経済学史U

(経済学部一部、秋学期2単位

開講科目紹介(経済学史U,2003年度秋学期,2単位)

1.        授業のテーマ・目標

「イギリス古典学派の経済学の展開とその後の経済学との関係」

 この講義においては,まず,スコットランド啓蒙思想とスミスとの関係,スミスによる古典学派の創設,およびスミス経済理論の問題点を論じる。ついで,産業資本家の立場に立つリカードウによるスミス理論の投下労働価値論・分解価値論にたつ資本蓄積論・分配論の完成,および,地主的立場にたつマルサスによる支配労働価値論・構成価値論にたつ理論展開について論じる。マルサス人口論に論及する。さらに,スミス的な自然法思想からの転回をおこなったジェレミー・ベンサムの功利主義について説明し,功利主義の立場にたちながら古典学派の再編成を行ったとされるJ.S.ミルの経済学説について論じる。最後に,ドイツ歴史学派,マルクス学派,および限界効用学派による古典学派の思想と学説への批判について,論じる。

2.        授業形態

授業は,講義形態で行う。授業に際しては,OHCを用いて説明し,あわせて,講義レジュメと資料を提供する。なお,レジュメは,ホームページにも,掲載されている。

3.        授業内容・スケジュール

1)  スコットランド啓蒙思想とスミスの道徳哲学

2)  スミスによる古典学派の創設と『国富論』の問題点

3)  リカードウによるスミス経済理論の継承――投下労働価値論・分解価値論――

4)  リカードウの資本蓄積論と分配理論

5)  マルサスによるスミス経済理論の継承――支配労働価値論・構成価値論――

6)  マルサスの有効需要論と人口理論

7)  リカードウとマルサスの対立点と共通点

8)  ベンサムの功利主義哲学とイギリス経済思想の展開

9)  J.S.ミルによる古典学派の再編成

10) J.S.ミルの分配的社会主義論

11) ドイツ歴史学派によるイギリス古典学派への批判

12) マルクス学派による古典学派への批判と継承

13) 限界効用学派による古典学派への批判と継承

4.        評価方法

学期末に筆記テストを行う。数回出欠をとる。

5.        その他(履修者への要望など)

十分に講義に出席し,テキストやレジュメや資料を参考に,勉強してほしい。

6.        テキスト・参考図書

7.        テキスト・参考図書  

テキスト;永井義雄編『経済学史概説』(ミネルヴァ書房)

参考図書;講義のなかで紹介する。

T、アダム・スミスの経済学説

スミスの生涯・時代的背景・歴史観・思想については、経済学史Tで、論じた。また、経済学説についても、概説した。後期には、経済学説について、より、詳細に論じる。)

1.    『国富論』(1776)の経済学説

 スミスの『国富論』(1776)は,「第一編 労働の生産力における改善の原因と, その

生産物が国民のさまざまな階級のあいだに, 自然に分配される秩序について」, 「第二編

 資本の性質・蓄積・用途について」, 「第三編 国によって富裕になる進路の異なること」, 「第四編 経済学の諸体系について」, 「第五編 主権者または国家の収入について」などの五つの編から構成されている。

  最初の二つの編は理論編であり,人間の自然に合致した「自然的自由の体制」の経済構造とその運動法則について論じている。第一編では,有名な分業の生産力上昇にとっての効果からはじめて,商品の価値と使用価値の区別,市場価格と自然価格の区別,貨幣の機能などの流通論の問題,価格を構成する要素として賃金・利潤・地代などの分配論の問題,社会の進化につれての諸社会階級の社会状態の変化などを論じる。ついで,第二編では,資本蓄積論が重要であり,資本家がその利己心にしたがって,生活物資などからなる資財を,生産的労働者を雇傭する資本に転化することによって,資本蓄積が進展すること,また資本蓄積の進展につれて分業が深化拡大し,国富が増大してくるというかれの基本思想が述べられている。

  つづく二つの編では, ヨーロッパの近世の経済史とスミス以前の重商主義や重農主義の学説について述べ,最後の編では自然的自由の体制のもとでの国家の財政のありかたについて論じている。つまり,「安価な政府」論の主張であり,課税の原則や,均衡財政の思想が述べられている。『国富論』をスミスの問題意識にしたがってとらえなおすと,まず当時のヨーロッパの重商主義体制が人間の自然に合致しない人為的な体制だという意識があり,それを主張するためにまず人間の自然に合致した経済体制についての基礎理論( 1 2 ) をつくり,それにもとづいて重商主義を批判し, 自由主義への移行の必然性を論証しようとした( 3 4 5 ) のである。  

(1)                『国富論』第一編の内容

 第1編は、分業論(第1・2・3章)、貨幣論(第4章)、価値・価格論(第5・6・7章)、分配論(第8・9・1011章)等の、諸論点について、論じている。生産力増進の原因としての分業からはじめて、社会的分業に由来する商品交換と市場の発生を論じ、商品流通を仲介する貨幣の起源と機能を論じ、商品の交換価値と価格の決定と変動を論じ、価格を構成する要素として、賃金、利潤、地代などの収入を論じ、最後に、社会の進歩・停滞・衰退という変動が、これらの収入の変化にどう作用するか論じて、締めくくっている。

 

A. 国富観と国富増進策     

(要点;土地と労働の産物。分業による労働の改善と有用な労働に従事する人びとの数。)

スミスは、国富を土地と労働の産物つまり必需品と奢侈品と捉え、それが一方では作業の分割と職業の分化としての分業(division of labour)により、他方では、資本家の資本蓄積の進展による生産的労働者の増加によって、増加すると見た。前者の側面が、第1篇において、後者の側面が第2編で、論じられている。したがって、国富の増進策を論じるという、実践的な目的で論じられているが、そのなかで理論的な問題が論じられているのである。

 

B. 分業論     

(要点; 作業の分割と職業の分化。分業の原因=人間の交換性向)

スミスは、分業には、作業の分割(工場内分業)と職業の分化(社会的分業)とがあり、いずれも、生産力の改善をもたらすと見ていた。分業では、労働が分割されたうえで結合されることにより、諸個人が自分の必要とする生産物を自分で作り出すという状態に比べて、はるかに多くの生産物が作られると見た。スミスは、ピンの製造の例を挙げて、このことを説明する。一人の職人が、全作業を行って、ピンを作る時には、1日に20本も作れないが、作業が多くの部門に分割され、何人かの職人がそれぞれの部分的作業を分担して生産する場合には、例えば、10人で48,000本のピンを作ることが出来るので、一人当たりのピン製造量も4,800本になり、分業しない時に比べて、240倍もの生産量をあげることが出来る。同様の効果は、農業・製造業における職業の分化においても、発生すると、スミスは見ている。

ところで、分業によって、生産力が改善される理由については、スミスは三つの事情を挙げている。第一は、職人の技能の増進、第二は、仕事を変える際に失われる時間の節約、第三は、労働を促進し短縮する機械の発明、などである。そして、このように、作業の分割と職業の分化によって、生産物が非常に増加するので、文明社会では、階級的な差別が存在するにもかかわらず、社会の最底辺まで、富裕がゆきわたるというのである。

このように重要な効果をもつ分業が引き起こされる原因を、スミスは人間の本性の中にある「交換性向」というものに、求める。かれは、「分業というものは、・・・人間の本性にある性向、すなわち、ある物を他の物と取引し、交易し、交換しようとする性向の、緩慢で漸進的ではあるが、必然的な帰結なのである。」(24頁)と、述べている。文明社会では、人間は、多くの人の協力や援助を必要としているが、かれは、それを他人の慈悲に頼ることは出来ず、かれらの「自愛心self-love」に、頼らねばならない。つまり、他人の必要とする物と、自分の必要とする物とを、互いに交換することによって、自分の必要を充足してゆくのである。

スミスの分業観においては、分業のもつ生産力改善という側面は把握されているが、分業により人間の能力が部分的にしか発展させられなくなるという弊害や、社会的分業の場合に、これが商品流通を発生させることにより、生産の無政府的拡大をもたらし、このため激しい価格変動や過剰生産が発生するという、分業の否定的側面は、充分には捉えられていない。また、分業の原因を人間の交換性向という人間の自然的性向にもとめることも、分業を超歴史的な自然的現象とみることになり、非歴史的見解であるといえる。分業は、家族における男女の分業という原始的なものから始まったが、私有財産の発展と相即して発展してきた、歴史的な現象である。生産力が高度に発展し、ひとり当りの労働時間が少なくてすむ可能性が生じると、個人をある特定の職業や作業に一生縛り付けるといった形での社会的分業は、廃止される可能性があると考えれる。もちろん、そのためには、個人の多面的な精神的肉体的発展が、不可欠なのだが。

 

C. 貨幣論     

(要点; 商品交換の発生とともに, 特定の商品が, 後には貴金属が「交易の共通の 用具」として用いられるようになった。貨幣は価値尺度機能と流通手段としての機能をもつ。)

 第三章において、分業の大きさが、市場の広さによって制限されることを指摘される。市場がおおきければ、分業もまた、発展し、細分化され、職業の分化も進展すると、みている。さらに、スミスは、分業の確立とともに、諸個人は、自分の必要とする多くのものを、交換によって獲得する、「商業社会commercial society」が、成立すると見ている。   「分業がひとたび完全に確立すると、人が自分自身の労働の生産物によって満たすことの出来るのは、かれの欲望のうちのごく小さい部分に過ぎなくなる。かれは、自分自身の労働の生産物のうち、自分自身の消費を上まわる余剰部分を、他人の労働の生産物のうち自分が必要とする部分とを交換することによって、自分の欲望の大部分を満たす。このようにして、だれでも、交換することによって生活し、いいかえると、ある程度商人となり、そひて、社会そのものも、まさしく商業的社会とよべるようなものに成長するのである。」(39)。

 各人は、自分の生産物のうち、自分の必要を越える余剰物を、他人の余剰物と交換するなかで、商品交換は始まった。しかし、商品と商品との直接の交換(物々交換)には、いろいろの障害がある。たとえば、酒屋とパン屋が、肉屋と交換によって、肉の一部を購買したいと思っても、肉屋が既に酒とパンとを持っている時には、交換は成立しない。また、仮に、肉屋が酒とパンを持たず、交換したいと思っても、交換したいと望む数量が、互いに一致しない場合には、交換は成立しない。そこで、諸個人は、まず、自分の商品を、誰でもが、それとの交換を望むような、特定の商品と交換し、その後に、この特定の商品の特定量をもって、自分のほしいと思う商品と、必要な時に、交換するという方法をとるにいたった。

 「世事にたけた人は、自分自身の勤労の特定の生産物のほかに、ほとんどの人がかれらの勤労の生産物と交換するのを拒否しないだろうと考えられるような、何らかの特定の商品の一定量を、いつも手元に持っているというやり方」(40)によって、必要な時に必要なものを入手するようになった。この特定の商品が、貨幣の始まりだと、スミスは考えた。それは、最初は、家畜、塩、干鱈、煙草、砂糖などであったが、耐久性便利な金属類が、しかも金や銀のような貴金属が、最終的に、「交易の共通の用具」として、「貨幣」として、用いられるようになったと、スミスは見ている。しかし、金属には、その量目や純度を測ることがむつかしいという欠点があるので、国家が、「特定の金属の一定量に、公的な刻印を押すことが必要だと分かってきた。」(44)。このために、鋳造貨幣が成立したと、見なしている。

 貨幣の機能については、まず、それが諸商品の交換価値の大小を量る価値尺度としての機能を果たすこと、ついで、諸商品を交換し、流通させる流通手段としての機能を果たすことを、指摘している。スミスは、貨幣を「商業の普遍的用具」(48)であり、「流通の大車輪」であると、捉えている。こうしたスミスの貨幣観は、貨幣の機能をなによりも富の蓄蔵手段と捉える重商主義の貨幣観に対する批判と結びついており、かれの実物主義と生産重視の立場から、生じたものである。

 しかし、スミスの貨幣観には、まず、貨幣の発生を交換の必要性から説く歴史的で経験的な論証であり、分かりやすいものであるが、貨幣発生の論理的必然性が説かれていないという問題がある。また、貨幣の機能についても、価値尺度機能については不十分な説明しかなされていないし、支払手段、蓄蔵手段、世界貨幣(資金)としての機能については、ほとんど解明されていない。貨幣は、もっぱら、諸商品の流通を仲介し、富裕を社会の各階層にゆきわたらせる手段として、捉えれていたのである。

 

D. 価値論

(要点; 商品の使用価値と交換価値。初期未開の社会と商業社会における交換価値を規制する法則の違い。投下労働説−価値分解説と支配労働説―構成価値説との併存。商品の価値が、その生産に投じられた労働量により決定されるとみなす投下労働価値説。商品の価値が、それの支配する他の商品の量により決定されると見なす支配労働価値説。価値決定の問題を価値測定の問題にそらした→支配労働価値説を重視。商品の交換価値を測定するものとして,穀物(長期),金銀(短期),および労働を挙げている。)

 第4章の貨幣論の最後の部分で、スミスは、財貨の価値が、「使用価値」と「交換価値」の

ふたつの側面を持ち、前者は「ある特定の対象物の効用」(50)をしめし、後者は「その所

有から生じる他の財貨にたいする購買力」(50)を表すという。前者は、商品の持つ自然的な

な側面であり、後者は社会的な側面である。そして、この「諸商品の交換価値を規制する

原理」(50)を究明しようとする。すなわち、第5章、第6章、第7章においては、「第一に、

この交換価値の真の尺度は何であるか、すなわち、すべての商品の真の価格は、いったい

何に存するのか」(50)、「第二に、この真の価格を構成し、あるいは作り上げているさまざ

まな部分とは、どんなものであるか」(50)、「そして、最後に、価格のこうしたさまざまな

部分のいくつか、または、すべてを、時には、その自然率ないしは通常率以上に引き上げ、

また、時には、それ以下に引き下げ様々な事情とは、どんなものであるか」(50)などの諸点

について、論じてゆく。したがって、この三つの章は、一つの纏まりをなし、商品の交換

価値の変化を規制する原理、その交換価値の変化の尺度、および、商品の交換価値の変化

の尺度、および、商品の交換価値の自然率と市場率など、あい関連した問題を、取り扱う。

その後に、価格の構成要素として、諸階級の収入(賃金、利潤、地代)を論じる。資本と

の関連においてではなく、商品価格との関連において、収入を論じ、第8章以下の分配論

(所得論)への導入とする。

 まず、第6章の冒頭で、商品の交換価値そのものの変動を規制する原理が、論じられる。

スミスによれば、「資本の蓄積と土地の占有にさきだつ初期未開の社会状態のもとにおい

ては、種々の物の獲得に必要な労働量の比率が、これらのものを相互に交換するためのル

ールを可能とする唯一の事情であったと思われる。」(80)。初期未開の社会状態という

のは、スミスの歴史発展段階における、文明社会以前の段階であり、採取や狩猟の行われ

る社会であった。そこでは、諸個人は、自立しており、支配者(搾取者)と被支配者(被

搾取者)といった階級の分化が、なされていない社会である。分業や私有財産もあまり発

展せず、国家も成立していない状態である。こうした初期未開の社会では、労働の全生産

物が、生産者に属し、また諸生産物の交換は、それらの生産物の獲得に要した労働量に従

ってなされる。そうした交換の例として、スミスはビーバーと鹿との交換を挙げている。

一匹のビーバーを得るのに、一頭の鹿を仕留めるよりも二倍の労働時間を要する時、一匹

のビーバーは二頭の鹿と交換されるという。この労働量の比較に際しては、労働の厳しさ

や、「特別な労苦」(80) は、より大きな労働量として、評価されるべきだとしている。

これは複雑労働が単純労働の数倍に値するという論点である。こうして、スミスは、「あ

る商品の獲得または生産に普通に用いられる労働の量は、その商品がふつう購買し、支配

し、またはこれと交換されるべき労働の量を左右できる唯一の事情である」(82)と述べ、

ペテイとロックに始まる投下労働価値説を、初期未開状態の社会について肯定している。

 では、スミスがもっぱら研究の対象とする商業社会、つまり、資本主義社会において、

商品の交換価値を規制する原理は、どうであろうか。スミスはこう述べている。「資本が

特定の人々の手に蓄積されるようになるやいなや、かれらのうちのある者は、とうぜん、

それを用いて、勤勉な人々を仕事に就かせるであろう。そして、かれらは、その人々に原

料と生活資料を供給して、その製品を販売することにより、いいかえると、その人々の労

働が原料の価値に付加するものによって、利潤を得ようとする。・・・それゆえに、職人

たちが、原料に付加する価値は、この場合、二つの部分に分かれるのであって、その一つ

は、彼の賃金を支払い、他の一部は、かれらの雇主が前払いした原料と賃金との全資本(ス

トック)にたいする雇主の利潤を支払う」(82)と。この一節では、スミスは、問屋制資

本家と家内工業者との関係において、家内工業者の作り出す製品の交換価値が、問屋制資

本家に、前払いした資本(原料と生活資料)の価値を回収した上で、さらに利潤をもたら

すことに注目し、職人たちが「原料に付加する価値」は、「賃金」と「利潤」とに分解す

ると見なした。とすると、この一節からは、スミスは、文明社会(資本主義社会)につい

ても、商品価値を規制する原理が投下労働量であり、賃金と利潤とはそのようにして決定

された商品価値の分解部分だと見ていたと、言える。この見解は、後のリカードウやマル

クスの投下労働価値説―分解価値説に繋がる見解である。しかし、スミスは、資本主義社

会の商品の交換価値を規制する原理として、結局は、投下労働価値説ではなく、支配労働

価値説を採るに至ったと思われる。

 このことは、同じく第6章の次の一節に示されている。スミスはこう述べている。「・・・

それゆえ、諸商品の価格において、資本(ストック)の利潤は、労働の賃金とはぜんぜん

異なる構成部分をなし、まったく異なる原理によって決定されているのである。/ こうし

た事態のもとでは、労働の全生産物はつねに労働者に属するとはかぎらない。かれは多く

の場合、彼を雇用する資本(ストック)の所有者とそれを分け合わなければならない。あ

る商品の獲得または生産にふつう用いられる労働の量は、その商品がふつう購買し、支配

し、またはこれと交換されるはずの労働の量を規制できる唯一の事情ではなくなる。その

労働の賃金を前払いし、その原料を提供した資本(ストック)の利潤のために、ある追加

量が、とうぜん与えられなければならないことは明白である。」(84)と。

 この一節に述べられているのは、資本主義社会では、投下労働量が商品の交換価値の変

動を規制する唯一の原因ではなく、それに一定の追加量を加えたものが交換価値を決定す

るという見解である。生産物の獲得に要した投下労働量に「ある追加量」をプラスしたも

のが、その商品の交換価値を規制し、したがって、その商品が「購買し、支配し、または

これと交換されるはずの労働量」(「支配労働量」)を決定すると、述べている。ここで

は、投下労働量は、支配労働量とは一致しないこと、また、商品の交換価値が投下労働量

に等しいのではなく、その商品が支配する支配労働量に等しいことが、主張されている。

したがって、事実上、支配労働価値説が主張されているといえる。しかし、この際、投下

労働量に付け加えられる「ある追加量」が、どのようにして生み出されたかは、明らかに

されていない。

 さらに、スミスは、資本の蓄積にくわえて、土地の私有がなされると、地代が発生する

ので、商品の交換価値は、利潤だけでなく、地代をも支払いうるものでなければならない

という。スミスは、資本の蓄積と土地の私有のなされた文明社会においては、商品の交換

価値は、投下労働量に利潤や地代の源泉になる追加量をプラスしたものによって決定され、

したがって、商品価格は賃金と利潤と地代から構成されるという見解を採ったといえる。

商品の交換価値の変動を規制する原理は、支配労働量であるという支配労働価値説と、商

品価格は賃金、利潤、地代により構成されるという価格構成論が主張された。結局、スミ

スは、当初、資本主義社会についても、投下労働価値説―分解価値説で説明しようとした

が、利潤や地代などの所得と商品価格との関連を考えるなかで、むしろ、支配労働価値説

―価値構成説をとるに至ったといえる。 

 さらに、スミスは、商品価格を構成する賃金、利潤、地代が、それらの支配する労働量

によって、決定されると見る。スミスはこういっている。「ここで注意しなければならな

いのは、価格のすべての異なる構成部分の真の価値は、そのおのおのが購買または支配し

うる労働の量によって量られる、ということである。労働は、価格のなかの労働に分かれ

る部分の価格だけでなく、地代に分かれる部分の価格、および、利潤にわかれる部分の価

格をも量るのである。」(85)と。価格を構成する賃金、利潤、地代の大きさが、それら

の支配する労働量によって決定され、その支配労働量の変化にしたがって変化すると見る。

所得の解明にさきだって、価格の解明をやろうとして、結局、所得の解明なしには価格の

解明はできないという、循環論法に陥ったのである。スミスが、投下労働価値説から支配

労働価値説に移行したのは、結局、商品価値の実体としての労働を発見できず、商品価値

の決定と、商品価値の測定とを混同したことによると思われる。また、商品の交換価値の

変動を規制する原理が、支配労働量であるとするのは、トートロギーであるといえる。と

いうのも、ある商品の交換価値つまり他の商品に対する支配力・購買力を、それが現実に

支配する労働量で決定するというのは、同義反復だからである。つまり、価値決定の問題

を価値測定の問題に摩り替えているのである。

 それはともあれ、スミスは、商品の交換価値の尺度として、商品が支配する他の商品の

量を挙げ、それを、穀物、金・銀、労働について検討し、「労働がすべての商品の交換価

値の真の尺度である」(52)と、結論付けている。スミスは、第5章「商品の真の価格と

名目上の価格について」において、商品の交換価値の尺度として、「穀物の価値が年々の

変動は大きいが、数世紀にわたっては、金銀よりも変動が小さいので、長期の異時点間の

価値の測定には、穀物の方が適切である」(61、キャナンの要約) とみなし、他方、短期

的には、穀物よりも価値変動の少ない金・銀の方が、価値尺度として、適切であると見な

している。つまり、「同一の時と所では、・・・すべての商品の真の交換価値の正確な尺

度である」(64)と、述べている。また、「唯一の正確な価値尺度」「唯一の普遍的な価値尺

度」(63)としては、労働を挙げている。この際、労働は、ある商品が支配する労働量、すな

わち、支配労働量を意味している。

 結局、スミスは、商品の交換価値の変動を規制する原理を究明しようとし、初期未開状

態の社会では、交換価値が、生産過程における生産者の労苦によって決定されることをみ

いだしたが,文明社会では、この原理を貫徹することが出来ず、むしろ、その商品の他の

商品にたいする支配労働量によってその交換価値が決定されると見た。また、商品価格を

構成する賃金・利潤・地代の所得の変化によって、その交換価値は変化すると見た。ここ

には、価値決定の問題を、価値測定の問題にすりかえるという問題があった。この結果、

スミスにとって、商品の交換価値を測定する真の尺度の発見が、問題となり、労働つまり

その商品が支配する労働量が、真の価値尺度と見なされた。資本主義社会の商品について

は、投下労働価値説ではなく、支配労働価値説が、採用されたのである。

 

E.       価格論

〔要旨; 商品の自然価格を構成するものは,「賃金,利潤,および地代の自然率」である。商品の市場価格は,市場での供給量と有効需要量との関係により決まる。自然価格は市場    価格の「中心価格」である。そこで,賃金,利潤,地代の自然率を追求する。〕

スミスは「第7章、商品の自然価格と市場価格について」の中で、商品価格の変動および商品価格の構成要素の変動を規制する事情と、商品価格およびその構成要素とされた所得自の然率について論じている。

 スミスによれば特定の社会や地域には「労働と資本(ストック)の異なる用途ごとに、賃金ならびに利潤についての通常率または平均率というものがある」(94頁)し、「地代の通常率または平均率というべきものが」(同)あり、これはそれぞれ「賃金、利潤、地代の自然率」(同)とも呼ぶことができる。そして、商品の自然価格というのは、それらの賃金、利潤、地代の自然率の合計に等しいものである。すなわち、「ある商品の価格が、それを産出し、市場に運ぶのに用いられた土地の地代、労働の賃金、資本(ストック)の利潤をそれらの自然率にしたがって、ちょうど過不足のない場合には、その商品は自然価格ともいうべき価格で売られているのである」(94〜95頁)と述べている。

 ところで、賃金や利潤の自然率は「一つには、その社会の一般的事情によって、すなわち、その貧富によって、その進歩、停滞または衰退の状態によって、また一つには労働と資本との各用途の特定の性質によって、自ずから規制されている」(94頁)のであり、地代の自然率は「一つにはその土地が位置している社会や地域の一般的事情によって、また一つには土地本来の豊度や改良された豊度によって規制されている」(同)のである。自然率もまた永久不変のものではなく、社会の状態により、また、労働と資本の用途や土地の豊度によって規制され、長期的には変化すると見なされている。

 商品の市場価格は「それが普通に売られる現実の価格」(96頁)であり、「それが現実に市場にもたらされる数量」と「その商品の自然価格を…し払う意思のある人たちの需要」(96頁)つまり、「有効需要」(同)との割合によって規制される。市場における供給量と有効需要量との割合によって、商品の市場価格は決定される。供給量が有効需要より大であれば、市場価格は自然価格以下になり、小であれば以上になり、両者が一致するときに自然価格と市場価格が一致するだろう。したがって、自然価格は「いわば中心価格であって、そこに向けてすべての商品の価格がひきつけられるものなのである」(99頁)。自然価格は長期的にそこに引き寄せられてゆく中心価格、均衡価格であるといえる。

 ところで、スミスは市場価格が自然価格以下になった場合、価格の構成要素のすべてが同じ割合で自然率以下になるのではなく、そのいずれかが、自然率以下になり、その市場率が自然率以下になった構成部分が生産過程から引き上げられると見なしている。たとえば、それが地代なら、地主は土地の一部を、その事業から引き上げ、賃金か利潤であれば、労働者か資本家がその労働または資材を、この事業から引き上げるというわけである。このように商品の市場価格が自然価格から離れることが、諸階級の所得に異なった影響を及ぼすことにより、商品の生産過程における生産の諸要素の変化をもたらすと見なしている。

 このように市場価格は自然価格から離れるが、たえずそれに帰一する傾向にあると見なし、スミスは自然価格そのものの変動に考察の的を絞る。リカードやマルクスのように投下労働量から商品価値の決定を説明するのを放棄し、支配労働価値説と価格構成説に立つスミスは、商品価格の構成要素とみなされた賃金、利潤、地代の自然率の変動から、商品の自然価格の変動を説明しようとする。こうして第8章から第11章にいたる4章において、スミスは賃金、利潤、地代の自然率を決定する事情を明らかにしようとする。(また第10章においては、労働と資本のさまざまな用途において賃金や利潤が異なるが、それらの諸々の賃金や利潤の間には「通例一定の比率が成り立っ」ておりこの比率は「多くの点で法律と政策によって左右されるにしても、その社会の貧富、その進歩、停滞、衰退の状態からはほとんど影響を受けないで、同一、またはほとんど同一のままであるようにみえ」(108頁)と述べ、この比率を決定する事情を明らかにすると述べている。この限りでは、スミスは全産業部門に妥当する平均利潤率の存在を認めていなかったのではないかと思われるが、この点はどうなのであろうか。)

 

  F.賃金論

〔要旨;その自然率は,労働者とその家族の生活を維持するに足りるものでなければならない。賃金の市場率は,労働者に対する需要と供給により決定され,社会の状態が繁栄にむか    う進歩的状態においては,その自然率よりも高くなる。また,社会の状態が停滞的状態では,賃金の市場率は自然率に一致し,衰退的状態ではそれ以下になる。したがって, 高賃金は,社会の進歩的状態の表れであり,また,高賃金は庶民の勤勉をも増進するから,それは望ましいものである。したがって,賃金の変動に影響を及ぼす要因は,短期的には労働に対する需要と供給の変化により,長期的には,生活必需品と便宜品の価格の変動による。〕

 

 初期未開の社会では、労働者は労働の全生産物を獲得した。「もしこの状態が続いたなら、労働の賃金は分業によって生じる生産力のすべての改善とともに増加したであろう。」(110頁)ところが、「土地の占有と資本の蓄積」のなされる文明社会が到来するとともに、労働者は労働生産物を資本家や地主と分けなければならなくなる。この社会では、賃金は労働者と彼の雇い主である資本の所有者との間の契約により決定されるようになる。

 賃金、利潤、地代には、それぞれ自然率と市場率があるが、賃金の自然率、つまり自然賃金はどのようなものであるのか。スミスはそれが、労働者とその家族の生活を維持するに足りるものでなければならないと見なし、通常に賃金が長期間にわたり、それ以下にとどまることは不可能であるとしている。(スミスが言うには「そういうわけで、最低種類の労働の場合でさえも、一家族を扶養するためには、夫と妻の労働を一緒にして、彼ら自身の生活の維持に正確に必要なものよりも、いくらか多くを稼がなければならないということは、少なくとも確かなことのように思われる」)。そしてこの自然賃金は「明らかに普通の人道にかなった最低の率」(117頁)と見なされている。 

 労働者に対する需要は、「賃金の支払いにあてられる基金ファンド」(117頁)の増加につれて増加するのであり、「こうした基金には2種類あって、第1は、親方の生活維持に必要な部分を越える収入であり、第2は親方の業務に必要な部分を越える資本である」(117頁)。このスミスの賃金基金についての説明は曖昧である。第1の部分は不生産的労働者の雇用にあてられるファンドのことを言っているのは確かだろう。したがって、労働者に対する需要は、国の収入と資本の増加につれて増加するのである。

 ところで、労働の賃金の上昇は「国民の富の現実の大きさ」(118頁)によってでなく、「富の恒常的な増加」(同)によってもたらされ、したがって、「労働の賃金は最も富裕な国々においてではなく、最も繁栄しつつある国、言い換えると、最も急速に富裕となりつつある

国々において最高となる」(118頁)。現実の賃金基金の大きさよりは経済の成長率が高く賃金基金の増加率の高い国において賃金は高いのである。スミスは、その例として、北アメリカの例を挙げている。このように労働者に対する需要と供給で決まる賃金を、スミスは賃金の市場率つまり市場賃金と見なしている。

 富んでいても、長い間停滞的状態にある国においては「賃金の支払いに当てられる基金」は最大規模に達しても、労働者側も旧年度の労働者が今年度の必要労働者をほぼ充足するだろうから、労働者に対する供給と需要とは人口増加分だけ多くなり、供給が多いという状態になる。この状態の下では、市場賃金はほぼ自然賃金、つまり「普通の人間性を無視しない程度の最低の率」(121頁)に一致するだろう、とスミスは考えている。 

 ところが、「労働に維持に当てられる基金」(123頁)が減少しつつある国においては、「使用人や労働者に対する毎年の需要」(同)は減少するので、市場賃金は「労働者の最もみじめで貧しい生活水準になるまで引き下げられるだろう」(123頁)と述べている。スミスはその例としてイングランドの東インド植民地を挙げている。

 このようにスミスは賃金の市場率を労働者に対する需要、つまり賃金基金の大きさと、労働者の供給との関係、とりわけ、労働者に対する需要の増加率によって規定されるものと見ている。そして市場賃金の運動をその社会の富の増進、停滞、衰退という状態によって規定されると見ている。国民の富が増進しているときは、市場賃金は自然賃金を上回り、労働者の生活状態は良いが、国民の富が停滞している場合には、市場賃金は自然賃金に一致するのであり、労働者の生活状態は普通の人道にかなった程度のものであり、国民の富が衰退している場合には市場賃金は自然賃金を下回り、労働者の生活状態は生存の最低限にまで引き下げられ、部分的には餓死者も出るものである。この間の事情をスミスはこう述べている。「それゆえ、労働の報酬が良いということは国民の富が増加していることの必然的結果でもあれば、同時にその自然的兆候でもある。他方、労働貧民の生計が乏しいということは事態が停滞していることの自然的兆候であり、また、労働貧民が餓死的状態にあるということは、事態が急速に衰退に向かっていることの自然的兆候なのである。」(124頁)。

 ここでスミスは、賃金が高いことを社会の富の増進の結果であり、兆候であると高く評価しているが、これはスミスの高賃金論と呼ばれるものである。しかし、スミスは高賃金を社会の前進の兆候として肯定的に評価するだけでなく、賃金で生活する人々が社会の圧制的大部分をなすため、高賃金を道徳的にも正しいものと見ている。すなわち、「下層の人々の生活条件がこのように改善されたことは、社会にとって利益と見るべきか、それとも、不都合と見るべきか。答えは一目瞭然である。さまざまな種類の使用人。労働者、職人は、すべての巨大な政治社会の圧倒的大部分を構成している。この大部分の者の生活条件を改善することが、その社会全体にとって不都合と見なされるはずは決して無い。」(133頁)。こうしたスミスの見解は後の経済学の原生の概念に連なるものであろう。

 スミスが高賃金を肯定する理由には、それが、国富の増進の結果・兆候であり、社会の大部分の者の生活条件を改善するということ以外に、第3に、それが庶民の勤勉をも増進させることが挙げられる。「豊かな労働の報酬が増殖を刺激するように、同じく、庶民の勤勉をも増進させる。労働の賃金は勤勉の刺激剤であって、勤勉というものは、他の人間のすべての資質と同じように、それが受ける刺激に比例して向上するものである。生活資料が豊富であると、労働者の体力は増進する。また、自分の境遇を改善し、自分の晩年が安楽と豊富のうちに過ごせるだろうという楽しい希望があれば、それは労働者を活気付けて、その力を最大限に発揮させるようになる。」(138頁)

 ところで、賃金の変動に影響を及ぼす要因は、労働に対する需要を供給の変化だけでなく、賃金がそれに費やされる食料品の価格もある。「労働の賃金価格は二つの事情によって、すなわち労働に対する需要と生活の必需品と便益品の価格とによって必然的に規制されるのである。」(145頁)。この食料を中心とする生活の必需品と、便益品の価格の変化は、自然賃金そのものの変化をもたらす。たとえば、食料が豊富で低廉な年には自然賃金は低くなるので、資本家はより多くの労働者を雇用できるので、労働者に対する需要が増加し、このため、貨幣賃金が騰貴するのである。他方、凶作のために食料が不足し高価になる年には自然賃金が上昇するので、資本家はより少ない労働者しか雇用できないので、労働者に対する需要は減少し、このため、貨幣賃金は引き下げられるのである。ここでは、スミスは貨幣賃金(名目賃金)と穀物賃金(実質賃金)とが食料(穀物)の価格の変動によって、どのように変化するかについて論じているのである。

 最後に、スミスは賃金の上昇が製品価格にどのような作用を及ぼすのかという問題を論じる。資本制商品について、価格構成説をとる論理から労賃上昇が「賃金となる価格部分」を増加させることによって、商品価格を上昇させると見なす。しかし、同時に、賃金上昇が資本増加から生じた場合には、資本増加が労働生産力の改善をもたらすことによって、より安価に商品を生産することを可能にすると見なしている。資本増加によるこの製品価格の引き下げは、賃金上昇による価格上昇を補って、あまりがあるとスミスは見ている。したがって、国富の増加と資本蓄積の進展につれ、賃金が上昇するにもかかわらず、商品価格は低廉化するとみなしている。だが、賃金上昇が、資本増大による賃金基金の増加によらずに、穀物(食料品)価格の上昇による場合には価格構成説をとる限りは、商品価格は騰貴するという結論になるだろう。スミスは農業についても生産力改善により、農産物(食料)は低廉化すると見なしていたので、こうした要因は軽視したのではないだろうか。あるいはまた、資本増大による賃金上昇の方が強い要因だと見なしたので、前述のような

結論を導いたのであろう。ともあれ、賃金の変動と商品価格の変動との関係はリカードとマルクスとの論争以来、その後の経済学に大きな問題として継承されてきたのである。

 

  G.利潤論

[要旨; 利潤率とその変化傾向を論じている。資本増加は資本家の競争を激化させ,これは一     方で商品価格の低落をもたらし,他方で,労賃の上昇をもたらす。そこで,両者あいまって利潤の低落をもたらす。利潤率の変化は,市場で明示される利子率から推測される。社会の状態と利潤との関係については,進歩的状態では賃金同様に利潤は高く,停滞的状態では,賃金も利潤も低い。現実の資本主義社会は,その中間の状態にあるとみる。]

 スミスは利潤の本質や源泉について詳しく論じていない。第6章の中で「職人たちが原料に付加する価値」が「賃金」と「彼らの雇い主が前払いした原料と賃金との全資本(ストック)に対する雇い主の利潤」とに「分かれる」という叙述(82頁)が見られ、これからすると、利潤は労働者が原料に付加した価値から賃金を控除した残額だとする控除説に立っていると見られる。他方で、スミスは利潤の自然率および市場率ということを言い、これらが賃金とは無関係に決定されると見ているようにも思える。いずれにせよ、スミスが利潤の本質や源泉について、あまり詳しく論じていないことは事実である。

 スミスは、第9章「資本の利潤について」において、むしろ利潤率と、その変化、傾向について明らかにしようとしている。スミスの関心は利潤の大きさという量の側面にあった。スミスはこう言っている。「賃金を騰貴させる資本の増加は、利潤を引き下げる傾向がある。多数の裕福な商人の資本が同一事業に振り向けられるとき、彼ら相互の競争は自然にその利潤を引き下げる傾向がある。また、同じ社会で営まれる種々さまざまな職業において、同じような資本の増加があるときは、同じ競争がこれらすべての事業で同じ効果をもたらすに違いない。」(148頁)。ここでのスミスの利潤低下論は、一定量の資本に対する利潤の割合としての利潤率低下論であり、利潤率の低下は利潤量の増大とは矛盾しない。ところで、このスミスの利潤率低下論の論理は、資本の増加→資本家の競争→一方での労賃の上昇と他方での商品価格の低落→商品価格から賃金を控除した残額としての利潤の低落ということになるだろう。これは第8章末尾での資本の増加が、一方で賃金を上昇させ、他方で商品価格を低下させるという命題だと考えられる。社会の富の増加が資本の利潤率に及ぼす影響についての命題である。それゆえに、国富の増大に伴う賃金上昇でなく、凶作などによる食料品の騰貴による賃金上昇の場合に、利潤がどうなるかという問題については、価格構成論に立つ限りは商品価格の騰貴となっても、利潤の減少ということはいえない。また、資本の増加が商品価格の低下をもたらす現実について、第9章の先に引用した一節からは諸資本の競争の激化が注目されているが、第8章末尾では、資本の増加は「仕事の適切な分割と分配」(147頁)や「最善の機械額の…供給」(同)による生産力の改善をもたらし、しいては、商品の価格低下をもたらすという投下労働価値説な観点に立った見解が見られたことを忘れてはならない。この意味では、必ずしも競争論的見地ではなく、生産論的見地から資本の増加が商品価格の低落をもたらす、とスミスは捉えていたのである。いずれにせよ、資本蓄積の進展につれて、競争激化によるにせよ、生産力改善によるにせよ、商品価格は低下し、賃金は上昇するのであるから利潤率は上昇するのである。

 しかし、この商品価格の低落と賃金の上昇から、利潤の低下を説く論理が完全なものであるためには、商品価格が賃金と利潤に分解するという価格分解説が確立されねばならないが、資本制商品について価格構成説をとるスミスは、その点が明確に把握されていないように思われる。また、資本蓄積の進展は賃金基金を増加させ、賃金を上昇させるとスミスは考えているが、資本蓄積が機械、原料への投資と労働力への投資とに分割され、後者が相対的に減少するという現象、つまり、資本の機械的構成の高度化を考慮すれば、むしろ、資本蓄積の進展は賃金の低下をもたらす可能性があるという問題がある。この場合、利潤率は利潤量を総資本量で除したものであり、利潤量は剰余価値量によって決定されるという問題が生じるが、こうした問題について、スミスは、時代的制約もあり、十分に気づかなかった。

 スミスによれば、利潤は「諸商品の価格のあらゆる変動」(149頁)、「無数の偶発的な出来事」(同)から影響を受けているので、「一大王国で営まれているさまざまな事業全体の平均利潤」(同)を確定することは困難である。しかし、利潤率の変化は利潤率の変化を通して、推測することができると見ている。「それゆえ、我々はどんな国においても、通常の市場利子率が変動するのを見ると、資本の通常利潤もともに変動しているに違いない、と確信しても良い。すなわち、前者が下がると後者も下がり、前者が上がると後者も上がるに違いないと確信してよいのである。」(149頁)と。このように市場において明示される利子率の変化を通じて、間接的に利潤率を推測することができ、後者は前者の2倍程度だと見なしている。

 ところで、スミスの関心は利潤率の大きさだけでなく、それの資本蓄積に伴う変化の傾向という点にあった。スミスはイギリス、北アメリカ、および西インドの植民地のように資本不足で、労働者人口の不足する国においては、賃金も利潤も高いという。「そこでは、耕作するための土地が耕作するための資本よりも多い。したがって、人々が持っている資本は最も肥沃で、最も有利な位置にある土地、すなわち、海岸に近い土地や航行可能な河川の岸に沿った土地の耕作にもっぱら用いられる。また、そういう土地は、しばしばその自然の生産物の価値以下の価格でさえ購買される。そのような土地の購買と改良に用いられる資本は、きわめて大きい利潤をもたらすに違いない。したがって、きわめて大きい利潤を支払うことができるに違いない。」(155頁)と。したがって、植民地において、最も肥沃で、最も有利な位置の土地が未耕作のまま存在するという事情によって農業の利潤率が高いため、平均利潤も高いのである。地価や地代の低さと農業の生産性の高さが利潤率の高さを保証している。この植民地に典型的に見られるような、資本蓄積の初期の段階と対照的なのは、富めるだけ富んでしまった国であり、そこでは賃金も利潤も非常に低い。「一国の土地、気候、その国の他国に対する位置などの性質上、獲得可能な富の全量をことごとく獲得し尽くしてしまった国、したがって、それ以上は前進もできなければ、後退もしていない国では、おそらく労働の賃金も資本の利潤も、非常に低いであろう」(158頁)。そこで、資本によって雇用される以上の人々が満ち溢れているので、労働者の賃金は引き下げられるし、すべての事業に比べて資本が余っているので、資本の競争も激しく利潤は非常に低くなる。スミスはこうした停滞的状態に達した国として、シナを挙げている。

 しかし、現実に存在する資本主義社会は北米植民地におけるような、資本蓄積の始まったばかりの社会から、シナのような富裕の頂点に達した停滞的状態の社会への間に、位置づけられるものである。つまり、国富が増加し、資本が蓄積されている社会であるが、こうした社会においては、すでに述べたように賃金は上昇し、商品価格は低下し、従って、

利潤は低下するのである。しかし、商品価格が低いために、この国は強い競争力を持ち、多くの商品を売ることができるので、利潤の絶対量は利潤率の低下を相殺して、あまりがあると見ている。この資本蓄積の進展している社会は、高い賃金の故に、労働者、従って、社会の圧倒的大部分にとって、良いだけでなく、安い商品価格のために、資本が低い利潤率にもかかわらず、利潤の絶対量を増加させることを可能にするのである。従って、資本家にとっても好都合な状態なのである。スミスは高い利潤率が高い賃金よりもはるかに、商品価格を引き上げる作用を持つと見なし、低い利潤率を肯定しているが、これはまた、価格構成説に立つ結論である。が、いずれにせよ、低い利潤率は国富の増加の現れであり、製品価格の低廉さによる多売の可能性を伴っている以上、資本家にとって、不都合ではない、とスミスは見ていたのである。低い利潤率が安い価格の原因であるように見えるのは

現象であり、資本蓄積に伴う生産力の改善が商品価格の低廉さを可能にしたのである。第8章の末尾では、明らかにそうした説明をしているのに、第9章において高い利潤が高い製品価格をもたらすと述べているのは、矛盾であり、スミスの混乱を示している。低い利潤率が低い商品価格の原因なのでなく、資本蓄積の進展が低い利潤率と低い商品価格をもたらしたと考えるべきなのである。

 

 H.地代論

〔要旨; 地代は,ある種の独占価格であり,土地を借りようとする農業資本家は,競争のためにできるかぎり高い価格を支払わざるをえない。賃金と利潤は価格の原因であるが,地代は農産物の高さがもたらす結果であるとみる。人間の食物となる土地生産物のように常に地代を生じる土地生産物と,衣類や住居の材料となる生産物や鉱産物のように時には地代を生じ時にはそれを生じない土地生産物とがある。耕作の改良につれて,食物の価格にくらべて他の土地生産物の価格が高まる。〕

 

 スミスは地代を一種の独占価格と捉えている。「地代とは土地の使用に対して支払われる価格と見なされるものであって、それは当然、借地人がその土地の現実の状態のもとで支払うことのできる最高の価格である。」(240頁)。地主が農業資本家(借地農業者)と、借地契約の条件を取り決めるとき、彼は農業資本家に、経営していくに必要な資本に通常の利潤を加えた程度のものしか残らないように、農業の生産物を分けるのを可能にするようにする。従って、地代は借地農業者が支払いうる最高額である。「土地の利用者に対して支払われる価格と見なされる地代は、当然、ひとつの独占価格である。それは地主が土地の改良に費やしたものにも、彼が取得できるものにも、全く比例しないで、農業者が支払うことのできるものに比例するのである。」(243頁)。土地は限られたものであり、地主の独占するものであるから、それを借りようとする農業資本家は借り手の競争のために、できる限り高い価格を支払わねばならない。資本の維持費と平均利潤率を超える生産物部分は地主に対して支払わねばならないのである。

 ところで、商品価格と地代との関係は、スミスによれば、商品価格と賃金や利潤との関係とは異なる。後二者は、価格の原因として、商品価格に入り込み、それらの変動が商品価格の変動をもたらすのに対して、地代は商品価格の高さの結果として生じるのであり、農産物の商品価格の高さが地代の高さを生じさせるのである。スミスはこう説明している。「賃金および利潤が高いか低いかは、価格の高低の原因であるが、地代が高いか低いかは、その結果である……言い換えると、その価格がこれらの賃金と利潤を支払うに足る額以上に、著しく大きいか、その程度が僅少か、または、全然それに足りないか、ということが原因なのである。」(144頁)。スミスは第6章、第7章において、資本制商品価格は賃金・利潤・地代によって構成され、これらの変動によって変動すると論じながら、この第11章において、商品価格の高低が地代の高低をもたらすと述べている。これは矛盾であり、スミスの価格構成論に欠陥があることを示している。

 スミスは地代を「土地の生産物のうち、常に多少とも地代を生じる部分についての考察」(244頁)「あるときは地代を生じ、あるときはそれを生じない部分についての考察」(同)および「常に地代を生じる種類の生産物と、時には地代を生じ、時には地代を生じない種類の生産物とのそれぞれの価値の間の比率の変動についての考察」(245頁)の三つの論点について論じている。この中で、土地の豊度と位置に由来する差額地代についても論じるのである。スミスによれば、常に地代を生じる土地生産物とは、人間の食物となる土地生産物である。「人間は他のすべての動物と同じように、その生存に比例して自然に増殖するものである。だから、食物は常に需要がある。食物は常に大なり小なりの労働を購買ないし、支配することができる。」(245頁)「ところが、たいていの土地はそれがどんな位置にあろうと、食物を市場にもたらすために必要な一切の労働を扶養する……その労働者を最大限に優遇するとしても……に足りる以上の食物を生産するものである。そのうえ、この余剰は、この労働を雇用した資本を、その利潤に添えて回収してもなお余りあるものである。それゆえ、地主に対する地代として常に、何ほどかの物が残る。」(245−6頁)。人間は食物に比例して自然に繁殖するから、食物には常に需要がある。そして、あらゆる土地は食物に携わる労働者の賃金と、この労働者を雇用した資本の利潤を回収して余りがある生産物を生産する。従って、それは地代を生じるという。最もスミスは、なぜあらゆる土地の生産物が地代を生ずるのか、その理由を説明していない。同様にまた、スミスは差額地代の存在にも注目しているが、その原因についてうまく説明できなかったように思われる。「土地の地代は、その土地の生産物が何であれ、その豊度によって異なるが、それだけでなく、その土地の如何によっても異なる。都市周辺の土地は遠隔地の農村にある、同じように豊かな土地に比べると、より多くの地代をもたらす。」(246頁)。その理由として、スミスが挙げているのは、農村のほうが生産物を市場に出すのに多くの労働を要し、このため賃金が高いし、また利潤も農村が高いために、より小さな地代が地主に帰属するということである。穀物を作る耕地の地代が、ほかのあらゆる耕地の地代を規制するということもスミスの指摘するところである。

 第2に、時には地代を生じ、時にはそれを生じない土地生産物として、スミスが挙げているのは、衣類や住居のための材料となる生産物や、石炭、金属、宝石などの鉱産物である。衣や住の材料となる生産物が地代をもたらすようになるのは、穀物生産物が改善されて、多くの人々が衣類や住居、家具等のほかの仕事に従事することができるようになり、それら衣、住に関する製品への需要が増大することによる。石炭、貴金属、宝石に対する需要が増大するのも、農地の生産力改善により、人々が増大し、分業が発達することによるのである。そして、それらに対する需要が増大することによって、それらは地代を生ずる、とスミスは説明している。ところで、炭坑は豊度と位置によって地代を生じたり、生じなかったりする。他方、金属鉱山は位置ではなく、もっぱら豊度によって地代を生じたり、生じなかったりする。また、スミスは「土地の地代はその絶対的豊度に比例するが、貴金属鉱山や、宝石鉱山の地代はその相対的豊度に比例する。」(288頁)。銀鉱山について、非常に豊度のよい銀鉱山が発見されると、以前の銀鉱山の地代はほとんど消滅する。だが、土地の改良によって耕地の豊度が高まった場合、それは他の劣った豊度の耕地を無価値にしたり、この土地の地代を消滅させたりしないという。スミスはこの点についてこう述べている。

 「食物を生産する土地の豊度を高める原因がどのようなものであれ、それは改良の加えられた土地の価値を増大するばかりでなく、他の多くの土地生産物に対する新たな需要を作り出すものだから、それらの土地の価値の増大に同じように貢献するものである。」(290頁)と。

 第三に、スミスは上記2種類の生産物のそれぞれの価値の間の比率の変動について、耕作と改良が進むにつれて、食物の価格に比して他の土地生産物の価格が高まると述べている。これは耕地の改良による食料の豊富化が人口を増殖させ、衣、住に関連する商品への需要を高めるからである。「改良や耕作が進歩すればするほど、食物はますます豊富になる。このことは必然的に土地生産物中の食物以外の、実用や装飾に用いられるあらゆる部分に対する需要を増加させるに違いない。従って、改良が進む全過程において、この2種類の生産物の比価には一つの変動しかありえないと予想されるであろう。時には、地代を生じるときには、それを生じていない種類の生産物の価値は、常に多少とも地代を生ずる方の価値に比例して上昇するであろう。」(291頁)。しかしながら、これは衣、住に関する原材料の価値の騰貴であるが、製造品の価格騰貴を直ちにもたらすものではない。というのは、農業生産が発展するのと同様に、製造業における生産力もまた改善されるからである。スミスはこう言っている。「しかしながら、改良の自然的効果として、ほとんど全ての製造品の真の価格は次第に低下する。製造業の製品の真の価格も、おそらく例外なく全て低下する。より良い機械、より優れた技術、そしてより適切な作業の分割と配分、これらはすべて、改良の自然的効果であるが、これらの結果、ある特定の仕事を仕上げるのに要する労働量は、はるかに少なくなってくる。」(393頁)。スミスはこのことを、金属を原料とする製造品の価格が17世紀以来、著しく下がったこと、毛織物類が機材の改良によって、価格低下したことなどの例によって示している。

 

  I.社会の状態と三階級の状態の変化

〔要旨;社会の状態の改善(「改良と耕作の進展」「労働生産力のあらゆる改善」「社会の真の富の増加」)は,土地の真の地代を高め,労働あるいは労働生産物に対する地主の購    買力を増加させる。また,それは労働者の賃金を上昇させる。しかし,資本家の「利潤の率は,富裕な国では低く,貧しい国では高いのが自然であり,また,急速に破滅に向かいつつある国では,それはつねに最も高い」とみる。(第2編以下については,簡単なレジュメに止める。他日,詳しい説明を記載する。)

 

(2) 第二篇の内容(資本蓄積論と信用論)

  第一編では,分業による労働生産力の改善が国富増大の一原因だとみたが,第二篇では   資本蓄積にともなう生産的労働者の増加が,国富増加のもう一つの原因だと指摘する。   A.資本(stock)の分類

  個人の資財の分類・・・・収入(Revenue),資本( Capital)

    社会の総資財の分類・・・収入(Revenue),固定資本(Fixed Capital)

                            ,流動資本(Circulating capital)。定義の問題性。

  資財を収入と資本に分類したことが,資本蓄積論にとって重要。

B.総収入と純収入との区別。社会の総資財の一特定部門としての貨幣と銀行の働き。    C.資本の蓄積。

 ・資本の蓄積の定義=既存資本への追加資本の付け加え。

  ・資本蓄積→生産資本の蓄積→不生産的労働者の雇傭から生産的労働者の雇傭への振り    替え。

 ・生産的労働者と不生産的労働者の区別─→(1)対象の価値を増加する種類の物とそ   うでないのものとの区別,(2)ある特定の商品の形に固定化し,価値を存続できる  かどうか。

・総生産物(総収入)= 利潤と地代(純収入)+ 資本の回収部分その国の過去の             資本蓄積の規模

                    ↓                       不生産的労働者の雇傭 +  生産的労働者の雇傭

                    ↓

                  翌年の生産の規模

  ・資本と収入の比率→勤勉と怠惰の比率

 ・節約→資本増加→拡大再生産

  浪費→資本減少→縮小再生産→公共社会の敵

 ・国家が正義の原則(身体生命の安全,所有の保証等)を保証すれば,各人の利己心の  作用により,節約がなされ,資本が増加し,生産的労働者が増加し,国の富裕が増大  するとみる。

 D.投資の自然的順序論

  ・資本の使用法・・・(1)農業,(2)製造業,(3)卸商業,(4)小売り商業。

    農業は最も多くの生産的労働者を活動させる。製造業者は手工業者や農業者の資本と    利潤を回収させる。卸業者は農業者や製造業者の資本と利潤を回収させる。小売商人 は卸売商人の資本と利潤を回収させる。( 順次,上の段階の資本が回収されるという視点をとる)。(順次,上の段階の資本の物的補填を行うという観点をとる)。

  E.投資の自然的順序

    農業→製造業→卸売業→小売業。その実例は,当時のアメリカ。

  また,卸売業は,国内商業→外国貿易→中継貿易の順序で,生産的労働者を多く雇傭す    るので,その順序で投資されるべきだと見る。

 

(3))第三編,第四編,第五編

上記の第一・二編の理論に基づいて,当時の重商主義政策の批判がなされ,また,安価な政府論が論じられている。

 

 

U、古典学派の展開

 

1.   リカードウ(David Ricardo,1772-1823)の時代と学説

 

(1)リカ−ドウの時代

A. その時代の特徴

● 産業革命の進展

 1760-1830年間―→機械制大工業に基づく資本制的生産様式の確立

● 資本家と労働者との階級分化

  ラダイツ運動

             穀物関税問題

1870年代・・・穀物輸出国

1890年代・・・穀物輸入国。地主と資本家

● 1815年の恐慌・・・過渡的な恐慌

  ナポレオン戦争の終結−→大陸から安価な穀物の大量輸入−→小麦価格の下落−→農業不況の到来−→穀物法の可決

● 穀物法論争

  1815年・・・穀物法両院通過

  地主と資本家との利害対立―→穀物法論争

―→リカードウとマルサスの論争

● 地金論争(1809−)

1797年以来、兌換を停止していたイングランド銀行券が、この頃、増発により価値減価し、他方、金地金の騰貴が生じ、物価騰貴と為替下落が生じた。

1810年、下院に地金委員会が設けられ、『地金委員会報告』が提出された。銀行券の過剰発行が、金の価格と物価の騰貴、為替相場の下落の原因として、銀行券発行の制限と正貨(金貨)発行と銀行券の兌換の再開を提唱。それをめぐって、銀行主義と通貨主義との論争が発生。

B. 穀物法論争

             穀物法賛成論(地主の立場)

安い穀物価格−→低い地代と低い土地価格。

従って、穀物価格の低下を防ぐ穀物法に賛成。

安価な穀物の輸入は、国内農業を破滅させ、農業の停滞と地主の収入を減少させ、工業品への需要を減少させる。

また、穀物の外国依存は、イギリス国家の独立性を弱める。

● 穀物法反対論(産業資本家の立場)

  高い穀物価格―→高い賃金−→低い利潤

  従って、穀物を騰貴させる穀物法に反対。

  穀物価格の騰貴が、イギリス工業の国際競争力を弱めることのより、また、穀物輸出国(相手国)の経済を悪化させる事により、イギリス工業製品の輸出を阻害する。

(2)リカードウの生涯と活動

1772年・・・ロンドンに生まれる。オランダ系ユダヤ人。オランダで一般教育と商業実務を学ぶ。

1793年・・・クエイカー教徒の娘プリシラ・アンと結婚。シテイーで、証券取引業者として活躍。ナポ

レオン戦争        期に公債取引により成功。

1799年・・・バースにて、『国富論』を読み、経済学に関心をもつ。

1808−9年・・・地金論争で活躍。「地金の価格」(1809.8.29)、『地金の高価格』(1810)、『ボウズンキット氏に答える』(1811)を発表。通貨主義派の論なる。

1815年・・・物法論争の展開。マルサスとリカードウは、パンフレットを発行。マルサスは、『外国穀物輸入制限についての一意見の根拠』(1815.2)および『穀物の低価格が資本の利潤に及ぼす影響についての試論』(1815.2)を発表。リカードウは、『穀物の低価格が資本の利潤に及ぼす影響についての試論』(1815.2)を発表。

1816年・・・『経済的でしかも安定的な通貨のための提案』イングランド銀行の発券準備を正貨から地金に転換することを提案。

1817年・・・ 『経済学および課税の原理』初版を刊行。

1821年・・・ 同上の第三版を刊行。第一章の変更と機械についての章の追加。

1822・・・・穀物条例の漸次的廃止を提唱。

  

2.   リカードウの経済学説

 

(1)スミス経済学の矛盾とリカードウとマルサスによる異なった解決

@    地代の源泉を労働の生み出す追加価値に見出すとともに、「自然の労働」に求める。

A    交換価値の大きさを測定する尺度をその商品の支配労働量だとすると同時に、交換価値の源泉はその商品の生産のための投下労働量だとしたこと。

B    このスミス価値論の矛盾を、リカードウは、投下労働価値論を未開社会だけでなく文明社会にも妥当するものとした。他方、マルサスは、投下労働価値説を放棄し、支配労働価値説と需給関係のよる価値決定という理論にたった。

 

(2)『経済学および課税の原理』(1817)における価値論

@     労働は価値の源泉――→ 商品の価値の大きさはそれに投じられた労働量によって測定される。労働者の賃金には、左右されない。

「一商品の価値は、すなわち、この商品と交換される何か他の商品の分量は、その生産に必要な労働の相対量に依存するのであって、その労働に対して支払われる報酬の多少に依存しない」

A     価値論は、任意可増財にのみ妥当する。価値論 はあらゆる社会に妥当する。

B     複雑労働と単純労働との区別

「異なった質の労働は、異なった報酬をうける。このことは、諸商品の相対価値の変動の原因ではない。」

C     直接労働と間接労働

労働者の直接の労働だけでなく、機械や原料に投じられた間接労働(蓄積労働)も、価値決定に影響する。

「商品に直接使用される労働ばかりでなく、このような労働を助ける器具、道具、および建物に投下される労働もまた、商品の価値に影響を及ぼす。」

D     商品生産の際の資本構成の相違と固定資本の耐久性の相違は、労働による価値決定に影響を及ぼす。また、資本の回転の相違にも影響される。

「諸商品の生産に投下される労働量がその相対価値を左右するという原理は、機械およびその他の固定的かつ耐久的な資本の使用によって、相当に修正される。」

「価値が賃金の上昇または低下とともに変動しないという原理は、資本の耐久性が不等であること、および資本がその使用者のもとに回収される速度が不等であることによってもまた修正される。」 

E     価値修正論

ある商品の交換価値がその商品の投下労働量に正確に比例するのは、二商品の生産に用いられる固定資本と流動資本の割合が等しい場合、双方の固定資本の耐久性が等しい場合、流動資本の耐久性または回収期間が等しい場合に限られる。

F     価値尺度論

価値尺度となるものは、不変の価値を持たねばならないが、そういうものはないので、不変の価値尺度はない。―→ 一般的交換媒介物である貨幣も、不断の変動を免れない。

「価格をつねに表現する媒介物たる貨幣の価値変動から来る、又は貨幣の購買する財貨の価値変動から来る、いろいろの結果」

l      貨幣価値の変動からくる賃金上昇は価格に全般的影響をもたらすが、利潤には影響をもたらさない。しかし、実質賃金の上昇は、利潤を低下させる。

 

(3)『経済学および課税の原理』における資本蓄積と分配の理論      ―→蓄積の進展に伴う分配の変化

l      蓄積の進展―→ 人口の増加―→ 穀物需要の増大―→ 穀物生産の拡張―→ 劣等地耕作の進展(穀物需要の増加速度>食糧生産の増加速度)−→ 穀物価値の騰貴―→ 地代の増大と賃金の価値増大―→ 利潤減少

 

@    地代論

l      穀物価値決定の原理

A)   耕地の各地片は、質(肥沃度)あるいは位置について優劣がある。

B)   同一地片への追加投資は、土地の収穫逓減法則の作用により、投下資本単位あたりの収穫量は低下する。

C)   穀物価値は、最劣等地における最大の投下労働量によって、決定される。というのも、その場合に初めて、最劣等地に投資する農業者が、平均利潤を取得できるからである。

l      劣等地耕作の進展により地代発生。

差額地代は、優等地の穀物の個別価値が、社会価値(最劣等地での穀物価値)以上の価値を持つことによって生じてきたものである。

l      地代の増加は、国民生産物の価値額を増大させるが、国民所得の実質価値の増加を意味しない。

 

l      地代発生の例解

耕作地/投下資本

@     

A     

B     

  T

  100g

  85g

 75g

II.     

    90g

  77g

 ・・・

III.  

  80g

  69g

 

A)   穀物地代(外延的耕作の進展)

年度

 穀物供給

耕作地

 穀物地代

1

 100g

  T

  0

2

 190g

T+U

10g(T)

3

 270g

T+U+V

20g(T)+10g(U)=30g

B)穀物地代(内包的耕作の進展)

年度

 穀物供給

耕作地

 穀物地代

  1

 100g 

  T

  0 

  2

85g

T+U

15g+13g

  3

75g

T+U+V

15g+25g+13g+11g=64g

 

A   賃金論

l      リカード賃金論の基本性格

A)   賃金が労働者の生存費にされる。

B)   三階級への分配の決定に中心的役割を果たす。

l      賃金の影響

A)   賃金の変動が商品価値の変動に及ぼす影響は、商品への投下労働量の変化が商品価値の変動に及ぼす影響に比べて、はるかに小さい。

B)   賃金の変動は利潤の変動に決定的に作用する。

l      賃金はどのように決定されるか。

A)   市場賃金は、労働市場における供給(人口)と需要(資本)との関係によって、決まる。

B)   自然賃金は、労働者が全体として生存し、永続してゆくに必要な価格によって決まる。

C)   供給側の人口増減を梃子に、市場賃金は自然賃金に、一致する傾向がある。

l      自然賃金(労働の自然価格)

A)   「労働の自然価格は、労働者およびその家族を養って行くに必要な食物、必需品、および便宜品の価格によって、決定される。」

B)   労働生産性の変化により、それらの価格が低落すると、自然賃金も低落する。

l      市場賃金(労働の市場価格)

A)   「労働の市場価格は、供給の需要に対する割合の自然作用によって、実際に労働に支払われる価格である。労働は少ない時に高く、充分ある時に安い。」

B)   労働の供給は、人口数によって決まる。実際には、総人口数と求職者数とは、一致しないが、古典派は後者が前者により規定されると見る。

C)   労働の需要は、資本によって決まる。しかし、資本には、生産に必要な総資本と賃金支払に当てられる賃金資本がある。リカードウは、両者の増減は、並行関係にあるとみる。

 

l      市場賃金と自然賃金との関係

A)   市場賃金が自然賃金を上回る時は、労働者はより多くの生活必需品や贅沢品を支配し、その生活状態は繁栄し幸福である。

B)   しかし、労働者の生活状態の繁栄と幸福の結果として、人口の増加が生じると、人口増加は労働の供給を増加させ、かくして、市場賃金は自然賃金に一致する。

C)   人口が増加しすぎ、市場賃金が自然賃金を下回るようになると、労働者の生活状態は悲惨になる。

l      労働者にとって望ましい状態は、市場賃金が自然賃金よりも大きい期間が、長びくことであり、そのためには、(1)資本蓄積が人口増加よりも進展すること、および、(2)賃金を規定する賃金財が労働生産性の増加によるか輸入によって低落することが、必要である。

 

B   利潤論

l      リカードウによると、利潤は、労働によって作り出された価値から、賃金を差し引いた残額である。農産物では地代も控除される。(実際には、生産手段のための費用も控除する必要がある。)

l      マルクスのように、剰余価値と利潤とを区別しなかったので、利潤が資本量によって規定されると見なすに至った。

l      基本的関係としては、賃金によって利潤が逆方向に規定されると見なした。

l      資本蓄積の進展は、市場賃金の騰貴→人口増加→穀物需要増加→劣等地耕作の進展→穀物価値増大→自然賃金の騰貴となるので、利潤は低下する。この利潤(率)の低下は、資本蓄積の停滞をもたらし、停滞的状態(定常状態、stationary state)をもたらす。

 

V.マルサスの経済学説

(テキスト,永井義雄編著『経済学史概説』の第三章2の要旨。)

1)             時代と論争の中でのマルサス

A)   フランス革命をめぐる論争

l      バークとペインの論争

l      マルサス『人口の原理』

An Essay on the Principle of Population, London, 1798)――→人口増大の圧力は普遍的であって、そのため下層階級の貧困の除去は、「人間の能力がおよび得ない」と主張する。

B)   マルサス――新しい視点

l      ゴドウイン(William Godwin,1756-1836)のユートピア的理想主義的進歩史観を、自然法則により批判。

l      マルサスの二つの公準

(1) 食糧が人間の生存に必要であること。

(2) 人間の情念は消滅するようなものでなく、不変であること。

この二つの公準より、自然法則としての人口圧力による貧困の必然性の立証を行おうとした。

また、その上で、厳しい経済世界像を再構成し、節欲・節制の道徳世界を説いた。

 

C)  『食糧の高価格』と需給説

l      中心的関心事――食糧生産。

l      人口統計の収集に努めながら、食糧生産のみならず、後に、農工業の生産一般の探求に進んだ。

l      『現在の食糧高価格の原因』

An Investigation of the Cause of the Present High Price of Provisions,London,1800)

スエーデンとイングランドの穀物価格の比較から、「穀物価格に応じて生活保護費を増額する試み」のために、後者における穀物価格が高くなったと見た。これは実証ではなく、理論的推論であった。――限界購買力説(供給が需要を下回る場合、有効需要中の限界需要者の購買力により商品価格は決定される)による。

l      ケインズはこの著作を高く評価した。――需給説的価格決定論の萌芽と、経済問題解明のために理論を用いるという方法の適用。

l      食糧供給と食糧需要(人口)との均衡の維持には、貧困と言う痛みを伴うという事実。

 

D)   穀物法論争と食糧安保論

l      ナポレオンの大陸封鎖(1806年)による農業生産の拡大が、最初の農業恐慌をもたらした。

l      農産物価格の低迷が、農業資本家と地主たちの利益を直撃。その結果、穀物法の税率引き上げ問題が、論争の的となった(1813−15年)。

l      『人口の原理』(1798年)では、農業保護に一時的対策としての意味しか認めなかったが、穀物法論争においては、穀物輸入の自由化を主張するリカードウに反対して、関税引き上げによる農業保護の強化を、主張した。

l      『穀物法論』

Observation on the Effects of the Corn Laws, and of a Rise or Fall in the Price of Corn on the Agriculture and General Wealth of the Country, London,1814)と

『外国穀物輸入制限政策』

The Grounds of an Opinion on the Policy of restricting the Importation of Foreign Corn, London, 1815)における農業保護論。

食糧安保論に基づく。―→食糧安保論は政治的議論。

食糧輸出国が、不作の場合や戦争のために、穀物輸出を制限する時、食糧輸入国の安全保障が脅かされるから、食糧自給率の維持と向上が、必要だとした。 

l      マルサスは、スミスにならい、防衛は富裕に優先するという立場から、自由経済の支持者でありながら、農業保護(穀物法支持)を主張した。

l      マルサスは、リカードウに先立って、差額地代論を提唱した。人口と資本の増加し、富と勤労とが増すにつれて、地代収入は増加し、利潤と賃金とを押し下げる傾向があると、見た。

 

E)   一般的過剰生産恐慌の理論

l      農業生産のみが生産的労働という議論と農工二分論が、マルサスに独自の分析視角。(スミス以前的な視角)。

l      『経済学原理』

Principles of Political Economy,London,1820)。

富を「人間にとって必要、有用かつ快適な物質物」と定義し、一国の富裕度は、「領土の広さ」にこれらの富が供給される度合いによるとした。

『人口の原理』では、生活必需品を食糧のみで表象し、農業労働のみを生産的とみたが、次第に衣食住の必需品を視野に入れるようになり、『経済学原理』が成立した。

l      1815年以降のマルサスの関心は、一般的過剰生産であった。『経済学原理』の第7章において、「(生活必需品の)供給におもに影響を与える原因は何か」を問題とし、「富の継続的創造および増進」をもたらすもの、すなわち資本主義的再生産構造の考察を問題とした。

l      リカードウやセーやミルの販路説と一般的過剰生産否定論とを批判した。(資本家と地主の貯蓄傾向は、商品への需要を減少させ、一般的過剰生産恐慌をもたらすとした。)――→需要重視の立場と過剰生産恐慌の可能性。

l      「利潤率と資本の増加とを規制する法則は、賃金率と人口とを規制する法則ときわめて著しくかつ奇妙に似ている」という。――人口にとっての食糧(必需品)が、資本にとっての有効需要にあたる。つまり、制限する要因。

l      マルサスの経済学的な立場

経済社会の基本は、私的所有(とりわけ資本と土地の私有物)であり、経済運営の眼目は、生産(供給)と消費(需要)、農業と工業それぞれの均衡と、均衡を維持しつつ生産を拡大することであった。――→均衡破壊的な急速な資本蓄積を戒め、一般的過剰生産に対する備えとして地主の消費購買力(地代収入)を、高く評価した。

l      農業保護が、食糧安保と安定成長にとって、また自由主義経済の維持にとって、不可欠な政策とされた。

2)             スミスとマルサスとの学説の継承関係

永井義雄編著『マルサスとその時代』昭和度,2003,所載の遠藤和郎論文の要旨

l      スミスの人口法則

「もしも、こうした需要がたえず増加するならば、労働の報酬は必然的に労働者の結婚と増殖を刺激して、たえず増大する需要を、たえず増大する人口によって満たすことが出来るようになるに違いない。・・・このような仕方で、人間に対する需要は、たのすべての商品に対する需要と同じように、人間の生産を必然的に左右する」(WN,Vol.1.P.98,訳1、136頁)。――→下層階級の賃金の高低を規定する労働需要の程度如何が、社会における人口増加を左右する。

l      スミスの労働維持基金

「賃金によって生活する人々に対する需要は、いうまでもなく、賃金の支払に当てられる基金の増加に比例するよりほかには増加のしようがない。こうした基金には二種類あって、第一は、生活維持に必要な部分を超える収入であり、第二は、親方の業務に必要な部分を超える資本である」(WN,Vol.1,P.86,訳1、117頁)

労働維持基金の大きさは、一国の資本と収入の増加、したがって国富の増加によって増加する。国富が増加しつつある社会の発展的状況では、労働者の生活は幸福で快適である。

l      スミスにおける資本蓄積と国富の生産

「資本と収入の比率は、どこでも、勤勉と怠惰との比率を左右するように思われる。資本が優勢なところでは勤勉が広がり、収入が優勢なところでは怠惰がはびこる。」

WN,Vol.1,P.337,訳1、528頁)。

資本によって雇用される生産的労働者が、一国の富を生産するので、資本が増加し、生産的労働者が増加する時、社会は富裕になる。

l      マルサスの人口法則

人間の増殖本能は変わらず強力であるが、食物生産は制限されているので、人間社会の不幸と悪徳が生じる―→人口増加に関する振動は、労働に対する需要と供給との関係および労働価格の高低に依存する。――→人口増加を制限し労働供給を調節するものは、「道徳的抑制」である。

l      マルサスの労働維持基金論――分量と価値の両面

「労働を維持するために特別に予定された全基金の価値の形成においては(その全基金の増加率が労働に対する需要を調節するのだが)、一部分はかかる基金の一定部分の価値に、また一部分は現物でのその額に依存している。換言すれば、一部分はその価格に、また一部分はその分量に依存している。」(PPE,Works,Vol.5,p.194,訳下、31頁)。

マルサスは、生産的労働者と不生産的労働者の割合が適切であることが、富の増大と労働維持基金の分量と価値の増大にとって、重要である。

l      富の生産と資本蓄積(マルサスの見解)

富の生産は、資本蓄積によって進展する。

富の需要面として、生産物に対する地主や不生産的労働者(使用人たち)の有効需要を重視した――→富の継続的拡大は、生産物に対する有効需要の継続的増大によって、はじめて可能になる。

資本蓄積によって一国の富が増大するためには、生産的労働者と不生産的労働者との間の適正な割合が必要とされ、不生産的労働者の消費が重要視された。(遠藤、2003、171頁)。

  

 

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  参考資料(経済学史Tのスミスの部分)
10.アダム・スミスの『道徳感情論』における道徳哲学

(古典派経済学の成立―アダム・スミスの経済学説―『道徳感情論』と『国富論』をめぐって)

 

(1)アダム・スミス(Adam Smith1723-1790)の生涯と著作

 

A.主著

  The Theory of Moral Sentiments,1759.

  An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations,2Vols.1776.

 

B.生涯

1723・・・スコットランドのカーコーディに生まれる.

1744・・・オクスフォード大学でバチュラー・オブ・アーツの学位を取得.

1751・・・グラスゴー大学論理学教授に就任. フランスでディドロおよびダランベールが

     『百科全書』第一巻および第二巻を編纂出版.

1752・・・スミスは道徳哲学の講座に転任. エディンバラ哲学協会およびグラスゴー文学

     クラブに加わる.

1755・・・『エディンバラ評論』を創刊( これは翌年第二号をだして廃刊).

     北アメリカでイギリスとフランスとの植民地戦争( ─1763,7年戦争の一部).

1759・・・4 月末, ロンドンで『道徳感情論』出版. フランクリン, タウンゼントと会う

1763・・・「国富論の初期の草稿」として知られる論文を執筆しタウンゼントに送る.

1764・・・1 月末か2 月初めにバックルー公とともにフランス旅行に出発((─1766.10).

1766・・・パリ滞在中, ドルバック, エルベシウス, レスピナスなどのサロンに出席.

1767・・・ロンドンに滞在し, 『道徳感情論』第三版の校正と,『国富論』のための研究

     をする. ロンドン王立協会の会員に推薦される.5 月バックルー公の結婚とと

     もに,故郷にかえり,『国富論』のための研究に専念する.

1773・・・4 , ほぼ完成した『国富論』草稿を携えてロンドンに行き,その後1776年ま

     でロンドンで同書の仕上げに専念した.ヒュームを遺言執行人に指名する.

1776・・・3 9 日『国富論』第一版, ロンドンのストラデル・キャデル書店から刊行.

     ヒューム死去. アメリカ独立宣言公布( ジェファースン起草).

1779・・・アイルランド自由貿易問題について意見を求められる.

     イギリス, 蒸気機関による工場はじまる.ラダイツ運動はじまる.

1782・・・『国富論』第三版の増補のために東インド会社の歴史を研究する.

1784・・・『国富論』第三版出版. 4 , 5 編に増補が加えられた。

1789・・・アメリカ合衆国政府成立. フランス革命勃発. フランス人権宣言.

1790・・・『道徳感情論』第6 版出版. かなりの増補と削除. 717, 死去.

( 大河内一男編『国富論研究V』筑摩書房, 水田洋著『アダム・スミス研究』未来社,196

8, 等参照)

 

(2)スミスの人間観・社会観

   (──『道徳感情論』(1759)における見解──)

 

A.スミスによると道徳と正義の基礎をなすのは, 同感( 同情,Sympathy)という人間に普通に見られる感情である。人間は利己心とともに同感という感情をもっている。同感とは,人間が想像力によって, 自分自身を他人の立場に置き換えることにより, 他人の感覚・感情・動機などを理解することである。そして観察者の同感という感情作用は,行為者の立場に想像上自分をおくことによってだけでなく,行為者の置かれた状況を理解することによって生じる。

B.行為者の感情が「道徳的に適正」であるかどうかは,行為者の「原本的な感情」と観察者の「同情的な情緒」とが「完全に一致」するかどうかによって決まる。そして観察者は諸事情を知ることにより,行為者の感情がそれの起こった動機に適合していると感じたときに, 行為者に同感する。したがって,観察者が行為者の感情に同感するとき, かれはそれを道徳的に適正なものとして是認しているのであり,同感しないとき,それを道徳的に不適正なものとして否認しているのである。

C.ところで, 観察者が行為者の立場に想像上自分を置くように,行為者もまた想像上, 観察者の立場に自分をおいて,自己を冷静に見つめる必要がある。つまり観察者と行為者とが互いに立場を想像上交換する。このことによって両者の情感がやわらげられ,一致しやすくなる。またこうした両者の努力のなかで,観察者においては「寛大な人間愛」,行為者においては「情感の支配」( 自己抑制) という美徳が成立する。

D.さらに,観察者と行為者とは,想像上, 立場を交換するだけでなく,市民社会の日常生活生活において, 実際にも立場を交換する。つまり観察者はつぎの時点では行為者となり,行為者は観察者となる。こうした観察者と行為者との想像上および現実的な立場の交換のなかで,「公平無私の見物人」=「公平な事情に精通した観察者」が成立する。こうなると,行為者はこの「公平無私な見物人」の同感するような程度において,自己の感情を表現しなければならない。こうして,公平無私な, 事情に通じた観察者の同感というものが,行為者の感情表現の道徳的適正さを判断する基準になる。したがって,同感という感情作用が, 徳の判断能力の基礎であると, スミスはみなしたのである。

E.スミスは「かくして他人のために大いに感情を動かし,自分のためにはほとんど感情を動かさないということ,我々にわがままを抑制して,われわれに仁愛に満ちた性向を自由に発動させるということが完全なる人生を成就させるに至るのだ」と述べている。

F. 徳の判断能力としての同感の原理を明らかにしたのち,スミスは徳の内容について,  論じる。そのうち, 道徳哲学体系の三つの部門である道徳的世界・法的世界・経済的世界の三つの部門の基礎をなす徳性, すなわち仁恵の徳(Beneficence), 正義の徳(Justice ), および慎慮の徳(Prudence)の三つについて, 説明しよう。

G.まず, 仁恵の徳とは,道徳的に適正な動機から発生し, 被行為者と見物人に感謝の感情を呼び起こすような行為のことである。それは被行為者と見物人の感謝を呼び起こす点で美徳であるが,それは人々に強制さるべきものでない。また,それなしに, 社会が存立し得ないものでもない。「仁恵は常に自由であり,それは権力をもって強制することはできず,単なる仁恵の欠如は刑罰の対象とはならない」とスミスは述べている。

H.これに反して正義の徳とは,他人の生命, 財産, 権利などを侵害しないことである。正義の徳を遵守することは個人の恣意にはまかされておらず, 社会はこの正義の徳の実行を強制できる。またそれに違反する行為は報復感の対象であり,刑罰の対象になる。だが, 「正義は一種の消極的な美徳にすぎず,それは単にわれわれが隣人に害を与えることを防止するにすぎない」。正義の徳を根拠づける際にも,スミスは公平無私な見物人の同感作用をもちだす。つまり,人間は他人の幸福よりも自分の幸福を重視するという性向があるが,他人を犠牲にしてまでその性向を発揮することは,公平無私な見物人の共鳴するものではないという。ところで, 正義の法則としてスミスの挙げるのは,隣人の生命と人格を護ること,隣人の財産と所有物とを保護すること,隣人が個人的権利ないしは他人との契約にもとづき所有するにいたったものを保護することなどである。

I.最後に, 仁恵の徳と正義の徳とを比較し, 前者は「社会という建築物を飾りたてる装飾品ではあるが, それを支える土台石ではない」のにたいして,後者は「社会の全殿堂を支える大黒柱である」と特徴づけている。

J.第三の徳である慎慮の徳は,正義の原則を守り,自分自身を統制しつつ,自分の幸福を追求する徳のことである。「個人の健康,財産,身分ないし名声にたいする配慮」は,慎慮という徳のおこなう適切な仕事である。慎慮の徳は安全を目的とし,徳の内容には,職業上の知識と手腕,事業遂行上の勤勉努力,出際の際の節倹や,研究熱心さ,誠実で遠慮がちなこと,敏感に友情を感じること,長期的な安楽が得られるという期待のもとに瞬間的な享楽を犠牲にすることなどである。しかしスミスは,慎慮の徳を「最も尊敬すべきもの」で「快適な性質」とみなしつつ,「最も高尚な美徳」とは考えられないと評価している。

 

 

11.スミスの『国富論』(1776年)における経済的自由主義

 

(1)歴史観

A.

A.スキナー( 『アダム・スミス 社会科学体系序説』未来社刊)によれば,経済を重視したスコットランド歴史学派の人々は,人間が活動的な存在であり, 物質的な生活状態を改善しようとする性質をもつということにより,未開社会から文明社会への発展を説明し, また, 経済成長を狩猟, 牧畜, 農業, および商業の四つの段階に区分し, そのそれぞれにおいて生産活動や生活資料の獲得の仕方や財産の形態と制度がことなると見做した。スミスはこのスコットランド歴史学派に影響されつつ,自説を作り上げていった。

B.

スミスは,社会の第一段階を「北アメリカの原住種族のあいだにみられるような最も低く, 最も未開の社会状態」( 『国富論』) と捉え,そこではひとびとは自然の果実を採取したり,狩猟したりすることにより生活し, 生活共同体は家族単位で小規模である。ついで, 社会の第二段階すなわち牧畜段階は「タタール人やアラブ人たちのあいだにみられるようなより進歩した社会状態」であり,そこではひとびとは動物を飼育したり,放牧することにより生活資料を獲得する。生活共同体はより大きくなり,家畜という蓄積可能な私有財産が存在するので, 貧富の差が発生する。貧富の差の発生とともに,富者の財産を貧者から守るために市民政府が形成されるにいたる。

C.

 社会の第三段階は,農業段階であり,ローマ帝国の没落につづく時期やゲルマン民族やスキタイ民族の支配がおこなわれた時期を例として挙げつつ論じる。そこでは定住地での農業により,生活資料の獲得がなされるが,主要な生産手段である土地が少数の大地主によって独占されている。こうして富の不平等と, その結果としての家柄の不平等が発生し,それによりさまざまの権威と従属の関係が成立する。また,農業経済の発展とともに,都市が成長し, 都市における製造業の発展は農業生産を促進する。土地を占有して農業生産に携わるひとびとのあいだに, 個人の自由と安全がしだいに導入されてくる。

D.

農業と製造業に従事するひとびとが増え,二つの部門の間の商品流通を担う商人が増えてくると,農業社会を支配した地主の権力が衰退し, ひとびとのあいだの関係は,人格的な依存関係から市場による商品を介した物的な依存関係に転化してくる。と同時に, 社会は地主, 資本家, 賃労働者の三大階級に分化する。こうして,近代の交換経済ないしは商業経済が成立する。これが,経済発展の第四段階の商業社会である。この商業社会は, 人間の本性である利己心と同感という原理に適合した自然的な社会だと見做された『国富論』はこの商業社会の経済の仕組みを解明することを課題にしている。     

 

 

12.同書における資本主義の一般理論

 

(1)『国富論』の編別構成と概要

 スミスの『国富論』(1776)は,「第一編 労働の生産力における改善の原因と, その生産物が国民のさまざまな階級のあいだに, 自然に分配される秩序について」, 「第二編 資本の性質・蓄積・用途について」, 「第三編 国によって富裕になる進路の異なること」, 「第四編 経済学の諸体系について」, 「第五編 主権者または国家の収入について」などの五つの編から構成されている。

  最初の二つの編は理論編であり,人間の自然に合致した「自然的自由の体制」の経済構造とその運動法則について論じている。第一編では,有名な分業の生産力上昇にとっての効果からはじめて,商品の価値と使用価値の区別,市場価格と自然価格の区別,貨幣の機能などの流通論の問題,価格を構成する要素として賃金・利潤・地代などの分配論の問題,社会の進化につれての諸社会階級の社会状態の変化などを論じる。ついで,第二編では,資本蓄積論が重要であり,資本家がその利己心にしたがって,生活物資などからなる資財を,生産的労働者を雇傭する資本に転化することによって,資本蓄積が進展すること,また資本蓄積の進展につれて分業が深化拡大し,国富が増大してくるというかれの基本思想が述べられている。

  つづく二つの編では, ヨーロッパの近世の経済史とスミス以前の重商主義や重農主義の学説について述べ,最後の編では自然的自由の体制のもとでの国家の財政のありかたについて論じている。つまり,「安価な政府」論の主張であり,課税の原則や,均衡財政の思想が述べられている。『国富論』をスミスの問題意識にしたがってとらえなおすと,まず当時のヨーロッパの重商主義体制が人間の自然に合致しない人為的な体制だという意識があり,それを主張するためにまず人間の自然に合致した経済体制についての基礎理論( 1 2 ) をつくり,それにもとづいて重商主義を批判し, 自由主義への移行の必然性を論証しようとした( 3 4 5 ) のである。  

 (2)『国富論』第一編の内容

 A.国富観と国富増進策     

    土地と労働の産物。分業による労働の改善と有用な労働に従事する人びとの数。

 B.分業論     

    作業の分割と職業の分化。分業の原因(人間の交換性向)

 C.貨幣論     

    商品交換の発生とともに,特定の商品が,後には貴金属が「交易の共通の 用具」として用いられるようになった。貨幣は価値尺度機能と流通手段としての機能をもつ。

  D.価値論

    商品の使用価値と交換価値。交換価値を規制する法則(初期未開の社会,商業社会)

  投下労働説・価値分解説と支配労働説・構成価値説との併存。価値決定の問題を価値測定の問題にそらし,商品交換価値を測定するものとして,穀物(長期),金銀(短期),および労働を挙げている。支配労働説。

 E.価格論

    商品の自然価格を構成するものは,「賃金,利潤,および地代の自然率」である。商品の市場価格は,市場での供給量と有効需要量との関係により決まる。自然価格は市場価格の「中心価格」である。そこで,賃金,利潤,地代の自然率を追求する。

  F.賃金論

    その自然率は,労働者とその家族の生活を維持するに足りるものでなければならない。   賃金の市場率は,労働者に対する需要と供給により決定され,社会の状態が繁栄にむかう進歩的状態においては,その自然率よりも高くなる。また,社会の状態が停滞的状態では,賃金の市場率は自然率に一致し,衰退的状態ではそれ以下になる。したがって, 高賃金は,社会の進歩的状態の表れであり,また,高賃金は庶民の勤勉をも増進するから,それは望ましいものである。したがって,賃金の変動に影響を及ぼす要因は,短期的には労働に対する需要と供給の変化により,長期的には,生活必需品と便宜品の価格の変動による。

  G.利潤論

    利潤率とその変化傾向を論じている。資本増加は資本家の競争を激化させ,これは一方で商品価格の低落をもたらし,他方で,労賃の上昇をもたらす。そこで,両者あいま って利潤の低落をもたらす。利潤率の変化は,市場で明示される利子率から推測される。社会の状態と利潤との関係については,進歩的状態では賃金同様に利潤は高く, 停滞的状態では,賃金も利潤も低い。現実の資本主義社会は,その中間の状態にあるとみる。

 H.地代論

   地代は,ある種の独占価格であり,土地を借りようとする農業資本家は,競争のために     出来る限り高い価格を支払わざるをえない。賃金と利潤は価格の原因であるが, 地代は農産物の高さがもたらす結果であるとみる。人間の食物となる土地生産物のように常に地代を生じる土地生産物と,衣類や住居の材料となる生産物や鉱産物のように時には地代を生じ時にはそれを生じない土地生産物とがある。耕作の改良につれて, 食物の価格にくらべて他の土地生産物の価格が高まる。

  I.社会の状態と三階級の状態の変化

  社会の状態の改善(「改良と耕作の進展」「労働生産力のあらゆる改善」「社会の真の富の増加」),土地の真の地代を高め,労働あるいは労働生産物に対する地主の購買力を増加させる。また,それは労働者の賃金を上昇させる。しかし,資本家の「利潤の率は,富裕な国では低く,貧しい国では高いのが自然であり,また,急速に破滅に向かいつつある国では,それはつねに最も高い」とみる。

 

(3) 第二篇の内容

  第一編では,分業による労働生産力の改善が国富増大の一原因だとみたが,第二篇では 資本蓄積にともなう生産的労働者の増加が,国富増加のもう一つの原因だと指摘する。   

 

A.資本(stock)の分類

  個人の資財の分類・・・・収入(Revenue),資本( Capital)

     社会の総資財の分類・・・収入(Revenue),固定資本(Fixed Capital)

                            ,流動資本(Circulating capital)。定義の問題性。

  資財を収入と資本に分類したことが,資本蓄積論にとって重要。

 

B.総収入と純収入との区別。社会の総資財の一特定部門としての貨幣と銀行の働き。

 

C.資本の蓄積。

 ・資本の蓄積の定義=既存資本への追加資本の付け加え。

  ・資本蓄積→生産資本の蓄積→不生産的労働者の雇傭から生産的労働者の雇傭への振り替え。

 ・生産的労働者と不生産的労働者の区別╶─→(1)対象の価値を増加する種類の物とそうでないのものとの区別,

  (2)ある特定の商品の形に固定化し,価値を存続できるかどうか。

・総生産物(総収入)= 利潤と地代(純収入)+ 資本の回収部分←╴その国の過去の           

  資本蓄積の規模

↓                       

不生産的労働者の雇傭 +  生産的労働者の雇傭

                    ↓

                  翌年の生産の規模

  ・資本と収入の比率→勤勉と怠惰の比率

 ・節約→資本増加→拡大再生産

  浪費→資本減少→縮小再生産→公共社会の敵

 ・国家が正義の原則(身体生命の安全,所有の保証等)を保証すれば,各人の利己心の作用により,節約がなされ,資本が増加し,生産的労働者が増加し,国の富裕が増大するとみる。

 

D.投資の自然的順序論

  ・資本の使用法・・・(1)農業,(2)製造業,(3)卸商業,(4)小売り商業。

    農業は最も多くの生産的労働者を活動させる。製造業者は手工業者や農業者の資本と利潤を回収させる。卸業者は農業者や製造業者の資本と利潤を回収させる。小売商人 は卸売商人の資本と利潤を回収させる。( 順次,上の段階の資本が回収されるという視点をとる)(順次,上の段階の資本の物的補填を行うという観点をとる)

 E.投資の自然的順序

    農業╶→製造業╶→卸売業╶→小売業。その実例は,当時のアメリカ。

  また,卸売業は,国内商業外国貿易中継貿易の順序で,生産的労働者を多く雇傭するので,その順序で投資されるべきだと見る。

 

(4)第三編,第四編,第五編

上記の第一・二編の理論に基づいて,当時の重商主義政策の批判がなされ,また,安価な政府論が論じられている。