連絡帳(先生から学生への連絡)

T.近代経済思想史(春学期,3年次以上生)

「近代経済思想史」(一部)「経済学史T」(二部)(春学期)練習問題の本文

(T)経済的自由主義の最初の現れは,フランスの重農主義の主張に見られたが,本格的には,イギリス古典学派の創始者アダム・スミスの主著(A.)において、提唱された。スミスは,政府による貿易管理や旧植民地帝国の維持などをこととする(B.)学説の保護主義的な政策を批判した。また,経済人の利己心の発揮を認め,生産と消費との調整を(C. )の機構に任せていると,自ずと分業が発展し労働生産力が向上し,資本蓄積の進行とともに生産的労働者が増大するので,国富は増大し,資本家・労働者・地主の階級差別にもかかわらず,富裕は社会の最底辺にまで浸透すると主張した。このような経済社会像を抱くスミスは,政府の仕事は国防・治世・公共事業などに限られるべきであるという(1)安価な政府を提唱した。また,この政府の政策としては,自由貿易と国家財政の均衡を主張した。古典学派の完成者デーヴィッド・リカードウは,(2)「穀物法」の廃止を主張し,その主著(D.)において,製造品のみならず農産物についても自由貿易を行うべきだと主張した。これに対して、ロバート・マルサスは、(3)「穀物法」の存続を主張する地主の立場を擁護した

(U)ドイツ歴史学派は,イギリスの古典派経済学に対抗して,フリードリヒ・リストによって創始された。古典派がどの国にも妥当する普遍的な理論として経済学を論じたのにたいして,リストは,経済学のあり方は国によって異なるとして,その主著(E.)等において、国民主義的経済学を提唱した。リストによると,(4)ドイツはイギリスとはことなり,国内の幼稚産業を保護するための育成関税を必要としている。リストについで,(5)旧歴史学派のヴィルヘルム・ロッシャーとカール・(F) が,国民経済の歴史的な発展法則を解明しようとした。ロッシャーによると,国民経済を通時的および共時的に比較研究すると,すべての国民とすべての段階にとっていつも絶対的に有効な制度はないという,制度の相対性が明らかになるという。新歴史学派には,グスタフ・(G)や,ルヨ・ブレンターノ,また,アドルフ・ワグナーなどが属している。最新歴史学派には,マックス・ウェーバーや,ウェルナー・ゾンバルトがいる。ウェーバーは、論文(H.)において、(6)理念型・没評価性の社会科学方法論を提唱し,それにもとづき,論文(I.)において、(7)近代資本主義の成立をプロテスタントの世俗内禁欲の倫理から説明した

(V)ドイツ社会民主党内の修正主義論争(1898-1903)は,直接的には同党の「(J.)綱領」(1891年)の第一部にみられる資本主義崩壊論をめぐる論争であった。まず,この綱領の内容から見よう。(8)カール・(K.)の執筆した第一部における資本主義発展像は,資本主義発展は資本主義崩壊にいたるというものであった。他方,エドゥアルト・(L.)の執筆したその第二部においては,普通・平等・直接の選挙権の要求などの一般的要求と,8時間標準労働日などの労働者階級のための要求が見られた。ところで,修正主義論争は(L.)による社会民主党の路線への批判に始まった。(L)は,その主著(M.)において、社会民主党の待機主義的で静観的な態度をもたらす原因である,資本主義発展=崩壊像を否定した。また,社会主義の最終目標ではなく,社会改良のための運動を強調した。これにたいして,党議長のアウグスト・(N.)や理論家(K.)が反論したが,ロシアやポーランド出身の若手の理論家である,パルブス(A.I.ヘルファント)やローザ・(O.)は,より激しく(L)を批判した。パルブスは,生産の社会化と政治組織の民主化との結合を内容とした社会革命を遂行できると主張し,(L.)の改良主義を批判した。また,(O.)は,その著書(P.)において、(9)資本主義の危機への適応能力の増大という(J.)の論点にたいして,(10)それらの発展によっても資本主義生産のもつ無政府性は克服されず,資本主義崩壊は不可避であるとした。プロレタリアートによる政治権力の獲得を経て社会主義を実現すべきだとした。最後に,(K.)は,『ベルンシュタインと社会民主党の綱領』(1898)において,(L.)に反論したが,その内容は,資本主義崩壊論の擁護に終始した。(K.)は、市場が地方市場から世界市場へと発展するにつれて,生産者が市場の動向を見通せないので,過剰生産をまねき,世界市場の場において恐慌が発生すると見た。この修正主義論争は,ドイツ第二帝政期の社会民主党の路線や帝国主義論形成にとって重要な論争であった。(L.)の見解は、その後のドイツ社会民主党の改良主義化を促進するものであった。他方、(O.)の見解は、一時期は(N)や(K)によって支持されるが、後には同党の左翼急進派にのみ継承される。

 上記の練習問題の設問

T. 次の文章を読み、空欄(AO)に適切な語句を記入しなさい。

U. 上記の文章に示された下線のある文章(1−10)に関する以下の10問の設問から5問を選び、解答しなさい。

(1)スミスは、どのような理由に基づき、安価な政府を主張しましたか。

(2)リカードウは、どのような理由に基づき、穀物法の廃止を主張しましたか。

(3)マルサスは、どのような理由に基づき、穀物法の存続を主張しましたか。

(4)リストは、どのような理論に基づき、育成関税を主張しましたか。

(5)ドイツ歴史学派の経済学方法論の特徴を説明しなさい。

(6)ウエーバーの社会科学方法論について、説明しなさい。

(7)ウェーバーの近代資本主義成立論について、説明しなさい。

(8)カール・(K)は、どのような論拠に基づき資本主義発展=崩壊論を主張しましたか。

(9)エドウアルト・(L)は、資本主義の危機への適応能力の増大を、どのような論拠により主張しましたか。

(10) ローザ・(O)は、どのように(L)に反論し、資本主義崩壊論を主張しましたか。

 

近代経済思想史の小テスト(経済的自由主義)および小テスト(歴史主義,社会主義)の解答を記入した文 章を,以下に発表します。記述テストの例も挙げておきますから,講義レジュメ,テキストなどを利用して,予習しておいてください。(2003年度作成)。

「近代経済思想史小テスト(経済的自由主義)」(解答を含む文章)

T.次の文章の空欄[ ]に,適切な語句を記入しなさい。
(1)ホッブズは,主著『リヴァイアサン』(1651)のなかで,自然状態において闘争状態にある人々は,自己保存権の保障のために互いに社会契約をむすび,絶対的権力をもつ主権者をもうけ,この国家権力により各人の生存権を保障しようとしたと論じた。また,ロックは,『統治二論』(1689)のなかで,自然状態においては人々は平和で平等に生活していたが,貨幣の発明により貧富の差が発生し,所有権の侵犯の可能性も生じたので,人々は自然権の一部を放棄し政府を形成する合意(社会契約)をむすび,市民政府が形成されたと論じた。市民政府は市民の自然権(所有権・身体生命の安全)保障するために市民によって信託された権力であり,政府がその信託に応えない場合には,市民は政府への抵抗権・革命権をもつと主張した。他方,フランスのルソーは,『人間不平等起源論』(1755)および『社会契約論』(1762)において,人間は自然状態において自由で独立した存在として平和的に生活していたが,土地の占有の開始とともに,私有財産と不平等が発生し,人々の間に戦争状態が生じたので,各自は自己の権利を共同体に譲渡したのち承認された権利として受け取るという社会契約を結び,政治的共同体を形成し,この政治体=国家が各人の福祉と平等を保障する一般意志をもって支配するべきだとした。ホッブズは近代国家を社会契約論によって根拠づけ,ロックは近代の議会制民主主義体制の理論的基礎付けをおこない,ルソーはこれを批判する直接民主主義の思想を提唱した。これらの啓蒙主義思想は,近代の民主主義と自由主義の思想的源流をなすものである。

(2)経済的自由主義の最初の現れは,フランスの重農主義における,農業者の耕作の自由や取引の自由の主張に見られたが,本格的には,イギリス古典学派の創始者アダム・スミスの経済思想(主著『国富論』1776)において提唱された。スミスは,政府による貿易管理や旧植民地帝国の維持などをこととする重商主義の保護主義的な政策を批判した。また,経済人の利己心の発揮を認め,生産と消費との調整を市場経済に任せていると,自ずと分業が発展し労働生産力が向上し,資本蓄積の進行とともに生産的労働者が増大するので,国富は増大し,資本家・労働者・地主の階級差別にもかかわらず,富裕は社会の最底辺にまで浸透すると主張した。このような経済社会像を抱くスミスは,政府の仕事は国防・治世・公共事業などに限られるべきであり,それを担う軍人・裁判官・官吏の労働は有用な労働であるが富を生産しない不生産的労働であるとして,安価な政府を提唱した。また,この政府の政策としては,自由貿易と国家財政の均衡を主張したのである。古典学派の完成者デーヴィッド・リカードウは,主著『経済学および課税の原理』(1817)等において,外国からの安価な穀物の輸入を阻止し,高穀物価格と高地代を可能にし,地主の利益に役立つ,「穀物法」の廃止を主張し,製造品のみならず農産物についても自由貿易を行うべきだと主張した。

(3) 19世紀中頃になってくると,J.ベンサムが,功利主義(公益主義)を提唱し,人間は快楽(幸福)を追求し苦痛(不幸)をさけることを行為の基準としているので,最大多数の人々が最大多数の幸福を得られる状態が望ましいとし,諸個人の自由な幸福追求と彼らの間の調和の両立を目指した。J.S.ミルは,ベンサムの功利主義の立場とリカードゥの経済学を継承し,主著『経済学原理』(1847)を著し,古典経済学を再編した。かれは,歴史主義と社会主義の思想に対抗し,自由競争と市場メカニズムに基づく資本主義生産の有効性を確信していたが,富の社会的な分配においては不平等が発生していることを認め,国家による所得の再配分的な政策によって,社会諸階級の間の公平な分配を実現すべきだとした。政府は,累進課税,高率相続税,土地国有化による地代収入の国有化などにより,財源をつくり,これを貧困者に分配することによって,公平な分配を実現しうるとした。こうして,後の福祉国家論に繋がるような議論をも行ったのである。

(4)1870年代に始まる限界効用学派の,ケンブリッジ学派やオーストリア学派も,その思想的な立場としては,経済的自由主義に立っていた。前者の創始者であるアルフレッド・マーシャルは,ダーウィンの進化論やJ.S.ミルの功利主義の影響を受けつつ,古典学派の経済学の「現代的改訳」を試みたといわれる。かれは,主著『経済学原理』(1890)において,ミクロ経済学の基礎を作った。かれは,生産費説を残しつつ,需要の側面を限界効用価値説によって補った。生産費は主要費用(原料・労務費・設備の磨滅部分)と補足的費用(資本利子等)とからなるとみた。また,生産物の価値は,短期的には限界主要費用を中心に動くが,長期的には主要費用と補足費用とを含む総生産費によって決定されると見た。つまり,短期と長期という時間的要素を経済学に導入した。また,外部経済と内部経済,代表的企業,需要の弾力性などの新しい概念を提出した。かれは自由競争のおこなわれる市場経済によって,労働と資源は効率的に各産業分野に配分され,資本蓄積と技術進歩は労働者の賃金上昇をももたらすとみた。
オーストリア学派の創始者カール・メンガーは,ドイツ歴史学派の代表グスタフ・シュモラーと経済学の方法について論争し,経済学は自然科学にも比べられる精密科学として樹立されるべきだとした。かれは,ジェボンズ,ワルラスとともに,限界効用価値説を提唱した。主著『国民経済学原理』(1871)において,限界効用逓減法則と限界効用均等法則を含む限界効用価値説を論じた。さらに,消費財の価値は限界効用価値説によって決定されるが,生産財の価値はそれを用いて作られる消費財の予想価値によって決定される。つまり,生産財の価値は,消費財の価値から帰属させることができるという帰属理論を提唱した。メンガーの場合も,その経済学の基礎には,市場における自由競争が,効率的な資源配分を可能とするという経済的自由主義の思想があった。            

U.記述問題
(1)ホッブズ,ロック,およびルソーは,人間の自然権についてどのように考えたのか。
(2)スミスは,安価な政府の主張をどのように理由づけたのか。
(3)ミルの分配社会主義とは,どのような主張か。
(4)限界効用学派の限界効用価値説について説明せよ。また,古典学派の労働価値説との相違点についても述べよ。

近代経済思想史小テスト(歴史主義・社会主義) 

T.次の文章の空欄に適切な語句を記入しなさい。

(A)  本文

(1)ドイツ歴史学派は,イギリスの古典派経済学に対抗して,フリードリヒ・リストによって創始された。古典派がどの国にも妥当する普遍的な理論として経済学を論じたのにたいして,リストは,経済学のあり方は国によって異なるとして,『政治経済学の国民的体系』(1841)を著し,国民主義的経済学を提唱した。リストによると,経済発展の遅れた段階(農業・工業段階)にあるドイツは,経済発展の進んだ段階(農業・工業・商業段階)にあるイギリスとはことなり,国内の幼稚産業を保護するための育成関税を必要としている。リストについで,旧歴史学派のヴィルヘルム・ロッシャーとカール・クニースが,国民経済の歴史的な発展法則を解明しようとした。ロッシャーによると,国民経済を研究するためには,現代の経済関係の観察だけでなく,以前の文化段階の研究もすべきであり,また,現代のできる限り多くの諸国民の経済生活をも観察すべきである。このように諸国民経済を通時的および共時的に比較研究すると,すべての国民とすべての段階にとっていつも絶対的に有効な制度はないという,制度の相対性が明らかになるという。新歴史学派には,社会問題にたいして社会政策の必要性を主張し,社会政策学会を創設したグスタフ・シュモラーや,労働者の団結権を認め,工場法や社会立法による労働者保護の必要性を主張し,講壇社会主義者とよばれたルヨ・ブレンターノ,また,ビスマルク統治期にその国家主義的財政・社会政策を擁護したアドルフ・ワグナーなどが属している。最新歴史学派には,理念型・没評価性の社会科学方法論を提唱し,それにもとづき,『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」』(1904-1905)において,近代資本主義の成立をプロテスタントの世俗内禁欲の倫理から説明した,マックス・ウェーバーや,ウェルナー・ゾンバルトがいる。

(2)カール・マルクス(1818-1883)は, 『ライン新聞』編集者として, 社会活動を始めたころには,ヘーゲル左派の立場から, 封建的で専制的なドイツ社会の民主主義革命をめざし,ヘーゲル『法哲学』における自由を実現した倫理的実体としての国家という観点から,プロイセン政府の出してくる言論統制などの反動的立法を批判していた。しかし,森林盗伐法の批判をおこない,初期の社会主義・共産主義の思想と直面するなかで,改めてヘーゲル哲学, 古典経済学 および初期社会主義などの当時の思潮を検討し, 自己の思想を形成する必要を痛感するにいたった。その最初の成果が『経済学・哲学草稿』(1844)であった。同書の「疎外された労働」論は, かれの資本主義社会への最初の理論的批判であった。そこではかれは,自由で目的意識的生産活動をおこなうことが人間の類的本質であるという人間観から,私有財産制度の支配する資本主義社会においては,賃労働者の労働が疎外された労働に転化しているところにこの社会の問題があるとみなした。そして,疎外された労働をば, 労働者から労働生産物が疎外されていること, 労働が労働者にとって外的で疎外されたものになっていること,賃労働者にとって労働はかれの個人的生活のための手段になっているのでかれからは人間の類的本質が疎外されていること, 人間と人間との対立が生じていることなど,四つの側面から規定したのである。このようにこの段階では, マルクスは啓蒙主義の自然法思想のように,人間の自然についての見解にもとづき, 現実社会の人間の置かれた状態を批判するという仕方で,資本主義社会を批判した。したがって,そこでは近代啓蒙思想( ブルジョワ思想) とよく似た思想構造にたって,現実の人間労働や社会制度を批判していたのである。                 

(3)ドイツ社会民主党内の修正主義論争(1898-1903)は,直接的には同党のエァフルト綱領(1891年)の第一部にみられる資本主義崩壊論をめぐる論争であったが,その後の同党の路線や,帝国主義論の成立にも影響を及ぼした重要な論争であった。まず,この綱領の内容から見よう。カール・カウツキーの執筆した第一部における資本主義発展像は,小経営の没落,プロレタリアートとブルジョワジーとの間の階級対立の激化,生産の増大に比べての大衆の消費の制限により恐慌が広範囲で破壊的になることなどの結果として,資本主義発展は資本主義崩壊にいたるというものであった。他方,エドゥアルト・ベルンシュタインの執筆したその第二部においては,普通・平等・直接の選挙権の要求,言論・結社・集会の自由,法律における男女平等の取扱などの一般的要求と,8時間標準労働日,児童労働の禁止,団結権の保障,国家による全労働者保護の引き受けなどの労働者階級のための要求が見られた。ところで,修正主義論争はベルンシュタインの社会民主党の路 への批判に始まった。ベルンシュタインは,社会民主党がもっと積極的に社会改良活動に取り組むことを要求し,このために,社会民主党の待機主義的で静観的な態度をもたらす原因である,資本主義発展=崩壊像を否定した。また,社会主義の最終目標ではなく,社会改良のための運動を強調した。これにたいして,党議長のアウグスト・ベーベルや理論家カウツキーが反論したが,ロシアやポーランド出身の若手の理論家,パルブス(A.I.ヘルファント)やローザ・ルクセンブルクは,より激しくベルンシュタインを批判した。パルブスは連続論文「ベルンシュタインによる社会主義の転覆」(1898)において,資本集中法則の作用により中間層の階級分解は進展し,資本家と労働者との階級対立は明確になっており,また,工業生産力も高度に発展しており,プロレタリアートによる政治権力獲得の条件も成熟しているので,生産の社会化と政治組織の民主化との結合を内容とした社会革命を遂行できると主張し,ベルンシュタインの改良主義を批判した。かれは資本主義崩壊論にもとづかず,社会革命の主体的条件の成熟という観点から,社会革命の現実性を主張した。また,ルクセンブルクは,『社会改良か革命か』(1899)において,信用制度およびカルテル・トラストの発展による資本主義の危機への適応能力の増大というベルンシュタインの論点にたいして,それらの発展によっても資本主義生産のもつ無政府性は克服されず,資本主義崩壊は不可避であるとした。また,彼女は,社会改良による社会主義の漸次的な導入というベルンシュタインの構想に反対し,資本主義社会における国家の立法による社会改良は社会主義的でものといえないと批判した。あくまで,プロレタリアートによる政治権力の獲得が重要だとした。最後に,カウツキーは,『ベルンシュタインと社会民主党の綱領』(1898)において,ベルンシュタインに反論したが,その内容は,資本主義崩壊論の擁護に終始した。カウツキーは,ベルンシュタインの論点を,「有産者の数は減少しないで増加すること」(資本集中法則の否定)および「包括的なそして破壊的な恐慌はますます少なくなること」(恐慌激化の否定)に要約し,これらに反論した。前者への反論では,統計資料を用いて反論したが,株式会社制度における株主数の増加を有産者の増加と見るベルンシュタインの見解を批判し,資本の所有と経営遂行との分離にすぎないと反論した。また,後者への反論としては,市場が地方市場から世界市場へと発展するにつれて,生産者が市場の動向を見通せないので,過剰生産をまねき,世界市場の場において恐慌が発生すると見た。このようにこの修正主義論争は,ドイツ第二帝政期の社会民主党の路線や帝国主義論形成にとって重要な論争であった。

(B) 次の問題について,論じなさい。 (記述問題)

  1. 歴史学派の経済学方法論の特徴について,リストとロッシャーの見解に触れつつ論じなさい。

  2. 初期マルクスの「疎外された労働」論について,説明しなさい。

  3. 修正主義論争の論点を一つ挙げ,それについてのカウツキーやルクセンブルクなどと,ベルンシュタインの見解の相違につ いて 論じなさい。

 

U.近代経済学史(秋学期,3年次以上生履修)

 〔秋学期の近代経済学史の講義の要旨)

 (1)マルクス経済学の展開の要旨−−帝国主義論争,帝国主義論の類型,組織資本主義論および国家資本主義論−− 

 帝国主義論争および帝国主義論の類型については,永井義雄編著『経済学史概説』(ミネルヴァ書房) の なかの,「ドイツ・マルクス主義の展開」(拙稿)という章,および『ヒルファディングの経済理論』(梓出版社)の第四章「ヒルファディングの帝国主義」を参照してほしい。

また,組織資本主義論および国家資本主義論については,『ヒルファディングの経済理論』の第5章およびポロックに関する私の論文および翻訳を参照してほしい。

以上のいずれにいても,配布したレジュメ(ホームページ上のレジュメ)を参照してほしい。

(2)近代経済学史講義の要旨╶─╴限界効用学派からケインズ,シュムペーターまで−−

(1)限界革命と限界効用学派
  限界革命とは,1870年頃に,メンガー,ワルラス,ジェボンズ等によって行われた,経済学の革新であり,限界効用の概念をもちいて,価値論や分配論などの基礎理論を改革しようとしたものである。メンガーの『国民経済学原理』(1871),ワルラスの『純粋経済学要論』(1874-77),ジェボンズの『経済学の理論』(1871),およびによって,論じられた。かれらの論じた限界効用価値説は,限界効用逓減法則と限界効用均等法則とを含んでいる。
  メンガーは,経済学とは精密的方法により経済における精密的法則を発見するものと定義し,消費財の価値を限界効用にもとづき説明しただけでなく,生産財(高次財)の価値も消費財(低次財)の価値に還元して説明できるとみる,帰属理論を提起した。
  ワルラスは,完全な自由競争のもとでの価格形成を,数学的な方法によって解明しようとした。かれは,社会的富を収入と資本に分類し,資本をさらに土地資本,人的資本(労働力)および動産資本に分類した。また,経済主体として,地主,労働者,資本家などの用役の供給者と,その用役の需要者としての企業家とを区別した。そして,用役市場,生産物市場,資本財市場の三つの市場を区別した。ワルラスの一般均衡理論は,自由競争市場における財貨と用役の均衡価格,それに対応する財貨と用役の均衡需要量を,それらを未知数とする連立方程式を立てることによって,決定することであった。この理論の特徴は,完全競争均衡,静態,単一期間分析,長期均衡分析,完全雇傭均衡などであった。
  ジェボンズは,経済学を数理科学と定義し,それが精密科学として成立するための条件として統計資料の整備をあげた。かれは限界効用価値説を解明しただけでなく,それにもとづいて,交換理論を説明した。かれのこの点での結論は,「いかなる2財の交換比率も,交換が完了した後,消費しうる財の数量の最終効用度(限界効用のこと╶─╴引用者)の比の逆数である」という命題であった。
  ジェボンズは学派を形成しなかったが,マーシャルはピグー,ケインズなどの継承者をもつ,ケンブリッジ学派を形成した。マーシャルの『経済学原理』(1890年)によれば,商品の交換価値は需要側の要因と供給側の要因の相互作用により決定される。需要側の要因には効用を,供給側の要因には生産費を置いた。マーシャルは,商品価値の決定にあたっては,短期的には需要側の要因が大きく働き,長期的には供給側の要因が大きく作用すると見た。また,収益法則(収益逓増法則など),内部経済,外部経済,代表企業などの概念を提出した。ワルラスが一般均衡理論を提起したのに対して,マーシャルは部分均衡理論を提出した。マーシャルは,おもにミクロ経済学を論じた。
  メンガーに始まる学派がオーストリア学派であり,ワルラスに始まる学派がローザンヌ学派である,マーシャルに始まる学派がケンブリッジ学派である。  

問題 
(1)限界革命とは何か。また,限界効用価値説,限界生産力説とは,どのような理論か。(2)ワルラスの一般均衡理論とは,どのような理論か。また,その特徴は何か。
(3)マーシャルの部分均衡理論とは,どのような理論か。また,収益法則,内部経済,   外部経済,代表企業などの概念を説明せよ。                                                         (2)ケインズとケインズ革命
  ケインズ経済学が登場してきた社会的背景としては,1929年の世界恐慌の勃発にはじまる長期の不況と膨大な失業者の発生がある。こうした状況は,ファシズムやナチズムをうみ,第二次大戦の遠因になった資本主義体制の危機であった。こうした状況にたいして,当時,支配的であった新古典派経済学(ケンブリッジ学派)は,有効な政策を打ち出せなかった。この学派の基本的特徴は,宮崎義一氏によれば,方法論的個人主義にもとづく原子論的社会観,セー法則ないし貨幣数量説にたつ貨幣ベール論,独立生産者的な労働者観,調和論的景気観,自由放任主義などであった。
  ケインズ(1883-1946)は,マーシャルの弟子であったが,マーシャルが価格を中心に経済学を構想したのに対して,有効需要を重視し,所得を中心に経済を分析するマクロ経済学を構想した。ケインズ革命とは,このミクロ経済学からマクロ経済学への転換と,需要重視の経済学への転換などを,意味している。
  ケインズは,世界恐慌のもたらした失業問題にたいして当時の支配的経済学が対処できないという状況から出発し,不完全雇傭の発生するメカニズムと完全雇傭を達成するためのあるべき政策に関心をいだいていた。そこで,かれの理論の構造は,雇傭量がどのように決定されるかという問題に収斂する形で,構成される。すなわち,一国の雇傭量は,その国の生産量=所得量により決定され,後者は消費需要と投資需要の合計としての総有効需要量によって決定されるとみなし,消費需要と投資需要がどのようなメカニズムによって決定されるかを問題にする。
  消費需要は,労働者と利子生活者からなる家計による消費財への需要であり,その大きさは家計の所得の大きさと消費性向によって決定される。つまり,消費者の消費行動により決定される。他方,投資需要は,企業の生産財や人的資源(労働者)への需要であり,企業家の投資行動によって決定される。企業家は,利子生活者から融資された資金を用いて,生産財や人的資源を購入し,企業活動を行う。したがって,かれの投資行動は,資本の限界効率(投資の限界効率)と利子率とを考慮しながら行われる。この資本の限界効率は,ある資本からの期待利益とその供給価格との関係によって決定される。また,利子率は,流動性選好と貨幣供給量によって決定される。
  ケインズの不完全雇傭均衡の想定とは,不完全雇傭すなわち非自発的失業者の存在を前提に理論を組み立てることである。ケインズによれば,賃金は,生産費の一部であるだけでなく,有効需要の一部であり,失業問題の解決には,賃金引き下げよりも,賃金増大による有効需要の増大が,有効である。ケインズの有効需要の原理とは,伊藤光晴氏によれば,「経済の規模は,社会全体の中の大きさによって支配されるということ」である。ケインズは,N人の労働者が雇傭されているときの総供給額Zをしめす総供給関数 Z=φ(N)と,企業がN人の労働者の雇傭から期待する収入Dをしめす総需要関数D=f(N)とが,交わる点において,雇傭量と有効需要とが同時に決定されるとみた。つまり,有効需要量を決定する事情が,同時に,雇傭量を決定する事情であることを明らかにした。  また,ケインズは,投資の増加と所得の増加との関連を,乗数理論によって説明した。 消費性向が一定の場合に,所得の増加は,投資の増加の乗数倍になるとみた。投資乗数Kは,K=1/(1−C)=1/S できまるとした。ただし,Cは限界消費性向,Sは限界貯蓄性向である。     

「近代経済学史」(秋学期,2単位)の練習問題     

  1. 限界効用価値論について説明しなさい。また,ジェヴォンズまたはマーシャルの経済学説の特徴について述べなさい。

  2. ケインズの有効需要の原理とはなにか。また,一国の総有効需要を決定する事情について説明しない。

  3. シュムペーターの経済発展論における企業者の役割について述べなさい。また,初期から後期にかけて,かれの企業者についての評価は,どのように変化したか述べなさい。

  4. 帝国主義論の二つの類型を挙げ,その代表的な理論家と著作を挙げなさい。また,それぞれの理論の内容について,説明しなさい。

  5. ヒルファディングの金融資本の概念と金融資本の資本蓄積の特徴を述べなさい。さらに,第一次大戦後の組織資本主義論の特徴について述べなさい。

  6.  

V.「経済学史T」(春学期),「経済学史U」(秋学期)(いずれも2年次生以上)

「経済学史T」(春学期)練習問題

T、次の文章を読み、空欄(  )に、適切な語句を記入しなさい。

(1)    古代の経済思想;

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、著書(A)のなかで、家計やポリスの財政を取り扱う家政学(oikonomia)について述べている。ポリス(古代ギリシャの都市国家)は、自由で平等な人々の政治的共同体である。人々は孤立した存在ではなく、結合し共同体をなして生きる存在である。ポリスには、共同体の幸福を作り維持するための法が存在する。法は正義と関係している。正義には、一般的正義と特殊的正義があり、前者は法にかなうこと、つまり適法ということであり、後者は、平等ということである。(1)特殊的正義には、配分の正義、規制の正義、および交換的正義がある。アリストテレスの理想は、農業中心の自然経済に基づく自給自足的な経済とそれと結びついた国家であった。

(2)    中世の経済思想;

聖トマス・アクイナス(1225-74)が、著書(B)のなかで、神学問題以外に、経済問題を論じている。トマスの経済についての見方は、経済的利害は「人生の本務である救いに従属している」こと、経済的行為は「人格的行為の一面であるから・・・道徳の規範に拘束されている」ことである。トマスによると、物財は本質的に神のものであり共有性をもつが、人間はそれを「取得し分配する権能」と、「それらを使用する権能」をもつ。ところで、私有財産の使用については、トマスは「寛厚」(気前の良さ)をすすめ、「貪欲」と「浪費」を戒めている。財産使用に当たっては、「外的諸物を事故のものとしてではなく、公のものとして、すなはち、何人も、他人の困窮に向かっては容易にこれを分かち与える心がけで所有しなくてはならない」と論じている。トマスによると、正義は、「意志の働き・行為」であり、他の徳に優越する一般的徳である。正義には、一般的正義(法律的正義)と個別的正義(配分の正義と流通の正義)の二つがある。(2)配分の正義は、公共的諸物を個人に配分する際の正義で、比例(幾何学的中庸)に従う。流通の正義は、物と物との交換における正義で、均等性(算術的中間性)に従う。さらに、トマスは、「公正価格」が、商人の経費を償い、身分相応の生活を営みうるための利潤を含みうるものとした。また、契約によって利子を受け取ることは罪であるが、「無償の贈り物としてうけとるのであれば、罪にはならない」と見た。そして、「何らかの善のために、利子を支払うことを条件に金を借りることは許される」と、職分としての金融業を認めていた。また、富そのものも、徳の善のためには必要と見た。

(3)    重商主義;

近代の経済思想は、重商主義学説に始まる。スペインとポルトガルは、地理上の発見によって可能になった遠隔地貿易を開始した最初の重商主義国家であった。これらの国は、アメリカ大陸とアジアに巨大な植民地を獲得し、金、銀、東洋物産を略奪した。その後、オランダ、イギリス、フランスなどが、あいついで、重商主義政策をとり、植民地を獲得し遠隔地貿易を実行した。このうち、イギリスの重商主義は、その政策と思想の発展が、典型的であった。(3)重商主義は資本の本源的蓄積のための政策体系とそれに関する経済思想である。政策主体としての国家の性格の相違から、絶対王政国家が遂行した王室重商主義から、市民革命期をへて、議会制国家が遂行した議会重商主義へ移行したといえる。こうした時代区分におうじて、学説についても、前期重商主義、市民革命期の重商主義、後期重商主義の三つに区分される。前期重商主義には、ジョーン・ヘイルズ、トーマス・マン、ジョサイヤ・チャイルドなどがいる。ヘイルズは、その著『イングランド王国の繁栄についての一論』(1549)において(4)重金主義と取引差額主義を提唱した。また、トーマス・マンは、東インド会社の重役として同社の東インド貿易を擁護する著書(C)(1621)や『外国貿易によるイングランドの財宝』(1664)を刊行し(5)貿易差額主義を提唱した。市民革命期の重商主義には、ウィリアム・ペテイと、ジョン・ロックとがいる。クロムウェル軍の軍医であったペテイは、『アイルランドの政治的解剖』(1691)、『租税・貢納論』(1662)、(D)(1690)などの著作を発表した。かれは経済統計・社会統計を用いて、当時のアイルランド、イングランド、オランダ、フランスなどの社会を、経験的にまた数量的に把握し、推計論的方法により将来の変化を予想しようとした。また、「土地は富の母であり、労働は富の父である」という言葉を述べ、投下労働を価値の源泉とし、労働時間をその尺度とする(E)説を提出した。他方、イギリス経験論の哲学者ロックは、その著『統治二論』(1690)において、フィルマーの族長論を批判し、名誉革命を根拠づける市民政府論を提唱した。(6)社会契約説による市民政府の形成を論じる中で、かれは市民の私有財産を労働によって根拠づける労働所有権論を提唱した。また、前期重商主義者チャイルドの利子引き下げ論にたいして、自然利子論を主張した。後期重商主義では、ジェームス・スチュアートが、(F)(1767)を刊行し、国家が重商主義政策によって入手した貨幣を持続的に流通過程へ供給することにより、農業と工業との分業を発展させるべきとした。つまり、国家は保護政策により工業化を促進するべきだとみた。譲渡利潤以外に、インダストリの成果としての積極的利潤に注目した。他方、スミスの年上の友人であり経験論哲学者でもあったデービッド・ヒュームは、(G)(1752)において、商業、奢侈、利子、貿易差額、租税、公信用などの経済問題を論じた。かれは、スチュアートとは異なり、経済発展は国家の人為的政策によってではなく、インダストリーの自律的発展によっておこなわれ、奢侈・我欲・勤労・技芸などの人間の自然的な性向がその原動力であると見た。また、貨幣を主として交換手段と捉え、(7)機械的な貨幣数量説に基づく貨幣量の自動調節機能論を提唱し、保護貿易ではなく自由貿易を提唱した。政策的には、スミスの自由主義の先駆者であった。

(4)    重農主義

フランスの絶対王政は、フランス型重商主義であるコルベール主義を取ってきた。これは外国向け高級工芸品の製造業を保護し、労働者や農業者の利益を抑圧する体制であった。しかし、ルイ15世の対外政策の失敗や16世の放漫な財政運営によって、18世紀末には、財政危機と社会政治危機に陥った。フランソアー・ケネーの重農主義は、コルベール体制の行き詰まりと絶対王政の危機を、農業の再建を通じて克服しょうとする試みとして、提唱された。こうした社会的政治的危機に対応するフランス社会思想には、三つの潮流があった。ひとつは、「合法的専制主義」と呼ばれるもので、絶対王政に対して自然法に基づく統治を求めるものであった。ブルジョワ出の貴族や地主階級に支持され、農業経営に対する規制を批判していた。第二は、(H)を主張するもので、イギリスの立憲君主制に範をとり、議会によって王権を制限しようとする。「百科全書派」と呼ばれる啓蒙主義者に代弁され、産業ブルジョアジーと中産階級に支持されていた。第三は、(I)を主張し、革命によって国王と特権階級を排除し、徹底した民主主義を実現しようとする。ルソーとその信奉者によって理論的に代弁され、都市の下層の手工業者や農村の貧しい零細農民によって支持された。1789年に始まるフランス革命は、第一の潮流の改革の失敗後、第二の潮流によって開始され、第三の潮流によって収拾された。(8)ケネーの経済思想は、人間社会には「物理法則」と「道徳法則」からなる「自然法則」があり、この自然法則にしたがって経済・社会は運営されるべきだというものであった。それは、商業の代わりに農業を再建し、農業が地主にもたらす地代に課税することによって、国家の財政危機を克服しようとする。また、農業経営を発展させるために、「良耕」と「良価」という自由主義的な政策をとるべきとする。(9)ケネーは、「純生産物」という概念を提出し、これを基準に、「生産的労働」と「不生産的労働」を区別した。また、これに基づき三つの階級を区別した。また、(10)農業者が農業経営において生産のために使用する資本を「原前払い」と「年前払い」とを区別した。 (11)こうした資本理論に基づき、一国の経済の運動(生産―分配―流通―消費―再生産)を「経済表」という一枚の表で説明した

(5)    古典学派の成立;

イギリス古典学派の創始者アダム・スミスは、スコットランドのカーコルデイーに生まれ、グラスゴー大学とオックスフォード大学で法学を学んだ。グラスゴー大学の道徳哲学の教授になり、著書(J)(1759)において、道徳的判断の基礎となる人間感情である「同感」の働きについて論じた。後、バックルー公の家庭教師として、フランスに滞在中に重農主義の経済理論を吸収し、スチュア−トなどの重商主義を批判することによって、自由主義的な経済思想に立つ、主著『国富論(諸国民の富の本性と原因に関する研究)』(1776)を発表した。(J)においては、まず、徳の判断能力としての同感の原理を解明する。スミスは、行為者の原本的感情が道徳的に適正であるかどうかは、それが観察者の同感的感情に一致するかどうかによってきまるということから、出発する。観察者は、行為者のおかれた立場に想像上身をおくことによって、かれの感情に同感でき、同感できる限りで行為者の原本的感情を道徳的に是認する。他方、行為者も観察者の立場に身を置くことによって、自分の感情を抑制する。また、行為者と観察者との立場の交換は、想像上だけでなく現実上もなされる。この両者の交換が進展するなかで、(K)が成立する。そして、この(K)の同感が、行為者の感情表現の道徳的適正さを判断する基準になるという。次に、(12)徳の内容については、道徳哲学体系の三部門である(L)世界・(M)世界・(N)世界の三部門の基礎をなす徳性、すなはち「仁恵の徳」「正義の徳」「慎慮の徳」の三つを挙げ、その特徴を述べ、評価している。『国富論』は、最初の2編が理論編で、国富を土地と年々の労働の産物、したがって必需品と便宜品と捉える国富観がしめされ、国富増進策として、(13)1篇では「作業の分割」と「職業の分化」の両方を含む分業の発達による生産力の向上があげられ、 (14)2編では資本蓄積の進展による生産的労働者(製造業や農業に携わる労働者)の増加が挙げられる。国富増進策を中心にしながら、価値、貨幣、価格、分配(賃金・利潤・地代)、資本蓄積、信用の役割などが論じられる。第3編では、ヨーロッパの重商主義政策を基軸にした経済発展が、(0)というスミスの投資理論から見ると誤った道であると主張される。第4篇では、過去の経済学説(重商主義と重農主義)が検討される。最後に、(15)5編では、国家の果たすべき課題から初めて、自然的自由の体制の下での国家の財政について論じ、いわゆる「安価な政府」論を展開している。

上記の練習問題の設問

T,上記の文章の中にある空欄(A−O)に、適切な語句を記入しなさい。

U、上記の記述中の下線の付された文章について、問いに答えなさい。

(1) それぞれの正義について説明しなさい。

(2) ふたつの正義の相違について説明しなさい。

(3) 本源的蓄積(原始的蓄積)とは何か。

(4) ふたつの専門用語を説明しなさい。

(5) 専門用語を具体的に説明しなさい。

(6) 労働所有権論による私有財産成立を説明しなさい。

(7) 貨幣数量説と貨幣量の自動調節機能論について説明しなさい。

(8) 人間社会の「物理法則」と「道徳法則」について説明しなさい。

(9) ケネーの生産的労働と不生産的労働との区別について説明しなさい。

(10) 原前払いと年前払いとの違いを説明しなさい。

(11) 経済表を描き、説明しなさい。

(12) 三つの徳の内容を説明し、それについてのスミスの評価を述べなさい。

(13) 何故分業は生産力を改善するとスミスは考えていたか、説明しなさい。

(14) スミスによる生産的労働者と不生産的労働者の区別について述べなさい。

(15) スミスはどのような根拠により安価な政府を主張していますか。