中国・深圳テクノセンターでのインターンシップ研修報告

~世界の工場見聞録:「自分からやれ!見ろ!感じろ!」~

 

 

 

                               

 

 

                      知大学経済学部経済学科 村上陽

<推薦の言葉>

 村上陽介君はいま私のゼミで勉強している学生である。2005年夏、中国・深圳テクノセンター(TNC)でインターンシップ研修をしたいとの相談を受けて、その依頼で推薦状を書いた。推薦状を書くにあたって、ひとつの条件をつけておいた。つまり、研修先・TNCが要求される研修レポートとは別に、自分の実体験と率直な感想を研修報告にまとめてもらい、後輩たちを励むためにも、「形にして」残しておくということだ。彼は見事にその期待に応えてくれたと思う。

中国・深圳テクノセンターでのインターンシップ研修は、かつてNHKの人気番組「クローズアップ現代」にも特集の形で取り上げられた有名なプログラムである。愛知大学関係者では、2003年に経済学部の近藤誠君(いまは卒業生で中国関連のビジネスに従事している)を推薦し、研修を受けてもらったことがあり、村上君は2人目になる。ところが、関東では一橋大学、関西では関西大学からの積極的な参加に比べて、日本の「製造業のメッカ」とよばれる東海地方からの参加は、まだ不十分といわざるをえない。

村上レポートの最後に書かれたように、「自分が成長できる『場』に身を投じることが大切であり」、実際、世界の工場の現場で体験を積むことが、学生の将来の人生設計にとっては、大学での一般教育に勝るとも劣らないぐらい重要な教育である。若者たちに日本で通用していた価値観がすべてではないことを悟らせ、多元的なものの見方を身につけてもらうには、海外でのインターンシップは重要な教育手段なのである。今後、そうした「やる気」のある学生たちに対して、一層組織的なバックアップを強化していくことが望まれる。村上君の体験はなんらかの形で関心をもつ人たちの「共同知」として共有されれば幸いである。

 

知大学経済学部教授 李 春利

はじめに

2005年夏、私は中国・深圳テクノセンター(TNC)にてインターンシップ研修に参加でき、大変光栄に思っている。研修中、大変お世話になった石井次郎・TNC社長を始め、神谷誠一氏、川副哲氏、立石瀧雄氏、久田泰氏、西村三砂氏、またテクノセンターに関わるすべての方々に対して、厚く御礼申し上げる。

私は中国深圳で経験したことが、これから更に自分自身を飛躍させる価値のあるものだと確信している。

 

1 新たな自分探しに

私は今現在、大学生として勉学に励んでいるが、学校の枠組みに閉じ困りすぎると、どうしても企業の実情、実社会というものを理解することは難しく、就職をする際に必要となる情報が少なすぎるのではないかと以前から感じていた。それゆえ、実際に企業に入り、実社会では何が起きており、自分に何が必要なのか、しっかりと理解したかったのである。また、大学では、「製造工程における日中間の分業」をテーマに経済学を勉強しており、日系企業の中国進出、生産拠点のグローバル化に伴う現地化の問題について大変興味がある。

2003年9月より1年間、私は中国・南開大学に留学していたこともあり、将来ビジネスで中国と関わっていきたいし、将来自分のキャリアに中国とのビジネスが大きな影響を与えると確信している。私は、このインターンシップ研修を通じて、自分の見聞を更に広め、より充実した見解を持ちたいと思い参加を決意した。

 

2 中身の濃い体験型インターンシップ

2-1 Wonderful intercultural internship TNC

私が参加した日程(2005年8月18日~9月1日)には、日本から16名、中国から2名、また今回初めて香港から4名の大学生が参加した。このようなメンバー編成はTNCにとって初めての経験であった。このインターンシップ研修は海外で行っているため、普段日本で生活する上では得ることのできない様々なものを見る機会、聞く機会、感じる機会を得ることができ、大変有意義なものである。私が参加した日程は、幸いにも日本・中国・香港と3つの地域から学生が参加し、言葉や文化、風習などが異なる関係でお互いの価値観に触れ合い、情報、知識の交換などを通じて、お互いを理解し合ったり、協力し合ったりすることができた。また、その過程において、とても多くの困難に遭遇したが、結果的にコミュニケーションを深めることができた。お互いの文化や風習の違いを肌で感じ、視野を広げることができたため、自分自身を再度見直すいい機会でもあった。

勿論、TNCは一つの利益を追求した企業であり、実社会で働いている方々と、実際に会社の中で研修できるため、必ず良い影響を受ける。また、実社会の現実に触れ、今現在世界で起きている社会問題、例えば、生産拠点のグローバル化に伴う現地化の問題などに対して、当事者意識を高めることもできる。そして、インターンシップ研修を通じて得たものを、将来のキャリアのための準備として蓄え、自己を更に飛躍させることができるのだ。

ここでインターンシップ研修のプログラムについて説明すると、特に決められたプログラムはない。プログラムは、各自興味のある研修内容をもとに各自で組み立てる。研修1日目に2週間の行動計画表を作成し、テクノセンター事務局に提出する。その後の研修期間は、各人の行動計画表に基づき各自で行動する。勿論、テナントの工場視察や、工場長、社長ヒヤリング等のアポイントメントも各自で行う。

 

<私のインターンシップ研修プログラム>

① テクノセンター管理職社員ヒヤリング

② テナント工場、会社見学

③ テナント工場長、社長ヒヤリング

④ 工場ライン実習

⑤ テクノアカデミー日本語教室見学、手伝い

 

2-2 中国人工員たちと一つ屋根の下で

研修中の現地での生活について、まず宿泊は、シャワー、洗面所、トイレ共同使用の中国人工員宿舎をTNCに用意してもらった。私たちは、1部屋に2段ベッドが8台ある1名が入寮人数の部屋に、工員と同部屋で宿泊した。部屋は、鉄筋コンクリートの壁と床で、大きさは約9畳程度、比較的高い天井には、大きな扇風機が2台備え付けてあった。窓は、部屋の奥に1つしかないため、日当たりが非常に悪い竹竿が部屋に張り巡らされており、タオルやTシャツなどが干してあった。ベッドは、クッションやマットはなく、裸のベニヤ板に茣蓙(ござ)を敷いただけで、その上にタオルケットをかけて就寝していた。夜通し、窓も扉も開けっ放しの部屋の中に入ってくる蚊を防ぐため、蚊帳で寝床をおおっているベッドが多く見られた。各工員にとって各自1台のベッドの上は、プライベートスペースであり、生活用品、貴重品などすべてを管理していた。また、彼女の写真やスター芸能人のポスターなどを、枕元に飾っているベッドも多く見られ、ベッドの上は、まるで一つ部屋のようだった。

シャワーは水のみであり、お湯は毎日各階に設置してある給湯器でバケツに汲み、シャワー室まで運び、バケツのお湯とシャワーから出る水で体を洗うことができる。しかし、基本的に気温が高いため、工員たちは水のみで、石けんやシャンプーを使用し体を洗っていた。また、シャワー室は、コンクリート剥き出しの壁で、日当たりが悪く薄暗い。ベニヤ板の扉で個室に分けられており、シャワーの蛇口は、ただのホースといった感じだった。

トイレは、男子便所に関していえば、和式というかただ穴が開いてあるだけの水洗便所であった。これも同様にベニヤ板の扉で個室に仕切られていた。

洗濯については、洗面所でバケツと洗剤を使い、手洗い洗濯をしていた。私たちの参加した日程は、雨降りが多く、洗濯物を部屋の至るところに吊るして干していた。しかし、通常の作業服や普段着などの洗濯物は、外の廊下に隙間がないほど干している。

ここで、一つ言いたいことは、中国人工員の共同スペース(シャワー・トイレ・洗面所)の使用の様子は、非常にモラルが欠如しており、大変不衛生であること。TNC社員の説明によると、中国人工員は農村からTNCに出稼ぎに来ており、トイレ、洗面所、シャワーのきちんとした使用方法がわからないらしい。このように、中国人工員の生活環境は、一度生活してみればわかるが、私たちと一緒にインターンシップ研修をしている中国人も認めるくらい決して良くはない。しかし、私の目の前にあった光景には、「中国は、絶対に発展する、良くなる」と信じて働いている工員の姿、さまざまな将来の夢を持っている工員の姿、日本語を一生懸命勉強している工員の姿、毎日一生懸命働き親に仕送りをしている姿があった。私が少し戸惑うくらい彼女たちの目は輝いており、いつも元気一杯だった。

正直な話、私にとってこの生活水準は、衛生面以外それほど驚きもなかったし、生きていくうえでさほど問題ないと思った。私はこの時、自分の固着観念が、自分の生まれて育った日本の普通に捕らわれず、少し多様な社会に順応できるようになってきたのかなと実感した。しかし、このような環境の中で働いている中国人工員の目に輝き、自分の将来に対する希望や期待には、大変戸惑ったし、ものすごく大きな衝撃を受けた。また、工員の逞しい姿、何事に対してもハングリーな姿勢は、もちろん自分自身見習わければならないが、少し切なさを感じたのも事実である。

 

2-3 ミーティングというコミュニケーションの場

私たち学生にとってミーティングは、このインターンシップ研修を通じて、大変重要で非常に有意義なものだった。私たち学生は、事前にE-mailBBSなどを活用し、連絡を取り合っていたが、研修初日に深圳で初めて顔を合わすため、お互いほとんど何も知らないに等しい。また、限られたとても短い期間で行うインターンシップ研修の内容をより充実したものにするためには、学生同士のしっかりとした相互理解が必要不可欠である。ですから、私たちは、いつでも時間があれば積極的にミーティングの時間を設けた。

ミーティングの内容について、始めたばかりのころは、インターンシップ研修に参加した経緯や動機、日本では、どういったことを勉強しているのかなど、自己紹介を交えた雑談の様相だった。しかし、本格的にインターンシップ研修が始まると、各自が研修を通じて得た情報や見聞、見解などをほかの学生と共有し、それに対して議論した。私は、このミーティングを通じて、同世代の大学生が、今現在世界中で起きている経済活動に対して当事者意識が非常に高いことに大変に感銘を受けた。また、私自身も社会構成員の一人であることを自覚し、世界中で起きている問題に対して、まるで自分の身の回りで起きているかのような姿勢で、向き合っていこうという考え方に変わった。

しかし、私たちは、この海外におけるインターンシップ研修を通じて、もっと基本的で重要なことを忘れていた。TNCは日本人、中国人、香港人が、一緒に働いている場所である。そして、私たちの研修グループも日本人学生と中国人学生、香港人学生が協力する場である。私たち特に日本人学生は、ミーティングをしている最中、言葉の障壁や、国際交流の場であるということを考慮せずに議論を進めてしまった。その結果、日本人グループと外国人グループという構図に分離してしまい、コミュニケーション不足の原因になってしまった。食事やミーティング、自由時間など様々な場面において外国人グループを孤立させてしまった。これについては様々な原因があるが、私たち全員の思いやりや積極性が不足していたことはもちろん、価値観や、文化背景の違いから発生してしまった誤解や、お互いを尊重し合う姿勢の足りなさがもたらした結果だった。

私たちは今、グローバリゼーション、国際社会の中で生きている。つまり、私たちは、自分の国だけにとどまっている必要はないし、ビジネスの機会を広げ、視野を広げることが必要なのだ。このインターンシップ研修は、将来のキャリアのための準備であるし、私たちは、目の前で起きている問題としっかり向き合うことにした。そして、解決策としては、ミーティングの場を最大限活用し、コミュニケーションを積極的に取り、他人の立場に身をおいて考えるなど基本的なところの見直しが必要だと思った。また、コミュニケーションをうまくとるためには、通訳を徹底し、それに対してのアフターフォローをしっかりする、また、視覚資料を活用し、話しやすい雰囲気づくりなどをしなければならないと思った。つまり、根本的なスタートは、言語の違いを問題しないことが必要であるのだ。

私たちは、この問題をクリアしてから雰囲気が明るくなったし、何事に対しても積極的になった。また、毎晩夜遅くまで、工員宿舎の前に椅子を並べ茣蓙(ござ)を敷き、インターンシップ研修についてはもちろん、経済政治、歴史問題など様々な話題について意見の交換をしたり、時には、青島ビールを飲んで、トランプや日本のゲームで遊んだり、本当に積極的なコミュニケーションをとることができた。

こうして考えていくと、私たち学生にとってミーティングは、他大学、多国籍の学生と交流、意見の交換ができ、また様々な価値観に触れ合える絶好の機会であった。そして、このミーティングを通じて、自分自身の物事に対する捉え方を考え直し、これから先の人生についてより視野の広い考え方ができるようになったと思う。

 

3 頼もしく光り輝く日本企業 ~「世界の工場」から見えたモノ~

 

3-1 TNCは誰の寺子屋なのか ~経営理念から考える~

TNCの経営理念は3つある。

       進出企業の工場運営をサポートすることにより、企業の国際化、活性化及び技術力の維持発展に貢献する。

       技術移転、雇用の創出並びに地域製品や生産物等の購入のより、中国経済発展及び社会資本の充実にも貢献する。

       適正利潤を確保することを旨とし、株主、従業員、地域社会に対して、適正な利潤還元を図る。                       

TNCは日本企業にとっても、日本人・中国人にとっても「寺子屋」である。つまり、日本の中小企業のスムーズな中国進出をサポートし、それに必要な安定したインフラストラクチャーを提供している。また、ここで働いている日本人・中国人の技術や生活水準の向上に貢献し、中国全土の技術水準を高度で上質なものにするため日々努力している企業である。

 

3-2 「広東式委託加工」の秘密=「転廠」制度

中国の広東省では、世界の常識、日本人の感覚では想像もつかないような特殊な委託加工システム(転廠)で取引をしており、また実際の通関手続きは非常に複雑で、転廠をするための条件も厳しいものがあるため、TNCとの間にしっかりとした意志の疎通が必要不可欠である。この仕組みを中国国内のほかの地域で真似することは事実上不可能である。広東式委託加工システムには法的根拠は一切なく、中央政府の志向を無視できてしまう広東省のみで事実上行うことが可能である。また、中国では非常に厳しい戸籍管理を行っており、基本的に農民は自由に移動ができないが、広東省のように農村から無限大の出稼ぎ工員を調達することが比較的楽であることも、転廠で取引を可能にする要因の一つである。

この転廠システムを最大限活用しているTNCは、各テナント企業の転廠手続きを一括して代行しており、TNCの手続きノウハウに不安はないし、通関手続きの代行こそがTNCの最大のメリットであるといっても過言ではない。つまり、TNCの持つ通関ノウハウは、各テナントに信頼感を与えており、また非常に重要であることがわかる。

また、TNCテナント企業の1社でもある、(株)ヒサダの久田泰社長を例に挙げると、TNCの石井次郎社長と関係が非常強く、TNCに進出したことによって、様々な人たちからの力強いバックアップ(経営ノウハウ・メディア・顧客の紹介など)を得られたことが成功に結びついている。久田泰社長と話をしていると、TNCや石井次郎社長への感謝の気持ちが非常に伝わり、私はこれこそ本来TNCが目指す形ではないかと思い、久田香港有限公司に焦点を当て研修した。つまり、私が言いたいのは、TNCとテナント企業の間にしっかりとした信頼関係が形成されていれば、ビジネスをするうえで必ずメリットが多くなるということだ。

 

<転廠とは. . .

「転廠」制度とは、加工貿易形式で輸出入を行う生産企業(外資系を含む)間の国内取引に対する特別の関税免除制度をいう。「転廠」制度は、税関総署(中央税関)の規定に基づくものであるが、実態としては広東省でのみ行われている。

加工貿易形式による輸出入は、原材料・部品の有償輸入(進料加工)と無償輸入(来料加工)2つの方法があり、いずれも対外貿易部門の認可を必要とする。製品は原則として全量輸出が義務付けられ、輸出入の原材料・部品は免税扱いとなる。下図のように、(c)~ D ~(c)の取引が最も単純な形態。しかし、現実には単純な加工貿易取引は少なく、省内の一次加工メーカーからも原材料・部品を仕入れる例が多い。上図のA( A')BCの取引は本来、国内取引であり、免税の対象とはならないが、定められた手続きを行うことにより、免税扱いとなる。

 

(出所)日中投資促進機構 HP、「(資料2)転廠制度について」http://www.jcipo.org/shiryou/gdkakous.html#2より引用

 

3-3 「日本を向いて仕事をするな」 ~社長が駐在しているところが本社だ~

私は、このインターンシップ研修の中で、様々な日本の中小企業の中国進出、現地化を見てきた。1990年代の中頃まで、日本の中小企業は、中国に「安い豊富な労働力」を求めて輸出生産拠点の形成のため進出してきた。しかし、21世紀に入ってからは、中国国内のマーケットを視野に入れて、中国にやってくる日系中小企業も多くなってきている。 

中国進出といっても様々なケースがあり、日本の中小企業の場合、経営者は日本に在住して、従業員が中国に駐在するというケースがほとんどである。現在の中国経済は、活動のスピードが非常に早い。つまり、このような国に進出し現地化を進めるためには、迅速な判断が必要とされる。日本の中小企業の場合、経営者と従業員の間には意思決定の能力に大きな差があり、そのため現地に経営者が不在の場合、判断スピードが遅く、致命的な問題に遭遇する可能性が非常に高いのである。これはTNC関係者が言っていたが、中国進出する際に台湾や韓国と日本の中小企業の大きな違いは、台湾、韓国の中小企業経営者は家族帯同で中国に駐在しているケースが多いことである。

日本の中小企業が、中国進出した最大の理由は、受注先の大企業が中国進出したからだ。TNCのテナントを視察した際のことだが、私は、ある工場長が「自分達の企業には、自分達にしかない技術を持って製品を製造している」と言ったほんの矢先に、「自分達の受注先の大企業が中国に来たから、我が社も中国進出した」と言ったことを今でも鮮明に頭の中に残っている。日本の支店経済構造においては、大企業より中小企業のほうが、経済変化のしわ寄せ的な影響を受けやすく、常に「現実」を冷静に見つめ、迅速かつ柔軟に対応し、実践する必要があると思った。つまり、経済が急激に変化していく中国においては、経営者自らが、中国に駐在する必要性が非常に高いのである。

ここで、久田香港有限公司を例に挙げる。この会社の日本名は、(株)ヒサダで1928年に名古屋で創業以来、金属プレス加工を手がけ、現在では中小プレス加工業として頑張っている。久田泰社長は、2002年TNCに進出する際、特に仕事(受注先)の見当もないまま、60トンプレス1台で飛び込んできた。つまり、「日本でやっていては良くはならない」、「中国に進出すれば絶対に大きなチャンスがある」と考え、日本の仕事を捨て、何もないゼロの状態で中国進出をスタートさせたのである。

ここで注目したいことは、リスクを負いながらも積極的に中国進出したことにより、新たな顧客もつき、失った受注先を取り戻せ、瞬く間に自社の製造キャパシティーを超える仕事を受注できたこと。そして、中国進出は、大企業だけではなく、中小企業にもビジネスチャンスが増える。また、これに関して経営者が駐在していることが大きく影響していることだ。

久田泰社長のヒヤリングで最も印象的だったのは、「社長の駐在しているところが本社だ」という言葉。私は、この言葉を聞いた時、この人(久田泰社長)は、中国進出に対して本気で取り組んでいると強く感じた。また、現地化についても、「中国は、自社の最大の生産拠点であり、満ちあふれたチャンスがある」と言っており、社長自ら主体性を持ち一生懸命押し進めていた。

また、家族帯同で中国に駐在し生活していることもあり、社長自身がとても生き生きしていた。

久田泰社長を一言で表すと、「元気な人」である。私たちの研修期間中、仕事が特に忙しく社長とあまりお話をする機会がなかったが、私は、久田泰社長の背中をしっかりと目に焼き付けてきた。久田泰社長の元気な背中からは、「自信」「志」と「本気」「充実」を感じ、そして、「情熱」「感謝」と「責任」「厳しさ」も感じた。また、社長は、よく工場の現場を見ており、率先して工員たちとコミュニケーションをとり、仕事を手伝っていた。従業員に対して上から物を言うような偉そうな態度はなく、同じ目線で気持を言葉に表し、社内会議では、従業員に対して「言いたいこと」を言わせ、考えを押しつけることは絶対にしていなかった。また、中国人に対しては、「中国人の従業員は、教育すればすぐに覚え、仕事をきちんとしてくれる。日本で若い人を教えるより、こちらで教えるほうが気持ちいい」と言っており、中国との共存共栄をとても強く感じた。

 

3-4 「世界の工場」の礎=「日本人にはできない中国人労働力の質」

 1970年代末以来、中国経済は改革・開放の道を歩み、その結果、リカードのいう比較優位性を発揮し、「豊富な労働力=安い人件費」に沿って国際分業に組み込まれてきた。しかし、私は工場長や社長のヒヤリングをしていくたびに、「人件費が安いから」という理由だけで、日系企業が中国深圳に進出してきたわけではないことに気づいた。もちろん、豊富な労働力は非常に強みだが、その労働力の質に、魅力や強みを感じている企業のほうが多かった。

久田香港有限公司でライン実習をしていた時、久田泰社長が私に、じっと立ち作業をしているラインを示して、「あの子たち(中国人女子工員)の目は輝いている」といった。さらに続けて、「あの子たちは、1日中、食事とトイレ以外の時間はあのままの姿勢で作業を続けている。今の日本の若者じゃ10分も持たない。彼女たちはみな内陸からの出稼ぎで、親にも仕送りしている。これほどまでの集中力と忍耐力を持った労働力は、世界に広東省だけだ」と言い放った。私は前から、中国の中でもこの広東省の出稼ぎ女性たちは、特によく働くと聞いたことがあるが、中国に進出した日系企業が、人件費の安さから労働力の質に関心の焦点がシフトしていたことに、「世界の工場」の礎の頑丈さを実感した。ここ深圳においては、「人件費が安いから」ではなくて、「日本人には、できないから」という中国人労働力の質が、肝心の要点になっていた。

労働力の質という部分で、私がさらに驚いたことは、工場内は非常に清潔で整理・整頓されており、5S(整理・整頓・清潔・清掃・習慣化=しつけ)を中国人工員がきちんと守っていたことだ。私は、以前中国に留学していたので、中国の公衆衛生の悪さは十分理解していた。しかし、工場内は、使いたい物品がすぐに出せる状態にあり、清潔に保たれていて、組織としてこれらの活動が定着していることを実感した。私は、無意識のうちに、埋め込まれた中国に対するイメージ、先入観、複雑な心境を見直す必要があると強く思った。

また、このインターンシップ研修で、私はテクノアカデミー日本語教室の見学、手伝いをさせてもらえる機会を得た。中国人工員達は、1日中働いて疲れ切っている状態でも、自分の給料から学費を払い、日本語を一生懸命勉強していた。見学の日、私が教室に入るなり、中国人工員達は、「日本人が来たわよ、あなた日本語でしゃべりかけなさいよ」とお互いを感化し合っていた。私が参加した中級クラスの工員達は、まだわずか1年ぐらいしか勉強していないにもかかわらず、大変すばらしい日本語能力を持っていた。授業中の中国人工員の態度は、充実した楽しそうな表情で、非常に真剣であり、またとても礼儀があり、先生を尊敬の眼差しで見ていた。さらに、私に対しても積極的に日本語で質問してくるなど、非常に大きなパワーとポテンシャルの高さを感じることができた。

3-5 信頼感は、海を越えて結ばれないのか ~労務管理における日本人と中国人~

様々なテナント企業をヒヤリングした際、私がとても戸惑ったことは、日本の経営システムを、進出先に植え付けようと困惑している姿。現在のグローバリゼーション時代において、中国に生産拠点を移転させた各テナントは、とりわけ、労務管理に気を遣っていたのだ。各テナント企業が口をそろえて「中国人工員の管理が難しい」というのは、日本の経営システムに慣れすぎてしまった日本人が、十分に中国人を認識していないからだと思う。「日本の企業は、現地に馴染むことができない」「中国人幹部を登用しない」など、日本の企業の現地化について色々な意見がいわれているが、これは事実であると思った。

しかし、そんな状況の中でも、TNCのテナント企業は、世界が認める中国人の素晴らしいポテンシャルを認識していたし、最大限出すために、日々試行錯誤していた。例えば、生産ラインの改善などについては、大多数のテナント企業が、毎月末に日本人と中国人管理職と中国人工員の各ラインのリーダー、中国人技術者で会議の場を設けており、積極的に中国人の意見を取り入れていた。

製造工程においては、例えば、「一人屋台生産方式」を採用し、中国人工員に責任を与えて意欲を促進し、仕事の出来不出来の差別化を図り、職能給を実現していた。また、そのほかにも、各中国人工員に対して1星・2星・3星・4星と仕事の成績をつけ、その成績表を工場に表示したり、中国人工員がつけている三角巾の色を仕事の能力によって分けたりしていた。これにより、工員の差別化を図り、仕事に対しての競争心を駆り立てていた。全体の製造工程において、生産→研磨→検査→梱包というような各工程をできるかぎり完結化し、各工程で誰が何に従事したかを明確にし、工員に対して責任感を与えていた。また、そのほかにも、中国人工員の雇用確保のため、また会社への求心性を高めるため、定期的に、誕生日会やカラオケ大会を催すなど、労務管理に対して大変な神経を使い工夫を凝らしていた。

しかし、製造工程の作業を見るかぎり、決してハイテク技術を必要とするものはなく、まだまだ日本人と中国人が仕事上で、信頼し合っているようには感じられなかった。勿論、工員を仕事の能力によって差別し、賃金に付加価値をつけることや、様々な催しを行ったりすることは、仕事に対しての意欲を促進させていたが、経営のリスク回避が最大の目的であると強く見受けられた。私は、現実として多くの中国進出した日系企業は、まだまだ本当の現地化を実現していないと思った。また、日本人と中国人の間に、本当の信頼感はまだないと思った。

確かに勤務時間においても勤務時間以外の時においても、TNCの日本人と中国人は、お互いを尊重し合った仲のいい関係が形成されていた。しかし、会社に対する求心性、帰属性が日本人と中国人の大きな相違点だった。これは、経営自体に問題があると思うが、中国人は「時間給」で、日本人より遙かに出世することが困難であり、仕事の能力があっても会社に認めてもらえないという事実があるから生まれる。私が実習に参加した生産ラインでは、納期に間に合わせようと必死に仕事をこなす日本人の隣で、何食わぬ顔でマイペースに仕事をこなしている中国人工員がいた。また、休憩時間になると、真っ先に椅子に座り、机にうつ伏せになって寝てしまう工員や、仕事の終わりを告げるチャイムが鳴った途端、一斉に仕事をストップさせてしまう工員がいた。中国人工員の行動は、「時間給」なので当たり前かもしれないが、製品を搬出するまでに3、4回の検査をしているテナント企業もあり、仕事上でのミスの多さを物語っており、とても責任感のある行動とは思えなかった。

 

3-6 帰属意識とコミットメントの必要性 ~中国の公衆衛生は解決できる~

各テナント企業の工場は、内陸部の農村から出稼ぎに深圳出てきた工員にとって、飛び抜けたスキルを要求する現場ではない。彼女たちに要求されているのは素晴らしい視力と根気、そして農村出身者が生まれながらにして習得している「決まりきった作業」に対する疲れを知らない持続性のみである。つまり、各テナント企業とも、中国人に対して責任の重い仕事を与えていることは極めて少なく、仕事上において中国人工員は、モチベーションのコントロールが大変難しいのだ。私は、以前中国での留学経験もあり、中国人のポテンシャルの高さを知っている。つまり、農村出身の工員に対しても、かなりの裁量権と技術を委ねることが可能であるし、また可能にするためのしっかりと「躾」、「教育」をすることが重要である。いまのような状況のままでは、中国人工員がTNCに対して帰属意識が低いのは当たり前である。

しかし、TNCの各テナント企業に対する求心力も低いのだ。TNCは、現在日本人従業員が少なく、テナント企業に対する相談役の不足が決定的である。また、次世代を担う中堅世代の日本人従業員もいないのだ。つまり、現在、TNCの各テナント企業へのコンサルティング能力は、日々の業務に忙殺され、対応しきれない状態である。そして、TNC、中国人工員、各テナン企業の間の協調性の低さは、TNC内で起きている様々な問題に影響を及ぼしている。つまり、仕事に対する態度、日常施設の使い方(寮・食堂・生活道路など)、ゴミのポイ捨てなど、現在、TNCで起きている中国人工員に関する問題は帰属意識の低さが関係している。

私の意見としては、まず改善点として、各テナント企業とTNCとのコミットメントを更に強めることが重要である。つまり、TNCの求心力を高め、各テナント企業がTNCを好きになることが問題解決するための条件であり、テナント企業が中国人ワーカーの生活・管理に対して、当事者意識を持つようにしなければならないのだ。全体的な波及順序をいえば、TNC→各テナント→中国人ワーカーと、帰属意識を段階的に高めていくようにするのだ。

具体案として、各テナント企業が寮の一部を借りる形態をとり、テナント同士で衛生面を義務づけ、必ず管理させるようにする。そうすることにより、寮などの管理がテナントにより自主的に行われるようになり、本来TNCのあるべき姿、中小企業の中国進出サポート「中小企業の駆け込み寺」が完成される。また、各テナントと中国人ワーカーの間に共通の問題意識が生まれる。各テナントは、自らの企業努力で寮の管理の創意工夫をし、中国人工員が自主的に解決するようになり、これが結果的に責任の意識を与えていることになるのだ。

 

4 インターンシップ研修を終えて ~自分が成長できる「場」に身を投じることの大切さ~

 

「中国ビジネス、中国でのモノづくりに精通したプロになる。」

「将来、自分が就職した企業が中国事業を進める際に、必ず力になれる人間になる。」

これらは、いまに始まったわけではないが、今回のインターンシップ研修を通じて、初めて企業の中国進出、現地化の問題などに直面し、以前より問題意識を高く持てるようになったため、より勉強の目的が定まった。また、将来、私は中国とビジネスで関わっていきたいし、中国とのビジネスは、自分のキャリアにとても大きな影響を及ぼすと痛感した。中国という国は、自分自身にとっても日本にとっても、まだまだ未知の可能性やチャンスがたくさんあると思った。また、将来グローバルな視野で仕事をしたければ、香港人のような感覚を身につける必要があると感じた。香港人に対して、私は、彼らの国際感覚は日本人以上に身についていると感じた。香港は、歴史的な経緯もあり、教育も英語で行われ、海外の大学で勉強したことのある人も多い。これからグローバル化がますます進む中で、香港人が持っている感覚や立ち振る舞いは、重要度が増していくと思った。

世界の工場である深圳で働いている社長の目が輝いていた。彼のまっすぐな姿勢がとても印象的で、将来、自分も仕事のできる「ヤレル人間」になりたければ、自分から積極的にビジネスを仕掛けていかなければならないと実感した。つまり、志やアイデアを持っていたら、実際に動かなければいけない。例えば、最初に具体的に「何々やります」と公言してしまい、成功するために、「我武者羅」な努力をするといったような有言実行は、大変プレッシャーがかかるが、成功すれば周りに認められる。もちろん、その過程の中で多くの壁に直面するが、その場その場で常に全力を尽くす信念を持ち、頑張るだけだし、頑張るしかない。

深圳テクノセンターでの研修を通じて、私は、結果を得る以前に、過程全般において、やらなければならない環境に自分を追い込む機会が得られるような、自分が成長できる「場」に身を投じることを大切にすべきだと思った。良い結果というものは、そういう「我武者羅」な努力が自然に運んでくれるものなのだ。また、そうした考え方が、これからさらに自分の行動を大胆にさせ、自分自身が、どんな挑戦に対しても一歩を踏み出すのがまったく怖くないと思う。何に対しても身構えする必要がまったくない。自分のやりたいこと、自分の成長させたいことに対して、飾りたてることなく、素の自分を頑と前に押し出して突き進む。そのことが、すなわち自らキャリアを積み重ねていく努力と勇気を持っていることの現れであり、人生を切り開く上できわめて重要なことであると、TNCでの研修を通じて初めて自覚したのである。

最後に、私はTNCで働いている日本人を見て思ったことは、積極的な行動がさらに行動力をつけ、キャリアを積み、たくさんの人たちとの出会いを通じて、ビジネスチャンスがさらに広がっていくということである。いままでの人生を振り返って思うことは、厳しい状態に追い込まれても、挑戦を続けていけるような気持ちを持てたのは、多くの人たちの支えであり、そこで認めてもらえた自信は、いまでもなんらかの形で自分を再度突き動かしている、ということである。だから、私はこれから知り合う多くの方々、また、私の周りにいるいままでお世話になった方々に対して、これからさらに親交を深めていきたいと思う。このような考えにたどりついたのは、インターンシップ研修中に、人が人生を生きていく上で、一人でなにかをすることよりも、大勢の人たちと協力して成し遂げる機会のほうが、ずっと多いし、また大切であり、人間同士の信頼関係がなにより重要であるということを、改めて実感したからだろう。

 

 

<付録>

20056月4日

テクノセンター 御中

知大学経済学部教授

                               李 春利

 

指導教授所見

 

謹啓 

初夏の候、時下ますますご清祥の段、お喜び申し上げます。

 

初めまして、愛知大学の李春利と申します。いま経済学部で中国経済論と中国産業論の講義を担当しております。深テクノセンター(TNC)の話は以前から一橋大学の関満博教授から何度も直接お聞きしました。また、同教授の著書『世界の工場/中国華南と日本企業』(新評論)について、書評を書かせていただいたこともあります。同書のなかで深テクノセンターのことについて詳しく書かれております。また、同教授の解説によるTNCでの日本人学生のインターンシップに関するNHK「クローズアップ現代」の番組特集「若者が体感 中国の生産現場」(2002年10月22日放送)の録画も講義で学生たちに見せたりしております。

愛知大学は1901年に上海で設立された東亜同文書院の関係者たちが作った後継校であり、100年以上にわたり、中国研究と中国関連の教育を重視してきた伝統があります。大学の中には日本唯一の現代中国学部があり、大学院には中国研究科(修士・博士課程)があり、私のいる経済学部にも中国・アジア経済コースがあります。2002年、文部科学省の「21世紀COEプログラム」(COE:センター・オブ・エクセレンス=卓越した研究拠点の意)に選定され、日本では唯一の「国際中国学研究センター」が発足しました。このような流れのなかで、中国に関心の高い学生も数多く集まっております。

村上陽介君は私が担当している中国経済論を受講した学生であり、日常的にも相談に来たりしている中国研究に熱心な学生です。同君は2003年9月から1年間、愛知大学の古い提携校である天津・南開大学に留学した経験があり、そのこともあって中国に対する理解はより深く、また、中国ビジネスに対する思いも人一倍熱いものがあります。同君は、帰国後、「製造業における日中間の戦略的補完関係のあり方」を自分の研究テーマにし、関連資料・情報を熱心に集めて、鋭意研鑽中です。

また、課外活動として、彼はいま愛知万博のボランティアに所属しており、ボランティア活動の中で、様々な国の人たちや、色々な価値観や経歴を持った人々と出会い、話をする機会を積極的に作っているようです。そして、「国際感覚や多様化な社会において必要な、相手を尊重する態度や、しっかりと根拠のある自分自身の意見を発言することなど、これからの時代に必要不可欠な人間形成をめざしたい」とも言っております。

2年前になりますが、私は、愛知大学の深テクノセンター・インターンシップ第1号の近藤誠君をご推薦し、お引き受けいただいたことがあります。近藤君はその後、中国留学を終えて帰国し、いまは愛知県下の日本企業の中国担当となり、近いうちに中国での長期駐在に赴くことになっています。貴テクノセンターでの研修経験は就職に大いに役立ち、特に『望郷と決別』という本は現会社の社長も読んだことがあるそうで、面接時は大いに盛り上がったとの報告がありました。彼はまた、留学時に中国の映画に日本兵を演じる役としてゲスト出演し、1ヶ月間ロケに参加、日中間の歴史問題について肌で強く感じたと言ってきています。このような学生を推薦した私たち教員も、彼のことを大変誇りに思い、後輩たちを励ます意味で講義を含め、いろんなところでその事例を紹介しております。

一昨年秋、大阪の学会で関満博教授から、深テクノセンターの機能のひとつとして人材育成にシフトし、日本人学生のインターンシップを受け入れると直接お聞きしました。ところが、もしかすると、関東と関西の大学が相対的に多く(一橋、慶応、早稲田、関西大学など)、日本のモノづくりのメッカともいわれている中部の大学からの学生が少ないと聞いております。中国研究の伝統が長いといわれている愛知大学からはまだ一人しかいないということは、中国産業研究をやっている私としても大変残念に思っております。

この度、もし受け入れの枠が許されるなら、お引き受けいただければ、志望する学生本人だけではなく、今後弊学の中国関連教育のためにも大変プラスになりますし、後輩たちにとっても非常に大きな励みになります。村上君は、将来、日本のメーカーに就職したいと希望しており、そして、世界各地で地産地消をきちんと実現させたいと言っております。そして、この流れを一番感じているのが中国であり、日本と歴史的にも非常に深い関係にあり、これからのアジア経済にとっても特に重要な2ヵ国なので、中国に焦点を当てて仕事をしていきたいとその問題意識を語ってくれました。

全体的な印象としては、村上君は大変やる気のある学生であり、研修の目的もはっきりしているので、もし可能ならば、ぜひ貴センターのインターンシップ学生としてお引き受けいただくように、私としても責任をもってここに強く推薦申し上げる次第です。

敬白

知大学経済学部経済学科4年 村上 陽

以上