巻頭の言葉

        日中のジレンマを見つめていく

 

監修者 李 春利

  知大学経済学部教授)

                                                                                                                    

一、さらば、ボストン

 

20044月から20053月にかけて、私は1年間海外研修で米国のボストンに滞在した。正確には、ボストンの隣町であるCambridgeに住んでいた。その間、李ゼミ6期生は1年間同じ経済学部の李泰王先生に面倒をみていただき、おかげさまで、全員が無事に卒業した。ゼミ生一同を代表して、李泰王先生に心から厚く御礼を申し上げたい。

 米国滞在中、ゼミ生たちが3回にわけて家に遊びに来た。20049月には6期生の稲垣登君(いまは三重銀行名古屋支店)、11月には4期生の森田正幸君(いまは神戸大学大学院経済学研究科修士課程)、20053月に5期生の石丸泰央君(いまは愛知大学大学院経済学研究科修士課程)が来た。稲垣君が来たときはちょうど秋学期が始まったばかりで、HBSでの授業参加が始まった頃であり、愛知大学図書館の成瀬さよ子さんが米国大学の図書館視察のために来訪したのと同じ時期だった。

ボストンの秋は色とりどりの紅葉や黄葉で美しいが、冬が来るのも早い。森田君が来たときはちょうど初雪だった。ハーバード大学への通学路であるOxford Streetは一面の黄色い秋葉に白い雪がかぶっていた。石丸君たちが来たときは、ちょうど日本に帰国する直前だったので、先に帰る彼らに荷物などを日本に運んでもらった。おかげさまで、日本に船便で送らずに、全部手荷物で済んだ。しかし、当時家具類はすでに人に譲ってしまったので、床に寝袋で寝てもらって、接待が粗末だったことが気になった。

 

そんな条件の中でもみんなタフだった。野球少年の稲垣君は大リーグを観戦、森田君や石丸君たちはボストンを拠点にしてNew Yorkに行ってきた。いずれも猛烈なスケジュールで、李ゼミの学生はとにかく僕より強いという印象を新たにした。

 このあたりの話はこの論集の「風鈴会之頁」のボストン特集に載っている。

 

二、反日デモ

 

かくして、1年間ぶりに桜花爛漫の日本に戻ってきた。引越しなどを終えたらさっそく授業開始、思い出にふけるひまもなく大学の急テンポに乗せられてしまった。

 まずは7期生との初対面。emailでゼミ応募の小論文を送ってもらって、いわゆるリモコン方式で合格者を決めたため、顔合わせが初めてだった。頼もしくて楽しいメンバーたちだった。

 授業が始まって間もないうちに、北京でさっそく反日デモが始まった。単発的なものかと思ったら、上海にも飛び火して、全国に広まってしまった。そこからは大変だった。教室やキャンパスのなかで、学生や同僚たちに日中関係や反日デモ、靖国問題などについてよく聞かれたり、意見を求められたりして大変だった。嘘と思うぐらいの激動の4月、文字通りのApril foolだった。日中間の激しい応酬が益々エスカレートし、上海反日デモのビラがインターネットやメールでまわりに回って、私のところにも事前に届いた。その原文はこの論集の中にも載っている。

 ゼミでは、まず先輩たちが作ったゼミ論集第6号をテキストとして、曹操―信長チーム、劉備―秀吉チーム、孫権―家康チームといった3つのチームに分けて勉強をはじめた。今年は少数精鋭であるだけに、小回りが効いて進展が速かった。その記録は、李ゼミのHPにある“Seminar Diary”に載っている(http://taweb.aichi-u.ac.jp/leesemi/)。また、加藤喬介君の力作・李ゼミ年表「Lee Seminar’s News(2005)」にも7期生の軌跡が残っている。

 論集6号の勉強が終わり、今度は自分たちがゼミレポートのテーマを決める番になる。紆余曲折もあったが、試行錯誤の結果、夏休み前になんとか各自のテーマが決まった。論集7号の目次を参考されたい。日中関係から領土問題や台湾問題、モータリゼーションからIT革命、さらに人民元切上げ問題や東アジア共同体にいたるまで、実にタイムリーで充実した内容になった。

 

三、日中のジレンマ

 

ゼミ論集第7号のテーマはなにかといえば、昨今の日中関係の現状を反映して、重い課題が多い。「目をそらすな!日中のジレンマ」というメインタイトルも、ゼミ生たちに一人ひとり、意見を述べてもらって、時間をかけて練り上げたものである。このゼミ論集の継続発行自体もみんなの投票で決まった。

私は、日本の大学のサークルや部活などの自発的な活動のパターンや自主的な運営方式に魅せられて、大学の究極のゼミナールは学生主導型の「サークル方式」であるべしといろんなところで言っている。そんなわけで、李ゼミの活動も民主的に進められており、新ゼミ生募集のときも全員参加で面接に臨み、面接官一人ひとりに志願者の評価をしてもらったうえで、投票方式で合格者を決める。ゼミ担当者の私も一票だけである。

ところが、論題のとおり日中のジレンマは実に多い。論集第7号では、まずトップバッターとして登場してくるのは美濃羽翼(みのわ・つばさ)編集長。テーマは「日中韓はジレンマを越えられるか~認識の違いという壁」である。靖国問題から反日デモ、教科書問題など、レポートには彼の苦悩の思考の跡が綴られている。実に読み応えのあるレポートであり、昨今のメディア報道よりコクがある。

美濃羽編集長の献身的な努力なしでは、この論集第7号の発行ができないと言い切っていいほど李ゼミへの貢献が大きい。多岐にわたるテーマ・レポート・エッセイ・デザインなど、手際よくまとめあげるその能力と強い責任感からは、愛大生の潜在力と頼もしさを感じる。毎年、彼のような編集長を李ゼミに送り続けてくれた「天意」というべきご縁に感謝したい。かえって、原稿が遅れがちな私が彼の足を引っ張っている感じで、申し訳なく思っている。

美濃羽レポートを応援するかのように、李ゼミ北京特派員の大野裕平君の「北京現地レポート」と、李ゼミ天津特派員の近藤修君の「天津現地レポート」が続いている。特に添付された、200510月の小泉純一郎首相の5度目の靖国参拝直後の中国の新聞報道などの写真資料は、リアルタイムのものであり、本当に心強い応援である。

ゼミ6期生の近藤君は1年半の中国留学経験者。彼の南開大学での留学体験談は論集第6号にも載っており(李ゼミHP参照)、論集第7号への特別寄稿「1年間の派遣留学を終えて~日々之戦いなり」は写真満載で、文章そのものもリズミカルで楽しい。現地の体験なしでは書けないはずのリアルなチャイナ・ウォッチングだ。彼は「天津甘栗」という名のブログのオーナーでもあり、これも一見の価値があり。中国留学に関心ある人にはお薦めのサイトである。

大野裕平君は2005年夏から北京大学に留学している。彼はまだ出だしなので、留学体験記は写真が中心になっている。一方、「靖国問題と今後の日中関係について」と題したレポートは北京大学国際関係学院学生の唐奇芳さんの取材記録であり、中国現役の大学生の生の声を記録している。時間をかけて綿密に留学の準備を進めてきた彼の留学生活が実り多いことを祈っている。

 

四、敏感な問題

 

加藤幹正レポート「資源をめぐる東シナ海の領土問題~対立の海から協力の海に変えることができるのか」は、日中間の敏感な問題にさらに一歩踏み込んでいく。加藤幹君自身は、自分のレポートにまだ不満のようだが(あとがきには爽快感がないと言っている)、一読者としてそれを読めば、わりと問題をきれいに整理できたのではないかと思う。中国の石油戦略に関しては産経新聞の情報に頼りすぎたためか、偏っている印象をぬぐい得ないが、日中の領土問題の対立点、例えば、問題の中間線の引き方とその法的根拠や、「ストロー効果」とその解決法などについては、双方の立場を踏まえた冷静な書き方をしている。加藤レポート完成後の事態の推移をみても、大筋その流れに沿っている。また、尖閣列島(中国語:釣魚島)の問題の整理もよく出ている。やり残した課題を卒論でクリアすることを期待したい。

河本裕樹レポート「東アジア共同体構想~理想と現実のはざまで」では、ここ数年日本が抱えている外交上の課題をひと通り整理できたと思う。なによりも印象的なのは、彼が批判的な視点を取り入れながら、東アジア共同体という複雑な問題を多面的に検証していることである。東アジア共同体の未来は果たしてバラ色なのか、日本の軸足はどこに置くべきなのか、国連安保理入りの問題点はどこなのか、FTA(自由貿易協定)とEPA(経済連携協定)の違いとねらいはどこなのか、ひとつだけとっても難しそうな課題をよくコンパクトにまとめている。おそらく小泉外交の課題の大半を洗い出したのではないかと思われる。その底流において、日本とアジアの関係は一体どうあるべきか、その基本戦略の提示をポスト小泉の日本に問いかけているようにも聞こえる。

 

五、中国と台湾のジレンマ

 

原田大輔レポート「人民元を読む~改革のジレンマ」のテーマがとても気に入っている。切り上げとか具体的に言わず、「読む」と「ジレンマ」というニュートラルな表現を使って、この問題の複雑性と漸進性を表している。アメリカからの圧力がいくら強いとはいえ、人民元はかつての、プラザ合意以降の円・ドルレートのような急激な変化はいまの関係者たちには望まれていないし、中国の金融システムもそのような急激な変化に耐えられないはずである。

人民元問題について、李ゼミでは論集第5号の森田正幸レポート「人民元ハードカレンシー化への過程と展望~二つのターニングポイント:アジア通貨危機とWTO加盟」(2003年)と論集第6号の城間美南子レポート「通貨切り上げの政治経済学~円と元の国際比較」(2004年)で取り上げたことがある。二人の卒論もそのテーマでさらに掘り下げていった。

森田君にいたっては、修士論文のテーマもこの課題の延長線上にあり、「円・ドルレートが東アジア諸国の輸出に与える影響」と題して、20061月に神戸大学に提出された。また、同じ神戸大学大学院で李ゼミ出身の楊秀潔さんも、学部の卒論から修士論文にいたるまで人民元の問題を追跡してきた。李ゼミでは重要な問題について単発ではなく、数代にわたるゼミ生たちの継続的な追跡調査で研究するという伝統がある。のちほどの台湾問題も同じである。

原田レポートは、人民元の事実上の米ドル・ペッグの現行の為替相場制度から通貨バスケット制を参考にした管理フロート制への移行プロセスを克明に検証した。急速に膨張する米国の対中貿易赤字と中国に対する人民元切り上げの圧力の増幅を紹介したうえで、1997年のアジア通貨危機時の諸外国の人民元の切り下げ予測と、今回の人民元の切り上げ圧力とを比較して、中国の通貨政策を歴史的に検証するアプローチはバランスが取れており、新鮮で面白い。

また、原田レポートでは、オリジナルではないにせよ、データによる検証が行われており、その分説得力がアップする。切り上げのタイミングをめぐる記述が特に面白い。レポートの付録である「用語解説」も読者に貴重な手係りを提供している。ゼミでは、ゼミレポートの最後には「用語解説」が必須であり、「川を渡るための飛び石」という表現でその役割を位置づけている。

加藤喬介レポート「台湾のジレンマ~政治と経済の『ズレ』と経済安全保障政策」は、前に述べたような李ゼミの重要テーマのひとつである。これまで李ゼミでは、論集第1号の河合博之レポート「台湾~独立と戦い」(1999年)、第2号の星野博昭レポート「蒋介石と蒋経国~『独裁と民主』の狭間を彷徨う親子」、同小川祐子レポート「宋家の三姉妹~靄齢(Ai Ling)、慶齢(Qing Ling)、美齢(Mei Ling)」2000年)第3号の南亮平レポート「台湾と中国大陸の関係」(2001年)、第5号の西山太記レポート「One China:台湾と中国大陸の関係と歴史~独立か統一か?」(2003年)、第6号の施浩レポート「台湾の総選挙~風雲急を告げる台湾海峡」(2004年)、それに今回第7号の加藤レポート2006年)を入れたら合計7本にものぼる(いずれも李ゼミHPで閲覧可能)。6代のゼミ生たちの努力の結晶である。

加藤レポートは深まる台湾と中国の経済依存関係と、台湾の産業空洞化問題のジレンマから切り込んでいくのが特徴的である。さらに、日本の産業空洞化問題と比較して、中国大陸と台湾の「郵便(中国語:通信)、通商、通航」といった「三通問題」を切り口に、中台間の政治と経済の「ズレ」陳水扁政権のスタンスを分析した。また、連戦・前国民党主席の中国大陸訪問と60年ぶりの国民党・共産党トップ会談(いわゆる「破氷之旅」(砕氷の旅=凍り切った関係を修復するための旅)、およびそのインパクトについての記述は興味深く、台湾の抱えているジレンマの深さを浮き彫りにした。

私は北京大学での連戦の講演と質疑応答をインターネット中継で聴いた。彼に対して持っていた古臭くて裕福な家庭で育った御曹司の印象を改めた。なかなか講演上手で人情味が溢れているではないか。Q&Aも誠実な対応で高得点だった。本当に最後の最後になって、若い独立派の民進党に政権がとられてしまった「敗軍の将」は、今回の「破氷之旅」で、国民党の不名誉な指導者という汚名を一部返上したのではないかとその時思った。

加藤レポートの最後で指摘されたように、2005年7月の馬英九・新国民党主席の誕生は凍り切った両岸関係に一縷の希望をもたらした。陳水扁に連戦連敗の連戦氏と、国民党内で唯一陳水扁を破った実績をもつ馬英九とのイメージ・ギャップは、台湾内外において大きい。実際、台湾市長選挙で馬英九に負かれた陳水扁は、国政選挙に出て、2回連続で連戦を破り、台湾の指導者の座を8年間手にすることができた。その一方で、年功序列の論理や派閥の力学で動いてきた100年の老舗政党・国民党は、国民的な人気をもつ若き馬英九をずっと抑えてきて、陳水扁と勝負する機会を与えなかったのである。

その馬英九の講演を2004年秋にアメリカで2回直接聴いたことがある。1回目はHarvard Kennedy School of Governmentでの英語によるスピーチであり、2回目はHarvard- Yenching Instituteでの中国語によるスピーチであった。彼はなかなか清廉で情熱的な庶民派政治家である。会場にいた台湾出身の聴衆のなかには「馬迷」(馬ファンor 馬マニア)が多く、特に長身ですらっとした容姿は、クリントンかケニディ大統領に似通ったところがあるといわれ、特に女性ファンが多い(ちなみに彼も毎日ジョキングしていると言っていた)。国民党新主席に当選した後、彼がテレビ番組に生出演した時に、熱烈な「馬迷」である若い女性アナウンサーにみんなの前で親密なツー・ショット写真を強要されたことは話題をさらっている。

馬英九は反共的といわれている。ところが、彼は講演時に、両岸関係の緊張緩和や経済交流の促進、台北―上海間の直行便の開通を主張するなど、陳水扁政権とのコントラストが強い。2005年の当選後初の台湾地方首長選挙で民進党を圧勝したあたりをみると、2008年の総統選挙は天下分かれ目の戦いになる予感がする。馬英九か陳水扁の後継者か、汎藍(国民党陣営=ブルー)か汎緑(民進党陣営=グリーン)か、新生国民党か独立民進党か、台湾の将来を占う大決戦になりそうだ。それは同時に数千年にわたる中華民族の政治世界において、民主主義の最先端を行く里程標(milestone)であり、中国政治の行方を決める一つの重要な試金石でもある。

 

六、IT革命と車社会

 

 大野裕平レポート「中国IT革命~グローバル戦略モデルの攻防戦」はやや特殊的である。このレポートは実は2005年夏、彼が中国留学前に提出したものだ。ゼミでの発表やフィードバックなどを経ていない。大野レポートは、米国のIT革命やITバブルの崩壊から書き始め、中国のIT革命へと進み、そして、中国IT産業のトップランナーたち、華為(Huawei)や連想(Lenovo=レノボ)など企業成長のプロセスと海外戦略を詳しく紹介した。2004年末、レノボによるIBMパソコン事業部門の買収、また、華為が米国に進出した直後にシスコに起こされた特許権訴訟など、中国IT企業の動向はいま世界の関心を集めている。

 大野レポートは、中国における「請進来」戦略(外資導入)と「走出去」戦略(英訳:Go Global=海外進出)という2つの切り口で、世界主要IT企業の中国進出戦略と中国IT企業の海外進出戦略の特徴を描き出している。それによれば、「請進来」戦略は市場と技術の交換を特徴とし、最近の動向として多国籍企業によるR&Dの現地化がまずあげられる。それを踏まえて、同レポートは、Sony DellIBMなど主要外国企業の中国戦略などを検討したうえで、中国初の第3世代(3G)の携帯電話に関する国際標準であるTD-SCDMAの取得の経緯を紹介している。

 実は、2005年春、日本へ帰国する直前に、米国市場に参入した中国企業の現地調査を行った。中国総合家電メーカーの海爾(ハイアール、所在地:New York & South Carolina)、自動車部品最大手メーカーの万向(Chicago近郊)、それから前述のIT最大手の華為(Dallas)などである。Delphiなど米国の自動車部品メーカーの後退に伴い、万向に対する米国の部品業界からの期待が高まっていることや、世界のデータ通信市場で華為が世界最大手のシスコに対して猛烈にキャッチアップしており、技術摩擦が激化していることなどは、とても印象的だった。その現地調査の成果について、愛知大学21世紀COE・国際中国学研究センター(ICCS)と中国人民大学が2005年12月に北京で共同で主催した国際シンポジウムで発表した。

 石川高広レポート「加熱する次世代エコカー開発競争~中国からみる自動車社会の未来は?」はその題目のとおり、中国が抱えている深刻な自動車普及とエネルギー問題を取り上げ、世界の自動車メーカーによる熾烈なエコカー開発競争から車社会の未来を考察したものである。中国でのモータリゼーションの大波が、いまや中国の自動車産業という枠を超えて、車と社会のあり方、個の利便性と社会的費用、人類が寄って立つ生活の基盤など、幅広く問題を提起した。同レポートは、中国の自動車産業とエネルギー・環境問題の関係、ならびに中国の対応などを概観した。

 車好きの石川君は、ゼミ長も務めており、即決・即断・即行動のタイプで、ゼミのためにずいぶん骨を折ってくれた。合宿の予約、BBQパーティの準備、ボーリング大会やコンパの企画・実行など、ゼミへの貢献が大きい。今回のゼミ論集の編集や印刷などにおいても、美濃羽編集長をしっかりと支えている。両者はゼミの両輪のような存在である。馬力の大きいゼミ長はまだ不完全燃焼のようで、いろいろ企画・提案があったが、ゼミの日程や時間の制約などで実現できなかったものも少なくない。ゼミの後輩たちにバトンタッチしてほしいところである。

 その石川レポートは今回もエンジン全開の勢いで、自動車産業の最先端を追っかけている。エコカー開発+中国という資料の制約が大きい2つの分野を野心的に結びつけようとする。発表時に何度も厳しいコメントをしたが、彼は引き下がらなかった。あの手この手で材料を継ぎ接ぎして克服しようと努力してきた。その結果は、いまの姿のレポートである。なんとか継ぎ接ぎの痕跡をうまく隠し、風通しをよくしたレポートといえよう。

 実は、彼のレポートに登場した、上海の同済大学学長の万鋼・博士とは面識がある。万鋼氏はいま「国家863計画」(ハイテク技術研究発展計画)における自動車燃料電池・ハイブリッド技術特定プロジェクトの総責任者である。そのプロジェクトは全国の主要な研究機関・大学・関連企業が参加している、まさに国を挙げての自動車省エネプロジェクトである。2002年9月に、東三河地域研究センターと同済大学が共同で上海でシンポジウムを主催し、責任者の戸田敏行さんに誘われて、私も参加した。万鋼氏は当時、同済大学自動車学院の院長で、中国側の基調講演を行った。私も数合わせで日本側の基調講演をした。その後、懇親会の席でもいろいろ貴重な話をうかがった。

 万鋼氏は1980年代にドイツ北部にある自動車エンジニアリングの名門・ブランチワイグ(Brauchweig)工科大学に留学し、博士号を取得した。後に、Audi社に入社し、Ingolstatにある同社の研究開発部門で働いていた。環境意識の高いドイツで、彼はいち早くエコカーの重要性に気づき、中国政府に省エネ車の開発に関する提案書を送った。それに対して、国務院(内閣)も迅速に反応し、彼を「国家863計画」のエコカープロジェクトのトップに迎えたのである。また、もともとドイツと関係の深い同済大学は自動車学院を設立し、VWなどドイツの企業と財団が資金を提供しているといわれている。万鋼氏は同学院の院長になって、のちに学長になった。これらは1990年代の出来事である。その布石がいまの中国の車社会の急展開にとってどれだけ貴重なのだろうか。

彼はいわゆるヨーロッパの「海亀派」(中国語:海帰派)の代表格の一人である。ちなみに、同済大学は豊橋科学技術大学の提携校である。

               

七、元気な「公園」と「風鈴会」

 

「公園」とはゼミ論集の寄稿欄のことであり、「風鈴会」とはゼミのOB会のことである。今年もおかげでなんとかにぎやかな原稿が集まった。投稿者たちに御礼を言いたい。

今年の圧巻は村上陽介君の「中国・深圳テクノセンターでのインターンシップ研修報告~世界の工場見聞録:『自分からやれ!見ろ!感じろ!』~」である。

テクノセンター(TNC)は中国深にある日本進出企業のインキュベーター(孵化器)のような存在で、中国での経営管理面のアドバイスや関連サービスもあわせて提供している。同社は日本や香港などからの学生のインターンシップも受け入れており、NHKの有名な番組「クローズアップ現代」に「若者が体感 中国の生産現場」(2002年10月22日放送)と題した特集で取り上げられるぐらい有名なところである。私が担当している講義でもその特集の録画を学生たちに見せたりしており、2005年秋学期に昼間部の「中国産業概論」と夜間部の「中国経済論Ⅱ」の講義で村上陽介君に2回出場してもらい、深圳でのインターンシップ研修体験を学生たちに語ってもらった。そのとき、ゼミHPBBS村上レポートを掲載し、受講生たちに事前にダウンロードしてもらい、予習してもらった。村上君は事前にパワーポイントや写真などを準備しておいて熱っぽく講演し、受講生たちに「これまで一番面白い授業だ」と大受けだった。できれば、この経験を来年度にも活かしたい。

村上君は2003年9月から1年間、愛知大学の協定校である天津・南開大学に留学した経験がある。李ゼミにはいつも日中双方からの留学生がいるのが特徴である。2005年から2006年にかけて、協定校である上海外国語大学から派遣された交換留学生の楊敬さんがゼミに参加しており、彼女はまた編集長補佐として、ゼミ論集の編集に協力した。楊敬さんはいま修士2年生であり、今回は「日本輸出決済における円建て比率について」と題したレポートを論集に掲載させてもらった。それに、同じ修士2年生の神戸大学の森田正幸君から、研究分野が近いということでいろいろ貴重なコメントをもらった。

2005年12月20日(火)の最後のゼミに、7期生とこれから入ってくる8期生による合同就職セミナーを行った。講師には、綜合警備保障株式会社人事部東海採用センター担当の天野健太郎さんをお迎えした。彼は実は李ゼミ2期生のOBであり、愛知大学卒業後、同大学院中国研究科に進学し、修士課程修了後に、綜合警備保障株式会社に入社した。東京勤務(同人事部)だが、1年間だけ同社の東海採用センターを支援するために名古屋に来た。現役の後輩たちに就職活動の心得えに関する講演をお願いしたところ、快諾をいただいた。

就職セミナーの詳しい内容はこの論集に掲載されているので、ここでは繰り返さない。天野君は、実際説明会から面接、採用といったフルコースを数多く担当してきただけに、その講演の内容は実にリアルで実践的であり、説得力に富んでいる。すでに社会人である私にとっても大変新鮮で、役に立つものが多かった。彼は仕事には非常に前向きなので、自分の体験を踏まえて、総論から各論まで在学中から就活、入社後のノウハウを惜しみなく後輩たちに教えた。セミナー終了後、ゼミのボーリング大会と懇親会に参加してくれた。在学中の天野君とは一緒に中国や韓国の企業調査に出かけたこともあり(確かに4期生の森田正幸君も一緒だった)、下で聞きながら、彼の進歩の速さと社会人としての頼もしさを改めて感じた。

就職セミナーについて、キャリア支援課の尾崎雄幸課長に報告したところ、「学生たちは幸せです」と、心強いコメントをいただいた。李ゼミの就職セミナーはこれで3回目で、1回目は同窓会神奈川支部長で大手企業人事部長経験者である中島寛司さんを講師に迎えて、「日本企業の求める人材像」と題して講演していただいた。2回目は大学キャリア支援課の中野貴文さんを講師に迎えて、彼の指導のもとで、就活終了後のゼミ生6名によるパネルディスカッションの形で行われた。5期生ゼミ長の山本光太郎君が全般の企画・運営を担当した。2回の記録はいずれもゼミ論集第6号に掲載されている。

論集第7号には現役時代からの親友である長濱貴子(旧姓=滑川)さんと都築尚子さんの2人に寄稿してもらった。1児の母になった長濱さんの育児奮闘記は読んでいて微笑ましい。都築さんは李ゼミで公務員第1号になった人で、在学中からいち早く公務員宣言をし、毎日猛勉強していた。卒業前の最後のゼミで、彼女の公務員志望ということで、「天下り」とはなんだという激しい議論が引き起こされたのを覚えている。ちなみに、長濱さんも都築さんも李ゼミの1期生であり、いずれも愛知県在住である。

最後に、圧巻中の圧巻はなんといっても李ゼミの愛知大学同窓会奨励賞受賞記念写真ギャラリーだろう。時は2004年3月6日、場所は愛知大学記念会館。ゼミ論集第6号がお披露目をしたのもこの日であった。晴れやかな早春の日であった。現役の5期生・6期生のみならず、1、2、3、4期生の先輩たちもお祝いに駆けつけてくれた。特に、ゼミ活動を力強く支援し続けてきた同窓会神奈川支部長の中島寛司さんも、6日の授賞式、祝賀パーティ、それから夜の追いコンに出席された。大先輩の熱意が若い後輩たちにひしひしと伝わったようだ。

受賞当時の記念写真28枚を一挙に掲載することにした。また、受賞時のゼミHPBBSに書き込みされた参加者たちの思いを写真ギャラリーの後に「BBS寄せ書きギャラリー」と題してつけておいた。いまこそばらばらになって各地で活躍しているOB/OGたちの、あの楽しい大学時代の懐かしい日々を「形にして」残していきたい。