― 相談室だより ―
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眼は心の窓か
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2006.3.23 3月も20日を過ぎると、今年は寒暖の変化が大きいが、確実に春が来ているようです。個人的には強い風が吹いて暖かな季節の到来は、“花粉症”の生理的予測感から“春は怖い”となるのですが、今年は少し良いようです。さて、最近年齢を重ねるにつれて、自らの物理的変化にあきれ、諦め、笑いでごまかすようになってきました。内部の感覚はさすがに10代と同じとは言いませんが、30代とは別に違っているとも思えません。あまり鏡をしげしげと見ることもありませんので、時にじっくり見ると体型の変化、頭髪の変化に自ら驚くばかりです。こんなはずではないのだが。これではとても女性にもてないな。 谷崎潤一郎の小説に“春琴抄”というのがあります。好きな盲目の女性が顔に傷を負う。女性を慕う男性は、傷を気にする女性のために自ら目をつぶす。二人とも盲人となり愛を全うする。いろいろな見方ができましょうが、われわれの近年の生活はますます眼に頼るようになっています。TV,VTR,PC、ゲーム。いわゆる視覚的生活を小さいときから続けています。しかしながら、もし、もう少し眼に頼らない生活をしているなら、外観的な評価が全ての世界は変わるかもしれません。学生に時々言うのですが、どんなに美人、ハンサムも顔の表皮を1枚めくればそう差はないよと。“眼は心の窓”という言葉には、外の世界の事物について目を通して感じるという意味と、相手の目の中に相手の心が現れているという二つをあらわしているようです。しかし、外の世界を捉える感覚は5感といわれるようにほかにもあります。聴覚・触覚・味覚・嗅覚などです。これら全体を使って相手を捉えるのが本当でしょうし、相手の考えなども評価する手段となりましょう。しかし、最近は視覚、みかけが良いということだけで評価しがちです。ときに、目をつぶってみましょう。視覚以外の感覚を働かせて周りを感じとると、今までと違った世界に入ることができるかもしれません。 豊橋学生相談室長 樋口義治 |
「愛」と「知」
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2005.12.15 今年4月から愛知大学に赴任して参りました。まだ新米の学生相談員ですが、皆さんに気軽に相談していただくことができたら、また専門家に繋ぐお役目ができたら、と切望しております。かつて、私も愛知大学の大学院の修士課程、博士課程を名古屋校舎で過ごしました。大学院に通い始めた当時、私は1歳児と3歳児の赤ん坊を抱えており、どうやって勉強時間を捻出するか、そればかりを考えていた余裕のない院生生活でした。 そんな院生時代を経て、山口県出身の私が愛知県に住み続けるうちに、私は「愛」と「知」という言葉にだんだんと引かれていきました。前任校である「東邦学園大学」が短大から四年制大学に改組される際にも「愛知東邦大学」にして欲しいと訴えていたほどでした。来年は愛知大学の創立60周年で、「知を愛するものが、集う」大学であるというコピーがあります。いかにも大学らしい素敵なコピーではありますが、私は「愛」と「知」に自分なりに以下のような思い入れがあります。 私は、「愛」という言葉の起源さえ知らないのですが、私にとって「愛」という言葉に最も近いのは「思い遣り」です。「遣る」というのは身近にはないけれども相手の立場や遠くの状況に対して思いを寄せるということです。地球の裏側の悲惨な戦争や途上国での子供たちの命の軽さ、そういった事態に思いを馳せ、実効性のある対応を考える。あるいは先進国の抱える課題に光を当て、代替案を提示する。こういった想像力や創造力は、「知」が担う大事な役割です。「愛」に繋がる想像力や「愛」を支える創造力は「知」が担っていると思うのです。「愛」のために「知」の存在意義があるのだろうと思っています。 学生の皆さんが、「知」をそのように理解して、それぞれ自分の直面する問題を持ちつつも、それらを乗り越え、共に研鑽を積むことを心から楽しめるようなお手伝いができたら、私にとっての「愛・知」大学での教員生活の目的を遂げられると思っています。 後 千代 |
活動報告書発行に寄せて
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2005.12.02 生き物にとって時間はとまらない。時間が流れる限り、自分の身体も周りの環境も日々変化している。しかし生物の生命維持の本質は、ある目標を見ながらそれに向かって進むというより、後ろ向きに自分の足跡だけを見ながらバックで未知の場所を進むに等しい。霊長類の中でもとりわけヒトは突出した因果関係の推理能力を持つがゆえに、予測や期待といった認知活動が活発になり、予想通りになったときの喜び、失敗したときの悲しみは増幅される。また、予想や期待ゆえに結果がでる前の不安も大きくなる。さらに、ヒトは「ことば」によってかかわりを持つコミュニティを広げ、自分たちで規則を作り、それに合うように教育行動までするようになった。周りとのかかわりが多くなると、自分だけでなく、周りからの期待やはげましがプレッシャーとなる。もちろん、成功したときの喜びもそれだけ大きくなるのであるが、失敗したときの悲しみも大きく、不安に押しつぶされそうになりながらどうにか生き続けているというのが、学生諸君の日々の生活であろう。もちろん、カウンセラーも教員も生きる営みの本質は同様である。先が見えないことの不安、周りの期待が大きすぎるためのプレッシャーを自分ではどうにも処理できなくなったとき、あるいは身体的な変調をきたしたとき、対処の仕方の相談にのるのが心理カウンセラーや精神科の校医である。 愛知大学では5年前から、豊橋・名古屋の両校舎学生相談室を整備し、臨床心理士の資格をもつ心理カウンセラーを置いた。さらに、昨年は、車道校舎学生相談室を独立させ、三校舎体制がととのった。学生相談室はカウンセラーだけでなく教員も相談員となって、カウンセリングや教学的な指導、教授会との連携にあたっている。また、相談室定例会議で事例を報告して他の相談員の意見をきき、担当相談員の独善とならないように気をつけている。毎年、心理カウンセラーが教授会を回って相談内容の近況を報告するのも恒例となり、専用のホームページも開設しているが、このたび、公式の報告書を発行して学生相談室の活動実態を広く周知することになったので、ご一読願えれば幸いである。 名古屋校舎学生相談室・車道校舎学生相談室室長 文学部教授 浅野俊夫 |
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2005.10.31 秋も深まってきました。秋学期は、1年生も大学生活に慣れ、楽しむ余裕が出ています。また、3,4年生は就職の準備で忙しくなる時期でもあります。2年生は、学生生活を満喫…というところでしょうか。 さて、そんな皆さんの今の悩みは何ですか。 内閣府が2003年に調べた「青年の悩みや心配ごと」の1位は「就職のこと」で、以下「お金のこと」、「仕事のこと」、「健康のこと」、「勉強のこと」の順でした。また、「悩みや心配ごとの相談相手」としては、「友だち」が最も多く、以下「母」、「恋人」、「父」、「きょうだい」の順でした。 私たちは、人生の階段を上るたびに新しい課題にぶつかります。そして、その課題をクリアすることで一段また一段と成長していきます。問題解決も次第に迷わず手際よくなります。解決方法もたくさん身につけます。しかし、ときには今までのやり方が通用しない大きな困難が目の前に立ちはだかり、動揺し心の安定を失うことがあります。心理学ではこれを「危機」と呼びます。危機と言うと悪いもののように思いますが、必ずしも悪いばかりでなく、成長のきっかけとなるプラスの面もあるのです。あなたがもしこんな状態にあり、心が揺さぶられていたら「ピンチはチャンス」と捉えてみてください。このピンチを乗り切った自分を想像してみてください。きっと今の自分より頼もしい自分が見えるでしょう。 一般に危機状態はそんなに長く続かないものですが、もしあなたがつらく長く感じたら、相談室を訪ねてください。誰かに話を聞いてもらうことで新しい解決策が見つかるかもしれません。今まで利用していない新しいサポート先にアクセスすることも一つの方法です。 現代中国学部 梅田康子 |
バロメーター
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2005.10.17 先日、TVのある番組で、「あなたのバロメーターを教えてください」という調査をしていました。バロメーター(barometer)とは、もともと気圧計のことで、それが転じて物事の状態・程度を知るための目安になるもののことです。 人にはいろいろなバロメーターがあるんですね。例えば、お母さんの機嫌のバロメーターとして、夕食のおかずの数を目安にしている人がいました。カレーのときは疲れている時、品数が多く、デザートまであったらお母さんは機嫌がいい証拠。だから、ちょっと無理なお願いをしたいときは、デザートが出るときを狙うと、OKが出る事が多いんですって。また、ある奥さんは、食事の時に旦那さんが椅子の背にもたれる回数が多いと、嫌いな料理が出ている証拠。その奥さんは、それを目安に旦那さんが気に入る味付けを工夫しているそうです。 私の周りの人にも同じ質問をしてみました。 お父さんが無言で夕食を食べたり、ドアをバタンと閉めるときは、会社で嫌なことがあった時。お母さんが食器を洗う音が大きいときは、怒っている時。おばあちゃんが「今日は早く帰ってきなさい」と怒ったように言うのは、心配している時。妹が喧嘩を売ってくるときは疲れている時、弱音を吐くときは、かなり疲れている時。ある先生が鼻を触りながら話すときは、ストレスを感じている時、などなど。探してみるといろいろ出てきて面白いですね。 周りの人のバロメーターを見つけるのと同じように、自分の体調や気分のバロメーターに気付くと、嫌な気分から早く抜けられるようになりますよ。 ある人は、自分の胃が痛いときは、心身ともに疲れて限界な時。そういうときは、食事を取らずに胃を休め、とにかく寝る。胃が痛くて寝られないときは、体を動かす、という対処をしている人がいました。 私の場合は、ご飯をゆっくり美味しく食べられる時は、体調も気分もいい時。一方、忙しいときは、味をあまり感じないで食べてしまいます。それから、呼吸が浅くなってきます。そんなときは、何度か深呼吸をしたり、おいしいコーヒーをゆっくり飲むようにしています。それに気付かずにいると、自分に余裕がなくなって、人の話が聞けなくなったり、冷たい態度をとってしまうことがあります。そんな時には、早めに帰って、好きなことをする時間を確保するようにしています。 こんな風に、皆さんも、自分や周りの人の気持ちを推し量るバロメーターを、知らないうちにいろいろ持っていると思います。それをうまく利用して、気持ちよく過ごしたいですね。 みなさんも、自分や周りの人のバロメーターを探してみてください。 豊橋学生相談室 今井 |
こころの型
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2005.7.26 最近、私は朝ちょっとした運動をすることが日課になっています。家の中でゆったりマイペース、ではあるのですが、そのために目覚まし時計より30分、あるいは1時間早く起きてしまうこともあるくらい、はまっています。とはいえ、いつまで続くのやら…と冷ややかに見つめている自分もいるのですが。 さて、そこで気づいたのが、いかに普段使っていない筋肉が多いのかということ。普段、立ったり、座ったり、歩いたり、寝転んだりという姿勢は、いつのまにか1つの「型」になっていて、そこで使う以外の部分は、極力使わなくなってしまうかのようです。もちろん、使わないままでも支障はないのかもしれません。けれど、普段使われていない部分を意識して動かしたり伸ばしたりすると、とても気持ちがいいのです。そして、立ったり、座ったりすることが、普段より楽になったり、疲れにくくなったりしていることに気づきます。 私たちの“こころ”にも、似たようなことはないでしょうか。困ったことがあった時、どうしようと迷った時…普段何となく意識しないでやっている「型」があるのではないでしょうか。私は、この「型」は、私たちが普段生活する上での“お守り”みたいなものだと思っています。けれど時には、それだけでは対処できなくなって、身動きが取れなくなってしまったり、途方に暮れてしまうこともあるかもしれません。 でもそんな時こそ、今までの「型」を破って、今まで気付かなかった自分を見つめるチャンスなのではないでしょうか。考える力や対処する力といった、自分の知らなかった一面や方法に気づくことは、今よりこころを楽にするきっかけになるのではないかと思います。 いつもどおりのこころの「型」ではうまくいかないことがでてきたら、相談室のドアをノックしてみてください。 豊橋学生相談室 笛吹 |
「気がすむ」
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2005.7.1 クラシックの音楽には長い曲があります。例えばマーラーという作曲家のシンフォニーでは、1つの楽章が30分を越えることもあります。同じようなメロディーが、これでもかと言わんばかりに延々と繰り返されるのです。よほどの愛好家でなければじっと座って聴き通すことはできないでしょう。 どうしてそんなに曲が長くなったのか? そうしなければ本人の気がすまなかったのではないだろうか。 メロディーというのはある感情の表現です。ある一つのメロディーに変奏を加えて、いろいろな角度から繰り返すことによって、ようやくある感情におさまりをつけることができる。同じテーマを少しずつ変えながら反芻して、ようやく一つの感情に区切りがつく。つまり「気がすむ」までにはそれなりの紆余曲折と時間が必要なのではないか。 私たちもふだん、これと似たことをして気持ちの整理をしているように思います。整理を要する感情はたいてい怒り、恨み、後悔といったネガティヴなものです。悩んでも仕方ないと思いつつ、同じことを反芻して悩む。「気がすむ」ためには、やはりある程度の紆余曲折と時間が必要になります。それは原因となった出来事の重さや本人のパーソナリティによっても異なります。 悩むことは、自然で必要な過程ですが、ほどほどにしないとネガティヴな感情に固着したまま前に進めなくなり、精神の健康を損ないかねません。 たまにはぐちをこぼしたり弱音を吐いたりして、力を抜くことが必要です。 名古屋・車道校舎学生相談員 杉山 通 |
「微妙」
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2005.5.30 今さら、と笑われるかもしれませんが、若い人が「微妙(びみょ〜)」という時、程度の差はあっても「ヘンだ」という否定的な意味があるのだということを最近になって知りました。それまでは、「どちらともいえない」という意味だと受け取っていました。遅れているとしか言いようがありません。 そこで少し思いました。最近の人は言葉を知らない、語彙が乏しいとよく言われるけれども、日常の人間関係にはかなり気を使いながら、言葉を巧妙に使い分けているのかなと。 「微妙」というのは、「ヘンだ」と直接言うのを避ける婉曲語法で、人間関係を傷つけない効果があるわけです。これを学んでから、私もたまに「びみょ〜」と言ってみるのですが、若作りしている感は否めません。 何気なく口にした一言が相手の心を傷つけ、人間関係を破壊することはよくあります。どれほど多くの人が、うっかりした一言で人を傷つけ、自分も傷つけられ、それを悔やみ続けることか。自分たちに直接関係のない世間話でお茶を濁すのは、人間関係を無難に維持する生活の知恵なのでしょう。 とはいえ、自分の考えや感じ方を表明せざるをえない場面はいくらでも出てきます。そのような時に、どんな言葉を選んで、どんな調子で話せば、相手の気持ちを尊重しつつ自分を表現できるのか? 難しいところです。相手も場面も自分の想定通りにはなりませんから、シミュレーションには限界があります。実生活のなかで多くの場面を経験していくしかありません。人と会わずにネットやメールに頼るコミュニケーションには、この点で限界がある、と言いたいところですが、「空気を読む」(場の雰囲気を察する)という表現が通用しているところをみると、これも時代遅れの杞憂かもしれません。 名古屋・車道校舎学生相談員 杉山 通 |
始まりは倉庫から
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2005.5.17 現在の学生相談室立ち上げの日は、2000年4月1日でした。名古屋校舎の第一学生相談室はまだ倉庫のままで、ダンボール箱が積んである横で、深刻な相談を受けていたことを今も思い出します。思い起こせば、名古屋に来て二十数年、3つの職場を私は体験しましたが、いつも始まりは倉庫でした。それほど臨床心理士の存在は認知されていませんでした。近年、ようやくその必要性が理解されてきて、今では90%以上の大学や短大なども何らかの相談活動を行うようになってきました。 愛知大学でも、新入生のオリエンテーションでの相談室紹介、各学部の先生方に相談員として入っていただいて毎月行った相談室の定例会、教授会での相談室活動の紹介や報告、掲示板でのアピールや学期ごとに行った催し物、愛大通信のコラム欄の担当やホームページの立ち上げ(名古屋校舎のみのものもある)等など、いろいろ相談室の存在をアピールしてきました。そのおかげで5年の間に私個人でも、延べにして2000人近くの人たちと相談室でお会いすることができました。全く授業についていけない相談から、部活動のこと、友人関係のこと、性格や就職のこと、家族の問題、授業に出られない、生きるのが辛いという話も少なくありませんでした。また、手首に傷をもっていたり、すぐにお腹が痛くなってしまう人や息苦しくなってしまうような人も何人もありました。最近は、バイト先でのトラブルや不正請求の相談も増えてきています。相談室の必要性はますます高まってきているように思います。 以前はよく、「こんなしんどい仕事何故しているの?」と尋ねられ、時には辞めるように諭されたこともありました。20歳の時に新聞の片隅のカウンセラーの小さな記事をみつけて以来30年間、私は臨床心理の世界で仕事をしたり学んだりしてきましたが、そのほとんどは厳しい条件のもとでした。条件という以前に、働く場を見つけること自体がとても大変でした。それでもひたすら真摯に仕事をしていく中で、来談者の人たちが元気になってゆき、周囲の理解も得られるようになったことはとても有難いことでした。そして、何よりもそのような中で自分自身が鍛えられ、私なりにとても成長させてもらえたことを心から感謝しています。 愛知大学でも、多くの理解を得ることができ、これからさらに頑張ろうと思っていましたところ、今年度より他大学に移籍することになりました。これからも、真摯に仕事を続けていきたいと思っています。 学生の皆さん、これからも相談室をどうぞ活用してください。きっと相談室はお役に立てると思います。相談室にご理解・ご支援くださいました多くの教職員の皆様、本当にありがとうございました。<(_
_)> (前名古屋校舎学生相談員 藤田晶子) |
新入生のみなさん、入学おめでとうございます!
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2005.4.18 桜の花が満開のキャンパスでの生活には、もう慣れましたか? 待ちに待った大学生活、いろいろな思いを胸に秘めながら、入学を迎えたことと思います。愛大生のみなさんと話をしていると、入学当初から、将来の展望など、しっかりした見通しを持っている人が多くて、驚かされます。この職業や資格を目指したいから、この学部を選びましたとはっきりしている人がとても多いようです。 私自身の大学入学時を思い出してみると、希望校には入れなかったものの、ようやく受験勉強から解放されたという解放感でいっぱいで、大学生活の毎日が新鮮で、とにかく、あれもやりたい、これもやりたいという思いはありましたが、それは、遊びにまつわることばかりで、4年後の就職のことなどさっぱり頭にはありませんでした。今は社会情勢が不透明で、先が見えない不安感から、みなさんを堅実な方向へと駆り立てているのかもしれません。 しかし、大学時代はモラトリアム(猶予期間)と言われるように、いろいろ試行錯誤を重ねながら、自分のやりたいことを模索していくことができる絶好のチャンスとも言えます。自分の適性ややりたいことは、勉学、サークル活動、バイトなど、様々な大学生活の中で、模索しながら、見つけていけばよいのではないでしょうか? 私自身、大学4年間だけではその作業が不十分だったのか、卒業後も転職を重ねて、いろいろな仕事を経験しつつ今日に至っており、青い鳥症候群なのではないかと言われたこともありますが、振り返れば、その経験が全て役に立っているのではないかと思っています。 特に、青年期は悩みつつ、いろいろ試しながら、自分探しをしていく絶好のチャンスだと思います。もし、自分の方向性を見失いそうになったり、やり直したい、整理してみたいという気持ちになった時は、いつでも、学生相談室のドアをノックしてください。一緒に悩みつつ、どんな方向性がよいのか、ともに考えていきましょう。その時、選択した道が、一番最善の方向であったと思えるように、4年間の大学生活を充実して過ごせるように応援しています。 (名古屋校舎学生相談室 たけうち やすこ) |