胡錦涛体制の確立とSARS事件

 

01e2510 馮 暁萍

 

はじめに

「世界には二つの超大国がある。現実の超大国、アメリカと潜在的な超大国、中国である。いま、この二つの超大国はいずれも戦争を抱えている。イラク攻撃というブッシュの戦争とSARSとの戦いという胡錦涛の戦争である。ブッシュの戦争はバグダッドの陥落とサダム・フセイン政権の崩壊をもって終息に向かいつつあるが、胡錦涛の戦争は北京へのSARS感染拡大で、壮絶な戦いが始まったばかりである。 

北京は中国の首都であり、感染急拡大のタイミングは胡錦涛の新体制発足直後であった。今回のSARS感染悲劇は正に中国現体制の盲点についたものである。今後いかに経済改革に注力すると同時に政治改革も推進していくかが胡錦涛・新体制の重要課題となろう。」1

 

WHO’S HU

 

1−1 胡錦涛とは何者か?

「胡錦涛が中国共産党総書記に就任し、2003年の早い段階で中国の新しい国家主席に選出されることが決定した。だが、中国専門家以外のほとんどの人にとって、胡錦涛が何者なのかよく分からない。彼はどういう人物なのか。
 胡錦涛は194212月生まれ、
安徽省績渓出身。1964年入党。65年清華大学水利工程部(河川ダム発電所専攻)卒業後は、清華大学の教師から甘粛省の水力発電所のエンジニアとなる。
  74年甘粛省政府の建設委員会に転勤、計画管理処副処長などを歴任。
80年甘粛省建設委員会副主任。当時の主任は、のち中央の実力者となる宋平だった。共産主義青年団甘粛省委書記などを経て、82年の12期1中全会で中央委員候補。同年に共産主義青年団中央書記処書記(第一書記は王兆国・現政治局委員)、中華学生連合会主席。84年に王兆国が党中央弁公庁に転出に伴なって共産主義青年団第一書記となった。

85年から貴州省党委書記、88年から西蔵(チベット)自治区党委員会書記として地方のトップをつとめたが、92年の14全大会で中央政治局常務委員に大抜擢され、一躍第4世代のトップに就いた。93年には中央党校校長、国家副主席に就任。200211月の第16全大会で、中央委員会総書記に就任。2003年3月の10期全人代で国家主席に就任。
 温厚な人柄で知られるが、2002年5月の訪米では、その片鱗が垣間見えた。一方で、チベット自治区書記時代には独立運動を収拾するなど、実行力も評価されている。NATO米軍によるベオグラード中国大使館爆撃事件では、米国への抗議運動が広がった際、テレビ演説で自制を呼びかけ収拾させたこともある。
  江沢民路線を継承することを明らかにしているが、政治改革、地域格差の是正、腐敗撲滅、金融改革、対米外交など克服すべき課題は多い。また、9人の常務委員のうち年少は李長春1人で、年長の幹部をどうまとめていくかの手腕が問われる。最高ポストである党総書記にもかかわらず、中央軍事委員会では江沢民主席に次ぐ副主席にとどまった。今後は第4世代として、第3世代の江沢民からの権力の完全継承が課題。胡体制の独自色への期待に応える必要があるだろう。」2 

 

胡錦涛の経歴3

 

194212

安徽省績渓生まれ、男、漢族。

1959年〜64

清華大学水利工程部で学ぶ。

19644

中国共産党入党。

1965年7

清華大学水利工程部(河川ダム発電所専攻)卒業、エンジニア。

1965年〜68

清華大学水利工程部で研究。政治輔導員、水電部第四工程局八一三分局機

関党総支部副書記、甘粛省建委副主任、共産主義青年団甘粛省委書記を

担当

1982年〜84

共産主義青年団中央書記処書記,全国青年連合会主席。

1984年〜85

共産主義青年団中央書記処第一書記。

1985年〜88

中国共産党貴州省委書記。

1988年〜92

中国共産党西蔵(チベット)自治区委員会書記。

1992年〜93

中国共産党中央政治局常務委員、中央書記処書記。

1993

中国共産党中央政治局常務委員、中央書記処書記、中央党校校長。

19983

中華人民共和国副主席に選ばれる。

20033

第十届全国人大一次会議にて中華人民共和国主席。
中国共産党第12期中央委員候補、委員、第13期、14期、15期中央委員、第

14期、15期中央政治局委員、常務委員、中央書記処書記、第6期全国政治協

商会議常務委員。

 

1−2 米中関係と中国の行方

「この半年ほどの間に、米中関係は劇的に改善した。こうした現実は、中国の努力に負うところもあるが、アメリカの対中政策の変化が最も大きな要因だと見られる。対テロ戦争、イラク侵攻計画を遂行するうえで中国の支持を取りつける必要があったことが、ワシントンが対中路線を変化させた大きな理由だ。2002年の春、ブッシュ政権がペンタゴン(国防総省)に対イラク攻撃計画の策定を開始するよう指示を出し始めたときから、アメリカの対中政策は百八十度転換した、と考えられる。
  ブッシュ政権は、発足当初、中国のことを「アメリカにとっての次なる最大の脅威」ととらえていたが、いまやアメリカの見方には劇的な変化が起きている。「大国へ台頭する途上にある国家」、つまり中国を最大の脅威と考えていたのが、いまでは「破綻国家こそ最大の脅威」と考えを改めている。2002年春、胡錦涛が訪米した際、ワシントンが彼の訪問を歓迎するレトリックで溢れかえっていたのもこのためだ。
  胡錦涛の訪米以前は、軍の交流に反対していたペンタゴンも交流に前向きになりつつある。アメリカ政府の役人も、胡錦涛を話のできる相手として評価している。ブッシュ政権は率直で協調的・建設的な対中関係という新路線を打ち出した。
  アメリカは、北京の願いどおり、(新疆ウイグル自治区)での「東トルキスタン独立運動@」をテロ組織とついに認定した。いまや中国の指導層は、テロリストであろうがなかろうが、新疆ウイグル自治区の独立運動家を弾圧することは、アメリカの賛同を得ており、何ら非難されることはないと考えている。ブッシュ大統領は200210月、江沢民を自家のあるテキサス州クロフォードに招いたが、これは江沢民にとっても非常に重要な機会だったはずだ。ブッシュは、彼が世界で最も重要とみなす世界の指導者しかクロフォードの牧場には招待しないと考えられているからだ。江沢民のクロフォードへの招待によって、これまでの彼の親米路線は見事に成功し、正当化されたことになる。それにしても、江沢民をクロフォードに招くとは、9・11以前には想像さえできなかった。」4


第2節 SARS事件と胡錦涛体制

2−1 SARS

 「SARSとは重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome)。症状は、38度以上の高熱や、せき、呼吸困難などこれまでの肺炎やインフルエンザと似ている。 医療関係者や患者の家族を中心に感染が広がったため、感染者のせきなどを通じてうつると考えられてきた。 世界保健機関(WHO)は4月16日、原因は新型のコロナウイルスと確認されたと発表。「SARSウイルス」と名付けた。」

「狭い通路の両側に、空っぽの鉄のおりや竹かごがうずたかく積まれている。獣のにおいが鼻をつき、時折、鶏の鳴き声が甲高く響き渡る。 ここは中国広東省広州の新源市場である。 新型肺炎SARSが生まれたのが、ここ広東省だとみられている。5月下旬、香港大などがハクビシンとタヌキからSARSウイルスに酷似したウイルスが見つかったと発表した。 これらが感染源と断定されていないが、中国政府は即座に野生動物の売買を禁じた。広州の食文化を支える新源市場から野生動物が姿を消した。」

2003年に入ってから、被害は瞬く間に北京、天津、山西省、内モンゴル自治区などの中国大陸、香港、台湾、東南アジア、カナダなどに拡大した。 WHOが渡航延期勧告(4月23日)を出した世界5地域対象のうち、SARSの感染が急拡大している中国は広東省、北京、山西省、香港という4地域も占めた。」
  「SARSによる経済面の影響も出ている。中国で開かれる予定の国際会議のキャンセル・延期が相次ぎ、旅行、ホテル、飲食業への打撃が大きい。感染者が一番多い広東省では、通年GDP成長率が2ポイントダウンする見通しを発表した。

WHO(世界保健機構)は今年4月から中国の広東省、北京市とその周辺地域に対し渡航自粛勧告を出し(北京市への勧告が6月24日付で解除された)、全世界では120以上の国々は中国国民の入国に対し様々な規制を行った。人的交流の停滞は、中国の観光、ホテル、レジャ−、飲食、交通輸送、小売業など対面サ−ビス分野に大きな打撃を与えた。北京市を例にすれば、今年5月、外国人観光者数と国内観光者数は前年同期に比べそれぞれ94%90%減少し、飲食業の売上高は3%減、消費財小売額は9.6%減も記録した。

中国のサ−ビス業は労働集約型産業分野であり、SARSによる雇用の悪影響が大きい。昨年4%を記録した中国の都市部失業率は、今年5%を突破する見通しである。 一方、商談の一時的な中断や新規投資契約の延期など資金の流れも鈍化を見せた。中国側の発表によれば、5月の鉱工業生産伸び率は前月に比べ、1.2ポイント低下、工業製品輸出は2.8ポイント低下、外国企業の投資意欲の目安となる契約ベ−ス金額は10ポイント低下となっている。
 
さらに、生産現場に感染者が多数出た場合、生産工場の閉鎖も視野に入り、輸出や経済全体へのマイナス影響が避けられない。中国経済が世界経済との一体化を深め、そのインパクトも益々増大している中、SARS感染の広がりは、日本を含む世界経済へのマイナス影響が大きい。」

「北京では、農民や労働者などに北京を離れないよう通知するとともに、51日から5日までの5連休に北京の大学生や教官に帰省することを原則禁止する通知もだされ、映画館など多くの人が集まる場所を閉鎖するなどの措置をとり、陸の孤島と化している。さながら戒厳令といったところで、住民は恐怖に戦慄していることがうかがわれる。デマや噂も飛び交い、住民の不安はますます増幅しているだろう。」

「今回のSARS感染事件で、中国の国際イメ−ジが大きく傷つけられた結果となっている。それは初期段階における政府の対応と情報開示の遅れによるものであった。もし早い段階でSARS関連情報を十分に開示すれば、中国各地と世界各国に広がる人的・物的被害は、現在ほど甚大なものではなかったはずである。この点について、中国政府は国内外的に批判されても弁解する余地がない。
 
暦では今年は羊の年である。中国語では「亡羊補牢」という、羊に関する諺がある。「羊を無くした人は、羊小屋を補強すればなお遅くない」というオリジナルの意味だが、「失敗した人は失敗の教訓を生かし改善に努めれば、次の成功にも繋がる」という意味合いが含まれ、失敗者への戒めと励ましとしてよく使われている。

  中国政府は今、不手際対応の責任者の更迭、厳重感染エリアの封鎖、関連情報の迅速公開、予防策徹底など、断固たる対策を取り、「亡羊補牢」の措置を講じ、SARSとの戦いに全力を尽くしている。」10
 

2−2 胡錦涛新政権の発足

「中国共産党の第16回大会が2002年11月に開かれ、江沢民総書記に替わって新たに第四世代の胡錦涛が総書記に就任した。今回の中国共産党大会は、89年の天安門事件A直後に総書記に就任した江沢民が引退し、第四世代に政権を引き継ぐためのものでスムーズな政権委譲が進むのか注目を集めた。中国共産党の政権移行は毛沢東、劉少奇、四人組、華国鋒、ケ小平へといずれも「血の闘争」が伴ったからだ。ケ小平が実権を握って以降も胡耀邦、趙紫陽はいずれも失脚、江沢民はケ小平による抜擢で就任。いずれもナンバー2が消えていく闘争を繰り返してきた。今回はナンバー2の胡錦涛が順当に総書記に就任したわけで、その意味で共産党の成熟ぶりを示したといえる。」11

「 しかし、今回のSRAS感染の悲劇を通じて、中国の既存政治体制の問題点も露呈している。共産党一党支配という政治体制の下で、経済の自由が認められるが、政治の自由、報道の自由が厳しく規制され、国民の「知る権利」も制限されている。こうした政治改革と経済改革の乖離は、経済成長にもマイナス影響を及ぼしかねない。
  これまでの政府の対応は「情報統制」や「情報隠し」と云われているが、社会不安を招いたり、経済発展に悪影響を及ぼすような情報を公開しなかった結果、かえって社会不安を招き、経済に大きな悪影響を及ぼす皮肉な結果になってしまった。しかし、毎日新聞によれば、WHO(世界保健機関)のデビッド・ヘイマン感染症対策部長は中国の過少申告問題について、「当局が故意に隠蔽したというより、報告書を集めて状況を把握することができなかったのが実情で、実はそれは今も続いている。報告されている感染者以上に被害が拡大している可能性がある。中国の実態を知るためには2週間ほど必要だ」と述べている。

  情報統制や情報隠しなどではなく、情報の把握ができなかったということであれば、今後の見通しは真っ暗だと言わざるをえない。ましてや被害は今も拡大しているというのである。まだ情報隠しであれば、把握している情報を公表しないということで、当局の姿勢の問題ということなのだが(これも大きな問題ではある)、把握できないということであれば、当局の怠慢ということになり、みすみすSRASの蔓延を放っておいたことになってしまう。まず実態を的確に把握し、正しい情報を公開する必要がある。」12

  「4月6日、衛生部長、大連と北京市長を更迭。これを機にマスコミ報道も積極的となった。こうした情報公開は胡錦涛主席の指示だったとされ、その後、胡錦涛主席や温家宝総理が国内を駆け巡って陣頭指揮をとり、SARSを撃つなどと、連日報道された。
  温家宝首相は「一致団結し共に助けあい予防・治療を行ってこそ、このSARSという重大な災害に戦勝することができる。中華民族は数千年にわたり幾多の災難を乗り越えてきた。打ち勝つほどに勇ましく奮い立つ」と述べている。」13

「情報公開と官僚の責任が問われるようにもなった。全国で数千人の党・政府幹部が処分されたといわれる。幹部が職務怠慢で処分されるのは前代未聞のことである。また、胡錦涛主席や温家宝総理が懸命に陣頭指揮をとったのに対して、江沢民・中央軍事委主席は安全な上海に引っ込んでいたといわれ、江沢民の権威失墜と胡錦涛体制の強化が図られた。胡錦涛指導部が、今後ともSARSの抑え込みに成功すれば、中国の政治改革、情報公開は進展すると思われる。

中国・広州で端を発し北京で猛威を振るった新型肺炎SARSは六月下旬に世界保健機関(WHO)が北京の感染地指定を解除し、ようやく沈静化した。だが、SARS問題を通じて中国の矛盾が噴出したのも事実だ。加えて江沢民党中央軍事委主席の「院政」をめぐって上海グループと胡錦涛支持派の改革グループとの亀裂も深まっている。SARS沈静化でも中国には問題が山積している。

国民の健康で安全な生活を回復するとともに、国民の不安を一刻も早く拭うため、遅ればせながら当局は積極的な対応を行っているが、結果的に46日の「北京の安全宣言」を20日に撤回したため、国民の当局に対する信頼は失墜してしまった。胡主席や温首相をはじめ政権幹部はSARS対策に日夜奮闘されているが、失った国民の信頼を回復しSARSを克服するという2つの重い課題が今まさに胡錦涛政権にのしかかっている。国民の信頼を勝ち取り、SARSに戦勝することは非常に困難な戦いだともいえ、国民の「大きな不安」が「爆発的不満」になったとき、スローガンは空虚なものとなり、共産党政権は大きな危機を迎えることになるかもしれない。胡錦涛政権は発足当初から大きな試練に直面している。」1

 

第3節 胡錦涛政権の重い課題

3−1 江沢民と胡錦涛

 「胡錦涛はケ小平が指名した江沢民の後継者である。共産党の最高指導者の後継者は、何らかの選挙手続きによって選ばれるものではなく、党最高指導者は自分の後継者を一人指名することが慣例だった。ケ小平が逝去してから、江沢民は名実ともに中国の最高指導者として振る舞いながらも、胡錦涛を自らの後継者として、しっかりと育ててきたようである。

一九九七年は江沢民にとって、とても愉快な年になった。七月一日、中国はアヘン戦争以来、百五十年ぶりに香港全域をイギリスから取り戻した。江沢民は自ら香港に行って、チャールズ皇太子と共同で香港主権返還式典を主催した。続いては、アメリカへの公式訪問を実現させた。これは中国の国家元首史上、はじめてのアメリカ公式訪問だった。

 江沢民は七十二歳になった喬石党政治局常務委員の引退をきっかけに、最高職務の党総書記を含む党政治局常務委員の引退年齢を七十歳とすることを公式に定めた。

 「七十歳定年退職制」の下で、選出された新しい党政治局常務委員は、江沢民、李鵬、朱容基、胡錦涛などの七人だった。この七人が五年後の二00二年には、五十九歳になる胡錦涛以外、みな七十歳を超えるかそれに近い年齢になる。「だから江沢民は若返りを口実に、胡錦涛と同じ世代の人間、つまり第一側近の曽慶紅を政治局常務委員に入れて胡錦涛と競わせる」みんながこう予想した。しかし大方の予想に反して、江沢民は曽慶紅を二ランク下の政治局候補委員にとどまらせ、胡錦涛を序列五位に引き上げた。翌年一九九八年三月に予定される第九回全国人民代表大会で、胡錦涛を国家副主席に当てるためだった。九八年三月、胡錦涛は予定どおり江沢民国家主席に次ぐ国家副主席になった。このとき胡錦涛は初めて行政職に就くことになった。しかも中国でナンバー2の行政職だった。

  こうして江沢民は胡錦涛を唯一の後継者と認定した。頼りにしている第一側近の曽慶紅がいるにもかかわらず、ケ小平が決めた後継者の胡錦涛をそのまま認めた江沢民は、心の広い政治家だといえるのかもしれない。」15

  「だが、それでも胡錦涛体制には疑問符が打たれる。当初、完全引退と見られていた江沢民は、常務委員・中央委員から退きながら権力の中枢である党中央軍事委員長の座を手放さなかった。ケ小平と同じスタイルをとったわけだが、カリスマ性のない江沢民が軍事委員長にしがみついたことで共産党の超法規的な「人治」体制を見せつけたといえる。
 そして江沢民の子飼いとされる呉邦国や曾慶紅、賈慶林、黄菊ら上海閥を常務委員に送り込み、胡錦涛監視体制をしいた。その意味で胡錦涛は総書記になってもナンバー2のままで、将来実権を握るようになるのか、それとも上海閥へのつなぎとして利用されるだけで終わるのか、不安定体制なのだ。」16

 

3−2 胡錦涛閥と曽慶紅閥

「胡錦涛閥とは、胡錦涛が卒業した清華大学の出身の幹部、胡錦涛が第一書記を務めていた共産主義青年団の出身の幹部、胡錦涛が働いていた甘粛省、貴州省、チベット自治区といった西部各省での同僚と部下たちを中心に、一九九三年から胡錦涛が共産党中央党校校長を務める間に、発掘して育てた若手幹部も加えた幹部集団だといわれている。一方、曽慶紅閥とは、江沢民直系の上海閥と曽慶紅をボスとする「太子党」(高級幹部子女出身者)を中心に、曽慶紅が一九九九年から党中央組織部部長をしている時に発掘した若手幹部を加えた幹部集団のことである。

現党中央首脳部は、胡錦党閥が三人、曽慶紅閥が四人という構図のようであるが、胡錦涛閥の温家宝と呉官正は曽慶紅と仕事上で長い関わりがあった。また曽慶紅閥の呉邦国と黄菊は胡錦涛と同じ清華大学の卒業であり、はっきりと両閥に分けられるということではないようである。第十六回党大会人事は、江沢民のリーダーシップで決められたものである。江沢民は、曽慶紅など自分の直系と胡錦涛の人脈との間に勢力の均衡を図ったと思われる。党中央政治局常務委員たちの担当職務をみると、首相は温家宝で、胡錦涛と組みやすい相手である。いわゆる曽慶紅閥の常務委員は、主に党務と議会を担当している。

 胡錦涛は自分の人脈から幹部を多く抜擢したが、これも胡錦涛に権力基盤をつくらせたいという江沢民の配慮があったためだと思われる。現在、中央省庁の大臣、地方省の党委員会書記、省長クラスになっているのは、胡錦涛の清華大学で先輩や同級生や後輩だった曽培炎、賈春旺ら、甘粛省など西部での部下だった賈志傑、張吾楽ら、そして共産主義青年団や共産党中央党校で付き合いがあった王兆国、孟学農、韓正などが、それぞれ上げられる。一方、曽慶紅閥と思われる人物も多く抜擢された。上海で経験がある者、沿海各省、北京市でキャリアをつんだ者のほかに、高級幹部の子女である「太子党」の躍進もみられた。もちろん、「太子党」も一枚岩というわけではない。胡錦涛夫人の劉永清は高級幹部の子女である。また胡錦涛に大変近い高級幹部子女もいる。たとえば、胡耀邦元党総書記の長男の胡徳平党中央統一戦線部副部長などである。

 曽慶紅は江沢民がもっとも信頼し、頼りにしてきた第一側近である。江沢民は揺らぐことなく胡錦涛を後継者としてきた。おそらく江沢民の曽慶紅の役回りに対する認識、または曽慶紅本人の意思があったからだと思われる。曽慶紅は一九九二年から十年の間、まず党中央委員となり、のちに党中央政治局候補委員を務めたが、より早く、より高い肩書きをもとうとする動きはみられなかった。もしかすると、曽慶紅という人物は、裏方を好み、裏方に徹するタイプの政治家なのかもしれない。

 中国共産党の派閥はマイナスの側面だけではなく、プラスの側面ももち合わせているはずである。異なるタイプの政治家である胡錦涛と曽慶紅、ほぼ対等の政治勢力をもっている胡錦涛閥と曽慶紅閥が、バランスと適度の緊張感を保ち、競争と協力をしながら、活力ある政治を展開していく。これこそが江沢民、胡錦涛、曽慶紅の三人の理想なのかもしれない。」1

 

3−3 胡錦涛の挑戦

 「総書記就任後、胡錦涛は市場経済の改革を押しすすめると表明している。しかし、海外は、第四世代指導部が経済面においてきびしい試練を受けるだろうと予測している。失業問題、所得格差の拡大、銀行の不良債権など、どれも社会不安につながる問題で、場合によっては社会危機を引き起こす可能性さえある。」1

「中国はWTO(世界貿易機関)に加盟し経済成長は質量ともに驚異的な伸びを示した。東南アジアの4分の1の賃金という強みを背景に、高品質・低価格製品を生みだし、国際社会の中で一段と競争力をつけた。WTO加盟によって国際市場の荒波にさらされるが、それが逆に改革をうながし結果的に中国経済は強くなるというのが、中国共産党の描く発展シナリオだ。WTO効果で毎年1176万人の新規雇用が生まれるとも計算している。
 だが、朱鎔基首相が進めてきた国有企業の整理統合・民営化は中途半端でさらなる民営化を迫られのは必至。それに伴って今後、大量の失業者があふれ出してくる。しかも中国の人口急増は依然として継続しており毎年、おびただしい数の新規労働者が雇用市場に参入してくる。だから高成長による大規模な雇用確保が不可欠なのである。
 それでなくても、すでに都市部では国有企業から解雇された労働者の雇用要求デモが多発している。高成長で雇用を確保しない限り、中国共産党体制は破綻するのだ。
 だが、高成長は一層の貧富の格差を生みだすという問題点をはらんでいる。都市部の貧富の格差だけでなく、都市と農村の格差、沿海と内陸の格差を一段と広げていくのは必至なのだ。党大会の政治報告で「共富(ともに豊かになる)論」が強調されたが、現状の政策では共富になり得るはずがないというのが専門家の見方だ。
 これでは経済成長に伴う不平や歪みを政治は収拾できないのは火を見るよりも明らかだ。多くの開発途上国は開発独裁政権からスタートしたが、経済が成熟していくと民主主義へと移行した。韓国や台湾がその典型例である。経済だけの自由化では社会矛盾を解決できないからだ。
 だから政治改革が大きな課題として胡錦涛の肩にのしかかってくるだろう。貧富の格差の拡大や地域不満は中国にとっては少数民族問題に波及する可能性を秘めている。対応を誤ると大混乱が生じる。だから政治改革を経済成長と同時並行的に行って行くべきだが、政治改革は残念ながら共産党独裁体制にとっては「パンドラの箱」となる。かつて胡耀邦と趙紫陽はこの箱を開けようとして失脚してしまった。
 はたして胡錦涛は「パンドラの箱」に手をかけるだろうか。改革を押し進めていけば必然的にこの問題に直面する。こうしたことを見込んで江沢民は党軍事委員会主席の座を手放そうとしなかったのだろうか。ちなみに人民解放軍は中華人民共和国の軍隊ではなく「中国共産党の軍隊」のままである。こうした矛盾は、胡錦涛体制下で一挙に吹き出してくることになるだろう。」1

 

まとめと将来展望、感想

 「今回のSARS事件を契機に、これまでなかった政治の作風が見られるようになった。SARSでは衛生部長、大連と北京市長の電撃的更迭を行い、情報公開を進め、幹部の責任が問われるようにもなった。全国で数千人の幹部が職務怠慢で処分されたといわれる。政治改革は、1980年代に登場した胡耀邦、趙紫陽政権下で進展するかに思えたが、反ブルジョア自由化、天安門事件によって挫折した。その困難さを知ったケ小平が力で抑え込んでしまった。その後、登場した江沢民政権のもとで、政治改革はほとんど進展しなかった。一方、経済改革は大きく進み、経済発展によって社会も人々の意識も大きく変化した。経済・社会・国民意識と政治体制の乖離と矛盾は極限まで達したといえる。その意味では、SARSは政治体制改革への条件を整えたといっていいのではないか。

政治改革には必ず一定の権力闘争が伴わざるを得ない。しかし、大局的に見れば、ゆっくりとだが江沢民から胡錦涛への権力委譲は進んでいるように見える。SARS以後は胡錦涛政権への国民の支持は高まっている。しかし、急いではならない。胡耀邦は急ぎ過ぎて長老を敵に回して失敗した、趙紫陽も胡耀邦の二の舞を演じた。江沢民の完全引退はもうすぐだ、それまではゆっくりと着実にやる----、というのが10年間にわたって次期後継者をつとめてきた胡錦涛の考えなのだろう。
 胡錦涛の先輩で党長老の宋平(元常務委員)らが江沢民に中央軍事委主席からの退任を迫ったという話も伝えられている。後輩の胡錦涛へのバックアップだろう。新旧指導者による静かな権力闘争が進行している。その行方は、中国の政治改革を左右することになるだろう。」20

「胡錦涛は総書記就任後、一連の政治と経済目標を掲げたが、山積の経済問題にうまく対処できるかどうか、中国を豊かな近代化社会に築くことができるかどうか、台湾海峡をはさむ両岸の政治問題をどのように解決するか、現在の経済の高度成長率を維持し、中国を世界に誇る先進国に導くことができるかどうか、世界が注目している。これらの期待に胡錦涛はいかなる行政手腕で応えていくのか、ますます今後の中国の行方が気になるところである。」21

 

用語解説:

@     東トルキスタン独立運動:新疆ウイグル自治区におけるウィグル族を中心とした分離独立の運動。トルキスタンとはトルコ人の国という意味。東トルキスタン(東突)は、新中国成立の直前に「東トルキスタン共和国」として独立宣言したこともある。

http://www.panda.hello-net.info/keyword/ha/higashi.htm

 

A     天安門事件:89年4月、胡耀邦前総書記の追悼集会を契機に学生や知識人が民主化要求運動を始め、天安門広場を占拠した。運動への対応をめぐって指導部内で権力闘争が起き、デモの学生に同情を示した改革派の趙紫陽総書記が解任された。北京は戒厳令下におかれ、人民解放軍が6月4日に広場の学生を武力鎮圧した。中国政府は事件で319人が死亡したと発表した。

http://www.mainichi.co.jp/news/kotoba/ta/20020617_01.html

 

 

参考文献:

1.http://www.geocities.jp/mstcj182/ITEM-2B6.html 引用

2.http://www.panda.hello-net.info/person/ka/kokintou.htm 参考

3.http://www.netchina.co.jp/refer/zgzlk/yrzl/yrzl02.jsp 引用

4.http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/CFR-Interview/economy.htm 引用

5.http://www.asahi.com/special/sars/ 引用

6.http://www.asahi.com/special/sars/keikoku/030610.html 引用

7.http://homepage1.nifty.com/mkm/kansatsu/feidian.htm 参考

8.http://www.geocities.jp/mstcj182/ 参考

9.http://homepage1.nifty.com/mkm/kansatsu/feidian.htm 参考

10.http://www.geocities.jp/mstcj182/ITEM-2B6.html 引用

11.http://www.ifvoc.gr.jp/new_page_6285.htm 引用

12.http://homepage1.nifty.com/mkm/kansatsu/feidian.htm 参考

13.http://homepage1.nifty.com/mkm/kansatsu/feidian.htm 引用

14.http://www.ifvoc.gr.jp/2003/ss030715nsc.htm 参考

15.楊中美著 胡錦涛―21世紀中国の支配者 日本放送出版協会 

2003年、第8章、170173頁を参考

16.http://www.ifvoc.gr.jp/new_page_6285.htm 引用

17.楊中美著 『胡錦涛―21世紀中国の支配者』 日本放送出版協会2003年、補章1、235240頁を参考

18.祁英力著 『胡錦涛体制の挑戦』 勉誠出版  2003年、第10章、228230頁を参考

19.http://www.ifvoc.gr.jp/new_page_6285.htm 参考

20.http://www.panda.hello-net.info/colum/kokintoukaikaku.htm 参考

21.祁英力著 『胡錦涛体制の挑戦』 勉誠出版  2003年、第10章、228230頁を参考

 

<感想>

このレポートを書いた時に、SARSがどんどん深刻化している。この中に胡錦涛政権が発足した。中国にとって、SARSが89年の天安門事件以来の最大の出来事だと思う。胡錦涛政権がどのように対応するかが、世間の注目を集めた。倉橋さんがSARSのアジア経済への影響について書いた。今度のSARS事件をきっかけに、中国の一連の政治問題も一気に出て来た。そこで、このレポートは、SARSと政治の関わり、特に新しい政権が抱える問題点を中心として書くことにした。