|
第8章 高度経済成長時代の中国株式市場
~世界同時株安に負けない中国株~
第1節 中国発世界同時株安(担当:山本)
1-1 「上海発」世界同時株安
2007年2月27日上海の代表的な株式指数・上海総合指数が大幅に下落
→10年ぶりの下落で8,8%へ
米国のダウ工業株平均は、同時多発テロ以来の下げをみせ、地球の裏側にあるブラジルにもショックが広がる。
さらに・・・
翌週月曜に「ブラックマンデー」とよばれるほどきつい、アジア株の下げが起こった。
→1987年10月の米株暴落、2001年9月の米国同時多発テロ事件当時のような雰囲気で売り一色となる。
○中国株の暴落が是世界市場に波及した理由
・中国経済の世界経済に及ぼす影響が拡大したこと
・中国株が世界株式の中で最も上昇しており、バブルの象徴であったこと
1-2 中国上海株式市場暴落の背景
○暴落の原因…複数の要素が絡みあっている
・2,006年から旧正月前までの高値推移で警戒感から利益確定売りが広がったこと
・機関投資家の投資信託の解約が増え、売り越しが加速していたこと
・全国人民代表大会で相場での悪材料となる議案提出が懸念されたこと
世界同時株安は中国経済の存在感を世界に示した。
しかし・・・中国政府は株式市場の実力が過大評価されるのを恐れる。なぜか?
株価暴落が市場の整備が遅れているため生じたといえるため
株価暴落で中国経済に対する関心が高まっているが、株式市場の規模は世界的な水準から見てまだ小さい。
株式市場の未熟さを改善することが必要
中国の株価を下落させたのは中国政府によるものだけではない。
アメリカとの合意の上での戦略である。
世界的にバブル状態を抑制させるために、もっとも株価をコントロールしやすかったのが、中国である。
昨年の12月第一回中米戦略経済対話が北京で実施され、ポールソン財務と呉儀副首相との間で株価を下落させる戦略が話し合われたのである。
参考資料:サーチナ社説
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0324&f=column_0324_002.shtml
生活ジャーナリスト 柏木理佳
http://www.h5.dion.ne.jp/~cda/com/column04/c04-070501-1.html
第2節 中国株式市場の発展(担当:山口)
2-1 中国証券市場の沿革
1992年冒頭、小平氏は「南巡講話」の中で、「証券市場や株式市場の効果や危険性について見極める必要はあるが、断固として行わなければいけない」と指摘。この思想解放により、中国株式市場は大きな発展の機会を迎え、株券発行拠点は上海・深センから全国各地へと拡大。市場規模も成長の一途を辿り、< SPAN lang=EN-US>1993年には183社であった国内外の上場企業が、現在は約10倍の1200社余りに達した。国内株式時価総額も4兆5000億元と、1993年の3500億元から13倍近くまで成長した。中国資本市場は無から有へ、小から大へと発展し、社会主義市場経済体制の一翼を担うまで成長した。中国証券監督管理委員会の尚福林主席によれば、10数年の模索と発展を経て、一部国有企業は上場によって現代企業制度の改革を先導し、モデル的な役割を果たし、伝統産業のモデルチェンジを進める上で直接投資という道を切り開いた。上場企業は経済分野における影響力を日増しに強め、中国の経済発展を強力に推し進めるまでに成長したといわれる。この13年の間に、中国資本市場は先進諸国の100年分の歴史を駆け抜けてきた。中国経済の証券化率(国内総生産高に対する株式時価総額の比率、中国は現在約50%)は明らかに向上、証券市場が投資家に提供する株券やファンド等の種類も増加、社会資本の投資チャネルが拡大。上海、深セン両取引所の投資者口座数は1億を突破。株式市場の変動に多くの人々の関心が寄せられるように。
2-2 中国株式市場の概要
中国の株式市場は香港と大陸(上海、深セン)に分けており、香港市場はさらにメインボードとGEM市場、上海と深センはそれぞれA株市場とB株市場に分けられる。
2-3 中国株式市場の動向
①中国B市場は、人民元が自由に兌換できない条件の下で外資を調達する場所として、1992年2月に設立。しかし、流動性を欠くようになり、A株市場との価格差5-6倍にのぼるように→外資も次々に撤退し、現実には市場参加者の8~9割が国内個人投資家である。市場の実態が不透明になり、A株市場に比べ長期低迷状態にあり、このままではB株の存在意義が危うくなるだろうといわれていた。そこで2001年2月19日、CSRCは外国投資家に限定されていた上海B株・深センB株購入資格を外貨預金口座を持つ国内投資家にも開放。中国政府は「国内居住者、B株投資規定・細則」で「B株購入に使用可能な外貨(米ドル、香港ドル)は、銀行の外貨口座に預金された合法的外貨のみ」と規定、B株市場の透明性を高め、個人所有の外貨に用途拡大の機会をもたらした。そして、中国政府ではA・B株市場統合の計画もある。ただし、A株とB株の市場統合について、CSRCの一部では依然慎重論が出るほか、朱首相(当時)が「統合が望ましい」とのコメントを発しているものの、一般的にはあと5年~10年は諸々の準備で時間がかかると見られている。
②国有株問題、中国市場経済の発展、株式市場の育成などの面から見て、この株式構造のアンバランスが中国ではネックとなり続けていた。また、上場会社の筆頭株主である国営企業が上場会社の支配権を利用して自己の利益になる行為を行い、個人投資家の利益を損なうケースも多発していた。そこで2001年6月、中国国務院は「国有株放出による社会保障資金調達の管理暫定規則」を発表した。その主な内容は、ある企業が新株発行や増資発行する場合、調達予定資金額の10%にあたるその企業の国有株を放出し、調達した資金は社会保障制度の確立のために実質的に国に上納する、というもの。中国では社会保障体制の確立とその資金ルートの確保が長年の懸案であったが、これを上場企業の株式構造の是正とリンクさせ、いわば一挙両得的に問題を解決しようとしたのである。< /div>
第3節 中国証券市場の限界問題 (担当:鈴木)
3-1 証券市場の国際化を推進する必要がある
中国経済体制改革研究会会長の高尚全氏の指摘
① 国有企業が大陸部の株式市場を独占する枠組みを打ち破ること。
② A株とB株の株価の差を小さくし、A株とB株の最終的合併を推進すること。
③ 中国の投資銀行の順調な発展を促進すること。
④ 大陸部の上場企業の情報公開を強め、透明度を高め、投資家の権益を保護すること。
3-2 中国株式市場の限界
① 中国株式市場の規模は経済全体の規模と比べて小さい。
株式市場の時価総額対GDP比:先進国約130% 中国約10%
② 非流通株式を抱える企業が大多数
中国株式市場の上場企業の9割が国有企業
上海・深圳(シンセン)市場における国家株、法人株、流通株の比率 いずれも3分の1ずつ
③ A、B株の価格差とST銘柄問題の存在
現在、国内・海外投資家、認可を受けた企業はA、B株両方へ投資可能
補足 アメリカ「金融危機」と中国株
l 2007年8月、世界中の株式市場で株価が急落したが中国市場は堅調に推移
l 中国と香港の国別時価総額の合計が2007年9月末、米国に次ぐ世界2位の規模に
J-CASTニュース2007/10/27 http://www.j-cast.com/2007/10/17012272.html
リーマン破綻を受けて
上海総合指数が朝方、4.7%下げて2006年11月以来の2000ポイント割れ
対策 1年物基準貸出金利を7.47%から7.20%に
預金準備率を17.5%から16.5%に(非大手金融機関に限定)
http://news.goo.ne.jp/article/nbonline/business/nbonline-170609-01.html
第三章 ソウル五輪とオリンピック後のジンクス
1 韓国における経済発展と課題
①韓国経済の混乱
・1979年 「漢江の奇跡」と称された経済復興を成就した朴大統領の暗殺
・1980年 光州事件といわれる民衆の暴動が発生し、金大中大統領候補(当時)が逮捕、死刑判決を受ける
→この為、1980年には4.7%のマイナス成長となる。1981年1月には韓国総合株価指数(KOSPI)も103.12と100ポイント台になる
②ソウルオリンピック招致の影響
・ この難局を乗り切るためオリンピック招致に取り組み、1981年9月30日にソウルオリンピック開催が決定
・ 韓国総合株価指数は前人気から上昇し、7月には154.90と年初来50%の値上がり
・ オリンピックのため交通インフラの整備を行う
→1981年から1988年まで年平均GDP成長率は9.3%を達成
特に直前3年間は12%の成長
・ 高度成長を反映し韓国総合株価指数も変化
1986年2月 206.02 1988年10月 713.39 1989年9月 951.58
1981年9月のオリンピック決定時より」6.72倍の成長
③アジア通貨危機
1997年に起きたアジア通貨危機により、韓国経済は大打撃を受ける
金融部門で不良債権を抱え、ソウル証券取引は11月7日に4%下落、翌日には史上最大の7%の下落を記録。同24日には7.2%下落した。
2 オリンピック後のジンクス
オリンピック後は景気が後退するといわれている。東京オリンピック後の日本、ソウルオリンピック後の韓国、バルセロナオリンピック後のスペイン、シドニーオリンピック後のオーストラリアも景気が後退した。その原因として、開催準備段階に投資や、消費収入が激増すること、開催後に多くの競技施設が遊休状態となり多大な維持コストを生み出すことなどが挙げられる。また開催国のGDPに占める開催地のGDPの割合が大きいと、開催国のGDPへの影響が大きくなることも原因のひとつとされている。
アトランタオリンピック後のアメリカの景気が悪くならなかった背景にはアメリカの経済規模が大きく、オリンピックの影響はそれほど効いていないこと、「IT革命」というオリンピックとは別に景気のけん引役が存在したことが挙げられる。
参考 北京週報 http://www.pekinshuho.com/ty/txt/2007-12/12/content_90062.htm
|
|