巻頭の言葉

~日中関係、氷が解ける時代が遠からず?~

 

監修者 李 春利

愛知大学経済学部教授

ゼミ論集第8号『歩み寄れるか?新・日中関係~日中国交正常化35周年記念特集~』が発行された。そこには、李ゼミ8期生と7期生の心血が注がれており、大学院ゼミ生たちの力強いサポートもそこに結実している。「継続は力なり」、李ゼミ論集は李ゼミ関係者の知恵と努力の結晶にほかならない。

                           

 一、漂流する日中関係

 

今年のメインテーマはタイトルのとおり、波乱万丈の日中関係の新しい展開を直視し展望するものである。2006年安倍政権の誕生により、21世紀に入ってから悪化の一途をたどってきた「超氷河期」ともいえる日中関係に、ようやく春のそよ風が吹き始めた。2006年10月8~9日の安倍晋三首相の訪中は、中国では「破氷之旅」(砕氷の旅)とよばれ、また、2007年4月11~13日の温家宝首相の日本訪問は、「融氷之旅」(氷を融かす旅)であると温氏自身が言っている。氷が解ける時代が、一日も早く来てほしい。

「破氷之旅」も「融氷之旅」も、温首相が2007年3月16日に中国の国会にあたる全人代閉幕後の記者会見で日本のNHK記者の質問に答えた時に使った表現である。そのときに有名になったもう一つの言葉がある。ここに引用しておこう。

NHK記者:「現在の日中関係は改善の契機を迎えているが、同時に多くの問題は未解決のままです。日中関係において足りない点はどこなのか、それを改善するにはなにをする必要があると思いますか。」

温首相:「日中は一衣帯水(いちいたいすい)の隣邦です。中国には古い言われがあります。『召遠在修近、避禍在除怨』。これは管子の言葉です。(以下略)」

管子とは管仲(かんちゅう)のことであり、約2000年前の中国の春秋時代に、斉の国の宰相を務め、斉を強国に押し上げた有名な政治家であり、学者でもある。「召遠在修近、避禍在除怨」を意訳すれば、おおまかに次のような意味である。

「遠くの人を招きたい場合は、まず国内を治める(修近)ことが大事であり、禍を避けるにはまず怨みを取り除くことが重要である。」

分かりにくい表現だが、日中関係に対する中国首相の認識がこの10文字で簡潔に表されている。温家宝氏は地質学を専門とし、大学卒業後、中国西部の厳しい環境の中で25年間地質探査を地道にやってきた。彼は実に多才な人で、中国歴代首相のなかでもトップを争う教養人である。中国でも彼のファンが多く、温家宝語録はインターネット上に溢れている。

とげがささったままの日中関係はいったいどこまで漂流するのだろうか。

 

春風よ、吹け吹け!と言いたいところだが、事態はそう簡単ではないようだ。この春、春風に乗ってきたのは、黄砂である。モンゴル高原のゴビ砂漠や黄土高原、青海・チベット高原などで発生した砂嵐は、「三北」とよばれる中国の北部、すなわち西北、華北、東北部を席巻した後に、その残余勢力は偏西風に乗って日本にも上陸する。かつてのモンゴル騎馬軍団の襲来に勝るとも劣らぬすさまじい勢いである。2006年夏、中国「三北」地帯の砂漠の調査に参加した私は、砂嵐の発生メカニズムとその拡大の規模を知って、驚きを禁じえなかった。

日中関係は、実に思う以上に複雑に絡み合っているのだ。それはただ単に「政冷経熱」だけではなく、環境、安全保障、エネルギー・セキュリティ、北朝鮮に代表される地域安全の問題、グローバル化への対応、東アジア共同体のような地域統合、思いつきだけでもざっとこれだけ並べることができる。いや、もっとあるに違いない。

李ゼミ論集第6号のタイトル『永遠の隣人:引越しのできない日本と中国』で示されたように、おそらく日中双方の政府と国民は、このような視点から長いタイムスパンで相互の関係を真剣に見つめなおさざるをえない段階に来ている。李ゼミで取り上げられてきた研究テーマはそれなりに時代の息吹には合っている。ゼミ生たちはもっと自信を持っても良いのではないか。

 

二、日中比較の醍醐味(だいごみ)

 

ゼミ論集第8号には8本のレポートが収録されている。そのトップバッターは、編集長の柳原彰臣ポスト小泉におけるアジア外交の再構築」である。安倍政権誕生後の日中関係の変化をタイムリーに描き出されている。ポスト「超氷河期」時代の温家宝首相の訪日、次の胡錦涛国家主席の訪日の経緯と今後の展開を知るうえで貴重な論稿である。

次に、大渓光司「日米同盟と上海協力機構」は、日中の対立点を安全保障戦略の側面から浮き彫りにしている。大渓レポートは、日米安保条約の標的は日本の「本土防衛」から「周辺事態法」を経て、「イラク人道復興支援特別措置法」による自衛隊の海外派遣を契機として外に向かうものに変質し、さらに日米安全保障条約の本質は対中軍事同盟へと変化して来ている」と喝破した。最近の日本とオーストラリアとの防衛協力の締結、さらに、インド、アメリカを含めた「価値観を共有する国同士の連携」が推進されることにより、対中包囲網が徐々に形成されはじめている。

「ところが目をロシアと中国の接近と日米同盟という対立関係で見てみると全く違った新しい冷戦が始まっていることに気がつき驚いた」と大渓レポートは続く。「『上海協力機構』は中国・ロシアの2大国にとっては、冷戦以後唯一の超大国として存在感を増すアメリカへの対抗の意味を持つと考えられる。…特に、中国としては現在やみくもに進めている軍事力増強計画においてロシアの力を借りることが出来る。」中ロ対日米の潜在的な対立の構図は、今後国際関係のいろんな側面に現れてくるばかりでなく、日中関係にも影響を及ぼすに違いない。

岩田悟志「日中のモータリゼーションと環境対策」は、実に興味深いテーマである。中国が無防備のまま急速に車社会に突入し、インフラ整備や関連の政策、人々の意識までも猛烈なスピードで進んでいるモータリゼーションには追いつかず、そのために社会とクルマ、人間とクルマ、政府とクルマ、自然とクルマの間にさまざまな軋轢が生じている。交通事故や渋滞、環境汚染の問題が益々深刻な社会問題になっている。

岩田レポートでは車社会の先輩格である日本の経験と教訓、および現在の法律・政策とその効果について詳しく検討されており、中国の車社会の進展に現実的で見事な参照軸を明確に示している。温家宝首相訪日の際に、日中間のエネルギーと環境協力に関する合意文書が発表されることも事態の緊迫性を現している。

小川秀司「日中の携帯電話産業比較」は、大変読み応えのある面白いレポートである。携帯技術大国の日本と携帯市場大国の中国。これほど見事なコントラストの強い国際産業比較もめずらしい。日本と中国の展開がそのぐらい対照的である。

小川レポートは日中における通信キャリアと市場、通信キャリアと端末メーカーの関係、通信方式と通信規格の比較を多面的に展開されている。さらに、中国独自の国際標準規格である第3世代TD-SCDMA方式の展開と問題点、中国における外国企業と国内企業の比較の視点からノキア・サムスン・レノボといったトップ3の戦略が検証されている。また、日本企業の国際戦略や3Gの推進についての強みと弱みについても鋭く分析されている。

佐野文哉「鉄鋼業のグローバル大再編」はより大きな構図の中でいわゆる「鉄鋼サバイバル時代」の潮流のなかで日中韓などアジア鉄鋼企業の苦悩とサバイバル戦略について描かれている。2006のミタルとアルセロールの買収合意から誕生したアルセロール・ミタルは、粗鋼生産量が年間1億2000万トンと、日本全体の粗鋼生産量の合計をも上回っている。鉄鋼世界再編の号砲を引いたのは、鉄鋼業界で最も注目を集める男、同社のインド系経営者であるラクシュミ・ミタル会長であった。

その次なる標的は、世界第2位の新日鉄か3位のポスコ(韓国)なのか、それとも4位のJFEスチールか5位の宝山鋼鉄(中国)なのか。ミタル氏の一挙手一投足に世界の同業者たちは固唾を呑んで見守っている。鉄鋼という人類との付き合いがもっとも長い産業では、いまはM&Aの嵐が吹き荒れている。アジア鉄鋼企業同士の戦略提携ははたしてミタルの野望とヘゲモニー(覇権)を打ち砕くことができるのだろうか。答えは未知数である。

ちなみに、佐野レポートに写真が載っている中国宝山鋼鉄股份有限公司の艾宝俊総経理は2006年に中央党校のミッションで愛知大学東亜同文書院記念センターを訪れた。

 

         三、中国経済のアキレス腱

 

松井淳哉「中国のエネルギー問題」と田中健太郎「中国の『三農問題』」は、中国経済のアキレス腱(Achilles’ tendon)を突いている。

松井レポートは中国のエネルギー需給ギャップをリアルに描き出されている。海外のエネルギー資源を獲得するために、中国企業は買収攻勢を加速させ、資源外交ともよばれる中国政府の外交攻勢も勢いを増している。それに対する国際社会の反応はさまざまであるが、概して中国脅威論となって跳ね返ってくる。ゼミ論集第7号で取り上げられた日中間のガス田開発や領土問題もその一例である。加藤幹正「資源をめぐる東シナ海の領土問題」(李ゼミHP)を併せて参照されたい。

田中レポートは近年、中国が抱えている内政上の最大の問題である「三農問題」を取り上げている。「三農」とは、農業、農村、農民の3つの「農」を指す。「世界の工場」とも呼ばれる中国では、実際人口の6割以上が農村で暮らしている農業大国である。7億とも8億ともいわれている農民のなかで、約1~2億の優秀な労働力が都市部や沿海部に出稼ぎに行っているが、その反面、農村の大半は疲弊している。

その問題の核心は、農業と工業の間、農村と都市との所得、生活格差拡大のことであり、中国の経済発展を制約する足かせになっている。生活が依って立つ農業がだめになった場合、はたして政府があれだけの農村人口に雇用機会を提供することができるのだろうか。WTO加盟によってもともと脆弱な中国の農業はいま、グローバリゼーションの荒波に晒されている。「無工不富、無農不穏」=工業がなければ国が豊かになれないが、農業がなければ国が安定しない=中国に昔から伝えられてきたこの言われがあった。農業と工業のバランスという古くて新しい中国の最優先課題がかつでないほど先鋭的な形で問われている。

若干明るいレポートは、シー祥国「2008年北京オリンピック大会が中国の経済と社会に与えるインパクト」である。日本ではほとんど知られていないが、1991年に、2000年五輪の開催地をめぐってシドニーと4回の投票を経て北京は惜敗した。前の3回はいずれもトップの得票だったが、4回目の決戦投票で45:43となり、わずか2票差でシドニーに負けてしまった。

後の報道によると、国際オリンピック委員会(IOC)のなかで不祥事が起き、2000年五輪の開催地をめぐって2名のIOCアフリカ委員が投票前に買収されたという。その責任を追求されて、当該委員の除名とIOC自身の徹底的な組織改革を余儀なくされ、一時はIOCの存立基盤も危うくなる大事件となった。ところが、時期的にすでに2000年五輪の開催後であったため、中国国民の悔しさを増幅させる以外、挽回のすべはなかった。

失敗から学んで、2001年に北京は再立候補し、「グリーン北京、グリーン五輪」をスローガンに、2008年五輪招致の決勝戦を制した。シーレポートはその「グリーン北京」のコンセプトにメスを入れ、五輪開催に向けての急速な開発とモータリゼーションの進展による環境破壊の現状と照り合わせて、五輪の理念と現実の矛盾を鋭く問い詰めている。2008年の北京オリンピックは一体環境重視なのか、それとも開発重視なのか。

 

          四、「風鈴会大集合@名古屋2006!」

 

20061118(土)、李ゼミ史上空前の大イベントが名古屋で行われた。李ゼミ1期生から7期生まで「風鈴会大集合@名古屋2006!」が盛大に行われた。昼夜2部制で昼の部には30名、夜の部には19名が参加しました。李ゼミOBOGたちが、会合後の感想や「風鈴会大集合」が企画された裏話など、李ゼミのHPBBS(掲示板)に投稿されたものを中心に、ゼミ論集第8号に寄せ書き&写真ギャラリーをまとめた。

1期生が卒業したのは20003月、長い場合は実に6年半ぶりの再会であった。また、ゼミ生は東海地方が一番多いが、神戸、姫路、石川、長野、東京からも参加した。改めて李ゼミには熱い人が多く、仲が良いことを実感した。参加者の写真やBBSへのメッセージを中心に、39頁にものぼる熱い大特集が組まれ、当時の熱い雰囲気を「形」に留めた。

企画の音頭をとってくれた1期生の内藤圭一君と長濱貴子さん(旧姓:滑川)をはじめ、風鈴会の歴代の幹事たち、本当にお疲れ様!編集と撮影をやってくれた加藤幹正君(7期生)と森田正幸君(4期生)、本当にありがとう!それから2006年の新婚さんである井上允(1期生)&明美夫妻、畔柳享代(旧姓:熊切、1期生)&雅行夫妻、今井由里(旧姓:野々村、4期生)&哲也夫妻、心からおめでとう!

参加者全員には一言贈りたい。「本当に楽しかった!自分の教え子たちと飲んだ酒は一番うまい!心から楽しめる会合をまたやりましょう!」

2006年のもう1つのビッグイベントは就職セミナー。4回目を迎える今回のセミナーの講師に、昨年に続き、李ゼミOBで総合警備保障株式会社(ALSOK)人事部東海採用センター担当の天野健太郎君(2期生)を迎えた。参加者は234年生と大学院生で、30数名にのぼった盛会となった。今年はあえて「形」にこだわり、教室棟ではなく、研究館1階の第1・2会議室を借りてセミナーを行った。さらに、全員名札付きでスクリーンとマイクを使って、説明会さながらのリアリティを演出してみた。また、全過程を録画に収め、写真もたくさん撮った。会場の中では緊張感がひしひしと伝わっていた。

2年連続講師を引き受けていただいた天野君、心からありがとう!今回の企画を最初から最後まで引っ張ってくれた7期生ゼミ長の加藤幹正君、本当にお疲れ様!後輩思いの強い君の気持ちはきっと後輩たちに引き継がれていくよ。また、当日会場の設置からいろいろサポートしてくれた大学院ゼミの諸君にも心から感謝したい。

就職セミナー終了後、李ゼミの2・3・4年生が大集合し、講師の天野健太郎先輩を囲んで、ソニックボウル豊橋にてボーリング大会を行った。その後、2006年の打ち上げも行った。8期生のシー祥国君と松井淳哉君、そして大学院ゼミの趙褘楠君が特集を組んで、新旧ゼミ生の感想や自己紹介などを交えて、当時の楽しい思い出を記録に留めてくれた。

例年の慣例となった李ゼミの新歓餃子パーティや合宿の感想に加えて、今年は「大学院の頁」を増設した。大学院ゼミ生も年々増え、貴重な戦力になった。李ゼミHPの管理や授業時のPC補助、ゼミ論集の編集協力、さらに自分が企画した各種講演会やシンポジウムのお手伝いなど、李ゼミをいろんな形で支えてくれている。諸君の努力と協力に心から感謝したい。

最後に、論集第8号には海外旅行記を4本掲載している。1期生の幅岸智美さんの「漫遊記~中国と私の縁~」で記された豪快な中国の旅に圧倒されるばかりで、中国への熱い思いもひしひしと伝わってくる。2006624日、6年ぶりに福井から母校を訪ねてきた彼女に会った。2期生の桜井美紀さんの「ドイツ・オーストリア紀行~ロマンチック街道とザルツブルク・ウィーンをもぐもぐ~」は彼女の脱亜入欧の体験が彼女らしく綴られている。

3期生の斧研貴子さんの「2006年 貴子と寛子の旅行記」はタイやアメリカでの忙しい旅体験を社会人らしく簡潔に記録されている。さらに、7期生の河本裕樹君の「卒業旅行in Thailand」は同期の美濃羽翼君と石川高広君の男友達3人の南国でのゆったりした体験談をリズミカルに書かれている。

類は友を呼ぶ。李ゼミの遊び好き、海外旅行好きの伝統はしばらくの間変わりそうもない。