第3章 東アジア共同体構想

『理想と現実のはざまで』

                              

03E2355 河本裕樹

はじめに

東アジア共同体構想を実現に向けてアジアが今動きだしている。2005年12月には東アジアサミットがマレーシアで開催されるなど、段々と現実味を帯びてきている。アジアが一体となることで多くのメリットが生まれるだろう。しかしながら、メリットと同時にデメリットも生まれることは容易に想像できる。アメリカとの関係が悪化するおそれや競争力の弱い産業で働く人々は、輸入拡大による競争激化によって所得減少や失業などの被害を受ける可能性がある。さらに、EUのように簡単に統合することは難しいとされている。東アジア共同体の核をなすであろう日本と中国が政治的問題を抱えていることなど様々な問題が山積みしている。はたしてアジアは様々な問題をクリアーして統合することができるのだろうか。そこで、まず東アジア共同体構想の経緯から追ってみることにした。

 

第1節    東アジア共同体創設の理由と動き

 

1-1 創設の意味

東アジア共同体創設は、どのような歴史的な意味があるのだろうか。また、日本あるいは東アジアだけでなく、世界にとっての意味は何か、こうした点をまず明らかにする必要がある。東アジア共同体、あるいはその前段の東アジア経済共同体には、世界経済を安定させるという大きな意味がある。アメリカを一極とする現在の世界経済システムは、アメリカの経常収支赤字を海外からの資金でファイナンスすることによって成り立っている。これはドルが基軸通貨であるが故に可能なのだが、膨大な経常収支赤字によって、ドル安(円高)に陥るリスクがある。そうなればアメリカに資金が流入しなくなるため、アメリカは絶えず「ドル高政策」(用語解説参照)を余儀なくされてきた。
すなわち、アメリカを一極とする現在の世界経済システムは、アメリカの旺盛な消費を前提にし、ドル高、金利高、株高を条件としている。そうでなければモノもカネも引きつけられないからである。
 東アジアで経済共同体などのような枠組みができることで東アジア、EU、アメリカと三極となり、世界経済は安定化するだろう。アメリカ経済の動向だけに左右されることがなくなるからである。アジア共通通貨ができれば、ドル、ユーロ、東アジア共通通貨となり、安定感はさらに増すことは間違いない。[1]このように創設の主な理由は経済であるといえる。しかし、世界的に安定感も増すが、はたしてアメリカが容易に賛成するとは考えがたい。日本は現在アメリカに依存しているわけであって、アメリカがノーと言えば、それ以上言えないであろう。

 

1-2 現在の共同体構想までの経緯

政府レベルの地域協力の包括的な枠組は、1967年発足のASEANのみであった。
 しかし、70年代には韓国が、80年代にはASEAN諸国が、90年代には中国が急成長を遂げており、東アジア諸国の経済的繋がりは、極めて大きなものとなってきている。このため、地域なりの協力体制の形成が模索されている。
 89年に発足した、アジア太平洋経済協力閣僚会議(APEC)は、東アジアに加え、アメリカ、オーストラリアなどを含む太平洋諸国の閣僚が一同に会する枠組みであり、93年のシアトル会合から首脳会議とされた。
 マレーシアのマハティール首相は90年に東アジア経済協議体(EAEC)構想を提案している。しかし、アメリカの牽制等で実現していない。
 これに対し、94年にシンガポールのゴー・チョクトン首相の提案により、96年にはアジア欧州連合首脳会議(ASEMAsia-Europe Meeting)が発足し、ここで、アメリカの加わらない枠組みが生まれている。
 さらに、97年には、橋本首相がASEANとの首脳会議の定例化を提唱したが、ASEANから逆提案があり、クアラルンプールで9712月にASEAN+3(日中韓)の初会合が持たれた。
 なお、97年夏にはアジア金融危機が発生し、アジア通貨基金構想が提唱されたが、実を結んでいない。
 また、98年末には、金大中韓国大統領により東アジアビジョングループ(EAVG)が提案され、その報告から東アジアスタディグループ(EASG)へと展開し、02年秋に報告がなされている。
 一方、0112月には、中国がWTOに加盟し、一層の経済発展を遂げてきている。
 これに対して、0211月には、日本・シンガポール間でのFTA(用語解説参照)締結がなされるなど、グローバル化の中での地域化の動きが強くなってきている。
 03年の「ASEAN+3」(用語解説参照)首脳会議では、東アジア域内シンクタンクのネットワーク(NEAT)を設置し、東アジア共同体構想を模索することが合意されている。
 また、04年7月には、ASEAN+3外相会議の議長声明として、東アジア共同体への協力関係強化がうたわれている。
 さらに、0411月のビエンチャンASEAN首脳会議では、05年にマレーシアで東アジアサミット開催が合意されている。[2]ここで各国の思惑がはっきりするであろう。

 

1-3 最近の動き
 アジア全体での歴史、経緯は先のようだが、2005年開催されるサミットにはどのような思惑があるのだろうか。まだまだ先は明るいとはいえないが、このサミットには各国が期待している。
 現在のASEAN+3では、日中韓はあくまでゲストであり、対等なパートナーとはいえないが、東アジアサミットとなれば、日中韓はゲストから主役へと躍り出ることができる。
 中国は当初、2006年に中国での第1回サミット開催を呼びかけていたが、ASEANに配慮して時期や場所はASEANに委ねた。第1回サミットは05年にマレーシアで開催することになっている。サミットの枠組みについては、2005年11月に予定されているビエンチャンでのASEAN+3首脳会議などで議論されることになるが、オーストラリア、ニュージーランド、北朝鮮、モンゴル、さらにはインド、ロシアなどの国が参加する可能性もある。東アジアという概念は曖昧である。東京宣言でも共同体の地理的範囲についてとくに触れられていない。[3]
 共同体構想やサミット開催については、各国の理念や思惑の違いも露呈している。ASEANには日中韓に主導権を奪われるのでは、との懸念があるし、日中の主導権争いも表面化しつつある。韓国やASEANは日中の2大国に埋もれることに警戒している。各国の思惑が先行すると、構想倒れに終わることになる。東アジア共同体の推進のためには、やはり、この間、統合へのリーダーシップをとってきたASEANの立場が最大限に尊重されるべきだろう。今後はサミットを軸に各国が納得できる中身を取りまとめていく必要があるだろう。
 日本は中国の勢いを視野に入れながら、東アジア共同体に参加することになるだろう。しかし、一方で米国に気がねしてか、東アジアだけでまとまることに消極的な姿勢も垣間見える。米国はアジアにおけるプレゼンスの縮小は認めないだろう。
 アジアかアメリカかという二者択一の問題ではないとしても、小泉政権による日米同盟の強化などの動きは時代に逆行している。日本はアメリカとの同盟もあり、東アジア内での立場は微妙である。そのためあまり積極的な動きは見せていない。そこにアジア諸国の日本への不満がある。中国側も日本を牽制している様子である。

いま、アジアの地殻変動が始まりつつある。その中核となるのが「東アジア共同体」であり、将来的にはアジア地域統合の流れの中心的存在となっていく可能性が強い。[4]

 

2節 EUとの違いと日本の安保理入り

 次に、EUとの比較を念頭に、EUの共通性に注目し、さらに、最近日本の安保理入りをめぐるアジア関連国の動向を見てみたい。

 

.EUの共通性
 地域統合するうえで、EUは政治、文化、歴史などの面において、共通性が多くみられる。

政治面からみると、EC(EUの前身)の原加盟国であるフランス・西ドイツ・イタリア・ベネルクス3国は、過去に4度、単一の政治権力の下におかれたことがある。5世紀までのローマ帝国、8世紀末~9世紀前半のフランク王国、19世紀初頭のナポレオン、20世紀半ばのヒトラーである。分裂していた時期も王家はみな親戚同士で、今日では「議会制民主主義」という共通の政治体制を持つ。[5]                                                                  

また、宗教では、欧州は16世紀初頭まで、カトリック教会という単一の宗教団体が精神生活をとりしきっていた。宗教改革後、西独とオランダでは新教が多数派となったが、同じキリスト教にはかわりない。欧州の言語は、印欧語族に属し、文法も語彙も似ており、「ラテン語」という共通語が存在した。

さらに、経済面からみれば、ヨーロッパは16世紀からすでに、ひとつの経済圏を形成している。穀物も木材も鉱産物も、衣料品などの工業製品も、欧州という共通市場に向けて生産され、取り引きされていた。貨幣や投資や債権など金融についても同様である。熾烈な競争を生き残るために国家の機能が重視され、重商主義や保護主義が台頭した時期もあったが、欧州内のヒトとモノとカネの流れをもっと効率よくしましょう、という自然な流れの中にEUはある。[6]

EUに比べて、東アジア諸国は、政治、宗教、言語、経済交流の面では多様性に富んでいるが、EUのような多面にわたる共通性を見出すことが相対的に難しい。

2.日本の安保理入りへの思惑
 日本は国連の安全保障理事会の常任理事国入りを目指している。しかし、その道程は非常に厳しい。それは、東アジア共同体という同じ目標を持つべきアジア諸国から反対を受けているからである。そこで主要国の日本の安保理入りに対する反応をみてみる。

2-1.中国

「中国政府は、日本が目指す国連安全保障理事会の常任理事国入りについて(1)安保理は拠出金の多寡で構成を決めるわけではない。(2)責任ある大国の役割を果たす国は自国の歴史問題についてはっきり認識すべきだ。」[7]として、反対の立場を示した。
 中国はやはり日本の歴史問題を言及して、反対の姿勢を示した。しかしその背景には、アジアで唯一の安全保障理事国であるということを誇りに思っているため、日本に肩を並べられたくないという思惑がうかがえる。

2-2. 韓国
韓国は日本の国力や国連に対する経済支援という点は評価しているものの、中国と同じように反対の姿勢を示している。理由は、日韓が現在抱えている竹島問題や、教科書問題である。韓国側としても対等でありたい日本が安保理に入ることで先を越されたくないという思惑がうかがえる。

2-3.アメリカ

アメリカは日本の国連に対する貢献を評価して賛成の意見を表明している。さらには反対している中国に対して妨害しないよう働きかけると述べている。日本にとっては非常に心強い味方である。

2-4.ASEAN諸国

 「  ASEANのオン・ケン・ヨン事務総長は、シンガポールで、日本の国連安保理の常任理事国入りを支持するかの問題について、ASEANメンバーの10カ国は、完全な一致に至っていないと述べた。「7月にベトナムで開かれたASEAN外相会議で、日本の常任理事国入りについて話し合ったが、参加した加盟国外相が、すべて日本の常任理事国入りを支持したわけではない。日本は、ASEAN加盟国すべてが日本の常任理事国入りに同意していると考えている。しかし7月の会議で一部の外相から得た確実な情報では、日本についてそのように述べてはいなかった。また、同じ席上で、どの国が新たな常任理事国になるべきかについて、ASEAN諸国は一致したわけではない」 [8]

ASEANは現時点で賛成とはいかないようだ。東アジア共同体の幹であるASEANの反対は日本にとって厳しい現状である。

 

第三節 FTAEPA

日本の現在のFTA状況

日本は現在どのようなFTAを締結しているのだろうか。まずはそこからみていく。
 日本は、個別国とのFTA締結に力を入れ始め、タイ、フィリピン、マレーシア、韓国と交渉を開始した。02年にはシンガポールとのFTAを締結、05年4月にはメキシコとの間で締結したFTAが発効する。                                                             また中国は、02年になってASEANと10年までに主要6カ国と15年までに後発4カ国とFTAを締結することで合意した。これに触発された形で、日本もASEANと包括的経済連携協定を締結することで02年に共同宣言を行った。
             

 

 

1 日本のFTAの状況

出所:石田信隆 「アジアのFTAについて考える」 http://www.nochuri.co.jp/report/pdf/r0509in1.pdfより引用作成

 

 

 

 

表2 アジアのFTA状況

出所:表1に同じ

 

1.    EPAをめぐる現在までの動き

1-1.EPAの定義
 日本政府は、EPA(用語解説参照)に積極的な姿勢を見せる前から、WTO協定以外に、二国間および多数国間で通商関係の条約を締結してきた。2国間のものとしては、通商航海条約や投資保護協定、また多数国間のものとしては、投資紛争解決センター(ICSID)条約が著名である(用語解説参照)。WTO協定以外に通商政策に関わる条約が結ばれてきたにもかかわらず、「経済連携協定(EPA)」の締結が注目をされるのは、EPAにはWTO協定と原理的に相容れない要素を有しているためである。具体的には、EPAが物品貿易に関して設定する「自由貿易地域(Free Trade Area)」、またサービス貿易に関して設定する「経済統合」が、EPA構成国間に特恵的な関係を設定するものであり、WTO協定の奉ずる無差別性と原理的に矛盾すると考えられるからである。[9]

1-2.世界の動き

日本がEPAに対して積極的な姿勢を示している背景には、「自由貿易協定(Free Trade AgreementFTA)」が世界中で活発に結ばれているという状況がある。西ヨーロッパ諸国は、第二次世界大戦直後の1950年代に、「ヨーロッパ経済共同体(EEC)」の名称で関税同盟を結成した。これは、フランス、西ドイツを中心としたもので、域内貿易の自由化と域外共通関税制度を創設し、加盟国間に特恵的な貿易関係を設定した。さらにECは、近隣諸国や旧植民地諸国と、自由貿易地域乃至それに準ずる特恵関係を設定していった。                            他方、米国は長く、GATTに依って無差別主義を奉じ、自由貿易地域を設定するための自由貿易協定は、きわめて例外的にイスラエルと結ぶにとどまった。しかし、1989年に、カナダとFTAを結んでから政策が修正され、1994年にはいくつもの障害を乗り越えて、メキシコを加えたNAFTAの締結に成功した。そして1995年には、20051月を交渉期限として、キューバを除く全米州諸国と「全米自由貿易協定(FTAA)」交渉を開始した。[10]                                                   

1-3.日本の動き~シンガポールとのEPA締結まで~
 日本は長く多角的貿易体制に完全に依拠して、関税同盟や自由貿易地域等の特恵的な貿易関係の設定には厳しい態度をとってきた。しかし、1990年代には、日米欧の世界の三大経済圏のうちのヨーロッパのみならず、米州まで特恵的な関係を設定してブロック化の動きを見せた。この中で、1997年にアジアで金融危機が勃発し、翌98年に、危機に巻き込まれた韓国から、日本に対して自由貿易協定締結の提案が持ち込まれた。日本政府は、この動きを正面から受け止め、将来の自由貿易協定締結を視野に入れて、韓国との投資協定の交渉を始めた。日本政府が初めて自由貿易協定締結に前向きの姿勢を取ることを内外に示した。その後は各国から日本政府に対してFTA締結の申し出が相次いだが、199912月に新ラウンドの開始に失敗したWTOシアトル閣僚会議の直後に、シンガポールと自由貿易協定交渉の準備に着手することを電撃的に発表した。日本政府がシンガポールをFTAの最初の相手国に選んだのは、シンガポールが農業国ではないために日本に対して農産品の自由化を要求しないためであった。さらに、シンガポールはもともと原則として輸入関税を課さない自由港であったために、貿易面での日本側の要求はきわめて限られたものにならざるをえなかった。そのため締結まで短期間しかかからず、予定通り20022月に協定に署名された。[11]


2. 「先進国-途上国」の図式の変化
 アジアでのこれまでの貿易といえば、先進国は工業製品を途上国に輸出し、農水産品を途上国から輸入するといった形であった。しかしこれが序々に変わりつつある。
 先進国と途上国との間でFTAを締結し、関税を引き下げると、自動車、エレクトロニクスなど工業製品に関しては先進国に有利になり、先進国からの輸出が増える。従って工業製品に関しては途上国側にとっては不利あるいはメリットがない、と言われてきた。[12]
ところが現実は、日本など先進国側からだけでなく、途上国側からも熱心に先進国に対してFT Aの締結を求めてきているのである。それは東アジア全体が「世界の工場」となり、ネットワーク化したことで、「補完し合う分業体制」ができるからである。アジア各国が補完し合えば、メリットを享受し合う事が出来るため、今まで以上に東アジア間での貿易が盛んになり、国の活性化に繋がるのではないか。

かつてのように工業製品=先進国、農産品=途上国あるいは先進国=強、途上国=弱という図式は、大きく変化してきているのである。[13]アジアではこれまで垂直分業(用語解説参照)が主流だったが、堺屋太一氏の提唱する工程分業(用語解説参照)が主流になりつつある。


3. 農水産品をめぐる問
 
しかしながら、途上国にとって農水産品などの輸出指向は強い。それは価格競争力があるからである。そこで先進国に対して農水産品の輸入枠拡大を求めるわけである。
 タイは日本とのFTA交渉で、コメの輸入を認めることを提案している。しかし、日本ではコメは主食、輸入を認めることに対する抵抗感は強い。[14]しかしいつまでもそればかりを言っていては日本の農業が発展しないのではないかと思う。いずれは輸入せざるを得ない状況がくることを想定し、日本の農家が輸入に負けない、強い体制を築く必要があると思う。例えば、今より大規模経営をして、競争力を強化することで輸入米にも対抗できるかもしれない。つまり、輸入に反対するばかりでなく、輸入が開始されてもいいように今から対策を練る必要があるのではないかということである。
 食の安全、自給率などのことを考えれば、農産品の輸入を拡大することは問題が多い。特に野菜などの生鮮食品、水産物、肉類など、鮮度維持のために使用する防腐剤などの問題だけでなく、遺伝子組み換え食品などの流入につながる恐れも指摘されている。
さらに問題なのが、安い海外の農産品が輸入されることで、国内の業者が打撃を受けることだ。ウルグアイ・ラウンドなどGATTの交渉も、これを引き継いだWTOの交渉でも、途上国からの農業製品の輸入枠をめぐってもめてきた経緯がある。
FTAは、まず2国間の政府が覚え書きを交わし、それぞれの議会で批准し発効する。WTOは、FTAを結ぶ場合「実質上すべての貿易」を対象とし「原則10年以内」に関税を撤廃することなどを求めている。先進国である日本がFTAを結ぶためには、すべての貿易の9割以上の関税を撤廃するとされる関税貿易一般協定(ガット)24条の条件を満たす必要がある(途上国にはこの24条の適用除外をうたう授権条項がある)。
つまり、10%以内という枠はあるが、例外が可能なこと、また10年間という時間をかけることができるので、国内対策が可能となる。21世紀における日本の農業・食をどう位置づけるかという点から検討する必要があるだろう。
もう一つの問題が人の移動である。フィリピン、タイなどから看護師、介護士などの受け入れを求められている。[15]農水産に関する問題はアジア全ての国にあるといえる。

むすび

東アジア共同体は果たして可能なものなのだろうか。この論文を書くうえで参考にさせていただいたホームページや谷口誠さんの『東アジア共同体』という本では比較的明るい未来を中心に書かれていた。「東アジア共同体」ができれば、世界的にもアメリカ、EUと並び一大勢力になることができる。しかし私は調べていくうちに、日本にとって果たして「東アジア共同体」が明るい未来には必ずしもなり得ないのではないかと思うようになった。仮に「東アジア共同体」ができたとして、日本にとってはアセアンとの貿易やアメリカ依存の経済体制からの転換などメリットはある。しかしデメリットも大きい。中国人が技術を求めて日本に押し寄せれば、日本の技術力の価値がなくなる可能性があるのではないか。日本と中国が同じ技術力になれば、規模の大きな中国には日本は負けてしまい、主導権を完全に握られてしまう。また、貿易が自由化したら、アセアンとの貿易でも工業製品は黒字になるが農水産の面では必ずしも黒字になるとは思えない。例え、国として黒字になったとしても日本国内の農家や漁業関係者には多大な影響を及ぼすことは目にみえている。それでは日本の幸せにつながらないと思う。日本は現在、前向きな姿勢を示しているがもう一度考え直してみてもいいのではないか。

 

 

<用語解説>

① 自由貿易協定(FTAFree Trade Agreement):物品の関税及びその他の制限的通商規則やサービス貿易の障壁等の撤廃を内容とするGATT24条及びGATS(サービス貿易に関する一般協定)第5条にて定義される協定。[16]

② 経済連携協定(EPAEconomic Partnership Agreement):FTAの要素を含みつつ、締約国間で経済取引の円滑化、経済制度の調和、協力の促進等市場制度や経済活動の一体化のための取組も含む対象分野の幅広い協定。[17]

     ASEAN+3:ASEAN10カ国に日中韓を加えた東アジア協力の枠組み。

     通商航海条約:2国間における友好的な交流、通商関係を維持する為に結ばれる、基本的な条約。[18]

     投資保護協定:投資の促進および保護に関する国と国の間の協定。自国民に与える標準的投資保護を相手国民にも与えることが目的。[19]

     投資紛争解決センター:1967年に署名が開始、翌1968年に発効され、「国家と他の国家の国民との間の投資紛争の解決に関する条約」のもとに設立された。国際投資紛争の調停と仲裁を行う場を提供する役割を果たす。[20]

     垂直分業:分業下位の国で農産物や鉱物などの付加価値の小さな財やサービスを生産して上位国に安い価格で輸出し、その代わりに分業上位の国から付加価値の大きな財やサービスを高い価格で輸入するという形の国際分業の形態である[21]

     工程分業:部品の製造を行う国、それを組み立てる国、技術開発を行う国、販売戦略を策定する国など異なる機能を各国が担う分業体制。[22]

 

<参考文献>

谷口誠 『東アジア共同体』、岩波書店、2004年

森嶋通夫 『日本にできることは何か』、岩波書店、2001年

浦田秀次郎 『日本のFTA戦略』、日本経済新聞社、2002年

浦田秀次郎 『アジアFTAの時代』、日本経済新聞社、2004年               

大田竜一「ANECDOTA EUと“東アジア共同体”」、

 http://homepage3.nifty.com/ryuota/eastasia.html

小寺彰「経済連携協定の意義と課題―日本の通商政策は転換したか、“東アジア共同体”結成は間近かー」、http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/kotera/03l.htm

EastAsiaNewsWatchi  http://k-mokuson.at.webry.info/200409/article_19.html

木原「現代中国ライブラリィ『東アジア共同体』構想は進展するか」、『政策フロンティア』、200410月号、新華タイムズ網blog.melma.com/00118901/20050214

蜂谷隆「東アジア共同体を展望する」、http://www.asahi-net.or.jp/~HB1T-HCY/main.htm

浜松誠二「東アジア共生へのシナリオ」

http://www.nihonkaigaku.org/ham/eacoex/100econ/120doms/121prod/1212trad/easiaorg.html

中国国際放送局HP、ニュース、2005年8月30日

http://jp1.chinabroadcast.cn/151/2005/08/30/1@47916.htm

 

 

<ゼミ論集の感想>

最初なかなかテーマが決まらず、東アジア共同体をやることになった時は分かりやすいイメージだったのでスムーズに作業が進むと思ったが、実際やり始めてみると行き詰まることの連続だった。本を読んでも聞いたことのない語句が多く、それを調べる作業からのスタートだった。また自分は今までに論文を書いたことがないため、文章の構成などもわからなかった。しかしこうして完成することができ、ほっとしている。ゼミはレポートが多く、大変だったというのが正直な感想だと思う。同時にこれまでの自分の勉強量の少なさや、知識の無さを痛感させられた。しかしゼミでの討論や、こうして一つの論文を完成させることができ、以前よりは知識をつけることができたと思う。これからは就職活動や卒業論文などで大変だが、いっそう頑張っていきたいと思う。

                

 

 



[1]蜂谷隆「東アジア共同体を展望する」http://www.asahi-net.or.jp/~HB1T-HCY/main.htmより引用

[2]浜松誠二「東アジア共生へのシナリオ」http://www.nihonkaigaku.org/ham/eacoex/100econ/120doms/121prod/1212trad/easiaorg.htmlより引用

[3] 木原「現代中国ライブラリィ『東アジア共同体』構想は進展するか」、『政策フロンティア』、200410月号、新華タイムズ網http://blog.melma.com/00118901/20050214より引用。

[4] 同上。

[5] 大田竜一「ANECDOTA EUと“東アジア共同体”」、

 http://homepage3.nifty.com/ryuota/eastasia.htmlより引用。

[6] 同上。

[9] 小寺彰 「経済連携協定の意義と課題―日本の通商政策は転換したか、“東アジア共同体”結成は間近かー」、http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/kotera/03l.htm引用

[10] 同上。

[11] 脚注7に同じ

[12] 脚注1に同じ

[13] 同上

[14] 脚注1に同じ

[15] 同上

[16] 以下はいずれも小寺彰「経済連携協定の意義と課題―日本の通商政策は転換したか、“東アジア共同体”結成は間近かー」http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/kotera/03l.htmより引用。

[17] 同上

[18] RPS「まずは識ることから始めよう!」http://www4.ocn.ne.jp/~tishiki/kokusaihou.htmlより引用。

[19] 外務省Hp「国際的な投資ルールについて」 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/investment/より参照。

[20] 世界銀行東京事務所HP「世界銀行とは」http://www.worldbank.or.jp/top.htmlより引用。

[21]Atsushi Miyazaki「国際開発経済学・ガッ!と読む」(第028回)、

 http://www.asahi-net.or.jp/~GA2A-MYZK/econo_d/gatt_29.htmlより引用。

[22] 堺屋太一、()社会経済生産性本部HP http://www.jpc-sed.or.jp/event/goreikai/2004/file04-6.htmより引用。