ボストン特集
アメリカ一人旅行記
『憧れの地アメリカを目指して』
稲垣 登
『アメリカ』その言葉の響きだけで、僕はなぜかとても広大な気持ちになれる。日本の何倍もの土地の広さから連想されるのかもしれないが、何か言葉ではうまく言い表せれない、とても大きなモノを感じてしまう。
幼少の頃、祖父は酔っ払うと必ず戦争の話をはじめ、その話しの中にアメリカは数多く登場してきた。「日本よりもアメリカのが強い!!」「当時無敵だった日本を倒したアメリカは凄い!!」など、呂律がまわった舌でエンドレスで話し続けるのであった。ひょっとすると、その頃からアメリカに対して、憧れを抱いていたのかもしれない。
その憧れが行動に移ったのは、李ゼミのメンバーの影響であると断言できる。僕は旅行などあまり好きではなく、海外に対しても興味があまりなかった。旅行に行くなら家でのんびりしたり、友人と酒を交わすほうが楽しいと思っていた。アメリカに対する憧れも、憧れだけで終わっていくんだろうと心の中では思っていた。そんな僕の考えと正反対の人ばかりが李ゼミにいたのだ。まず、李老師。先生の旅行は趣味の域を越えており、もう芸術である。先輩には、森田さん、山本光太郎さん、川口裕史さん、石丸泰央さんなど、アウトドア派ばかりである。彼らとの出会いは、僕の中の何かを起こしてしまったようだ。
「出発の準備」
その憧れが姿を現し、行動に移そうと決めたのが、 就職活動後の、2004年8月である。まず、一度、今回の旅の目的をはっきりさせることにした。僕は何をするにも無計画な性格であり、お尻に火が点かないと動かない悪い癖がる。そのためレポートの提出期限などはいつもギリギリになって仕上げてしまうのであった。そんな悪い癖をこの旅行では改善しようと決意し、事細かにスケジュールを考えることにした。そのためには、李老師のいうフィッシュボーンの3本柱のような、大まかなテーマが必要である。何をしにアメリカに行くのか?どこに何を見に行くのか?だれに会うのか?
フィッシュボーンは意外とすぐ決まった。すると目的地、日程、などトントン拍子で具体的な計画ができていった。
アメリカ旅行のフィッシュボーン
①本場の野球メジャーリーグを見る!! ②[1]マークウイリアム夫婦、李老師夫婦に会いに行く!! ③一人で行動する時間もつくる!! |
「出発 名古屋空港→デトロイト」
出発は2004年9月10日(金)。当時はセントレアはなく、名古屋空港からの出発だった。この旅のために新しく購入したスーツケースとリュックを背負って、一人、名古屋発デトロイト行きのノースウエスト航空に乗り込んだ。デトロイトまで、約10時間以上。愛煙家にとってはかなりキツイ!!搭乗前にガムを大量に買い込み備えた。
機内は比較的空席が目立ち、僕の隣の席も空席でゆったりと足を伸ばして、快適な空の旅ができた。その奥の席には、僕と同い年くらいの青年が一人で乗っていた。積極的に話し掛けることにした。彼は大学2年生で、2週間のホームステイに行くという。お互い、目的地は違っても、一人でアメリカという巨大な国に乗り込む境遇は同じ。すぐに意気投合した。
機内での半分以上は彼との会話だった。お互いの大学の話、専攻している学問から、最近の政治、経済、日米関係から年金問題まで多岐にわたり、彼はかなりの知識をもっていることがわかった。自分の知識の少なさに改めて気付き、自己啓発にもっと勤しまなければと再認識させられた。
デトロイトに到着する頃には、現地時間では昼に到着する。名古屋を出たのが午前10時で、そこから10時間飛行機に乗っているので、デトロイトに着くころには、体内時計は夜の10時(22時)、しかし、現地は昼という時差が生じてくる。そのため機内では睡眠をとっておかなければ、時差ぼけという旅人には非常に辛い状態に陥ってしまう。僕は機内では寝酒用にビールを頼み、まだ見ぬデトロイトそしてアメリカに備えることにした。
「デトロイト」
現地時間では2004年9月10日、正午すぎ、デトロイト空港に到着。アメリカの地に初上陸!!機内で一緒だった彼はここから乗り継ぎでカナダに向かうため、別れた。連絡先も名前も聞いていないためその後、彼が何をしているかはわからないが、きっと元気に過ごしているだろう。
到着時の心境は今でもはっきり覚えている。緊張感のかけらも無く、期待でいっぱいだった。見るものすべてが新鮮で、このまま空港内を見学しただけで少し満足していた。この直後待ち受ける難関があるのも知らず…
それは入国手続きである。英語が決して得意とは言えない僕にとって。入国手続きはまさしく関所のようなものだ。パスポートや航空券という通行手形は持っているが、言葉が通じないのでは意味がない。9月10日といえば、2年前NYで起こった同時多発テロが起こった前日に当たる。警備にも力が入るだろう。
複数の質問を受け、なんとかこなしていたが、最後の質問に言葉が出てこなかった。
『このマークウイリアムという人物はだれだ!?』うまく言い表せれない。単語自体が分からないのだ。父の従兄弟の子供のご主人。日本語で説明するのも少し難しいこの関係を頭で考えている様子を見てすこし怪しまれしまったらしい。見るからに善人の僕を疑うほど挙動不審だったのだろう。ましてやデトロイトは観光地でもなく、日本人が遊びにくるようなところではない。旅の目的や、デトロイトでのプランまで事細かに質問された。
なんとか入国手続きを終え、外に出るとマーク一家が僕を出迎えてくれた。久しぶりの再会である。これから3日間、このマーク一家の自宅でお世話になり、僕のアメリカ旅行が本格的にスタートした。
空港の外にでると、広大な土地に圧巻した。日本が小さいというのも納得ができる。街全体がシンプルで、看板など一つ一つが街に溶け込んでいる。日本のように所狭しと、広告があるわけでもなく、大きな看板がポツンポツンとあるだけである。信号機もいたってシンプルで、黄色の信号機が細い電線で吊り下げられているだけである。外を歩いている人はほとんどおらず、クルマ社会のアメリカを実感した。映画やテレビで見るアメリカ郊外と同じで、実物を見ている気がしなかった。
デトロイト郊外の街並み
その後、日本料理屋にいき昼食をご馳走になった。アメリカに来てすぐ日本料理を食べるのはなんだか不思議な感じがしたが、アメリカ発体験の僕に対するマークの心使いだった。店内には、多くの日本人がおり、そこは数時間前にいた日本のようだった。なんでも近くに日本企業が多くあり、ここデトロイトに働きにきている日本人も数多くいるそうだ。
その後、僕の希望で『スリフトショップ』に連れて行ってもらった。スリフトショップとは日本でいう古着屋であり、服だけでなく電化製品、家具なども中古で売っているリサイクルショップみたいなものである。僕は無類の古着好きで、いくつかの行きつけの店がある。その内の一つの店の店長にアメリカのスリフトショップの存在を教えてもらった。古着屋を経営するオーナーの中にはアメリカに買い付けに行くとき必ずといって言いほどスリフトショップに立ち寄るそうだ。価格はいたってリーズナブルで、無料同然の値が付いている。掘り出し物を大量に買い込み、中には傷物を手直しして日本で売るそうだ。
店内は僕のイメージとはかけ離れており、とにかく汚いものばかりだった。服をしらみにつぶしに探したがはっきり言って着れるものは無かった。価格も1ドルを下回るものが多く、アメリカで掘り出しモノ探しの希望はあっという間になくなってしまった。
夕方にはマーク邸に到着。アメリカのホームドラマに出てくるような素晴らしい自宅で、庭も広々としている。将来自分がマイホームを持つことになったら、こんな家にしたいランキングでは現在でもナンバー1である。晩御飯には、庭でバーべキュウ風に焼いたビックサイズのステーキとビールをご馳走になった。日本のバーべキュウは薄い肉を何枚も焼くのだが、ここは海の向こうアメリカ。分厚いステーキを一気に炭火で焼き上げる。マーク曰くこれがアメリカンスタイルらしい。食べる量には少々自信がある僕でも、さすが特大ステーキ1枚でお腹いっぱいになった。時差ぼけで眠たいのや、アルコールも入りすぐに寝てしまった。
「9月11日」
朝眼がさめると、テレビではテロの追悼関連番組が放送されていた。さすがにキャスターが読み上げる英文は聞き取れないが、その番組がテロ関連だということはすぐにわかった。
テロが起きた日、大学の近くの居酒屋「養老の滝」でバイトをしていたのを今でも鮮明に覚えている。このような事件は複雑な問題が数多くあるが、国境を越えアメリカでこのようなニュースを見ることで自分の中で色々な思いが出てくる。冒頭で祖父の戦争の話しを少ししたが、僕たちの世代は戦争というものをまったく知らない。知識としてあるがそれも乏しいものでしかない。自分たちの生活の中でまったく関係ないものとどこかでわりきっている部分がある。リアルに感じられないのだ。テレビや映画の出来事のように思ってしまう時もある。しかし、現実として今も世界のどこかで戦争が起こっている。世界中の人々が自分達のように自由に生活しているわけではない。そのことを頭の片隅にでも入れておき、自分達の行動をもう一度見直さなければいきないと思った。
昼食はカナダにあるチャイナフードをご馳走になった。デトロイトからカナダの国境までクルマで移動し、チャイナタウンまで移動した。まさか、自分のパスポートにカナダのスタンプが押されると思っていなかった。この表現で気付いているかたもいるかもしれないが、今回の旅は細かいスケジュールはほとんど自分で決めていない。マーク一家に案内してもらっている。事前にリクエストしたのはメジャーリーグの試合を見たいというだけで、他は全部マーク任せだ。まったく無計画というか他人まかせな人間だ。そんな僕をいろんなところに連れて行ってくれたマーク一家にとても感謝している。
カナダの川岸からはデトロイトのダウンタウンが見える。とても絶景でしばらくみとれてしまった。景色などをずーと見ているなんて日本ではあまりしなかったことだ。何も考えずただぼーっと街を眺めて改めてアメリカに来たことを実感した。
川岸は公園のように整備されており、芝生やベンチ、アスファルトで造られたランニングコースがあった。土曜の午後ということもあり、多くの人で賑っていた。そのほとんどは老若男女入り乱れてランニングをしている。アメリカ人はよくランニングをすると聞いたことがあるが本当だった。それぞれ自分のペースで他人を気にする様子もなく黙々と走っている。博子さんの話しではアメリカ文化の一つに目が合うと挨拶するという習慣があるそうだ。日本人は街中では他人をじろじろと見るところがある。服装や髪型、僕もそうだがつい見てしまう。その話しを聞くまではすれ違う人みな僕に挨拶をしていた。皆が皆挨拶しあうのだと思っていたがそういう事だったようだ。
後ろに見えるのはデトロイトのダウンタウン(右はGM本社)
夜には楽しみにしていたメジャーリーグ観戦だ。チケットもマークが手配してくれ、本当に感謝でいっぱいだ。デトロイトタイガース対ミネソタツインズの一戦。日本ではあまりなじみにないチームだが、デトロイトタイガースは以前野茂英雄が在籍していたチームである。
まず、球場はダウンタウンの中にあり、カナダの川岸から見た高層ビルの中に入っていった。が、ダウンタウンの中は廃墟のようなビルばかりで、とても汚い!治安も相当悪いらしい。映画『ロボッコップ』の舞台もデトロイトであり、優秀な警備マシーンが必要なのも納得ができそうなくらい危険な匂いがした。デトロイトが舞台の映画は他に「8マイル」があげられる。エミネム
球場はそんな薄気味悪い街に堂々と聳えていた。とても大きなきれいな球場で、今まで日本の野球場には数多く行ったが、球場の構造がまったく違うのに驚かされた。球場の中には、観覧車があり、食べ物はホットドッグしかなかった。お菓子にはもちろんピーナッツとクラッカージャック。クラッカージャックとは 「TAKE ME OUT TO THE BALL GAME」という歌の歌詞にも出てくる、野球場に売っているお菓子だ。この歌は「私を野球に連れてって」いう意味で、メジャーリーグの試合では必ずと言っていいほど流れる曲である。日本のイチロー選手が出ているCMなどにも使われた曲だ。
ビールとクラッカージャックを両手に持ち、地元チームを応援するのも一種のアメリカンスタイルである。
球場全体の雰囲気は、今まで日本で見た野球とはまったく違ったものだった。全ての観客はタイガースを応援し、皆一体となっている。時折流れる音楽に合わせ踊り出す人もいれば、ひたすら野次を飛ばす人など様々だが、無条件で、皆地元チームを応援する。日本の野球の場合、相手チームが良いプレーなどをした時は拍手をするのだが、ここではまったくない。タイガースの応援だけである。あと、球場にいる売り子が印象的だったのを覚えている。日本では学生のアルバイトなどが多く、若い人がビール、ジュース、お菓子を持って球場内をグルグル売りまわっている。メジャーでは、売り子は若い人ではなく、成人男性が行っている。売り子という仕事にプライドを持ち誇らしげに仕事をしていた。ただ売るだけでなく、様々なパフォーマンスをし、観客を楽しませるエンターテイナーになっていた。野球に携わる人それぞれが誇りをもち、とてもかっこよく見えた。
本場の野球メジャーリーグ(後ろはデトロイトのダウンタウン)
3日目
この日でデトロイトは最後となりボストンに移動する日だ。時差ボケもすっかりなくなり、デトロイトの街にもだいぶ慣れてきた頃だった。デトロイトに来る前のイメージは、車の街、危険といったものしかなかった。ロボコップのイメージが強いのかもしれない。しかし、3日間でそのイメージはがらりと変わった。
この日は主に買い物に連れてってもらった。まず、大型ショッピングセンター!!服やメジャーリーググッズを買い込み、大荷物になってしまった。価格が日本に比べ比較的安いのに驚いた。
昼食にはいかにもアメリカって感じのハンバーガ店。バスの中を改造したような形で、店の中にはプレスリーのゴールドディスクか飾ってあった。見るものすべてがお洒落で、今の自分の部屋もこの店の影響を大いに受けている。ハンバーガの味も抜群で、ボリュームもすごい。アメリカでの食事は全てボリュームのあるものばかりで体重が若干増えてしまう心配ばかりしていた。
3日間お世話になった、マークと博子さん、そしてアンナちゃんに見送られながら、午後の便でデトロイトからボストンへ移動した。国内線なのでもちろん機内には日本人はおらず、2時間超の空の旅だがとても長く感じた。となりに座っていた大学生と少し会話をしたがほとんど会話にならず、改めて自分の言語力の無さを感じた。
ボストンに到着したのは現地の夕方。李老師とはボストン空港で待ち合わせをしていた。老師と約半年ぶりの再会!!はるばる日本から来た少年を暖かく迎えてくれた。デトロイトの時もそうだったが、空港で再会する瞬間は何とも言えないものがある。空港内で記念撮影し、地下鉄に乗り、築100年の老師の住まいへ移動した。地下鉄もとてもかっこよく、駅、車内、見るものすべてお洒落に見える。老師の家では、これまた半年ぶりの再会馬さん。相変わらず仲の良い夫婦で、僕の理想の夫婦像である。夕飯は馬さんの手料理をよばれながら、ビールを頂いた。この日のためにビールをたくさん用意したらしく、たくさんのビールとおいしい料理をいただきながら、3人の会話は途切れることはなかった。
ゼミ生の話し、自分の就職先の話、日中関係の話、やはりここでも自分の知識の浅さ、少なさを感じてしまう。もっともっと頑張らねば!!
ボストン空港で李老師と記念撮影
次の日、朝起きると先生はもうすでに講義を受けに大学へ向かっており、部屋にはいなかった。馬さんによれば昨晩は夜遅くまで語り合ったあと、予習をしてから休まれたそうだ。なんともタフな人だ!!僕はお酒を飲むとすぐ眠くなり、その後勉強をしたことなど一度もない。老師に対する尊敬の念が一層強くなった瞬間であった。
この日はアメリカ最後の日である。前日老師にボストンの観光スポットをいくつか教えてもらい、さらに地下鉄のトークン(コイン)をもらった。トークンは一枚1$で(75¢だったかも)の均一料金で地下鉄が乗れるコインだ。
まず向かったには、クインシーマーケット(Quincy Market)ここは人気スポットで、自分の好きなアメリカ雑貨などを大量に買い込んだ。ここで、とある店員に料金を安くしてもらったが、お礼にキスをされてしまった。その後彼は僕を求めてきたが、断固拒否し足早に逃げたのは一生忘れない。ノーと言える日本人にならなくてはいけない。
次にボストンで最もお洒落な通り、チャールズ道りに向かった。レンガ造りの建物が連なり、その手前にはガス灯と街路樹、そしてレンガの歩道が続いている。カフェで休みながらゆっくりと街を楽しみながら散歩した。日本では考えられない行動である。ウインドウショッピングってやつだ。女性は好きな人が多いかもしれないが、ウインドウショッピングをする人の気がまったく分からなかった。買いたいものがあるのならすぐ購入してすぐ帰ればいい。時間の無駄だ。と思っていた。しかし、自分がいざウインドウショッピングをしてみると意外といいものだった。また日本帰ったら知らない街をブラブラしてみようと思う。
チャールズ通りの街並み
その後、ブラブラと歩きまわりマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute
of Technology)に到着した。構内はやはりスケールが凄く日本と比べ物にならなかった。ちょうどお昼頃で、下の写真は芝生で昼食をとっていた学生にとってもらったものだ。皆周りの目など気にせず自由気ままにくつろぎ、初秋の陽気を楽しんでいた。アメリカに来て5日目だが、アメリカ文化のようなものが自分なりにわかってきた気がした。他人の目を気にすることなく、お互いの違いを尊重しあう、異民族の集まった文化地域ではその辺の個人主義を徹底させなければならないのだろう。
その後、ハーバード大学前に夕方到着し、李老師と合流した。ハーバード大の構内もとても広く、多くの学生や観光客でにぎわっていた。李老師に構内を案内していただき、二人であるゆる建物をバックに写真をとりまくった。老師はやはり写真好きで、僕のデジカメの充電がなくなるほど、これでもかというくらい写真をとった。
李老師の家には僕ともう一組みの客人が日本からきていた。愛知大学豊橋図書館事務課の成瀬さよ子さんとその息子さんである。成瀬さんは東亜同文書院の研究をされており、その関係でアメリカに1ヶ月以上来られたそうだ。東亜同文書院の資料をハーバード大の図書館やその他多くの場所で探しているらしく、レポートを少し拝見させてもらったがとても興味深いものだった。その他にもいろいろな話を聞かせていただきとても勉強になった。
夕食は、李夫婦、成瀬さん親子そして李老師がハーバード大でお世話になっているという、R.スレスキー氏(Ronald Suleski)の6人で日本料理を食べた。スレスキー氏は李老師同様あらゆる言語を話すことができ、食事の間の会話は日本語で行われた。とても楽しい食事会で、会話のレベルはとても高いものだったが、李老師もスレスキー氏も僕のレベルに合わせて会話をしてくださった。
話題は日中、日米関係やらアジア経済、など多岐にわたった。僕にとっては聞くことすべてが講義のようなもので、とても勉強になった。
さいごに
今回の旅はとても短時間であり、一人旅であるがほとんど周りの方に助けていただいた旅だった。自分ひとりの力の小さいことに改めて気付き、それと同時に周りの人間の大切も感じることができた。言葉の壁、習慣、国籍、文化、宗教みなそれぞれ違っていても、どんなに距離が離れていても分かり合え、楽しむことができる凄さを今回の旅で発見した。
今、社会人1年生として日々奮闘しているが、行き詰ったとき、落ち込んでいる時、僕は必ずこの旅のことを思い出すようにしている。飛行機から初めてアメリカ大陸を見たときの感動、メジャーリーグのプレー、ボストンで勉学に勤しむ学生達、そして今も絶え間なく努力し続ける恩師を想像すると、自分の悩みなどとても小さいことに気付くことができる。自分より苦しい人はもっといる!!こんなことで落ち込んでいられない!!このように考え、また何事もなかったようにデスクに戻り、企業の決算書とにらめっこしているのであった。
これからもこの旅は僕の生きる活力となるだろう。