近代経済学史」の参考資料  

(秋学期,2単位,3年生以上履修可能)

第二部 限界効用学派からケインズ,シュムペーターまで

T. 限界効用学派

 1.「ジェヴォンズの経済学」(イギリス)

(井上琢智、ジェヴォンズー科学者から経済学者へー、橋本昭一・上宮正一郎編『近代経済学の群像』有菱閣、1998、第二章)

 1.思想の形成と時代背景

 ジェヴォンズ(W.Stanley Jevons,1835-1882)

 時代の背景

    貿易港リヴァプールに生まれる。

    産業革命と自由貿易政策の時代。

    自由貿易政策実現の流れ(1839年マンチェスターでの反穀物法同盟の結成、1844年ピール条例の成立、1846年穀物法の廃止、1849年航海条例の廃止、1853年関税統一法制定、1860年英仏通商条約締結)。

    1870年代以後、社会問題が深刻化(産業停滞、労使対立、貧困、失業問題)

生涯

    リバプールの中産階級、祖父W.ロスコー、父トマス・ジェヴォンズ(鉄商)

    ユニヴァーシテイー・カレッジ(一般教養重視)に学ぶ。―→数学者A.ド・モルガン、化学者A.W.ウィリアムソン

    1854年に、シドニーの王立造幣局の分析官に就任。気象学の研究により統計学的手法を学び、オーストリア鉄道の拡大・国有化問題に関心をもつ。

    1859年に帰国後、数学、経済学を研究。科学にとって、数学的厳密性、体系性、実証性・精密性が、重要と指摘。―→

    1862年、イギリス科学促進協会の経済学・統計学部会での二つの報告、「経済学の一般的数学理論に関する論及」と「景気の周期変動」に関する研究」

    1862年、『石炭問題』出版―→ 地質学的研究と経済分析。応用経済学者。

    1963年、マンチェスターのオウエンズ・カレッジのチューター就任。

    1865年、経済学の講師。

    1866年、論理学および精神・道徳哲学の教授、コブデン講座(経済学)の教授。

    国際通貨王立委員会(1868)で証言。

    統計協会での講演(「国際通貨会議とわが国イギリスへの国際通貨の導入」)―→ 金本位制の維持と国際通貨の導入の必要性を主張。

    経済学教授、マンチェスターのオウエンズ・カレッジ(1876−81)、ロンドンのユニヴァーシテイ・カレッジ(1876-81)。

    1883年8月13日、ヘイステイングちかくのベックスヒルの海で溺死。

2.記号論理学への道

・論理学と数学との結合

R.ホエートリー『論理学綱要』(1826)―→ハミルトンー→ド・モルガン、プールにより、論理学と数学との結合。

    論理学を数学の一部門とする道と、論理学を厳密化し、数学の基礎にする道。

    1864年、『純粋論理学』――→論理学の演算は、数学の乗法と除法に対応。

数学が論理学から作られるべきと主張――→フレーゲ、ラッセルへの道。

    論理学を基礎にして数学が成立し、その上に科学が科学として成立すると考えた。

    ミルを批判して、論理学と数学との結合を主張―→推論の厳密性と検証の精密性とを区別すべきとした。

3.科学方法論

・ 1876年、経済学クラブ、

『国富論』出版100年記念の討論会開催。

    論題 (1) 経済学の科学性とその方法論。(2) 自由放任政策の転換。

    第一の問題――→リカード正統派のローは、スミスを人間の行動や倫理上の行為についての演繹的で論証的な科学を創造した経済学者と評価。だが、イギリス歴史学派に属するロジャースは、スミスを歴史的事実を重視する帰納法論者として評価した。

    ジェヴォンズの立場表明――→講演「経済学の将来」(1876)。

    経済学を純粋に帰納的・経験的学問にしてしまうことに反対し、スミスのように、帰納法と演繹法とを正しく組み合わせた、真の帰納法を提唱。これがまた、ニュートンの科学方法論であった。

4.ニュートンの科学方法論と経済学

・数理科学化と実証科学化

 ジェヴォンズは、自然科学史研究により、経済学も、数学化と実証化を推進さえすれば、科学となりうるであろうと信じた。

・数学上の厳密性を追求する数理科学と、精密性を追及する実証科学との区別を重視し、自然科学同様に、経済学も数理科学にも実証科学にもなりうることを明らかにした。

    経済学の数理科学化――→経済事象が量的な大小関係をもつ。経済学は、快楽・苦痛の微積分学として、取り扱いうる。

    1879年、『経済学の理論』第二版刊行――→経済学への新しいテクニカル・タ−ムの導入。正の効用・零の効用・負の効用、正の価値・零の価値・負の価値、商品・負の商品などを導入。また,Political Economyという用語を放棄し、Economicsという用語を導入。

    実証科学としての経済学

    実証のためのデータの整備が必要。測定論(『科学の諸原理』1874)を考察し、その内容を『経済学の理論』第二版に追加。経済統計の処理に伴う、期間分析の重要性を明らかにした。

    統計データの整備のために、全国調査をする官庁の設立と各官庁の統計データ間の統一化を強調。

    ジェヴォンズは、コントやスペンサーの社会学の主張する科学の総合化に反対し、経済学をより細分化し、分業することを明言した(『経済学原理』1905)。具体的には、商業統計、数理経済学(抽象理論)、政策(応用)の細分化を主張。

    ジェヴォンズは、経済学を、ニュートン力学をモデルとして、形成し、体系化しようとした。

    経済学の数理科学化を促進した。数理経済学の隆盛と、計量経済学の発展を予想した。

他方、社会・道徳科学の研究対象が複雑で、かれの真の帰納法の方法では、理論の発見・検証は困難であることを、前掲書第二版で認めた。

5.ジェヴォンズの経済学史

・経済学の真の体系

    『経済学の理論』初版においては、「スミスがこの経済学の基礎を築き、マルサス、J.アンダーソンおよびN.W.シーニオアが重要な学説を付与し、リカードが全体を体系化し、J.S. ミルが、その細部を補っていた」との見解を示した。

・ しかし、『経済学の理論』第二版では、「経済学の真の体系」を、「スミス→リカード→ミル」の流れではなく、「スミス→マルサス→シーニオア」の流れと、見なすようになった。

 

・四つの数理経済学グループ

(1) 記号グラフを用いた記述を導入することの価値をみとめた経済学者―→K.H.ラウ、J.G.クルセル・スヌイユ、A.ワルラス、J.S.ミル

(2) 数学上の用具を多く用いながら、その真の用途を誤解したものー→N.F.ヒューウェル。量の連続性を否定した人たち。

(3) 量的概念の取り扱いにおいて正確さを得ようと努力し、効用と富の新の理論を完全に理解するに至った経済学者――→F.ハチソン、J.ベンサム、A.L.C.デスチュト・ド・トラシー、マルサス。

(4) 「経済学の問題の数学的理論を樹立しようとして、意識的かつ公然と努力し、この科学の真の見解に到達するのに成功した」経済学者――→フランスの経済学者。E.B.deコンデイヤック、A.J.J.デユピュイ、ゴッセン、クールノー。

6.イギリス古典派時代と数理経済学

・ラードナーの独占運賃論 D.ラードナー『鉄道経済』(1850)に、オーストラリア時代に接した。スミス、マルサス、ミルの主著にも接した。

    ジェンキンとの交流――→効用理論とその代数的および図形的説明を含む数学的アプローチを理解し、論争できる相手。

    ジェンキン『需要供給法則の図表的表示、およびその労働への適用』(1870)

    このなかで、ジェンキンは、需要関数を議論し、その関数と供給関数とを価格の関数として、図表で示し、価格決定のメカニズムを説明した。

7.富の学から交換の学へ

・効用理論の採用

 ジェヴォンズは、ベンサムによる効用理論(連続的な性質をもち、人間の持つ感情の中の最下級の感情=快苦の感情に限定されるゆえに、同質性をもつとされたもの)を、その経済学の基礎とした。――→価値論としての効用理論。

    経済学=交換の理論とみたジェヴォンズは、自分の先駆者として、シーニオアを挙げ、「富は交換され、供給に制限があり、直接・間接に快楽を生み、苦痛を避けるもの」だとする彼の定義を、高く評価した。

    「経済学の一般的数学理論に関する論及」(1862)――→限界効用概念を「最終効用率final ratio of utility」として公表。

    「経済学の一般的数学理論に関する概要」(1866)――→「効用の係数 coefficient of utility」と変更し、加筆・修正し、発表。

    『経済学の理論』の成立

    同書の章別編成―――→緒論、快楽・苦痛の理論、効用の理論、交換の理論、労働の理論、地代の理論、資本の理論、結論。 (全8章)。

    四つの前提――→(1) 完全知識・完全競争の前提、(2) 交換の当事者は個人ではなく取引団体、(3)無差別の法則(一物一価の法則)、(4) 交換を無限小分割可能な財間の交換に限定。

    交換の結果――→「いかなる二財の交換比率も、交換が完了した後に消費しうる財の数量の最終効用度の逆数である」(交換方程式)。

    ジェヴォンズは、競争市場における価格を、自由で競争的な交換過程で成立する交換比率として説明することにより、ワルラスの前提(市場価格の存在)そのものを導出しようと試みたといえよう。 

    新しい資本理論

かれは、ミルの資本概念を批判し、新たに「自由資本」概念を用い、資本の限界生産力概念を、とりわけ、『経済学の理論』第二版において、示唆した。完成しなかった。

    ジェヴォンズは、自己の経済学が、静学であることをあきらかにした。――→「種々の欲求と生産能力とを持ち、かつ、一定の土地およびその他の資源を持つところの一定の人口が与えられた場合」に限られているという。

 8.ジェヴォンズの政策方法論

・ 自由放任政策論争

    1876年の経済学クラブの討論の第二のテーマ。

    自由放任政策の是非、すなわち国家の役割に関する見直し。 

1870年の教育法成立以後の教育界における国家行為の増大にたいして、ニュ−マーチが、危惧の念を表明したことから始まる。国家の経済活動、とりわけ、自由放任原理の応用範囲についての論争が、なされた。

 ・「古手の頑固な自由放任主義者」と「新手の個人主義者」との間で論争。

    政策方法論と功利主義

    「古手の頑固な自由放任主義者」から「新手の個人主義者」への変化

    ジェヴォンズは、効用理論を純粋経済学の基礎にすえた。

    だが、純粋理論から排除した、人間のあるべき姿を取り扱う功利主義の道徳的・倫理的要素を、政策の中にどのように位置づけるべきかという問題が、かれが直面した政策方法論上の課題であった。――→ 『国家と労働』(1882)

    法律、習慣、財産権にかかわる具体的な立法は、目的としての「最大多数の最大幸福」という功利主義の当為命題に対する手段にすぎないと、理解された。――→ 政策としての「産業的自由」は、「幸福(快楽)」という目的に対する手段に過ぎず、それ自体は目的とはなりえないものであった。==⇒新手の個人主義者

     政策方法論としての論証

    その立法や政策が「最大多数の最大幸福」に対してもつ妥当性を判断するのが、論証(proof)であった。――→「最大多数の最大幸福」という目的に照らして、当該の立法や政策が、あたかも貸借対照表がプラスになるように、わずかでもよき結果をもたらすならば、その施行は妥当だと判断される。

    「科学的立法」の方法論上の問題を解決した⇒立法や政策を科学的に判断する手段を提供。

9.実験的立法と改革の時代

・ 自由裁量の必要性

     立法の妥当性を論証する実験――→『科学の諸原理』で展開した実験法。

     その実験の具体的適用を示す論文――→「実験的立法と酒の取引」(1880)。

     各地方当局における法令の解釈・施行の自由裁量の必要性をといた。

・ 『国家と労働』――彼の政策の集大成。

・ 政策論の確立

・ ジェヴォンズの政策方法論――→現実の政策決定に具体的な影響を及ぼした。

     保守・自由党の統一党を率いたチェンバリンは、1897年の労働者補償法の実施に際して、その  立法の根拠をジェヴォンズのこの実験的方法に求めた。

     鉱山労働者の8時間労働法提出に際し、この法が国家機能の拡大をもたらすが、国家干渉が社 会全体の利益になるから、干渉は国家の義務であるとさえ主張した。

   

2.   マーシャルの経済学(イギリス、ケンブリッジ学派)

(西岡幹雄「マーシャルーー大英帝国の産業経済と人間開発の思想――」、橋本昭一・上宮正一郎編『近代経済学の群像』有菱閣、1998、) 

1.マーシャルの前半生

● マーシャルとその時代

アルフレッド・マーシャル(Alfred Marshall,1842-1924)

「自由な政治経済体制」を背景にした「技術と経済組織の革新(イノベーション)の時代」

産業革命による生産力の発達と市場経済の進展

同時に,労働者の劣悪な状態,劣悪な衛生と住宅事情,工場公害などの「社会問題」の発生。

  マーシャル経済学の課題――社会問題の解消のための産業・経済システムの構造の解明

         マーシャルの出生とケインズの『マーシャル伝』の信憑性

マーシャルが,どのような階層出身であるかについては,ケインズの「マーャル伝」(1972)では,中産階級とされているが,ロナルド・コースの研究では,もっと低い階層,つまり非中間階層であったとされている。しかし,西岡氏は,それについて疑問を呈している。

         マーシャルの青少年時代とケンブリッジ進学

マーシャルは,ロンドンの名門パブリック・スクールの「マーチャット・テイラーズ・スクール」に入学し,9歳から10年間(1852-1861)をそこで過ごした。その後,ケンブリッジ大学へ進学し,1865年に,ケンブリッジでの数学トライポス(卒業資格認定試験)で,第2位で卒業した。そして,フェロー(カレッジ研究職)に推薦された。

         「精神上の危機」と「グロート・クラブ」への入会

当初, 分子物理学(今日の量子物理学)を,ジョージ・ストークスの下で研究しょうとしたが,「グロート・クラブ」における,「自意識こそ人間心理の本質である」という論点を巡る論争に,刺激を受け,貧困と労働の問題は,神の意志の無条件性と直結されるべきではなく,新たな実証科学の必要があると,考えるにいたった。

         「自意識」の道徳哲学と心理学研究の限界

最初の論考「節倹律」は,自意識の原則から,心理的世界と物理的世界のどちらもが,人間の精神現象に取って固有な学問であり,それが宗教・信仰に代表される不可視の問題と社会科学の問題とを,同じ人間の中で,等しく宗教と経済野問題として両立できるとする姿勢を支えることとなった。

次の「フェリクスの命題」は,観察されにくい人間の自我の状況を,観察され易い状況に復元して,これら「人間の心の作用とは発展」に,客観的な評価を与えようとしていた。

         心理学を「最も進歩的であり,人間のより高度で,より速やかな発展の可能性に対する魅惑的な研究」として,位置づける事となった。この理解に基づいて書かれた「機械論」(Ye Machine)は,生理組織によって支えられた心理過程が,究極的には外部環境に影響を与え,その外部環境が次のステップでは,心理過程と生理過程に波及することに着目して描かれた論考である。しかし,この論考で,心理学的研究の限界を感じるにいたった。

● 初期「経済学講義」の特徴  

  1873年の「経済学講義」において,人的投資による労働者主体の能力形成という事を明らかにしようとした。→人的投資が,社会発展と労働者家計の生活様式の改善を結びつける永続的基礎。

  人的投資の増加が,「新社会の進歩」へと導くと,マーシャルは協調した。

 2.経済学説の生成

         「価値論草稿」における価格理論

1875年夏に,北米へ調査旅行をおこない,製鉄,造船,科学,繊維,金属,衣類,靴等の大量生産と製品標準化方式の工場を見て回った。この結果,クールノー的な数理手法への関心から,経済状態の観察に即した研究へと,転換するようになった。

 その成果は,「国内価値の純粋理論」(1879)が,長期の製造業の収穫逓増の検討に当てられている(Whitaker,1975,U所収)ことに現れている。そこでは,産業の多様性と産業間の重層的な関係とのネットワークの推進による費用逓減,したがって,収穫逓増を重視している。その際,アメリカの産業だけでなく,イギリスのマンチェスター,リーズ,リヴァプール等の来たイングランドや低地スコットランドに代表される資本的に小規模の金属加工工業,車両製造業,機械工業などで展開されている産業地域の実体が,念頭にあった。

         『産業経済学』(1879年刊行)の執筆

 かれは,『外国貿易論』の刊行を断念し,メアリー夫人の著書に関与した。その中で,かれは,まず経済学とは,富の生産・分配・消費の科学であると同時に,また「労働者の性格と彼の仕事の性質との間に存在する結びつきを研究する」科学であると定義している。

『産業経済学』は,経済学が「富の研究」であるとともに,「人間の研究」であるというマーシャル経済学の特徴を,よく表している。

『産業経済学』において,マーシャルは,価格と分配は,需給法則という「正常価格の

法則」によって長期的に統合されるということを,明らかにしようとした。正常価値とは,便宜上,貨幣の購買力が変化しないものとして,自由競争の結果として成立する均衡価格の事である。さらにマーシャルの含意では,「正常」とはその国民が属している文明状態に依存する。・・・これによって,マーシャルはスミスの労働価値説やミルの「因習の美化」から抜け出そうとしたのである。

 正常価値を規定する一方の柱である「需要の法則」は,「最終効用」(=限界効用)に依存する需要量と価格の関係(需要関数)による「買い手の意欲の法則」として表される。これはジェボンズの効用学説を取り入れたものである。しかし,ジェボンズ経済学とは異なって,マーシャルの「最終効用」は,あくまでも彼の価格と分配の理論を考察する「限界」分析の一部として強調されている。そのため,限界効用とその人の年収・資産を考慮に入れた貨幣の緊張度との関係,事実上の所得と価格の弾力性,劣等財と優等財の区別などの指摘が見られる。

 他方,正常価格を支配するもう一つの「供給の法則」は,最劣等な生産条件下での生産経費(限界費用)に制約され,また「生産経費は生産量に依存する」という言葉から,供給関数を想定する事が出来る。生産経費とは,貨幣額で表されるコストであるが,『産業経済学』では,これが商品の生産に必要な努力と節欲からなる主観的費用とも言うべき「生産費」と同じ比率になるとみられている。これは,古典学派以来の「真の生産費」の思想を踏襲している。供給における時間分析は,なされていない。

 このように,正常価値は,限界分析を通じて,需要と価格との相互依存関係によって決定されるが,「正常」という表現が価格のみについており,その水準は究極的に可変的生産量に対応する生産経費に等しいという記述から考えると,価格への影響力は長期的には供給にあるというのが,マーシャルの態度であったとうかがえる。かれのこの態度は終生変わらなかった。

         『産業経済学』の絶版と,『経済学原理』刊行への道のり

 刊行から10年して,マーシャルは,『産業経済学』を絶版にした。その理由としては,一つには,要素代替の考察が不十分で,地代が取り扱われていなかったり,費用極小化・収益極大化による長期と短期,準地代,主要費用と補足費用の区別の不徹底,あるいはアメリカの経済学者たち(ラフリン,マクヴェイン,フランシス・ウォーカー)との論争などがある。二つには,それにもまして,景気変動論,労働組合論,協同組合論,賃金格差のような,正常作用以外の周辺の問題に関心があつまり,マーシャルが「経済学の中心的学説」と考える「正常価値の法則」について,適切な評価が行われなかった事による。

結局,今日の『経済学原理』の内容がようやく姿を現すのは,・・・ケンブリッジ大学経済学教授にむかえられ,アメリカの経済学者との論戦のさなかにあった,1887年10月以降のことであった。

 3.『経済学原理』の世界

         経済学の領域と方法

         需要・消費理論

         供給・生産理論――産業組織・内部経済・外部経済

         価格理論

         経済政策分析

         企業組織と複合的準地代

         人的開発の思想と経済発展論(有機的成長)

         『経済学原理』以後のマーシャルの業績

 4.ケンブリッジ学派の形成と影響

 

U. ケインズの経済学

1.ケインズの生涯 

(平井俊顕『ケインズの理論――複合的視座からの研究』、東京大学出版会、2003、第4章 参照)

1883年 ケンブリッジに生まれる。

1897年 イートン・カレッジに入学

1902年 キングス・カレッジ(ケンブリッジ大学)に入学

      討論サークル「ソサエテイ」のメンバーに選ばれる。その指導者G.E.ムーアの倫理学の影響を受ける。

      ブルームズベリー・グループに参加。

1904年 「行為に関連しての倫理学」(ソシエテイで発表)−→ムーアの『倫理学原理』(1903)への批判。確率論と倫理学の研究。

1906年 インド省に入る。

1907年 キングス・カレッジへフェロー資格論文を提出。(落選)。

1908年 マーシャルの好意により、ケンブリッジの講師になる。通貨および金融に関する講義を行う(−1913年)。

1909年 再度、改善のうえ提出し、受理され、フェローとなる。(この論文は、後に『確率論』(1921)として、公刊される。)

1911年 『エコノミック・ジャーナル』誌の編集者に任命される。

1913年 処女作『インドの通貨と金融』を刊行。インドの通貨システムの特徴の説明。金為替本位制の提唱。

1914年 8月第一次大戦の勃発(1918年11月終戦)。

1915年 大蔵省に採用された。金融問題を取り扱う「第1課」に勤め、後に、新設の「A課」(国際金融事項について大臣に報告する任務)の課長に昇進した。

1919年 ヴェルサイユ講和会議に、イギリス派遣団の大蔵省首席代表として出席。二つの問題に係わった。ひとつはドイツ経済の建て直しの問題で、もう一つがドイツの戦争賠償問題であった。

      6月28日の講和条約の締結以前に、ドイツに課せられる賠償額が大きすぎるとして、それに抗議して、大蔵省を辞任し、帰国。

      『平和の経済的帰結』を刊行し、講和条約の内容を批判。

1922年 その続編『条約の改正』を公刊。(「ドイツに対するわれわれの正当な請求額は、ドイツの支払能力の範囲内であるべきだ」ということを、主張。また、インフレーションの治癒策とヨーロッパ再建について論じている。ヨーロッパ全体での石炭の供給・配分の協同システムの構築。ヨーロッパに「自由貿易同盟」を設立すること。ヨーロッパ再生のための國際借款の提案。)

1921年 賠償委員会が賠償額を決定(4月)。支払条件はその後も変更され、ドーズ案(1924年)、ヤング案(1929年)と変更され、1931年にはフーバー・モラトリアムが発せられ、19326月のローザンヌ会議で、賠償案そのものが放棄された。

1922年 戦債問題(イギリスのアメリカへの戦時負債の支払問題)と金本位制への復帰問題に関し、ジェノア國際経済会議。その決議は、金本位制復帰(第6条)と、緊縮政策(均衡予算)(第7条)。

1923年 『条約の改正』(賠償問題検討のための、事実と材料の提供。)

      『貨幣改革論』(金本位制に疑問。それへの復帰を厳しく批判。)

1925年 『チャーチル氏の経済的帰結』で、金本位制復活を所与としつつ、政府の政策を批判(信用引き締め政策を批判し、信用緩和を提唱。)

1928年 自由党刊行の『イギリスの産業の将来』のプロジェクトの中心。

      多くの政府委員会のメンバーになる。

1929年 「金融および産業に関する調査委員会」(マクミラン委員会−1931年解散)のメンバー。その最終報告書では、雇用水準が公共投資と輸入統制によって増加しうること、貨幣賃金の切り下げを通じて雇用水準の増加を達成させることは困難なこと、等が強調。

1930年 経済諮問会議の委員に任命。その経済学委員会の委員長に選出。

     (1) 失業克服手段としての貨幣賃金の切り下げ(ピグー案)に反対。

     (2) 乗数理論により投資額の増大は雇用水準にインパクトを与える。

     (3) 投資を促進する手段として、ビジネス・コンフィデンスの回復、低利子政策、公共投資政策を推奨。

      『貨幣論』(10月)の刊行。

1932年 『雇用、利子および貨幣の一般理論』の構想を得た。ケインズは、1932年以前の失業問題に苦しむイギリス経済を念頭におきつつ、構想した。また、その際、当時の経済理論を巡る内的な葛藤を経て、構想した。

1935年 同書は、ほぼ完成の域に達した。

1936年 『雇用、利子および貨幣の一般理論』の刊行。

1938年 「若き日の信条」を発表。人間性の合理性への懐疑心から、個人主義への批判と慣習や規則に注目。ベンサム主義への批判。

1940年 大蔵大臣諮問会議の委員に任命され、政府の経済政策決定に関与。

      国際収支危機、國際通貨制度、社会保障問題等にかかわる。

1946年 死亡。

 

2.ケインズ『一般理論』の構造 

(レジュメのこの部分の執筆に当たっては,伊東光晴『ケインズ』岩波新書,および宇沢弘文『ケインズ 「一般理論」を読む』岩波書店等を参考にした)。

 

(1) ケインズ理論の構造 


                               
  〔生産物市場(財の市場)〕 
                                                 
(消費性向) 
                                       
(1) ←−   消費 所得 

雇用量 生産量=所得←−                                    資本の限界効率 
                                       
(2) ←−投資 ←−−−−−−
     
〔労働市場〕                       (乗数理論)   利子率 ←(流動性選好説)
                                                                          
〔金融市場〕 

(2) ケインズの資本主義社会観 

三大階級 
・企業( 法人化された企業, 機械・設備・人的資源からなる経営組織
・労働者( 労働を提供し,賃金を支払われ, 生活手段を市場で購入する経済主体
・利子生活者( 金融資産を所有し, 配当, 利子などの支払いを受けるもの
資本主義的な市場経済とは,企業, 労働者, 利子生活者からなる, あるいは, 企業と家
( 労働者と利子生活者) の二大部門からなると,ケインズはみる。 

(3) 不完全雇用均衡の想定 (古典派の雇用理論との相違) 
ケインズ以前の経済学は, 完全雇用状態を前提にし,失業は自発的失業や摩擦的失業の
みを想定していた。しかし,ケインズ以後は,不完全雇用の想定のもとに, つまり非自発的失業の存在を前提に, その理論を組み立てるようになった。ケインズ以前には, 賃金を引き下げることにより, 雇用を増大し, 失業問題を解決できるとみていた。しかし,賃金と雇用との関係をみる場合, 賃金を生産費の一部とみる視点だけでなく, 賃金を有効需要の一部とみる視点が必要になる。こうして,賃金引き下げが, 有効需要を減少させ,生産高と国民所得とを減少させ,その結果, 失業を増大させる。したがって,失業問題の解決は,賃金引き下げよりも, 有効需要の増大によると, かれはみるのである。 図表1.参照  

 

(4) 諸概念の定義 

    基本的な単位→貨幣と労働 

    期待の概念

→短期の期待( 企業家が生産過程をはじめる時点で, 生産過程が終了し,生産物を販売しようとする場合, どれだけの価格と収入を期待できるか

長期の期待( 資本設備の蓄積をはかるため, 他企業から生産物を購入する とき,どれだけの収益を期待できるか

    企業の所得→ある単位期間中に販売された産出物の価値から主要費用を差し引いたもの( 但し, 主要費用は資本設備に関わる使用費用U と用役に関わる要素費用Fの合計) I = A - (F+U) 

    国民所得→ 要素費用F は生産要素の所有者の所得だから, 経済全体の総所得は, Y = A-(F+U)+F = A - U この国民所得 Y は雇用水準の決定に重要。

    投資→資本設備の価値が, 単位期間中に, 生産活動を通じてどれだけ増えたか 

    貯蓄→所得から消費に対する支出分を差し引いたもの 

    投資と貯蓄との関係

→貯蓄( 消費者の行動) も投資( 企業の行動) , ともに, 所得から消費を差し引いたものに等しく, したがって,貯蓄と投資は必ず等しくなる。 
Y (
所得) =  C(消費)  +  I(投資) ,

Y( 所得) =  S( 貯蓄) C( 消費),

 故に
S (
貯蓄) = I(投資)  

 

(5) 有効需要の原理 
「経済の規模は,社会全体の需要の大きさによって支配されるというのが,ケインズの有効需要の原理である」(伊東光晴)。なお,総有効需要は,投資需要と消費需要の合計 であり,前者は企業家の投資行動によって決定され,後者は消費者(家計)の消費行動によって決定される。企業家は,資本の限界効率(期待利潤率)と市場利子率とを比較考量 しながら投資をする。企業家は予想した利潤率が利子率を上回る限り, 投資を行うものと,ケインズは考えている。他方,消費者は,その所得を消費と貯蓄に分割するので,消 費性向の大きさがかれの消費量を決定する。この消費性向は心理法則であるが,その大きさはある社会において一定していると, ケインズは考える。 ( 図表2 .参照 ) 
N 人の労働者が雇用されている時の総供給額をZ とし, 総供給関数を,Z= φ(N) とあ らわす。また,企業が, N 人労働者の雇用から期待する収入をD とし,DN との間の関係 を総需要関数 D = f (N)とする。・・・この際, 雇用量は,総供給曲線と総需要曲線と , 交わる点に対応する量 Ne で与えられる。この点で, 企業の期待利潤が最大になるか らである。また,ケインズは,総需要曲線と総供給曲線とが交わる点E に対応する総需要を有効需要(Effective Demand)と呼ぶ。これが雇用の一般理論の要点である」(宇沢, 119p.

(図表3. 参照

(6)
所得・貯蓄・投資の関係 (消費性向と乗数理論の概念) 
ケインズは投資の増加と所得の増加との関連の問題を, 乗数理論によって説明した。投資の増加と所得の増加との間には,ある一定の比率, 乗数というものがあり,消費性向が一定の場合, 所得の増加は, 投資の増加の乗数倍になるとみていた。 
 では, 乗数とはなにか。国民経済において, 投資支出がΔIだけ増加すると,投資財生産の増加により,国民所得がΔIだけ増加する。限界消費性向(ΔC/ΔY)を Cとする , その結果, C ΔI だけの消費需要の増加が発生する。これに見合う消費財生産の増加により,国民所得はさらにC ΔI だけ増加する。この国民所得の増加は,さらに消費需要の増加と国民所得の増加〔C 2 ΔI 〕をもたらす。

このような乗数過程が進行し最終的に, 国民所得の変化の総額は, ΔY=ΔI(1+C+C2 +C3 ・・・)=K・ΔI となる。このK が投資乗数であり,K= 1 /(1C) 1 / S という関係にある。但 , C は限界消費性向, S は限界貯蓄性向である。例えば, 投資乗数Kが,4の場合,投 資支出が100だけ増加すると,国民所得は400だけ増加することになるのである。 

 

(7) 消費性向( 所得のうちどれだけを消費にあてるか
消費性向とは,家計の所得のうち消費に当てられる部分の割合である。平均消費性向 (C/Y)と限界消費性向(ΔC/ΔY)がある。また,貯蓄性向とは,所得のうち貯蓄 に当てられる部分である。平均貯蓄性向(S/Y)と限界貯蓄性向(ΔS/ΔY)とが,区別される。所得は,消費と貯蓄の合計であるから,消費性向と貯蓄性向との合計は,1である。 


〔消費性向に影響をおよぼす客観的要因〕 
1.
消費は実質所得の関数, 2.消費は純所得の大きさによって決まる, 3.資産価値の変化が消費性向に及ぼす影響は大きい, 4.利子率の変化は資産価値を変化させることにより消費性向を変える,5. 財政政策の変化, 6.現在の所得と将来の所得との間の期待の変化. →所得と消費を関連づける消費性向はかなり安定的な関数であるが,資産価値の変化や利子率・財政政策が大きく変化することにより, 変化する


[
消費性向に影響をおよぼす主観的要因
・消費者の貯蓄動機(1. 予備的動機,2. 深慮,3. 打算,4. 向上,5. 独立,6. 企業( 意欲), 7.名誉心,8. 貪欲)  
・消費者の消費動機(1. 享楽,2. 短慮,3. 寛容,4. 見込み違い,5. 虚栄,6. 濫費
・政府や企業などの機関貯蓄の動機(1. 企業の動機--自己資金による投資,2. 流動性の動
,3. 向上の動機,4. 金融的慎重さの動機)  


[
限界消費性向と乗数
ケインズ雇用理論の中心であり,消費性向, 労働雇用量, 国民所得, 投資の間にどういう関係があるか問題にする, とくに投資の増加がどれだけの国民所得の増加をもたらすか説明する。ある投資支出がなされた場合, 国民所得の増加は,投資支出の投資乗数倍であるとみる。すなわち,ΔY=k・ΔI,但しk=1/(1-C)=1/S,また,Kは投資乗数,Cは限界消費性向,Sは限界貯蓄性向。 

 

(8) 投資誘因 
(1)
資本の限界効率の決定 


資本の限界効率→投資の限界効率と呼ぶべきもの 
資本の限界効率は,ある資本- 資産からの期待収益とその供給価格との関係によって決 定される。ある資本- 資産からの期待収益 Q 1・・・Q n の割引現在価値を, Q 1 /(1+r)  + ---- Q t/(1+r)t  + ----- Q n/(1+r)n  とする。 この際,rは,現在価値を計算するときに使われた割引率である。 
いま,その資本−資産の供給価格をPとするとき,資本の限界効率mは,割引現在価値が
供給価格Pに等しくなるような割引率rによって,定義される。 
P =Q1/(1+r) + ---Qt/(1+r)t +----Qn/(1+r)n 
を満たす割引率rが資本の限界効率である。

図表4 .参照  


(2)
市場利子率はどのように決定されるか。                                                                                                            

 (流動性選好と貨幣供給量による) ケインズ以前の経済学は,利子を貯蓄に対する報酬と捉えるが,ケインズは「利子は流動性を手放すことに対する報酬である」と捉える。流動性  とは, 資産に比べて貨幣がもつ便利さ( たとえば投資のしやすさ) のことである。ひとは所得 をえた場合, その一部を消費し,他を貯蓄する。かれは貯蓄のうちの一部を貨幣のかたちで 保持し, 他を金融資産の購入な どに投資する。この割合を決定するのが, 流動性選好であ る。ひとびとの流動性に対する選好の強さと,貨幣の供給量とから, 利子率は決定されると みるのが, 流動性選好説に基づく利子決定論である。

 
「図表5.において, 利子率 i を縦軸にとり,貨幣のストック量Mを横軸にとる。貨幣保 有に対する需要はLL曲線で表される。利子率は,いわば貨幣保有の価格であるから,利 子率が高くなれば,貨幣保有に対する需要は低下する。流動性選好にもとづいて描かれる このLL曲線は,図表5 に示すように,右下がりの曲線になる。其れに対して,貨幣供給 量は,利子率の水準とは無関係に決まってくると仮定すれば,縦軸に平行な直線MMによって表される。ケインズの言う利子率 k は,この二つのスケジュールの交点Kに対応して決定される。そこでは,貨幣保有に対する需要と貨幣供給とが等しくなるからである。」(宇沢,248p.)。( 図表5 .参照

 
(3)
資本の限界効率と利子率とによる投資量の決定。 
「実際の投資は,その限界効率が現行の市場利子率に等しくなるような水準に定まる。このとき個々の資本財についても,投資率が,将来の期待収益を市場利子率で割り引いた割引現在価値が,その資本財の供給価格に等しいような水準に定まることになる。この 時,各企業についてみれば,将来期待されるネット・キャッシュ・フローを,市場利子率で割り引いた現在価値が,投資の供給価格に等しくなり長期的な観点からみて,その企業にとって最適な投資であるということができる。/ このようにして決まってくる投資は,市場利子率が高くなれば,投資水準は低くなり,また期待収益が大きくなれば,投資も高くなる。/ このようにして,投資需要は,一方では,将来の期待収益に依存し,他方で 
は,市場利子率に依存することが分かる。」( 宇沢,215p) 図表6. 参照

 

(上記の各図表を貼り付ける事)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


V.シュムペーターの経済学説

   (ハンス・H.バス「J.A.シュムペーター入門」参照)

 1.    シュムペーターの生涯と活動

1883年・・・・メーレン(今日のチェコ)に生まれた

1901年・・・・ウィーン大学に入学

1906年・・・・博士の学位取得(「数学的方法について」)

1907年・・・・イギリスで勉強

1908年・・・・エジプトで政府の財政顧問として活動

       『理論経済学の本質と主要内容』を発表。

1909年・・・・チェノヴィッツ大学(今日のウクライナ)の教授

1911/12年・・・グラーツ大学(オーストリア)の教授

        『経済発展の理論』(1912)を発表。

1913/14年・・・コロンビア大学(ニューヨーク)で客員教授。『学説と方法の諸段階』を発表。

1914−18年・・・第一次世界大戦

1918年・・・・・『租税国家の危機』を発表

1919年・・・・・ベルリンにて社会化委員会の委員。また、

        ウィーンで社会民主党内閣の財務大臣。

1920年・・・・・『今日における社会主義の可能性』発表

1920−24年・・・ウィーンで銀行家 

1925−32年・・・ボンの教授

1927―30年・・・ハーバート大学の客員教授

1929年・・・・・世界恐慌

1931年・・・・・日本を訪問

1932年・・・・・アメリカへ移住。ハーバートの教授。

1939年・・・・・『景気循環論』を発表。

1932-45年・・・・ドイツでナチスが支配

1942年・・・・・『資本主義・社会主義・民主主義』発表

1950年・・・・・死亡

1954年・・・・・妻が『経済分析の歴史』公刊

 

2.    シュムペーターの経済学説

(1)                 動態、イノベーション、および景気循環

l        資本主義経済体制の構造上の特徴――非恒常性、変化、「創造的破壊」。――「資本主義の現実は、最初から最後まで、たえざる変化の過程である。」(『資本主義、社会主義、民主主義』)

l        1912年に経済的動態に注目。

その思想的源泉――→

   マルクスの拡大再生産論、

アメリカの経済学者J.B.クラーク

   ダーウィンやスペンサーの進化理論。

l        経済的動態は景気循環の現象と相互関連している。

経済不況=「絶えず新たになされる経済的社会的上昇の必然的な補完物」。経済的変化は経済そのものから生ずる。

l        その理由付け――重要な発明や発見の恒常的な流れが存在。企業家的能力は人口の中に正常分布している。先駆者がイノヴェーションを実現しはじめる。それが成功すると、多くの企業家が模倣し始める。この過程で景気が上昇する(信用膨張、価格騰貴、利子の騰貴)。その結果、イノヴェーションの波が後退する。

l        イノヴェーションの概念

A)    「資源の新しい結合」と定義(『経済発展論』)。

    i.       新生産物の製造(=生産イノヴェーション)

ii.       新生産方法の導入(=製造過程イノヴェーション)

iii.       新市場の開発

iv.       新素材の市場の開発

    v.       新組織、例えば、独占的地位の創出ないしは独占の破壊。

B)    後の定義=「経済生活の全領域において『〔これまでとは〕別の仕方をとることだ』」(『景気循環論』KZ,92)と定義。

l        イノヴェーションへの融資――→銀行の信用供与――信用は購買力の新創造――企業家に生産手段を購入するための資本を提供。

l        基本モデルの修正――発明は初期のモデルでは外生的であったが、後期には大企業の研究・開発部門に注目し、内生化した。

l        経済循環の三つのタイプ

@      短期波動・・・約3年のキチン波動

A      中期波動・・・約8年のジュグラー波動

B      長期波動・・・50-60年のコンドラチェフ波動

1787-1842年、1843-1897年ブルジョア・コンドラチェフ、1898-1911年の新重商主義的コンドラチェフ循環)(1940-1979年の第四の波動)

l        新シュムペーター経済学におけるイノヴェーション理論の論争

(イノヴェーションの供給側理論。イノヴェーションは過去とのラジカルな断絶か日常的研究の成果か。どのような景気循環においてそれは発生するか。経営の規模とイノヴェーションの頻度との間の関連。)

l        シュムペーター的景気政策は存在するか。

(直接的国家干渉に対する狭い限界づけ。産業政策の父としてのシュムペーター。新シュムペーター的経済政策)。

 

(2)                 企業者の理論

l        企業者=経済的進歩の原動力、「資本主義の舞台の主役」

     イノヴェーションの担い手、

l        企業=「イノヴェーションの遂行を行うような行為」

l        企業者の定義の四つの側面

@      職業ではなく経済的機能。

A      資本家、経営者、発明者から区別される。(企業者はリスクを負わない)。

B      新古典派の利潤極大化と異なる態度を定義。

C      「企業者」という独自の社会階級は存在しない。

l        信用の意味――企業者はどのようにして資金を得るか。

@      危険な資本を動員すること――この融資形態は軽視。

A      留保利潤――連続的イノヴェーションの枠組み内で強調された。

B      信用融資――特に強調された可能性。

信用=企業者のための新しい購買力の創造

  資本=企業者に引き渡され処理されうるある貨幣額。

l        企業者の報酬と利得

  企業者は三つの種類の困難事を解決しようとする。

@      新しいことを客観的にはしらないこと。

A      主観的な障害=個人的な抵当を要す。

B      社会的抵抗=外部からの反対の圧力に直面する。

企業者には、かれの革新へのプレミアムとして、企業者利潤が割り当てられる。

l        企業者概念の心理学的および社会学的側面

@      「私的な王国を樹立したいという意志」

A      「勝利への意志」

B      「成功それ自身のゆえに成功をえたいと望むこと」

l        企業家の能力のプロフィル

@      主導権をとる能力。

A      感激させる能力とひとが意欲するものを知る能力。

B      直接的利益への集中を可能にする、ある種の自己限定。

決断を行いうること。

l        現代の具体的な説明

世界的に有名な企業者であるリチャード・ブラウン

ヴァージン・レコード会社の所有者−→ヴァージン・アトランテイック航空会社の再建―→イギリスの鉄道網の購入

l        シュムペーターの企業者像の根源

ニーチェの「権力への意志」や「主人の意志」

ウェーバーの「カリスマ的指導者」

スペングラーの「企業者的な指導的人間」

l        シュムペーターによる企業者概念の修正

 第一段階――『経済発展の理論』での見解。

 第二段階――企業者の理想化をやめた。行為の動機が高い利得にあると見るようになった。企業者を社会階層とみるようになった。大経営への傾向の中で、技術的革新は企業者の使う技師により遂行される。経営者が工場主に取って代わった。

 第三段階――死の直前に、さらに修正。企業者の経済的企業者機能とその社会的類型との分離。企業者は銀行信用よりも自己金融を優先。企業者についてに経験的な確証。

l        現代の経済学における企業者の役割。

@      はるかに広く捉えられるようになった。

A      企業者行動の重要性の減少という後期シュムペーターのテーゼは有効でない。開発途上国や過渡期経済において、シュムペーター的企業家が登場。

 

(3)                 経済体制の理論

l        経済体制の定義

@      生産手段の私的所有。

A      営利獲得を目的とした生産。

B      私的銀行による支払手段の創出。

l        時期区分

社会経済体制に占める資本主義的要素の比重に応じて、四つの段階が区別される。

@      ギリシャ、ローマ的な古代とヨーロッパ中世。

A      重商主義の時代(1500-1815年)

B      完全な資本主義の時代(1815-1898年)

C      前世紀の終りから同時代まで(独占的資本主義)

l        資本主義的システムの特徴

このシステムに不可欠な構成要素。

@      情報のメカニズム。

A      短期的な〔資源と労働の〕配置メカニズムと長期的な投資メカニズム。

B      経済的行動を引き起こすための動機のメカニズム。

C      分配メカニズム。

D      管理メカニズム。

l        資本主義的システムの長所

@      体制の持つ動機のメカニズム――利得は企業活動を動機付ける。イノヴェーションの実現は一時的独占利潤をもたらす。この動機メカニズムは、不平等なもの。

A      一般的な福祉水準の増大も資本主義の成果。完全競争のもとでは、社会政策は生活水準の向上にとって余計になる。独占化された資本主義もなお活動能力をもつ。

l        資本主義の限界と社会主義の可能性。

『資本主義・社会主義・民主主義』(1942)の中で、論じたが、その論点は三つ。

@      競争的な資本主義に対する自由主義的な賛美。

独占的な実践は、増大するが、それは資本主義の内在的な構成要素である。「完全競争」は、フィクションである。

A      ケインズの資本主義の安定性についての悲観主義的見解。

ケインズの資本主義発展の停滞という悲観主義的な見解を否認――→その根拠=投資の機会には確定した限界がない。貯蓄と投資との固定的な結びつきはない。

B      マルクス主義的な帝国主義論との対決。

シュムペーターは、同情的態度をしめす。生産手段の集中は、外国市場の略奪への関心、外国生産物の輸入遮断、植民地政策をもたらすことを、認めた。

l        資本主義の経済にとっての外在的な限界は何か。

資本主義の歴史的限界――社会的文化的限界とりわけ社会の制度的な構造の変化に存している。

@      ビッグ・ビジネスへの集中は、企業者のタイプを不要にする。

A      資本主義的システムは、自由な経済的決断にもとづくだけでなく、資産と非自発的失業の不平等性にも基づく。

B      資本主義は、生産手段の所有の集中への傾向を、観察した。

C      近代資本主義は、ブルジョウワ家族のための余地を少なくする。

これらの論拠から、「資本主義システムには、自己破壊への傾向が内在している」(『資本主義・社会主義・民主主義』、s.259)。

l        社会主義的経済体制は、機能しうるか。

ハイエクとは異なり、シュムペーターは、社会主義的経済体制が理論的には機能しうるという。

@      ふたつの体制において、需要と供給との法則は、消費財の価格を決定し、その結果、複雑な価格体系を決定する。

A      ふたつのシステムにおいて、効率の指標が、経済的態度を規定する。合理性の原理が根底にある。

l        シュムペーターは反論されたか。

@      社会主義計画経済から資本主義市場経済への逆転が生じた。

A   資本主義のイノヴェーション過程は、うまく機能している――再生力をもつ