ご無沙汰してます。 投稿者:白井慎也  投稿日:11月30日(日)23時55分54秒 
 
みなさん、お元気ですか?
去年5年生で卒業した白井です。
今回は本来の同期の子から現在の現役でバリバリゼミ活動を行っている子まで
幅広い年齢層の人々が集まって、非常に楽しかったです。
僕は仕事が終わって、8時頃から会に参加したけど
まさか約12時間遊ぶとは思ってもみなかったです。
体力的には少しきつかったけど、久々に学生気分が
味わえて良かったです。
現役のゼミ生の人たちは、卒論、ゼミ論集と大変な事も多いと思うけど
やるべき事だけはやって、後はしっかり遊んでください。
社会人になると、職場によっては融通が利かなくて
海外旅行とかも行けなくなってしまいますよ。
それでは、また。
 
 
 
 
 
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約束 投稿者:堤 竜也  投稿日:11月30日(日)20時33分46秒 
 
 みなさん、久しぶりです。去年卒業した堤です。ゼミの方は年末になってきて忙しそうですね。そして土曜の明け方に集会を開いていた方お疲れ様です。夜の3時に豊橋に着いて先生に会えるとは思わなかったです。久しぶりに先輩や後輩と話すことができてリフレッシュすることができました。みんな変わってなくて話しに華が咲きすぎてしまいました。(みんなお酒が入ってたから話しやすかったのかもしれないけど)気分は学生に戻ることができたけど、夜に遊んで昼寝るという学生の生活スタイルはを少し体に効きました。また機会があれば誘ってください。
 
 光太郎君へ
 泊めてくれてありがとうございました。また泊まりいきます。
 
 
 
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レジュメ 投稿者:小塚  投稿日:11月30日(日)16時33分36秒 
 
WTO加盟後の中国の諸問題
     『知的財産権とアンチダンピング』
                         00e2390 小塚美香
 
はじめに
 
1章
1、 中国のWTO加盟までの道のり
2、 WTO加盟の意味、通商、経済関係への影響
 
2章
1、 知的財産権の侵害
    DVD、CD問題
    コピー二輪車問題
    ミシン等多々あがっている模倣品について
2、 日本の知財戦略
3、 知財保護について
    政府、企業の対策をふまえて
 
第3章
1、 ダンピング問題
    ダンピング調査について
    ダンピングの仮決定による影響
    2002年に続き、2003年もアンチダンピング調査首位
    アンチダンピング、途上国の発動抑制
2、 米中経済摩擦激化
    米の対応
    監視の強化
 
最後に
 
参考
 エコノミスト、日中経済協会、チャイナネット
 日本経済新聞、日経産業新聞、日本関税協会
 
 
 
 
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良いな~。 投稿者:森田  投稿日:11月30日(日)00時02分23秒 
 
皆うらやましいなー。
僕も参加したかったすよ。
相当盛り上がったようで、何よりです。
 
僕はというと、この2日間、12時間づつ働いていました。
一日の半分をガソリンスタンドで過ごしていました。
何を食べても、ガソリンの味って感じでね。
 
このようなOB、OGを招いての会があまりないので、これからは、
もっと増やしていけると良いですね。
 
太田さんと、小林さんへ>
具体的なアドバイスは、現時点ではできませんが、発表はより具体的に。
提出は再来週。
具体性をもった発表をすれば、アドバイスもしやすくなるからね。
発表してから、一週間で提出は相当大変だよ。
 
まぁ、みんな若いんだから週末は楽しんでよ!
間違っても、家に閉じこもって週末を過ごすなんてないように!
ちなみに僕は、明日もバイトです。
スタンドに閉じこもります。
 
 
 
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みんなタフだなー! 投稿者:石丸  投稿日:11月29日(土)16時36分52秒 
 
先生には申し訳ないですけど、「おはようございます」今起きました。先生!寝坊しなかったですか?先輩方も仕事が終わってから来てくれて、最後の最後?まで、尽きることない話を・・・まだまだ時間がたりなかったんじゃないですか?光ちゃん大丈夫か?飲みに来る前に、家でワインを空けてきたにも関わらず、浴びるように飲んでたけど。それにしても、みんなのタフさには驚きました。先生・先輩方を始め、バイトが終わってから登場した、川口くんと、野末くん!よーく最後まで・・・(僕は最後寝てて何時だったか覚えてないですが。)あと肥田さん・斧研さん無事ですか?お気に入りのラパン!可愛がって乗ってあげてください。信号機の赤は止まれデスよ(笑)でわ大変お疲れ様でした。
 
 
 
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卒論レジュメ 投稿者:小林 真知子  投稿日:11月29日(土)12時15分41秒 
 
コメントおねがいします。
 
日中貿易摩擦―輸入制限の限界と国際分業体制への道―
                        00E2358 小林真知子
 
第一章 貿易大国として登場する中国
・ 中国の世界貿易における位置付け
・ 対日輸出の増加
 
第二章 日中貿易摩擦
・ 農産物3品目についてのセーフガード
・ 開発輸入、委託加工の実態(マブチ、ユニクロ)
 
第三章 米墨関係
・ 米墨間の相互依存関係
・ メキシコの対外自由化政策
・ 北米自由貿易協定(NAFTA)
 
第四章 まとめ
・ 日中関係と米墨関係の比較
・ 自由貿易体制の構築へ向けて
 
問題点
・構成はこれでいいのか?
・論集では韓中にんにく戦争なども書いたが、書いたほうがいいのかどうか。
 
参考文献
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/020115ntyu.htm
http://wp.cao.go.jp/zenbun/sekai/wp-we92/wp-we92-00502.html
・谷浦妙子編『NAFTAとアジア経済―自由化による地域統合への対応―』アジア経済研究所
 
 
 
 
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おつかれさまです! 投稿者:川口  投稿日:11月29日(土)09時28分24秒 
 
おや-、僕が一番乗りみたいですね。今日の飲み会参加した方、みんなお疲れ様でした。自分はカラオケからの参加だったんですけど、先生やOBの先輩とも沢山話すことができてとても楽しかったです。またいつかやりましょう!
石丸くんが電車に乗り過ごさなかったかと、肥田さんのラパンが居眠り事故せず無事に帰れたかどうかが気がかりです。でも極度に眠いのでとりあえず僕は寝ます。先生仕事頑張って下さい。おやすみなさい。
 
 
 
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卒論レジュメ 投稿者:太田実里  投稿日:11月28日(金)11時41分09秒 
 
お忙しいところ申し訳ありませんが、コメントよろしくおねがいします。
 
卒業論文レジュメ
  仮タイトル   『市場経済化に伴う労働市場の問題点』
        ~中国の出稼ぎ労働者について~
                            00E2296 太田実里
 <論文のおおまかな流れ>
計画経済下の農業と工業の大きな格差、また改革・開放以降の急速な市場経済化が労働移動(出稼ぎ労働者)を引き起こし、都市へと流れていく。そのことによって、都市では治安悪化や都市で働く人の失業問題など負の側面を引き起こすが、実は悪いことだけじゃなくて、都市と農村の所得格差が縮まったり、都市に出稼ぎにいった人が、都市で身に付けた技術などを農村に持ち帰るなどといった、プラスの側面も持ち合わせている。
 
<論文の構成>
はじめに
 
第一章 労働移動の概要
・ 市場経済化に伴い、ヒトの行き来も自由になりつつある。80年代の出稼ぎブームに始まり、
今日まで出稼ぎ労働者の数は増え続け、移動も同村内から他の地域へと広域になっている。
ここでは、出稼ぎ労働者の数や特徴、どんな職についているか、どの省出身者が多いかなど(送る方、受け入れる方)。
 
第二章 毛沢東時代の工業化戦略と農村経済について
・出稼ぎ労働者を生み出す要因となった、計画経済下の工業と農業の格差について比較する。
計画経済下の工業化戦略と、戸籍によるしばりにより工業は発展したが、その間農業は生産過剰による穀物価格の低迷や、余剰労働力問題などにより停滞した。
 
第三章 労働移動
・出稼ぎ労働者の労働移動の決定要因、移動パターンなど。
 
第四章 労働移動の結果
・ 出稼ぎ労働者が都市へ移動した後の農村(送り出した側)の経済状態と、都市(受け入れ側)の経済状態(格差など)や、影響などを比較すること。
・珠江デルタをとりあげたい。
・都市に出稼ぎにきた農村出身者が、都市で稼いだ給料を農村に送る。そのことによって所得格差が縮まる傾向にある。
第五章 まとめ
・出稼ぎ労働者の存在は、大きな社会不安や三農問題、失業など負の側面ばかりが注目されているが、彼らが都市の豊富な労働力と低コストを支えていたり、都市と農村の所得格差が縮まるといったプラスの側面も持ちあわせている。
 
終わりに
 
 
<参考文献>
・ 厳善平 『農民国家の課題』 名古屋大学出版会 2002年10月
・ 厳善平 『中国農村・農業経済の転換』 勁草書房 1997年9月
・ 大島一二 『中国の出稼ぎ労働者―農村労働力流動のゆくえ―』 芦書房 1996年
・ 菱田雅晴 『現代中国の構造変動5 社会―国家との共棲関係』 東京大学出版会 2000年6月
・ 呉暁林 『毛沢東時代の工業化戦略―三線建設の政治経済学―』 御茶の水書房2002年2月 
・ 関志雄 実事求是
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/ssqs020125ssqs.htm
・ RIETIコラム
http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0037_t.html
http://www.jri.co.jp/reseach/pacfic/monthly/2003/200301/AM200301china.html
 
<問題点>
・ 全体にまとまりすぎていること。
・ 資料がみつからない(図、データなど)
・第二章にできれば戸籍制度についてもふれたいが、どのようにふれたらいいかまよっている。
・ 四、五章はくっつけたほうがいいような感じがするが
 
 
 
 
 
 
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田中、山田、野末諸君へ 投稿者:李  投稿日:11月28日(金)07時45分19秒 
 
ODA関連の中国側の論点について、たまたま数本ペーパーが手に入ったので、渡す方法がないので、ここに貼っといた。頑張ってください。使う場合は、引用をきちんとしてね。
 
 
 
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朱 完 投稿者:李  投稿日:11月28日(金)07時42分29秒 
 
では話を戻すが、対中ODAの今後はどうすればよいか。以上の分析を踏まえてここで幾つかの提言をしたい。
 
まずは互いに相手の思考様式と実情を理解した上で誤解を解き、信頼関係を作ることだ。日本側は対中ODAとかつて中国が示した善意との関連を無理に否定せず、それと同時に内外情勢の変化、日本国民の気持ちを踏まえて自分の考えを相手にはっきり言おう。それに対し、中国側は経済低迷が続く中でも税金を使って中国の近代化建設に貴重な低金利資金を供与している日本国民の善意をもっと素直に受け止めよう。対日改善を進めている中国指導部はODAに関する広報を、過去を克服するための好材料としても生かすべきだ。
 
 次に、日本は対中ODAの理念を確立し、相手にとって真に役立つ分野に有効に使う工夫をしよう。たとえばばら撒き方式から一点集中方式に(そのプロジェクトといえば日本が連想されるように)改変し、国策として進められている西部大開発や、温家宝首相が推進している東北振興において特にネックである人材育成や日本の「シルバー技術者」がそこで貢献できるような施設作り、さらに貧困地域の教育事業を支援しよう。筆者が橋渡し役を務めた青森県下田町の皆さんが送った支援金によって中国江西省で建てられた校舎が「中日友好楼」と命名され、現地の対日イメージの好転に大きく役立った経験がある。
 
 さらに、日本の国益にとってもプラスになる分野を開拓することだ。全般的に日中友好、中国国民の対日イメージ改善に役立つのみならず、たとえば日本にも黄砂や酸性雨が飛んでくる中国の環境保全に使うこと、両国間のビジネス交流でトラブルが多発している知的所有権の保護に関係する人材育成、日本への輸出が増えている中国の食品と農産品の衛生管理、日中交流に必要な語学人材を育成する日本語研修センターの設置などである。一部の日本企業とそれに関係する「ODA族」に有利なタイド方式から、より多くの日本企業が日中経済交流の中で受益するようシフトすること、日本企業の中国市場での競争力強化に役立つことなど、検討する価値ある課題は結構あると思われる。
 
 日本国内の空気から見て、対中ODAが次第に減額していく趨勢はすでに始まっており、新しい課題はどのようにそれをソフトランディングさせるか、そして「ポストODA」の日中関係のあり方を真剣に検討することであろう。2002年と2003年、対中ODAは相次いで10%台と20%台の削減が行われ、2004年度の大幅削減も避けられない情勢である。日本政府はさまざまな考慮によって対中ODAを減額するとすれば、その結果に関して中国から文句が激しく出ることは予想されない。それより、減額に関する説明の仕方にやや工夫をしたほうがよいであろう。日本自身の経済事情などを丁寧に説明すれば相手も理解してくれるが、相手の「こことそこが悪い」ことを削減の理由に挙げるのは反発を呼ぶだけで、対中ODAがこれまで培ってきた信頼関係と感謝されるものすら損なわれる可能性がある。
 
 5年スパンで展望すれば、対中ODAが終了を迎える可能性は十分に考えられる。終了する時点で、中国人は心理的に日本人ともっと対等な立場に移行するので、アジアの両雄としての日中両国はおそらく史上初めての、真の対等・平等な関係に脱皮する。そのような新しい未来志向の関係をどのように進めればよいか、今から研究していかなければならないであろう。
 
(東洋学園大学 朱建栄)
(初出は『論座』誌だが、大幅に加筆したもの)
 
 
 
 
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朱 続き 投稿者:李  投稿日:11月28日(金)07時41分09秒 
 
日本とぜんぜん違う中国のお礼の言い方
 
 ここまで書くと、日中両民族のお礼の言い方に関する相違にも触れずにはいられない。日本人は子供のときから、「人のお世話になったらすぐ礼を言え」という教育を受け、それを人格判断基準にまで格上げしているが、作家陳舜臣はこれを、人間関係において「プラス・マイナス・ゼロ」を好む日本人の心理的特徴と解釈する。相手から恩を受けたらすぐ返して心に負担を残さない、ということだ。筆者も、日本人の同僚や友人に何かをしてあげたらお菓子や果物、礼状をすぐいただくことに、最近になって、心温まる礼儀だと受け止めるようにもなった。このような心理からODAに関する中国の反応を見れば、戸惑いや反発が出るのもよく理解できるような気がした。
 
しかし強調しておきたいが、中国ではこのようなお礼の表し方では通用しないものである。 自分が他人に何かをして「あげた」としても、それは友情の表現で、お返しを期待すべきでなく、逆にすぐお菓子などが送られると、「こちらの誠意と気持ち(を込めた行動)をちっぽけな物や金銭で量って返そうとするのか」と反発すら生まれる。中国では子供に教えるお礼の作法は「滴水之恩、湧泉相報」、一滴の水ぐらいの恩を受けても、湧き泉のような大きな気持ちでいつまでも返していくというものだ。そしてお礼の言い方、恩返しの作法の極致は2000年前の司馬遷著『史記・魏公子伝』に書かれている。
 
 それによると、魏の公子信陵君が3千人の食客(有能の士)を抱え、面倒を見ていたが、そのうちの一人、もともと門番出身で70歳になった侯嬴は公子から礼を尽くされ大いに世話になったのに、一向お礼を言わない。最後のいざとなったとき、公子のために最大限の努力をした後、ご恩は命で返すと言い残し、自ら首を切った。もう一人世話になった朱亥は死を覚悟して公子のために出征した際、「この賎しいものの私を、公子はご自身でしばしばお訪ねくださった。私が答礼もしなかったのは、小さな礼儀では返せないと思ったからだ。いまこそ命を投げ出してご恩に報いるときだ」と話した。そして文章の後半に、さらに次のようなくだりがあった。「物事には忘れてはならないことと、忘れなければならないことがある。人が徳を施してくれた場合、忘れてはならない。人に徳を施した場合にはどうか忘れてください」。
 
 これが中国人の信仰する最高の恩返し、お礼の作法だ。ちなみに、朝鮮民族もお礼に関しては中国人と同じ発想だ。対中ODA問題、ひいては日中交流全般を考えるとき、お互いに相手国の思考様式を知る必要があろう。
 
    中国から感謝されるODAにしていくには
 
中国人は実際に、自分のために本当に貢献してくれた外国人のほぼすべてに、心からの謝意を表している。日中戦争中にカナダからやってきたベチューン医師が中国人負傷者を救うために命をささげたことで毛沢東は記念文章を書き、それはすべての中国人に読まれている。中国指折りの文学者魯迅が仙台に留学した時、中国人差別が日常化した中で親切に指導してくださった教師について魯迅は後に「藤野先生をしのぶ」という有名なエッセイを書き、それは全国の国語教科書に収録されている。新中国建国のために命をささげた二人の日本人の名前は天津の英雄記念碑に刻まれている。80年代以降も、中国の砂漠植林事業に全力をささげた前鳥取大学教授の遠山正瑛らが中国で周知され、江沢民主席が訪日した際、札幌でそのような功労者の代表4人とわざわざ会い、「中国人民を代表して感謝する」と語った。
 
 
 
 
 
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朱 続き 投稿者:李  投稿日:11月28日(金)07時39分14秒 
 
「お礼」を言ったか言うべきか
 
それに関して中国政府側の対応にも問題があるだろう。当初は「日本にも利益」とやや軽く考えていたODA(80年代前半、その相当の部分は日本への石炭、石油輸出に関連するインフラ整備に使われた)はその後、中国の近代化建設の各方面に拡大され、特に政府の手が回らない部分(内陸部の発展、公害防止、環境対策など)に大きな効果をあげたにもかかわらず、その意義と効果を国内向けに十分な説明がなかった。90年代後半以降、日中関係における歴史問題の突出という背景もあって、ODAが使用された項目に関する適切の広報が抜けたり、それらのプロジェクトが民営化、株式化するにあたって日本への説明を怠ったりする問題も発生している。近年に噴出した日本側の批判を受けて中国指導者が慌てて対日感謝をよく口にし、2000年10月に「日中経済協力20周年」記念活動も行い、北京新空港の国内線手続きカウンターの横に「日本の円借款が空港建設に一部使われた」と説明するプレートも追加で掛けたが、そのような配慮をもう少し早くやればと思うものだった。
 
ただ、「お礼」に関して日本側ももうちょっと冷静な受け止め方が必要であろう。対中ODAは相手への贈与だと一般国民の間で思われがちだが、95%は有償協力で、25年から30年後に返済する義務があり、利子の返済はすでに始まっている。「金を貸すことに感謝を求めるのもいかが」という声が日本国内にも出ている。また、90年代半ば以降、そのかなりの部分は日本企業の受注・日本製設備の購入が前提条件、いわばタイド(ひも付き)方式になっている。中国当局がそれについて黙殺したとされるのも事実誤認であろう(表1参照)。そして98年11月に訪日した江沢民主席が共同宣言で「日本の対中経済協力に感謝する」とも言明している。
 
なお、「中国国民にもっと周知させるべきだ」と求めるのに限界があることも知る必要がある。戦後の日本は、八幡製鉄や富士製鉄の新鋭製鉄所建設、東京電力や関西電力の火力発電所建設、東海道新幹線、東京地区や大阪地区の高速道路および東名高速、愛知用水路など31件分のプロジェクトにおいて世界銀行から低金利資金援助を受けたことをどれぐらいの日本国民が知っているかと、日本人研究者も指摘している(NHK解説委員山田伸二が「あすを読む」番組で行った解説、日経研究センター顧問鮫島敬治の論文など)。
 
1  1980~1994年の『人民日報』における対中ODAに関する報道の統計
80年 81年 82年 83年 84年 85年 86年 87年 88年 89年 90年 91年 92年 93年 94年 合計
円借款   無償援助と技術協力 51 15 33 25 210 02 14 21 22 01 55 33 24 34 42 3552
合計(回数) 6 6 6 7 12 2 5 3 4 1 10 6 6 7 6 87
出処:劉志明論文、『国際協力研究』第24号。
 
 
 
 
 
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朱 続き 投稿者:李  投稿日:11月28日(金)07時37分48秒 
 
こじれの伏線は79年に作られた
 
しかし皮肉にも、対中ODAをめぐる両国間のこじれもここで伏線が埋められた。大平首相がODAの供与に関する対中説明において中国の賠償放棄決定への感謝の気持ちを表したとして、中国の指導者は高く評価し、それを国内の賠償放棄決定に関する不満への説得材料にも使ったが、日本政府側はその後一貫して、賠償問題とODAとは関連がないという立場を取ったのである。本当は多くの日本人はその関連性を理解しており、日本マスコミの報道でも「賠償放棄の見返りとしてのODA」という表現が多数出ており、北京の研究者も「日本の対中ODAにやはり賠償ということが念頭にあると、外務省幹部が認めていた」と述べている(『産経新聞』2000年6月25日)。そして唐家せん外相(当時)は2000年5月13日の訪日記者会見で「国交正常化の際、中国が対日賠償請求を放棄したことに対し、何らかの形で日本が中国の経済建設に協力すべきだとの気持ちが(対中円借款を始めた)大平正芳首相にはあったと思う」と証言している。
 
 本来は、日本側が賠償放棄への感謝の気持ちを対中ODAにこめて、それに対して中国側は表立ってその関連性を言わない、という図式は東洋の礼儀にもっともふさわしいはずだ。しかし日本政府がその関連性に触れなくなった結果、十数年たった後、日本の若手の政治家、学者およびジャーナリストは第3国へのODAと同様な目線を中国に向け、それを対中カードとして捉え、実際に95年の中国核実験のとき、それを「制裁」の手段として使った。そして援助と理解される対中ODAが中国国内で「黙殺」され、感謝もされないとなると、対中不満はいっそう表面化した。
 
 しかし問題は、中国側は「ODAと賠償問題は因果関係」という受け止め方をし(日本側がそれを経済協力と呼んだのも賠償との関係を配慮したためだと、中国側幹部から個人的に説明を受けたことがある)、指導部はまたその解釈をもって賠償問題に不満をもつ国民を説得しつづけた。その理解を常識化した中国の一般国民、幹部、知識人とマスコミは、日本がODAを対中カードして使い、賠償との関連を認めず、さらにいろいろと文句を言ってくることに対し、「相手に金をやる援助国という心理的優位を保つため」などと反発するようになり、日本側が援助の側面を強調するたびに、中国側が賠償問題を持ち出す、という悪循環に陥った。大平首相当時に双方の指導者が培ってきた東洋的な美談が逆の方向に行ってしまったのである。
 
 
 
 
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対中ODA 朱建栄氏の論点1 投稿者:李  投稿日:11月28日(金)07時35分42秒 
 
朱建栄:対中ODAの再考の勧め
 
    対中ODA問題がこじれた背景
 
 ODA(政府開発援助)をめぐって供与側と受け入れ側の間で文句を言い合うのはおそらく日中間の特殊現象だ。日本国内では「有人宇宙飛行に成功した中国をどうしていまだに援助する必要があるのか」「もらった中国がお礼を言わないのはおかしいではないか」といった不満が噴出し、一方の中国では逆に日本側の反応と批判に反発を時々見せている。
 
 1979年度にスタートした中国向けODAは99年度まで、累計額が2兆5千億円に達し、日本のODA受入国の中でもインドネシアに次ぐ最大級の供与額となり、中国の近代化建設の各方面(インフラの整備、農業、環境、公害対策など)を支援し、朱鎔基首相が2000年秋に訪日した際、日本与党三幹事長との会談で、「日本の経済協力によって中国の改革・開放が増進し、次の世紀における友好協力の促進にプラスになった」評価した。
 
 対中ODAが問題としてクローズアップされた日本側の背景について以下の三つが挙げられる。①80年代の対中ODAは「日本のエネルギー確保、中国の近代化支援」という比較的明瞭なビジョンがあったのに対し、近年には理念がはっきりせず、供与の仕方や選択と決定の過程が不透明という問題があると指摘されている。②国内の経済低迷が長く続く中で、税金に由来するODAの余力を国内に回すべきだという声が上がっている。③経済力・技術力・軍事力が伸びている中国に対し援助を継続すべきかというODAの理念に関する論争が起きている。
 
 ただ、ODAが二国間関係にかかわる以上、相手側の受け止め方、本音についても知る必要があろう。特に中国側のそれに関する理解や認識は日本のとかなり異なっており、一部の摩擦や対立はまさにお互いの発想の違いから生まれている。ここでは中国側の認識と思考様式を検証し、それを日本側の見解とつき合わせた上で、今後のあり方を考えていきたい。
 
    賠償問題と絡めた中国側の認識
 
中国では、対中ODAを日本の第3国への援助と異なる性格を持っていると一般的に受け止められている。ほかの国へのODAは日本が侵略戦争や植民地支配についての賠償問題を解決し、相当額の金額や役務を提供した上で供与されたもので、それには援助の意味合いが強い。それに対し、中国の場合、近代以来、日本からもっとも大きな被害を受け、しかも多大の賠償金を日本に取られつづけたのに、敗戦日本からは一切、賠償金を取らなかった、という背景があると認識されている。
 
1894年の日清戦争、1900年の義和団事件で日本は続けて中国から莫大な賠償金を取ったが、前者だけで清国(当時)の歳入総額の2.5年分と日本の4年分に相当し、後に日本がロシアに打ち勝ち列強の仲間入りを果たしたその軍事拡張と産業整備の資金は主にここから得たのである(井上清)。それに対し、中国は1972年の国交樹立に際し、日本から賠償金を一切取らないと表明した。筆者が行った調査によると、終戦当時の価格で最低500億ドルと見積もられた賠償金を取らない決定は64年の時点ですでに下され、周恩来首相はそれについて「一般日本国民に重い負担をかけることは日中の永遠な友好に不利だ」と話して国内への説得に努めた(筆者「中国はなぜ対日賠償を放棄したか」、『外交フォーラム』1992年10月号)。今日にいたって中国国内の民間ではなお、賠償金を取らなかったことへの不満が根強く残っており、そのような認識から出発した中国人のODAに対する見方と、その歴史すら知らない多くの日本人の見方とのギャップはここで生まれた。
 
そして79年に訪中した故・大平首相は72年の国交樹立当時、田中角栄首相を補佐した外相だった経緯もあって、対中ODAの供与を表明し、さらに文化大革命直後の中国が「対外的債務を一切持たない」ことを国是としていた鎖国的な発想を変えさせ、近代化建設に外部の資金を活用する開放路線を導き出した。このような歴史的な視野を持ち、中国に善意で接した大平氏は今も中国では最大級の評価を受けている。
 
 
 
 
 
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唐亮 続き 投稿者:李  投稿日:11月28日(金)07時33分21秒 
 
唐亮
 
対中ODAの終了方法
 
日本の経済協力は中国側の自助努力と相まって、中国経済は急速に成長し、市場経済への体制移行が進展している。日中貿易は今年一千億ドルの大台に迫り、日中交流はあらゆる分野で拡大している。日本が行っている「二国間援助」のなかで、対中ODAはもっとも有効に使われていると言えよう。他方、日本は長期にわたって景気が低迷し、中国の経済力が向上するなかで、日本政府は援助方式を「五年一括」から「年度審査」に改め、二〇〇一年度に対中円借款を前年度より二五%削減した。
 
日中経済状況は変化するなかで、対中ODAの政策転換は当然である。しかし、喧嘩別れを避けるべきである。近年、対中ODAの「不要論」には、中国の「軍拡」および「恩を知らず」などの感情的な反発が多い。日中摩擦の時は特にそうである。そもそも、日中間の「懸案事項」は複雑な要素に絡んでおり、ODAの供与は決して万能薬ではない。しかしながら、対中国ODAは日中関係の「絆」となってきたのも事実である。日中関係の大局はその「絆」を大切にして行かなければならない。対中ODAの見直しは、中国を「けしからん国」に仕立てるのではなく、中国側も理解しやすい日中の経済状況の変化を理由としなければならない。
 
今後、中国経済は成長を続ける場合、対中ODAはいずれ終了段階を迎えることになる。中国自身もODA卒業の自覚を持つべきである。現段階では、「緩やかな削減」が望ましい。中国経済は発展してきたものの、一人当たりのGDPは八五〇ドル(二〇〇〇年度)に過ぎない。中西部の開発が大幅に遅れ、農村の余剰労働力が数億に上る。中国は最終的に自力で問題の解決に取り組むべきであるが、日本の経済協力は問題の解決にしばらく必要とされ、協力資金の流れが急に止まることは自助努力を妨げる。(横浜市立大学)
 
(初出:『政経かながわ』2002年11月号)
 
 
 
 
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対中ODA 唐亮氏の論点 投稿者:李  投稿日:11月28日(金)07時31分29秒 
 
対中国ODAの終了方法を考える
 
 一九七九年末、大平首相は訪中する際、改革開放路線への支持を表明し、対中経済協力を約束した。一九九九年度現在、日本政府は千百二百億円弱の無償援助、二兆四千五百億円あまりの円借款(契約ベース)、千二百億円弱の技術協力(実績ベース)を中国に提供した。円借款供与国のなかで、その規模はインドネシアに次ぐ第二位である。
 
対中国経済協力の原点
 
日本の対中国経済協力は以下のような複合的な目的を持ち合わせてきた。一つ目は、途上国である中国に対する経済支援である。日本は先進国の一員として、人道的な見地から途上国の経済開発に協力し、自助努力を助ける。日本は戦後の復興過程で世界銀行などから資金援助を得ていたし、先進国になってから、中国を含む一五〇カ国の途上国に経済支援を行っている。
 二つ目は、日本の利益を実現する外交手段である。一般論として、対立や紛争は貧困と絡んで発生し、隣国でもある中国の安定は東アジアの平和と繁栄に深く関わるものである。また、外交にも「借り」と「貸し」がある。日本のODAは中国への「貸し」である。この二〇年間、日本政府は様々な場面、特に水面下の外交交渉でODAカードをちらつかして、中国側に注意を喚起し、譲歩を引き出そうとした。
 三つ目は、日中戦争の「償い」である。日中戦争は多くの人命を奪い、中国側に多大損害を与えた。中国政府は戦争賠償を放棄し、それを日中共同声明に盛り込んだ。外交の経緯と国際法の観点は別としても、大多数の中国人と多くの日本人は中国に対する償いが不十分と思ってきた。外交文書では記されていないが、日本政府は「償い」の意味を含めて、対中経済協力を惜しまなかった。
 
中国の経済発展に寄与する円借款
 
日本の対中ODAは中国資金不足の解消に寄与した。一九九〇年代後半に至まで、中国は慢性的な資金不足の問題を抱え、外貨の獲得能力も限られていた。今まで、二四の国および国際機構は中国に資金協力を行ったが、日本の円借款は全体の半分以上を占めている。しかも、返済期間は三〇年から四〇年と長く、金利が低いために、条件の良さは世界銀行などを超えている。
二〇〇二年七月現在、対中国円借款は一兆九千億円分が執行され、約九〇の関連プロジェクトが完成された。長い間、インフラ整備の遅れは中国経済のボットルネックと言われたが、円借款は交通、発電所、水道などのプロジェクトに使われ、問題の改善に繋がった。一九九八年現在、鉄道電化総延長の約三五%(約四千六百キロ)、港湾における一万トン九以上の大型バースの約一三%(約四七〇カ所)、下水処理場の処理能力の約三五%(一日の処理能力が約四百万トン)が円借款のプロジェクトによって実現された。
中国経済が成長するなかで、経済格差の拡大や環境破壊が深刻化した。日本政府は一九九〇年代末から円借款の資金配分を中西部の開発、農業総合開発、環境保護などの分野に移してきた。一九九九年度と二〇〇〇年度、日本政府は二八件の円借款プロジェクトのうち、一六件は環境保護の事業である。特に、重慶、貴陽、成都を対象とする「日中環境開発モデル都市構想」は日中間で大気汚染対策の成功例を作り、中国全土に波及させることを目的とする。
 
 
 
 
 
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対中ODA 関志雄氏の論点 投稿者:李  投稿日:11月28日(金)07時28分38秒 
 
 
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/ssqs/020906ssqs.htm 
 
関志雄HP ホーム>実事求是 目次 
 
なぜ対中ODAが必要なのか
―求められる市場の失敗を補う役割―
 
最近、日本では対中ODA(政府開発援助)を削減ないし中止すべきだという議論が盛んになっている。国内の厳しい経済・財政状況のなかで、高成長を達成している中国に援助を行う余裕がなくなってきていることが主な原因であるが、5月の瀋陽総領事館事件に象徴されるように政治面における日中間の葛藤も見直し論に拍車をかけている。残念なことに、このような議論はODAが相手側に一方的に利益を与えるものであるという暗黙の前提に立っており、運用次第では供与国自身もメリットを享受できるという認識が欠けているように思われる。
 
そもそも、政府による市場の介入であるODAはなぜ必要なのか。資本主義の考え方に基づいて考えれば、本来市場のできることは市場に任せるべきであり、政府が干渉すべきではない。それでも多くの経済分野において政府が大きな役割を果たしているのは、「市場の失敗」を補うという面を持っているからである。教科書的に言えば、公共財、外部性、所得分配の不平等といった問題がその好例である。これらを手がかりに日本の対中ODAのあり方について考えてみよう。
 
まず、公共財とは、人々の生産や生活に必要な物やサービスのうち、料金を払わなくとも利用できるようなもので、さらに、一人が使ったからといって他の人が使えなくなるということのないものである。生産者が負担するコストを受益者から回収できないという性質から、公共財は市場に任せても十分には供給されないのである。公園や道路などがその典型だが、友好な国際関係も一種の公共財と見ることができる。ODAを通じて、供与国と受入国との関係が改善できれば、戦争の可能性が低くなり、その上、貿易や直接投資などの経済交流も促進されることになる。
 
実際問題として、日中間では歴史問題が尾を引いており、「日中友好」の外交辞令とは裏腹に、終戦後半世紀以上が経過した今でも、中国における反日感情がいまだに根強い。日本企業が中国に進出する際、常に反日感情に遭い、欧米企業と比べて不利な立場になると多くの日本の経営者が感じている。ODAを通じて、中国人の間でも日本に対する好感が持たれるようになれば、日本企業の対中ビジネスもより円滑に展開されるだろう。残念ながら、日本が中国に対して膨大な援助をしているにもかかわらず、中国ではあまり感謝されていないという報道に象徴されるように、当初期待された効果は必ずしも上がっているとは言えない。この状況を改善するためには、中国における広報活動の強化と日中間の信頼関係の構築が欠かせない。
 
次に、外部性とは、ある経済主体の行動が他の経済主体に直接的に(悪い)影響を与えることであり、公害問題がその典型例である。中国では、人口の増大と工業化の進展を背景に、砂漠化、大気・水の汚染など自然破壊が深刻化している。ODAにより、中国国内の環境問題の改善が可能になるだけではなく、酸性雨や黄砂など日本が中国から受けている被害の軽減にもつながろう。環境問題に取り組むに当たって、日本の先進技術はもとより、その経験と政策も中国にとっては多いに参考になるはずである。
 
最後に、所得分配が不平等である場合、人道的立場から、豊かな国が貧しい国を援助するのである。貧困の解消は受入国の政治・社会の安定にも寄与するであろう。特に中国は日本の隣国であり、混乱が起きると、難民の流出など、日本にとっても対岸の火事では済まされない。このように、貧困の解消は外部効果の予防という側面も有している。中国は近年目覚しい経済発展を遂げつつあるとはいえ、いまだ一人当たりGDPが1000ドル未満の低所得国である。さらに国内においては地域格差が大きく、沿海地域と比べて内陸部が、また都市部に比べて農村部が遅れをとっている。自立成長の軌道に乗りつつある沿海地域の都市部はともかく、中国の人口と国土の大部分を占める内陸部と農村部に関しては、ODAから卒業するのはまだ時期尚早である。
 
2002年9月6日掲載
 
 
 
 
 
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箇条書きですが 投稿者:石丸  投稿日:11月25日(火)09時00分32秒 
 
00E2101 石丸泰央
 
<資源戦略> 資源を巡る Sacrifice Victims Presidents
 
はじめに
 
第一章 ブッシュの戦略
・ ブッシュはテロの発生を8月に知っていた。
・ テロを利用して進められた「ユーラシア戦略」
・ 「対テロの戦争」の真の狙いは、石油・エネルギーの確保という「国益」。(9・11以降、アメリカが訴えている「対テロ戦争」世界の警察であるアメリカが、テロを一掃して平和な世界を作ろうとしているのは表向きの話し)
・ 9・11は堂々と中央アジアに乗り込むチャンスとなった。
・ なぜ確たる証拠も提示せずに、ビンラディンを容疑者と断定し、あっという間にアフガニスタン空爆に踏み切ったか。
・ アメリカの後押しを受けたカルザイが、パイプライン計画を実現。
・ オイルビジネスとブッシュの知られざる関係。 
・ テロ以後の変化
 
第二章 中国・ロシア・日本・アジアの資源戦略
エネルギー開発を急ぐ中国
・ 中国の石油消費量は、とうに日本を抜いている。
・ 猛スピードで進む原子力発電プロジェクト。
・ 天然ガスにも目覚めた中国。
・ 資源確保のための、「ならず者国家」と交流
 
・ 知略家指導者プーチンは、再び超大国をつくるのか。
・ 米ロ急接近の理由は、チェチェン紛争とエネルギー問題。
・ アメリカが孤立したとき、ロシアの存在感は際立つ。
 
・ EU アメリカのパイプライン建設。 最も遅れている日本(パイプライン建設より自由化が先にきてしまった日本つまりパイプライン投資が進まない)日本の天然ガスシェアは、臨海地区の大型発電所需要を中心に12%にすぎず、先進国の中で最も低い。その裏返しで石油シェアが5割を超えて先進国最高
 
 
第三章 今後
・ 天然ガスが東アジアを安定化。
・ 東シベリアに眠る大資源。(イルクーツク近くで発見されている、コビクタ・ガス田を国際石油会社BPとロシア企業が開発し、中国東北部と韓国までパイプラインを建設して供給する計画が、中国・ロシア両政府の政治的バックアップを得て動き出す可能性が出てきている。東アジアで初めてこの国際パイプラインが稼動し始めると、将来的には対馬海峡を渡って日本にまでパイプラインでこの膨大な天然ガス資源が供給されてくる可能性が十分にあるのである。距離的には3000~4000km程度の長い距離だが、途中に北京や韓国などの大消費地が存在するので、国際常識ではパイプラインを供給することが十分可能な距離である。)
・ 現在の日米関係は・・・
・ 突き付けられた時間切れ。
・ ブッシュ政権の今後のアジア戦略は、中国重視へ。
 
終わりに
 
参考文献 
・「世界を動かす石油戦略」 石井彰・藤和彦 ちくま新書 2003 1・20
・ 「誰も気がつかないブッシュの世界戦略」 川村亨夫 ダイヤモンド社 2003 1・9
・ 「ブッシュのアメリカ」 三浦俊章 岩波新書 2003 7・18
・ 「テロ後世界はどう変わったか」 藤原帰一編 岩波新書 2002・2・20
・ 「本当は中国で何が起きているのか」 宮崎正弘 徳間書店 2002・2・28
・ 「テロ」と「戦争」のもたらしたもの:中東からアフガニスタン、東南アジアへ 酒井啓子編 千葉:日本貿易振興会アジア経済研究所 2002・2
・ 「世界の紛争」 東京書籍
 
 
 
 
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(無題) 投稿者:伊藤  投稿日:11月24日(月)16時03分22秒 
 
前日で申し訳ありません。時間のほうありましたらコメントお願いします。
産業空洞化と対中企業進出
                             00E2014伊藤祐介
 
はじめに
 
第一章 円高と国家政策による空洞化
    一、企業が地域を選ぶ時代
    二、雇用の空洞化
 
第二章 技術基盤の崩壊
    一、地方と都市の技術集積構造
    二、中小企業政策と労働組合の取り組み
    三、人づくり
 
第三章 アジア進出
    一、輸出組立基地から市場として
    二、ネットワークづくり
 
第四章、対中自動車産業
    一、対中自動車産業の歴史
    二、中国自動車産業の現状
 
第五章、対日投資の理想と現実
 
おわりに
 
問題点 歴史が最初に来てしまっていること
 
参考文献
  関 満博 「空洞化を越えて」 日本経済新聞社 1997年
  (社)大阪自治体研究所 産業空洞化を越えて 文理閣 1997年
  牧野富夫 ものづくり中小企業の可能性 新日本出版社 1998年
  宋 仁守 アジアの中の日本 日本の中のアジア 法律文化社 1999年
  渡辺利夫 中国に向かうアジア アジアに向かう中国 東洋経済新報社 2001年       SuperCity 上海 2003年10月     
 
 
 
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時殷弘人民大学教授の発言、ICCSシンポ基調講演者 投稿者:李  投稿日:11月21日(金)15時04分41秒 
 
メールマガジン中国週報の続き。
 
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■編集後記★
 
 ―米国への対応に集中し、台湾問題における独立阻止・統一促進への努力に
集中し、そのために動員できるすべての積極的要因を動員し、回避又は緩和で
きるすべての牽制と障害を回避又は緩和するという戦略的集中の原則を忘れて
はならない。
 
 ―米国の実在的潜在的な対中防備、圧力と脅威に集中的に対応し、合わせて
台湾問題での独立阻止・統一促進の重任に集中的に力を入れられるよう、大い
に中日関係の改善、中日接近の実現をめざす。
 
 ―米国の東アジア・西太平洋地域におけるわが国への戦略的警戒と台湾問題
を戦略的中心にし、ただ朝夕を争わんの姿勢で、わが国軍隊の全面的な近代化
を速めるべきだ。
 
 ―中国はいま軍事力のかなり全面的な近現代化を加速しつつあり、しかも台
湾独立は決して許さない姿勢を堅持している。
 
 いずれもいま日本でも話題の時殷弘人民大学教授の言葉です。国務院台湾事
務弁公室が「住民投票立法」による「台湾独立」の分裂活動に警告しました。
台湾問題は中国にとって最重要課題、陳水扁当局の動きは懸念されます。
 
                          2003年11月21日
 
 
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 メールマガジン中国週報・毎週金曜日発行  2003年8月8日創刊 
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稲垣君へ 投稿者:李  投稿日:11月21日(金)15時00分28秒 
 
TCLとフランストムソンのテレビ事業部を統合して、一躍世界最大のテレビメーカーになったことを書くべし。2週間前の出来事。松下との提携はおそおそして、たいして進んでいないはず。TCLのほかの国の企業との提携に触れたほうがいい。日本企業と対照的になる。日経テレコムなどを調べるべし。
 
 
 
 
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斉藤亮君へ 投稿者:李  投稿日:11月21日(金)14時55分18秒 
 
秘密はエッセイぽいね。週刊誌のタイトルみたい。まだインパクトのほうがまし。タイトルは最後提出直前でもいい。書きたければ、なかの章にそれっぽい見出しや小見出しをつければいいじゃない?要は中味だ!タイトルはネクタイか帽子だね。
 
 
 
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続き 自動車、エネルギーなど 投稿者:李  投稿日:11月21日(金)14時48分50秒 
 
■3★米国は台湾独立に断固反対すべき 北京でヘイグ元国務長官強調
 
 米国のヘイグ元国務長官は18日、北京で開幕した「新世紀の中米欧関係、チ
ャンスと挑戦」と題する国際学術シンポジウムで「米国は1つの中国の立場を
堅持し、台湾独立に断固反対すべきだ」と強調した。
 ヘイグ氏は演説原稿から離れて台湾問題について述べたもので、シンポジウ
ムの出席者から注目された。
 
 ヘイグ氏は「ニクソン大統領(当時)が1972年に訪中した際、周恩来首相(
当時)が台湾問題は中米間の核心の問題であると繰り返し強調したのを覚えて
いる。その後、両国は3つの共同コミュニケを発表し、また台湾問題について
何度も話し合っている。問題が出たとき、米国は1つの中国の立場を堅持する
と改めて表明し、台湾独立に断固反対すべきだ」と述べた。
 シンポジウムは会期3日で、中国国際戦略学会、何東(ホートン)国際関係
問題学会の共催。中国の周文重外務次官、何東国際関係問題学会の何鴻章主席
はじめアジア、欧州、米国の15カ国の元政治家、専門家、学者ら150人が出席
している。                     (北京11月18日発新華社)
 
■4★台湾問題に対する立場重ねて表明 呉委員長、シンガポール首相と会見
 
 中国全国人民代表大会の呉邦国常務委員長(国会議長に相当)は19日、北京
の人民大会堂で、シンガポールのゴー・チョクトン首相と会見し、台湾問題に
対する中国の原則的立場を重ねて表明し、台湾問題は中国の主権と領土保全に
関わっており、台湾同胞を含む13億中国人民の感情に影響を与える問題だと強
調した。ゴー首相は、台湾は中国領土の不可分の一部であり、シンガポールは
1つの中国政策を堅持していくと表明した。
                     (北京1119日発中国新聞社)
 
■中国経済★「縦2横2」が年末までに開通 中国の国道主幹線網
 自動車道路の国道主幹線網「縦2横2」の「3重要区間」が年末までにほぼ
つながり、高速道路を中心にした中国初の国道高速交通網が完成することにな
った。
 張春賢交通相によると、「縦2横2」中の3つの重要区間はすでに完成して
いる。長さ658キロの北京~瀋陽線はすべて高速道路で2000年9月に完成、開
通した。北京~上海線は1262キロで、同年末に全線開通した。成都と北海を結
ぶ西南部の海に出るルート、全長1709キロは2001年12月開通した。
 一部区間は未開通で、現在急ピッチで建設が進められている。「縦2」は黒
竜江省同江~海南省三亜と北京~珠海線。「横2」は連雲港~コルガス線と上
海~成都線。
 国道主幹線網「縦2横2」が開通すれば、中国最北の黒竜江省同江から最南
端の三亜まで車で走り抜け、また最も東の連雲港から最も西のコルガスへ直行
できるようになる。              (北京11月13日発新華社)
 
■中国経済★ハルビンで重合体リチウムイオン電池の自動車公開 世界初
 
 世界で初めて重合体リチウムイオン電池を使った電気自動車が15日、中国の
ハルビン国際会議展示スポーツセンターで公開された。専門家は、使用されて
いる重合体リチウムイオン電池は世界をリードするもので、幅広い用途がある
としている。
 この電気自動車の外観は普通の「紅旗」と変わらないが、前部後部のボンネ
ットを開けると、ガソリンエンジンの代わりに、86個の重合体リチウムイオン
電池がみえる。運転時の走りは安定し、最高時速が120キロに達し、1回の充
電で316キロの走行が可能。普通の220Vの電源で、4時間かけて充電する。旅
行中はホテルなどで充電が行える。    (ハルビン11月15日発新華社)
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■中国経済★中ロ韓の3社がIFS報告書に調印 コビクタ・ガス田開発事業
 
 ロシアのRUSIAペトロリアム、中国石油天然ガス総公司(CNPC)、
韓国ガス公社は8年間の評価、研究作業の末、14日モスクワで、170億ドルに
上るガスプロジェクトの国際事業化調査(IFS)報告書に調印した。
 3カ国政府がこの建設プロジェクトを認可した場合、ロシアはシベリアの大
量のガスを中国と韓国に輸出することになる。
 3社はこのガス、コンデンセート・プロジェクトが技術的経済的に実行可能
なことを確認しており、IFS報告書をそれぞれの政府に提出し、認可を得た
うえで次の交渉に入る。
 このプロジェクトでは4887キロというアジア最大のガス・パイプラインが敷
設される。東シベリアのイルクーツク州にあるコビクタ・ガス田と中国の瀋陽、
北京、大連を結び、さらに海底を通って、韓国の平沢(ピヨンテク)に至るも
の。                  (モスクワ11月14日発新華社)
 
 
 
 
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情報提供(台湾など) 投稿者:李  投稿日:11月21日(金)14時41分51秒 
 
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中国週報(第16号)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□2003.11.21発行
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      発行元:中国通信社 協力:日本僑報社
 
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特集1:台湾問題
■1★陳水扁の「住民投票立法」による分裂に警告 国務院台湾事務弁公室
 
 国務院台湾事務弁公室の責任者は17日、陳水扁当局が「住民投票立法」によ
る「台湾独立」の分裂活動を進めていることについて、警告の談話を発表した。
内容次の通り。
 
 陳水扁当局は最近、民意に基づくと偽り、「台湾独立」を目指す各種の分裂
勢力に迎合し、分裂活動を強力に進めている。彼らは「住民投票立法」の過程
で、分裂活動に有利な条文を盛り込み、「台湾独立を目指す住民投票」を実施
するための「法的根拠」を整え、住民投票や「憲法の制定」を通じて「台湾国」
を建国し、「台湾独立」の主張を実現しようとしている。これは非常に危険な
分裂行為であり、1つの中国の原則に対する公然とした挑戦であり、両岸関係
を破壊しようとするものであり、台湾海峡の情勢、アジア太平洋地域の平和と
安定に対する脅威であり、台湾同胞を含む13億中国人民に対する重大な挑戦で
ある。陳水扁の行為は、彼がかつて表明した約束「四不一没有」(5つのノー
=(1)「台湾独立」を宣言しない(2)「国名」を変更しない(3)「二国
論」を憲法に盛り込まない(4)統一か独立かの住民投票を行わない(5)「
国家統一綱領」と「国家統一委員会」を廃止しない)に背くもので、国家分裂
の本性を完全にさらけ出している。今また彼は、分裂活動は「四不一没有」に
抵触しないと表明、詭弁をろうしている。これは台湾同胞をだまし、国際世論
を欺くためのものだ。しかし、うそで事実を覆い隠すことはできず、紙で火を
包むことはできない。世間の目をごまかして密かに行っている陳水扁の陰謀は
絶対に目的を達成することはできない。
 
 台湾同胞はわれわれの血を分けた兄弟であり、われわれは主人公として暮ら
したいという台湾同胞の願いを尊重している。しかし、陳水扁が「住民投票立
法」と「台湾独立の是非を問う住民投票」を通じて分裂活動を行うことには断
固反対する。陳水扁当局の冒険行為は、台湾同胞の根本的利益に完全に背いて
おり、台湾同胞を危険な淵に一歩一歩近づけている。台湾住民をこれ以上だま
し、愚弄することをやめ、一歩手前で踏みとどまり、「住民投票立法」を利用
した国家分裂の犯罪的活動を直ちにやめるよう、われわれは陳水扁当局に警告
する。
 
 世界に中国は1つしかなく、台湾は中国の神聖な領土の不可分の一部であり、
中国の主権と領土保全を分割することはできない。台湾は両岸同胞の台湾であ
り、13億中国人の台湾であり、「台湾独立」を目指す分裂勢力による分裂は容
認しない。民族の根本的利益にかかわる、国家主権と領土保全を守る重大な原
則問題に対する中国人民と政府の態度は従来から明確で断固としており、絶対
に揺らぐことはない。台湾を中国から分裂させようとするいかなる者の陰謀も、
台湾同胞を含む13億中国人民による真っ向からの痛撃を浴びることになろう。
 
                      (北京11月17日発新華社)
 
 
 
 
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コメントお願いします 投稿者:斉藤  投稿日:11月21日(金)01時29分31秒 
 
レジュメを発表してから少し考えたて題名を少しかえようかと思います。メイド・イン・チャイナのインパクトからメイド・イン・チャイナの秘密にして先生がおっしゃったとおり柱をコストにして価格などをあげていきたいと思いました。日本とくらべたり中国での独資企業の増加とかの秘密を探っていきたいと思いました。
 
 大変お忙しいと思いますがコメントを伺う機械が少ないのでよろしくお願いします
 
 
 
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ありがとう! 投稿者:森田  投稿日:11月18日(火)19時54分57秒 
 
稲田君、万代さん、それに柘植さんの手記拝見しました。
三人とも、本当に忙しいと思う。
そんななか、書いて頂いて、非常に感謝しています。
 
ゼミ論集第六号の編集作業は着々と進んでいるようで、
年明けて、すぐに完成する予定だそうです。
 
堤君の手記も、首を長くしてお待ちしております。
 
それと、万代さんと柘植からから連絡あったと思いますが、
来週金曜日に肥田さんと、斧研さんが豊橋に来られます。
その時に、飲み会を開こうと思ってますが、来られる?
参加できる時は、森田まで連絡ください。
 
一年目で大変でしょうが、仕事頑張ってくださいね!
 
 
 
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稲田和典君からの論集投稿 投稿者:李  投稿日:11月18日(火)00時00分00秒 
 
努力賞受賞手記
稲田和典
 
 私は、ケーブルテレビというものを卒業論文のテーマに選んだ。なぜ、そのテーマを選んだかと言えば、今私が働いている職場に関係している。私は今ケーブルテレビ局で働いています。しかし、学生時代に、これから就職する上で、何をすればいいのかを考えた。実際に働いてみないとわからないことはたくさんある。しかし、ケーブルテレビと言っても色々なものがある。歴史、現状、そして、未来。その様々なものを調べてみたくなったのである。そして、それを卒業論文にして調査・研究しようと思ったのである。そして、卒業論文が完成し、それが努力賞に選ばれたと聞いたときは、驚きがありました。自分としては、就職のために調べたものが、賞に輝くとは思っていなかったからです。しかし、卒業論文にてケーブルテレビを勉強したことは、良かったと今思います。
 ケーブルテレビの仕組みや歴史を調査、研究したことは今の自分にしっかりと生きていると確信出来るからです。ケーブルテレビでテレビを見るということにおいても、テレビの電波はどのように流れているのかなど、具体的なことがわかったからです。
 確かに、実際に働き出してから7ヶ月色々なことがあり、わからないこともやはり多くありますが、上記のこと以外にも、もし卒業論文にてケーブルテレビを調べていなければ、今より多くのことがわからなかったのではないかと思うからです。
 今、私はとにかくひたすら一生懸命に働いています。まだまだかけだしです。わからないこともまだまだあります。ですが、卒業論文を書くときもそうでしたが、とにかくひとつひとつやってみることが大切なのかなと今は思います。
 私は、営業という仕事をやっています。ひとつひとつのことを大切に実行していくという気持ちを忘れずにこれからも努力していこうと思います。
 
p.S.編集委員へ:学籍番号をつけてください。昔の論集にあったはず。李
 
 
 
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万代真理子さんからの論集投稿 投稿者:李  投稿日:11月17日(月)23時57分47秒 
 
「経済学会賞を受賞して」
99E2361 万代真理子
 
李ゼミ4期生の万代です。ご無沙汰しています。
大学4年間、勉強で一番力を入れたのは卒業論文でした。2年生の頃、毎日の授業の中でふと「大学でこれだけはちゃんと勉強してきた!」といえるものは何になるのだろうと考え、その頃はまだ何について書くかも全く決まっていなかった卒業論文だけは本当に力を入れてやろうと思っていました。ですから、賞を頂けたことは未だに信じられないのですが、本当にとても嬉しいです。
私は「中国の携帯電話産業」を取り上げました。携帯電話は身近な題材のために、少しはわかっているつもりだったし、書きやすいだろうと考えていました。しかし、資料を集め始めると、意外と専門用語が多かったり、知らないことや考えもしなかったことなどが、すぐにでてきました。「携帯電話もなかなか奥が深い・・」などと思いながら、「へぇ~、そうなんだ。」と知識を付けていきました。そして、調べていくうちに、だんだん知ることが面白くなってきて、書き始めは卒論の指定枚数まで書けるのか不安でしたが、書き終わるとどこを省こうか考えなければならないくらい書いていたことに少し驚きました。
私は卒業論文を書いたことで、中国の携帯電話産業についての知識を少しでも持つことができたことは、勿論よかったと思いますが、知ることの喜びを再確認したり、自分でも力を入れて学んだと思えたことがよかったと思います。そして改めて、卒業論文を書くにあたり、協力してくださった李先生をはじめとする皆様に感謝しております。
今年の春、私は社会人となり、学生のような勉強をする機会は減った今、めいっぱい力を注いで卒業論文の製作にあたれたことは私の中で誇りにできることであり、この経験は大きなものです。今、仕事関係で勉強しなければならないことも山のようにあるのですが、そちらの方にも、やる気を出して、積極的に取り組んでいこうと今この文を書きながら改めて思っています。
最後に本当にお世話になった李先生、ならびに先輩、同期の皆さんにもう一度感謝し、終わりにしたいと思います。ありがとうございました!!
 
 
 
 
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遅くなりました 投稿者:稲田和典  投稿日:11月17日(月)23時18分38秒 
 
ゼミ4期生の稲田です。
お久しぶりです。
 
李先生、森田君、ゼミ論集作成の皆様
努力賞受賞手記の提出が遅れましたこと、
大変ご迷惑をお掛け致しました。
本日、李先生と森田君に送信しました。
 
しかし、ゼミ論集のページ設定がわからなかったため、
特に何も設定をせずに作成をしてしまったので
提出が遅れただけでなく、お手数をお掛けいたしますが
よろしくお願いいたします
 
 
 
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ODA、上海協力機構 投稿者:李  投稿日:11月16日(日)13時14分21秒 
 
田中君へ:
 
僕ならODAとイラクと中国有人宇宙飛行とリンクして書き出すね。今年も20%削減って決まったばかりのはず。
 
歴史から始まるのはくどい!人に読んでもらうために、ダイナミックなところから書いたほうがいい。背景説明として、過去にさかのぼる。中国は半分ぐらいスペースを取ってほしいね。昨年の論集レポート、超えることを期待してる。発表時は資料を示してほしい。
 
野田君:
 
流れはできている。資料を使いわける必要。偏らないように。
 
使っていると思うが、図書館検索コーナーに朝日、読売、日経など検索できる。
そこはヒットしませんか。あるはず。最近の中露接近とリンクの必要。
 
来週、高校同級生同士の発表、楽しみだ!
 
 
 
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遅くなって申し訳ありません・・・ 投稿者:田中です。  投稿日:11月16日(日)12時33分25秒 
 
遅くなって申し訳ありません。時間がありましたらコメントお願いします。
 
ODA(政府開発援助)~未定~
                            00E2155田中 盛康
 
はじめに
第一章 日本のODA
1、ODAとは
2、ODAの始まり
3、ODA概要
第二章 日本のODAの特徴
1、円借款
2、アジアを重点分野
3、経済インフラ
第三章 東南アジア・東アジアにおけるODA
 
第四章 対中ODA
1、 対中ODAの始まり
2、 基本方針
3、 援助内容
第五章 対中ODAの特徴
 
第六章 これからのODA援助
 
むすび
<卒論要旨>
 日本は1979年以来、中国に対し30兆円もの援助を行ってきた。しかしながら、昨今の日本では今まで以上の援助は行えなくなってきている。むしろ削減されてきているくらいだ。こうした中、世論では量よりも質の高い援助内容が求められてきている。また一方では援助自体の廃止までもが求められている。こうしたことをふまえ、これからの日本のODAの形態がどのように変化していくべきかを検証していきたい。
第一章ではODAとはどういうものなのか、またどういう経緯で始まったのか、どのような援助を行っているか等を検証する。
 第二章では日本のODAの特徴を挙げ過去のデータを取り上げながら検証していく。
 第三章では第二章で上げたアジアを中心という視点から、東南アジアでの援助内容、また、東アジアでの援助内容等を検証していく。
 第四章では、対中ODAの始まりから基本的な理念、過去の援助内容からどのような効果が上がっているのか等を検証していく。
 第五章では対中ODAの特徴を上げる。
 第六章ではこれからのODA援助として、どのような点で改善していくべきか、対中ODAの見直しが騒がれる中、経済面、環境面など様々な視点から検証してみる。
 
問題点
 一番書きたいところが最後に来てしまっている。第五章にたどり着くまでにダラダラなりすぎているような気がする。
 
 
 
 
 
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卒論レジュメ 投稿者:野田  投稿日:11月12日(水)16時25分49秒 
 
まだまだな部分がたくさんあって申し訳ありませんが、コメントをよろしくお願いします。
 
「中国におけるイスラムと民族問題」
00E2167 野田 恵右
 
はじめに
第一章 トルキスタンの歴史
第二章 東トルキスタン共和国
 第一節 第一次東トルキスタン民族独立運動
 第二節 第二次東トルキスタン民族独立運動
 第三節 東トルキスタン共和国の消滅
第三章 現代の東トルキスタン民族独立運動
第四章 今後の展望
おわりに
 
要旨
今日、世界各地でテロが頻発している。2001年9月11日に米同時多発テロが起きたことは記憶に新しい。ブッシュ米大統領は、それを境にテロ撲滅をかかげ、アフガニスタンやイラクに侵攻した。国際社会がテロ対策に注目を集めているが、テロはいっこうになくなる気配がない。現にイラクでは、アメリカ侵攻後、テロが多発している。今日のテロの多くは、「アルカイダ」が関わっているとされ、イスラムと深い関係がある。中国でもテロが頻発しており、これらは民族問題と大きく関わっている。目覚しい経済発展をしている中国にとって、民族問題は避けて通ることのできない重要な課題である。本論文では、中国のイスラム世界である、新疆ウイグル自治区にスポットをあて、東トルキスタン民族運動を中心に、私たちには理解しにくい民族運動が、なぜ起きるのかを解明していきたい。そして、今後どう進んでいくのか見ていきたい。
第一章では、19世紀までの新疆ウイグル自治区の歴史について触れていきたい。トルキスタンがどのような経緯を経て形作られていったかを見ていく。その中での中国やロシアとの関係も見ていく。
第二章では、この民族問題での重要なキーワードになる「東トルキスタン」について見ていく。1933年に始まる東トルキスタン民族独立運動から東トルキスタン共和国の成立、そして消滅までを当時の国際情勢や漢民族支配者の統治政策などの面から見ていく。
第三章では、東トルキスタン共和国の消滅後の民族運動の状況を見ていく。また、上海協力機構の動向も交えつつ、中国政府の対応を見ていく。
第四章では、インターネットなどで集めた現地の様子や現地の人の声をもとに今後どうなっていくのかを見ていく。また、他の民族問題とも照らし合わせて見ていきたい。
 
問題点
・上海協力機構の情報がなかなか見つからない。調べ方が悪いのかもしれないが。
 
参考文献
今谷明 『中国の火薬庫』 集英社 2000年
王柯 『東トルキスタン共和国研究』 東京大学出版会 1995年
21世紀研究会 『イスラームの世界地図』 2002年
毛利和子編 『現代中国の構造変動 7』 東京大学出版会 2002年
山内昌之 『イスラームと国際社会』 岩波新書 1998年
台湾時報 http://www.evahi-ho.ne.jp/y-kanatani/E7-1htm
 
 
 
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李先生ーゼミ論 投稿者:植松  投稿日:11月12日(水)02時33分50秒 
 
先生のコメント読ませていただきました。沢山の指摘ありがとうございます!最近は時間に余裕があまりないのですが、出来る限りの所まで進めてみます。
 
 
 
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来週は… 投稿者:野末  投稿日:11月11日(火)17時46分15秒 
 
写真撮影を行いますので、15時に6号館の一階玄関にて(オシャレをして)集合してください。
遅刻厳禁!!!
 
それと、3年生は今日提出したレポートを来週までに先生宛てにEメールで送ってください。提出していない人は、紙のほうも来週のゼミ時に提出するように。お願いしますm(__)m
 
 
 
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卒論発表用レジュメ 投稿者:山田裕俊  投稿日:11月11日(火)00時24分04秒 
 
大変遅くなって申し訳ありません。よろしくお願いします。
 
卒論レジュメ
中国の環境問題と日中環境協力
00E2016 山田裕俊
<構成>
はじめに
 
第一章 中国の環境問題の実態
大気汚染・酸性雨、森林伐採・砂漠化、水質汚濁、ゴミ問題等のデータや実際の被害について
第二章 中国自身による環境対策
環境立法、環境政策、これまでの環境対策の歩み(五ヵ年計画、アジェンダ21等)
第三章 日中環境協力
政府による協力、都市間協力(北九州市等)、企業(TOTO、三菱重工等)
第四章 対中環境協力がうまく機能しないのはなぜか?
日本が公害を克服した当時と比べて何が違い、何が問題となっているのか。自然環境の問題、日中相互の信頼関係の欠如等。
第五章 これからの対中環境協力。
第四章を受けて、どうしていくべきか。中国の環境がどのようになっていくべきか。ドイツを例に挙げ「環境先進国」になるために。
終わりに
 
要旨
中国の環境問題については日々取りざたされているし、数々の国が環境協力をしているのだが、なかなか解決しない。日本や諸外国からの協力がうまく機能していないのが原因の一つであると考えられるが、それはなぜだろうか。日本が同様の問題を克服した時と何が違い、それによりどのような対策が必要なのか。当時の日本と比較しながら書いていきたいと思う。
 第一章として、中国の環境問題の実態、華々しい経済発展の裏側でどのような環境破壊が起きているかを述べる。データや被害状況、公害についても触れる。
 第二章では、自国の問題として中国がどのような対策を行ってきたかを述べ、それぞれの政策の効果を検証してみる。
 第三章で日本の対中環境協力の内容について述べる。政府間、地方間、企業間協力それぞれについて有効性を検証する。
 第四章がこの卒論でもっとも書きたいと思っている部分である。環境協力がうまく機能しない理由として国土の問題、人口の問題、自然環境の問題等と多くの問題があり、これらの問題を考えに入れなければ協力自体無意味なものになりかねない。環境協力がうまく機能していない理由、背景を書いてみたいと思う。
 そして第五章、全体のまとめとして(特に四章を受けて)どうしていかないといけないかを述べる。例としてドイツが環境先進国と呼ばれている理由を考察し、中国もそのようになっていくためにしていかなければならないことを述べる。
 
<問題点>
要旨に書いたとおり、第四章が力を入れて書きたい部分なのだが、伝えたいことが出てくるのが四章だと遅いような気がする。力を入れたい部分についてははじめにで触れるつもりだが・・・。
 
参考文献
定方正毅『中国で環境問題にとりくむ』 岩波新書 2000/9/20
小島麗逸『現代中国の構造変動 環境-成長への制約となるか』東京大学出版会2000/9/30
勝原健『東アジアの開発と環境問題 日本の地方都市の経験と新たな挑戦』勁草書房2001/4/15
平子義雄『環境先進的社会とは何か ドイツの環境思想と環境政策を事例に』世界思想社2002/5/20
日本環境会議/「アジア環境白書」編集委員会『アジア環境白書2000/01』東洋経済新報社2000/11/2
中国情報局ホームページ http://www.searchina.ne.jp/
環境省ホームページ http://www.env.go.jp/
 
 
 
 
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(無題) 投稿者:野田  投稿日:11月10日(月)20時00分56秒 
 
明日ですが就活で休みます。
 
 
 
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ゼミ論集のアンケートについて 投稿者:稲垣  投稿日:11月10日(月)16時30分24秒 
 
明日11日のゼミ時に論集に載せるアンケートをします。4年生もやってもらいます。3年生には申し訳ないんですがもう一度おねがいします。ここに質問を載せておきますので考えておいてください。9問からしたは4年生と3年生の二人ずつ書いてもらいます。
 
1.李ゼミのいいところ
2.李ゼミの変えたほうがいいと思うところ
3.(ゼミメンバーで)キレたら怖そうな人は?
4.(ゼミメンバーで)キレても怖くなさそうな人は?
5.(ゼミメンバーで)一番早く結婚しそうな人は?
6.(ゼミメンバーで)最後まで結婚しなさそうな人は?
7.(ゼミメンバーで)酔ったら変になる人は?
8.(ゼミメンバーで)上司にしたい人は?
 
9.あなたの尊敬する人物は?
10.好きな有名人は? (男女)
11.宝くじで一億円あたったらどうしますか?
12.行ってみたい国、場所は?
13.透明人間になったらどうする?
14.大学卒業後の自分はどうしてる?どうしていたい?
15.先生に一言
 
 
 
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卒論要旨(2) 投稿者:楊  投稿日:11月10日(月)15時51分43秒 
 
 2002年米国対中国の貿易赤字が千億ドルを越え、米中間の貿易不均衡が急拡大している。米国産業業界は人民元の対ドル相場がずっと低い水準に維持されているとする不満が強まっている。2002年5月に数人の議員が下院で「第二のプラザ合意」を求めた。2003年の春以降米国は、中国に対して変動幅の拡大を促してきた。2003年9月APEC財務相会議で、米国スノー財務長官は人民元の切り上げを求めた。そして、中国を訪問して直接メッセージを伝えた。2004年の米大統領選について「貿易に関する主要な問題は中国だ」という指摘があった。米国が抱える多額の対中貿易赤字や、ドルに対して事実上の固定相場制となっている人民元の変動相場制への移行などが、経済政策上の重要な争点になる。だから、ブッシュ政権は来年の大統領選のために、中国の人民元の切り上げを促し続けるであろう。日本は微妙な立場にあり、中国に対しては、元の切り上げを促す一方、中国と一緒に為替政策の批判を受け取られた。9月20日のG7会議で、G7声明は国や地域を名指しはしてないものの、日本と中国の為替政策を批判したものと受けられた。以上のような、この論文の第四章は高まる人民元への切り上げ圧力の原因をさかのぼって,特に中国はWTO加盟して以来、経済・金融面での国際化の進展に伴い、為替相場制度今のままでよいのか。中国政府は為替改革より、安定を最優先であると強調して、中国政府はなぜこのような慎重な、リスクを最小化の対応政策を取るかなどについて分析する。
 2001年に、中国のGDPはすでに世界第六位となっており、将来には米国、日本に次ぐ地位を占めることになると予想できる。世界第六位の経済大国の通貨が国際通貨として通用することは、自然なことと考えられる。しかし、人民元が国際通貨となる条件をまだ満たさない。第五章は人民元が国際通貨になるために、どんな条件を満たす必要があるかと考査する。さらに、人民元が国際通貨になるために、経常取引の自由化のほかに資本取引の自由化を実現しなければならない。資本取引の自由化を実現するために、多くの課題を克服しなければならない。例えば、現在の金融機関不良債権の処理、国有商業銀行の改革、外国為替相場制度の改革などについて考査する。
 最後に、第六章では今後の中国人民元の為替相場制度を展望することにしたい。中国はWTO加盟したあと、金融分野の対外開放が実施されるが、いろいろな問題をまだ解決していない。人民元為替相場制度は中国自身の為替相場により決定されるだけではなく、国際的な圧力による影響も受けなければならない。中国人民元を切り上げる可能性が十分あると思う。短期間に大幅上昇するのではなく、緩やかに上昇するじゃないかと予想される。
 
<問題点>
1、このテーマでよろしいですか?
2、こんな感じで書くのがよろしいですか?
先生、お忙しいところすみません。コメントをよろしくお願いします。
 
 
 
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先生へ:卒論要旨を載せます(1) 投稿者:楊  投稿日:11月10日(月)15時48分03秒 
 
楊です。
すみません。卒論要旨を載せてなかったです。
 
卒論要旨:
 最近、国際為替市場では中国人民元為替相場を取り巻く空気が大きく変わってきた。以前の人民元切り下げ論に代わり、人民元切り上げ論を取り上げられている。米国では、日本では何回も人民元を切り上げるべきだと要求した。
 人民元は1994年以降、ドルにペックした固定相場制ということになっている。アジア通貨危機に人民元の為替相場の安定は、アジア経済ないし、世界経済の混乱を最小限に抑えた。なぜ米、日、欧先進諸国は最近中国人民元の切り上げを求めるか。中国経済の国際化が進展する中で、人民元は今後どのような方向に向かうのであろうか。この論文では、以上の問題を踏まえ、中国人民元切り上げのメリットとデメリットを分析し、そして今後の人民元為替相場を展望することにしたい。
 わかったように、日、米、欧など諸先進国では変動相場制度が採用されている。中国は固定相場制度を採用している。どの為替相場制度が最も適したものであるか。まず、第一章は理論的に為替相場制度を考査する。通貨当局はどのように為替相場を目標水準に誘導するかを考査するために、為替介入の効果に焦点を当てる。そして、固定為替相場制度と変動為替相場制度のそれぞれのメリットとデメリットを考査して、金融政策と財政政策の効果を考査する。
 第二章は人民元為替相場の現状を分析するために、現在までの為替相場の推移を振り返ってみる。そして中国為替相場制の特徴を述べる。
 1997年7月、アジア通貨危機の発端となったタイの通貨危機が発生し、アジア各国に波及した。アジア危機は単なる為替レートの調整という意味での通貨危機にとどまらず、金融システムの崩壊も起こって、対外債務の不履行と国内の経済の悪化を招いた。第三章はアジア通貨危機の背景を提示する。大量の外資流入が国内経済にどのような衝撃を与えることなどについて調べ、アジア通貨危機の原因をさかのぼる。そして、為替レートの調整という点から捉えて、通貨切り下げの伝染の原因を検証してみる。アジア危機の中に、もし人民元の切り下げをすれば、どのような影響を及ぼすかについて考える。人民元の切り下げを回避し得たことはアジア金融危機において貢献したであろう。
 
 
 
 
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論集コメント第3弾 投稿者:李  投稿日:11月10日(月)01時51分43秒 
 
城間レポート:
 
人民元切り上げ
 
基本的によくまとまっている。この調子でもう少し掘り下げてほしい。
問題:
①(全員共通!)注で出所を出す時には、書名やURLだけではだめで、著名者、論文名が不可欠、でないと怒られる。著作権は基本的に個人にあるので、実際書いた人の前を出さないとだめ==これは全員共通!加藤さんも同じ問題。
 
②(全員共通!)直接引用は必ず「」をつける。注も最初に持ってくる。終わりではない。間接引用(自分の言葉を交える、丸写しではない場合)なら、「」要らない、注だけでいい。
 
③(全員共通!)最後はばらばら。「まとめと感想」に統一しよう。このときに思いっきり、「自分」を出していく。自分の意見が述べられるところが少ないから、ここが一番。
 
④(全員共通!)「用語解説」を全員つけよう。必要に応じて多い人と少ない人に分かれるが、前回の論集と同じように、つけよう。その場合は、出所を明記する必要。解説らしく詳しいほうが望ましい。参考文献に、著者名、書名(論文名)、出版社、年、が必要。
 
城間さんの場合は、最後に自分でも「調べる余地がある」、「人民元切り上げの必要がある」と書いているところをもっと掘り下げてほしい。いまは「関志雄先生」に頼りすぎる嫌いがある。
 
――――――――――――――――――――――――――――――――
加藤良美さんへ:これまでとの重複を省く。
 
①タイトル:
中国の国際貿易、サブタイトルは要工夫、貿易3回出るのが多い。
 
②図表:
全員共通!図表にも出所と原資料両方をつける必要。
 
③記述:
全員共通!文が長い。段落も。5行ごとに改行が必要。長い文には句読点を使って区切ること。
 
④引用、注:
日経新聞だけではまずい。著者名、文章名、日経、日付の順で全部明記。著作権上問題あり。
 
⑤第3節
「日中・米中貿易の将来像」に改める。直接引用と間接引用の区別を(全員!)。
 
全体的に非常に要領よくまとめている。あえていえば、もっと自分を出してほしいなあと思った。
自己流の味付け、色付けをどこかでしてほしいなぁ~(はじめにや、まとめと感想などで)。参考文献はちょっと少ない?
 
 
 
 
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情報提供、自動車と高速鉄道、携帯 投稿者:李  投稿日:11月 9日(日)14時00分31秒 
 
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中国週報メールマガジン(第14号)□□2003.11. 7発行
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      ○発行元:中国通信社 ○協力:日本僑報社
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★★★★★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
■中国経済★北京初の環城高速道路が開通
 
 北京市初の環城高速道路、5環路が1日、開通した。2008年の北京五輪プロ
ジェクト群の中で最初に完成したインフラでもある。
 
 5環路は北京市街と郊外の境界を走っており、中心部からの距離は10~15キ
ロで、全長98.58キロ。完全出入制限、完全立体交差高速道路の規格で設計さ
れている。6車線、設計時速100キロ、投資額136億4000万元。
 
 5環路の開通は、北京と他の省・直轄市を結ぶ道路の交通渋滞、市内の交通
渋滞を緩和し、都市機能を強化し、衛星都市の建設を促し、環境保護を強化す
るとともに、08年五輪のために好ましい交通条件を整え、北京の経済と社会の
発展に重要な役割を果たすものと期待されている。
 
 自動車騒音が周辺住民の生活に影響を与えるのを回避するため、居住区に近
い区間に15カ所の騒音遮断壁が建設された。
                      (北京11月1日発新華社)
 
 
★★★★★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
■中国経済★今年世界のベスト4入り 中国の自動車生産台数
 
 中国の自動車生産販売台数が第4四半期に120万台に達し、年間で430万台を
超える見込みで、生産台数に基づく世界ランキングの4位に入るとみられてい
る。中国自動車工業協会が予測した。
 
 まとめによると、1~9月期の自動車生産台数は昨年同期比35.7%増の319
8900台に達した。うち乗用車は87.23%増の140万9800台。自動車販売台数は
30.16%増の311万8300台で、うち乗用車は68.83%増の134万1000台。
 
                  (北京10月31日発香港中国通信社)
 
 
★★★★★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
■中国経済★上海磁気浮上式鉄道、来年から正式営業
 
 上海の磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー)が11月1日から毎週営業し、
来年正式開業する。
 
 上海磁気浮上式鉄道公司関係者によると、磁気浮上式鉄道の浦東空港駅が一
般に開放されてから、磁気浮上式鉄道は一段と交通機能を発揮するようになり、
利用客が急増している。かなりのビジネスマンが浦東空港駅と市内を7分足ら
ずで結ぶ磁気浮上式鉄道を利用している。
 
 正式開業に先立ち、磁気浮上式鉄道は11月1日から毎週営業し、始発時間を
午前9時に繰り上げ、毎日上下46本運転する。
                     (上海10月31日発中国新聞社)
 
 
★★★★★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
★★★★★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
■中国経済★知的財産権有する3G携帯電話の開発成功 重慶郵電学院
 
 中国が完全に知的財産権を有する初の3G携帯電話(第三世代携帯電話)の
研究開発がこのほど重慶で成功した。世界初のTD-SCDMA3G携帯電話
で、中国が移動通信技術の面で先進国の仲間入りを果たしことを示している。
 
 重慶郵電学院の3G携帯電話研究の責任者、鄭建広教授によると、汎用IC
チップとソフト無線技術を結びつけ、独自の特許技術を加えたという。
 
 大唐電信は重慶市江北区にTD-SCDMAの現場実験網を完成させた。開
発された携帯電話はこの実験網の中で自由に通話できる。現在、重慶郵電学院
は国内の携帯電話メーカーや通信事業者との間で、商業化、産業化協力を模索
しており、2005年には大規模に市場に投入される見込み。
 
                      (重慶11月2日発新華社)
 
 
★★★★★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
 
 
 
 
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論集コメント 投稿者:李  投稿日:11月 9日(日)13時57分07秒 
 
植松君へ:
 
結構面白いレポートになった。データが貴重!これをもっと手入れしたら、完成度が高い!修正点は以下:
 
テーマ:
「マイカー時代とそのプレーヤーたち」
 
図表とデータ:
表1や図1など通し番号で。今年は430万台の予測で、フランスを抜くことが確実。図表での生産台数は二〇〇〇年からのほうがいいね。中国より多い国順に並べる。
 
生産台数の表も日中だけではなく、中国より多い国順に並べたらどうか。
保有台数の表もそうしたらどうでしょう。一気に世界の中での中国の位置付けが明確になる。
データは雄弁的に語らせる。立体的になる。場合によって、図表を増やしてもいい。データに圧倒されるとの感想、すごくいいから。上記のデータに韓国も入れる。
 
交通事故についても米国、ドイツ、フランス、韓国などを追加してほしい。警察庁HPなどあるいは、ゼミHPのリンク集にある検索エンジン(Yahooだけでは情報が足りない!=全員共通)で調べる。そんなに簡単に情報が転んでくるもんじゃない。
 
1万台あたりの事故率と事故死率を計算したらどうか。それを中日米独仏+韓国の国際比較(世界トップ5)。一気に事態の深刻さが分かる。一人あたりの保有台数も計算する。
 
道路もそう。とにかく、第1部は「データが語る中国の交通事情とモータリゼーション」にする。
データにモノを言わせる戦略をとる。迫力満点だよ。
 
2部の最初に、合従連衡図をもってくる。続いて各社の販売状況など。
各社の戦略を語る前に、つなぎの言葉が必要。いきなり出てくるから突然で不自然。心の準備を与える必要。「日産戦略」ではなく、「日産の中国戦略と事業展開」にして、ほか同。
 
注がない。これじゃ問題大!細かくつけろ!
 
これらをクリアすれば、後一息で大レポートになる。卒論の骨格が見えてくる。その覚悟で枚数を気にするな。長くても平気。いずれ自動車生産大国(韓国含む)の国際比較の視点でデータを整理することが鍵!がんばれ!
 
 
 
 
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来週卒論発表用のレジュメ 投稿者:楊  投稿日:11月 9日(日)12時35分17秒 
 
              人民元のインパクト
                           00E2501 楊 秀潔
序論
 
第一章 理論的に為替相場制度を考査
  第一節 為替介入
  第二節 固定相場制度VS変動相場制度
  第三節 固定・変動相場制度下の金融財政政策の効果
 
第二章 人民元為替相場の推移と現状
  第一節 人民元為替相場の推移
  第二節 人民元為替相場の現状
  第三節 人民元為替相場割安の弊害
 
第三章 アジア通貨危機と人民元
  第一節 アジア通貨危機の背景
  第二節 人民元為替レートの影響
 
第四章 最近人民元切り上げを求める声
  第一節 人民元切り上げのメリット
  第二節 人民元切り上げのデメリット
  第三節 人民元切り上げるべきか
 
第五章 人民元が国際通貨になるか
  第一節 国際通貨の必然性
  第二節 人民元が国際通貨となる条件
 
第六章 今後の展望
 
結び
 
参考文献:
藤原秀夫・小川秀治・地主敏樹 『国際金融』 有斐閣 2001/4/30
古島義雄 『アジア 中国 日本――企業と金融の改革』 シグマベイスキャピタル株式会      社 2002/9/25
樊勇明・岡正生 『中国の金融改革』 東洋経済新報社 1998/12/17
戴相龍 著  桑田良望 訳 『中国金融読本』 中央経済社1999/5/10
賈宝波 「中国人民元為替相場の現水準の評価と今後の展望」 『国際金融』1102号        2003/3/15
細川美穂子 「最近の中国貿易と対中直接投資を巡る動き」 『国際金融』1108号 
     2003/7/1
伊藤隆敏 「中国元は切り上げるべきか(上)」 『経済セミナー』586号 2003/11 
      日本評論社
 
 
 
 
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柘植聖子 SARSとの闘い(3) 投稿者:李  投稿日:11月 9日(日)11時19分31秒 
 
SARSで私の生活は・・・
 
SARSが流行りだしてから、毎日親から電話があった。日本では大騒動になっているみたいで、中国にいる私の姿や行動が見えない親にとっては心配でたまらなかったことだろう。「お願いだから1日でも早く帰ってきて。」と。帰りたくない私ではあったが、親の気持ちも痛いほどわかっていたので、心配かけないように、SARSについてなるべくたくさんの情報取り入れ、できることはすべて予防対策として行っていた。まず、毎日体温は測って、高熱がないことを確認。また親から「毎日マスクして、家に戻ったら手洗い・うがいをしなさい」と、マスクだけでなくハンドソープや、イソジンが送られた。部屋も窓を開けて、常に空気がきれいな状態でいるようにしていた。SARSは湿気に弱いことを聞き、洗濯物は部屋で乾かして湿気を出したり、マスクもガーゼを水にぬらして着用していた。さらには、緑茶はカテキン効果があるから菌を殺してくれる。と聞いて、マスクにお茶の葉を入れたりもした。SARS菌が物に触れることによって、うつらないよう、友達の親が手袋を送ってきてくれたので、それも着用するようにしていた。私は1人暮らしではなく、3人で暮らしていたので、1人でも感染者が出ればと間違いなくうつるので、人に迷惑かけないためにもそれぞれ自己管理は厳しくしていた。(ほんの家の前に出るだけでもその都度マスク着用して、戻ったら手洗いとうがい。というのはけっこう面倒だったけど。)服もマメに洗うようになった。
 
今までとは違って外に遊びに行ったり、買い物にでかけたり、そんなことがなくなって、この時期はかなりの引きこもりだった。というより、主婦だった。大学が終わって昼からは昼寝→洗濯→掃除→料理。外に食べに行くなんてことは、怖くてなくなった。どの店を覗いても客はおらず、SARSによって経済的にすごい打撃をうけたことが伝わった。安くておいしい市場や屋台で食べるのが私は好きだが、このときばかりは衛生面を考えて、我慢するほかなかった。自分で料理することで、栄養をしっかりとっていた。やはり衛生面や栄養面も欠けていれば、免疫力が低下し、感染しやすくなってしまうからではないか。と思ったからだ。洗濯と料理以外では、DVDを見ていた。中国語の勉強にもなるし、近くのショップに行ってたくさん買った。
 
でもこんな生活も1・2週間もすれば飽きてきた。運動もするわけでもなく、ただ、大学から帰ったら外出することもない。友達もいないし、遊びにいくこともない。何だか孤独さえも感じることがあった。だが、ルームメイトは私と同じ残り組だったので、今までは干渉することがなく、それぞれで行動していたのが、SARSによって行動を共にしたり、一緒にご飯食べたり、語り合ったりする回数も増え、本当の家族のようで、とても家の中があったかくなった気がした。
 
そんなこんな生活をしている間に、私のビザがきれる時期が近づいてきた。本来なら、ビザを延長して7月までいる予定だったが、こんな状態だったので帰国することにした。授業料の払い戻し、修了証書ももらって、帰国したのは6月下旬で、SARSも落ち着いてはいた。
 
だが空港私はマスクを2重にしていた。空港内は意外と人は多かったが、マスクしているのは少なかった。友達から聞いていた通り、空港では厳しくチェックされた。まず、中に入るときと、搭乗前に体温チェック。1枚の紙にSARSについてのアンケートに答える。搭乗してからも中で体温チェックがあって、ゆっくり寝ることができなかった。日本に着陸した際にも体温チェックと健康状態のアンケートを記入。かなり面倒くさかった。しかも体はいつもと変わらず調子いいのに、なぜか、体温は測る時に「もしかして熱があったらどうしよう」と変にドキドキした。熱があれば、日本に戻ってきても、隔離されて、家に帰れなくなるのはもちろんのこと、家族にも会えないからだ。
 
 無事に家に帰ることができたが、その後1週間、親から「1歩も家に出るな」と言われ家の中に隔離されていた。
 
まとめ
 
 以上のように私の留学は幕を閉じた。友達とのあっけない別れや、すっきりしない帰国で心残りでもあった一方、こんな経験は2度とすることはないだろうということを、体験できたのはとても貴重なものであったと同時に、衝撃的なことでもあったので、一生忘れることはないだろう、1つのいい思い出となった。(完)
 
 
 
 
 
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柘植 SARS(2) 投稿者:李  投稿日:11月 9日(日)11時17分59秒 
 
SARSが北京に?!そして天津にも・・・・
 
 旧正月が終わるとすぐ新学期がやってくる。前学期と同じような生活にまた戻った。この生活サイクルに慣れ、何か刺激が足りなくなったと思い始めた4月ころから中国に異変が・・・。SARSが北京にも広まり始めた。天津から近いが、環境や生活が普段と変わりなかったのでそのとき私はまだ危機感はなかった。香港や広東でのニュースを見ているとみんなマスクして、町を歩いている。このSARSの勢力は衰えることを知らず、広まる一方であった。日に日に感染者数や死亡者が増えていった。感染者数は1千人を軽く超していた。この北京が危ない時に私は友達と北京に行った。さすがに人が多い駅は危ないと思い、電車では行かず、タクシーで出かけた。北京市に入って高速からおりるとき、1人1人体温チェックをされた。ここで、体温が高い人はSARS感染の可能性が高いとみなされ、入れさせてもらえないのだ。
 
4月下旬には北京の大学がほとんど閉鎖された。また北京の大学では中に入るのに、学生証の提示が必要とされていた。留学生の帰国勧告も出されていた。また娯楽施設や店も閉鎖されており、とても首都北京と思えないくらいの静まりようだった。近いので天津にも広まるのは時間の問題だと思っていたらほんの1、2週間の間で一気に天津にも広まっていった。大学の授業はあるものの、みんな帰国の為、日に日に人数が減っていって、いつも席が足りなくて、隣の教室から机といすを借りてくるくらい満員の教室もガランと寂して、教室がとても広く感じた。(人数が少ないほうが授業を受けやすい感じもしたけど・・・)
 
みんな突然の帰国で、せっかく留学でいろんな国の人と交流をもつことができ、友達にもなれたのに、こんな終わり方というのは本当に残念でならなかった。7月に予定のHSKもSARSによってなくなってしまった。そして現代中国語学部の愛知大学生も飛行機をチャーターしての帰国となったとき、私はやっと天津もヤバイな。と感じはじめてきた。
5月にはほとんどとの留学生が帰国して、残っているのはほんのわずかだった。クラスも同レベルのクラスはすべて1つになり、時間割や、先生も変わった。外に出歩く中国人もマスクをし始めていた。毎週末行っていたボーリングやカラオケ、体をリフレッシュするのにたまに通っていたお風呂屋等の娯楽施設が北京と同様に閉鎖状態になった。よく行っていた古文化街も全店と言っていいほど閉まっていた。また料理店や服屋、スーパー等の店内や大学、私が住んでいたアパート、タクシーなど、いたるところで、消毒されるようになった。私が通う大学では正門からの出入りのみが可能で、学生証の提示が必要となった。授業を受ける教室の棟に入る際も、日時や目的、サインなどの記入が必要となった。
 
 高熱がでるのがSARS感染の1つの大きな特徴であるため、私が住んでいたアパートでは1枚の表が配られ、毎日体温チェックも徹底されていた。ただ、風邪で熱が出たときは、この時期だけにSARSではないかと不安になったときもあった。
 このような状況下であったので私の生活は今までとは変わった。(続き)
 
 
 
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柘植聖子 留学体験記(後編) ~SARSとの闘い~                      投稿者:李  投稿日:11月 9日(日)11時15分50秒 
 
留学体験記(後編) ~SARSとの闘い~  柘植 聖子
 
私は昨年9月から今年の6月まで中国天津南開大学に留学していました。世界的ニュースとなったSARS期での留学のため、予定より早い帰国となってしまいましたが、ある意味貴重な体験をさせてもらったと思っています。流行するまでは、みんなが想像している留学生活と変わりはなく、ごく普通に暮らしていました。朝8時に授業が始まり、午後からは昼寝や買い物、夜に予習復習、そして週末には飲みに出かけたり・・・。この生活サイクルがなくなったSARS時期での留学生活を中心にお話します。
 
冬休み
 
 1月中旬から下旬にかけての2週間私は友達と旅行をした。天津→広州(寝台列車32時間)→海南島(寝台バス13時間+船1時間)だ。実際SARSは11月から始まっていたと言われ、1月には華南部にずいぶんと広がっていたらしい。この頃はまだニュースにもなっておらず、まったく耳にもしていなかった。観光名所である中山記念堂、敷地いっぱいに咲く蘭園にも行った。広州では3日滞在し、さらに南へと向かった。寝台バスは予想をはるかに越えるほど汚く狭かった。中国人は、靴のままベッドにあがっていたので、ベッドには砂がついているし、用意されていた枕やタオルケットも洗ってないようで、髪の毛もついていて、とても使う気にならなかった。本当にこの13時間は長くて辛かった。でも海南島についてこの辛さもぶっ飛んだ。噂通り「中国のハワイ」だった。整備された道路の両サイドには椰子の木が並んでいた。ビーチに行ったら、水は海底が見えるほど透き通っていて本当にきれいで感動した。真夏のように暑かったので、めいっぱい泳いできたのがとても気持ちよかった。1月ということをすっかり忘れていた。夜になるとネオンが水に反射しキラキラと美しかった。とても中国とは思えず、夢の国に来たみたいだった。
帰りは飛行機で一気に天津まで戻ったが、飛行機から降りた瞬間の寒さから一気に現実に戻らされた気がした。
天津に戻ると朝から夜まで爆竹が鳴っている。もうすぐ旧正月だからだ。それも朝早くからで私は何度も起こされた。大晦日の夜、花火が上がるので、私は友達と一緒に繁華街に出かけた。色鮮やかな花火は冬でもとても綺麗だったが、そこら中で爆竹が鳴らされ、その量も半端ではなく、外にいてとても怖かった。火事になったり怪我人がでたりしないのかと思った。日本の正月と違ってとてもにぎやかで派手だと思った。元旦、中国人の友達の家に遊びに行き、餃子をきちんと皮から作って食べました。日本で言う、お雑煮や御節料理を食べる感覚なのでしょう。基本は水餃子で焼き餃子を作ったことがないと言ったので半分焼き餃子にして私が作ったら、おいしいと言って食べてくれたのでとてもうれしかった。
 
 
 
 
 
 
 
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論集コメント 投稿者:李  投稿日:11月 9日(日)11時10分49秒 
 
京都から帰ってきた。
まず、前回の続き。
 
学祭時に稲田君に会った。ぼくに借りがあることをまだ覚えているようだ(うれしい)。
昨年の学会賞は条件付だった。稲田君のほかに、万代さんもいるはず。
受賞のお言葉、いつもらえるのかな?堤ゼミ長の手記は?
 
柘植聖子の留学体験記が来た。結構おもろい。でっかいマスクの写真がリアルだった。
SARSと闘っているところを。11月28日3期生の肥田・斧研さんが来るので、OBたち+現役の参加可能な人、一度声をかけたらどうでしょう。悪いが、森田君が跨る学年の幅が広いから、やってみてね。ついでにOBたちのゼミ論集原稿の催促もお願いしたい。
 
 
 
 
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おめでとうが続く 投稿者:李  投稿日:11月 8日(土)01時52分33秒 
 
学祭の間、名古屋でのICCSの国際シンポ3日間と正面衝突だったので、最終日しか出られなかった。
 
富山から3期生の京角理恵さんが来て、会えなかったが、メールをもらった。それによると、1期生の花木朋子さんが結婚したそうです。おめでとう!いまは花木でなくなったかも。なにきだろう。
 
あと、第3倉庫に行った。南亮平、ヤベッチ、石田君に会った。今年OBが少ないそうです。今度ゼミでOB会をやりましょうということに。
 
軽音の山田君の演奏をこっそり聞かせてもらった。ライブハウスは空気悪い!酸欠になりそう!
結構しぶかったけど。
 
そう、稲垣君はこの間、販売士とれたそうで、おめでとう!いいセールスマンになってね。
 
野末君:就職説明会のこと、もし締切に間に合わなかったら、同窓会に言えば、伸ばしてくれるかも。時間が大丈夫だと思うが。
 
 
 
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斉藤亮と川口への爆撃 投稿者:李  投稿日:11月 8日(土)01時40分37秒 
 
遅くなってごめん!
 
まず、4年生、3年生全員へ:前回のゼミでアナウンスしたように、昨年12月と今年1月のゼミ・ダイアリーを必ず見てほしい。そこに1期上の先輩の卒論へのコメントびっしりあったはず。方法論的に同じだから、もう繰り返さない。
 
斎藤君へ:
これでは、斉藤レポートと同じジャン!斉藤卒論はなにか新鮮さがある?追加でもいいが。1年経って、こんなに成長しましたとの記しが少しほしいね。
 
具体的に第三章の書き方だね。産業空洞化に触れて全然かまわないと思う。昨年のゼミ論集は本みたいなものなので、ダブってはまずいけど、卒論は個人プレイだから、人と関係ない。
 
だから思い切って、第三章は「産業空洞化説と日中生産分業」にしたら?これなら将来展望まで書けるので、着地点がよくなる。空洞化論分析、人件費20分の1説の分析もできる。
 
目次は大丈夫。はじめにとむすびが長くなったら、1、2と区切ればいい。第二章は長くなったら
タイトルを「中国の産業集積・その一=珠江デルタ」、第三章「中国の産業集積・その二=長江デルタ」、のように、fish boneをいじればいい。そんならゆったり書ける。
 
要は背筋を伸ばすこと。はっきりと柱を立てたら、背が高くても立つ。背骨がしっかりしてないか曲がっているので、立たない。(本より短いでしょう。。。。。。。。。。。。)がんばってね。最後は方法論だから。
 
川口卒論はテーマが斬新(!)な分、資料が少ないにことに決まっている。火曜日にもう少し貸そう、届いたばかりの国際自動車コンプレックス報告書を。ただそれでも足りない。日経テレコムを使っている?
 
議論の背景を拡張する。いわゆる「小泉流(竹中流でもいい)の構造改革」の流れのなかで捉え直す手もある。つまり規制緩和や民間の力を引き出すとか。それは明日の選挙で問われるものでもある。そんなら枚数が膨らむし、明日の日本像が見える(?)かも。
 
また、横の比較:たとえば、アジアの経済特区の流れ。中国、韓国、台湾、マレーシア、フィリッピンなど特区がある。北欧にも特区がある。そこを膨らませて(辞書や本など)、横糸で色付ける。見つかるといいね。HPとかに参考文献が出ていない?日本の特区の参考例として。日経記事に出たような記憶がある、今年1月か去年末。
 
まあ、諦めないで。文献探しは長いレースだよ、自転車旅行と同じ(写真頂戴)。
 
 
 
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ゼミ論集コメント 投稿者:李  投稿日:11月 8日(土)01時08分38秒 
 
稲垣編集長へ:
 
編集委員のみなさん、ご苦労さまです。自分のレポートを抱えながら編集を進める気持ちよく分かります。稲垣君からの中間報告をここに貼っておきます。みんな協力してあげてください。
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途中報告します。
 印刷会社の方にはメールですが挨拶しました。原稿などだいぶまとまってきたらまた連絡くださいとのことでした。
 論集のアンケートは先週行いました。11日にもうすこしつけくわえるためもう一度アンケートをするつもりです。こちらは完成間近といったところです。
 論集の表紙と写真選びは、城間さん、目次作成は碓氷さんにおねがいしました。目次は完成しそうだそうです。表紙は、慎重に選びたいのでもう少しかかりそうです。
 
 次に自分の論文ですが、1、2節はもう少し詳しくしていくつもりなのですが、3節が決まりません。まとめ的な内容もいれていくつもりですが、さらに、二輪などをいれるべきなのでしょうか?
 
 11月24日から軟式野球部の最後の大会で東京に行くことになりそです。(次の試合で大敗しなければ大丈夫なんです)で、論集の公園のページに自分の野球人生についていい機会なので書きたいんですがいいですか?
 
ーーこれは大歓迎です。もし公園欄に投稿したい人がいたら、直接稲垣君に言ってください。
これまで「公園」の評価が一番高くて、増やしてほしいとの要望が結構ありました。
僕だけでは諸君の趣味や活動を把握してきれないので、公園はゼミ生やOB全員にオープンしています。ぜひ写真付きで投稿してください。
 
僕の方は本当にゼミ大好きですが、いま大学や外の仕事がどんどん増えて、ゼミに分ける時間が益々限られてきます。今日は名古屋で講義、明日一番は京都です。
諸君はぜひ自主性をもって論集や卒論にあたってください。
 
目標はただひとつ:李ゼミの先輩に引けをとらないこと。諸君のおかげで李ゼミは本当にいい伝統
が築き上げられています。
 
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稲垣レポート:方法論的には全員共通!
 
まずテーマですが、内容からして「対中直接投資と日中間の戦略的アライアンス」にしたらどうでしょう?
 
共通:念のため、レポートの最初に目次を書きましょう。そんならもっと人の目を引くタイトルや小見出しの工夫をするでしょう。迷子にならないように、自己チェックもできる。道路標識みたいなもの。それがfish boneなんだ。
 
2輪を入れたほうがいいね。関連日系企業のHPや日経テレコムに資料があるはず。小見出しはいい加減。読ませる工夫を!
 
共通:注書きは稲垣はまだいいほうだが、全然だめな人もいるし、中途半端も多い。徹底的に!
そんなら、つなぎの文章を考える、自分のコメントや解説を入れることができる。最後の「まとめと感想」(これについて全員つけてほしい!)もより血の通ったものになる。
 
注は前の注と同じものは、同上、p.15、とかにする。離れて、本の場合は、稲垣、前掲書、pp.15~17.あるいは、注Xに同じ、p.19とか。繰り返しは格好悪いから。
 
ミスプリントが多い。執筆時の自己チェックと編集時の読み合わせが必要。これも出版だから。
短い文は無理に3とか4にしなくていい。
 
最後の着地点が弱い。普通の情報で細ぼそと終わった感じ。2輪で補充を。長さは問題ではない。参考文献はもっと書いたほうがいい。引用していなくても。
 
 
 
 
 
 
 
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続き 投稿者:森田  投稿日:11月 6日(木)22時04分48秒 
 
偉そうなことを言いました。
これが、今僕ができるアドバイス。
これまでの頑張りを1とするなら、12月9日までに100の頑張りをしてください。
 
他の人も二回目の発表をしなくていいように、準備を進めること。
三年生のレポートの内、三人のレポートを読ませてもらった。
三人とも一回目にしては良く出来てると思う。
四年生も三年生に負けないように頑張ってください。
 
こんな勉強するのも今年が最後。
就職したら、このような勉強は出来ないよ。
大事にしないと。
 
 
 
 
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