12章 FTA戦略と日中経済競争

『東アジア共同体での盟主争い』

 

01E2348 堀内 健太

 

はじめに

1990年代以降、自由貿易協定(FTA)が世界各国・各地域に広がっている。その理由としては、FTAが新たな資本流入の呼び水になりうること、安全保障上の結びつきを強化するための配慮などが指摘されているが、最大の理由は、世界貿易機関(WTO)における多国間貿易協定より二国間・地域間FTAの方が、締結が容易であることである。このように、FTAが世界に広がったことにより、日本も真剣に二国間・地域間FTAに取り組まざるを得なくなった。このような状況で日本はシンガポールとのFTA交渉を行った。農業問題のないシンガポールとは締結することに成功した。しかし、FTA締結による貿易・投資促進の可能性を探り始めているアジア諸国やメキシコなどとは、農業問題などといった問題を乗り越えなければならないという理由からなかなか前進することができない。一方中国は、ASEANとのFTA締結を視野に具体的な交渉を開始するということで合意した。このアジアの大国、日本と中国の関係、ASEANとの関係を調べることにより今後のアジアのFTAがどう変化していくのかを考察する。

 

第1節 自由貿易協定(FTA)

1.自由貿易協定(FTA)とは 

Free Trade Agreementの略で、2国間または複数の加盟国間で締結する貿易上の取り決めであり、 加盟国間の関税や、輸出入制限などの関税によらない貿易障壁を撤廃することにより自由貿易の拡大を通じた加盟国内経済の活性化を目指す地域貿易協定で、WTO上一定のルールの下に認められている。

また、関税にとどまらず投資の自由化、知的財産権の保護、競争政策の推進や、科学技術協力、人材育成等を含むなど幅広い分野でのルールの共通化を盛り込む包括的な内容の協定も増えている。 経済活性効果が高いとの理由で、1990年以降世界中で締結が活発化している。有名なものとして、地域間でFTAが締結されている欧州連合(EU)、北米自由貿易協定(NAFTA)、南米南部共同市場(MERCOSUR)ASEAN10カ国によるAFTAなどがある。[1]

 

2−1.NAFTA

発足:1994年

参加国:米国、カナダ、メキシコ

域内GDP:約11兆5000億ドル

域内人口:約4億1000万人[2]

2−2.EU

発足:1993年

参加国:フランス、ドイツ、デンマーク、イタリア、英国、スペイン、ポルトガル、アイルランド、ベルギー、ギリシャ、オランダ、スウェーデン、オーストリア、ルクセンブルク、フィンランド

域内GDP:約7兆8880億ドル

域内人口:約3億7700万人[3]

2−3.AFTA

発足:1992年

参加国:ASEAN諸国(インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジア)

域内GDP:約7020億ドル

域内人口:約4億9600万人[4]

3.NAFTA、EU、AFTAの比較

NAFTAはモノやカネの移動の自由化を進める点でEUに似ているが人の移動の自由化には制限がついている。これは、メキシコの安い労働力が米加市場に流れ込むのを防ぐためである。[5]

EUと東アジアにおける地域統合プロセスを比較すると、EUにおいては、同じような国家群の集合であるためその統合が容易であった。これに対して、東アジアにおいては、各国間の経済格差等で起こる利害対立、中国等との政治体制の違いによる政治的課題、歴史認識等に関する歴史的・文化的課題や国民感情等解決すべき問題が山積みである。[6]

@     東アジアの地域統合は、EUやNAFTAのような明確な協定や制度をもたない。[7]

A     EUやNAFTAと違って、AFTAは域内諸国への依存関係が弱く、日本、韓国、中国を含めた周辺広域経済圏への依存の方が強い。[8]

 

第2節 ASEANプラス3

1.ASEANプラス3

1−1.ASEANプラス3とは

ASEAN10カ国に日本、中国、韓国を加えた東アジア協力の枠組みである。ASEANプラス3は、1999年から首脳会議を定期化し、2000年11月ASEANプラス3の首脳会議ではASEAN10カ国に日本、中国、韓国を加えた東アジア自由貿易地域の検討を行う作業部会の設置が合意された。

 ASEANは、AFTAやAICO(ASEAN工業協力協定)に加え、AFTAの日中韓への拡大、すなわち、東アジア自由貿易圏を提唱するなど、マハティールによる東アジア経済協議体(EAEC)構想の「ASEANプラス3」での実質化を進めている。[9]

1−2.ASEANプラス3の特徴、留意点

ASEM(用語解説)の副産物として事実上制度化しつつあるということからASEAN10と日、中、韓は、「ASEANプラス3」と略記され、3が後ろにくるが、経済規模、貿易規模、保有外貨、保有技術、軍事力、経済危機対応力などから見れば、「3」のほうが先にくる。最近の中国や韓国の要人の発言を見ても、日中韓でASEANが落ちこぼれないようにうまく誘導していこうといったニュアンスでなされることが多い。しかし、ASEANにも賢人はいるし、北東アジア三国と対等のパートナーでありたいという期待が強いことを忘れるべきでない。

ASEANプラス3がもし経済統合を目指す常設の機関ということになれば、アメリカが強い関心を抱き始める可能性があるだろう。アメリカがどうかかわってくるかは、日本、中国、韓国がASEANを後背地として、どのように連携をするかにかかっている。それ如何ではアメリカの絶対的な経済優位が揺らぐ可能性があり、あるいは、安全保障の観点から大きな意味を持ってくるからである。EUもASEANプラス3に興味を持っているが、それに対して、圧力をかけるバーゲニング・パワー(値下げ圧力)を持たない。ただし、EUの重大な経済的利益が失われると感じた場合は、アメリカとともに差別撤廃に動くだろう。こうした可能性について、理論武装が必要である。「アジア人が仲良くしてなぜ悪い」といった種類の情緒的反応しかできないとすれば、リスクを含んだ機能だと言わざるを得ない。こうした東アジア域内におけるバランス・オブ・パワーについては、中国だけでなく例えば、シンガポール政府とマレーシア政府は違った考えをしているといったことについても、よく理解をしておく必要がある。

通貨危機の再防止とか、環境協力のための資金集めを行うといった観点からすれば、台湾、香港を加盟させることが望ましい。中国は政治的事情から、これを拒むであろうが、純粋経済的に合目的行動をとる際に必要だとされたときは、ケース・バイ・ケースで加盟させる提案をしてもよいだろう。[10]

2.中国とASEANのFTA

2−1.締結合意に達した背景

中国は東アジア自由貿易圏構想に日本と韓国を引き戻そうとすることを狙っている。元々中国とASEAN諸国だけでは、貿易・産業構造が互いに競合する関係にあるためFTAの締結提携によるメリットは小さいと考えられる。これに、日本と韓国を加えると、地域内での補完性が高まり、FTAによる貿易・投資の拡大とその域内波及という効果を高めることができると予想される。

アジア通貨危機を経て、中国は高成長を持続させるためには、安定した国際環境が是非とも必要であると当局が認識するようになった。これを反映して、中国がWTO加盟を果たすなど、グローバルな貿易・投資制度へ積極的に参加しながら、地域経済の安全保障への関心が高まっている。1997年のアジア通貨・金融危機はタイから始まり、その後、一部の加盟国における政治不安や世界経済の減速も加わり、ASEAN経済は未だに低迷している。ASEANプラス3によるFTA締結を進めることは、中国の躍進やアジア危機の後遺症を受けて、貿易・投資の成長に陰りが見られるASEAN経済を活性化する効果が大きいと見られる。これに加え、ASEAN諸国が再び域内政治・経済において、不安定要因となることを未然に防ぐという、経済安全保障上の意味もある。しかし、アジア経済の安定という大任を果たすためには、中国の力だけではまだ不十分で、東アジアのGDPの65%を占める経済大国日本の協力が欠かせないことはいうまでもない。[11]

2−3.特徴

中国とASEANのFTAの特徴を整理すると、中国はかなりの譲歩を行い、自分がやや不利になっても一緒にやりたいというスタンスがはっきりしてくる。

 実際、中国はASEAN側に対して次のような配慮を行っている。

ASEANが強い農業分野において先に自由化して良いということを約束していること

ASEAN10カ国のうちベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーといった発展段階の遅れた国に対して実際の自由貿易を実施する時期に関し5年間の猶予を与えたこと

WTO未加盟のASEAN諸国であるベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーに対して中国は一方的に最恵国待遇を与えること

これらの配慮には、ASEANにも存在する中国脅威論を払拭するためであると考えられている。政治を含めた信頼関係の構築が中国の狙いでもある。輸出の分散化という意味でも中国はASEANのマーケットも重要視している。[12]

3.日・ASEAN包括的経済連携構想

3−1.目的

日・ASEAN間で幅広い分野において経済連携を強化することにより、日・ASEAN関係の更なる深化を目指す。

日・ASEAN間の経済関係の更なる緊密化を通じて、日本とASEAN双方の経済活動の国際社会における競争力を強化していく。

経済連携を可能な限り幅広く且つ新時代に相応しいものとすることにより、この地域の連携を世界の他の地域に互していけるものとする。

ASEAN各国との取組の成果を土台として、将来的には東アジア地域全体の経済連携強化につなげていく。

3−2.背景

小泉首相が、2002年1月14日のシンガポールでの政策スピーチにおいて、日本はASEANとの包括的経済連携を模索する本構想を提案した。

第18回日・ASEANフォーラムにおいて、「日・ASEAN包括的経済連携構想」については、「日本とASEAN全体との間で連携可能な具体的分野や連携の枠組みなどについて検討を行う一方で、日本は、同構想の基本的考え方に従ってASEAN内の用意のあるいずれの国とも、日・シンガポール経済連携協定を基礎又は参考としつつ、FTAの要素を含め、科学技術、人材育成等の幅広い分野を含む二国間での包括的な経済連携強化に取組む。」という本構想の基本的な考え方を説明した。

11月の日・ASEAN首脳会談においては、日本とASEANの首脳が日・ASEAN包括連携構想に関する共同宣言を発表。同宣言において、日・ASEAN全体で連携の枠組みを検討する一方で、用意のあるいずれのASEANの加盟国とも日本は二国間経済連携の協議を行うことにつき承認された。

3−3.基本的考え方

対象範囲

貿易・投資の自由化のみならず貿易・投資の促進・円滑化措置(税関手続き、基準認証など)、及び金融サービス、情報通信技術、科学技術、人材育成、中小企業、観光、運輸、エネルギー、食料安全保障その他の分野における協力を含む広範囲にわたる経済連携を模索。

方策と方向性

日・ASEAN全体で連携の枠組みを検討する一方で、用意のあるいずれのASEANの加盟国とも、日本は二国間経済連携の協議を行う(デュアル・トラック方式)。この地域を先進的な地域に発展させるため、日・ASEAN包括的経済連携を中核として、東アジア地域全体の経済連携強化につなげていく。

タイム・フレーム

日・ASEAN間で、自由貿易地域の要素を含む、経済連携実現へ向けた措置の実施を10年以内の出来るだけ早期に完了。

途上国との関係

ASEAN各国との連携においては、その発展段階に応じて、自由化に向けての柔軟なタイム・フレームを盛り込むことや、連携に意味の参加をするための競争力を向上させるためのASEAN、特に新加盟国に対する技術支援及びキャパシティビルディング等も検討する。

3−4.これまでの進展

日・ASEAN委員会

日・ASEAN包括的経済連携構想に関する共同宣言に基づき、二国間の経済連携を進めると共に、日・ASEAN間で政府関係者からなる委員会を設置し、日・ASEAN全体の連携実現の枠組みを策定し、2003年の首脳会議に報告する予定。2003年3月にクアラルンプールにおいて、第1回会合が開催された。[13]

二国間の取組

政府は東南アジア諸国連合(ASEAN)との特別首脳会議を開催し、タイ、フィリピン、マレーシアの3カ国と自由貿易協定(FTA)の政府間交渉開始で合意、2004年の本交渉開始を目指す。日本は、ASEANとFTAを含む経済連携協定の枠組みに署名したことを受けて二国間協議を加速。ASEANへ急接近する中国を追う。

政府はすでに3カ国とのFTAをめぐる政府間の作業部会を終了。本交渉開始に向け産官学合同のグループなどが、二国間の懸案事項について協議をおこなっている。すでに締結したシンガポールとのFTAを念頭に「本交渉の開始から決着までは6カ月程度」とみている。日本はコメなどの農産品(タイ)、看護師などヒトの移動(フィリピン)、合板など林産品(マレーシア)といった分野で自由化に慎重だが、産官学協議に農業団体や日本看護協会も参加、歩み寄りを探る動きもあるという。 [14]

第3節 国際比較

1.EUにおける独仏協調の重み(仏独枢軸)

EUの統合路線の修復でおおきな力を発揮したのが、西ドイツとフランスの政治力であった。1974年にともに政権を握ったジスカールデスタン仏大統領とシュミット西独首相がその推進役となった。両首脳はまず、EUの結束強化のために首脳会議の定例・常設化を実現した。さらに1979年に欧州通貨制度(EMS)を立ち上げた。ニクソン・ショック以来、不安定性をましていた欧州通貨の安定を図る試みは、欧州の一体感を復活させた。

仏独枢軸(パリ・ボン枢軸とも呼ぶ)は以後も、欧州統合の政治的原動力として機能していくこととなる。ジスカールデスタンとシュミットの連携以前でも、ドゴール仏大統領とアデナウアー西独首相が1963年に独仏協力条約(エリゼ条約)を調印し、二国間関係を強化してきたし、アデナウアー西独首相は1950年代のECSC(ヨーロッパ石油鉄鋼共同体)設立でもシューマン仏外相の呼びかけに呼応した。1990年代のテーマである市場統合やユーロ導入につながるマーストリヒト条約は、ミッテラン仏大統領とコール西独首相のイニシアティブが中心であった。

 西ドイツとフランスの両国の関係が統合の原動力となった背景には、ドイツを欧州統合の枠内に封じ込めたいフランス側の意図と、「ドイツのための欧州」ではなく「欧州のためのドイツ」でなければならないというドイツの決意などがあった。両者の思いは次第に相互の不信感から信頼感に変わり、ともにどちらが欠けても統合の力が弱まるとの認識に至る関係になったと言える。[15]

2.アジアにおける日中競合・補完関係

最近の日中関係をめぐる議論は、次の図によって整理することができる。

1 日中間の競合・補完関係

 

すなわち、もし産業をローテク産業からハイテク産業の順で並べることができれば、日中の輸出構造は、それぞれ一つの山のような形をとる分布として表すことができる。山の大きさは輸出規模に比例し、その位置が右に偏っているほど輸出構造の高度化が進んでいることを表している。この二つの山の重なる部分が日本の輸出全体に対して大きいほど、日本にとって、中国との競合性が強く、逆に小さいほど補完関係が強いことになる。

今のところ、日本の輸出規模が中国より大きく、その構造も中国より進んでいる。しかし、中国の工業化の進展を反映して、中国の山は規模を拡大しながら、急ピッチで右にシフトしつつある。これに対して、日本の山は止まったままで、高度化の展望も開けていない。これを背景に、中国がすでに日本の手強い競争相手となっており、そう遠くない将来、日本の山はいずれ中国の山の裏に隠されてしまうであろうと、多くの日本人が懸念している。しかし、現状は、中国の輸出が伸びているとはいえ、その中身はいまだ労働集約型製品が中心で、日本との競合性は必ずしも高くない。

より正確に両国間の競合の度合いを測るためには、次の二点も考慮しなければならない。

同じ商品に分類されても、多くの場合日本は高級品、中国は汎用品にそれぞれ特化している。例えば、テレビの場合、中国産の標準型と日本産のハイビジョンの単価は一桁も違う。

また、日本と比べ、中国は中間財や部品の輸入依存度が非常に高い。中国の輸出に含まれる輸入コンテンツは50%前後と報告されているが、同比率はハイテク製品ほど高いと見られる。両国の間に競合している業種は、もっぱら日本がもはや比較優位を持たない付加価値の低い衰退産業に限っているといっても過言ではないだろう。

日本は日中間の補完性を発揮すべく、国内の構造改革を恐れずに、自由貿易圏構想を含め、中国と分業体制を組むべきである。[16]

3.将来展望

日中FTAは可能か

 東アジアでのFTAとは別に、日中両国自身も2国間FTA締結は可能なのだろうか。中国はWTO加盟で関税・非関税障壁が削減され、短期的には痛みを伴うものの中長期的には経済の効率向上が期待できる。日本も対中輸出拡大などの効果を享受できるメリットがある。したがって、両国ともWTO効果の恩恵を受けることになり、関税・非関税障壁削減の観点から早期にFTA推進しようという機運が高まることは考えにくい。しかも、日中間には歴史認識問題など深刻な政治問題があり、経済の相互交流の障壁を一気に除去することは困難だろう。しかし、「経済統合の過程で日中間の政治的相互不信を解消することも政治的効果として考えられる」(上海国際問題研究所)との見方もあり、日中FTAを目指す意味がないとは言えない。

 中国は「世界の工場」化し、それが日本の産業界及び経済全体に大きな影響を与えており、さらに中国のWTO加盟でその傾向は一段と強まると予想される。そのような時だからこそ、日本は中国の増大する生産力や優秀な人材をこれまで以上に活用し、中国側も日本の技術、ノウハウ、システムなどを導入しやすくなるような、日中間のヒト、モノ、カネ、情報の移動の障害除去を考えていくべきである。その具体的な仕組み作りの積み重ねが、結果として日中FTA形成を助けることになるだろう。

 この場合、日本とシンガポールが締結したFTA(正式には「新時代経済連携協定」)を参考にするべきである。この協定は、関税、貿易関連手続き、原産地規則、相互承認、投資、人の移動、競争政策、金融・情報通信サービスなど多岐にわたる「新時代のFTA」であり、21世紀の日中経済関係の目指す方向を先取りしている。これまでの日中経済関係は、日中国交回復以来の対面や友好を重視する面もあったが、今後はグローバリゼーションの進展、中国経済の急速な発展を直視し新時代のFTAを形成することを重視すべきであろう。

 では、現段階で日本がするべきことは何か。胡鞍鋼・中国科学院国情研究センター主任は、「日本の大学が中国人留学生を増やす、大学間の研究員交流を進める、日本企業が中国人技術者、労働者を招聘するなどの人的交流から始めるべきだ」と主張する。日中間の経済交流拡大は、歴史認識問題などにより相互の信頼関係が揺らいでいることが最大の障壁と言ってもよい。その意味でも人の交流を増やすことから始めるのは意味のあることと言えよう。

また、中国の生産力が大きく向上しているとはいえ、日本は生産技術や品質管理などの面で中国より経験があり、中国企業との共生関係を強化していくことができるので、企業レベルでの協力も重要である。しかし、中国が世界の生産拠点としての地位を固めるに伴い、日本や、韓国などの企業が中国へ生産をシフトした結果、国内産業の空洞化を招いてしまうかもしれないという問題点もある。さらに、日本にとっては環境面や農業面での対中協力も大きな意味を持つ。それぞれ日本の環境、中国社会の安定に重要であり、日本の政府開発援助(ODA)は今後、このような分野に重点を置くべきであろう。

 これらひとつひとつの地道な積み重ねで両国間の信頼を高め、日中間の経済協力の幅と深さを拡大すると同時に、経済交流の障害を徐々に除去していくことこそ、東アジアのFTA、あるいは日中FTA形成への第一歩となるのではないだろうか。[17]

 

まとめと感想

 今回FTAのことを調べて東アジア自由貿易圏のカギを握っているのが日本と中国であることを改めて実感した。どちらが東アジア自由貿易圏の盟主になるか争うのではなく、EUにおけるドイツやフランスの役割を果たしてくれると、今後東アジアの経済が発展すると思う。確かに日本と中国は、歴史認識問題など深刻な政治問題があり、経済の相互交流の障壁を一気に除去することは困難である。しかし、ヨーロッパでは、20世紀前半に二度にわたって世界大戦を戦ったフランスとドイツが、まさに経済統合を通じて過去の歴史を乗り越えようとしている。こうした発想の転換と政治のリーダーシップを日中両国にやってほしいと思う。そして、日本と中国両国の間にFTAが締結され、他のアジアの国々も乗り遅れまいと積極的に加わり、地域統合が一気に加速することを期待しながら、今後の動きに注目していきたい。

 

用語解説

ASEMとは、1994年10月、シンガポールのゴー首相は第3回『東アジア・欧州経済サミット』での提言を受けて、アジアと欧州の首脳が直接対話する『アジア欧州サミット』構想を打ち上げ、フランスのバラデュール首相(当時)に提案した。その目的は、アジア、欧州、北米の三角関係の中で今まで相対的に希薄であったアジアと欧州の関係を強化することにあった。そして当時EU議長国のフランスがEU各国に働きかけた結果、発案からわずか1年半後の1996年3月、アジア・欧州の25カ国と欧州委員会の首脳が集う歴史的な会合『アジア欧州会合(ASEM、 Asia-Europe Meeting)』が実現した。[18]

 

参考文献

http://www.zenchu-ja.org/JAnewHP/ja-zenchu/wto/shokuryoletter/letter/letter1405B.htm - 10k -

外務省のHPhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/keizai/nafta.html

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_eu/k_kankei/

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/fta/j_asean/kouso.html

平川均・石川幸一編著、『新・東アジア経済論』、ミネルヴァ書房、2001年

藤井良広、『EUの知識』、日本経済新聞社、2002年

http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/154-03-28-kokusai.htm

浦田秀次郎・日本経済研究センター編、日本のFTA戦略、日本経済新聞社、2002年

関志雄、『日本人のための中国経済再入門』、東洋経済新報社、2002年

関志雄のHPhttp://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/mokuzi.htm

日本経済新聞、200310

 



[1]http://www.zenchu-ja.org/JAnewHP/ja-zenchu/wto/shokuryoletter/letter/letter1405B.htm - 10k -より

[2] 外務省のHPhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/keizai/nafta.htmlより

[3] 外務省のHPhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_eu/k_kankei/より

[4] 平川均・石川幸一編著、『新・東アジア経済論』、ミネルヴァ書房、2001年4月30日、第1章、P17より

[5] 藤井良広著、『EUの知識』、日本経済新聞社、2002年10月7日、P210より

[6] http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/154-03-28-kokusai.htmより

[7] 平川均・石川幸一編著、新・東アジア経済論、ミネルヴァ書房、2001年4月30日、第11章、P236より

[8] 浦田秀次郎・日本経済研究センター編、『日本のFTA戦略』、日本経済新聞社、2002年7月25日、P164より

[9]平川均・石川幸一編著、『新・東アジア経済論』、ミネルヴァ書房、2001年4月30日、第11章、P251、終章、P326、327より

[10] 浦田秀次郎・日本経済研究センター編、日本のFTA戦略、日本経済新聞社、2002年7月25日、P181〜P183より

[11] 関志雄著、『日本人のための中国経済再入門』、東洋経済新報社、2002年10月24日、第9章、P247、248

[12] 関志雄のHPhttp://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/mokuzi.htmより

[13] 外務省のHP、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/fta/j_asean/kouso.htmlより

[14] 日本経済新聞、2003年10月9日より

[15] 藤井良広、『EUの知識』、日本経済新聞社、2002年10月7日P146、147より

[16] 関志雄、『日本人のための中国経済再入門』、東洋経済新報社、2002年10月24日、第1章、P18〜P22

[17] 浦田秀次郎・日本経済研究センター編、日本のFTA戦略、日本経済新聞社、2002年7月25日、P214〜P217より

[18] 外務省のHP、http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asem/より