日中国交正常化への道程

川口裕史

一、日中国交正常化までの歴史
 1937年7月   日中前面戦争勃発 両国は戦争状態へ
 1941年12月  太平洋戦争勃発
 1945年8月   日本降伏 太平洋戦争・日中戦争終結
1949年 毛沢東が中華人民共和国を樹立
一部の民間交流を除けば日本とは基本的には対立の関係   
1950年 中華民国が台湾に渡る
1952年     日本独立
1952年4月   日華平和条約締結
 台湾の国民政府が大陸を含む全中国を代表するという虚構を、米国の圧力の下で日本政府が事実上受け入れたことにより成立した。しかし、この条約はその後20年間にわたり日中関係を拘束するものとなり、国交正常化の上で大きな問題を残した。
1952年      第一次日中民間貿易協定 民間レベルでの交流
1958年3月   第四次日中民間貿易協定 交流はさらに前進するが、同時に条約上国交関係をもつ台湾国民政府から激しい反発を呼び起こした。日本が台湾の要求を受け入れたために、中国は対外強硬政策の下で態度を硬化させ、一時日中貿易が中断する。
1958年頃    日本 岸信介内閣 反中国的な姿勢 中国は警戒
1962年11月  日中LT貿易覚書
         L…寥承志(りょうしょうし) T…高碕達之助 この二人の間で結ばれる。半官半民の貿易協定であり、「政経分離」のもとである程度日中関係は前進する。
1964年 中国の対資本主義国貿易の中で日中貿易が第一位を占める
1966年〜    毛沢東主導で文化大革命が始まる。急進派・極左が台頭し、対外的には革命外交と呼ばれる急進的な外交がとられるようになった。しかし、その外交の結果中国は社会主義国の中で孤立し、資本主義国との接近を余儀なくされた。67年末にはLT貿易の期限が切れ、翌年にはMT貿易(Memorandam Trade)が取り決められ、政経分離による経済関係が積み重ねられた。

1960年代    ベトナム戦争を契機に米中が水面下で歩み寄る。日中も関係改善へ動き出す。
1972年9月   北京にて、日本国政府と中華人民共和国政府の共同宣言。日中国交正常化が実現する。
二、日中関係の変遷
第一期…日中戦争から日華平和条約まで
第二期…日華平和条約から文化大革命まで
第三期…文化大革命から日中国交正常化まで

参考文献
・『世界の中の日中関係』 池田誠 1996年 法律文化社
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/^worldjpn/documents/indices/JPCH/index.html
日中関係資料
http://www.sokagakkai.or.jp/sokanet/Siten/Kinnohasi/yuukou-miti.html
私が歩んだ日中友好の道
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/020812ntyu.htm
  日中関係
・日経新聞(9月29日)