ユニクロと中国の繊維産業

2002年5月28日発表             

南チーム<川口、小塚、斉藤、森田、田中>

一.“ユニクロ”

 

ユニクロの歴史

1、社史

 1949年 山口県宇部市にて「メンズショップ小郡商事」を個人経営にて創業

 1963年 個人経営を引き継ぎ宇部市に「小郡商事株式会社」を設立

 1984年 「ユニクロ」という店名で第1号店を広島市に出店、カジュアルウエア小売業に進出

  1985年 プラザ合意 固定相場制から変動相場制に移行 生産拠点を海外へ

1991年 商号を小郡商事株式会社から、株式会社ファーストリテイリングに変更

 1994年 直営店舗数が100店舗を超える

1996年 中国山東省に新たに生産拠点設立 

 1996年 直営店舗数が200店舗を超える

 1997年 直営店舗数が300店舗を超える

 1998年 本社を山口県山口市に移転

 1999年 中国上海市・広州市に生産管理事務所を開設⇒安定した商品供給体制の確立の一環として

 2000年 直営店舗数が400店舗を超える

 2001年 株価急落、「ユニクロ神話崩壊」と謳われる

 2001年 直営店舗数が500店舗を超える

2001年 イギリスに4店舗(ウィンブルドン、ブロンプトンロード、アクスブリッジ、ロムフォード)オープン

  2002年 社長交代 柳井正氏から玉塚元一氏へ、集団指導体制へ

 

2、生産拠点を中国へ

1985年、プラザ合意の成立により固定相場制が変動相場制に変わり、ドルに対する円の価値が一気に100円程度跳ね上がる

                  ↓

              ユニクロ海外へ進出

                  ↓

翌年、香港企業と契約を結び、「ユニクロ方式」を構築

           ↓

1996年、新しい生産拠点を中国山東省に設ける

                  ↓

結果、高品質・大量生産・安定した供給が可能な体制を確立 

                                         

     生産拠点を中国に移転した理由

@     人件費が安い(日本の訳30分の1)

A     労働力が良質かつ大量にある

B     距離的に日本に近い

C     もっとも競争力のある国・地域であり、企業が躍進的である

D     部品調達コストが安く、調達スピードが速い

 

ベトナムやタイの加工賃・技術力は中国と同じくらいだが、関連企業が集積しておらず、調達コストが相対的に高い。一方、ユニクロの生産拠点である山東省周辺は関連企業が集積しており調達がしやすいという優位性がある。また、労働人口が多いという利点もある。 以上の理由で生産拠点を中国に移した。 

 

3、海外進出

 2001年9月28日、ユニクロは初の海外進出、イギリスのロンドンに四つの新店舗を同時オープンさせた。マスコミが、ユニクロの同年夏場以降の株価急落から「ユニクロ神話崩壊説」をこぞって書き立てていた日本とは正反対に、現地で熱烈な支持を受け、また広告宣伝費に約7億円を投資したことによって、売上高は当初計画の約3倍にまで上がり、マスコミも日本からやってきたカジュアルブランドの鮮烈デビューを取り上げた。

最新動向

1、成長モデル岐路に・・・

ファーストテイリングによる4月発表の新規出店を除く既存店の売上高伸び率は、42.9%減で過去最悪となった。通信販売を除く直営店も33.9%と過去最悪となった。要因は、「昨年の売上高が高すぎたのと、夏物需要が前倒しになったのが原因」とか、「消費者のユニクロ離れ」と言われる。ブームになったフリースがどこでも買えるようのなった。客数は減ったが在庫はさほどない。過剰な在庫を抱えるのを防ぐため、値下げ販売に走ったのがうかがえる。これが粗利益率低下につながった。

2、商品絞込み機動力そぐ

ファーストリテイリングの減速は爆発的なブームの反動で商品が消費者に飽きられたことと、ビジネスモデルにほころびがでてきたことである。このビジネスは絞り込んだ商品がつぼにはまったときは強さを発揮する。だが最近、消費者は定番品より特徴あるデザインを求めている。そこで流行を意識した商品を増やしているが対応しきれていない。

素材調達から生産まで手がけているので臨機応変も難しく落ち込んでいる。また、成果主義の強い給与体系も、業績低迷化では、社員の士気低下を招く恐れがある。「成功体験をぶちこわす」としてビジネスモデルの補強を急ぐ。だが、競争は厳しさを増しており、マイナス局面でも通用するモデルの構築は簡単ではなさそうである。

3、ユニクロ社長交代

 社長交代の背景には先にも述べたように、同社の業績不振がある。「デフレの勝ち組」といわれながらも、爆発的なブームが過ぎ、売上高は激減している。社歴わずか4年、

39歳と若い玉塚元一(げんいち)常務に経営のバトンを渡すことで、新たな企業成長を目指す。

 「業績不振も含め、転換期にふさわしい経営チームをつくる必要がある。」柳井社長はトップ交代の理由をこう説明している。「経営チーム」とは、業績不振の反省に立ち、一人で切り盛りしてきた経営を、新社長に就任する玉塚常務を中心とする「集団指導体制」に移行することを意味する。 

  新体制では会長に退く柳井社長が最高経営責任者(CEO)を兼務、新規事業などの方針を決める。玉塚常務は日常教務の執行に専念するなど、役割を明確に分け、効率的な社会運営を目指す。

4、新たなる試み

・野菜の通信販売

   肥料や水を極限まで減らし、植物が生きようとする力を最大限に生かした「永田農法」と呼ばれる栽培法で作った野菜を中心に、コメ、牛乳、卵などを販売する。

   価格は少し高めだが、安全でおいしい野菜には膨大なニーズがあり、上手くいかないとすれば手法の問題であり、その時直せばよいと自身をのぞかせている。

  ・ユニクロで電気自動車    

   玩具大手のタカラと業務提携し、第一弾として今秋から電気自動車を販売すると発表した。

  ・既存事業では

   流行を意識した商品開発に力を入れ、女性や子どもむけの商品をふやす。現在500ある店舗数は、5年以内に1000店まで増加させる予定。

 

まとめ 

成長の壁を打ち破るため「経営チーム」と「改革」で乗り切る考えのユニクロ。これからどのような動きを見せ、どのような変化を遂げるのか、大きく変わり始めたビジネスモデル、またユニクロそのものの未来に注目したい。

二.“中国の繊維産業”

WTO加盟の影響

1、輸出面から見た影響

(一)WTO加入に伴う中国に対する特例措置

[1]加盟後12年間は経過措置として中国産品に特別セーフガードの発動が可能である。

[2]繊維製品については、通常セーフガードが他の加盟国では2004年までで切れるが、中国に関しては2008年まで延長する。

[3]加盟から10年間は市場開放の度合いや自由貿易ルールの遵守状況を点検するため中国監視機構を設け、毎年状況を審査する

http://www.pref.ibaraki.jp/shanghai/business/repo0111.htmから引用)

(ニ)2004年末のATC(Agreement of Textile and closing)協定

(三)99年の米中二国間協定により数量規制

以上の中国繊維産業の輸出規制により、輸出面から見るとWTO加入後すぐに恩恵を受けられるわけではなく、短期的にはWTO加入が繊維産業にとって向かい風となっている。

 

 

 

     2004年末、ATC協定撤廃

     2008年末、WTO加入に伴う特別セーフガード撤廃

 

(二)輸入面から見た影響

輸出向け繊維品に使用される原材料の内、国産生地の自給率は40%台で、半分以上の生地は海外から輸入されており、川中の紡織工業から川下のアパレル産業に良質の素材が供給できていない。このためアパレル生産・輸出が高級化していくと、テキスタイル輸入の拡大をもたらす、などの課題を抱えている。以上のことから、WTO加盟による関税の引き下げは、中国繊維産業にメリットをもたらすものであるといえよう。しかし長期的に見ると、繊維産業の中でも化学繊維材料工業、服飾生地工業、プリント業、紡績機械業などは、先進国では技術力をフルに生かして新型産業に改造されており、中国製品との差が大きく、価格面でも中国製品は競争力に欠けると言わざるを得ない。これらの業種にとって、産業構造の調整は急務であると言えよう。 

この課題に対して繊維業界は構造改革の最中であり、関税が引き下げられることによってむしろ「先端技術の導入と自主的開発能力の強化を促進する」という積極的な見方も出ている。

国有大中型紡織企業の低迷が続く中、1997年12月に開催される中央経済工作会議において、抜本的な国有企業改革の必要性が改めて強調され、やはり紡織企業がその「突破口」となる事が決定した。

 

 

中国繊維産業の構造改革

国有紡織企業改革の方針は、「綿紡績設備を削減し、人員を減らし、効率を高め、構造調整を行うことで、利益を増やすことができる。」これを実現させるためには数々の組織が作られ、強力な行政的指導が絶対不可欠だった。そして、国家経済貿易委員会の協力のもとに改革が始まった。その結果1998年、設備廃棄は全国で480万錘を上回る512万錘が廃棄され、人員削減状況では目標60万人を上回る66万人が解雇された。最後に赤字削減であるが、目標額の30億元には届かないが26億元の赤字削減に成功。

これは1998年の1年間での結果であり、今後構造改革によるさらなる飛躍が見込まれる。

この改革により繊維産業における以下の問題点が露呈された。

@     廃棄が行われた施設の大半はすでに使い物にならない老朽設備などのものであり、今回の廃棄により国有紡織企業が生産性を上昇させ、郷鎮企業から老朽設備を買い取り、廃棄の申請をすると言うような不正行為の発覚。

A     過剰な人員削減による大量の失業者の発生。

 

 

まとめ

以上述べてきたように、中国の繊維産業の未来は手放しで明るいとは言えない。中国の繊維産業の更なる発展のためには、WTO加盟による輸出・輸入両面での利益の享受、産業構造改革が必要である。もし、この三点が達成されたならば、ゼミ論集の第一章で杜さんや馬さんが書かれた様に中国の繊維産業はWTO加盟により最も恩恵を受ける産業となることでしょう。

参考文献

ゼミ論集第四号 第2部政策扁 第8章中国の繊維産業

http://www.pref.ibaraki.jp/shanghai/business/repo0111.htm

http://www.pref.ibaraki.jp/shanghai/business/repo0102.htm

http://www.marubeni.co.jp/research/br0108/br_2001-08-03.htm

http://www.iti.ne.jp/china-topics/sample/iru020123.htm

 

最新動向

http://b2c-1.rocketbeach.com/~cew/news47.htm#酸性雨