア各国が成長するはずだ。海南省はアジア危機後も政府の積極的なインフラ投資があり経済成長している。減少した外国投資に対しては、政府は外国資本の誘致に対する関税、輸入付課税の免除などの優遇政策による巻き返しを図っている。今後は華僑を中心とした投資がより重要度を増すと私は考える。中国経済に今後もより影響を与えつづけるであろう華僑については今回触れなかったが機会があったらぜひ調べなければいけない内容だと思う。

参考図書
華南への企業進出・昨日、今日、明日             藤原弘
エコノミスト1998年9月1日号   
マネーから実体経済へ超大型不況に苦悶するアジア各国     水野通雄
エコノミスト1998年12月1日号
アジア経済再建の現場    総論                 武者陵司
IMIDAS98、中国年間1998
北京週報1998
No4今週の動きNeus
No8中国とASEANの関係についての回顧と展望         賀凱
No15海南省特集、海南島の三大支柱産業             海新
急速に進むインフラ建設             魏先
No35東アジア危機はなぜ深まる                 張蘊嶺