1年間の派遣留学を終えて

『日々之戦いなり』

近藤 修

 

2004824、そうこの日から再び、あの中国という大陸の地での戦いの日々が始まった。今回は一年間。22年生きてきて初めて1年間という長い間、生まれ育った豊橋から離れる事となった。一度1ヶ月経験しているとはいえ、不安がないと言えば嘘になる。しかし、1年間という月日が自分をどう変えるかという楽しみもあった。

 

第一部 不安と希望の中で

ついに中国の地に下りたった。前回の短期留学の時は、他に知り合いが一緒にいた為、そこまで心細いという事はなかった。が、今回は全くの一人。天津の地に下り立った時、はっきり言って、泣きそうだった。右も左もわからず、更には言葉まで通じない。もう、どうしたもんかって感じであった。

しかし、幸運な事に愛大の先生に助けられなんとか今回の留学先、南開大学にたどり着けた。が、自分の部屋を探すのに一苦労。自分の中国語が余りにつたない為、なかなか通じない。通じたと思っても返ってくる言葉がわからない。いったいどうなるんだ?もう日本に帰りたい…。なんて途方にくれていた時、一人の中国人が助けてくれた。彼のおかげでやっと自分の部屋にたどり着いた。その彼名前も言わず去って行ってしまって、未だに誰かわからない。が、彼の事はこの先忘れる事はないだろう。

さて、部屋に入るとルームメートの登場だ。ここ南開の宿舎は2人一部屋。しかも、個別の部屋があるわけでもない。だいたい8畳ぐらいか?もしくはそれ以下…に2人。はっきり言って狭い。初めてのルームメートは韓国人だった。この韓国人がとっても親切で、日本人を紹介してくれたり、一緒にご飯に連れてってくれたり。ほんとこのルームメートさんにはいろいろお世話になった。喋る時は電子辞書が離せませんでしたが。

と、たった1日ですでに波乱万丈なこの留学。この先いったいどうなっていくのか…。不安と希望の中でまた新しい一日がやってこようとしていた。

 

第二部      いざ、留学生活へ

①“喋る”という事の難しさ。

  (写真1)

 ついに授業が始まった。朝の8時に授業開始という拷問に挫けそうになりながら。そう、中国の朝は早い。早朝から外では太極拳をする人や、教科書を読んでいる人たちがいっぱいいる。日本の学内で朝から教科書を音読している人なんて見たこともなかったので、最初この光景を見た時はビックリした。

 さて、問題は授業である。ろくに喋れないのに、授業は全部中国語。中国なんだから当たり前なんだが。班は初級2-2。クラスの大半が韓国人と日本人。留学と聞いて、中国人と一緒に授業を受けるのでは?と思う人が多いはず。が、南開大学の場合は、留学生のための校舎があり、クラスメートは全員留学生なのである。もう、最初は何がなんだか。自己紹介すらままならずって感じで…。

 その授業はというと、文法重視の総合、喋ることに重点を置いた口語。それと聴き取りの3つに分かれている。毎回のように授業であたると発音を指摘される。さらには、文法がぐちゃぐちゃの中国語を喋って、先生に『いったい何語で喋ってるの?』なんていわれた事も(笑)それでも、総合と口語のほうは、日本人は漢字がわかるということで、なんとかついていけた。が、聴き取りのほうはもう…。そう、中国に来て痛感した事は、自分の聴き取り力のなさ。机の上の中国語は勉強すれば、ある程度はわかるようになる。しかし、聴き取り能力はそうはいかない。中国人の喋る、“生きた中国語”はほんとに早い。

しかも、初級班ということでクラスメートとのコミュニケーションすら難しい。言いたいことが伝わらない事も多々。頭の中では言えても、中国語にすると出てこない。日本ではこんな事思ってもみなかった。“喋る”という事がこんなにも難しい事だったとは。

 

 ②ルームメートに悩まされ。

学校の授業にも徐々に慣れてきて、日々の生活は順調に過ぎていくかに思われた…。ルームメートとの仲も良くなってきた。が、ここで突然の引越し命令。ここ南開には2つの宿舎があり、このとき僕がいたのは4号楼。で、引越し命令が出て2号楼へと移ることになる。この2号楼改修したばかりで部屋は綺麗。が、いかんせん部屋が狭い。とにかく狭い。前の4号楼も結構狭かったが、この2号楼には及ばない。

 

(写真2)

 

写真だとわかりにくいかもしれないが、日本の学生が一人暮らしする部屋とほぼ変わらないのではないか。そんな部屋に外国人と2人暮らしである。で、引越しと共に。ルームメートも変わるわけで。2代目ルームメートはまたしても韓国。この彼がくせ者で(笑)なぜか?生活習慣がまったくといっていいほど合わなかった。当時の日記にこんな事が書いてある。結構派手に書いてあるためここでは婉曲に書きますが 笑 

 『いい加減にして欲しいものです、カタカタカタカタ五月蝿いのではないでしょうか?それほどまでにPCが好きなら韓国に帰ってやったらどうなんでしょうか。トイレはタバコ臭いし、音楽は流しっぱなし。ここはあなたの部屋であると共に、私の部屋でもあるのですよ』

と、まぁ、こんな具合です(笑)そう、狭い部屋で2人暮らし、プライベートなんてありません。もう、いつもいますから。でも、海外で外国人と2人暮らしなんて、そうできる経験ではないので、なんだかんだ結構楽しんでいましたが。

 

 ③いつの間にか

 時間が経つのが早いとはこういう事を言うのだろう。時間があっという間に過ぎ去っていく。なにかに打ち込んでいる時の時間とは、こんなにも早く過ぎていくものなのだという事を改めて実感した。夏から秋、そしていつの間にか、葉は枯れ落ち、池は凍っていた。そう冬の到来である。

 天津の冬はほんとに寒い。今までの経験上、池が凍るなんて事はありえない。ましてやその凍った池の上でスケートなんか…。日本で例えるなら東北地方か北海道といった所か。私の実家の愛知県では雪が降る事すら珍しいというのに。

なんで中国人が、赤いもも引きを穿くのか少し分かった気がした。が、なぜかもも引きを穿く事に強く抵抗を覚え、靴下もくるぶしまでので乗り切った。変な所で意地を張る性格らしい。ただ、たった一回だけももひき穿いちゃいました。あの暖かさはまるで反則。危うく、ももひきの虜になってしまう所だった。

(写真3)

 

 そんな冬がやってきて、中国語の方も日々の生活がスムーズに過ごせる程度にはなった…はず。が、ここで大きな壁にぶつかる事となる。その問題とはいったい…。

③同じ言葉の中で。

 時が経つにつれ、いろんな人との関係もだんだんと深まってくる。仲が深まれば当然喋る機会も増えてくる。一緒に遊びに行ったり、お酒を飲んだり。が、ここでまたしても立ちふさがるのが“言葉の壁”である。確かに毎日中国語の中で生活して、ある程度の事は喋れるようにはなった。が、会話の内容が薄いのも事実。そう、ある程度生活になれてくると、一定の言葉だけで生活できることに気付いてしまう。結果言い回しは違えど、同じ単語の中で会話をしてしまっている自分がいる。その為、会話の内容もおのずと浅く終ってしまう。そんな日々から抜け出すのは容易な事ではない。そんな大きな断崖絶壁が目の前に立ちふさがっていた。が、この壁を登らなければ先には進めないのである。

 

 ④新しい年、それぞれの出発

 試行錯誤の日々が続く中、2004年が終ろうとしていた。まさか2005年を中国で迎える事になるとは、大学入学した時には想像もしていなかった。そんな年越しは、年越しそばとぜんざいを作ったりした。しかし、年越しと共に、近づいてきたことがある。それは別れである。

出会いがあれば別れもある。この半年間で色んな人に出会った。が、ここ中国で出会った友達との別れは、日本での別れとはまた違うものがある。その中でも、初代ルームメートとの別れはつらかった。中国に来て最初に知りあった彼。そして困った時に助けてくれたのも彼。ほんとに迷惑をかけっぱなしだった。別れにも2種類ある。次がある別れと、そうでない別れ。中国で知り合った友達との分かれ。それは圧倒的に後者の方が多い。今の時代メールなどで連絡を取り合うことは可能だ。が、簡単に“さようなら”とは言えなかった。やはり、国が違うということは大きい。別れのたび人は強くなると言うけれど、それでも別れは寂しいものである。

 

第三部 中国という国で感じた事

ここ第三部では一部、二部とは少し観点をかえて、留学中に感じた中国について少し触れてみたいと思う。

 今、中国はものすごい勢いで変化している。中国で生活していて、これは実際に肌で感じる事ができる。これは2,008年の北京オリンピックによるものが大きいだろう。そのため北京などでは、高層マンションのなどの建築ラッシュ。さらには、故宮や頤和園(いわえん)といった数多くの世界遺産が、補修工事の真っ只中である。ここ天津でも、街のいたるところで、道路の補修工事などが急ピッチで行われている。確かに、経済面では成長している中国だか、実際に生活してみて改めて分ったことがある。その中でも気になったのは、環境問題だ。

黒いガスを撒き散らしながら、何事もないような顔をして走っている公共バス。白い煙を出しながら走るクルマやバイク。これから更に車社会と化すであろう中国。しかし、排気ガスの面が考慮されているとはお世辞にもいいがたい。

ごみ問題にしてもそうである。今日本では、ごみの分別なんて当たり前のことになっている。むしろ、しっかり分別しないと収集すらしてくれない。が、驚いた事にここ中国ではごみの分別という概念がない。いや、あるのかもしれないが、すくなくともここ天津では、ごみの分別というものは存在しない。燃えるごみから燃えないごみ、ビンや缶まで全部一緒に捨てている。ペットボトルをゴミ箱から抜いている人たちはよくみかけるが、その他のごみはいったいどのように処分されているのだろう。さらには街中で平気な顔をして、ごみを捨てる中国人をよく見かける。人口13億人の中国が、今のままごみを捨て続けたらどうなるのであろう。

 

(写真4)

最近中国では、単独宇宙飛行の打ち上げに成功したというニュースが話題になっている。確かに、アメリカやロシアについでの単独打ち上げ成功は素晴しいことだと思う。しかし現実の中国を見ると、それよりも先にやるべきことがあるのではないか?とも思ってしまう。見た目が悪いからタクシーの車種を変える。歴史的な建造物も色を塗り替える。なんだかんだ見た目を重視している割には、ごみ問題など環境問題はそっちのけな感がしてならない。

 

第4部 充実の留学生活 

①新しいクラスと共に

いくつかの別れと共に、学期は変わり、クラスも中級班に変わった。このクラスはほんとに面白かった。まず、国籍が豊か。アメリカ、タイ、ドイツ、フランス、モンゴル、韓国、そして日本。クラスの雰囲気はとっても和やかで、いつも笑いが絶えなかった。中国という国で知り合い、国籍を超え、それぞれの母国語ではなく、中国語で会話をしている。とても不思議な感覚である。

このクラスの交流は授業だけに留まらなかった。日本人が日本料理を作れば、次は韓国人が、その次はタイ人。お互いの国について語り合ったりもした。この頃になると知っている単語も増え、以前よりも深い所まで話ができるようになった。それでもまだまだ絶壁の半分まで登ったかどうかぐらいのレベルだろうが。それでも毎日充実した日々だった。運動会や、クラス旅行なども積極的に参加したし、クラスメートの誕生日なんかは皆で祝った。このクラスは本当に国籍なんて関係なく、毎日皆が笑って過ごせる楽しいクラスだった。

   

(写真5,6)

ある時クラスメートに誘われて、トランプをしたことがある。その時のメンバーがまた凄かった。6人いて、国籍が皆違うのである。日本、韓国、中国、アメリカ、ドイツ、ベラルーシ。お酒も少し入っていたこともあるが、お酒よりもその場の雰囲気に酔っていた。こんなトランプは今後の人生で、もう一度経験する事は難しいだろう。とても貴重で楽しい経験だった。まさに充実の留学生活である。

 

②中国人学生との交流

授業以外では、中国人の友だちも増え、相互学習をしたり、一緒に遊んだりした。中国人学生の宿舎を見せてもらったり、彼らが日々食べている食堂なんかにも連れていってもらった。中国人学生が日々をどのように過ごしているか興味があったので、こちらから頼んで見せてもらった。宿舎を見た時は、結構衝撃だった。なんと、6人部屋。自分の住んでる宿舎も結構ありえないと思っていたけど、さすがにこの6人部屋を見たときには、ビックリした。こんな環境で毎日勉強しているのかと思ったら、日本の学生がいかに恵まれた環境にあるのかという事を、改めて実感させられた。

さらに中国人学生と交流を通して感じた事は、彼らはとても勉強熱心であると言うことだ。相互学習している時なんかは特に思う。相互学習とは、日本語を勉強している中国人に日本語を、中国人が中国語を教えるといった勉強方法。ネイティブの中国語に触れることができるし、向こうも大学生なので、同じ年頃の中国人の考え方などもわかって面白い。しかし、この相互学習の時などは、もう日本語教師になったかと錯覚する時もあった。これらの要因の一つとして、就職した時の給料にも繋がってくるという理由もあるだろう。例えば、日本語検定の1級があるとないとでは、給料に大きな差が出るそうだ。同じように喋れても、資格があるとないのとでは全く変わるらしい。そのため、知り合った中国人の中には、毎日大学内で生活していて、天津の街に出たことがないなんて学生もいた。中国人学生よりも、留学生のほうが、遊ぶ場所に詳しかったりするのが現実である。

 

5部 過ぎ行く季節の中で

1年間という時の中で、いろいろな事があった。まさに毎日が中国語との戦いであった。中国という新しい環境に身を投じて、改めて分かった事がある。それは、自分の弱さである。23年間共に付き合ってきて、“自分”というものを分かっているつもりだった。それでも中国に来て、改めて自分の弱さに気付かされた。自分の周りに知り合いがいないこの環境によって、自分の弱い部分と向かい合わざるをえなかった。それは、言葉が通じなかったらどうしようとかいう問題もあるのだが。しかし、これは言い訳に過ぎない。そう、常に逃げ道を探してしまっている自分がいるのだ。

中国では何をするにしてもまず、自分から行動しなければ何も変わらない。これは日本でも同じかもしれない。ただ、今までの人生において、一人で全くの新しい環境に飛び込んだことのない自分は、今回の中国留学で気付かされただけなのだろう。特に最初の12ヶ月は、ほんとに自分の弱さを実感させられた。そのいい例が友だちである。もともと人と喋ることが得意ではなかったのだが、中国でそんな事を言っていたら、本当に友達はできない。自分から話しかけるという事をしなければ、中国人やその他外国人と知り合う事はない。おかげで最初の頃は、友だちといえばクラスメートのみ、みたいな感じだった。が、どうにもこれではダメだと思い、怖がらずに自分から喋るように心がけるようにした。他の人から見れば、普段となんら変わらなかったかもしれない。それでも、自分の中での変化は大きかった。その結果最後には数多くの友だちに囲まれて素晴しい時間を過ごす事ができた。ここ中国で自分から行動する事の重要さを思い知った。

    

(写真7,8)

 

只漠然と申し込んでみた長期留学。長いようで短かった1年間。しかし、この1年間という時間の中で経験したことは、何事にも変えがたい。1年前怯えながらやってきた中国。つらい事もあった、泣きたくなるような事もあった。でも、それ以上に楽しい事がいっぱいあった。今は素直に中国に留学に来てよかったと思う。こんな機会を与えてくれた、両親に“ありがとう”と伝えたい。