第15章 『One Korea』:朝鮮問題の帰結

 

 

00E 2501 楊 秀潔

 

 最近、メディアでよく北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に関する報道を見る。朝鮮半島の平和と安定は、北東アジア全域の平和と安定にとって重要であると思う。

 北東アジア地域における軍事的、経済的、政治的危機管理は、南北に分断された朝鮮半島の危機的要因を緩和し、排除することによって、再統一を促す国際環境をいかに整備するかの問題である。この問題の解決には、北朝鮮、韓国、日本、ロシア、アメリカの六カ国が死活的な利害関係を有しており、安全保障、経済交流、政治対話の各分野で緊密な多国間協力の方途を探らなければならない。

しかし、朝鮮民主主義人民共和国、つまり北朝鮮の問題は、周辺諸国(中国、日本、韓国、ロシア)、また世界で大きな力をもつアメリカなど、多くの国の利害関係と密接に関わるがゆえに、大変難しい。

まず、北朝鮮の概要を見てみよう。

 

第一節      北朝鮮の現況

1.北朝鮮の全般

 北朝鮮の国の面積は、日本の3分の1の大きさである。人口は、およそ2200万人といわれている。言葉は朝鮮語であるが、隣の韓国の言葉である韓国語と同じである。

北朝鮮は、土地から会社から工場まで、全部国のものである。国民が住む場所も働く場所も全部国によって決められる。工場でつくられた商品はみんな国のものになり、国民には米など生活に必要な最低限のものが配られる仕組みになっている。 給料の少しは支払われているのだが、最近になって北朝鮮は、このやり方を少し変えて、給料の額を引き上げ、その分で自分たちで商品を買うように、ということにし始めたそうだ。

 日本に国会があるように、北朝鮮には「最高人民会議」[1]がある。 また、最高人民会議が内閣の首相や裁判をする中央検察所、中央裁判所のトップも選ぶ。 そしてもうひとつ、軍隊に命令する「国防委員会」がある。このトップが金正日(キム・ジョンイル)委員長である。北朝鮮では軍隊を大切に考えていて、「軍隊が国の中で一番大事」という考えから、国防委員長が、国の中で一番力を持っているのである。

国の仕組みはこうなっているが、国にとって重要なことを決めるのは、「朝鮮労働党」という政党である。トップを総書記といい、金正日(キム・ジョンイル)総書記なのである。

 

2.北朝鮮の経済状況

 北朝鮮は、社会主義計画経済の脆弱性に加え、冷戦の終結に伴う旧ソ連や東欧などとの経済協力関係の縮小の影響などもあり、近年は、慢性的な経済不振、エネルギー不足や食糧不足[2]が続いている。

2−1 農村現況――食糧不足

北朝鮮ではたびたび大きな洪水が起き、特に1995年7月の洪水では、50万人もの人々が家を失い、田んぼや畑も大きな被害を受けた。その後も洪水がしばしば起きて、食糧不足が続いている。アメリカの議会の調査団の調べでは、少なくとも100万人もの人たちが、食べるものがなくて死んでしまったとも言われている。

北朝鮮がたびたび洪水に襲われるのには、原因がある。国土の大部分が急峻な山岳地帯に覆われ、西に向かっては緩やかな勾配で遠浅の海に下って行くが、東は切り立つ山地が海に近接するという特別な地形をなしている。これは、耕地が少なくて農業には不向きだが、山の木を切り倒し、山の上まで田んぼや畑をつくった。山の木には重要な役割があって、たくさん雨が降っても、根がしっかり張っていれば、山が崩れるのを防ぐ。さらに、根が水分をたくわえてくれるので、ふもとまでいっぺんに水が流れてくることがない。木の根がダムのような役割を果たしている。その山の木を切り倒してしまったら、降った雨がいっぺんにふもとに流れ、土砂崩れも起こりやすくなり、畑もダメになってしまう。

近年、恒常的な食糧不足に陥っているとみられており、依然として国外からの食糧援助に依存せざるを得ない深刻な状況にあるとみられている。特に1991年以降は100万トンを上回るペースで穀物を輸入していた(表1参照)。こうした中、北朝鮮の住民の間には、多数の飢餓者の発生や規範意識の低下などが見られるとの指摘もある。

 

表1 1990年以降の北朝鮮の輸入量(FAO推計)     (単位:トン)

 

小麦

小麦粉

大麦

トウモロコシ

穀物輸入総計

1990

300,000

200

 

264,000

27,000

596,278

1991

1,175,000

1,500

 

247,000

146,000

1,570,984

1992

166,000

61000

 

586500

315000

1153629

1993

439000

40,000

300

876,000

200,000

1,585,360

1994

258,000

10,000

500

244,000

56,000

573,390

1995

100,000

140,000

1,200

110,000

587,000

1,009,560

1996

216,000

333,000

570

81,000

340,000

1,102,606

1997

57,000

272,000

6,552

637,000

310,000

1,434,041

1998

162,000

135,000

8,324

345,000

135,000

1,078,085

出所:『アジア研究所・アジア研究シリーズ――南北朝鮮統一の展望(下)』の30ページ

 

2−2 工業面について

北朝鮮には山から土砂崩れが多いので、ダムが土砂で埋まってしまい、水力発電があまりできなくなる。電気が足りなくなり、工場が動かなくなる。工場が動かなくなると、外国に売る商品もつくれなくなり、外国のお金が入らなくなる。外国から輸入する石油を買えなくなり、石油を燃やす火力発電所も電気をつくれなくなり、ますます経済がうまくいかなくなる。

こうした経済面での様々な困難に対し、北朝鮮は、現在の統治体制に影響を与えるような構造的な改革を行うことなく、計画経済の考え方を基本的に維持する一方で、限定的ながら現実的な改善策や一部の経済管理システムの変更[3]も試みている。

 

3.核兵器開発疑惑・弾道ミサイル開発
3−1 核兵器開発疑惑
 北朝鮮は、従来、核兵器開発の疑惑[4]が持たれていたが、93年2月、国際原子力機関の特別査察要求を拒否し、同年3月に核兵器不拡散条約(NPT)からの脱退を宣言した。本問題については、94年10月に署名された米朝間の「枠組み合意」により、話合いによる問題解決の道筋が示された。「枠組み合意」によれば、米国は、北朝鮮への軽水炉及び代替エネルギー供与などのための諸施策を講じ、これに対し、北朝鮮は、黒鉛減速炉及び関連施設を凍結し、最終的には解体するとともに、NPT締約国にとどまり、軽水炉が完成される前にIAEAとの保障措置協定を完全に履行[5]することなどとなっている。
 一方、98年になって、北朝鮮が、同国北西部のクムチャンニにおいて、核関連の地下施設を秘密裏に建設中ではないかとの疑惑が浮上した。

 北朝鮮の核兵器開発疑惑は、大量破壊兵器の不拡散の観点から国際社会全体にとっても重要な問題である。本問題の解決には、北朝鮮が「枠組み合意」などの合意内容を誠実に履行することが重要であり、今後とも、その対応を注意深く見守っていくことが必要である。

3−2 弾道ミサイル開発
 北朝鮮は、80年代半ば以降、スカッドBやその射程を延長したスカッドCなどを生産・配備するとともに、これらのミサイルを中東諸国などへ輸出してきたとみられている。また、引き続き、90年代までに、ノドンなど、より長射程のミサイル開発に着手したと考えられ、93年5月に行われた日本海に向けての弾道ミサイルの発射実験においては、ノドンが使われた可能性が高い。さらに、98年8月には、日本の上空を飛び越える形で、テポドン1号を基礎とした弾道ミサイルの発射が行われた。北朝鮮の弾道ミサイル開発については、同国が極めて閉鎖的な体制を採っていることもあり、その詳細についてはなお不明な点が多いが、同国は、軍事的能力の強化の観点に加え、政治外交的観点や外貨獲得の観点などからも、弾道ミサイル開発に高い優先度を与えており、ミサイルの長射程化を着実に進めてきていると考えられる。
 なお、北朝鮮のミサイル開発の急速な進展の背景として、外部からの各種の資材・技術の北朝鮮への流入の可能性が考えられる。また、本体ないし関連技術の北朝鮮からの移転・拡散の動きも指摘されている[6]
 このような北朝鮮のミサイル開発は、核兵器開発疑惑とあいまって、アジア太平洋地域だけではなく、国際社会全体に不安定をもたらす要因となっており、その開発動向が強く懸念される。

 

4.北朝鮮の外交面

最近諸外国との関係改善に向けて、最近、目立った取組を見せている。また、北朝鮮は、相次いでロシア、中国、西欧諸国などとの関係構築に努力している。さらに、フィリピン、ニュー・ジーランド、EU、ドイツ、カナダなどと接触しているほかARF[7](ASEAN Regional Forum)への参加を申請している。さらに、南北分断後、初めての南北首脳会談を実施した。

今回、北朝鮮が拉致を認め、日本に謝ったのは、経済問題など困っていて、日本に援助してもらいたがっているからではないか、と見られているのである。

このような対外的な関係の増大により、北朝鮮の体制の透明性の向上が期待されるものの、北朝鮮は、依然として閉鎖的な体制を採っている。[8]

朝鮮半島の平和と安定は、北東アジア全域の平和と安定にとって重要である。それでは、北朝鮮と周辺諸国(日本、アメリカ、中国、ロシア、韓国)との関係を見てみよう。

 

第二節 北朝鮮と日本の史上初の首脳会談

2002年9月17日、北朝鮮の金正日総書記と小泉純一郎日本首相が、平壌(ピョンヤン)で史上初の首脳会談を行った。 

 首脳会談の議題はこれまで両国間の実務者協議を通じて、@日本人拉致疑惑A日本の植民地支配及び戦後賠償などの「過去精算」B北朝鮮のミサイル発射実験の凍結維持C北朝鮮籍と思われる不審船の出没などに絞り込まれた。 

 日朝間の関係正常化交渉において最も大きなネックだった拉致疑惑問題に、北朝鮮側が相当な情報を提供したことから、国交正常化交渉の再開に両首脳が合意した。
 拉致被害者問題と関連し、金総書記は小泉首相に「過去数十年間、両国間の対立の歴史の中で発生した不幸な事件だ。1970〜80年代の初め、特殊機関の一部に妄動主義と英雄主義があった。日本語を教え、韓国への潜入教育をさせるためのことだった」とし、「関係者は処罰された。今後、二度と起きることはない。謝罪する」と述べた。

 金総書記はまた、日本近海で撃沈された不審船についても「特殊部隊が単独で起した問題で、現在調査を進めている。このような問題が2度と起きないように措置する」として北朝鮮の工作船であったことを認め、再発防止を約束した。
 会談で小泉首相は過去の植民支配に関する問題に対し、多大な損害と苦痛を与えたことに対し反省するという日本政府の立場を伝えたとされる。また、核やミサイルなど、北朝鮮の大量破壊兵器に対する憂慮を伝え、ミサイル開発の中断と核査察の受け入れを要求した。
 金総書記は北朝鮮の経済改革作業に日本の積極的な協力を要請した。

しかし、北朝鮮と日本は102930日にマレーシアのクアラルンプールで開かれた2日間の国交正常化交渉――2年ぶりに再開された今回の国交正常化交渉で、過去の清算と関連した経済協力の協議を優先するよう求める北朝鮮側の主張と、拉致事件と核開発問題を最優先課題にすべきとの日本の立場が対立し、これと言った進展が得られなかった。北朝鮮はとくに、9月17日の朝日首脳会談で合意に至ったの精神を順守し、国交正常化交渉と経済協力について重点的に討議しながら、残る懸案は包括的に解決すべきとの立場を固守した。 北朝鮮側は今回の交渉で、日本側が最優先課題として提示した拉致問題については「金正日国防委員長が事実を認めて謝罪したことで、基本的に解決された」との立場を、核開発問題については「米国と協議すべき懸案だ」との考えを強調した。 それに対し日本側は「核問題は日本の安保と直接関わる重大な問題だ」とし、拉致事件と核問題の進展なしには、本格的な経済協力についての議論は不可能だ。
 中国で112324両日に行われた北朝鮮との非公式折衝に進展がなかった。日本は25日、北朝鮮との日朝正常化交渉の次回会合について、今月中の開催を断念した。日本側は拉致被害者家族の早期帰国と核開発計画の撤廃を求めていたが、北朝鮮側から明確な回答がないため、交渉再開は無理と判断した。

 

第三節 北朝鮮とアメリカの関係

 韓国の太陽政策に対する米国の懸念は、北朝鮮の大量破壊兵器による国際社会、とくに在韓米軍への脅威と国内での全体主義体制による人権侵害もさることながら、将来の朝鮮半島の平和と安定をめぐる不安にも起因している。

 アメリカは、「包括的かつ統合されたアプローチ」により北朝鮮に関与し、核計画及び長射程ミサイル計画を終わらせるという目標の下に、対話を通じ、米朝関係を改善・正常化していくこととし、他方、北朝鮮が挑発的行動に出る場合には、強制的に抑止を図る道に移行することが適切であるとしている。
 米朝は、既に98年9月の米朝協議後の声明において、対話を継続することで一致しており、また、北朝鮮は、米朝間の協議が行われる間は、ミサイルの発射を行わない旨を表明している。その後、米朝協議が行われており、北朝鮮のミサイル問題や米朝「枠組み合意」の履行状況に関する協議が行われることとされている。また、米国は、99年9月に発表した対北朝鮮経済制裁の一部緩和を実施に移し、北朝鮮も米朝間の協議が行われる間は、ミサイルの発射を行わない旨を再度表明している。こうした過程を通じ、北朝鮮の核及びミサイルをめぐる問題が解決の方向に向かうことが期待されていた。

しかし、021115日、北朝鮮が自ら認めた核兵器開発計画を放棄しない限り、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)米朝枠組み合意に基づく重油提供を12月から凍結することで合意した。

北朝鮮11月18日は、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)に対して、提供重油の利用を監視する国際査察団の受け入れ拒否を通告した。

 

第四節 北朝鮮と中国の関係

中国との関係については、近年、両国間の貿易が減少傾向にあるなど、冷戦期と比べ疎遠化を示す事象も見られた。しかし、99年6月の金永南最高人民会議常任委員会委員長の訪中以降、中朝間で外相の相互訪問が実現したほか、2000年5月には、北京において金正日国防委員会委員長が江沢民国家主席などと会談し、食糧及び物資を無償で中国が北朝鮮に供与することが合意されるなど、関係改善の動きが活発化している。

また、北朝鮮は今年の7月に、価格や給与の改定を含む大規模な経済改革を実施しており、アナリストらは、特別行政区指定の発表について、試験的な市場改革の一環だとみている。

北朝鮮が2002年9月20日までに中国との国境の都市、新義州[9]を「特別行政区」に指定、基本法を制定した。事実上の経済特区とみられるが、中央直轄としながら立法権や行政権を付与し、立法会議議員に外国人の参加を認めるなど“一国二制度”ともいえる大幅な改革だ。機構や法体系などは香港と酷似しており、香港をモデルに外資を誘致、経済難の打開を狙っているとみられる。一帯の大幅な改革・開放や資本主義流入につながる可能性もあり、注目を集めている。北朝鮮の経済特区では1991年に指定された北東部の羅先市(羅津市と先鋒市が合併)があるが「特別行政区」は初めて。北朝鮮は、中朝国境の新義州市(平安北道)に創設する特別行政区の初代行政長官に、中国系オランダ人の実業家、楊斌(ヤン・ビン)氏を指名した。

楊斌氏(39歳)は、23日に平壌で記者会見し、特別行政区の長官に就任する、と発表した。特別行政区は、132平方キロメートルの用地に建設され、独自の立法権と司法権を持ち、通貨は米ドルを採用する。特別行政区の主要産業は鉱工業や金融となるが、賭博も認可される。

また、輸出入の関税は免除され、所得税率は約14%、北朝鮮の居住者以外は誰でも査証なしで渡航できる。現在、同地区に居住している50万人は、今後2年以内に、国内の他の地域に移住させられるという。

しかし、10月4日中国の警察当局は、脱税容疑で、北朝鮮の新義州(注1)特別行政区の初代行政長官に任命された楊斌氏の身柄を拘束した。中国政府が脱税などの容疑で家宅軟禁中の楊斌・新義州特区長の財産を没収し、近く国外に追放するという方針を北朝鮮当局に通知したと、政府の当局者が1030日述べた。

20021112日までに、北京で時事通信のインタビューに応じた。中国の丹東市の党委書記は北朝鮮が「特別行政区」に指定した鴨緑江対岸の新義州について「特区建設はまだ始まっていない」と述べ、行政長官に任命された実業家、楊斌氏が中国公安当局の調べを受けている問題が響き、事実上の頓挫状態にあることを明らかにした。

 

第五節 北朝鮮とロシア

ロシアとの関係は、冷戦期と比べ疎遠化していたが、今年2月に、ロシア外相としては冷戦後初めてイワノフ外相が北朝鮮を訪問し、従前の条約に比して軍事協力色は薄くなったと伝えられているものの、「露朝友好善隣協力条約」に両国が署名した。

北朝鮮の金正日労働党総書記は9月20日特別列車でロシアとの国境を越え最初の駅ハサンに到着した。金総書記のロシア訪問は、昨年夏にシベリア鉄道を経由しモスクワを訪れて以来二年連続。

これらからみると、ロシアとの関係改善の動きが見られる。

 

第六節 南北朝鮮の統一

1.韓国の太陽政策[10]

 韓国現大統領金大中は平和統一論を主張している。平和統一論を支えるのは、国際主義と民族主義である。それは1971年、野党候補として大統領選に初挑戦した際、分断された自らの民族の平和統一へ、周辺の米国、中国、日本、ソ連(ロシア)と協力し合おうという「四大国共同の安全保障」論を提唱して以来、一貫して変わらない金大中氏のアイデンティティーである。

 大統領就任後、周辺四大国の首脳に直接、「太陽政策」への理解を求めて支持を取り付け、一方で「韓国経済には北を抱え込むだけの能力はない」と言い切って北に粘り強く働きかけ、ついに金正日総書記の心も開かせたのだった。

 分断国家にあって、統一は民族主義と強く結びつくのは当然だと金大中大統領は言った。

 金大中大統領は、「統一は20年かかろうと30年かかろうと、必ずや平和的な方法で達成されなければならない。再び戦争になれば、朝鮮半島は焦土と化し、わが民族は致命的な打撃を受ける」と繰り返し強調している。  

金大中氏の「太陽政策」は、長年をかけて練り上げた独自統一構想「三段階統一論」の核心をなす「漸進的な平和統一論」を中心に組み立てられている。 三段階統一論を一言でいえば、「南北連合」→「連邦」→「完全統一」の三段階で朝鮮半島を統一しようという構想。大統領就任以来、第一段階の「南北連合」への条件整備にねらいを定めた対北朝鮮政策を進めてきた。 

2000年6月13日・南北首脳会談が開かれた。

 6月13日韓国金大中大統領が北朝鮮の首都平壌を訪れ、3日間にわたる南北首脳による会談が始まった。

初日、第一回目の会談では、双方とも随行委員会を伴っての話し合いがなされた。2人は、両国の首脳同志の連絡が他国や他の機関を通さずに直接伝わるよう、両国間のホットラインの設置で合意した。そして何よりも、民族の和解と協力を図っていくことに同意した。

 そして2日目、金総書記が、韓国への亡命者や、北朝鮮出身者について意見を述べたり、その夜開かれた金大統領主催の晩餐会に総書記自ら出席するなど、緊張感の解けた一日となった。そして両国は、以下の4つに同意した。@和解と統一A緊張緩和と平和定着B離散家族の再会C経済・社会・文化など、多方面での交流協力両首脳は「南北共同宣言」に署名した。

  そして15日、金総書記自らの見送りで金大統領は韓国へ帰国、23日の訪朝は幕を閉じた。

南北首脳会談を契機として、南北間の対話と交流が大きく進展した。
 去年9月に開催された第6回南北閣僚級会談が何ら合意に至らず終了して以降、南北関係は一時停滞したが、今年4月上旬、韓国大統領特使として訪朝した林東源外交安保統一特別補佐役は、金正日総書記と会談し、これまで一時凍結されていた南北関係を原状回復することとし、@南北間の鉄道及び道路の連結、A第2回経済協力推進委員会の開催、B第2回金剛山観光活性化当局間会談の開催、C第4回離散家族訪問団交換等に合意した。
 この合意を踏まえ、4月末及び5月初めに金剛山で離散家族の再会が行われたが、北朝鮮側は、57日からソウルで予定されていた南北経済協力推進委員会を延期する旨表明、また、611日から金剛山で予定されていた金剛山観光活性化当局間会談は、北朝鮮側から何らの連絡がないため、開催されていない。[11]

 

2.南北朝鮮はどうなるか?

 朝鮮半島においては、現在、韓国と北朝鮮を合わせて150万人程度の地上軍が非武装地帯を挟んで対峙している。このような軍事的対峙の状況は、朝鮮戦争終了以降続いており、冷戦終結後も基本的に変化していない。

第二次世界大戦の結果生まれた代表的「分裂国家」のうち、すでに南北ベトナム、東西ドイツがそれぞれ独自な経過を辿って統一された。残る朝鮮が一体どんな経過を取って統一されるかはまだ予断ができない。

2−1 北の崩壊自滅を契機とする南への吸収統一(ドイツ型)

例えば北に新政権が誕生して、Bに転化する可能性も大きい。

・ドイツ統一:

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線末期。東からはソ連軍が、西からはアメリカ・イギリス・フランス軍がドイツに侵入、各地で激しい戦いを続けた。結局ソ連軍占領地域と米英仏軍占領地域が別々の国として独立することになった。翌年ソ連の占領地域は「ドイツ民主共和国」として独立、一方の米英仏の占領地域は「ドイツ連邦共和国」として独立した。こうしてドイツは朝鮮・ベトナムとともに冷戦による「分割国」となってしまったが、その東西の経済力の差はあまりにも明確だった。何十年の長い長い不自然な状態が解消されたのが1990年10月3日であった。当初東ドイツ政府は西ドイツとの対等合併を模索していたが、それでは時間がかかるため、国民の声により東ドイツの各州がばらばらに西ドイツに「加入」するという吸収合併方式で進めることになり、この日実現したものだ。

2−2 北の武力侵攻による南の征服統一(ベトナム型)

この場合、北の武力侵攻が@の北崩壊に転化する可能性も大きい。

・ベトナム統一:

第2次大戦後、フランス植民地からの民族独立運動のなかでベトナムは北と南に分離し南ベトナムは内戦化していたが、共産化をおそれた米国はこの戦いに介入、1964年8月に米艦が攻撃を受けたとする「トンキン湾事件」以降、南ベトナム民族解放戦線を支援する北ベトナムへの爆撃の機会をねらっていた。この日を皮切りに北ベトナムへの空爆を順次拡大、米は圧倒的な軍事力で民族統一運動を押さえ込もうとしていった。1968年アメリカ国内での反戦運動高まるので、ジョンソン大統領退陣表明した。1970 ラオス・カンボジアへの攻撃開始して、1969年から71まで300万トン以上の爆弾投下した。1975年ベトコン・北ベトナム軍サイゴン陥落した。1976年に南北ベトナム統一して、「ベトナム社会主義共和国」を建立した。

ベトナム統一の主体は北ベトナム共産党であった。

2−3 北の政変――政策転換による両体制温存統一(一国家二制度、二国家連合)などあるが、朝鮮の場合必ずしもこれらの型にあてはまるという保障はない。まったく予想を絶した時期に、今からは想像もできない形での統一が実現するかもしれない。

 

第七節 北東アジア多国間協力の望み

 朝鮮半島は、2000年6月の南北首脳会談以来、分断後最大の転換期に差し掛かっている。金大中大統領と金正日総書記との会談による高度の政治決断は、朝鮮半島における緊張緩和と北東アジアにおける新しい地殻変動をもたらす歴史的な出来事であった。

 地域経済協力の進展により共同市場、単一通貨の経済同盟、さらに政治統合をも目指すEU(欧州連合)、NAFTA(北米自由貿易地域)、AFTA(ASEAN自由貿易協定)などに比べて、北東地域には、欧州や北米に見られる他国間システムはいまだ存在せず、経済、政治、安全保障の分野でも、二国間体制があるだけである。北東アジア地域では、南北朝鮮の分断に象徴される冷戦構造が依然として残っており、体制を異にする国家間の貿易、投資、人的の交流は厳しく制約されている。

 朝鮮半島の分断から発生する北東アジア地域の軍事的緊張、経済的困難、政治的対立を克服して、この地域により、安定した国際秩序を構築しなければならない。こうした国際秩序を創り出し、維持するためのコスト、すなわち他国間協力と危機管理の負担を共有することによって、安定秩序の基盤が築かれよう。

 北東アジア多国間協力と地域統合への動きは、朝鮮半島をめぐる安定的な国際秩序の制度的枠組みの構築を焦点として、その利害の対立と強調のシナリオを交差させている。利害対立を超える戦略的協調の望みは、第一に、経済の相互依存と潜在的補完関係の掘り起こしによって、紛争要因を除去し、開かれた地域経済圏を構築する道である。第二に、自由な経済交流を可能にするためには、国家権力による政治的阻害要因を除去し、相互信頼を確保する国際制度を構築することである。そして第三は、経済的繁栄と政治的安定を可能にする対話と交流の多角的パートナーシップを育成、発展させることである。

 多国間協力を阻む危機的要因はあまりにも大きい。しかし、協調と戦略のパートナーシップによる危機克服の可能性もまた少ない。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

このレポートを書いた感想

最近、ほとんどの毎日のテレビと新聞に北朝鮮に関するニュースを載せている。自分が選んだ「朝鮮問題の帰結」というレポートに何を書くか、ずいぶん長い間悩んでいた。先輩野々村由里さんは朝鮮半島の歴史を主として、「中国と朝鮮半島」を書いた。朝鮮半島はこの2,3年に多くの問題を出した。特に北朝鮮は今年、日本との史上初の首脳会談、日本人に対する拉致問題、中朝国境の新義州市に特別行政区の創設、北朝鮮核兵器開発計画を放棄しないなど一連の事件を中心として書くことにした。

 

 

 

 

 

 

参考文献:

『北朝鮮農業の現況』鈴木典幸

――アジア研究所・アジア研究シリーズNO.33「南北朝鮮統一の展望(下)」  (20003月)

『朝鮮半島の新情勢と北東アジアの多国間協力』斎藤志朗

――アジア研究所・アジア研究シリーズNO.39「南北朝鮮統一の条件(上)」

  (20013月)

『中国と朝鮮半島』 野々村 由里(李ゼミ論集第3号「周辺から見た中国」)

『朝日新聞』週刊   2002年9月25日発行

『日本経済新聞』   2002年10月9日

http://channel.goo.ne.jp/news/topics/index/topicsname10559.html

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/korea/data.html

http://www.jda.go.jp/j/library/wp/2000/honbun/at1201030200.htm

00E2501 楊秀潔


 
私は、1999年4月に日本に来ました。愛知大学短期大学部留学生別科で一年くらい日本語を勉強したあと、2000年4月に愛知大学経済学部に入りました。大学に入ったあと、自分が将来何をしたいの、そのために何を勉強するべきなのかよく考えます。
 私は、中国からの留学生なので、中国が改革開放以後、著しい変化をとげてきたのがわかります。ここ数年続くGDP成長率7%を超える高度成長に加え、2008年夏季五輪の北京開催決定、WTOへの加盟など世界最大の発展途上国であり、13億人の人口と広大な市場を抱える中国が全世界から注目を集めています。中国への進出、あるいは投資が世界各国の企業や投資家の一大テーマとなってきます。また、アメリカで発生したテロ事件は、全世界の経済に大きな影響を及ぼしており、中国経済もマイナスの影響をうけました。だから、中国の経済発展はどうなのか、中国経済はいかにして世界経済システムに組み込まれるのか、先生のゼミの研究テーマは「中国の経済発展と国際環境」ですから私も興味を持っています。
 今年の春学期に先生の「中国経済論」という授業をうけました。先生はすごくやさしくて、学生に関心を抱くと感じたのでゼミに入りたいです。
 私の趣味は歌を聞きながら小説を読むことです。日本に来る前に、休日や祝日などあまり家を出ない日は、家で歌を聞いたり、小説を読んだりしました。しかし、今は暇がないので、あまりできません。
 私も旅行が好きです。残念ながら、中国では故郷を除いて北京と瀋陽しか行ったことがありません。日本に来た後は、毎年留学研修旅行に参加しました。また、時々友達と一緒に旅行に行き、愛知県の香蘭渓に紅葉を見にいきました。午後3時くらいに学校を出て車で3時間かけて夕方6時に香蘭渓に着きました。まだ、時期が早かったらしく紅葉はまだ赤くなってなかったですが、ここはライトアップしていたのでとてもきれいでした。一番うれしかったことは、ある店に本物の「刀削面」を食べました。中国の南京から来た7人の料理人が作った「刀削面」を食べて、中国語でゆっくりしゃべっていました。その後、山に登りました。あの日は寒かったけど、汗をいっぱいかき、写真も撮りました。とても楽しかったです。旅行は、ストレスを発散させ、気持ちよくさせてくれるので大好きです。
 私は先生のゼミに入りたいです。先生のご指導をいただいて目標にむかってがんばりたいです。

 



[1] 最高人民会議は、選挙により選出された代議員により構成される意思決定機関で、北朝鮮の憲法では「最高主権機関」であるとされる。

[2] 国連食糧農業機関(FAO)は、99年の北朝鮮における食糧需要量は476万トン、食糧供給量は347万トンであり、不足量が129万トンある旨発表している

[3] 例えば、土地改良事業の推進、ジャガイモ生産の拡大、中小の水力発電所の設置、工業生産部門の改編、98年の憲法改正における個人所有の一部拡大などの動きがある。

[4] 「北朝鮮は、『枠組み合意』の成立以前に、少なくとも1個の核兵器を製造するのに十分な量のプルトニウムを製造したと信じられている」(97年の米国防省「拡散・脅威と対応'97」)との指摘があり、また、「北朝鮮が、場合によっては一つか二つの核兵器を製造する能力を有している」(昨年のペリー北朝鮮政策調整官記者会見)との指摘もある。

[5] 「保障措置協定を完全に履行」とは、北朝鮮が、IAEAとの間で締結した保障措置協定に基づき、特別査察を含むIAEAの査察を受け入れることとされている。

[6] 例えば、北朝鮮のノドンないしその関連技術が、イランやパキスタンに対して移転されている可能性が指摘されている。

[7] ASEAN地域フォーラム。ASEAN諸国を中心としたアジア太平洋地域の安全保障にかかわる各国外相及び機関が参加して、同地域内全般の政治・安全保障問題について意見交換を行う多国間安全保障対話の場(93年創設)。

[8] 「北朝鮮の全般」はhttp://www.jda.go.jp/j/library/wp/2000/honbun/at1201030200.htmを参考とした。

[9]  新義州は、鴨緑江をはさんで中国と接する国境の町。現在復興作業が行われている韓国と北朝鮮間の2鉄道のうち1つの路線が走っている。

[10] 韓国の金大中大統領が北朝鮮にとってきた政策で、経済援助の実施など北朝鮮に柔軟な姿勢で臨むというものである。旅人のマントを脱がすには冷たい北風よりも太陽の日差しの方が効果があるというイソップの物語にちなんで名付けられた。

[11] 「南北関係」はhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/korea/data.htmlを参考とした