ポスト小泉担当の柳原君へ、
(靖国担当のみのわ君も全面サポートしてあげてください)
8月15日終戦記念日に向けて大きく動き出した。昨日の夕刊とそれ以降の主要な新聞・雑誌記事、インターネット情報をこまめに集めてください。
特に昭和天皇最晩年(78年=昭和63年)の発言メモが昨日=06年7月20日の夕刊(僕は日経)で公開され、迫力あります。(合わせてすでに出版済みの半藤一利『昭和天皇独白録』も参照したほうがいい)今朝の新聞にも続編が出た。
問題になった、A級戦犯の合祀に踏み切った78年当時の松平芳司靖国神社宮司にも言及している。「親の心子知らず」と。
松平宮司の合祀理由は「すべて日本が悪いという東京裁判史観を否定しない限り日本の精神復興はできない」「日本とアメリカが完全に戦闘状態をやめたのは(サンフランシスコ平和条約が発効した)昭和27年(1952年)4月28日。戦闘状態にあるとき行われた東京裁判は軍事裁判で、処刑された人々は戦場で亡くなった方と同じ」。
その前職の筑波藤麿宮司にも触れている。「慎重に対応してくれた」と。筑波は「B、C級戦犯は被害者なのでまつるが。A級は戦争責任者なので後回しだ。」
A級については、合祀にあたって遺族の了解をとらず、天皇の意を確かめず、ひそかに合祀したと書いてある。
全部は書けないが、要するに前にゼミ時に僕がコメントした靖国問題の根底には東京裁判と靖国史観の違いがあると、さらに国際条約であるサンフランシスコ平和条約(日本の占領状態の終結、国際社会への復帰)への取り扱い(中国・台湾とも署名していない)などのもつれがあることに関連している。あの時は僕も漠然とした感覚で言っていた。ここまで深く絡み合っていることには驚きだった。
期末テストを優先しながら、とりあえず資料を集めておく。柳原とみのわはこの夏はクライマックスを迎えそう。その資料の集め具合で一気にレポートと卒論のできばえが決まってくるような感じ。
3年生へ:レポートなどで困ったことがあったら、気軽にここに投稿して。先輩たちにも遠慮なく相談して。かまってくれると思うよ。意外にみんな似たような問題を抱えている。みのわ君と加藤幹君を中心に後輩たちの面倒を見てほしい。
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