第10章 産業空洞化と対中企業進出

『自立した企業への挑戦』

 

          00E2014 伊藤 祐介

 

                                    

はじめに

日本企業は1970年の中頃以降、継続する円高に災いされ、コスト競争力を確保していくために、「安くて豊富な労働力」を求めアジアに向かい、「輸出生産拠点」を形成してきた。そして世界戦略を構想していく場合、中国のポジションはきわめて重要であることが理解され、ここ10年本格的に中国に進出してきた。しかしこういったことによって日本の経済活動が成長する反面、国内の生産活動が衰退し産業空洞化がおこっている。そして中国のWTO加盟によって、より一層産業空洞化の問題が深刻になると予想される。

 

第1節 産業空洞化とは

 企業が直接投資を通じて生産拠点である工場を海外に移転させることで国内の工場が減少するとともに雇用、生産が減少し、さらには技術力が低下し、イノベーションが停滞し、経済成長が鈍化する現象とされる。

 

1.産業空洞化の背景

 これまで東北地方においては労働集約的な「量産型」の工場立地が盛んに行われた。そうした背景には、企業にとって安価で豊富な労働力と土地の確保が必要であったことはもちろん、首都圏における人口集中、地価高騰、サービス経済化の進展によって労働力の確保が困難になったことに加え「工場再配置促進法」(1972年)等、制度的な要因もあった。ところが、90年代以降、そうした大規模工場の進出はアジア諸国の中でも成長著しい中国を中心に進められ、それと共に東北地方においても基幹産業である電気機械産業を中心に産業空洞化が懸念されるようになった。

 

第2節 空洞化の現状

2−1 対外直接投資により加速する空洞化

 こうした企業による地域間の工場立地選択に変化は、図1に示した対外直接投資件数と国内工場立地件数の推移を見ると明らかである。電気機械産業における日本のアジアに対する直接投資は80年代後半以降から増加し始め、特に90年代以降は、ASEANおよび中国への直接投資が大幅に増加している。中でも対中直接投資件数は1991年以降から95年のわずか4年でおよそ4・5倍増加しており国別に見た場合最も多くなっている。このように中国に対する直接投資が90年代に入って増加した背景は、@円の対米ドル為替レートが輸出関連企業の採算レートを上りはじめ、企業の国際競争力が低下したこと、Aそれにより、さらに安価で豊富な労働力の確保が必要になったこと、B1979年に始まった中国の改革、開放政策により、中国における投資環境が比較的整ってきたことなどが考えられる。

 このように急速に生産拠点が中国へ移転される一方で、東北地方における新規の工場立地数は90年代以降急激に減少し、1990年にはわずか25件にまで減少している。


東北地方においては、80年代まで堅調に工場立地が進んできたため、産業空洞化現象は一般に懸念されるほどではなかった。しかしながら、90年代に入ると中国への投資が増える一方で、東北地方の工場立地が減少するという逆転現象が起きたことにより、首都圏からの盛んな工場誘致によって支えられてきた東北地方の電気機械産業はにわかに空洞化が懸念されるようになったのである。

 

 

 

 


2−2 工場の減少

 東北地方はすべての規模において事業所数の減少率が全国平均値を上回っている。また、規模が小さくなればなるほど減少率は大きく、最も規模も小さい「4〜99人」規模の事務所ではマイナス26,9%となっている。さらに、こうした傾向は年々悪化しており2002年時点では「全体で」マイナス32,6%と3年で7,3ポイント減少している。このように東北地方における事業所の減少率が全国平均を上回っている要因としては、前途でしたように東北地方においては労働集約的な「量産型」工場が相対的に多かったことが考えられる。すなわち企業が円高に伴って低下したコストパフォーマンスを回復するために、生産機能のみをもつ「量産型」工場を中心に中国へ移転させることで対応したため、これまでそうした工場の集積が進んできた東北地方の減少率が高くなったと考えられる。また、大規模工場よりも中小規模の工場の減少率が相対的に高くなっている。確かに、新企業からの要請によって海外に進出した工場の事例も中にはあったが、こうした企業のほとんどは国内の工場をそのままに残して進出していったし、数的にもそれほど多くはなかった。むしろこうした減少の大部分をしめるのは、相次ぐ親企業の海外進出に伴ってこれまで培った下請け、協力工場間係が崩壊すると共に、急激な経済環境の変化に対応しきれなかった経営基盤の弱い中小企業であると考えられる。

 このように、東北地方における工場の減少は大規模工場の閉鎖、それによる中小規模工場の連鎖的な閉鎖という経路をたどってきて起きているといえる。

 

従業者規模別事業者数の推移(電気機械)

 

4〜99人

100〜299人

300〜

全体

青森

9.2

4.4

33.3

9.5

(−15.3)

岩手

28.6

16.4

5.6

26.8

(−38.2)

秋田

28.5

9.7

13.0

25.5

(−28.1)

宮城

29.2

22.2

17.9

28.1

(−35.7)

山形

27.9

17.3

3.4

26.3

(−36.1)

福島

26.8

18.3

11.9

25.5

(−31.1)

東北

26.9

15.9

12.5

25.3

(−32.6)

全国

23.0

14.3

8.7

22.1

(−24.5)

(  )内は2000年までの数字           資料出所:経済産業省「工業統計表」

 

2−3 雇用の減少

 『工場統計表』によれば、『従業者4人以上の規模の事業所』の従業者数は、規模・外孫工場の減少が共に目立つ1991年から94年にかけての減少が最も多く、マイナス14,1%を6,3ポイント上回る結果となった。既存工場の減少が全国平均を上回っていることと併せると、雇用面での空洞化現象も確認できる。

また、総務庁統計局『事務所統計調査所報告書』によれば、この時期の男女別従業者数の変化は、男性がマイナス4,6%[約6千人減]であることに対し、女性はマイナス28.7%[約4万5千人減]となっており、特に女性労働者の減少が目立つ。1991年時点では東北地方の電気機械産業は国内でも唯一女性労働者の割合いが高い地域にあったことを考えると、雇用面での空洞化減少は女性労働者を中心に生じているといえる。

授業者数の推移(電気機械)

 

1986〜1991

1991〜1996

1996〜2000

 

青森

34.3

6896

11.5

2328

2.4

433

岩手

21.1

8149

17.9

6829

7.5

2352

宮城

6.5

3304

28.0

14279

1.8

672

秋田

14.6

4940

19.9

6688

7.9

2120

山形

6.2

3137

17.2

8719

4.7

4669

福島

9.0

7222

21.3

17190

7.4

4669

東北

12.2

33512

20.4

56023

3.3

7117

全国

5.9

117230

14.1

280103

7.6

129101

                        資料出所:経済産業省「工業統計表」

 

2−4 付加価値生産額の減少

 1991年から99年にかけて、付加価値生産額の推移を物価変動の影響を取り除いた実質ベースで見ると、東北地方はマイナス22,5%を大きく下回った。これは、東北地方において80年代までに造られた工場が当時の新鋭工場であったため、全国と比較してもすぐに閉鎖へと結びつきにくく、また、旧型の工場においても生産ラインの自動化、高付加価値製品製造への移行が進められたために相対的に減少率が低くなったと考えられる。とはいえ、1991年時点で対前年比成長率がプラスであったのに対して、99年時点ではマイナスへと転じている。付加価値生産額の面でも空洞化現象が現れているのである。

(第1,2節〈図も含む〉 http://www.sfsi.co.jp/report/souken/26-29.pdf                                                    産業空洞化を乗り越えてから引用)

第3節 国内投資環境の重要性と整備

 わが国政府は、企業の自由なビジネス環境を保障しろ国内投資環境の整備を行う必要がある。こうした投資環境の整備は、わが国市場の魅力を高めることを信じて、外国企業による対内投資の促進にもつながる。対内投資は、多くの場合、資本だけではなく、新たなビジネスモデル、新技術・新素材及び経営ノウハウといった企業の貴重な経営資源が国境を越え、国内雇用を創出するとともに、企業内取引の活発化により両国の経済関係を拡大させる。また、国内における競争を活発化して経済効率化ならびに産業高度化を促す。こうした結果、投資受国入国たる日本の経済活性化に好影響を与える。

 近年、株価や地価等の下落や規制緩和の進展等の結果、日本への直接投資が増加する傾向にはあるが、日本の対内直接投資残高は、GDP比で1.2%と欧米諸国に比べてきわめて少なく、更なる対内投資の促進策が求められる。

 具体的には@エネルギー、物流・流通・通信及び社会資本整備等の効率化・低コスト化A実行法人税率の引き下げや投資優遇税制を含む税制改革Bより柔軟な会社法の設備、C行政鉄好きの簡素化・迅速化・恣意性の除去、D規制改革特区を含む地方自治体による創意ある取り組み支援、E港湾・税関における通関手続きの簡素化・合理化・迅速化、F公営事業の民間事業体への委託の推進、G資本市場を含む制度の整備及びHわが国規格・認証の国際基準との整合化の推進等により国内投資環境を整備すると共に、対日投資の促進に向けてI中央及び地方政府による対外的な広報活動の拡充及びJ投資関連情報のワンストップ・サービス提供体制の確立等が求められる。

こうした政策が実施されれば、日本企業による設備投資の増大や新しいビジネスの創出に加えて、日本企業の合併・吸収を含む対日投資の促進にもつながる。

また国境を越える投資は、投資家や幹部職員等、企業の重要な経営資源である人の移動を伴う。日本に国籍を問わず優秀な人材を積極的に招致する観点からも、企業内移動を含めた一時的な人の移動を円滑にする制度を整備する必要がある。

(第3節 http;//keidanren.or.jp/Japanese/poricy/2002/042honbun.htmi 

             国際投資ルールの構築と国内投資環境の設備を求めるから引用)

 

第4節 産業空洞化と中小企業の行動

 産業空洞化により国内の中小製造業は生産面・雇用面で大きな影響を受け、中小製造業の取引関係を基礎としたネットワークも弱体化しており、特に下請け企業への影響が懸念されている。

しかし、このような状況に対し、各企業は個別の努力,例えばリストラ、経営革新等などによって対応しています。特に、下請け企業を対象とした調査によれば、高付加価値製品開発への取組みや、製品の低コスト化等の経営革新型の対応をしている企業においては、足元の売上が好調に推移している企業も少なくない

 


資料:(財)全国下請企業振興協会「産業の空洞化に伴う下請企業への影響に関する実態調査」 (2002年1月)

〈第4節〈図を含む〉 http://www.jfs.go.jp/publish/info/no293.html 

                      産業空洞化と中小企業の行動から引用)

 

4−1 地域の中小製造業が1割以上海外生産


 日本を代表する中堅、中小製造業集積地10地域の10社に1社以上が生産拠点を海外に移している。いずれの地域も海外生産している企業の割合が前回調査から高まっており、例えば地域別で特に諏訪は25.0%と最も高く、4社に1社が海外進出していることになる。諏訪は主な取引先が東アジアに生産移転している割合が最も高く、親会社などのアジア進出で、下請企業も地域ぐるみで海外への生産移転を加速させている。次いで半導体関連企業が多い山形が18,0%二輪車メーカーの下請企業が多い静岡県浜松地域が15.4と高くいずれも前回調査から大きく上昇したのが特徴である。日立4.9%、門真6.9%、北九州8.1%はいずれも上昇したものの、海外進出の割合は低い。業種別では精密機械が20.5%と最も高くなっている。

(4−1〈図を含む〉 http//www.Nikkei.co.jp/rim/tiiki/youhou/3/3seisaniten.htm                       地域の波動を伝える「日系地域情報」373号から

    製造業の東亜アジア生産移転と下請中堅・中小企業の集積10地域への影響から引用)

 

第5節 中国への進出

 90年前後から中国への進出が活発化する。中国側は79年から経済改革、対外開放に踏み出すなど、30年間続いた経済的な意味での「鎖国」を解き、外貨の受け入れを積極化させてきた。特に、深川、夏門等の4つの経済特区に加え、中国の長い海岸線に面する大連、青島、上海、波寧、温州、広州等の14の都市を「沿海開放都市」として、外資受け入れの基盤設備を進め、さらに、際立った税法の上の優遇措置等を提示してきたのである。いわば、中国は国際社会に復帰するにあたり、他の東アジア書各地域の発展を参考にし、そして、外貨を大量に導入しながら、「両党在外」を目指していった。

こうした中国の受け入れ体制設備に対して、日本側はやや慎重であったものの、ようやく80年代中ごろから進出を開始する。ただし、その場合、日本企業の進出先は、中国側が用意する4つの経済特区や14の沿海開放都市の中でも、明らかに大連、上海、深川周辺の3つの地域に集中していった。それは、日本企業当初のアジア、中国進出は、先に指摘したように「安価で豊富な労働力」を求める「輸出組立基地」の形成であったため、立地上の最大の要件は「港湾」能力だったためである。

現在の中国の長い海岸線の中で、最大の「港湾」能力を有しているのは香港であり、それに隣接する深川及び、その周辺の広東省南部は進出先として注目された。そして、この香港のほかに中国国内の港湾で、当面、一応のレベルと認められるのは、明らかに大連港上海港であり、この3つの地域の周辺が、日本企業の進出の焦点とされたのであった。特に、大連は戦前からの関係もあり、日本企業の対中進出の第一番目の着地点とされたことはよく知られている。また、こうした傾向は、必ずしも日本企業のだけのものでなく、各国の企業も当初は「安価で豊富な労働力」を求める「輸出組立基地」の形成を意図しており、やはり、港湾条件に優れる大連、上海、深川周辺へと終結したのであった。

そして大量の外資が進出され中国のそうした地域を飛躍的に発展させ、中国の改革・開放に重大な影響をあたえていくのであった。

 

5−1 セットメーカーの進出

 こうして大連等の港湾都市は発展の方向に向かったが、物流条件の悪い内陸には外資が進出せず沿海と内陸との格差が広がっていった。例えば最も繁栄している上海市あたりと、内陸の四川省とでは一人あたりGDPで約6倍、最低の貴州省あたりとでは約10倍の格差があるのである。それゆえ、内陸の主要都市の指導者との会談では、常にこの問題が持ち出され停滞は外資がこないからだとされ内陸主要都市は外資の勧誘に走ることとなった。

 他方、日本国内市場の成熟化、停滞のまなざしが濃厚であり、円高で対米輸出もままならない家電、音響、バイク等を生産する日本企業は、最後の潜在的巨大市場を意識させる中国の勧誘に強い関心を示し、次々と応じていった。その際、かつてのような「輸出組立基地」という位置ずけではなく、「中国市場」が対象であることから、立地選択の幅は広がり、むしろ、中国国内の物流条件等のよい都市が選択されることとなる。例えば、長江を約2,500キロメートル内陸の四川省重慶にヤマハ、ホンダ、スズキ、という日本のバイク3社が進出したと事などは象徴的である。重慶は、安全保障上、重工業を内陸に強制移転させたという「三線建設」の際の主要な受け皿のひとつであり、基盤産業が比較的整っていることに加え、中国全体を見渡した場合、物流拠点としても興味深い都市ということになろう。こうして、日本の家電、音響、バイク等のセットメーカーは90年代に入って、いっせいに「中国市場」を視野に入れて、内陸への進出の構えを鮮明にしていったのである。

ただし、その場合、国内販売によって得られる「人民元」は依然として外貨との交換性を保有していない。この問題は「必要外貨は自分で調達する」という「外貨バランス問題」とされ、以前から外資進出の大きなネックとされていたのだが、内陸の主要都市は、特例として「必要外貨は保証する」とし、積極的な勧誘を進めていった。そして、中国の交通ネットワーク上の拠点である審陽、西安、武漢、重慶、抗州等の主要都市は、90年に入ってから、外資の進出が活発化するものになったのであった。

 

第6節 21世紀初頭の中国の課題

6−1 中・西部地域の開発

1998年末の江沢民主席が来日した際、「日中両国の21世紀に向けた協力強化に関する合意事項」がプレス発表された。「通商産業省及び国家発展計画委員会は、中国各地域の均衡ある発展のため、中国内陸部の開発が重要であるとの認識を共有し、双方の密接な連携の下、官民一体となった内陸部開発協力を実施する」とした。

さらに、99年に入ってからは、中国の国家戦略として「中・西部地域開発」の大号令が出され、中国における地域間の格差の是正が大きく取り上げられている、それは沿海地域がこの20年間の改革・開放により飛躍的な発展を示したのに対して、それ以外の地域が取り残されているとの判断よるものである。今後の中国の均衡のとれた発展において、内陸、あるいは中・西部開発は緊喫の課題になっている。それは21世紀の中国にとっての最大の課題であることが深く理解される。

 なお、その場合、今昨の中国国内の論調を見る限り、「西部地域」への関心が強く、残念ながら、東北地方、内モンゴルがあまり話題に上がってこない。日本にとって長い間にわたって交流を積み重ねてきた東北地方、内モンゴルとの開発協力を、今後、どのように進めていくのか、それほど遠くない将来、日本、中国東北、内モンゴル、朝鮮半島、極東ロシアから構成される北東アジア地域は、新たな開かれた時を迎えることが期待される。その時を迎えるためにも、中国北東、内モンゴルの発展と日本との密接な協力は基本的な条件になることは間違いない。

 

第7節 日本を含むアジアの「ネットワーク」と「マニュファクチュアリング・ミニマム」による展開

 日本は、特殊技術、中間技術、基盤技術、で形成される「富士山型」のバランスのとれた三角形を形成してきたはずだったが、「基盤技術」の部門で、現在、歯槽膿漏的崩壊の危機に直面している。これは「技術の空洞化」であり、このことが「産業空洞化」に大きくかかわっている。事態を放置したままであれば、深刻な局面を迎えることが予想される。だが、現実のアジアをめぐる状況を冷静に眺め、これまでの「思い上がり」を捨て、次のステージで「自立的」に活動していくための枠組みを強烈な「意思」によって形成していこうとするならば、日本の「技術構造」の将来も特に暗いものとも思えない。ただし、それには、日本人全体に相当の「意識」の変革が求められている。そして、その場合、必要とされるのは、日本国内にとどまらないアジア規模の「ネットワーク」と「マニュファクチュアリング・ミニマム」の形成である。

 東アジアの各国地域の「技術の集積構造」は、その歴史的経緯と他勢的条件を反映してかなり個性的なものであり、むしろ、今後の相互関係の密接化の可能性を示唆している。例えば、「基盤技術」の欠落に直面している日本にとって、中国への依存は一層拡大するであろうし、また、そうした部門の充実を願っているASEANへの日本からのトランスファーも課題とされるであろう。さらに、「中間技術の」欠落に悩んでいる中国に対しては日本に加え、韓国、台湾、ASEAN,のいずれもが、それぞれの立場からの支援が可能である。そして、ハイテク化を願っている韓国、台湾、ASEANに対しては、日本、中国の科学技術の寄与するところが少なくない。

このように新たな相互関係の密接化、「ネットワーク」の形成が期待され始め、各国の固有の問題に悲観的になるのではなく、「新たな可能性」に期待をかけ、積極的にかかわっていこうとする姿勢が不可欠になっており東アジア諸国地域の「相互関係」の密接化は、赫々地域の産業、企業に新たな刺激を与え、地域全体の「活性化」を促すことになる。

特に、東アジアの中の最大不安定要素である中国が安定し、繁栄していくことは、東アジアの辺境に位置する日本ばかりでなく、朝鮮半島、台湾、香港、そして、ASEAN等の今後の繁栄の基礎的条件になる。

そして、こうした視野の広がりと同時に、各国地域の「自立化」が求められ「マニュファクチュアリング・ミニマム」が意識され、国や地域として、企業として「自立」しようとする姿勢が「エネルギー」を蓄積させる。そしてその「エネルギー」がない限り、国地域、さらに、企業としても独自の発展の道をたどることはできない。それは、国地域レベル、企業レベルだけの問題ではなく、例えば、日本国内の「地域」や、個人においても同様である。国境を越えて活動するという「積極性」に加え、周囲を尊重しながら「自立」の意識を鮮明にするという態度が求められている。そして、「自立」しようとするもの同士がお互いに交流し、支援しあうという構図が望まれる。

 

            

 

 


             特殊技術

 


             中間技術

 


             基盤技術

              日本                                 中国

 

第8節 産業空洞化に対する今後の日本の課題

「産業空洞化」の理論は、一般的には、円高に揺さぶられた産業構造調整の過程ととらえるものだったが、むしろ、一国・地域が自立的な産業展開をしていくためには、基礎としてのミクロな「基盤技術」の形成・維持が極めて重要な意味を持っている。「技術基盤」が十分に形成されていないならば、「高付加価値絵への転換」などは現実性をもちえないし、また、先の「アジアとの相互関係の深まり」も「技術基盤」が形成されない限り具体性を帯びないからである。

 しかし、国内では、そうした部門が明らかに1980年代中ごろからの「踊り場」状況の中で、「歯槽膿漏」的崩壊ともいうべき傾向を見せ始めている。それはこれまで日本の工業技術の多くには、「名人」といわれるほどの腕が良く「工夫」する心の豊かさを持っている「職人」が多数存在し、際立った高精度加工などを行ってきた。そうした方々の努力の積み重ねが、日本の工業技術の基礎を築いてきたのである。例えば、日本のプレス機械製造の頂点といわれているアイダエンジニアリングは、「技術基盤」を形成していくための「ものずくり」に定評があり、「設計と現場が一緒」を理念とし、現場技能者を大事にしてきたのである。

 しかし現状は、若い良質な人材が製造業に入ってくる可能性は極めて低く製造業で成り立ってきたはずの日本は、現場でまじめに働くことを馬鹿にしているのである。若者と製造業との距離は離れていっており、人的側面から製造業の発展基盤を突き崩してしまっているのである。若者たちの多くが、製造業に対して「プラス」のイメージを持ちえていないという状況を変えていかない限り、これまでの百年の先輩たちの努力によって形成されてきた基盤技術の厚みが失われていくことは避けられない。

ME化とマニュアル化によって技術が世界的に標準化の方向に向かっている現在、日本の製造業は独自の存在基盤を確保するため「工夫」する「こころ」を備えた若者が「ものづくり」に、関心を抱けるような社会的な環境図栗が不可欠とされる時代になってきている。

そして日本国内での「技術基盤」の維持発展を図ると同時に、アジアの各国地域がそれぞれ自立的に発展でいるための「技術基盤」の形成に協力し、「ひとつの平面」の上で濃密で刺激的な関係を形成していく努力を積み重ねていくことが求められている。長引く不況のなかで議論されている「産業空洞化」の懸念は、日本国内のあり方と、アジアとの新たな関係の形成についてもっとも重大な問いかけである。

(第5〜8節〈図を含む〉 関 満博 「空洞化を越えて」 日本経済新聞社 1997から参考)

 

調べを終えて

 産業空洞化は企業の海外進出によることのみで起こるものだと思っていたが、実はもう一つの理由として「技術基盤」の崩壊があることを知った。今後、アジアは一つの国としてとらえ、お互いの国どうし尊重し合い、助け合っていける関係にしていかなければならない。この関係を結ぶことが、産業空洞化の問題の解決につながるからである。そのためにアジアの国々は自立化を心がける必要があり、日本は、本来持っている日本人特有の技術の高さを伸ばし、伝統、文化を大切に残していくことが必要だと思った。

 

<参考文献>

http://www,sfsi,co,jp/report/souken/26-29.pdf

       産業空洞化を乗り越えて   

http://www.keidanren.or.jp/japanese/poricy/2002/042honbun.htmi

国際投資ルールの構築と国内投資環境の整備を求める

 ・http://www.jfs.go.jp/jpn/publish/info/no293.html

       産業空洞化と中小企業の行動

http://www.Nikkei.co.jp/rim/tiiki/tiikijyouhou/3/3seisaniten.htm

      地域の波動を伝える「日系地域情報」373号から

      製造業の東アジア生産移転と下請中堅・中小企業の集積10地域への影響

     関 満博 「空洞化を越えて」 日本経済新聞社 1997年

     関 満博 「日本企業/中国進出の新時代」  

00E2014 伊藤 裕介

 

 中国は世界貿易機関(WTO)に加盟することによって世界経済と一段と強く結ばれることに加え、政治面でもより責任のある立場になった。中国は社会主義大国であり、世界最大の発展途上国である。国際政治、経済システムにどう迎え入れるかは世界が直面する課題の一つになり、複雑な影響を世界経済に及ぼすことになる。加盟により中国企業が解放されることによって世界の企業がどのように活用していくか、そして日本政府、産業がどのようにメリットを生かしていくかをゼミを通して勉強していきたいと思ったので志望しました。あと、私は李先生の、中国産業概論の授業を受けていて、すごく興味があって楽しかったというのも志望動機です。私も、私の父もすごく自動車が好きでよく2人で自動車の話をしていました。昔と現在で、若者にどんな自動車が人気があったか、あこがれだったかとか、今後どんなタイプの車が売れ、どの会社が生き残っていくだろうなどです。李先生の授業を受けるようになってからは、もっと話がふくらむようになりました。

 私の趣味はサーフィンです。サーフィンはすごく楽しくすばらしいスポーツだと思います。理由はたくさんありますが、第一に自然を相手にできることがとてもすばらしいです。サーフィンを始める前は風や潮のことなんか全く気にしていなかったのに、サーフィンを始めてからは毎日気になるようになりました。あと個人スポーツなので自分が成長していくのが体で実感することができます。たしかに、はじめは海が怖くて体力的にも精神的にも、すごくつらくてそこでやめてしまう人もいるけど、それを乗り越えたら、もうやめられないです。サーフィンを通じていろいろな人と関りを持てるし、いろいろな場所へ行くきっかけにもなります。サーフィンは私にいろいろなものを与えてくれるすばらしいスポーツです。

 私は海外に旅行に行ったことがないし、心に残った旅行体験はないですが、旅行をすると一緒に行った人と親密な関係になることができます。今まで全然関りのなかった人とでも一緒に違った場所や雰囲気で過ごすことによって一体感が生まれるからだと思います。3年生になったら李先生のゼミを受けて中国への関心を深め、いずれ中国へ行き心に残るような体験をしたいと思っています。