6章 人民元ハードカレンシー化への過程と展望

『二つのターニングポイント:アジア通貨危機とWTO加盟』

                      

99E2427 森田 正幸

はじめに

黒田篤郎氏は著書『メイドインチャイナ』(東洋経済新報社、2001年)の中で中国の地域産業構造を「頭脳、上半身、足腰」と譬えられると記している。私はこのレポートでは黒田篤郎氏にならって中国・人民元を頭脳、上半身、足腰を巡り、動かしている血液に譬え、そしてこの血液の流れをコントロールする心臓を政府、外国為替管理局と譬えることとする。血液が体内からなくなると人間は死んでしまうし、流れが悪くなると体のどこかで支障をきたす。それと同じように国内に通貨が減少してしまうと経済は停滞し、投資がされないとその産業は衰退してしまう。体(国内経済)をより活発に動かすためには国内にある血液(自国通貨)の流れを促し、血液の量が少ないのなら他の人(他国)から血液(為替、投資)を取り込む必要がある。しかし、血液をただ取り込むだけでは危険であり、質・量ともに自分の体に合った血液を取り込むことが重要となる。心臓である政府、外国為替管理局がそのコントロールをしていないとすぐに国内経済に問題が発生してしまう。そして、中国が世界での存在感を高める中で他の人の体(国)にも適応させられる(ハードカレンシー化)血液(人民元)にしようと準備を進めていることが推測できる。そこで本論では東アジア地域における中国の血液・人民元、心臓・為替管理体制のアジア通貨危機、WTO加盟といった二つのターニングポイントによる変化を考察し、将来展望を示すことを目的としていく。

 

第1節 アジア通貨危機における中国・人民元の役割

 アジア通貨危機は自身の体力が弱かったこと、体内に外国資本というかたちで必要以上に取り入れていた国々の血液が一斉に抜かれたことが重なって起きたものだとされている。アジア通貨危機時において中国は体が健康だったことに加え、必要以上に体内に血液を取り込むことを抑え、質の良い血液(直接投資)だけを取り込み、同時に流出も防いだ。この結果、タイ、香港、韓国などのように通貨・金融危機の直接的な影響を受けることがなかったのである。

1.アジア通貨危機の概要

1997年7月にタイで始まった通貨危機は伝染的、ドミノ倒し的に東アジア全体を襲った。マレーシア、フィリピン、インドネシアの三カ国はタイの混乱から数週間後には通貨危機が波及しており通貨、株価は大幅に下落した。NIEs諸国のシンガポール、台湾、香港、韓国にもこの影響が及びシンガポールと台湾ではその下落率は比較的小さかったのだが、国際金融センターの香港では10月下旬には株価が大幅に下落し、韓国でもアジア諸国からの波及効果と国内事情により外国金融機関が資金回収を加速させ、国内金融機関の外貨流動性は瞬く間に圧迫をきたし外貨準備も枯渇が懸念される状態になった。

表1

1996年〜2000年のアジア各国のGDP実質成長率(%)

 

 

1996年

1997年

1998年

1999年

2000年

日本

5.1

1.6

-2.5

0.2

-0.3

韓国

6.8

5.0

-6.7

10.9

9.3

中国

9.6

8.8

7.8

7.1

8.0

台湾

5.7

6.7

4.6

5.4

5.9

香港

4.5

5.4

-5.3

3.0

10.5

タイ

5.5

-1.7

-10.8

4.4

4.6

フィリピン

5.7

5.2

-0.5

3.4

4.0

マレーシア

8.6

7.5

-7.4

6.1

8.3

シンガポール

6.9

8.4

0.1

6.9

10.3

インドネシア

7.8

4.9

-13.1

0.8

4.9

(資料)アジア動向年報1999、2000、2001、2002より作成

以上の表から明らかなように中国、台湾、シンガポールをのぞくアジア諸国は経済危機の翌年の1998年にはGDP実質成長率はマイナス成長となっている。

では、なぜアジア通貨危機は発生したのだろうか。アジア全体の原因としてあげられるのは、『大まかに整理すると、金融パニックのメカニズムを重視し、急激かつ大規模な国際資本移動の犠牲になったとする立場と、構造問題に象徴されるアジアの経済ファンダメンタルズの問題を重視する立場に分かれる。』[1]とされている。そして、この原因を特徴から詳しく分けるとタイ型、香港型、韓国型の三つの異なったパターンに分けられる。[2]

タイ型

@     90年代から年々積み重なった経常収支の赤字が96年にはGDP比8%にも達していた。

A     外国資本の流入促進をねらって93年に「バンコクオフショア金融市場(BIBF)」(用語解説1)設立などの内外資本移動の規制緩和が実施され、投資家から短期資本が大量に流入。海外から調達した債務のうち短期資本が四割を占め、その短期資本の多くは不動産投機の資金として運用され「バブル現象」を引き起こした。

B     ドル・ペッグ制(用語解説2)を採っていたタイ・バーツはドルが上昇したことにより実質以上に跳ね上がり輸出製品の価格の国際競争力が低下した。そして97年7月にバーツをドルと切り離し事実上のバーツ大幅切り下げである管理フロート制(用語解説3)への移行を余儀なくされた。

香港型

C     各国通貨が軒並み下落したことで香港ドルの相対的な割高感が強まる。

D     ドル・ペッグ制を採っていたタイやフィリピンが通貨を切り下げたため、同じくドル・ペッグ制を採用している香港も「通貨切り下げの可能性がある」という憶測が流れる。

E     以上の対外要因から香港ドルに対する大規模な通貨アタックが起こり、通貨アタックからドル・ペッグ制を防衛するためにカレンシーボード制(用語解説4)により金利を大幅に引き上げた。そして、この高金利政策は香港の中国返還バブルにより高騰していた資産価格の下落を招き、これに伴う逆資産効果(用語解説5)は個人消費にも悪影響を与えた。

韓国型

F     財閥の政官癒着による製品の輸出競争力の低下、金融機関の不良債権の拡大

G     輸出不振による外貨準備高の減少

H     以上の国内要因に海外の金融不安が重なり、外国金融機関が資金回収を加速させた。

ここで挙げた原因を背景としてタイ、香港、韓国はアジア通貨危機の影響を受けたのである。シンガポールは「香港型の危機」、台湾は「韓国型の危機」が当初予想されていたのだが、シンガポールは投資会社をチェックする機能や不動産投資に対する厳しい規制の整備、台湾は輸出によって貯えてきた先進国並みの高い外貨準備高を保有していたことと、自己資本比率の高い中小企業が高度な技術を基盤にして製造業に専念できたことが通貨危機の影響が比較的小さかった理由としてあげられる。[3]そして、最後に為替・金融市場の取引規制の通貨危機に対する効果を示すものとして、通貨危機後にマレーシアで採られたマハティール首相の資本取引規制を挙げたいと思う。マレーシアの経済政策にはブミプトラ政策(用語解説6)に象徴されるように民族問題が大きく関わってくるのだが、本論ではその問題を除くことにする。マハティール首相はアジア通貨危機の原因はヘッジファンドなどの「国際投機資本」に責任があると通貨危機当初から主張していた。そのため、国内経済を海外投機資本から守るために、98年9月1日から為替管理取引制限措置を設けた。そして翌日の9月2日には1ドル=3.80マレーシア・リンギとする固定相場制導入の旨が発表された。マハティール首相の一連の発言、為替管理規制、固定相場制の導入、高金利政策はIMFなどの国際金融機関、金融専門家などから「時代の流れを逆行するもの」として非難をあびた。しかし、この政策が国際的機関投資家からマレーシア通貨に対する攻撃をまもり、タイ、インドネシア、韓国などのようにIMF支援を仰ぐことなく、自力での経済再建をすすめ、リンギ相場の安定を保ったことは通貨危機に対応する一つのモデルとして挙げられるだろう。[4]

2.アジア通貨危機の中国への影響

アジア各国がアジア通貨危機の影響を受けているなかで、中国は最小限の影響(1997年と1998年のGDP実質成長率を比べると1%しか減少していない)しか受けていない。それはなぜか。以下の三項目が影響を最小限に抑えた理由として挙げられる。

@     輸出や直接投資の受け入れなど通貨危機当初までの実体経済面(ファンダメンタルズ)が良好であった。(国内的要因)

中国は94年から97年にかけて輸出の大幅増加がみられた。『輸出の前年比の伸び率は94年は31.9%、95年は22.9%に達しており、96年には伸びが1.5%に減速したが、97年には再び20%台を回復した。この結果、貿易黒字も拡大し、94年には54億ドル、95年には100億ドルを越え、97、98年には各々400億ドルを越える貿易黒字が続いた。』[5]97年には中国の貿易黒字額は、日本に次ぐ世界第二位となっていた。一方、対内直接投資も国内景気の良好さ、12億人の消費市場を狙い日本を中心とした海外資本の流入が続いた。『94年から96年までの3年間の対中直接投資累計額は実行ベースで1,137億ドルに達していた。さらに97年以降は年間450億ドル超の流入が続いていた。』[6]『途上国向けの直接投資資金の約三分の一が中国に向けられている』[7]すでにタイ型の通貨危機の理由として「投資家から短期資本が大量に流入。海外から調達した債務のうち短期資本が四割を占める」とあげたが、中国では当時の対外債務のうち短期債務が占める割合は二割強しかなかった。以上のことからバブルの加熱にともなう輸入の拡大、バーツ高にともなう輸出の低迷状態で経常収支赤字が96年にはGDP比8%まで拡大していたタイ経済と比べ中国経済は明らかに実体経済面(ファンダメンタルズ)が良好であった。そして、このように国内経済が安定して成長している中では、周辺アジア諸国のように外的要因によって通貨切り下げに追い込まれる可能性は小さかったこと言えるであろう。

A     為替・金融市場の規制(対外的要因)

タイやインドネシアなどの東南アジア諸国の通貨はまだ金融システム、国内経済が安定していない状態で金融市場を開放したことにより投機筋による通貨アタックの対象となった。中国では96年に経常取引(貿易や旅行など)に限定して交換性が実現(IMF第8条国に移行)されたが、資本取引(証券投資や借り入れなど)については交換性が実現されていなかった。そのため、東南アジア諸国と異なり投機筋による通貨アタックの対象とならなかったのである。このことをアジア通貨危機最中の97年12月にシンガポールのリー・クアンユー上級相(当時)は中国の首相に次のように語っている『中国が、人民元の資本勘定での交換性を、まだ達成していないことを祝福する。中国はそのために、アジアの金融危機のなか、混乱を免れた』[8]通貨危機以前からこのような直接投資を除く外国人の投資を一律に遮断していたのは中国だけであり、厳しい為替・金融市場の規制というシェルターの中にいたためアジア通貨危機という嵐の被害を最小限に抑えることができたと推測できる。

B 危機当初とその後の政府の対応が適切であった(対外的要因)

中国は事前にAのような制度がとられていたため投機アタックから身を守ることができたのだが、通貨危機発生後の対応も迅速にとられた。その対応を紹介すると一つ目は97年9月に国家外為管理局から公布された「経常項目内外国為替管理弁法」である。この法律は当時横行されていると噂されていた資本取引を経常取引として処理するような事態を防ぐために、一定額以上の経常取引の外貨入金は事前に外為管理局や税関での確認手続きを必要とするものである。二つ目は『98年8月から9月にかけて当局は外為管理強化に関する通達を相次いで打ち出した。この背景には、密輸や違法な海外送金による資金流出に加え、当時中国内外で高まりつつあった人民元切り下げ懸念から、企業の外貨債務の期限前返済や外貨建て債務を人民元建て債務に切り替える取引が急増していたことがある』[9]以上の二つの政策を通貨危機後中国政府が迅速に採ったため、中国からの資本流出は防がれたのである。

関志雄              氏は著書[10]の中で『資本流出の最も根本的な対応策は、いうまでもなく、良好な経済ファンダメンタルズを保ち、それに見合う為替レートを維持することによって、事前に投機の対象となる可能性を防ぐことである。』と述べている。すでに述べたように為替、資本の厳格な管理体制を採っていたシンガポール、通貨危機後に早急に為替、資本の厳格な管理体制を採ったマレーシアの両国は対外的条件を満たしており、輸出による高い外貨準備が存在していた台湾は対内的条件を満たしていたため通貨危機の影響を最小限に抑えることができたのである。そして、当時の中国は上にあげた@、A、Bのことから、この対外的、対内的両面の条件を満たしていたと証明でき、アジア通貨危機の影響を最小限にとどめたと推測することができる。

 

第2節      アジア通貨危機下での中国の役割

第1節で概要を示した東アジア地域を襲った通貨危機が中国にとって第一のターニングポイントとなった。そして、第二のターニングポイントなるのが2001年12月に果たしたWTO加盟である。

第1節で述べたように中国は自身の体を健康に保ち、外から流れてくる血液の質・量をうまくコントロールすることでアジア通貨危機を防いだ。しかし、東アジア地域内を一つの体だと考えると通貨・金融危機で血液の流れが悪くなっていることは言うまでもない。その影響は少なからず中国にも及び、輸出品の競争力の低下から「人民元の切下げ懸念」が発生した。だが、中国は「人民元切り下げ懸念」を懸念でおさえた。それにより東アジア地域、世界全体での中国の存在感を高めることになった。そして、中国はWTO加盟を果たした現在、人民元(血液)をハードカレンシー化させることにより世界中のどこの国(体)でも流通できる通貨(血液)への模索中だと推測できる。他国(他人の体)に人民元(血液)が流れれば否が応でも存在感は高まる。この節の1ではアジア通貨危機時の人民元切り下げ圧力に耐えたこと、2ではWTO加盟後のハードカレンシー化を目指すことの両点から人民元の東アジア地域、そして世界での人民元の存在感の高まりを追っていく。

1.     「切り下げ論」後の人民元の存在感上昇。

「人民元切り下げ」はアジア通貨危機後の1998年に世界中で懸念された問題であった。アジア通貨危機により他のアジア諸国が相次いで自国通貨を切り下げた結果、人民元は他のアジア諸国通貨に比べ割高となり輸出品の競争力低下という間接的な影響を受けたのである。結果的には中国は通貨切り下げを行わなかった。では、なぜ中国は通貨を切り下げなかったのだろうか。その理由の一つとして考えられるのは、確かに中国の輸出はアジア通貨危機後に落ち込んだが(1998年の輸出の増加率は前年比0.5%と大幅に鈍化)、同時に内需不振と輸入抑制で輸入も落ち込んでおり(1.5%減)貿易黒字は436億ドルと1997年の404億ドルを上回ったのである。それに加え直接投資、外貨準備も順調に増加しており国際収支面からは人民元を切り下げる必要がなかったのである。[11]人民元を切り下げなかった理由は国際収支面の要因以外にもいくつかある。それを整理すると、人民元の切り下げは@香港(1997年7月にイギリスから中国へ変換)のドル・ペッグ制、国際通貨センターとしての地位の維持に不利、A人民元ベースの債務負担の増大、B諸外国の対中貿易赤字をさらに増大させ、特に対米貿易摩擦が強まる、C輸入インフレ懸念の増大、D他のアジア通貨の更なる切り下げを誘発する、といった問題を引き起こす可能性があった。

ここで、当時の中国要人の発言をいくつか紹介したい。『切り下げれば中国はよくても、他のアジアが危機から立ち直れなくなる。アジアが困ればいずれ中国も困ることになる』[12](朱鎔基首相の発言)。『一九九八年のわが国のGDPの伸びは八%以上に達し、物価は低い伸びを維持すると予想される。一九九八年、中国は国際収支の均衡を一層維持し、人民元レートの安定を一層維持する。人民元を切り下げないことが、アジア金融の安定に対する中国の貢献である』[13]。(戴首龍人民銀行行長の発言)。『中国はあらゆる犠牲を払っても人民元の価値を維持する。中国は人民元を切り下げないことでアジア経済危機への責任を果たす』[14] (トウ(唐)カセン外相の発言)。あらゆる理由から中国は通貨切り下げを行わなかったのであるが、上の発言のように「絶対に人民元を切り下げない」というスタンスを表明し、保つことは中国の人民元の切り下げからの東アジア諸国の更なる通貨下落、経済の悪化、引いては世界経済を混乱させるといった波及を防いだ。そして、「東アジア諸国をまもる」ということを東アジア地域だけでなく、世界にアピールし中国・人民元の存在を高めたのである。

私の推測ではあるが、世界中で一番人民元の切り下げを恐れたのは中国自身であったと考える。アジア通貨危機による東南アジア諸国の通貨切り下げは中国輸出産品の国際競争力を低下させたことは否定できない事実である。しかし、中国が一番恐れていたのはDにあるように人民元の切り下げが東アジア諸国の更なる通貨下落を助長し、東アジア経済を低迷させ、ひいては世界経済の悪化を招くことである。なぜなら中国は当時、輸出振興による経済成長を目標としていたため輸出相手国の経済停滞は中国に大ダメージを与えたであろう。中国の人民元切り下げは当時、それだけの影響力をもっていたのである。つまり、中国自身の問題だけをとっても、人民元の切り下げは得策ではなかったといえる。人民元の切り下げを行わないのは「他の東アジア諸国のためである!」というスタンスを強調し、東アジア地域、そして世界への存在感を高めるために利用する中国政府のしたたかさをこの調査で感じた。

2.     人民元のハードカレンシー化

ハードカレンシーとは国際通貨と交換可能な通貨のことをいう。中国の人民元はすでに一部の国ではハードカレンシーとして使われている。モンゴルの一部地域では流通している現金の60%が中国・人民元だと言われているし、カンボジア、韓国、ヴェトナム、ネパール、ロシアなどでも人民元は非常に受け入れられている。[15]しかし、完全にハードカレンシー化された訳ではないので他の国では両替が不可能である。ハードカレンシーとなっていない現在では人民元を日本の銀行に持っていっても円に両替することができない。だから中国国内で一度、円やドル等のハードカレンシーに両替して、その国の通貨と両替しなくてはならないのである。

 アジア通貨危機は中国に「金融システムが未成熟な状況で資本取引の自由化を進めると、経済の根底を揺るがす大問題となる可能性がある」という教訓を与えた。そのために中国の資本取引の自由化、ハードカレンシー化の実現は先延ばしになり、先ずは金融システム整備の推進、安定化にベクトルが向けられた。その証左として、朱鎔基が李鵬の後任として首相となった第14期全国人民代表大会で打ち出した金融・行政・国有企業改革があげられる。中国の金融改革の目標は社会主義市場経済に適合する金融システムを構築することであり、まだ未成熟が残ることは否めないが、金融リスクの防止、解消を中心としたさまざまな改革措置がこれまでに実施されてきた。[16]2001年12月の中国WTO加盟はこの金融改革を更に進めることとなるのである。WTO加盟する際に中国は外資系銀行に対し、5年以内に完全な市場参入を認めることを約束した。中国の家電産業は白物家電等のローエンド製品(普及品)生産で限っていえば日本などの先進工業国へのキャッチアップを果たしたと言えるであろう。それは、中国が先進工業国から生産技術を導入したことが一番大きな理由としてあげられる。中国の銀行部門も外資系銀行からリスク管理技術、経験、先進的なサービスを学ぶことができ、それと同時に外資系銀行が対中進出を本格化するに伴い中国の新しい経済成長分野に対する資金サポートを行うことで経済成長を促す効果も得られる。外資系銀行と競争する際には政府の銀行・証券業に対する規制管理は弱まることも外資系銀行と競争する際に得られるメリットして期待できる。以上のことは中長期的に見れば国内銀行業の競争を促進し、四大商業銀行による非効率的な独占局面を打破することでその改革を加速させ、中国の銀行業の健全な発展にチャンスをもたらし、サービスの改善を促進するというプラスの面での期待ができる。そして、中国企業が対外直接投資を始めとする新たな業務展開を行う局面になると、外国の金融機関・企業と中国の企業の双方から資金調達や運用においてリスクの分散ができるように資本取引の自由化を求める声が高まってくるであろう。[17]

人民元のハードカレンシー化についての政府の正式なコメントはまだ発表されてはいないが、以上に記したようにアジア通貨危機、WTO加盟後の金融改革を通してハードカレンシー化の素地を固めていることは明らかである。そして、私の集めた資料によると2005年に中国は人民元のハードカレンシー化を行うのではないかという予想が多数存在する。その予想の根拠の一つ目として中国の5カ年計画が挙げられる。第9次、第10次5カ年計画は国有企業や金融の改革など一連の経済改革を着実に進展させ、中国の市場経済化を目標としている。そして、それはすでに最終仕上げの段階に入ったといえ、そのメルクマール(ドイツ語で目印、目標の意)が人民元のハードカレンシー化だと見てもおかしくはないだろう。二つ目は2008年の北京オリンピックの開催に関してである。オリンピックは世界中から選手や観光客を迎える国際的なビッグイベントであり、開催までに人民元のハードカレンシー化を実現させる可能性は十分に考えられる。最後に日本との比較であるが、日本と中国の経済ギャップは30年あるとよく言われている。現在の中国の自動車生産台数、平均寿命、一次産業のGDP比、一人当たりの電力消費量はどれをとっても1960年前後の日本の水準である。それは為替制度をとっても同じことが言える。中国はすでに96年にIMF8条国に移行し、貿易輸出入では人民元の互換性を実現したのだが、これを日本と比較すると32年遅れたこととなる。日本はIMF8条国移行後9年かけて円をハードカレンシー化した。面白いことに、中国も96年から同じ9年後の2005年までに同じ目標をめざしていることになるのである。[18]

 上のことから中国は人民元のハードカレンシー化の準備を市場動向にあわせて慎重に、漸次的ではあるが進めていると断定することができる。もし、中国が今の経済成長を進め、日本がこのまま経済停滞を続けていると日本のGDPは20年で中国に逆転されるという予想がある。その時には人民元のハードカレンシー化は実現されているであろうから中国・人民元は日本・円を蹴りおとしアメリカ・ドル、EU・ユーロと並び世界のキーカレンシーとなるであろう。もし、そのような状況がおとずれたら東アジア地域では言わずもがな、世界中でも中国の人民元は流通し、同時に存在感が高まるのは必然的である。

 

第3節      東アジア地域諸国との通貨・金融協力

 アジア通貨基金(AMF)、通貨スワップ協定は輸血バンクに譬えることができる。交通事故(通貨危機)などで血液(通貨)が足りなくなったら、輸血をする(自国通貨を買い支える)のが治療のセオリーである。輸血に使われる血液は輸血バンクにあるものを用いる。国際金融界においてはIMF、世界銀行がこの輸血バンクの役割を果たしている。しかし、アジア通貨危機、2001年のアメリカ同時テロはIMF、世界銀行の輸血バンク機能に疑問符をつけさせる結果となった。この節では、東アジア域内での通貨協力の必要性がアジア通貨危機といったターニングポイントでどのような変化をもたらしたのか、そして東アジア通貨協力での中国の存在感の将来展望を考察していく。

1.通貨危機後の金融・為替面での東アジア域内協力

 アジア通貨危機後、東アジア域内での通貨協力を最も早く提案したのは日本であった。その提案がアジア通貨基金(AMF)構想である。内容は1997年アジア金融危機の被害を受けていたアジア諸国を援助するために日本が「通貨危機の再発に備え、1000億ドル規模の通貨基金を創設する」といったものであった。だが、この構想はアメリカが「IMF・世界銀行による国際金融秩序を崩す」「独自の支援によって問題国の改革姿勢が甘くなる」といった理由で反対を示し、中国と香港も「出資は難しい」との理由で消極的態度を示したことにより一旦はあきらめたのである。[19]この時点ではアジア通貨基金構想は消滅したのだが、その後アジア危機の悪影響が、ロシアやブラジルなどの中南米諸国を経て、ウォール街にまで及びそうな状況になると同構想に対して賛成のスタンスをとった。これを受けて98年10月には日本はアジアの再建を目指した300億ドルに上る「新宮沢構想」、マレーシアのマハティール首相の「東アジア通貨基金(EMF)」の構想、韓国対外経済政策研究院の「アジア融資協定」を打ち出した。

東アジア通貨危機後のタイ、インドネシア、韓国へのIMF支援は総額1000億ドルを超えた。しかし、IMFの要求した構造改革案は被支援国の実情を無視したものであり、それにより韓国ではデモやストライキ、インドネシアでは暴動や略奪が頻繁に起きるようになり政治情勢まで不安定にさせた。[20]このようなIMF支援の限界、そして上記したアジア通貨協力の必要性の高まりから、机上の理論ではなく現実的に実行可能なものとして誕生したのがアジア通貨スワップ協定である。アジア通貨スワップは2000年5月にASEAN10ヶ国に日本、中国、韓国の参加国を含めた13カ国(ASEAN+3)の財務大臣クラスの会合で、「2カ国間での金融取極をそれぞれが相互に結ぶことを通じて支援体制を構築すること」が合意された(会議が開催されたタイの地名を取って「チェンマイ・イニシアチブ」と呼ばれている)。この枠組みは、集団的な金融支援体制として、為替投機等の動きをけん制するとともに、為替・金融市場の安定を図ることを目的としている。また。東アジア地域の域内協力となっているが、IMF支援を含む既存の国際的な資金支援制度を補完するものと位置付けられている。取極は基本的な内容の統一を図りつつも、その実際の発動にあたっては、参加各国が決定権を持っており、必要な国に対する資金の融通を決定することとなる。[21]アジア通貨スワップ協定は国際的資本移動の規模が膨大になっている中で、通貨スワップ協定だけで流動性危機を乗り切るには不十分、緊急の場合に参加国の間で足並みをそろえた政策協調が行えるか、という問題がまだ存在している。しかし、参加国はASEAN+3の13カ国に広がっており域内多国間協力の性格をもっている。それに加え金額も2億ドルから10億ドルに増額されるなど東アジア域内での必要性が増大しおり、今後の通貨協力の進展の可能性は大きい。

 

(上図は日本銀行H.P.『東アジアの通貨安定に向けた通貨スワップ網の構築』http://www.boj.or.jp/wakaru/intl/weasia.htm)から転記

 

2.東アジア通貨協力での中国の存在感とその将来展望

今年3月28日、日本銀行は、中国の中央銀行である中国人民銀行との間で円対人民元のスワップ協定に正式調印をした。その協定内容は今後、両国の中央銀行は相手国から要請があった場合、一定の要件が満たされれば相手国通貨と引き換えに自国通貨を融通する(融通限度額は30億米ドル相当)といったものもである。このスワップ協定には特筆すべきところが二つある。一つ目は中国が東アジア地域での相互支援体制に初めて加わったことである。アジア通貨危機を経験し被害が比較的小さく済んだ中国も高度経済成長を維持するためには国際金融、特に東アジアの金融安定化が必要であることを認識したと考えられる。二つ目は、日中スワップ協定が相互支援であることだ。日本がこれまでに中国以外のアジア諸国と結んだ取極は、日本が「一方的にアジア各国に資金を融通する」ものであった。しかし、今回の日中スワップは「円と人民元を対象」として、両国間が対等な立場で取極を結び、両国がいずれも資金を融通しあう立場で契約をむすんだ点である。[22]日本の過去の通貨スワップ協定締結国はアメリカ、EUでありアジア通貨が登場したのは今回が初めてである。

 このように中国が積極的にアジア域内の通貨協力に参加する背景としてアジア通貨危機以外に、WTO加盟があげられる。本論の第2節でもすでに示したとおり中国は金融改革をすすめ、資本取引の自由化、人民元のハードカレンシー化の準備をしている。国際金融のトリレンマにあるように「為替の安定」は、「独立した金融政策」「自由な資本移動」と同時に達成することはできない。東アジア通貨協力は中国が「独立した金融政策」、「自由な資本移動」を進める中で中国が晒されるであろう為替の不安定化からまもるものとなる。そして、通貨スワップ協定は現在中国が積極的に進めているASEAN諸国とのFTA締結、東アジア自由貿易圏構想に対して必ずやプラスにはたらくであろう。その過程で東アジア域内での中国の存在感は自然に高まっていくという展望が明らかとなってくる。

 

感想

 第二次世界大戦前の世界のブロック経済化を第一期とし、戦後のGATT、WTO中心の世界の貿易自由化、国際化を第二期とすると、現在は第三期と位置付けられると著者は考える。第三期の特徴は欧州連合(EU)、北米自由貿易協定(NAFTA)を代表とした地域主義化である。中国は貿易面において、2001年のWTO加盟により第二期に突入したといえるであろう。しかし、今年2002年の中国のASEAN諸国への積極的なFTA締結へ向けた取り組みから、第三期目への突入をすでに視野に入れていることがうかがえる。日本はというと、シンガポールとFTAを締結したものの東アジア自由貿易圏構想には「農業問題」「WTOの枠組み、自由貿易主義の遵守」から消極的な立場をとっており、とても第三期目への突入の準備が進められているとは思えない。逆に金融・為替制度面で見てみるとこの立場は逆転する。日本は1973年には資本取引を自由化しており、さきのアジア通貨危機ではイニシアチブをとり被害を受けたアジア諸国に対して支援を行った。中国はまだ第二期目となる通貨のハードカレンシー化、資本取引の自由化は達成されておらず、通貨スワップ協定への協力も不十分であると言える。

しかし、本論で示したようにアジア通貨危機、WTO加盟の二つのターニングポイントを迎えたことにより、このスピードは確実に加速されている。現在中国は世界の工場といわれ産業は世界に例を見ない速さで成長している。冒頭で述べたようにこの頭脳、上半身、足腰(産業)を活発に動かすには必ず血液(通貨、投資)の循環が必要である。その血液(通貨、投資)をどのように海外から取り入れ、どのように循環させるのかは心臓に譬えられる政府の政策次第である。私が今回のレポートを通じて最も感じたことは中国の為替政策はターニングポイントごとに非常に柔軟に変化していることである。今後の中国が更なる経済成長、人民元の存在感を高めていくためには本論で強調したハードカレンシー化、資本取引の自由化(独立した金融政策、自由な資本移動)が必要であり、それを補完するために東アジア地域諸国との通貨・金融協力(為替の安定)が必要となってくると私は考える。

 

 

 

用語解説[23]

(注1)      オフショア市場とは、国外から資金を調達しても、国内市場に流入せず、国外で運用される金融市場のことをいう。タイのBIBFのように外貨を国内に簡単に流入させる制度も、形式上オフショア市場に含まれる。

(注2)      ドル・ペッグ制とは、自国の為替相場をドルに対して一定の値に固定すること。明示的に自国通貨の対ドル相場を明示し、そのレートで通貨当局が為替市場で無制限にドルを売買する。あるいは通貨バスケットを採用している場合でも、バスケットの中身はドルが圧倒的である(と推測される)場合もドル・ペッグと呼ばれる。

(注3)      管理フロート制とは、通貨当局が為替相場の水準自体をコントロールしようとするもの。

(注4)      カレンシーボード制とは、100%以上の外国通貨を裏付けに自国通貨を発行する制度。自国通貨の発行高が外貨準備の増減に影響されるため、金本位制に似た自動調整メカニズムが働き、独自の金融政策の余地はなくなる。

(注5)      逆資産効果とは、保有資産の低下が高額商品や耐久消費財などの支出を抑制させることをいう。

(注6)ブミプトラ政策とは、マレーシア政府が1971年から進めているマレー人優遇政策。ブミプトラとはマレー語で「土地の子」という意味。

 

 

参考文献

 

寺島春星著、『<改訂版>手にとるようにアジアのことがわかる本』、株式会社かんき出版、1998

東京三菱銀行調査部編者、『アジア経済・金融の再生』、東洋経済新報社、1999

関志雄著、『最新中国経済入門』、東洋経済新報社、1998

関志雄著、『円と元から見るアジア通貨危機』、岩波書店、1998

近藤信一著、『アジア通貨危機とマレーシアにおける独自の金融政策』、立命館大学H.P.http://www.ritsumei.ac.jp/kic/ir/kenkyu/graduate/kondo.pdf 

イスラーム地域研究所H.P.

http://www.l.u-tokyo.ac.jp/IAS/Japanese/archives/2-han/1999/malaysia.html

内藤昭著、『中国の市場経済化と日中経済競争』、学文社、1998年

青木健、馬田啓一編著、『ポスト通貨危機の経済学』、けいそう書房、2000年

田中修著、『中国第十次五カ年計画』、蒼蒼社、2001年

桑田良望著、「第7章 中国の金融改革の現状と見通し」、中兼和津次著、「第1章 中国の「三大改革」と西部大開発」、財団法人国際金融情報センター編者、『中国における体制改革と西部大開発』、財団法人国際金融情報センター、平成13年、http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/tyousa/tyou010.htm

関志雄著、『WTO加盟で金融界国を迫られる中国』、関志雄H.P.http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/021111world.htm

日本銀行H.P.東アジアの通貨安定に向けた通貨スワップ網の構築http://www.boj.or.jp/wakaru/intl/weasia.htm

何帆著、『アジア通貨協力は中国にとって必要である』、関志雄H.P.

http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/020121world.htm

 

 

 

 

 

 



[1]東京三菱銀行調査部編者、『アジア経済・金融の再生』、第二章、P13、東洋経済新報社、1999年より

[2] タイ、香港、韓国の三つのパターンについては、(寺島春星著、『<改訂版>手にとるようにアジアのことがわかる本』、PART1、株式会社かんき出版、1998)、(東京三菱銀行調査部編者、『アジア経済・金融の再生』、第一章、東洋経済新報社、1999)を参考にした

[3] (寺島春星著、『<改訂版>手にとるようにアジアのことがわかる本』、株式会社かんき出版、1998)を参考にした。

[4] マレーシアの通貨危機時の影響、対応策については(近藤信一著、『アジア通貨危機とマレーシアにおける独自の金融政策』、立命館大学H.P.http://www.ritsumei.ac.jp/kic/ir/kenkyu/graduate/kondo.pdf) (イスラーム地域研究所H.P.http://www.l.u-tokyo.ac.jp/IAS/Japanese/archives/2-han/1999/malaysia.html)を参考にした。

[5] (東京三菱銀行調査部編者、『アジア経済・金融の再生』、第三章、三節、P75、東洋経済新報社、1999)から。

[6] (東京三菱銀行調査部編者、『アジア経済・金融の再生』、第三章、三節、P76、東洋経済新報社、1999)から。

[7] (関志雄著、『最新中国経済入門』、第14章、1P256、東洋経済新報社、1998)から。

[8] (関志雄著、『最新中国経済入門』、第14章、2、P255、東洋経済新報社、1998)より。

[9] (東京三菱銀行調査部編者、『アジア経済・金融の再生』、第三章、第三節、P72、東洋経済新報社、1999)より

[10] (『円と元から見るアジア通貨危機』、第二章、4、P64、岩波書店、1998年)

[11] (青木健、馬田啓一編著、『ポスト通貨危機の経済学』、第10章、第3節、P214、けいそう書房、2000)を参考にした。

[12](寺島春星著、『<改訂版>手にとるようにアジアのことがわかる本』、PART6、1、P117、株式会社かんき出版、1998)から。

[13] (田中修、『中国第十次五カ年計画』、第2部、第4章、第2節、P132、P133、蒼蒼社、2001年)から。

[14] (日本経済新聞、1998年4月4日朝刊)から。

[15] (錫士著、『人民幣悄然硬通化』(中国語文献))を参考とした。

[16] WTO加盟前までの中国の金融改革については(桑田良望著、「第7章 中国の金融改革の現状と見通し」、中兼和津次著、「第1章 中国の「三大改革」と西部大開発」、財団法人国際金融情報センター編者、『中国における体制改革と西部大開発』、財団法人国際金融情報センター、平成13年、http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/tyousa/tyou010.htm)を参考とした。

 

[17] WTO加盟後の金融改革については(関志雄著、『WTO加盟で金融界国を迫られる中国』、関志雄H.P.http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/021111world.htm)を参考にした。

[18] 人民元の2005年ハードカレンシー化予想については、(『東亜』―20023月号― http://www.kazankai.org/publishing/toa/2002_03/special1/03.html)、

(政経かながわ、第151820001256-7ページ、http://www8.big.or.jp/~yabukis/doc00-8/kana1205.htm)、

(矢吹晋H.P.http://www8.big.or.jp/~yabukis/doc02-8/kaij0206.htmhttp://www.avis.ne.jp/~nihao/rondan-6.htm)を参考とした。

[19] アメリカのAMFつぶしについては(アジアの声H.P. アジア通貨基金(AMF)(http://www.at.wakwak.com/~asia/inform/amf.htm)を参考にした。

[20] 東アジア通貨危機後のIMFの支援体制に関しては(寺島春星著、『<改訂版>手にとるようにアジアのことがわかる本』、PART1、3、P30〜33、株式会社かんき出版、1998)を参考とした。

[21] アジア通貨スワップ協定の説明については、(日本銀行H.P.東アジアの通貨安定に向けた通貨スワップ網の構築、http://www.boj.or.jp/wakaru/intl/weasia.htm)を参考にした。

[22] 日中スワップ協定の特徴については(日本銀行H.P.東アジアの通貨安定に向けた通貨スワップ網の構築、http://www.boj.or.jp/wakaru/intl/weasia.htm)を参考にした。

[23] 語句説明については、(注1)〜(注5)は(金融辞典編集委員会編著、『大月 金融辞典』、大月書店、2002)を参考にした。(注6)は(日本経済新聞社編著、『2002版 経済新語辞典』、日本経済新聞社、2001)を参考にした。