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『華僑のゆくえ』

幅岸 智美

強力な経済力とネットワークで知られる華僑、それは、水の至る所華僑ありといわれるように、世界各地に見出すことができる。そして福建省は僑郷(華僑のふるさと)として、広東省に次いで多くの華僑を送り出している。
現在、世界全体で2800万人を数えるといわれる華僑は、長い時間をかけて海を渡っていった人々の末 である。はるか秦、漢の時代、すでに日本へも渡ってきた人々を見出すことができる。しかし海外への定住が始まったのは、盛唐から南宋にかけてのことである。そして元から明、秦の時代、多くの移民たちが出現した。元代には海上貿易がすでに活発に行われていたが、明代の鄭和の西洋遠征が多くの知識を中国にもたらすことになり、海外移民にも拍車をかけた。清代には、満州族の王朝に抵抗して亡命した人々も少なくない。アヘン戦争までに移民は百万人に達していたといわれ、唐人街(チャイナ・タウン)の基礎もできあがっていたという。
中国が列強の支配を受けるきっかけとなったアヘン戦争以降、海外移民は最高潮に達した。半封建・半植民地のもとで生活に窮した人々は、戦争や農民反乱の混乱から逃れて、大量に海外へと流出していった。また経済発展のめざましい東南アジア地域が、ゴム園等で働く労働者を大量に必要としたことも、契約労働者として出てゆく多くの中国人を生み出すこととなった。
福建省の場合も、元代以降大規模移民が始まっている。もともと山がちで耕地が少なく、多くの人口を抱えていたという事情に加えて、自然災害の発生、海外貿易の発展といったことが、そうした大量移民を出現させる背景であった。福建ゆかりの民族的英雄鄭成功が、清朝に抵抗して台湾へ渡ったときには、彼の兵士やその家族たち3万人が同行したという。また太平天国の人々も、滅亡後海外へと逃れていった例もあり、政治的原因から出国を余儀なくされた人々も少なくない。
日清戦争から1949年まで、福建省の人口はさまざまな原因によって減少したが、その1つは東南アジア等への大量出国現象である。海外製品の大量流入、軍閥混戦、自然災害等によって、特産のお茶の葉等の手工業が大打撃を受けた。その結果、1933年までに全体で8百万人へと増加した華僑のうち、福建出身華僑はその40%、320万人を占めたという。
大量の華僑を生み出した福建省の中でも、泉州は特に僑郷として知られた町である。海上貿易によって栄えた港町泉州も、南宋から元代にかけて、多くの移民を輩出した。武夷山脈が内陸部との従来を困難にしたこともあってか、当時世界の90余りの国や地域に、泉州出身華僑の足跡をたどることができる。泉州と並んで福建省の僑郷として有名なのがアモイである。福建華僑が国を離れるとき、そして再び帰ってくるときの表玄関として、長い間にぎわった町である。
華僑たちの祖国への思いというものは、現地生まれの華僑が大半を占め、現地化が進む現在では大きく変わりつつある。しかし歴史をたどってみると、そこには幾度かにわたる、大きな中国ナショナリズムの高揚を見てとることができる。孫文の革命運動を支えた大きな力の1つが華僑だった。興中会、中国同盟会会員の中には多数の華僑の名前を見出せるし、1911年の広州黄花 事件では、29人の華僑が犠牲となった。また民国期には、莫大な華僑送金が国民政府の重要な財政源となっていた。
日中戦争期には、華僑のリーダー達を中心に海外抗日団体が組織され、募金運動が活発に展開され、故郷への送金とあわせて国民政府の外貨収入の半分を超えたこともあった。現金以外にも兵器、薬品、衣料等が大量に送り届けられた。また、中国へ戻って戦いの列に加わった華僑もいた。
華僑の大部分は裸一貫から出発して、苦労の中から財を築いていった人達である。華僑のふるさと福建省も、名をなし地位を築いていった人々を多数輩出している。華僑の模範・民族の輝きと毛沢東に賞賛された陳嘉庚は、シンガポール(マレーシア)でゴム大王として成功した。日中戦争中は抗日救国に尽力し、またアモイ大学を創設したことでも知られている。49年以降は大陸にもどって華僑政策に従事して、政協会議副主席等の要職を歴任した。タイガーバームで財をなした胡文虎も、日中戦争中は香港華人協会主席等を務めて、抗日支援に奔走した。また文化教育、医療事業面でも、熱心に故郷の発展に貢献している。その他、日中戦争中は共産党の地下活動により関わり、陳嘉庚と同様、人民共和国のもとで華僑政策にたずさわった庄希泉や、戊 の変法、辛亥革命に参加し、広州元帥府高等顧問として孫文を補佐した黄乃衣装の、著名な福建出身の華僑の名前を挙げることができる。
さまざまな紆余曲折を経て今日を築いてきた華僑であるが、その現状と中国との関係を簡単に見てみる。現在、華僑総人口は2800万人、そのうち90%の2500万人はアジアに居住している。世界160か国余りに大分散・小集中しており、インドネシア(650万人)、タイ(610万人)、マレーシア(520万人)、シンガポール(209万人)、フィリピン(120万人)、ベトナム(100万人)等、東南アジア各国は、特に多くの華僑を抱えている。
華僑の祖籍は、広東(1500万人、54%)、福建(700万人、25%)、海南(170万人、6%)の3つで85%を占めるが、アジア地域以外では広東籍が多い。そのため言葉もいわゆる4大方言といわれる 南語、広州語、潮州語、客家語が大半を占め、先の3つを話す人々が各々500万人以上、客家語は300万人いるといわれる。福建出身7百万華僑の90%以上は、東南アジア各国に居住しており、とりわけフィリピン、インドネシアを中心に、東南アジア6か国で630万人を数える。
建国以来中華人民共和国の華僑政策は、紆余曲折をたどってきた。その中で最も大きな問題は、二重国籍問題であったが、1980年、中国は二重国籍の禁止を明文化して、現地促進政策を確認した。その結果、85%以上の人々が居住国の国籍を取得することになった。福建省出身者の場合は90%以上に達している。
改革開放政策以降経済が最優先される中で、中国は華僑事務弁公室を設置するなどして、華僑重視の姿勢を打ち出している。華僑のその大きな経済力は魅力であり、積極的に資本を導入して、合弁企業の誘致等を実現した。華僑送金も相変わらず重要である。また建国後帰国した華僑の国家建設への貢献も大きい。福建省の場合も、農場や工場建設の他、学校や病院、道路、橋等の公共事業にも、多くの資本が投下されている。
祖国や故郷とのつながりを大切にし、居住地コミュニティーの中で中国語教育を続け、中国語の新聞を発行し続ける華僑だが、彼らの意識の変容は着実に進んでいる。85%以上が居住国の国籍を取得し、また海外で生まれた人々が75%以上となった現在、すでに故郷の言葉を話せないといった華僑が増えているのも無理はない。中国への親近感はもつものの、世代交代等の波は、華僑の現地化を促進する要因となっている。

★★中国の経済成長に寄与する海外華人企業家★★
冷戦後の最も重要な地球的規模の発展は、ファンファーレもなしに、最も意外なところ、東南アジアから起こった。中国本土、香港、台湾を含む大中華圏は、閉鎖的な共産主義から市場経済へと急速に移行している。この先例のない変身は、富裕な西側の投資家たちよりむしろ、海外に住む華人たちの『バンブ―・ネットワーク』が資金を提供し、大きく動かしている。(華僑は、外国に居住する中国国籍を有する人を指し、華人は、中国国籍を持たない人を指す。今日では中国国籍を持たない人が相対的に多いので、華人と訳した。)
海外の華人たちは、今日の大中華圏の経済繁栄を築くまでに3つの困難な段階を経てきた。
第一の欠くことのできない段階は、文字どおり無一文からたたき上げて金持ちになるステップである。ほとんどの中国人は身ひとつで本土を後にしたが、ほかの東南アジア、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピン、そして限られた範囲のベトナムに君臨する近代的な民間のビジネス・セクターになったのである。
こういった刻苦勉励型の成功物語は、偶然の出来事ではない。それは中国の文化的特性である質素倹約、起業精神、そして忍耐強さに根ざしたストーリーの連続なのである。
発展の第二段階はロスチャィルド家現象、つまりファミリー・ビジネスの国際化で、しかも先例を見ないスケールで広がったことである。これもまた、ユニークな中国方式で達成された。常に新天地の政府に対して用心深かった海外の華人たちは、共通のバックグラウンドを持つ人々との信頼関係を確立することが、その土地での仕事や貿易の機会を与えてくれることを発見した。言語、文化、人種はこの種の共通項として作用したが、正式なビジネス契約がきちんと実行されるのが困難な地域では、家族の絆こそが最も信頼でき、かつ確実であった。かくして、多くの海外華人の企業は国境を越えて製品を移送することを容易にするために、他の東南アジアの国々に出先機関を設立した。
第三の最も驚くべき段階は、現在の方向性の逆転である。海外の華人資本家は彼らの、そして彼らの父祖の故郷に大量の投資を行い、新しい事業を展開しているのである。中国への拡大化は最も成功している西側の企業努力にも大きな影を投げかけている。今日まで中国本土に進出を試みたほとんどの西側企業は、実に当てにならないビジネスの環境に直面してきた。
中国から外に出た華人の非常に前向きの経験は、ひとつの予期せぬ重要な効果をもたらした。海外華人の至宝とも言える香港、シンガポール、台北の華人たちの手法を通じて、成功する資本主義が決して西側の制度だけでも日本式適応だけでもないことを、中国政府にはっきりと示すことになったのである。
たとえ古い中国の伝統的交貿方式であっても、現在のアメリカ、日本、ドイツに支配されているハイテク世界経済に十分に対応できることを示す身近な実例であった。そしてこの経済開発の中国式アプローチは、未曾有の富を生み出すことがますますはっきりしてきたのである。
特にシンガポールでは私企業と強力な公的部門が共存共栄している。
中国では現在、華僑・華人企業が共産主義社会に欠ける必要三大要素を提供している。
それは起業精神、危険を伴う資本投資、ビジネス・マネージメントの能力である。海外の華人は中国本土に投じられる外国資本の大きな部分を担っているだけでなく、中国ビジネスの将来の経営陣を養成している。こういった努力が大中華圏に地球上のいかなる地域よりも速い経済成長を促している。



参考文献:
「福建省 華僑のふるさと」
「バンブ―・ネットワーク」