『靖国神社参拝問題について』
夏になると何かと話題になる靖国神社参拝問題。そもそも、靖国神社とはどういったものか、その経歴、推移、そして現在の問題について考えたい。
(1) 靖国神社とは
1869年 明治天皇の勅命によって創建された「東京招魂社」が原点。
1879年 名称を「靖国神社」に変更。
1945年 ポツダム宣言 「国家神道を切り離すべき」と勧告。
1946年 国家管理を離れて東京都知事の所管する一宗教法人になる。
*一般神社と靖国神社との違い
靖国神社は陸軍、海軍の管轄下に置かれ、幕末の国事殉難者や明治以降の戦
没者を護国の英霊として合祀した。国家神道の中心であり、象徴。
明治維新以降の戦争で亡くなった人々や第2次大戦のA級戦犯など多くの霊が祀
られている。
*靖国神社に祀られている人数
明治維新 7751 西南戦争 6971 日清戦争 13619 台湾征討 1130
北清事変 1256 日露戦争 88429 第1次大戦 4850 済南戦争 185
満州事変 17175 支那事変 191218 第2次 2133760 計 2466344
平成12年 10月17日調べ
(2) 日本の首相の参拝における波紋
過去、靖国神社参拝を1975年 三木赳夫首相が現職首相として始めて参拝。
1983年 中曽根首相が参拝。1985年 同首相が戦後初「公式参拝」
1996年 橋本龍太郎首相が参拝。2001、2年小泉首相参拝。
*中曽根首相の公式参拝において、首相はこう語る。 「首相としての資格において
参拝しました。勿論公式参拝であります。国民の大多数は公式参拝を支持している
と確信しております」
これを機に中国側から非難の声が上がった。「靖国は戦犯を祀っているのだから、
公職者が参拝する事はアジア近隣諸国と日本人民を傷つける」と述べ政府官僚が
参拝しないように政府に申し入れた。
又小泉首相の時には、「中国政府と人民に強烈な憤慨を表明する」と強く抗議した
結果、小泉首相は日中国交正常化30周年にあわせた訪中を希望したが、中国側
は拒否し日中国交正常化は今一つ盛り上がりに欠けた。
(3) 新しい追悼施設構想について
2001年6月 靖国神社にかわる新設構想。
「慰霊」の場ではなく「戦争で亡くなった人々を追憶し思いを巡らせる場」として、
靖国神社などの宗教施設との違いを明確にした。追悼者は個人名を特定せず、
明治維新以降の対外戦争で亡くなった軍人、一般人、又PKOに従事して亡くなった警察官、民間人。
ただ、外国人、A級戦犯を含むかどうかの明確化は避けた。
*小泉首相は「靖国神社に代わる施設ではないから、靖国は靖国だ。」と述べ、新し
い追悼施設が出来ても靖国神社参拝の意向を示した。
(4) 中国の懸念
中国は、日中平和友好条約を結ぶ時に、巨額な戦争賠償を日本に請求しようと思
えば出来たのに、当時の周恩来総理の大英断で放棄した。
その時中国側は、この戦争は一部の軍国主義者が起こしたもので加害者は一握り
のA級戦犯であり、日本国民も中国と同様に被害者で大戦によって極貧状態にあ
る日本国民から巨額の戦争賠償を取ることは酷であると、賠償請求を放棄した。
ところが、その日中両国に対する加害者であるA級戦犯を靖国神社へ合祀したと
いうことで、周辺諸国は、そういう人たちを敬い、戦前に回帰するのではいかという
脅威を感じている。
(5) ディスカッションポイント
小泉首相の靖国神社参拝は良いか悪いか。
(6) 感想
靖国神社参拝問題についてあまり詳しくなかったので今回このレジュメを作るにあたって思っていたよりも時間がかかってしまいました。始めて知った事とかが結構
沢山あったので、勉強になりました。内容のほうでは小泉首相の靖国参拝はすべきでなかったと思いました。自身の立場をもっと自覚して、その行為が各国にどう受けとめられ、それがどんな結果を招くかをしっかり予測して行動すべきだと思いました。
* 用語解説
合祀…「既に祀られている神々に新たな戦死者を合わせて祀つる事」
1度合祀したら神を分割する事は出来ないので合祀取り下げは不可能
東京招魂社…「幕末の殉難者を国としてお祀りしよう」と明治天皇が創設
* 参考文献
公明NET
東奥日報(2003年1月16日) 参拝の影響
NNA 「靖国神社参拝 各国はこう見る」
人民日報 「小泉首相の参拝について」
歴史教科書問題
1. 80年代の教科書問題
81年、「現代社会」の教科書で自衛隊の合成法を明記せよと指示していたことが明らかになり、82年歴史教科書の検定で中国や東南アジアの「侵略」を「進出」や「侵入」にまた朝鮮における三・一独立運動での「集会・デモ」を「デモと暴行」などに書き換えられていたことがわかった。
また86年にも高校歴史教科書「新日本史」が問題となる.
2. 中国からの批判
人民日報は、歴史的改ざんは許されず中国国民は怒っていると表現し、また中国政府は、日中共同声明の精神に反するとして激しく抗議した。日中共同声明とは「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明言されたものである。
3. 日本の反応
これを受け日本政府の宮沢喜一官房長官は「韓国・中国などの批判に耳を傾け、政府の責任において教科書の記述を是正する。今後の教科書検定に際し検定基準を改める。」と発表された。
4.2001年の「新しい歴史教科書をつくる会」の出現
1997年「新しい教科書をつくる会」が結成された。その主張は、過去に日本が引き起こした戦争や朝鮮などに対する植民地支配を合理化し、正当化する“自己中心史観”に貫かれている。また「つくる会」は現場教師の意見を排除して教育委員だけの判断で教科書を選び採択を決め、禁を犯してまで採択工作を進めた。2001年4月文部科学省による検定結果が明らかになり、「つくる会」の教科書には137箇所にわたって検定意見がつけられたがそれを全て受け入れ修正、検定に合格した。
5.歴史教科書の特徴と問題点
「つくる会」の教科書の文部科学省検定合格に反対する「子どもと教科書全国ネット21」など12の市民団体が以下のようなアピール。
@ 「つくる会」は結成以来、日本軍の「慰安婦」問題に一言も触れず、南京大虐殺の記述も全く不十分である。
A 天皇の書き方、その歴史の上での位置づけの問題。教科書では神話に8ページも割き、神武天皇を「初代天皇」と記して昭和天皇裕仁を「第124代」として歴史に位置づけるなど、神話と史実を混同させ「日本は神の国」「天理は神の子孫」として「天皇中心の神の国」としての歴史を描いている.その一方で昭和天皇の戦争責任には一切ふれず、人物コラムでは昭和天皇が「真面目で誠実」であったなどと人柄の問題にすりかえている。
B 日清・日露以来の戦争の歴史、植民地支配の歴史の歪曲である。日中15年戦争や太平洋戦争をアジア開放の戦争と描き、虐殺や強かんを含めた加害行為や一方でそれに抵抗する抗日運動については消し去り戦争を美化している。
6.中国からみた歴史教科書の問題点
・日本の軍国主義が発動した侵略戦争を美化する意図が感じられ、この戦争がアジア各国の人々にもたらした多大な災難への反省が感じられない。
・日本軍国主義が中国の東北地方を侵略・占領し、残酷な植民地統治を行ったことを美化している。
・侵略や植民地統治に反対する中国人の戦いを「過激な」行動とし、侵略と侵略反対の性質を巧みにすりかえている。.
・「南京大虐殺」に関して、日本軍の中国侵略の蛮行を実質的に否認している。
7.韓国からみた歴史教科書の問題点
・“任那日本説”が韓日関係の歴史の叙述において侵略を合理化する間違った認識の枠組みとして作用されている。
・日本の歴史を美化するために韓国の歴史をおとしめている。古代から現代まで日本史の優越性を証明する比較対照として韓国を引き合いに出している。
・日本軍による軍人慰安婦の強制動員事実を故意に欠落し、太平洋戦争の残虐行為の実態を隠蔽した。
・両国の間で発生した事件の責任の所在を曖昧にし、日本に不利であったり否定的な事件の原因などについてはきちんと記述していない。
・日本が韓国など他国に及ぼした被害を縮小または隠蔽し、植民地支配に関する反省がない。
〜感想〜
教科書問題についての一番の問題はやはり、どうすれば各国の認識の違いや自国優位の考え方を捨て真実の歴史を伝えられる教科書ができるかであると思いました。それはとても難しい問題であると思いますが、中国や韓国と対話を深め共通の歴史教科書を作ることで、お互いの友好関係も深まると思います。
中国や韓国と対話を深め、共通の歴史教科書を作れば、互いの友好も一層深まるのでは?