鄧小平（Deng Xiaoping）
改革開放のレールの敷設者
97E2042 市川 佳須美
1997年7月，一世紀以上イギリスの植民地として経済面、文化面においてアジアをリードしてきた香港が中国に返還された。その日を心から待ち望み、そして這ってでも香港の土を踏みたいと渇望した人がいる。中国中興の祖と呼ばれる『鄧小平』である。彼は香港返還前の2月20日に92歳でこの世を去った。鄧小平は中国に「改革・開放」というレールを敷設し、巨大な機関車である中国政府をレールの上に載せ、中国国民を「社会主義市場経済」へと導いた。鄧小平死去は国家主席として江沢民が国民を導き、さらにレールの上を邁進することだろうと思う。
１．鄧小平の性格
「山椒は小粒でもピリリと辛い―Small head but great wit.」この言葉は鄧小平によく当てはまる。鄧小平の身長はドイツ人ジャーナリストのU･フランツによると、4フィート11センチすなわち150センチである。日本人女子の平均身長よりも大分低い。なお、毛沢東が文化大革命後に鄧小平の再起用を決めたときに、彼の性格を「綿中に針を蔵す」と述べている。つまり、まわりには柔らかくあるが芯が硬いということである。
また、階級闘争が盛んだった時代に彼はこう言い放っている。「白猫であれ黒猫であれ鼠を捕るのがいい猫だ」この言葉は彼が観念論をしりぞけ、物事を実務的、実際的に処理することを好むという鄧小平の態度をよく表す言葉である。
誰もが知る鄧小平のとった行動のなかでもっとも有名なことは「改革開放」であろう。中国の沿海都市である深センや珠海をはじめとし５個所を経済特区として外国からの資本や技術などを吸収する役割を持ち、製造業を中心とする企業を誘致し輸出志向型の目指すもので、外資企業に対しては、税制、土地使用などの面で経済特区以外の地域への投資よりも優遇している。経済面で外資を受け入れることで経済特区を頭として中国の経済成長率は飛躍的に伸びてきた。今思うとなぜはじめから中国全土を外資に開放しなかったのかと思うところだが、それが鄧小平の経済改革で見せた彼の性格のあらわれである。中国全体を外国資本に開放したらどうなるか、彼は資本主義国家の汚染を含んだ空気に社会主義的慣行に馴れていた中国国民をさらすのは危険であると考えたのである。まずは小さな窓を作り、そこから資本主義国家の近代化の風を内部にまで送っていこうと考えたのである。そしてその小窓から開いた風が中国の飛躍的な成長への追い風となったのである。ここで彼の性格を述べるなら「実験主義」という言葉がぴったりであろう。毛沢東が第一次五ヶ年計画の時のように国を挙げて生産力を高めていこうというならば、鄧小平は一部で実験してみて、その結果がよかったら中国本土に反映していこうという態度である。
２．三度の失脚と復活
1904年四川省広安県の名家に生まれる。鄧小平の兄弟は姉一人、弟三人、妹一人の七人兄弟であり、そのなかで彼は長男として育てられた。鄧小平は1919年に15歳で中学を終え、重慶に開設されたフランス「勤工倹学」のための予備校に合格し、翌20年夏に卒業した。そしてフランスに留学した。鄧小平の中学時代にはロシア十月革命が起こっており、これに刺激されて中国では半植民地からの解放を求める反帝国主義運動が始まった。この様な動きは四川省にもおよんでおり、鄧小平もその時代の流れを敏感に受け止めていた。
フランスに渡った鄧小平は勉学にいそしむために工場で働いた。生活は後の生活からとはずいぶんかけ離れた倹約に倹約を重ねた生活であった。当時の苦学生の食事はというと一日に一杯のミルクとクロワッサン一個であったという。そのため成長期に十分な栄養を取ることが出来なかったため鄧小平の身長が低いといわれている。その半世紀後の1974年にニューヨークの国連総会に出席したとき、帰国途中にわざわざパリに立ち寄り、クロワッサンを100個ほど買い、周恩来をはじめとする北京のパリ留学生に配ったという。パリにいるときに彼はトランプのブリッジを覚えた。鄧小平のブリッジ好きは良く知られており、文革時には罪状のひとつとされた。しかし彼は賭けたことはなく、テーブルの下にもぐることが敗者の罰則であった。後年、高齢を配慮され罰の免除を提案されたときも、ルールを守ったという。もっとも彼はめったに負けはしなかった。中国共産党を退いた後の彼の肩書きは「中国ブリッジ協会栄誉主席」であった。かなりのブリッジ好きだったことがうかがえる｡
鄧小平が政治活動に足を踏み入れたのは1922年中国少年共産党に入党したことからである。翌23年に中国少年共産党の後進である社会主義青年団欧州支部の常務委員に選ばれたことからであった。組織の中で最も若かった鄧小平は『赤光』のガリ版印刷の仕事をまかされた。彼はガリ版印刷の仕事を巧みにこなし、仲間から「ガリ版博士」のニックネームをつけられた。このときの編集長であった周恩来は彼の仕事を高く評価した。この欧州支部の仲間が後の共産党[1]を担っていった。
のちに鄧小平はモスクワへ移り、中国人革命家を養成するために設けられた中山大学で唯物史観や革命論などを学んだ。そこで蒋介石の長男の蒋経国と一緒に学んだ時期もあった。同級生として肩を並べていた二人が後に台湾海峡を隔てて睨み合う仲になろうとは思ってもいなかっただろう。
1927年鄧小平は祖国に戻り、西安の中山軍事学校で政治部の主任教官になった。この年の4月、蒋介石が「上海クーデター」を起こし、それまで同盟勢力であった共産党員を弾圧しかかってから、鄧小平も中山軍事学校を追われて、共産党の本拠地となっていた漢口で党中央の仕事にたずさわることになった。このときすでに党政治局のトップ集団になっていた周恩来は鄧小平に「秘書長」のポストを用意した。
そして、鄧小平は会昌県委員会書記になった。右江ソビエト(中国革命本拠地)の上層部の意見とは全く逆の毛沢東の意見を擁護した。そのため鄧小平も党上層部にはむかったかたちとなり、しばし監禁された後、県の書記という役職からちっぽけな村の巡視員に降格された。これが鄧小平一度目の失脚となる。のちに中央軍事委総政治部の指示をし、「紅星報」の編集長を務めた。これが復活への足がかりとなる。かたや毛沢東は党に残存し実権を握り、彼の計らいで鄧小平は秘書長に返り咲き、党での地位も少しずつ上がっていった。
抗日戦争期には、八路軍総政治部副主任を勤め、数々の戦闘を政治委員として指揮してきた。1949年10月1日に、中華人民共和国が建国され、同月19日には中国人民革命軍事委員会委員に選出される。それ以降文化大革命が起こるまで鄧小平は、同じ時期解放戦争の功労者になった者たちは党のきらびやかな称号を毛沢東からもらっていた。しかし鄧小平は派手な役職とは縁遠く、土地改革や故郷四川の成都と重慶を結ぶ鉄道の敷設を行った。鉄道の敷設を終えた鄧小平は北京にもどり副首相になり主に経済を担当した。
鄧小平は党の総書記に就任した。毛沢東は大躍進[2]の失敗を振りかえり、自ら党の第一線を退く意見を述べた。毛沢東の本心は退く気など全くなかったようで、大躍進の失敗に対してみんなから労いの言葉をかけてもらいたかったようである。鄧小平は党の総書記として大躍進の失敗を振りかえり、現実問題の飢餓救済を行うにあたって毛沢東とは全く逆の政策をとらなくてはいけないということに党政治部の誰もが気付いていた。ただ誰も毛沢東を諌める決心がつかなかったのである。ここで鄧小平は腹をくくって先ほどの毛沢東の意見に対して国家主席に劉少奇が適任との意見を述べた。こうなると誰も鄧小平の意見に反対するものはなく、毛沢東はろくに慰留もされず第一線を退くかたちとなった。
鄧小平は、毛沢東に遠慮する様子もなく、大躍進の事後処理をひたすら進めていった。彼は毛におべんちゃらを使うようなことはせず、ハラを決めたらやりぬくといった姿勢であった。実際鄧のやることは素早く、有無を言わせない力強さがあった。国家主席になった劉少奇や周恩来でさえも鄧小平に食われないか心配をしたという。彼はまず、農民が自分で開拓した土地については個人耕作の権利を認め、養鶏やアヒルの飼育で農家が金儲けをするのを公認した。毛が旗を振って大々的に進めた農業の集団化を、部分的に崩してみたのである。この程度の農家に対する改革で、はっきりした数字となって現れてきた。手応えを十分に感じた鄧小平は、安徽省をモデルにして農家の一部を家族単位で請負耕作に出した。人民公社の農村風景が少しずつ変わっていき、「自分たちの田畑」を取り戻した農民は嬉々として「自分の作物」を育てるようになっていった。これが一部の地域で明らかに成功だと分かった。そして鄧小平はこの農村改革を全国に広めていった。これも経験からなる「実験主義」の現れであろう。
毛沢東の政策を180度転換させたからといって鄧小平は毛沢東のことを疎んじていたわけではなかった。しかし毛沢東は自分のしたことがすべて否定されたように感じ、鄧小平をはじめとする実権派を快く思っているわけがなかった。自分を邪魔者扱いされていたように感じた毛沢東は第一線に復帰した。毛は権力を行使し、実権派をじわじわと失脚させていった。次第に党の要職を自分と同じ思想をもつ者で固めていった。これが中国にひどい傷跡を残す文化大革命[3]の始まりであった。当然鄧小平にもその矛先は向けられた。「砲撃を加えよ」と呼びかける壁新聞が権力の所在地である中南海に毛の手によって張り出された。それをきっかけに鄧を「実権派ナンバー２」と名指しで批判したおびただしい数の壁新聞が街頭を埋めていった。
やがて鄧小平は総書記の職を剥奪され、その年の暮れには中南海の自宅に軟禁される。これが鄧小平2度目の失脚になる。
鄧小平は政治に舞台から姿を消したように思われたが、復帰に対する情熱は消えてはいなかった。鄧小平は毛沢東にあてて四千字に及ぶ長文の手紙を書いた。手紙はちゃんと毛沢東に届いていたが返事はこなかった。鄧小平はそこであきらめるわけもなく、再び毛沢東に手紙を書いた。
この鄧小平の熱意が毛沢東に通じたのか、1973年3月鄧小平は再び北京に副首相として舞い戻る。長い間同志としてともに中国のために働いてきた周恩来も鄧小平の復帰を心から待ち望んでいたのであった。6年間の長い失脚期間だった。
鄧小平は復帰後、文化大革命のためにいわれのない罪で軟禁されている者の復帰に身を粉にして働いた。これは自分の復帰に力を貸してくれた周恩来同志の望みでもあった。もちろん復帰してなお「四人組」の執拗な圧力に徹底的に抵抗しなければならなかった。
「四人組」の圧力に決して屈しなかった鄧小平にまた大きな時代の波がやってきた。1976年1月8日、周恩来がみんなに惜しまれつつこの世を去った。「四人組」にとっては願ってもないチャンスの到来であり、鄧小平にとっては同志を失ってしまったことで大きなピンチであった。15日、周恩来の追悼会が人民大会堂で営まれた。そこで追悼の辞を読み上げた鄧小平はそのまま公開の場から姿を消してしまった。そのまま中南海の自宅に軟禁された。
4月5日、北京の天安門広場に200万人という大群衆が、亡くなった周の遺影を掲げて集まり、収集のつかない騒ぎになった。これに対し「四人組」は武力鎮圧を命じた。この騒ぎを「四人組」は鄧小平が裏で糸を引いているとでっちあげ、鄧小平の役職を剥奪した。これが鄧小平三度目の失脚であった。9月9日に毛沢東が逝去したときも、鄧小平は追悼会に出ることすらできなかった。
しかし、「四人組」が鄧小平を人民日報などで批判すればするほど、世論の鄧小平を支持する声は高まっていったのである。毛沢東という後ろ盾をなくした「四人組」の威力は次第に衰えていった。鄧小平のいない党中央も「四人組」をこのままのさばらしている訳はなく、四人組を追い払う策を練っていた。毛の死去から28日後、「四人組」はあえなく逮捕された。鄧小平は「四人組」の逮捕に踏み切り、新たに党の主席になった華国鋒に四人組の逮捕に賛同するという内容の手紙を書いた。二度目の失脚の時に毛主席に当てた手紙と同様なことを書いた。1977年7月、鄧小平は三度目の復活を果たした。
党に戻った鄧小平は、胡耀邦や趙紫陽など力強い人材を復活させた。いよいよ鄧小平時代の幕開けである。だが、復活した彼に懸案が二つあった。「毛主席が決めたことはすべて守る」ことによって権力を守ろうとしていた「すべて派」の勢力を削っていくこと、「四人組」の蘇生を防ぐことである。そして、文化大革命時に「四人組」によって党を追われた者達を復帰させた。次第に、「すべて派」は追いつめられていき、華国鋒は主席の座を退かざるを得なくなった。華国鋒は鄧小平を復帰させたことで、自分の首を絞めることになってしまったのである。
３．中国的特色を持った社会主義、改革開放路線
鄧小平復帰後、1978年の十一期三中全会で鄧小平は経済建設を中心とする政治路線と、改革開放の総方針が決定され、鄧小平時代が始まった。鄧小平はこの時既に74歳であった。三中全会では多数のことが転換された。思想路線では、「二つのすべて」[4]が批判され、「毛沢東思想の科学的体系を完全に正確に把握する」方針が提起された。政治路線では、「階級闘争」の否定、「プロレタリア独裁のもとでの継続革命」理論を否定した。そして、「社会主義現代化建設」におく政策が決定された。そこで提起されたのが、経済建設に中心を置く政策であり、とくに農業の方針を加速させる方針であった。
経済建設は農業のみにとどまらなかった。第一に国民経済に対しては「計画経済を主として、市場調整の補助作用」を重視した。重要産品については国家の統一計画、統一価格、統一分配を行うが、その他の産品は企業の需要供給により、価格や生産量の決定を委ねるということであった。第二に、企業自主権を拡大し、企業経営の善し悪しと労働者の物質的利益を連動させ、企業には厳格な経済採算と労働に応じた分配を実行させた。第三に、中央と地方の管理権限を明確にし、重大な建設プロジェクトや全国的重点企業は中央部門が管理するが、その他は地方に管理を委ねた。
農村での人民公社の廃止、都市での企業改革を行った鄧小平のもう一つの転換は自力更生という名の「鎖国」政策の廃止、すなわち対外開放政策への転換であった。1980年8月に深セン、珠海、汕頭、厦門を経済特区[5]に指定した。
そして、計画経済から商品経済へ、行政命令による経済の運営から経済の論理による経済の運営への転換を行った。これらすべては、かつて極度に権限の集中した「中央集権的計画経済体制」を「商品経済、市場経済」に改めようとするものであり、その基本的考え方は、第十三回党大会の趙紫陽報告では「国家が市場を調節し、市場が企業を誘導する」ものとされ、のちの第十四回党大会の江沢民報告では「社会主義市場経済」と総括された。このような改革案の根底に「貧困は社会主義ではない」「生産力の発展を図ることが社会主義にとって最大の課題である」という理念がある。
鄧小平の改革体制が大体整った84年3月25日、訪中した中曽根首相に対して鄧小平はこう語った。「万一、天が崩れ落ちたとしても、胡耀邦と趙紫陽がささえてくれるので、安心した」と。このように言った鄧小平体制は強固なものという印象を与えた。
この経済政策を成功させるにあたって、政治体制改革が不可欠である、と鄧は考えた。「政治体制改革は経済体制改革と依存しあい、呼応し合うべきだ。経済体制改革だけをやり、政治体制改革をやらないならば、経済体制改革もうまくいかない、人という障害にぶつかるだけだ。」と述べた。経済改革を進める上で彼がぶつかった「政治の壁」、それは既存利益にしがみつく「人の壁」にぶちあたった。国有企業の経済改革が前進しない理由は、企業に巣食う官僚主義とその企業を自らの領地として確保しようとする官僚機構の保守主義にあった。
保守派は社会主義の守護を自任しているが、計画経済を前提とする社会主義理論は崩壊しはじめ、著しく説得を欠いたものとなった。保守派は表向き、タテマエとしてのイデオロギーを主張するが、実は改革開放の進展によって自らの利益が損なわれることを危惧し、これに抵抗するようになった。ここで、中国共産党は周知のとおり、年齢の高い者が国家の指揮を取っている。ゆえに体制改革に伴って党内の若返り構想が打ち出された。保守派はこれに対しても徹底的に抵抗した。保守派は鄧小平の留任を前面に主張し、自分たちの地位を保持しようとした。これに対し、急進改革派は鄧小平も含めて党内の若返り構想を主張した。このとき、老いた鄧小平の元には引退を迫られる「老人」側からの経済改革にともなう混乱への苦情が殺到した。かたや胡耀邦には「若人」側からの熱い期待が集中した。ここに鄧小平と胡耀邦の関係にひびが入った。胡耀邦は「四つの現代化」(工業、農業、国防、科学技術の近代化)への歩みを速めようとし、鄧小平は「四つの堅持」でブレーキをかけようとした。二人は全く逆の方向へ進もうとしていた。
1986年9月の十二期六中全会で、鄧小平は「精神文明決議」を採択した。これは一方で「思想の解放」をうたいながら、他方で保守派の主張を受け入れて、開放政策の元で「精神汚染」に言及し、生産力(ここでいう物質文明)とともに精神文明を建設せよ、と強調した。しかし、この呼びかけがあったにもかかわらず、国民に反映されはしなかった。このため一向に変わる気配のない旧体制に各地で学生デモが起きた。鄧小平は胡耀邦らを叱咤した。そして、胡耀邦は党から去ることを余儀なくされた。
国内では学生を中心に、民主化を求める風潮が高まっていった。胡耀邦失脚後、趙紫陽がそのあとを継いだ。趙紫陽は「沿海地区経済発展戦略」を打ち出した。今ではそれが成功を収めてはいるが、当時保守派などからひどく批判された。それと同時期1989年4月15日、胡燿邦が心臓発作のため、急逝した。この胡耀邦追悼する学生デモが、市民、労働者も巻き込んで報道の自由などを求める民主化運動に発展した。学生らは天安門広場に座り込み、5月13日には一部がハンストに突入した。5月20日、北京に建国以来初めての戒厳令が布告された。当局側は軍に出動を指示し、6月3日夜、軍が市内に進駐し銃器を使い、同4日未明に天安門広場を制圧した。この制圧で当局側の発表でも300人余の死者が出た。この天安門事件に対して、趙紫陽は総書記を解任された。また、鄧小平も対外的に悪人のイメージがついた。
天安門事件から3ヶ月後の9月4日、鄧小平は政治局常務委員の前で自ら引退を宣言した。国民から鄧小平は「経済では改革派、政治では保守派」と認識されたままの引退であった。しかし、彼の意志は変わる事はない。鄧小平は「改革しなければ活路はない、しかし、改革を成功させるためには、何よりも政治的安定、秩序の安定が必要だ」と、述べるであろう。鄧小平の後継者として党には江沢民、李鵬らがいる。彼らは鄧小平の敷いたレールを壊すことはしない。こう考えた上での引退であった。
４．引退後の鄧小平、南巡講話
鄧小平引退後も各方面で鄧小平に対する様々な議論や批判がなされた。しかし、中国は社会主義市場経済のレールの上をひたすら進んでいった。いまさら後戻りできるわけがない。天安門事件への鄧小平をはじめとする党の対応に非難は集中した。保守派と改革派の抗争は依然続いている。改革開放は成果はあげているが、イデオロギーの面では保守派勢力におされ気味であった。このような保守回帰ムードの中へ鄧小平は逆襲に出ることを余儀なくされた。
鄧小平は1992年1月18日から2月21日にかけて家族を引き連れて南方の視察にでた。訪れたのは湖北省の武昌、広東省の深セン経済特区と珠海経済特区、そして上海である。この南巡講話には鄧小平が発した様々な言葉が改革開放政策に多く活かされている。鄧小平語録を引用してみる。
極左批判－「中国で右も警戒しなければならないが、主として“左”を防がなければならない。右のものはある。動乱は右だ。“左”のものもある。改革開放は資本主義を導入し発展させるものと見なし、和平演変の主な危険は経済領域からくると考える。これこそが“左”だ。われわれは醒めた頭脳を持たねばならず、そうしてはじめて大きな誤りを起こすことがなく、問題があらわれても容易に是正し、訂正できる。」
科学技術は第一の生産力－「経済発展を速くするには、科学技術と教育に依拠しなければならない。私は科学技術が第一の生産力だといっている。過去十年、二十年来、世界の科学技術の発展はなんと速かったことか。ハイテク領域のひとつの突破が一群の産業の発展を主導した。われわれ自身もこの数年、科学技術を離れてこんなに速く成長できたであろうか。科学を提唱しなければならず、科学を依拠してこそ希望がある。」
計画と市場は手段にすぎぬ－「計画が多いか市場が多いかは社会主義と資本主義の本質的区別ではない。計画経済イコール社会主義ではなく、資本主義にも計画はある。市場経済イコール資本主義ではなく、社会主義にも市場がある。計画と市場はともに経済の手段である。」
肝っ玉を大きくせよ－「改革開放の肝っ玉をもっと大きくせよ。大胆に試みよ。纏足女みたいなのはだめだ。正しいと思ったら大胆に実験し、大胆に突破せよ。深センの重要な経験はあえて突破したことだ。突破の精神がなければ、気迫、気力がなければ、好い道を切り開けず、新しい道を切り開けず、新事業をやることはできない。
改革開放に対しては当初から反対意見があったが、これは正常なことである。たんに経済特区の問題だけでなく、より大きな問題は農村改革であり、農村の家庭生産責任制を導入し、人民公社制度をやめたことである。
当初は勇んでやったのではなく、多くのものがただ見ていた。われわれの政策は『様子を見るのを許す』ものだが、強制よりもはるかに良い。
経済特区と外資系企業－「特区をやることについて、当初から反対意見があり、資本主義をやっているのではないかと危惧していた。深センの建設の成果はあれこれ心配した者に明確な回答を与えてくれた。特区の姓(属性の意)は社会主義であり、資本主義でない。深センの状況からみると、公有制が主体であり、外資は四分の一にすぎない。外資の部分からもわれわれは税収、雇用拡大などの利益は得られているではないか。もっと外資系起業を増やしてよく、恐れてはならない。
社会主義の重大な曲折－われわれは社会主義を数十年やってきたが、まだ初級段階にある。社会主義制度を強固にし発展させるには、まだ長い歴史段階が必要であり、われわれ数代、十数代、いや数十代が努力奮闘しなければならず、断じて軽視してはならない。
道は曲折している。資本主義が封建主義にとって代わるのに数百年かかり、いくども王朝の復辟が発生した。だから、ある意味では一時的にある種の復辟が起こるのは、完全に避けることのできない法則的現象である。一部国家(旧ソ連、東欧を指す)で重大な曲折があらわれたが、人民は鍛錬を経て、そこから教訓を吸収し、社会主義をより健康な方向に発展させるであろう。」 （講談社：現代新書「鄧小平」より）
このような鄧小平の遊説は中国国内に大きな反響を巻き起こしたのである。改革開放は波に乗り、中国の経済成長は天にも上る勢いであった。沿海地域と内陸の経済格差は問題視されているが、鄧小平のこの南巡講話が中国国民の生活向上の追い風になったのは間違いない。
鄧小平の人生においての理念は南巡講話語録で十分証明できる。毛沢東を思想家とするならば、鄧小平は実務派である。彼は何事も結果を重視した。多くの挫折を経て、それが彼の人生において大きな経験となり、中国を飛躍的な経済成長に牽引してきたのである。鄧小平が完全に人目に出なくなってからも、「ポスト鄧小平」を巡って様々な議論や推測がなされてきた。それゆえに、鄧小平亡き後の中国の行方は不透明であった。しかし、今鄧小平が亡くなってから2年たつが、中国は鄧小平がひいたレールの上を走っている。
５．鄧小平の人生について、結び
鄧小平を選ばなければ、もう少しスマートな論文になったのに。四千字まで書いたところでこう思った。鄧小平の人生は92歳まで生きただけあって、非常に長い。それに、中国に詳しくない者だって知っている人だ。そんな偉人の人生のまとめをどこから手をつけていいのか、私は途方にくれた。改革開放に着手した中国中興の祖として、中国を引っ張っていったんだよ、とだけ詳しく書こうと思ったら、彼の人生を語らないと意味がない、と知った。三度の失脚と復活、そして毛沢東との関係、天安門事件で鄧小平のとった采配。このそれぞれのテーマについてそれぞれ一冊の本が書けてしまう、というよりもすでに本がある。その本を一冊一冊読んでいたら、どれもこれも重要な点に思えてしまって、スマートにまとまらなかった。
中日新聞の社説にこのような文があった。－何より強烈なのは、社会主義でありながら徹底して改革開放路線を貫いたことだ。「資本主義といわれるのを恐れるな。判断の基準はこれが国と人民を豊かにするかどうかだ」「社会主義は『貧しくても平等』ではない。すべての人が豊かになることだ」鄧氏のヴィジョンの真骨頂である。次の指導者には「次の五十年で経済を世界の中くらいの国にするように」と言い残した。その中核になる香港返還のレールは自らのアイデアで敷いたものだった。－鄧小平は、自分の引退後もしくは、死んだ後までもの中国のヴィジョンを見据えていたのである。このように、先々を考えることが国の行く末を決めていくことだと、実感した。
鄧小平の出来事
＊印は歴史上重要な出来事
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1904.8.22 |
四川省広安県に生まれる |
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1911.12.26 |
＊ 孫文が中華民国大総統に就任 |
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1920.9.11 |
上海をフランスに向けて出航 |
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.10～ |
ブルターニュのバイユー中学でフランス語を学ぶ |
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1924 秋 |
中国共産党の入党 |
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1921.1 |
モスクワの東方大学、中山大学でマルクス、レーニン主義を学ぶ |
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1927 春 |
中国に帰国 |
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0.7 |
西安の中山軍事学校で政治処処長になり、中共党組織書記を務める |
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1929 |
中共中央代表で広西へ行き、武装蜂起を準備する |
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1931.9.18 |
＊満州事変 |
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1932.6 |
金維英と結婚、翌年離婚 |
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1933 |
1度目の失脚 |
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1934.10.16 |
中央秘書長に復帰 |
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1937 |
抗日戦争始まる |
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1938.1.18 |
八路軍129師政治委員になる |
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1939.8 |
卓琳と結婚する |
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1945.8.15 |
＊日中戦争おわる |
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.8.20 |
中央局政治委員になる |
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.10.1 |
＊中華人民共和国建国 |
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1952.7 |
政務院常務副総理になる |
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1956.9.28 |
第8回党大会で政治局常務委員、中央委員会総書記に選出 |
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1966.5 |
＊文化大革命始まる |
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.12.14 |
2度目の失脚 |
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1971.11.5 |
毛沢東宛てに書簡を書く |
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1973.3.10 |
中共中央副主席、中共中央政治局常務委員、中央軍事委員になる |
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1975年末 |
鄧小平批判が起こる |
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1976.1.8 |
＊周恩来死去 |
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.4.2 |
一切の職務を解任される、三度目の失脚 |
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.9.9 |
＊毛沢東死去 |
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.10.6 |
＊「四人組」逮捕 |
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.10.10 |
華国鋒宛てに書簡を書く |
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1977.4.10 |
華国鋒宛てに書簡を書く |
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.8.12 |
11期3中全会で中央副主席、中共中央軍事委員副主席に就任 |
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1978.2.24 |
5期全国政協で主席に就任 |
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鄧小平、来日 |
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.10.22 |
日中平和友好条約調印 |
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1979.1.1 |
＊米中国交回復 |
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鄧小平、訪米 |
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1980.8 |
経済特区を設立 |
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.11.10 |
華国鋒解任 |
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1982.9.1 |
党中央大会で「中国的特色を持つ社会主義」を提唱 |
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1984.9.22 |
英サッチャー首相と香港返還について話し合う |
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.12.19 |
香港返還問題について合意文書に調印 |
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1987.1.7 |
胡耀邦を解任 |
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1989.6.3 |
＊天安門事件 |
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.11.9 |
13期5中全会で軍事委員会主席の引退を決定（後任は江沢民） |
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1992.1.19 |
深セン視察（南巡講話） |
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.10.12 |
＊第14回党大会で江沢民、李鵬体制追認 |
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1997.2.20 |
鄧小平死去 |
＜参考文献＞
講談社現代新書「鄧小平」矢吹晋
NTT出版「毛沢東と鄧小平」渡辺利夫・小島朋之
読売新聞社「小説・鄧小平」著：鄭義 訳・構成：丸山勝
中日新聞
http://www.yomiuri.co.jp/20seiki/98020899.htm