第一章 日中韓は歴史のジレンマを乗り越えられるか

『認識の違いという壁』  

                             

 

03E2201 美濃羽 翼

はじめに

戦後60周年の2005年の今年、日中関係はかつてないほどの危機に面していることは承知の通りである。報道等でも取り沙汰されているように、日本国民は日中間の懸案について少なからず情報を得ているわけだが、筆者は、それらの情報から日中間の亀裂を危惧している一人であり、日中友好を願う一人である。このような事態の原因の解明を目指し、懸案から靖国問題、反日問題、教科書問題を題材的に取り上げ考察した結果、これら三者には、「認識の違い」という共通のキーワードが存在することを発見した。日本、中国、そして韓国を含めて、それぞれが隣国でありながら、お互いのことを理解できていない現実を目の当たりにした。そして近年のインターネットの台頭が、「認識の違い」に少なからず影響していることもわかった。また、中国のインターネット社会を考察していくと、中国の切実な社会問題も浮き彫りなったことも重ねて述べておきたい。

この論文の構成は、第一節では、小泉首相の今までの談話と中国、韓国の談話を表にして羅列し、各国がどのような考え方をしていて問題点はどこなのか追求し、まとめという形で自分の考えを述べてあり、2005年の大阪高裁違憲判決や、2005年10月17日の5回目の小泉靖国参拝の概要なども添えてある。第二節では、サッカーアジアカップ騒動と反日暴動の簡単な概要と、中国のインターネット社会から見えてくるものを述べてある。第三節では、三国の教科書問題に対する考え方と相違点、そして、扶桑社等に代表される教科書問題や、日本の教科書東アジア歴史共通教科書への動きなども述べてある。そして、すべてを総括したうえで、筆者のまとめや感想を述べてある。

 

第1節    靖国問題

1-1 小泉首相の靖国参拝と中国・韓国の反応

二十一世紀の今も問題であり続ける靖国問題。[1]今年は戦後60年であるが、なぜ今になっても問題とされるのだろうか。現在の日中関係は、靖国問題等があり、かつてないほどの冷め切った状態である。小泉首相は2001年の自民党総裁選挙中から、靖国参拝を公言していた。[2]それから首相は2004年まで4回参拝している。今年は参拝をひかえたようだが、小泉首相は靖国参拝の理由として「先の大戦で多数の死者がでたが、このような戦争を二度と起こさないという不戦の気持ちを新たにする意味で参拝している」。[3]

一方、中国からは、戦犯を合祀している靖国への参拝は被害者である自分達の国民感情を逆なでするものであると反対している。[4]日中韓やアジア近隣諸国においてこの問題の根底には、靖国神社に対する認識の違いがある。そこで小泉首相の今までの談話と中国、韓国の談話から各国がどんな考えをもっているのか考察していく。なお靖国神社の詳しい経緯や問題点などは、高橋哲哉の『靖国問題』や小林よしのりの『靖国論』を参照してもらいたい。

このように、小泉首相の今までの参拝直後の談話を中心に並べてみた(表1)。一貫していえることは、靖国神社の参拝にとても強い信念をもっているということだ。参拝をする目的は決して戦争を美化するものではない。かつての日本帝国主義の歴史を虚心に受け止め反省し、アジア近隣諸国の国民や、心ならずも、国のために命を捧げた日本国民などすべての戦争被害者に哀悼の意を捧げているのだ。そして今日の日本の平和と繁栄は、尊い犠牲の上に成り立っているのだから、将来に渡って二度と戦争は起こしてはいけないという強い思いがあるのだろう。

2001年の小泉首相の靖国参拝で中国側は、強い不満を表明したが、首相が8月15日の参拝の計画をアジア各国に配慮して、13日に変更したことに一定の理解をみせた。しかし、それ以降は中国側の厳しい批判が続いている。中国側は、靖国問題こそが最大の懸案という立場を崩していない。一貫していえることは、靖国神社に国民の選挙によって選ばれた国のトップが参拝していることに、強い憤りと不満があるのではないだろうか。韓国と比べるとやや口調が強く、2001年の小泉首相の靖国参拝以来、日中首脳の往来は途絶えている。

基本的に韓国も中国サイドと同じ主張と見ていいだろう。ただ日中間にあるような首脳の往来停止ということはない。一方的な反対はしていない。むしろ対話によって解決しようとする柔和な姿勢が見られる。靖国問題だけを国家間の問題として捉えるのではなくて、靖国問題によって両国の交流が途絶えてはならないという未来志向型のビジョンがあるようだ。靖国の参拝はA級戦犯と一般戦没者を分祀さえしてくれれば、参拝は否定しない考えである。

表1 小泉首相の靖国参拝についての発言

2001/4/18

「首相に就任したら8月15日に、いかなる批判があろうとも必ず参拝する。」[5]

2001/5/14

「宗教とかは関係ない。よそ(他国)から批判されてなぜ中止しなければならないのか。首相として二度と戦争を起こしてはならないという気持ちからも参拝しなければならないし、参拝したい。」[6]

2001/7/3

「総理大臣である小泉純一郎が靖国に参拝します。それだけです」[7]

2001/8/13

「21世紀の初頭にあって先の大戦を回顧するとき、私は、粛然たる思いがこみ上げるのを抑えることができない。(中略)とりわけ、アジア近隣諸国に対しては植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた。(中略)私はここに、こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧(ささ)げたいと思う。 私は、二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えている。(中略)あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊(みたま)の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてきた。」[8]

2002/4/21

「わたしの参拝の目的は、明治維新以来のわが国の歴史において、心ならずも、家族を残し、国のために、命をささげられた方々全体に対して、衷心から追悼を行うことである。今日の日本の平和と繁栄は多くの戦没者の尊い犠牲の上にあると思う。将来にわたって、平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならないとの不戦の誓いを堅持することが大切であります。」
 「国のために尊い犠牲となった方々に対する追悼の対象として、長きにわたって多くの国民の間で中心的な施設となっている靖国神社に参拝して、追悼の誠を捧げることは自然なことであると考えます。」[9]

2003/1/14

「新年ですからね。(不戦の)決意を新たにするには、いい時期ではないかなと思いました。」「戦没者に対する敬意と感謝を込めて、哀悼の念を示したものだと。どの国でも伝統とか文化は尊重しあっているし、仲良くできるのではないでしょうか。」[10]

2004/1/1

「日本の平和と繁栄は戦争の時代に生きて、心ならずも命を落とさなければならなかった方々の尊い犠牲の上に成り立っている。これからも日本が平和のうちに繁栄するよう参拝した。」「どこの国でもその国の歴史や伝統、習慣を尊重することに関して、とやかくはいわないと思う。」[11]

2005/5/18

「どの国でも戦没者への追悼を行なう気持ちを持っている。どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきではない。東条英機氏のA級戦犯の話がたびたび国会でも論じられるが、「罪を憎んで人を憎まず」は中国の孔子の言葉だ。私は一個人のために靖国を参拝しているのではない。戦没者全般に敬意と感謝の誠をささげるのがけしからんというのは、いまだに理由が分からない。いつ行くかは適切に判断する。」[12]

出所:朝日新聞社、共同通信社ホームページ等に代表される資料に基づいて筆者作成

                                                         

 

 

表2 靖国神社参拝をめぐる中国政府の談話

2001/8/13

中国の武大偉駐日大使は、「首相が中国、韓国など隣国の反対にもかかわらず、靖国神社を参拝したことに中国人民は憤慨を表明した」と抗議。ただ、「首相が今月15日に参拝する計画を放棄したこと、首相談話を発表し、過去の侵略戦争への反省を認めたことに留意する」とも述べた。また、「小泉首相が中日関係へのマイナスの影響を解消するためあらゆる努力を行うよう希望する」と述べた。

 

2002/4/21

中国の李肇星外務次官は、阿南駐中国大使を外務省に呼び、小泉首相の靖国参拝に関し、「中国側の強い反対を顧みず、小泉首相が中国人民の感情を傷つける誤った行動をとったことに対し、強い不満と断固たる反対を表明する」と述べ、厳重抗議した。

 

2003/1/14

中国の楊文昌外務次官は、阿南大使を外務省に呼び、小泉首相の靖国参拝に関し、「A級戦犯をまつった靖国神社に再び参拝したことに強い不満と憤慨を表明する。首相の間違った行動は、中国およびアジアの国民感情を著しく傷つけた」と抗議した。章啓月・外務省副報道局長は、首相が参拝に1月を選んだことにつき、「問題の本質は、日本の指導者が歴史をどう扱っているかにかかわる。いつ参拝しようと強く反対する」と述べた。

 

2004/1/1

中国の王毅外務次官は、原田臨時代理大使を外務省に呼び、小泉首相の靖国参拝に対して「強い憤りを表明する。戦争被害国人民の感情を傷つける行為を強く非難する」と抗議した。

2005/4/27

中国の王毅駐日大使は、「日本国民が靖国神社に行くことには何も言わない。政治家が行っても政治問題にしない。首相、官房長官、外相の3人だけは行かないでほしい」と述べ、小泉首相に参拝中止を求めた。[13]

出所:呉竹会ホームページ「靖国神社問題をめぐる外国政府・要人の主な談話・発言」(http://cgi.kuretakekai.com/yasukunigaikokuhannuou.htm)の資料に基づき筆者作成

表3 靖国神社参拝をめぐる韓国政府の談話

2001/8/13

韓国外交通商省秋圭昊アジア太平洋局長は、記者会見で、「公的か私的かよりも、参拝したこと自体が重要」と語り、あくまで問題視する意向を表明した。ただ、小泉首相が発表した談話については「熟慮した痕跡がある」と指摘。外交ルートを通じて正式に抗議の意思を伝達してから、「日本の立場を見守りたい」と述べ、追加対応は、当分行わない意向を示した。

2002/4/21

韓国の金大中大統領は、小泉首相の靖国参拝について、「靖国神社には戦犯が合祀されており、多大な被害を受けた我々として(首相の参拝は)とうてい納得しがたい問題だ。小泉首相と上海で会談した際、国内外の人たちがわだかまりなく参拝できる施設をつくる方向で合意した。そう望んでいたが、靖国参拝が突然行われ、我が国民に相当な不満が生じているのも事実だ」と批判した。

2003/1/15

韓国の盧武鑓次期大統領は、訪韓中の川口外相との会談で、小泉首相の靖国参拝につき深い遺憾の意を表明する一方で、「参拝と非難を繰り返さないよう(韓日の)指導者が話し合わなければならない」
「過去の問題が出るたびに交流が断絶してはいけない」と語り、未来志向型の両国関係を築いていく考えを表明した。

2004/1/5

趙世衡・駐日韓国大使は、外務省で竹内事務次官と会談し、小泉首相の靖国参拝について「A級戦犯が合祀されている靖国神社を小泉首相が参拝したことに驚きと失望を禁じ得ない。遺憾の意を表明せざるを得ない」と抗議した。更に「国立追悼施設設置など根源的な措置を講じるよう要望したい」と申し入れた。

2005/5/23

韓国の金大中・前大統領は、東京大学で開催されたシンポジウムで講演し、200110月に上海で行われた日韓首脳会談で、「日本は、靖国神社参拝について『世界中の人々が負担なく参拝できる方案を検討するという立場』を約束した。この約束は実践されなければならない」と語った。また、「一般戦没者に対する参拝を批判するのではない。A級戦犯を参拝することに反対する」と語った。[14]

出所:呉竹会ホームページ「靖国神社問題をめぐる外国政府・要人の主な談話・発言」(http://cgi.kuretakekai.com/yasukunigaikokuhannuou.htm)の資料に基づいて筆者作成

 

日本を代表する小泉首相、中国、韓国の三カ国の談話を元に、各国の立場を考察してみた(表2、表3)。三者の主張にはそれぞれの言い分が感じられた。過去の日本の過ちを反省し、すべての戦争被害者に哀悼の意を捧げることと、今日の日本は尊い犠牲の上に成り立っていることを肝に銘じ、不戦の誓いをすることを堅持している小泉日本。靖国問題こそが日中間の最大の懸案で、A級戦犯が祭られている靖国に日本の代表者が参拝することは、中国人民の心を深く傷つけるとして、憤りを隠せない中国。靖国参拝には基本的には反対であるが、両国の交流を止めないためにも、靖国問題を国家間の懸案にしたくない韓国。

A級戦犯の問題は中国と日本では死んだ人に対する考え方が違っていて、日本の場合、死んでしまったらその人の罪も消えるが、中国の場合、死んでも罪は罪、末代まで罪を背負わなくてはいけないという考え方の差がある。[15]確かに小泉首相の強い信念は素晴らしいと思うが、日本の風習や文化を基準にした考え方は必ずしも他国に受け入れられるものではない。対立点はまさにここである。もう少し多角的な見地から靖国問題を考えるべきだろう。

一方、中国側は、靖国参拝以来、首脳往来を停止させているが、そのような強硬な態度からは何も生まれないし、すれ違ったままだ。また韓国側の姿勢には非常に共感できる。歴史認識の違いの溝を埋めるのは、相手の国をよく知ることが重要である。韓国が言うような対話による解決が一番望ましいだろう。日本は中国、韓国と今まで築き上げてきた交流を靖国問題だけで途絶えさせていいのか。首脳同士の腹を割った話し合いが急務である。

 

1-2 大阪高裁違憲判決と関係者の反応

大阪高裁判決

01年から03年にかけての3度にわたる小泉純一郎首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受けたとして、台湾人116人を含む計188人が、国と小泉首相、靖国神社に1人あたり1万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が2005年9月30日、大阪高裁であった。大谷正治裁判長は、参拝が首相の職務として行われたとしたうえで、「国内外の強い批判にもかかわらず、参拝を継続しており、国が靖国神社を特別に支援している印象を与え、特定宗教を助長している」として、憲法の禁じる宗教的活動にあたると認めた。

一方で、信教の自由などの権利が侵害されたとは言えないとして、原告らの控訴を棄却した。小泉首相の靖国参拝をめぐる訴訟の判決は、大阪高裁判決まで全国の6地裁と2高裁で計9件言い渡されており、いずれも賠償請求を退けている。今回の訴訟の対象になったのは、小泉首相の昨年までの4回の参拝のうち、01年8月13日、02年4月21日、03年1月14日に行ったもの(表4)。

 判決はまず、参拝が首相の職務にあたるかを検討した。公用車を使用し首相秘書官を伴っていたか、公約の実行としてなされたか、小泉首相が私的参拝と明言せず、公的立場を否定していなかったことなどから、「内閣総理大臣の職務と認めるのが相当」と判断した。さらに、3度にわたって参拝し、1年に1度の参拝をする意志を表明するなど参拝実施の意図が強固だったと認定。「国と靖国神社の間にのみ意識的に特別にかかわり合いを持ち、一般人に国が靖国神社を特別に支援している印象を与えた」とした。そのうえで、参拝の効果について「特定の宗教に対する助長、促進になると認められ、我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える」として、憲法20条3項の禁止する宗教的活動にあたると結論づけた。

一方で、首相の参拝が原告らに対して靖国神社への信仰を奨励したり、その祭祀(さい・し)に賛同するよう求めたりしたとは認められないと指摘。原告らの権利や利益は侵害されていないと判断し、損害賠償請求は一審に続いて退けた。また靖国神社は「首相参拝が違憲と判断されたのは極めて遺憾である」とのコメントを出している。 [16]

 

②小泉首相の反応

首相の靖国参拝を違憲とした2005年9月30日の大阪高裁の判決で、「どうして憲法違反なのか理解に苦しむ。」と、小泉首相は、不快感を示した。「年1回」の参拝は首相の公約であり、今回の判決にも「影響はない」と明言した。

 

③韓国の反応

韓国与党・ウリ党は2005年9月30日、「違憲判決を歓迎する。」との論評を出した。また、「靖国神社参拝問題がこれ以上、韓日関係や、北東アジアの平和の悪影響を及ぼさないように期待そる。」としている。YTNテレビは「首相が、違憲判決まで無視して参拝を強行するかどうか注目が集まっている。」と報じた。

 

④中国の反応

大阪高裁の判決について、中国では2005年9月30日午前に新華社通信が、東京発の英文記事で速報するなど、関心の高さを伺わせた。ただ、いずれも報道も論評は避けて、事実関係だけを報じている。中国外務省は、「報道を注視している」と指摘しつつ、判決に対する直接の反応は示さなかった。[17]

 

表4 小泉首相の靖国参拝をめぐる過去の訴訟判決

裁判所

判決日

憲法判断

大阪地裁(一次)

2004.05.13

せず

松山地裁

2004.11.25

せず

福岡地裁

2005.01.28

違憲

大阪地裁(二次)

2005.04.26

せず

千葉地裁

2005.07.26

せず

那覇地裁

2005.09.29

せず

東京地裁

2005.09.30

せず

大阪高裁(一次)

2005.10.06

せず

東京高裁(千葉訴訟)

2005.09.29

せず(公的なら違憲の疑い)

大阪高裁(二次)

2005.09.30

違憲

高松高裁

2005.10.06

せず

出所:靖国参拝違憲訴訟の会・東京ホームページ「靖国参拝は違憲が司法の常識」 小泉首相の靖国参拝をめぐる違憲訴訟判決の図に基づいて筆者が加筆修正した。(http://homepage3.nifty.com/seikyobunri/home2.htm)

 

1-3 2005年10月17日、5回目の小泉靖国参拝

 大阪高裁違憲判決を意識したのだろうか。「総理大臣である小泉純一郎が、一人の国民として参拝する。総理大臣の職務として参拝したんじゃない。」と説明するなど、私的参拝であることを強調した5回目の小泉靖国参拝。参拝理由について「今日の平和は生きている人だけで成り立っているものではない。心ならずも戦場に赴いて命を失った方々の尊い犠牲の上に成り立っている。戦没者に感謝の気持ちを伝えることは意義があることだ」と説明。中韓両国の反発については「長い目で見れば中国も理解していただける。よく説明していきたい」としながら、「心の問題に他人が干渉すべきじゃない。ましてや外国政府が、戦没者に哀悼の意をささげるのを『いけない』とかいう問題じゃない。」とも述べた。

 一方、小泉首相の靖国神社参拝に対し、中韓両国は2005年10月17日、日本との外交日程の見直しに言及するなど強く反発した。韓国大統領府の報道官は、2005年10月17日、12月にも日本で開く予定だった日韓首脳会談について「今日を境に見直さざるを得ない。日程の変更もあり得る。」と語った。APECでの両首脳の顔合わせも「検討していない」とし、「日本政府は自らの行動への責任を取るべきだ」と厳しく批判した。[18]また、2005年10月18日、韓国の潘基文外交通商相は二十日、ソウル駐在外国メディアとの会見で、2005年10月27日から予定していた訪日と日韓外相会談について「韓日関係は靖国参拝によって冷え込み、外交面で困難な局面に入った。(訪日は)適切でない」と語った。[19]

 中国外務省の孔泉報道局長は2005年10月18日の記者会見で、「小泉首相自身が語った歴史への反省とかけ離れているばかりでなく、歴史を歪曲し否定する右翼勢力を助長した」「中日関係の政治的基礎を破壊した」と改めて批判した。参拝形式が従来より簡略化されたことについても「どのような方式を採ろうとも、参拝の実質は変わらず、当然強く抗議する」とした。また、2005年10月23日からの方向で調整していた町村外相の訪中について「時期が適切でない」として受け入れない考えを明らかにした。[20]

 

第2節 反日問題

今でこそ政府からの規制により、反日的な行動は納まっているが、依然として中国国民の心情には反日のとげが刺さっている状態である。2004年のサッカーアジアカップ騒動や2005年の反日暴動では、中国国民の怒りが爆発した形で表れ、日本でも題材的に取り上げられた。これらの反日的な行動には、近年の情報化社会におけるインターネットの普及が対日批判の火に油を注ぐ役割を果たしている。また一方で、第四のメディアとしてのインターネットは報道の規制を行ってきた中国社会に大きな影響を与え始めている。サッカーアジアカップ騒動と反日暴動の簡単な概要と合わせてインターネットの普及から見えてくるものは何か考察していく。[21]

 

2-1 サッカーアジアカップ騒動

2004年の初夏、中国各地で繰り広げられたサッカーのアジアカップは中国対日本の決勝戦で幕を閉じた。[22]中国人サポーターが、試合前の「君が代」の演の際、席に座ったままでブーイングしたり、試合中、日本チームがボールを奪うと激しい罵声を浴びせたり、試合後、日本大使館の公用車に対して窓ガラスを割るなど、両国にとって後味の悪い大会になったことは記憶に新しい。なぜこのような騒動になったかは十分に解明されていないが、日本側の見方は、試合後に混乱があったことや中国公安局が謝罪したことなどサッカー騒動を正しく中国の人には知らせていないことが、日中間の問題解決を複雑にしていると見ている。中国側の見方は、反日的な行動の背景は、首相がA級戦犯の合祀されている靖国神社を参拝することに代表される歴史認識に問題があるとしている。[23]

 

2-2 反日デモ

2005年の3月に韓国の独島問題(日本名は竹島)を契機として盛り上がった反日運動を引き継ぐように3月下旬から,歴史教科書問題や日本の国連安保理常任理事国入りの反対の署名活動が行われ、四月になってから、成都、広州、北京、上海の大都市でデモ行進が行われた。「愛国無罪」や「日本製品ボイコット」などを叫びながら次第に暴徒化し、日本料理店などを破壊し、さらに、日本製品を使う中国人に対しても激しく攻撃した。上海では、日本総領事館周辺に1万人以上が集まり、レンガの破片やペットボトルなどを、総領事館に向かって投げつけた。中国国内では、デモ活動があったことは報道されているが、デモで投石など暴力・破壊行為が行われたことは伝わっていない。日本側は中国政府に抗議するとともに、謝罪と損害賠償を求めているが、中国側からの明確な謝罪はない。[24]

 

2-3 中国のインターネット世論

反日デモがあった2005年4月中旬以降、中国では無許可のデモや活動に対する規制が強化され、大衆レベルでの反日行動は下火になってはいるが、日中関係の問題は何も解決されていないのが事実だ。中国政府やマスメディアは「歴史を鑑として未来に向かう」して日中関係の発展を強調したが、大衆レベルの日本に対する意識はむしろかけ離れている状態である。[25]

周知の通り、中国でのインターネットの普及は、サッカーアジアカップ騒動や反日デモで見られたように、反日感情が増幅した大きな原因の一つである。[26]BBS上での議論は比較的自由にメディアとは異なる意見を発表でき、これらネット上での発言は、日中関係をめぐる「民意」を理解する上での貴重な意見を提供している。[27]私達は、中国人の日本に対するバッシングばかり注目してしまいがちだが、インターネット上の言論を観察すると、必ずしも反日一色ではなく、反日的な行為を正当化しようとする過激派(表5)と、政治とスポーツを分けようと主張するような穏健派等に大きく分けることができる。[28]

 

表5 過激派の発言

今度の試合はフェアプレーなんかじゃない、日中間の生死をかけた戦いだ。

ブーイングも「まさに世界の安定維持のための平和の声」に他ならない。[29]

日本のような国を存在させる理由はなく、我々が心地よい環境を確保していくには、この国家の敵を一掃しなければならない。

日本は強国だけを尊重し、これに服従する国だから、日本に苦痛を感じさせることで、他人の痛みをわからせなければならない。日本政府と国民に徹底的な罰を与える必要がある。[30]

出所:劉星「中国インターネット上でのアジアカップ」中国研究月報2004年9月号と劉星 「中国のインターネット・ナショナリズム的対日観」愛知大学現代中国学会編『中国21』147~166ページ、風媒社、2005年3月号の資料に基づいて筆者作成

 

以上見てきたように、インターネット上では、アジアカップにおけるファンの行為や反日デモの行為をめぐって多様な議論が活発に展開されていて、靖国問題や教科書問題も議論の1つであることは言うまでもない。インターネットは中国国民に対し、自由な言論空間を提供し、中国の言論自由の前進に一定の役割を果たしているだろう。[31]そして日本ではあまり知られていないが、過激派の他にも穏健派という存在がいることもわかった(表6)。  

 

表6 穏健派の発言

中国人は日本国旗と国家に対し複雑な感情をもっていて、スポーツに政治的な役割があることも否定できない。しかし、スポーツを政治化すべきではないし、日本人を罵倒することはスポーツの楽しさと人間の尊厳を失っている。

スポーツの決勝戦ではなく、「愛国主義」と「売国主義」の争いになった。[32]

地理的、文化的、経済的利害関係から考えると、両国が長期的な相互協力関係を保つことは賢明である。

我々は日本の資金と技術が必要であり、日本も同様に我々の市場を必要としていて何よりも重要なことではないか。[33]

出所:劉星「中国インターネット上でのアジアカップ」『中国研究月報』2004年9月号、劉星 「中国のインターネット・ナショナリズム的対日観」、愛知大学現代中国学会編『中国21』、pp.147~166、風媒社、2005年3月の資料に基づいて筆者作成

 

ここで重要なのは、お互いの国があまりにも分かり合えていないということであろう。私たちはメディアから中国に関する情報を得るわけだが、あまりにも情報が反中的に片寄ってはいないだろうか。アジアカップを例に挙げれば、実際に試合後、暴動をした人はいるが、すべての人がという意味ではないだろう。しかしながら私たちは、限られた情報しか手に入らないし、穏健派という存在を知らされていないわけだから、誤った、作られている情報が流れているといえる。  

一方中国側も、試合が終わった後に混乱があったことも、公安局が日本大使館の公用車の窓ガラスが割られたことで謝罪したことを報道していない。事態を丸く抑え、弱腰外交と批判されないためだろう。また日本における中国人の犯罪の実態など、中国の若者に真実の日本と中国の姿を知ってもらう必要もある。インターネットにせよ、従来のメディアにせよ、いずれにしても両国国民がもっと相互の認識と理解を深めることの必要を痛感する。とりわけ中国にはもっと開放された報道を望みたい。また中国の国内事情について日本には誤った情報、見方がある。もっと中国を知って、理解を深めるべきだろう。[34]

 

2-4 中国インターネット社会で浮き彫りになったこと

1つ目に浮き彫りになったことは、中国国内の貧富の格差である。中国において、現在パソコンは既に高嶺の花ではなく、庶民の家庭に入り込んだ普通の電気製品になっている。インターネット利用者数は驚異的な伸びを示しており、1997年10月から2003年6月にかけて109.68倍増を記録した。今では利用者が8000万人を超え、アメリカに次ぐ世界第二位のインターネット国家になった。[35]

加えて、携帯電話も2002年末に2億台を突破して以降、毎月500万前後の新規加入者が加わっているので、3億台はおろか4億台にまで普及する見込みがある。中国では、SMSShort Message Service)と呼ばれるショートメッセージのサービスが大変普及しており、これで漢字70字のメールが送れて、1通送るごとに0.10.3元程度課金されるが、受信者側は課金ゼロ。音声通話では双方に課金されるので、この単方向課金が大いに好感され、爆発的なヒットにつながっている。1年間で見ると、SMS送信件数は800億通に達したとも900億通に達したとも言われている。[36]インターネット利用者や、携帯電話利用者は大衆化してきたといえよう。それにしても、13億の総人口の分母で割ってみると、量的にはインターネット利用者は6.1%、携帯電話利用者も3割弱ぐらいしかいないのが現状である。

今の中国は、改革以前の全国民的貧困状態から、少数の富裕層と多数の困窮層の対立状態に変わってきた。毎年7%以上の成長率の恩恵を受ける人はまだ少ない。膨大な民衆のうち、70%が農村人口で、その中には、1日1ドル以下の収入で苦しんでいる人もいる。このような人たちは、社会的地位が低く、政治的世界から排除され、政治知識の貧困、政治的無関心、政治的不参加などの集団的特徴を持っている。したがって、ネットユーザーの意見は必ずしも大衆のイメージとは等しくならないし、例えば、ネットにおける日本に関する書き込みを、中国人の対日最大公約数的意見と同一視することはできるか、特にエキセントリックな意見が、どれほど13億の中国民衆を代表しているのか、問わざるを得ないだろう。[37]

2つ目に浮き彫りになったことは、中国政府の情報の抑圧である。インターネットの急速な普及に伴い、各種のサイトが乱立し、サイト言論も活発化している。サイト言論には比較的自由な言論が広がる一方、無責任で過激な発言や論評も多くみられ、このようなサイト言論は、政府にとって国内世論の面で最大の潜在的「脅威」となっている。最近では政府の弱腰外交を批判するものや、時には、人民解放軍や共産党を批判するものさえあり、情報の自由化と多元化、議論の公開化に力を入れてこなかった中国は、情報化社会に突入した今日でも、「上から命令し、管理する」という問題解決の思考は依然として続いている。[38]

その例として、近年では政府によるネットの内容規制が挙げられる。反日が反政府運動に転化しかねない可能性もあり、ネット世論に規制をかけ始めたのだ。それには、いかなる新聞も事実を確認していないインターネット上のニュース、情報を勝手に転載することを禁じたものや、電子掲示板機能を利用したチャット欄に従来では考えられなかった大胆な意見や政府批判が頻出しているため、「ネット警察」を設立して、メールのチェックや監視をしているなどである。

しかしながら、政府の規制が多いにもかかわらず、モノ、カネ、ヒトの国際的流動に流されて、無形の情報も軽やかに越境するようになっている。情報政策でタブーとされ、まだ審査すべきとされるニュースの第一報がネットで流されるケースは少なくない。[39]つまり、このような手法は、中国当局が、情報をコントロールしてきた長年の歴史の負の遺産であるといってもいい。インターネットをするにあたって中国国民は、自分達が情報をコントロールされていることに気づきはじめ、政府に対する不信感、失望感が高まりつつある。ネット上の反日言論が中国の国内問題でもあることを自覚し、抜本的な政治改革が迫られている。[40]

 

第3節 教育問題

中国、韓国での反日デモの原因にもなった教科書問題。日本の教科書に自国の見解を反映させたい韓国。教科書制度上、受け入れられない日本。「歴史観は一つ」とされる中国。三者の対場にはそれぞれの立場があり、大きなずれがあることは否めない。本節では、三国の立場や考え方と、東アジア歴史共通教科書への動きなどを考察していく。[41]

 

3-1 日本、韓国、中国の考え方

「日本と中国と韓国の間における歴史教科書をめぐる対立の場合、特に第二次世界大戦太平洋戦争中の中国大陸朝鮮半島地域における日本の政策の評価の相違、侵略/進出などの歴史的事実の認識をめぐる記述の表現や量について問題になることが多い中国・韓国の国定の歴史教科書(両国共に国定教科書が唯一の教科書である)では、日本が侵略者であったとする侵攻的側面が重点的に記述され、またその量も膨大である。」日本の扶桑社の教科書では防衛戦略上、海外進出は必要であったとする自衛的側面を重点的に記述され、その量は比較的少ないなど、各国の歴史認識の対立などの背景が原因にあると考えられる。

また、日本の歴史教科書は「戦前の軍国主義思想が再来し、右翼的な記述が大半を占めている」など、中国や韓国の歴史教科書は「反日感情を芽生えさせており、現在の現実的な日本との関係を妨げている温床」などと双方の歴史教科書は非難を受けている。しかしながら、現在のところ、日本国政府は中国政府に対して、中国の教科書の内容に関する是正や変更を要求する声明はほとんど出されていない。」中国政府からの日本の教科書に関する要望は、一方的なものとなっている。こういった日本側から何も働きかけないことについて、かえって日本と中国との相互理解の推進を阻んでいるとも懸念されている。                   

 

3-2 問題となった日本の個別の教科書

「教科書の検定に関することで、日本国内で発売された歴史教科書が問題にされることがあった。また中国や韓国などの非難や抗議をキッカケに、日本国内でも問題になった教科書もある。2004平成16年)度の歴史教科書は中学校用が8社、高等学校用の日本史が8社から出版されたが、以下が問題とされる代表的な教科書である。」

 

① 『新日本史』(三省堂

「『新日本史』とは、高等学校日本史用の教科書として家永三郎らによって執筆されたものである。教科用図書検定で「ページ配分の偏り」や文部省の検定意見に基づいて「家永三郎が"修正"を行わなかった」として不合格とされ、実際に日本国内の高等学校で使われることはなかった。教科書の特徴として、第二次世界大戦中の日本と諸外国との関係について15ページ以上にもわたって重点的に取り上げられていた。

後に、家永三郎は「教科用図書検定は検閲に当たり、憲法反である」として3回にわたって日本国などに対して裁判を起こす。第1次と第3次の訴訟では、日本国憲法下において教科用図書検定は制度として合憲・適法とされる一方、当該教科用図書の検定行為は行き過ぎで違法とされる判決が出された。教科用図書検定について争われた裁判には、ほかに例が少なく、判決理由として示された事項は、現代社会における教育裁判でも参考にされる。しかし、教育の主体者をどう捉えるかという点について、右派・左派に関わらず批判的な意見があがる。」

 

② 『新編日本史』(原書房)

「『新編日本史』とは、高等学校日本史用の教科書として日本を守る国民会議(現在の日本会議)によって執筆されたものである。教科用図書検定に合格しているものの、教科書採択率は低かった(最高時の19891%との推計がある)。この教科書は、特に近代の日本(明治時代から昭和時代初期)に重きをおくことを志向として、平易で分かりやすい文章で記述されていた。そのため、基本的な事項を重視する高等学校で主に採用されていた。

この教科書は、教科用図書検定に合格した後も内容の修正が行われた。背景には、中華人民共和国政府の日本政府に対する抗議があったといわれる。制度上、文部省が検定合格後に発行者に対して修正を指示することは可能であったが、文部省の指示が適切だったどうかは議論を呼んだ。なお、現在でも出版社こそ変わりはしたが、この教科書の改訂版というべき教科書が刊行されている。」

 

③ 『新しい歴史教科書』(扶桑社)

「『新しい歴史教科書』とは、中学校社会科歴史的分野用の教科書として新しい歴史教科書をつくる会によって執筆されたものである。この教科書の特徴の一つは、日本の伝統文化や日本人の努力や功績が他の教科書に比べて多く取り上げられていることである。また、独自の歴史観が記述されているとして中国や韓国から批判を受けている教科書であり、中国や韓国に親しみを感じていたり、歴史解釈に異論のある日本人の中からも批判を受ける。

本教科書は2001に初めて教科用図書検定に合格しているが、当時の教科書採択率は低い(2001年の推計で0.097%)。教科書採択率の低さをめぐっては、市民団体在日コリアン、更には中核派や過激派の団体が「戦争責任の記述があいまい」であるとして組織的に不採択活動や抗議運動を展開したことや、日本の歴史学会の多くが加盟する日本歴史学協会が批判したことなどの要因が考えられる。また、新しい歴史教科書をつくる会などによって教科書採択制度についての主張がなされている。

この教科書は、2001年の初めての検定では137か所にのぼる検定意見が付けられたが、他の教科書と同様に記述を修正することで、教科用図書検定に合格した。初回の検定であったため、他社の教科書一般と比べ文部科学省から通知された検定意見の数は多かったといわれる。そのため、検定意見が多く付いた教科書が検定に合格した事例として、歴史事実に対する記述内容の賛否は別として、この時の扶桑社の初の検定合格は教育行政を研究する上で参考にされている。

『新しい歴史教科書』が記述を修正した上で検定に合格できたのは、『新日本史』の家永教科書裁判で検定がどのような場合に行き過ぎで違法になるかが示されたことから、その判例を参照して教科書の記載および書き換えができたことも理由であると考えられる。」

 

3-3 争点=歴史認識・記述の相違

国定のものしかない中国や韓国の歴史教科書と、民間の出版社が出版している何十種類といった日本の歴史教科書とを簡単に比べることは難しい。よって、必ずしも中国と韓国の国定の歴史教科書と全ての日本の歴史教科書が対立をしているわけではないということを注意しなければならないが、日本と韓国、日本と中国、韓国と中国の歴史認識や記述の相違点を注目して表にして表してみた(表7)。

 

表7-1 日本と韓国

創氏改名・慰安婦・皇民化教育など

韓国

1910年の日本の強占(併合)が始まった頃から、こういった日帝による韓国人の民族意識を根絶やしにするような政策が続いた。日帝の残虐性、鬼畜性を語る上で欠かせない歴史的事実である。

日本

これらは戦争が激化し始めた1930年代後半以降の「総力戦」の時期に起き始めたことであり、併合当時から採られた政策ではいずれもない。

出所:ウィキメディア財団ホームページ、ウィキペディアフリー百科事典「歴史教科書問題」(http://wikimediafoundation.org/wiki/Home)の資料に基づいて筆者作成)

 

表7-2 日本と中国

尖閣諸島領有権問題

中国

中国固有の領土である。日本国の林子平が1786(天明6年)に記した三国通覧図説に清国の領土と記載していることからも明らかに中国領である。その著書を日本が隠しており、最初からそれを明かせば中国の領土になっていたことは間違いなく、今日まで不法占拠をしている。

日本

日本固有の領土である。林子平の著書が大昔から中国領土としていたのは確かであるが、それから70年以上経ち、日本が戦争に負けてからも30年以上が経過しているにもかかわらず、海底油田の可能性が出てきて領有権を主張するのは、あまりに矛盾がある。

出所:ウィキメディア財団ホームページ、ウィキペディアフリー百科事典「歴史教科書問題」(http://wikimediafoundation.org/wiki/Home)の資料に基づいて筆者作成

 

表7-3 韓国と中国

高句麗史

韓国

高句麗の歴史が韓国の歴史の一部であることは明白で、中国の歴史であるという言い分は歪曲でしかない。

中国

当時の中国の地方政権の一つであり、高句麗の歴史は中国の歴史である。

出所:ウィキメディア財団ホームページ、ウィキペディアフリー百科事典「歴史教科書問題」(http://wikimediafoundation.org/wiki/Home)の資料に基づいて筆者作成

 

これらの表以外にも相違点は多くあるわけだが、日本と中国・韓国の対立のみならず、中国と韓国の間にも歴史認識の違いがあるようだ。また尖閣諸島領有権問題は、台湾も領有権を主張していて非常に複雑な問題である。このように、各国には各国の主張や意見があり、教育システムが全く違う国において一概にどの国の主張が正しいかということは言えないが、このような事態を打開すべく、共同の歴史書・歴史教科書の制作作りが日中韓を中心に始まっている。

 

3-4 共同の歴史書・歴史教科書の制作

「共同の歴史書・歴史教科書の制作には、政府を中心にして行われるものと民間を中心にして行われるものがある。」

① 政府間プロジェクト

日本・韓国双方の国家間のプロジェクトとして、日韓歴史共同研究事業がある。しかし、韓国の研究者による、歴史検証よりもまず結論ありきの自国の歴史認識の主張が目立つなど、双方の研究者の根本的な研究姿勢のズレから、ほとんど目立った成果は上がっていないのが現状だ。韓国の国定の歴史教科書は韓民族中心史観が強く、一部では非科学的な歴史の記述も見られ、誤述修正のための見直しには韓国世論の反発も予想される。また、日本の研究者の新しい見解や事実が受け入れられるのに時間がかかるといわれている。双方の超えられない立場や視点の壁も存在し、共同研究の結果を出すことすらままならない状態であり、ましてその結果を双方の歴史教育に反映させることは今のところ現実的に極めて困難である。

 

② 民間プロジェクト

「2004年8月、中国社会科学院近代史研究所の呼びかけで、日本・中国・韓国の三国の一部の識者共同で歴史書を制作することが明らかになった。」[42] 中国社会科学院近代史研究所の研究員によれば、「戦争をまったく経験していない若い世代、特に日本の中学生に語る上で最も重要なのは、侵略の歴史的事実を彼らに伝えることだ。これは正しい歴史観を形成する基礎である。」としている。また、「中国と韓国の若い世代の戦争に対する歴史認識も視野を広げなければならなくて、『東アジア歴史共通教科書』は歴史的事実の基礎を尊重した上で、戦争における加害者と被害者のさまざまな状況に対して客観的かつ全面的な記述を行った。中国の一般の読者にとっては、この教科書を通して侵略戦争の歴史を新しい角度から見ることができる。」と強調し、2002年から「東アジア歴史共通教科書」の編集を準備して、2005年5月に、3カ国で日本語、中国語、韓国語の3カ国語による同時刊行した。[43]

 

むすび

いかがだっただろうか。「認識の違い」ということで、靖国問題、反日問題、教科書問題共に、日中韓で捉え方が異なっていて、すれ違っていることが分かって頂けたと思う。ある国の風習や文化は必ずしも他国で受け入れられるものではないと第1節で述べたが、まさにその通りである。反日感情の悪化のそもそもの根底には、靖国問題や教科書問題などが代表されるが、これらには、3カ国の話し合いの無さと対話への努力の無さが露呈されたといってもいい。

一方で、政府に頼らず、民間による東アジア歴史共通教科書等への弛まぬ努力を忘れてはなるまいが、日本で言えば小泉首相は、対話への努力をしているだろうか。「適切に判断する。」では、中国国民と韓国国民の理解を得ることは出来ないし、ましてや、日本国民の理解さえ得られないかもしれない。いずれにしても、そろそろ形式上の話し合いではなく、相手国の心情を心から理解し、また自国の意見や主張を理解してもらえるような腹を割った対話をしなければならないだろう。首脳往来の停止などは解決を先延ばしにし、もってのほかである。

その他にも、確かにインターネットは過激的な意見が目立つけれども、むしろ逆に筆者は、インターネットを使って、日中韓の国民同士が理解し、手を取り合えるような仕組みが構築されることを願うばかりである。また、特に中国のインターネット社会を調べたときに浮き彫りになった中国政府の腐敗は、情報の抑圧により、真の日本の姿とは大きくかけ離れていて両国国民の相互理解を苦しめるばかりだし、中国国内の諸問題など、中国には早期的な改革を望みたい。

最近は、アジア共通通貨や共同体構想論などが広まっているが、アジア民の心からの友好と交流を蔑ろにして、経済面だけ交流しても、そもそもの根底にある「認識の違い」の解決には至らないと筆者はしみじみと感じる。2005年は戦後60周年で還暦の年であるが、歴史問題などは還暦ではなく、小泉首相が5回目の靖国参拝をしたように、むしろまだまだ現役の問題として捉えるべきだろう。筆者は、「認識の違い」の一日も早い解決と、アジアの友好を期待しながら、これからの動向を注視していきたいと思う。

 

 

<参考文献>

         高橋哲哉著『靖国問題』、ちくま新書、2005年

         『朝日新聞』関連記事、「首相、靖国神社に参拝」2004年1月3日付、「時時刻刻」2005年10月1日付、「中韓外交見直しも」2005年10月18日付、「中国、町村外相の訪問拒否」2005年10月19日付

         莫邦富著『日中はなぜわかり合えないのか』平凡社2005年5月

         上村幸治 王小燕 垂水健一著『アジアカップサッカー騒ぎはなぜ起きたのか』日本僑報社2004年10月

         劉星「中国のインターネット・ナショナリズム的対日観」、愛知大学現代中国学会編『中国21』、風媒社、2005年3月号、pp.147~166。

         祁景エイ著『中国インターネットにおける対日言論分析』、日本僑報社、2004年8月

         田島俊雄「アジアカップと中国民衆の反日感情」、『中国研究月報』、2004年9月号

         陳嬰嬰「『中日関係論壇』の書き込みによる日中関係」、『中国研究月報』、2005年6月号

         劉星「中国インターネット上でのアジアカップ」、『中国研究月報』、2004年9月号

         山田賢一「中国インターネットと反日世論~祁氏インタビューから~」、『放送研究と調査』  2004年11月号

         日本労働党ホームページ「靖国参拝で、またもアジアと敵対」http://www.jlp.net/syasetu/010825a.html

         外務省ホームページ、靖国問題について、「靖国問題に関する政府の基本的立場」http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html

つぶやき閑話、「時事/(28)首相の靖国参拝」

         http://blog.livedoor.jp/marimari113/archives/cat_1248906.html

         共同通信社ホームページ「靖国神社参拝問題」http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2001/yasukuni/news/20010813-127.html

         靖国参拝違憲訴訟の会・東京ホームページ 関連資料 「靖国参拝に関する小泉首相の発言http://homepage3.nifty.com/seikyobunri/shiryoseimei.htm#hatsugen

         首相官邸ホームページ 小泉首相の演説・記者会見等 「靖国神社参拝に関する所感」http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2002/04/21shokan.html

         喜多 武司「小泉首相靖国神社を参拝首相として3度目」 http://perso.wanadoo.es/takeshi/yasukuni030116.html

         市民の意見30の会・東京ホームページ「小泉首相の靖国参拝続行発言を批判し辞任を求める声明」http://www1.jca.apc.org/iken30/74KoizumiYasukuniHatsugenHihanSeimei.htm

         呉竹会ホームページ「靖国神社問題をめぐる外国政府・要人の主な談話・発言」http://cgi.kuretakekai.com/yasukunigaikokuhannuou.htm

         ブログでひとこと言わせてちょ~だい「靖国問題って?」http://sfjohndo.exblog.jp/1151748

asahi.com「『首相の靖国参拝は違憲』大阪高裁判決、賠償は認めず」

          http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY200509300136.html

         Yahoo!ニュース 西日本新聞 九州ニュース「日韓交流は積極推進 韓国外相『靖国問題とは別』」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051021-00000034-nnp-kyu

         ウィキメディア財団ホームページ、ウィキペディアフリー百科事典「2005年の中国における反日活動」、 http://wikimediafoundation.org/wiki/Home

         今泉大輔 「ショートメッセージ800億通の中国携帯事情http://hotwired.goo.ne.jp/wirelesswave/column/imaizumi/20030325.html

共同通信社ホームページ、"Korea File~特集、日刊「コリア・ファイル」、「歴史共同研究に暗雲:日中韓で考えに大きなずれ」

         http://kk.kyodo.co.jp/is/column/koreafile/korea-050530.html

         ウィキメディア財団ホームページ ウィキペディアフリー百科事典「歴史教科書問題」http://wikimediafoundation.org/wiki/Home

人民網日本語版「中日韓共同編集の東アジア歴史教科書、来年刊行」

         http://www.people.ne.jp/2004/09/14/print20040914_43381.html

 

 

<ゼミ論集の感想> 

「やっと終わった!」率直な書き上げた直後の感想である。本格的に論集に手をつけてから約三ヶ月、正直言って長い道のりだった。投げ出したくなる時もあったが、ここまでやった自分を少し褒めたいと思う。論文作りで特に感じたことがある。それは、自分の知っていることは、知らないことに比べれば無に等しいことである。自分がいかに何も知らないか、いかに小さな人間か、つくづく実感した。現状の自分に満足することなく、常に探究心と向上心を持たなければならない!と論文作りから教わった気がした。論文君ありがとう!あと大雑把な人間だったのだが、論文を最高なものにしたい一心から変に妥協できない人間になってしまった。そこはプラスに考えて、こだわるとこはこだわる都合のいい人間になろうと決めた。

 私はこれから編集長という大役がある。普段はいい加減な男であるが、やるときはやる真面目で律儀な男である。いろいろ大変そうだが、大学時代の大切な宝として、みんなが生涯残せるようないいものを作りたいと思っている。



[1] 高橋哲哉著『靖国問題』、ちくま新書、2005年 表紙カバーより引用

[2]日本労働党ホームページ「靖国参拝で、またもアジアと敵対」http://www.jlp.net/syasetu/010825a.htmlを参照

[3]外務省ホームページ、靖国問題について、「靖国問題に関する政府の基本的立場」http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.htmlを参照

[4]つぶやき閑話、「時事/(28)首相の靖国参拝」

http://blog.livedoor.jp/marimari113/archives/cat_1248906.htmlを参照  

[5]共同通信社ホームページ「靖国神社参拝問題」http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2001/yasukuni/news/20010813-127.htmlから引用

[6] 脚注5と同じ

[7]靖国参拝違憲訴訟の会・東京ホームページ 関連資料 「靖国参拝に関する小泉首相の発言http://homepage3.nifty.com/seikyobunri/shiryoseimei.htm#hatsugenから引用

[8]脚注7と同じ

[9]首相官邸ホームページ 小泉首相の演説・記者会見等 「靖国神社参拝に関する所感」http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2002/04/21shokan.htmlから引用

[10]喜多 武司「小泉首相靖国神社を参拝首相として3度目」 http://perso.wanadoo.es/takeshi/yasukuni030116.htmlから引用

[11]朝日新聞、「首相、靖国神社に参拝」2004年1月3日から引用

[12]市民の意見30の会・東京ホームページ「小泉首相の靖国参拝続行発言を批判し辞任を求める声明」http://www1.jca.apc.org/iken30/74KoizumiYasukuniHatsugenHihanSeimei.htmから引用

[13]呉竹会ホームページ「靖国神社問題をめぐる外国政府・要人の主な談話・発言」http://cgi.kuretakekai.com/yasukunigaikokuhannuou.htmから引用

[14]同上

[15] ブログでひとこと言わせてちょ~だい「靖国問題って?」http://sfjohndo.exblog.jp/1151748を参照

[16]asahi.com「『首相の靖国参拝は違憲』大阪高裁判決、賠償は認めず」

 http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY200509300136.htmlから引用

 

[17] 朝日新聞、「時時刻刻」2005年10月1日付から引用

[18] 朝日新聞「中韓外交日程見直しも」2005年10月18日付記事から引用

[19] Yahoo!ニュース 西日本新聞 九州ニュース「日韓交流は積極推進 韓国外相『靖国問題とは別』」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051021-00000034-nnp-kyuから引用

[20] 朝日新聞「中国、町村外相の訪問拒否」2005年10月19日付け記事から引用

[21] 莫邦富著『日中はなぜわかり合えないのか』、平凡社、2005年5月、を参照

[22] 田島俊雄「アジアカップと中国民衆の反日感情」『中国研究月報』2004年9月号から引用

[23] 上村幸治・王小燕・垂水健一著『アジアカップサッカー騒ぎはなぜ起きたのか』、第一章、11~49ページ、日本僑報社、2004年10月から引用

[24]ウィキメディア財団ホームページ、ウィキペディアフリー百科事典「2005年の中国における反日活動」、 http://wikimediafoundation.org/wiki/Homeから引用

[25] 陳嬰嬰「『中日関係論壇』の書き込みによる日中関係」、『中国研究月報』、2005年6月号から引用

[26]劉星「中国インターネット上でのアジアカップ」、『中国研究月報』、2004年9月号から引用

[27] 同上

[28]同上

[29]同上

[30] 劉星「中国のインターネット・ナショナリズム的対日観」、愛知大学現代中国学会編『中国21』、pp.147~166、風媒社、2005年3月号から引用

[31]脚注25と同じ

[32] 脚注26と同じ

[33] 脚注30と同じ

[34]脚注23と同じ

[35]祁景エイ著『中国インターネットにおける対日言論分析』、日本僑報社、2004年8月、p.21から引用

[36] 今泉大輔 「ショートメッセージ800億通の中国携帯事情http://hotwired.goo.ne.jp/wirelesswave/column/imaizumi/20030325.htmlから引用

[37]祁前掲書、p.24より引用

[38]脚注30と同じ

[39] 脚注35、pp.48~51より引用 

[40] 山田賢一「中国インターネットと反日世論」、祁氏インタビューから『放送研究と調査』、2004年11月から引用

[41]共同通信社ホームページ、"Korea File~特集、日刊「コリア・ファイル」、「歴史共同研究に暗雲:日中韓で考えに大きなずれ」

http://kk.kyodo.co.jp/is/column/koreafile/korea-050530.htmlを参照

 

[42]ウィキメディア財団ホームページ ウィキペディアフリー百科事典「歴史教科書問題」http://wikimediafoundation.org/wiki/Homeから引用

[43]人民網日本語版「中日韓共同編集の東アジア歴史教科書、来年刊行」

http://www.people.ne.jp/2004/09/14/print20040914_43381.htmlから引用