シベリア鉄道旅行記

98E2109 白井慎也

 

 

はじめに

 

現在はゼミ合宿も終わり、これからは卒論に集中しなければならない時期になってきたところです。しかし先生から旅行記を書いて欲しいという要望があったので、今一度1年3ヶ月前の自分の中で最も大きな旅行であったシベリア鉄道での25日間のロシア・モンゴル旅行について、その時の記憶をたどりながら書いてみたいと思います。

 

 

1.            旅行準備及びシベリア鉄道(北京−モスクワ)

 

旅行の準備は7月13日より行われた。旅行会社で自分たちの旅行プランを話して、その帰りに別の場所で国際列車の切符を予約した。そして19日に再び旅行会社にパスポートと626$(ホテル代、ビザ代、モスクワからウランバートルまでの旅費及び手数料)と写真を提出しにいった。そして僕が中国の東北地方に旅行に行くため、一緒に行く友達に行きのシベリア鉄道代の約2000元(3万円ぐらい)を渡しておいた。その当時はHSKという中国語の試験が終わり、半年間一緒に住んでいた友達が帰国し、また一人で中国の長春、沈陽、大連を10日間で回ったり、その後も両親が北京に遊びに来て、親が帰った直後に部屋の引っ越しの手続きがあったりして、とっても忙しい時期であった。そのため旅行のためにはそれ以上の準備をすることができず、あとは現地調達とアドリブでなんとかするということになった。

8月5日、友達数人と晩御飯を食べて、22:00頃に友達に見送られて旅のパートナーのK君と北京駅に向かう。そして23:00頃に遂に念願のシベリア鉄道に乗車。電車の中は1車両につき15部屋ぐらいあり、1部屋につき4人入れるようになっていた。私はK君とロシアに留学するジャッキー・チェン似の中国人(以後はジャッキーと表記)と中国で絵の勉強をして帰国するドイツ人のサビナさんというおばさんと一緒の部屋だった。その他にもこの車両にはフランス人、オランダ人、イギリス人そして日本人も僕らの他に3人乗っていて、みんなすぐに仲良くなった。

8月6日はまだ中国国内で列車は北東の方角へ向かっていった。8月7日、朝5:00に起こされ、出国手続きの書類を書き、パスポートとともに提出。7:00頃国境の満州里に着く。そこで荷物チェックを受け、列車を降ろされる。そこで50$を1350ルーブルに両替(1$30ルーブル前後)。その後再び列車に乗り、9:00頃ロシアに入った所の駅で再び停車。そして車内で2時間ぐらい待たされた後、下車。入国手続きをし、ロシア料理(特にボルシチ)を初めて食べたらとてもおいしかったが、一緒に食べてたジャッキーや他の中国人の口には合わなかったらしい。そして13:00頃に出発。このころからジャッキーととても仲良くなり、ロシア語を教えてもらったり、途中下車した時は買い物の手伝いをしてもらったりした。さすがにロシアに留学するだけあってロシア語が堪能だったため、彼にはロシア語を使う時に幾度も助けてもらった。夜中にフランス人が僕らの部屋に遊びに来て、ウォッカをひたすらいっきさせられた。

8月8日、イルクーツクを通過。バイカル湖がとてもきれい。そろそろ体臭がきつくなってきたため、トイレの水道で体を拭いて、髪を洗う。8月9日、8月10日はたまに下車して外の空気を吸ったり、車内の外国人や日本人といろんな話をしたり、トランプをしたり、酒を飲んだりし、夜はカーテンを少し開けて、日本で見ることができない無数の星を眺めながら寝た。

8月11日、モスクワまであと少しとなった。そして15:00頃に遂にジャッキーが下車。彼はモスクワの少し手前の街で勉強するため、ここでお別れとなった。とっても心細くなった。19:30にモスクワに到着。ここで約1週間お世話になった同じ車両のみんなとお別れ。ロシア語のできる中国人の周さんに地下鉄の乗り方を教えてもらい、K君と共にホテルに向かう。地下鉄の駅は美しい彫刻が所々で見られ、とてもすばらしかった。そしてホテルで北京の旅行会社の関係者で今回旅のサポートをしてくれる楊さんに会い、ホテルやモスクワ−サンクトペテルブルク間の列車のチケットをもらう。楊さん自身はサンクトペテルブルクで会社を経営してるため、すぐに帰っていった。そして部屋に入り、1週間ぶりに風呂にはいる。

 

 

2.            モスクワ、サンクトペテルブルク

 

8月12日、13:00にホテルのすぐ近くのイズマロエブル公園の市場に行き、待合わせ場所を決めて、一人でぶらぶら歩く。ロシアの毛皮の耳まである黒い帽子を買おうとしているとロシア人の男に囲まれて、いきなり軽く脅される。そして150ルーブルで買える帽子を400ルーブルで買うことに。最初にしていきなりへこむ。ロシアって怖いと思った。だって普通に警官とかが銃を持って歩いてるし。その後K君と合流してホテルで$をルーブルに両替してから、モスクワ川に向かう。そして17:00頃から教えてもらったロシア語で切符を買い、クルージング開始。モスクワの風景を一望でき、ロシアに来てよかったと思った。そして18:30にクレムリン付近で船を下り、赤の広場の中を通りつつ、グム百貨店という大きなデパートに入った。そこで少しウィンドウショッピングをし、アルバート通りへと向かった。アルバート通りは若者の集まるところで、絵を描いてそれを売ってる人や楽器を弾いてる人がたくさんいてとてもにぎやかで、そこに日本料理屋があったので、ラーメンを食べたら懐かしい味がした。21:00だというのに空はまだ明るい。白夜というものを初めて経験した。その後ひたすら歩き、目的地であるレストラン・アルバート(地球座)に着く。スニーカーしかなかった私は革靴を買い、300ルーブルを入場する時に払い、晩御飯を食べる。生演奏を聴きながら食べる料理もはとてもおいしかったが、若いロシア女性を多く侍らせ、背広を着ているごつい人たちが奥の席を陣取っていて、とても恐ろしかった。25:00にホテルに着く。8月13日、12:00にホテルをチェックアウトし、クレムリンに行く。クレムリンはロシアの重要文化財が集まってるところで、ロシアの首相や重役の人たちが仕事及び生活している場所であるため、ロシアの中心とよばれているところである。クレムリンの中は武器庫や宝石庫などがあり、建物もすごかった。そのため、銃を持った警官がいっぱいいた。その後、ボリショイ劇場前で写真を撮り、急いで晩御飯を食べ、22:30に駅に着き、サンクトペテルブルク行きの夜行列車に乗った。

8月14日、7:00サンクトペテルブルク(ロシアで2番目に大きな街)に到着。地下鉄でホテルに向かう。楊さんに電話して次の列車のチケットを貰おうとするが不在だった。ホテルでくつろいだ後、ホテルのロビーでロシアで2番目の大きさのマリインスキー劇場のチケットを45$で買う。12:30少し歩き路面電車に乗る。街は非常に美しく、街の中に川が流れてとてもきれいだった。電車を間違えたので乗り換えようとして違う電車を探していると少年たちにからまれる。ものすごくしつこいので3ルーブルぐらいの額の小銭を10枚ほどあげて、数えてる隙に電車に乗る。16:00頃目的地のペデロフクス要塞に着く。コーヒーを飲んで一休みしてから、要塞を歩いてまわり、公園に入って、景色を見たらサンクトペテルブルグの街並みが川に映し出されている景色を眺めていると心が洗われた。20:00頃ホテルに着いて晩御飯を食べて休む。8月15日、10:00頃起きて楊さんに電話する。イルクーツク−ウランバートル間の列車のチケットはイルクーツクでしか買えないらしいので、楊さんの友達に頼んで貰うことになった。パスポートのコピーを楊さんの知り合いの人がホテルに取りに来た。15:00頃までゆっくりして、街に出歩くことにする。ガスチーヌイ・ドヴォールというロシアで一番大きなデパートを見た後、カザン聖堂という柱のたくさん建った教会に行き、ロシアの文学者や作家が多く集まっていたといわれている文学喫茶で晩御飯を食べる。キャビアとかを食べたので金がかかった。19:00頃タクシーに乗りマリインスキー劇場に向かい、19:10に劇場に着く。劇場内の内装はとてもすばらしく、客席も3、4階あり、とても広かった。私たちが見たのはロシアバレーの「ロシアンハムレット」だった。バレーなんて初めて見た。でも踊りは優雅で踊っている人は男性が多かったため、躍動感にあふれていてとても感動した。もし娘ができたら、バレーやらせたいなぁーと思った。その後ホテルに戻り、ホテルの最上階でワインを飲んで寝た。8月16日、12:00楊さんから電話があったため、ホテルをチェックアウトして楊さんの会社に向かう。切符の話をしていた時、ビザの日数が足りないことがわかり、対処に時間がかかりそうなので、会社に荷物を置いて、エルミタージュ美術館に行く。エルミタージュ美術館はとても大きくて、ピカソ、ゴッホ、レオナルド・ダビンチ、ラファエロなどの有名な画家の作品をたくさん見ることができた。18:30に会社に戻ると列車のチケットとビザの問題はモスクワ、イルクーツクの知人がなんとかしてくれるということになった。最後に楊さんに見送ってもらい、楊さんの行きつけのレストランで話を付けてもらって、ロシア料理をフルコースでしかも安い値段で食べさせてもらうことになった。楊さんには感謝の気持ちでいっぱいになった。22:30に再び駅に行き、モスクワ行きの夜行列車に乗った。

8月17日、7:00頃にモスクワに着く。とりあえずカフェで朝食をとり、モスクワの駅でイルクーツク行きの切符を渡してくれる人を待つ。約束の時間から1時間後にようやくその人が来て、チケットを貰い、今後のことについて教えてもらう。その後高さ540mのオスタンキノ・テレビ塔に登り、最後にモスクワの街の景色を眺め、その景色を目に焼き付けた。そして14:30に駅に到着し、そのままイルクーツク行きに列車に乗った。

 

 

3.            イルクーツク及びシベリア鉄道(モスクワ−イルクーツク)

(イルクーツク−ウランバートル)

 

8月18日、19日、20日はひたすら列車内で寝たり起きたりを繰り返す。二人部屋だったので、誰にも気を使うことなく、K君と話したり、考え事をしたり、MDで日本の音楽を聴いたりしていた。ロシアの大自然を眺めていると日本や北京での忙しかった生活を忘れて、ゆっくりと時が流れてる感じがしてとてもリラックスできた。食堂車にいつもご飯を食べに行ってたので、食堂車のおばちゃんと仲良くなった。

8月21日、10:30にイルクーツクに到着。列車を降りるとロシア人の男性が僕らの名前を白い紙に書いて掲げていた。そして列車を降りると、「はじめまして、こんにちは。」と日本語で話しかけられた。名前はジマさんといって日本語を勉強している学生さんで、楊さんと提携している会社でアルバイトをしているそうだ。ホテルに行くのにもジマさんが用意してくれた車で移動し、ホテルの手続きなども全部やってもらった。12:40からジマさんにイルクーツクの街を案内してもらう。教会に行き、教会の鐘を鳴らしてそこから景色を眺めたり、ダムに行ったり、おいしいレストランに連れていってもらったり、スタジアムでサッカーを観戦したりといろんな穴場を紹介してもらった。途中で旅行会社に寄り、イルクーツク−ウランバートル間のチケットを貰う。ビザは国境をでる時に15$払えばいいという話を聞いた。22:30ホテルに戻って休む。8月22日、9:00に北京の大学で一緒に勉強していて、今回の旅行でモンゴルにおいてお世話になるモンゴル人の友達のバターにいつ頃ウランバートルに着くか連絡する。そしてすぐにチェックアウトして、ジマさんと3人でタクシーに乗り、バイカル湖に向かう。10:00頃港に着き、チケットをジマさんに買ってもらって、10:30に出発。最初は霧がすごくて何も見えなかったが、すぐに霧が晴れて、美しい景色が見れるようになった。12:00頃船が港に着いたので降りる。バイカル湖を眺めながら道を歩いていると、たくさんの牛が道ばたを歩いていた。バイカル湖博物館に入ってジマさんにバイカル湖についていろいろ教えてもらった後、14:00頃レストランに入る。レストランは建物自体がとてもおしゃれで、魚料理が中心だった。ウオッカをたくさん飲まされてほろ酔い気分になった。その後3人でいろいろ話をして、16:00に個人でやっているバスに乗る。17:00頃に市場に着き、そこでいろんなものを見てから、一度ホテルに戻り、荷物を持ってきてタクシーに乗る。19:30駅に着く。ここでジマさんとお別れ。ジマさんにはとてもお世話になったし、これからの勉強も頑張ってほしいということで、二人で50$をジマさんに渡す。20:10に列車は出発する。4人部屋だったけどなぜか私とK君だけだったので、気楽に部屋を使う。

8月23日、5:30列車が駅に停車し、ドイツ人の男性二人が私たちの部屋に入ってきた。その後はすぐに寝て、13:00頃にロシアとモンゴルの国境のナウシキという駅で停車する。少し経ってから列車を降りて、ホットドッグを食べていると、モンゴル人の女性に声をかけられたので、英語でしゃべる。日本人を以前ホームステイさせたことがあったらしく、そのことについていろいろしゃべる。その後列車に戻り、一緒の部屋のドイツ人たちとしゃべる。19:00頃ようやく出国手続きをする。パスポートとビザをみせるとやはりよびだされた。15$という話だったが実際は10$渡しただけで許してもらった。20:00に列車が出発し、21:00モンゴルの駅に停車し、入国手続きをする。同じ部屋のドイツ人たちはモンゴルビザを持っていなくてよびだされてたが、お金を払って許してもらったらしい。その時モンゴル人の子供が列車内に入ってきたので、持っていたお菓子をあげた。22:30に列車が再び出発し、ドイツ人たちと話した後、寝る。

 

 

4.            ウランバートル

 

8月24日、6:00ウランバートルに到着。列車を降り、ドイツ人たちとお別れして、少し歩くとバターが私たちを出迎えてくれる。タクシーに乗って銀行に行き、お金を両替する(1$−1000Tg前後)。その後レストランに行き、まだ朝早くて閉まっていたので、その近くで3人でいろんなことを話してから、9:00頃レストランでご飯を食べる。その後ホテルを探し回り、中国人が経営してるゲストハウス(旅館みたいな所)に泊まることに決める。1泊10$なので結構安い。しかしシャワーのお湯がでなかった。12:00頃バターが用事があるためいったん帰っていく。そのためゲストハウスの近くのインターネットカフェで3400Tgを払って久しぶりにインターネットをし、日本の情報をいっぱい手に入れる。その後、ゲストハウスに戻って寝る。18:00頃にバターが部屋に来たので起きて、みんなで日本のチェーン店のハナマサという焼き肉屋に行く。焼き肉をバイキング形式でいっぱい食べる。21:00に店を出てタクシーに乗り、バターの友達に会いに行く。そして4人でウランバートル市内のディスコをまわり、バターのよく行くディスコに入り(4000Tg)、ビールを飲む。26:00にゲストハウスに戻る。

8月25日、9:00に目が覚めてバターに電話するが不在。少し休んでからロビーに行くと、受付の人にもう1泊するかどうか聞かれたので、20$(二人分)払って泊まることにする。ただし部屋を変えさせられ、1番上の階(4階)の部屋に行くことに(しかもエレベーターなし)。12:00頃から北京に戻るための列車のチケットを買いにウランバートルの街へくりだす。しかし北京行きの切符はすでに売れ切れていて、見つからず。14:00頃にゲストハウスに戻り、その近くにある日本人が経営してる「あづさや」でどうやって北京に帰ればいいか方法を聞きに行こうとしているところでバターたちが来る。バターたちとしゃべっているとモンゴルに留学しに来て間もない日本人の女性とモンゴル人の女性が話しかけてくる。まだモンゴル語がうまく話せないらしく、意志疎通が図れないため、手助けしてほしいと頼まれる。そのためモンゴル人の女性が話したモンゴル語をバターが中国語に訳して、それを私に話し、その中国語を私が日本語に訳し日本人の女性に伝えるという方法を採った。日本人の女性が話したい場合はその逆の方法でモンゴル人の女性に意志を伝えた。問題が解決したため、その女性たちとは別れて、「あづさや」に入る。モンゴルと中国の国境の近くの街まで行き、そこからバスで帰ればいいというアドバイスを聞く。その後バターたちとフラワーホテルという少し大きなホテルに行って、列車のチケットの予約をできるか確かめに行く。15:00頃安いレストランで食事をとり、自然博物館に行く。本物の恐竜の骨や卵がたくさんあったので、思わず写真を撮ったら、写真を本当は撮ってはいけなかったらしく、係りの人に5$の罰金を払う。恐竜の他にも日本で見られない動物をたくさん見ることができた。16:30に再びフラワーホテルに行くと、北京行きの切符はやはり売り切れているため、国境のアレンフトという内モンゴル自治区の街までの切符を予約することにする。その後、ウランバートルの郊外の小高い丘の上に塔がそびえているザイサン・トルゴイという場所に行き、大自然に囲まれているウランバートルの街を眺め、写真を撮る。とてもいい景色だ。18:00頃ゲストハウスに戻り、バターと別れる。その後近くのレストランで、中華料理を食べ、一休みしてから、エモーンという名前のナイトクラブに行く(10$)。店の雰囲気もまあまあよく、日本語が話せるスタッフもいてよかった。なぜかストリップがあった。帰る途中に警察官に声をかけられたが、パスポートをみせたら、笑顔で話しかけてくれた。25:00にゲストハウスに戻る。

8月26日、11:00バターが来たため起きる。今日はウランバートルから少し離れた草原の多い場所に行くことになっていて、ゲルで泊まる予定だったが、天気もあまり良くなく、残金も残りわずかだったので、予定を変更して、日帰りで行くことにする。11:30バターが手配した車で出発。街でガソリンを入れて、郊外に出た瞬間にあまりの道の悪さにタイヤがパンクする。運転手さんは慣れてるらしく、タイヤをすぐに取り替えて、再び車を走らせる。その後もガタガタ道は続き、揺れが激しいため、時々車の天井に頭をぶつけた。13:00頃大草原の中のゲルがたくさんあるテレルジというところに着く。そこのレストランで食事をとった後、馬に初めて乗る(1馬−5000Tg)。最初にバターに手綱をひいてもらってゆっくり走る。少し経ってから、自分一人で馬を走らせてみると意外にうまく乗ることができた。しかしモンゴル人のバターはやはり馬を走らせるのがとても早く、いつも温厚な彼とはまた違った一面をみせられた。バターの馬には追いつくことはほとんどできなかったが、最後の方はそれなりに馬をコントロールできるようになったので、とてもうれしかった。16:00頃馬をおりて帰ることにする。帰りの車は韓国人とモンゴル人のカップルといっしょだった。途中で亀に似た岩を見たり、古代人が住んでたといわれている岩穴に行ったりした。17;30にバターといったん別れ、ゲストハウスに戻り、残り2泊分の宿泊費を払い(1人−20$)、部屋で休む。21:00頃バターが再び来て、ピザ屋で御飯を食べた後、ジマさんがモンゴルでおすすめのクラブを聞いた時に教えてもらったアティラという所に行く(3人−24000Tgと少し高め)。入って席に座り、ビールを飲みながらくつろいでいると、ストリップショーがはじまった。しかも今回は10人ぐらいの女性が出てきた。ジマさんもスケベだなぁーと思った。その後は適当にみんなと踊ったりして楽しんだ。25:00頃ゲストハウスに戻る。

8月27日、12:00頃に目が覚めるが、バターからの連絡がないため、2人で行動することにする。とりあえず近くの国立百貨店に行き、モンゴルの生活用品などを見て回る。けっこう充実していた。その後日本人のおじさんが経営してるたけちゃんラーメンに行く。ラーメンは本格的で日本の味がして、とてもおいしかった。この店にはいろんな日本人が来てるらしく、私たちも一緒に写真を撮って、ノートに名前と住所を書く。16:00スラバートル広場に行き、その後ザハという大きな市場に行く。市場の店をまわりだしてすぐに雨が降ってきたため、大きな建物の中に入る。建物の中も店がたくさんあったので、いろいろ見てまわる。18:30頃帰ろうとして、雨が降ってるなか帰りのバスを探すが、なかなか見つからず途方に暮れてた時に日本語が少しできるモンゴル人の女性が声をかけてきて、バスを探してもらって、一緒に乗ってもらう。降りたところの近くのカフェに寄って、助けてもらったお礼にコーヒーをおごる。サラントヤーという名前で、日本語を1年間勉強したらしい。私たちが話していると他のモンゴル人たちも話しかけてくれて、みんなでいろいろ話すことができた。写真を一緒に撮ってからゲストハウスに戻り、バターに明日国立百貨店の前に来るように電話で伝える。22:30に近くのレストランで食事をとり、24:00頃部屋に戻り、休む。

8月28日、8:00頃目が覚めて、荷物をまとめ、ロビーに荷物を預けて、ファーストフード店に朝食をとる。11:30にフラワーホテルに行き、予約してたウランバートル−アレンフト間の列車のチケット(30$)を手に入れる。アレンフトから北京にはたくさんバスが出てることを教えてもらって少し安心する。その後チンギスハーンホテルというモンゴルで一番豪華なホテルに行き、コーヒーを飲んでから銀行でお金を替え、国立百貨店の前でバターを待つが、来ないため電話をしてみるが誰も出なかった。14:00頃仕方がないので、近くのガンタン寺に行き、大きな大仏を見る。その後バターに電話してもやはり電話に出ないので、ゲストハウスの近くの日本料理屋に行く。日本の漫画(北斗の拳)が置いてあったため、約半年ぶりに漫画を読む。17:30頃バターに電話をしたらようやく出たので、国立百貨店にすぐ来てもらい、そこでおみやげを買った後、近くのレストランで晩御飯を食べる。その後ゲストハウスに荷物を取りに行き、駅前にタクシーで行き、少し時間があったので、バーに寄って3人で最後に酒を飲み、残ったTgをすべてバターにあげる。21:00にバターも一緒に列車に乗り、車内で写真をたくさん撮る。その後自分たちの部屋に行くとイスラエル人が2人いたので英語で話す。イスラエル人の若者は国にお金を出してもらい1年間外国に出て勉強してくるという制度があるらしい。今回は彼らと相部屋だ。みんなで話していると、列車が動き出したため、バターがあわてて車掌さんにかけあい、列車を停めて降ろしてもらい、僕らを最後まで見送ってくれた。列車を停めるなんてすごい奴だと感心した。その後イスラエル人と話し、23:00頃寝る。

 

 

5.            北京へ

 

8月29日、8:30に目が覚めて、イスラエル人にパンをわけてもらって、それを食べる。彼らはモンゴルに2ヶ月ぐらいいて、モンゴル語を少し覚えていた。中国にも長く滞在するそうなので、中国語を教えてあげた。10:00にサミンウッドというモンゴル側の国境に着き、出国手続きをする。今回は異常なし。少しすると列車はすぐに出発し、12:00にアレンフトに着き、入国手続きをする。13:00頃列車を降りて、イスラエル人たちと別れてからすぐに北京行きのバスの客引きをしてるお兄さんに声をかけられる。2人で300元(約5000円)で行ってくれるらしいので、そのバスに乗ることにする。中国の寝台バスはやはり狭かった。1人分のベットを2人で使わなければならないからだ。大連から帰ったときもこれに乗ったが、相当辛かった。しかし今回は見知らぬおじさんではなく、友達のK君と一緒に乗れることがせめてものすくいだ。席の取り合いで少しトラブルはあったが、13:30頃バスは出発。街を出るとすぐに砂漠や草原が広がり、道なき道をバスは進んでいった。16:00頃バスが停まる。どうやら車の修理をしてるらしい。そのため近くの店に御飯を買いに行く。17:00にバスが出発。道がガタガタしすぎて気持ちよく眠れず、21:00頃にバスが故障し、いったん停まるがまた出発。26:00に再びバスが停まり、ようやく寝ることができた。

8月30日、8:00頃目が覚めて外を見ると、昨日停まったところは車の修理屋さんの駐車場だったことを確認する。そして何人かの人がバスを修理していた。その後バスを降り、近くの建物で御飯を食べて休憩する。10:30に修理が終わり、バスがようやく出発。すぐに寝る。そして16:00に遂に北京に到着。その後タクシーに乗り大学へ向かう。17:30大学に到着し、この旅は終わる。

 

 

最後に

 

 この旅は本当にいい経験となりました。思い返してみると、自分でもよくこんな旅ができたなぁーと思います。でも今回の旅は一人だけの力ではできなかったと思います。ジャッキー、楊さん、ジマさん、バター、K君をはじめとするいろんな国のいろんな人たちに助けてもらってようやく達成できたのです。そして旅行の資金を全額出してもらった両親にはとても感謝しています。こんな経験はもう一生できないと思いますが、この旅で経験したことを今後の人生で活かすことができたらいいなぁーと思います。文章を書くのがとても下手でなので、途中わかりづらかったところもあったと思いますが、最後まで読んでくれてありがとうございます。